京都五山そして鎌倉五山の上に置かれる別格扱いの寺院南禅寺。日本の全ての禅寺の中で最も高い格式を持つ寺院です。広大な境内には国宝の方丈を始め、重要文化財の三門、インスタ映え間違い無しの水路閣など見どころ満載で、一年中観光客が絶えません。そんな南禅寺にあって、ほとんど人が訪れないスポットがありました。前回までのブログでは、気功師のガイドさんの案内で、最寄り駅の蹴上駅から南禅寺へ至り、南禅寺の奥にある秘密のスポット最勝院の奥の院を訪ね、氣の変化を感じながら気功体験をした様子などをご紹介しました。このブログでは、南禅寺の近くにある町屋カフェで中国茶をいただきながら、アイヌの民族楽器トンコリの演奏や気功についてのトークをお聞きした様子をご紹介します。
今回は「まいまい京都」が企画する「気功師といく南禅寺 秘密のパワースポット 水と岩が織り成す聖域へ~」というツアーに参加しました。「まいまい」とは「うろうろする」という意味の京ことばで、「まいまい京都」では、600人を超える各分野のスペシャリストが独自の視点でガイドする京都や近郊のミニツアーを多数実施されています。
南禅寺最勝院の場所
南禅寺の行き方
電車で
バスで
・京都駅から5号系統で「東天王町」また「南禅寺・永観堂」下車 徒歩約10分
・四条河原町から5,32,203号系統で「東天王町」下車 徒歩約10分
最寄りの地下鉄蹴上駅から南禅寺までの行き方は以下で詳しくご紹介しています。
このツアーのガイドは長根あきさんです。
長根さんは気功師で、北海道出身。幼少の頃よりアイヌの物語に惹かれ、1993年よりアイヌ民族に伝わる楽器・ムックリの演奏を始め、北海道ムックリ大会で優勝。2004年に京都へ移住され、気功を取り入れた暮らしを始められます。各地で気功教室を主催するなど、活動は多岐に渡ります。
長根さんから配布された今回のツアーの道程を紹介した資料です。
南禅寺最勝院から好日居へ
前回は南禅寺の秘密のパワースポット、最勝院の奥の院を訪ね、また最勝院に戻って来たところまでをご紹介しました。
奥の院を訪ねた前回の道のりは以下で詳しくご紹介しています。
今回はこの最勝院からです。
川沿いの道を下って、こちらの小さな入口から最勝院へ入ります。
この辺りから更に奥の一帯は、鎌倉時代頃から「神仙佳境」と呼ばれ霊地として広く世間に知られていました。摂政関白、九条家の子であり、幼くして仏門に入った道智(どうち)は、比叡山延暦寺で天台密教を極め、園城寺(三井寺)管長や禅林寺(永観堂)住持を務めましたが、晩年は世をいとい、この地に隠棲されました。南禅寺の寺伝によると、この地は園城寺別院の最勝光院の所在地でありましたが、のちに同院は衰退、文永元年(1264)亀山天皇が母大宮院の御所として離宮禅林寺殿を造営。その禅林寺殿造営の二年後(1266)、道智は法力を使って白馬にまたがり、生身を天空に隠されたと伝えられています。馬のことを駒とも言うので、それ以来、道智は駒大僧正、最勝院の山中は駒ヶ滝と呼ばれるようになりました。
その最勝院の本堂がこちらです。こじんまりとしていますが、とても綺麗に整えられた境内です。
本堂には「駒大僧正」の扁額がありました。
本堂の前にあるのが、立派な松の木です。この松の木が樹齢300年の百日紅の木の割れ目に、松の種が落ちて、そのまま成長したとされている非常に珍しいものです。松の木と百日紅が一体化していることから、『縁結びの松』と呼ばれています。
参道脇の木々も少しづつ色づき始めていました。
最勝院の由来を説明した看板に戻りました。
最勝院の由来の看板を見た後に振り返ると、水路閣の上の水路がすぐ横から見ることができます。
現在でもこの水路は現役で、琵琶湖疎水の水が毎秒2tも流れています。
こちらがおなじみの水路閣を下から見上げた様子です。
南禅寺水路閣は、琵琶湖疎水の枝線水路です。水路は明治23年(1890)に建造され、レンガ造り、ローマ風のアーチ橋上を通っています。水路閣の全長は93.17m、幅4.06m、水路幅2.42mで、周囲の景観に配慮して設計され、13の橋脚が作り出すアーチの連続は絶好のフォトスポットです。
木々の緑と古びたレンガの色合いが何とも良い感じです。モダンでレトロな一種独特の景観が、不思議と仏教寺院の和の空間に溶け込んでいます。
水路閣から境内を西へと横切り、中門を通り抜け、湯豆腐屋などが立ち並ぶ参道を歩いていきます。(写真を撮り忘れました)
白川通と市道182号の交差点を西へ渡り、更に西へ向かいます。
西へ250mほど歩くと、南禅寺惣門があります。こちらを通り抜けると、完全に南禅寺の結界の外に出ることになります。ガイドの長根さんも話しておられましたが、この惣門の内と外とでは氣が全く違うようでした。それまでは気づかなかったのですが、門から出ると、周辺の空気がどことなく生ぬるいような緊張感の無いものに感じられました。逆に言うと、門の中では清浄で清涼な空気だったようです。結界の内と外で、これほど違いがあるのかとびっくりしました。
惣門から更に西へ徒歩約2分で、好日居に到着です。
好日居とは
平安神宮と南禅寺の中間あたりの静かな路地に佇むカフェ「好日居」は、一休建築士でもある店主 横山さんが30年もの間空き家になっていたという大正期の家をこつこつと改修し、2008年に「とらわれない心でお茶の時間にささやかな魔法をかけてみたい」と、心休まる空間でほっこりお茶を楽しめる場所としてオープンされました。中国茶を中心に、季節に合わせたお茶をセレクトし、お茶教室やアーティストを招いたイベントなどを随時開催されています。
ガラガラと引き戸を開け、靴を脱いで好日居にお邪魔すると、まるで親戚か古い友人の家を訪ねたかのような何とも懐かしい気持ちになります。店主の横山さんが世界中から集めたという食器がずらりと並んだ厨房?を抜けると、木の長椅子だけが置かれた静謐な雰囲気の部屋があり、その奥には坪庭が眺められる素敵な居間がありました。
今回はこの好日居で、店主の横山さんが最近訪問されたという台湾で仕入れてこられた烏龍茶と、長根さんが準備されたお菓子をいただきながら、アイヌの楽器トンコリの演奏に耳を傾けつつ、アイヌの昔話などをお聞きしました。
お茶菓子として提供された「真盛豆」は上京区の上七軒にある「金谷正廣」という江戸時代末期から続く和菓子屋さんのもの。豊臣秀吉が茶会の時に使ったお菓子を元に、創業当時からずっと同じ製法で作られているそうです。小さなマリモのような可愛らしいそのお菓子は、外側に青のりをまぶしてあり、優しい甘さがくせになりそうな味でした。
アイヌの楽器トンコリ
「私はトンコリ奏者では無いんですが、奏でることは出来るので、お茶とお菓子のイージーリスニング的に聞いていただければ。」と長根さん。このトンコリは、長根さんの手作りだそうです!
このツアーのあった前日は十三夜で、とても月が綺麗でした。そんな月にちなみ、長根さんは柿本人麻呂が万葉集に書いてる有名な月の和歌を歌詞とした歌をトンコリを奏でながら歌ってくださいました。
「天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」
~はてしない天の大海原に 白い雲の波が広がっている。そこへ一艘の月の舟がこぎ出して行き、たゆたいながら、いつしか星の林の中へ隠れていったのが見えた~
1000年以上も昔の和歌ですが、その壮大かつロマンティックな情景がありありと目に浮かぶような、美しい歌ですね。百人一首もそうですが、古の都人の書いた歌の中に、現代にも通じる感性が垣間見えると、その時代の人々と心が通じたような不思議な気持ちになります。
ところで、アイヌの話のはずが、何故万葉集?ということについて、長根さんは以下のように話されました。
「縄文時代より昔はみんな一緒だったんですよ。その後弥生時代になってから、日本の真ん中あたりには大陸からも人が入ってきて、北と南は縄文的なものが残ったけれど、もともとは一緒だったんですよね。人の交流もかなりあって、糸魚川の翡翠が全国で見つかったりしますよね。そういう視点で私は物を考えたいと思っていて。アイヌだ、日本人だという歴史より以前はみんな同じ縄文人だったと思っています。縄文時代は争いが無かったと言われています。戦闘で亡くなった形跡が無いから争いは無かったんじゃないかと。そういうところに近いもので、何か残っているものは無いかな、と考えて、万葉集から歌のテーマを取りました。」
トンコリの素朴な音色に、日本語の雄大な歌詞がとてもマッチして、長根さんの「みんな一緒だったんです」という意味が何となく分かった時間でした。
続いて、カラスがバチャバチャと水浴びをしている様子を表した可愛らしい曲や、単純な「キャップチャットキャップ」という節が延々と続き時々変化をつけながら演奏し、大勢で聞いて誰もがその曲に合わせてみんなで楽しく踊ったのではないかという曲などを演奏されました。
トンコリは赤エゾ松で出来ていて、各部位は体になぞらえて頭、首、耳、胴、へそなどと呼ばれます。アイヌの昔の女性は「タマサイ」というガラス玉のネックレスをつけていて、その玉をトンコリの中に入れていたそうです。長根さんはタマサイを持っておられないので、ご実家の庭の小石を入れたそうです。タマサイのネックレスのガラス玉は昔のものなので、まん丸ではないものの丸に近い形で、魂を入れるとか、心臓などと呼ぶ人もいるそうです。
写真:『アイヌ生活文化再現マニュアル トンコリ』財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構より
アイヌの昔話「クンネカタㇰ レタラカタㇰ」
最後に長根さんはアイヌの昔話「クンネカタㇰ レタラカタㇰ」~クンネは暗い、カタクは糸玉、糸をより合わせて作った糸玉、毛糸玉、レタラは白い、明るい、黒い糸玉と白い糸玉~を話されました。
私(男の子)には母と弟がいて、三人で暮らしていました。母はいつも「お前たちにはおじさんがいるけれど、魔物のように悪い人だから何を言ってくるかわからない。何を持って来ても私が見ないうちは食べてはいけませんよ。」と話していました。ある日お母さんが留守の時に、突然年配のおじさんらしい男の人がやってきて、小さな鹿のもも肉を一本持って来て、こう言いました。「ああ、お前たちもこんなに大きくなったんだ!このくらい大きければ仕事も出来るだろう。さあ、お前たちを連れて仕事に行くぞ!」と。私は鹿のもも肉は受け取りましたが、お母さんが留守だったので、おじさんはまた明日来るよと言って一旦帰りました。それからお母さんが家に帰ってきたので、この出来事をお母さんに話しました。するとお母さんは「またろくでもないことをしようとして!」と言い、その鹿の肉をよく拭いて、よく見て、味見をして、大丈夫そうだな、と思ったので食事をし、暗くなってみんなで横になりました。そう、この家にはお父さんがいません。お父さんはこのおじさんに連れていかれていなくなってしまったんです。それで、このおじさんには気をつけましょう、と母は言っていたんです。私は、おじさんは「明日また来るよ」と言っていたけれど、本当に来るのかな?」と想いながら横になっていました。すると真夜中におじさんが「もう行くぞ」と言ってやって来たので、私は慌てて身支度をしました。するとお母さんはクンネカタㇰ レタラカタㇰ 黒い糸玉と白い糸玉を一つずつ私にくれて言いました。「何か大変なことが起きたら、黒い糸玉を後ろに投げて、白い糸玉を前の方に投げなさい」と。そこで私はその糸玉を懐に入れ、おじさんに連れられて船に乗せられて行きました。行けども行けども、明るくなる様子もなく、ずっと行くうちに、ようやく明るくなってきておじさんが言いました。「さあ着いたぞ。お前はいい仕事ができるはずだぞ。」見てみると本当に恐ろしい場所で一体何の仕事をするところなのか、何か魔物がたくさんいるようなところなんです。私は母に言われたとおり、すぐに黒い糸玉を後ろの方へ投げて、白い糸玉を前の方に投げました。すると、黒い糸玉を投げた方が暗くなって何も見えなくなり、白い糸玉を投げた方は明るくなったのです。そこで私は白い糸玉がコロコロと転がるのを追って走っていき、ずっと走っていくと家に着きました。安心して息をついていると、お母さんが「息子は帰ってくるような気がする」と言って外で待っていたんです。そして私を見て、泣きながら喜んでいました!母が糸玉を私にくれなければ、私も父のように魔物の仲間に入れられてしまうところでした。母が黒い糸玉と白い糸玉を私にくれたおかげで、私は生きて帰ることができたと思っています。
長根さんは日本語でこの昔話を話された後、アイヌ語でもう一度話をされました。独特のリズムを感じる優しい響きの言葉で紡がれる昔話に、参加者一同じっと聞き入っていました。日本・アイヌの違いはあれど、日本昔話にもこんな感じの話があったような…という懐かしさを感じるひとときでした。
長根さんは最後に気功について、もう少し解説されました。
「気功というのは、基本的には鼻から吸って鼻から吐きます。簡単には肩をほぐすとかでも気功になるんです。呼吸を揺らすこと。呼吸を整えることが気功なので、簡単なんです。深呼吸の気を整えること。氣のめぐりをよくすること、そのようなことが全て気功になるので、ラジオ体操もゆっくりやれば気功になるんです。だから中国のよその国のものではなくて、もっと自分たちの暮らしの中に取り込みやすいものじゃないかなと思います。今回のツアーで、それぞれの場所の氣の違いを感じながら歩いていただいたと思います。」
今回のツアーで訪れた南禅寺の塔頭 最勝院の奥の院は「秘密のパワースポット」の名にふさわしい場所でした。そんな場所で長根さんのリードのもと気功をやってみることで、普段氣の違いなど全然感じない私も、様々な氣を感じるとても貴重な体験となりました。そのあとに訪れた好日居での長根さんのお話からは、日本人・アイヌと言った民族の違いを超え、同じ縄文人をルーツに持つ者同士で相通じるものを随所で感じることが出来ました。気功というと、中国人が朝、公園などに集まってやるもの、とか、特別な訓練を受けた人でないと出来ないもの、というイメージがありましたが、体をほぐし、呼吸を揺らし整えることが気功になるというお話でしたので、普段の暮らしの中でも取り入れやすそうだな、と思いました。
長根さんはとても小柄な方でしたが、ハキハキとした語り口の中にも、ゆったりとした空気感をまとい、とてもスケールの大きな世界観を持たれた方だな、と感じました。素敵な時間をありがとうございました。