京都おすすめ散歩道

定番から穴場まで京都のお散歩コースを地元民の視点からご紹介

梅宮大社② ~北神苑から西神苑はアジサイの博物館

阪急嵐山線で嵐山駅から一駅、松尾大社駅から徒歩10分ほどのところにある梅宮大社神苑という名の池泉式庭園は広さ10,000㎡、梅宮の名の通り梅が60種600本、そのほかにも池にはアヤメやカキツバタハナショウブスイレンのほか、アジサイやツバキ、キリシマツツジなどたくさんの花木が植えられ、1年を通じて季節の花が参拝者の目を楽しませてくれます。春に訪れた時にみつけたアジサイが、そろそろ見ごろと思い6月初旬に訪ねてみました。

 

 

梅宮大社の場所

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梅宮大社の行き方

電車で

 阪急電車 嵐山線松尾大社」下車 徒歩約10分

 

バスで

 京都市バス3,28,29,71系統で「梅宮大社」下車すぐ

 

梅宮大社への行き方は以下のブログで詳しくご紹介しています。↓

www.yomurashamrock.me

 

梅宮大社の概要や東神苑については以下のブログで詳しくご紹介しています。↓

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梅宮大社神苑は本殿の東、北、西の周囲三方を囲むように配されていますが、東神苑は江戸時代には現在の半分ほどの広さでした。明治から大正にかけて拡張され、さらに昭和40年代後半に池の改修とともに北神苑や西神苑の整備が行われ、現在の姿になりました。

 

今回のスタートは神苑咲耶池にある池中亭です。

池中亭(芦のまろや)

咲邪池の中島には、江戸時代末期の嘉永4年(1851)に建てられた池中亭(ちちゅうてい)があります。百人一首源経信に詠まれた「夕(ゆふ)されば 門田(かどた)の稲葉(いなば)おとづれて 芦(あし)のまろやに秋風ぞ吹く」と読まれた「芦のまろや」が、この池中亭だそうです。この茶室の風雅な茅葺屋根の形が、往時の芦のまろやの姿を今に伝えています。池中亭を囲む池の周りにハナショウブが群生していて、ひなびた庵に華やぎを添えています。

 

池中亭へ入る入口の傍に、百人一首の大納言 源経信の歌碑があります。

 

さて、池の周囲をぐるりと回り、これから北神苑へ向かいます。

 

アジサイの博物館

このように、庭園の順路の両側に100mほどアジサイがずっと並んでいます。

 

アジサイの名前を書いた札などが無いので名前がわからないのですが、本当に種類が多く、まるでアジサイの博物館のようです。

 

神苑の勾玉池

池中亭から100mほど北西へ向かうと、脇道があり、その先が開けています。

 

勾玉池です。ハナショウブが満開でした。こちらは勾玉池のしっぽ(?)の部分から見たところです。

 

他の角度からも見てみました。勾玉池の頭(?)の方です。スイレンも咲いていました。全体を俯瞰する場所が無いのが残念です。

 

勾玉池を過ぎて、更に西へ進みます。

ハート型のアジサイを探しましたが、なかなか見つかりませんでした。

これが一番ハート型に近いかな?

このアジサイは葉の形が変わっていますね。柏の葉のような形なので「カシワバアジサイ」というそうです。

 

勾玉池の向こう側にも小道があり、こちらもずらっとアジサイが並んでいました。

西神苑の梅苑に咲くアジサイ

更に進むと梅苑になりますが、こちらにもアジサイが沢山植わっています。

梅苑のもっと奥へ行くと…

梅の実がいくつか落ちていました。

梅宮大社の公式サイトによると、梅苑で採れた梅の実を、昔ながらの製法で手作りした梅干しを同社で販売しているそうです。時期的に梅宮大社の梅も収穫した後だと思われます。熟して落ちた梅の実は、ほのかに甘い芳香を漂わせていました。

 

 

神苑をぐるっと一周して、社務所の横に戻って来ると、また猫に出会いました。近くでカメラを向けると警戒するので、少し離れた場所から写真を撮らせてもらいました。

 

梅宮大社アジサイの多種多様さは圧巻でした。しかも、土の栄養がよほど良いのか、どのアジサイものびのびと育ち、色も冴え冴えとしていました。「こんなにも多様なアジサイをどうにか記録に残したい」と一つ一つ撮っていたら、どの写真も同じようなアングルになってしまいました。アジサイは雨に濡れた時が一番美しいと思っていましたが、今年は梅雨が異常に短く、アジサイの写真はいつも晴れた日のものです。それでも、まぶしい木漏れ日の下のアジサイもまた趣き深いものですね。そんな新しい発見をさせてもらえた今年の梅雨のお散歩でした。

梅宮大社京都市の西の端にあり、交通の便もあまりよくありませんが、徒歩圏内には松尾大社もあり、一緒に参拝することが出来ます。観光地化されていない分、じっくりと散策を楽しめますので、機会があれば是非足をお運びください。

 

 

松尾大社への行き方や詳しい情報は以下でご紹介しています。↓

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梅宮大社① ~初夏を彩る東神苑のハナショウブ

阪急嵐山線で嵐山駅から一駅、松尾大社駅から徒歩10分ほどのところにある梅宮大社神苑という名の池泉式庭園は広さ10,000㎡、梅宮の名の通り梅が60種600本、そのほかにも池にはアヤメやカキツバタハナショウブスイレンが植えられているほか、アジサイやツバキ、キリシマツツジなどたくさんの花木が植えられ、1年を通じて季節の花が参拝者の目を楽しませてくれます。6月に入りアジサイハナショウブが見ごろを迎えていると思い訪ねてみました。

 

 

梅宮大社の場所

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梅宮大社の行き方

電車で

 阪急電車 嵐山線松尾大社」下車 徒歩約10分

 

バスで

 京都市バス3,28,29,71系統で「梅宮大社」下車すぐ

 

梅宮大社への行き方は以下のブログで詳しくご紹介しています。↓

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今回のスタートは、阪急嵐山線松尾大社から東へ徒歩10分、四条通を北へ140mほど上がった所にある梅宮大社の鳥居です。

堂々とした朱塗りの鳥居です。

 

鳥居をくぐると、随身門があります。三間一戸の楼門で、入母屋造、屋根は本瓦葺で文政11年(1828)再造営されたと言われています。酒造りの守護神を祀る神社なので、楼門の二階に酒樽が並んでいるという珍しい姿です。

 

梅宮大社とは

梅宮大社は京都でも有数の古い歴史のある神社です。詳細は不明ですが、奈良時代には政治家であった橘諸兄(たちばなのもろえ)の母 県犬養三千代(あがたのいぬかいみちよ)(橘美千代)によって、現在の京都府綴喜郡井手町山城国相楽郡井出荘)に創建したのが始まりと言われています。平安時代の初めに、その神を橘氏氏神として橘嘉智子(檀林皇后・嵯峨天皇の后)が現在地あたりに移したと言われ、皇室外戚神として天皇家から崇敬されました。

本殿では酒解神(さかとけのかみ)、大若子神(おおわくこのかみ)・小若子神(こわくこのかみ)・酒解子神(さかとけこのかみ)の四座を御祭神とします。酒解神の御子・酒解子神大若子神との一夜の契りで小若子神が生まれたことから、歓喜して、狭名田の稲をとって天甜酒(あめのうまさけ)を造り飲んだという神話から、古くから安産と酒造の神として有名です。

現在の社殿のうち、本殿・拝殿・楼門・境内社の若宮社・護王社の5棟は江戸時代の造営であり、京都府登録文化財に登録されています。

さらに、庭園はカキツバタハナショウブアジサイの名所として知られるほか、ウメ、ヤエザクラ、ツバキ、ツツジなども大変美しいと言われています。

 

それでは、中へ入って行きましょう。

拝殿

随身門を入って真正面にあるのが、拝殿です。桁行三間・梁行三間の入母屋造で、妻入、屋根は銅板葺です。文政11年(1828)再造営されたそうです。

 

本殿

拝殿の奥にあるこちらが拝所と回廊で、その奥に本殿があります。三間社流造で、屋根は檜皮葺です。現在の本殿は元禄13年(1700)に造営されたと言われていますが、何回か再建されているようです。

 

 

拝殿の左手にあるのが手水舎です。最近はコロナの影響で花手水をしつらえてある寺社も多いですが、こちらはオーソドックスな手水舎です。横にはお酒の神様らしく、酒樽が並んでいます

 

手水舎の右横の社務所に庭園への入苑受付があります。

 

猫神社

梅宮大社は京都の猫神社としても知られています。動物写真家 岩合光昭さんも訪ねられたそうです。

写真のように、社務所の窓口の真ん前でお昼寝している姿もしばしば見られます。ご住職が猫に「ちょっと、のいて(どいて)や~」と優しく話しかけられ、そんな微笑ましいやり取りを眺めるのも楽しいものです。

 

ここ数年は、この猫たちを目当てに訪れる参拝者も多いそうです。

 

神苑

社務所で猫たちに癒されながら、神苑の拝観料を納めたら、早速中へ入って行きましょう。京都府有形文化財に登録されている本殿や楼門など社殿の多くが元禄年間に復興されましたが、現在の東神苑にあたる部分も、この時期に最初の整備がなされたようです。現在、神苑は本殿の東、北、西の周囲三方を囲むように配されていますが、東神苑は江戸時代には現在の半分ほどの広さでした。明治から大正にかけて拡張され、さらに昭和40年代後半に池の改修とともに北神苑や西神苑の整備が行われ、現在の姿になりました。

 

拝殿の東側(右手)に神苑の入口があります。

 

神苑入口から入ると正面にあるの東神苑には、ご祭神である酒解子神の別名 木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)にちなんで咲耶池(さくやいけ)と名付けられた池を中心に、池の周囲にはカキツバタハナショウブキリシマツツジなど多くの草花が植えられています。

この日はハナショウブが満開でした。

 

アヤメ? カキツバタ? ハナショウブ

ところで、梅宮大社の池のほとりで初夏に咲いている花に「アヤメ」「カキツバタ」「ハナショウブ」がありますが、とてもよく似ていて、私も違いがよくわかりませんでした。5月に訪れた時は「アヤメ」が見ごろ、と公式サイトに記載があったので、「これがアヤメなのか~」と思っていました。今回は「ハナショウブ」が見ごろとありました。そこで、見分け方を調べてみました。

 

見分け方その1「花びらの付け根」

 まず、花びらの付け根を見てください。見分けるサインは以下の通りです。

 アヤメ…網目状

 

カキツバタ…白い筋

 

ハナショウブ…黄色

 

見分け方その2「育つ場所」

あやめ…陸地

 

カキツバタ…水の中

池や沼地など常に水のある場所で育ちます。

 

ハナショウブ…水辺

水の流れに沿うように、菖蒲が群生して咲く姿がよく見られますね。

 

 

見分け方その3「咲く時期」

カキツバタ…5月中旬

アヤメ…5月中旬~下旬

ハナショウブ…6月~7月中旬

カキツバタとアヤメが咲き始めるのは5月中頃で、やや遅れるようにして、ハナショウブが咲き始めます。ちょうど梅雨の今頃なので、アジサイと一緒に楽しむこともできます。

 

見分け方は分かりましたが、アヤメは漢字で書くと「菖蒲」なんですね。本当にややこしいです😢

「何れ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)」という言葉の通り、アヤメとカキツバタはよく似ていますし、さらにハナショウブも入ると、もう何が何だか…。実はこの3つとも「アヤメ科アヤメ属」の仲間なんだそうです。似ているのも当たり前ということですね。違いはどうあれ、いずれも蒸し暑い日本の初夏を彩る姿が私たちの心を爽やかにしてくれる花たちですね。

 

スマホのカメラではうまく撮影できなかったのですが、咲耶池ではスイレンも咲いていて、ハナショウブとともに咲き競うようでした。

梅宮大社は嵐山からほど近いものの、京都でも少しマイナーな神社で、観光客でごった返すということもありません。それでも、この美しい神苑のおかげか、いつ訪れても散歩や写真撮影を楽しまる方がおり、地元の人にとても愛されているなあと感じます。

徒歩圏内に松尾大社もありますので、機会があれば是非一度足をお運びください。

 

次回は北神苑~西神苑を巡り、ハナショウブに縁どられた勾玉池や、多種多様なアジサイをご紹介します。

 

 

 

京都府立植物園 ~初夏の花々が咲く市民憩いの園へ

京都市街地の北部にある京都府立植物園は、大正13年(1924)に開園した日本で最古の公立総合植物園です。24万㎡(甲子園球場約6個分)という広大な敷地に、約12,000種もの植物が植えられ、四季折々の植物を鑑賞することが出来ます。

私も何度も訪れているのですが、たまたまバラが咲いていない頃ばかりだったので、今年こそはバラ園を見たい!と思い、バラが見ごろのこの時期に訪ねてみました。

 

 

京都府立植物園の場所

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京都府立植物園の行き方

電車で

 JR「京都駅」、近鉄「京都駅」、阪急「烏丸駅」から

  京都市営地下鉄北山駅」下車3番出口すぐ

  または「北大路駅」下車3番出口を東へ徒歩約10分

 

 京阪「出町柳駅」から

  市バス1系統または京都バス「静原」「市原」行きに乗り

  「植物園前」下車徒歩約5分

 

 

今回のスタートは地下鉄「北大路駅」です。「北山駅」からの方が近いのですが、今回の目的地である「ばら園」や「あじさい園」「はなしょうぶ園」は北大路駅から近い正門から入った方がわかりやすいので、北大路駅からの行き方をご紹介します。

 

北大路駅です。改札を出たら左手へ進みます。

 

前方左手に階段があり、3番出口を目指して階段を上がります。

 

近くには小学校があり、ちょうど下校時刻でしたのでたくさんの小学生に出会いました。

 

階段を上がり切ると、目の前は北大路通で、北大路通の向こう側には大谷大学があります。

 

北大路通を東(左手)へ進みます。

 

烏丸北大路の交差点です。このまま北大路通を東へ250mほど進みます。

 

人気の洋食店「グリルはせがわ」です。食事時に通りかかると、いつも行列ができていますが、この日は時間が中途半端だったので誰も並んでいません。

さらに東へ進みます。

 

北大路橋西詰です。バスの向こうに見えているのが北大路橋です。信号を渡ります。

 

北大路橋を渡ります。

 

北大路橋から北山方向を見た景色です。春は賀茂川の両岸の枝垂れ桜が見事なのですが、それ以外の季節でも、いつ見ても美しい自然が京都らしい景色だなあ、と思います。

 

北大路橋を東へ渡り、賀茂川沿いを100mほど北へ向かいます。

賀茂川?鴨川?

ところで…

京都を代表する「かもがわ」ですが、「賀茂川」「鴨川」さらに「加茂川」と色々な表記があるようです。どう違うのかな?と思い調べてみました。

京都府のホームページによると

平安京造営の前から、ほとりに住んでいた「賀茂氏」に由来し…中略…賀茂氏氏神をまつる上賀茂神社出町柳付近の下鴨神社にちなんで高野川合流点より上流を「賀茂川」、下流を「鴨川」と書かれることが多いようです」

ということだそうです。ざっくり、北山や北大路付近の上流は「賀茂川」、それより下流、みなさんご存じの三条や四条付近などは「鴨川」と表記しているそうです。しかし一級河川として指定された区間全ては「鴨川」に統一されているそうです。ややこしいですね。

 

では先へ進みます。

右手にちらりとグラウンドが見えてきたら東(右)へ曲がります。

 

京都府立大学運動場」がありますので、その手前を北(左)へ曲がります。

 

京都府立大学の運動場の横の並木道を道なりに北へ200mほど進みます。

 

京都府立植物園の正門に到着です。

 

正門の左手に入場券売り場がありますので、こちらで入場料を払います。

公立の植物園なので、一般の入場料は200円、高校生は150円、中学生以下と70歳以上はなんと無料です!近隣にある私設の植物園だと入場料は2000円前後なので、この安さはびっくりです。

 

京都府立植物園とは

京都府立植物園は、京都市街北部にあり、東は比叡山、東山連峰を望み、西には賀茂川、北は北山の峰々を背景とした風光明媚な場所にあります。

大正13年(1924)1月1日に日本初の公立植物園「大典記念京都植物園」として開園しました。第二次大戦中は園内に菜園が設けられ食料増産の場になり、戦後は12年間連合軍に接収され閉園を余儀なくされましたが、昭和36年(1961)4月に再開しました。

園内には観覧温室の他、正門花壇、はす池、ばら園など20程のエリアがあり、24万㎡の広大な敷地にテーマ別に約12万本の植物が植えられています。日本の四季の花が見られる花壇や洋風庭園、熱帯植物を集めた温室があります。北半分は半木(なからぎ)の森と呼ばれる自然に近い森を利用した生態植物園などがあります。これは当地に残された山城盆地の原植生を伺い知ることのできる園内唯一の貴重な自然林です。

 

正門を入ると、広々とした空間が広がります。写真中央に見えているのが、正門花壇です。一年草を中心に四季折々の花が咲きそろいます。

前方左手に見えているのは温室です。延床面積4600㎡余り、4500種類、25000本の熱帯や高山などの珍しい植物が植えられていて、こちらも見どころ満載ですが、今回は時間の関係でパスしました。また別の機会にご紹介したいと思います。温室は植物園の入場料とは別料金になります。

 

正門から入って右手へ曲がります。

右手へ曲がったところです。この道を奥へ進みます。

 

80mほど進むと、右手に「植物園会館」があります。

 

植物園会館の向かいでは、様々な花の苗などを販売していました。
さらに奥へ進みます。

 

植物園会館の端まで行くと、「二階展望テラス」の案内板があったので、案内に従って階段を登りました。

 

階段を登り切ったら、館内左手の「園芸サロン」という部屋へ入ります。

 

園芸サロンには植物に関する様々な図書のコーナーがあり、部屋で閲覧できます。

この部屋から展望テラスに出ます。

 

テラスからの眺めです。比叡山を背景に見えるばら園が見事です。

では、階段を降りて、ばら園へ向かいましょう。

 

ばら園

ばら園を入ったところです。320品種、1400株のバラが植えられているそうです。

シンメトリーな設計の庭園で、開園当初の設計を継承しています。

 

金閣、嵯峨野、貴船など京都にちなんだ名前のバラもたくさんありました

 

ばらのアーチの下にベンチがあり、ゆったり座ってばら園を鑑賞することが出来ます。

 

 

「シュシュ」ひらひらとフリルの入った花弁が可愛らしいですね。

「スヴニール・ドゥ・アンネ・フランクアンネ・フランクに捧げられたバラで移り変わる花色と半八重の柔らかな花形が魅力です。

 

ノヴァーリス」藤色の個性的なバラです。

「大原女」荷を頭にのせて京の町へ物売りに来る、京都の風物詩、大原女の華やかな立ち姿からその名がついたそうです。

 

伊豆の踊子」パリと静岡県河津市の友好の証として贈呈されたバラだそうです。

 

マスク越しですが、辺りはバラの甘い香りに包まれ、華やかに咲き誇る沢山のバラに心癒されるひと時でした。やっぱり来て良かった~!

 

沈床花壇

ばら園の東隣には、周囲から一段低くなっている沈床花壇があり、噴水を中心に四季の草花が咲き誇る華やかな花壇になっています。

この沈床花壇で特に印象的なのが「アリウム・ギガンテウム」という花です。紫色の小さな花を無数につけた大きな球状の花が特徴で高さは1m~1.5mほど。球状の花序の直径は15㎝ほどです。アリウムはラテン語でニンニク、ギガンテウムは巨大なという意味だそうです。おとぎ話の挿絵に出て来そうな不思議な形の花ですね。

 

 

沈床花壇を後にして、園内を北へ進みます。

 

あじさい園

6月初旬だったので、まだ全てのあじさいが咲きそろっていませんが、ガクアジサイが見ごろを迎えていました。

この日は暑いくらいの晴天、「あじさいは雨に濡れている方が色鮮やかでいいな…」と思っていましたが、木漏れ日の下のあじさいも可憐で風情がありました。

 

植物生態園

あじさい園を後にして、北西へ進むと、植物生態園へ出ます。

 

植物生態園は、京都府庁100年記念として造成され、日本各地の山野に自生する植物を出来るだけ自然に近い状態で植栽されています。総面積は15000㎡、外周部は樹木林、内部や湿地や砂地など様々なエリアに分かれ、四季それぞれに懐かしいふるさとの山や川の風景が思い出される植物を見ることが出来るそうです。

 

はなしょうぶ園

植物生態園の南側に開けた所にあるのが、はなしょうぶ園です。

はなしょうぶは、初夏の花として親しまれ、江戸時代には各地で独特の品種が作られました。府立植物園では、群生する姿が美しい江戸系、花弁が縮れて垂れる優雅な伊勢系、大輪で豪華な肥後系など、約150品種、10000株が栽培、展示されています。

凛とした立ち姿に鮮やかな花色のはなしょうぶの群生を見ていると、この日の青空のように爽やかで清々しい気分になりました。

 

 

今回はばら園、あじさい園、はなしょうぶ園を目的に訪れましたが、四季折々の花や外国の珍しい植物も鑑賞することが出来、花の少ない冬の時期でも観覧温室では面白い熱帯植物や高山植物などもたくさんあります。地下鉄北大路駅北山駅からのアクセスも良く、入園料も非常に安いうえ、申込不要・無料で参加できるガイドツアーも週に二回ほど開催されるなど、一年中楽しむことが出来る京都府立植物園は、本当にお散歩におすすめです。神社仏閣だけではない京都の魅力を堪能したい方は、是非一度足をお運びください。

 

東福寺③ ~青紅葉の海原に浮かぶ通天橋と開山堂の美しい庭園

京都五山の第四位に列せられる東福寺は、京都でも最大規模の伽藍を有する由緒正しき大寺院です。京都有数の紅葉の名所でもある東福寺ですが、青紅葉のこの時期は比較的人も少なく参拝しやすいのでお散歩に最適です。今回は、東福寺で一番有名な通天橋と、開山堂の庭園をご紹介します。

 

 

東福寺の場所

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東福寺の行き方

電車で

 ・阪急京都線

   「京都河原町駅」で京阪電車に乗り換え後、京阪本線東福寺駅」下車

   徒歩約10分

 ・JR,京都市営地下鉄

  各線「京都駅」でJR奈良線に乗り換え後、「東福寺駅」下車、徒歩約10分

 ・京阪戦車で

  京阪本線東福寺駅」下車後、徒歩約10分

 

バスで

 ・京都駅から

   市バス 88、208系統に乗車、「東福寺」下車

 ・四条河原町から

   市バス207系統に乗車、「東福寺」下車

 ・東山三条から

   市バス202系統に乗車、「東福寺」下車

 ・祇園から

   市バス202、207系統に乗車、「東福寺」下車

 ・平安神宮、岡崎から

   市バス100、110系統に乗車後、「東山七条」で88、202、207、208系統に乗り換え、「東福寺」下車

 

最寄り駅のJR東福寺駅からの行き方は、以下のブログで詳しくご紹介しています。

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東福寺とは

臨済宗東福寺派大本山山号は慧日山。摂政九条道家が、当時奈良で最大の寺院東大寺と、奈良でも最も盛大を極めてた興福寺になぞらえ「東」と「福」の字を取り、京都最大の大伽藍を造営したのが東福寺です。円爾(えんに);聖一国師(しょういちこくし)を開山として鎌倉時代の嘉禎2年(1236)から19年の歳月をかけて七堂伽藍が完成しました。京都五山の第四位に列せられ、「東福寺の伽藍面(がらんづら)」とまで言われ壮観を極めましたが、度重なる兵火や火災で仏殿、法堂、庫裏などを焼失したものの、以後逐次再建されてきました。

禅宗伽藍を代表する室町最古の三門(国宝)をはじめ、浴室、東司(便所)禅堂(いずれも重文)など室町時代の禅僧の生活を知る上で貴重な建築が多数残っています。

通天橋は京都でも一、二の紅葉の名所で、方丈の四方の周囲に枯山水の庭園を巡らせたものはこの庭園のみで、平成26年(2014)国の名勝に指定されるなど、見どころ満載の大寺院です。

 

 

 

今回のスタートは、東福寺の本堂です。

本堂

さて、日下門から入ると「東福寺の伽藍面」の名の通り、見える堂宇はどれも大変大きくインパクトがあります。まず目に入るのが本堂です。

本堂は仏殿兼法堂です。明治14年(1881)に仏殿と法堂が焼けた後、1917年から再建工事にかかり、1934年に完成しました。入母屋造、裳階付き、高さ22.5m、間口41.4mの大規模な堂宇で、昭和期の木造建築としては最大級のものです。大きすぎて、うまく写真に収まりません。

本尊の釈迦三尊像明治14年の火災後に塔頭万寿寺から移されたもので、鎌倉時代の作です。通常、本堂内は非公開ですが、春の涅槃会の際には公開されるようです。

 

方丈

本堂の左隣にあるこれまた立派な方丈の入口です。

禅宗寺院における僧侶の住居を指す「方丈」。本堂(法堂)と同じく、明治の火災で焼失しましたが、明治23年(1890)に再建。庭園は昭和14年(1939)、作家は重森三鈴の手により、鎌倉時代の風格を基調に、現代芸術の抽象的構成を取り入れた近代的禅宗庭園として完成されました。

国の名勝にも指定されている本坊庭園(方丈)の拝観受付もこちらです。

 

モダンアートのような本坊庭園(方丈)については以下のブログで詳しくご紹介しています。↓

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通天橋の拝観受付は仏殿の横、方丈の拝観受付の前辺りです。

 

こちらで拝観料を納め、右横の入口から入場します。

こちらが通天橋の入口です。

 

秋の紅葉の時期とはくらべものにならないぐらい空いていますが、それでも誰も写り込まないタイミングというのは難しいです。

 

通天橋

通天橋は、東福寺の境内を東西に横切る谷川「洗玉澗」を渡るため、本堂から開山堂を結ぶ橋廊です。長さ27mの屋根付きの木造橋で、天授6年(1380)に春屋妙葩が架けたとされます。

東福寺内で洗玉澗に架かる橋は西から順に臥雲橋、通天橋、偃月橋の「東福寺三名橋」と称される三つの橋です。

渓谷を埋めるように植えられた楓は約2000本。通天橋から西を臨むと、青紅葉の海原の向こうに、小さく臥雲橋が見えます。

この圧倒的な楓の海はなぜできたのでしょうか?

京都に限らず、一般的な寺社では桜と楓がほぼ同じくらいの割合で植えられていると思います。ところが東福寺には、一部の塔頭寺院などを除き桜の木がほとんどありません。渓谷を埋める木のほとんどが楓なので、これほど圧倒的な青紅葉(秋は紅葉)の大海原になるのです。

では、なぜ東福寺には桜の木が無いのか?

実は、桜の木が無いのではなく、正確には約600年ほど前に桜を全て伐採してしまったのです。

東福寺の画僧・吉山明兆(きつさんみんちょう)が室町幕府4代将軍・足利義持に、有名な「大涅槃図」を献上した褒美として何が望みかと尋ねられ、明兆は「境内に桜があると、花見客が増え遊行の地となり修行の妨げになる」と答えたそうです。そこで義持は境内の桜をすべて伐採させたと伝えられています。何とも潔いですね!

 

通天橋からすぐ下の洗玉澗を見下ろすとこんな感じ。結構深い谷川です。通天橋が架かる前は、本堂から開山堂へ行くには、一旦崖の下へ降りて谷川を渡りまた崖を上がるという苦労があったそうです。そんな僧侶たちの負担を軽減するために架けられたのが通天橋と言われています。

 

さて、通天橋を渡り切った境内の北、東福寺の最も高い所にあるのが…

 

常楽庵開山堂


写真:東福寺 Wikipediaより

開山堂とは寺院において開山を祀ったお堂のことです。祖師堂、御影堂、影堂などとも言います。

東福寺の開山堂の元の建物は文政2年(1819)に焼失し、文政9年(1826)までに再建されました。1階の礼堂最奥の祠堂に、開山である円爾弁円(聖一国師)の尊像が安置されているそうです。(非公開)円爾はここ開山堂に隣接する普門寺(現在の普門院)に住み、東福寺建立のようすを眺め、1280年(弘安3)79歳で入寂した地でもあります。ちなみに円爾聖一国師)が住んでいた普門院は開山堂のすぐ西隣にあるのですが、現在修復中でした。

開山堂上部の中央部分は2階建ての楼閣となっており、伝衣閣(でんねかく)と呼ばれる珍しい造りです。金閣鹿苑寺)、銀閣慈照寺)、飛雲閣西本願寺)、呑湖閣(大徳寺塔頭芳春院)と並び「京の五閣」と言われています。阿弥陀如来立像、布袋和尚坐像、薬師如来坐像を祀り、布袋和尚坐像は伏見人形のルーツとされます。

 

東福寺の国宝三門や本堂、本坊庭園(方丈)に通天橋と青紅葉も拝観し、すでに大満足だったのですが、最後にまだこんな素晴らしい池泉式庭園が待っていたとは…!

しかも、現在は修復中の普門院前の白砂の枯山水庭園も個性的で、白砂だけで市松模様が描かれていたものだそうです。本坊庭園(方丈)を作庭した重森三令も、この普門院の市松砂紋から着想を得て、本坊庭園(方丈)の北庭や西庭にも市松模様を取り入れたそうです。普門院の市松模様の砂紋も見てみたいものです。

 

愛染堂

開山堂の西に位置する丹塗りの杮葺き八角円堂が特徴的なのが、重要文化財の愛染堂です。もとは東福寺塔頭三聖寺の愛染堂でしたが、明治6年(1873年)に万寿寺が三聖寺を併合し、万寿寺の堂となりました。その万寿寺明治19年(1886)に東福寺塔頭となった後、昭和12年(1937)に、愛染堂は万寿寺よりこの地に移されました。中には鎌倉時代の制作という愛染明王坐像を祀ります。愛染明王は12の広大な誓願を発して、一切衆生を諸々の苦悩から救い愛と尊敬の心を与え、悪縁を断ち切ってすべての人々に安寧を授けると言います。なんだかすごいご利益がありそうですね。

そんな謂れは知らなくても、丹塗りのお堂が爽やかな青紅葉に映えて、見ているだけで清々しい気持ちになり、様々なものに感謝したくなるような、ありがたい気持ちにさせてくれます。

 

愛染堂の近くから青紅葉越しに通天橋を臨むことが出来ました。こちらからの眺めが一番きれいですね。青紅葉の緑色にもさまざまなグラデーションがあり、木造の通天橋のくすんだ色との対比で一層鮮やかに見えます。

この木々の鮮やかな発色は、境内を流れる川のおかげだそうです。また庭園の杉苔がよく育つのも、湿度の高い盆地の気候あってのこと。

このように、通天橋からの美しい景色は、境内の自然のパワーが凝縮していたんですね。そう思ってこの景色を眺めると、心にも体にもパワーがみなぎってくるような気がしてきました。

 

東福寺は京都駅からJR奈良線で一駅という訪ねやすい距離感です。秋の紅葉だけでない魅力にあふれた東福寺に、是非一度足をお運びください。

 

 

東福寺塔頭寺院 勝林寺もすぐ近くにあります。

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重森三令の作庭した庭園がある松尾大社

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東福寺② ~「永遠のモダン」を体現できる本坊庭園(方丈)

京都五山の第四位に列せられる東福寺は、京都でも最大規模の伽藍を有する由緒正しき大寺院です。京都有数の紅葉の名所でもある東福寺ですが、青紅葉のこの時期は比較的人も少なく参拝しやすいのでお散歩に最適です。今回は、まるでモダンアートのような東福寺の庭園をご紹介します。

 

 

東福寺の場所

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東福寺の行き方

電車で

 ・阪急京都線

   「京都河原町駅」で京阪電車に乗り換え後、京阪本線東福寺駅」下車

   徒歩約10分

 ・JR,京都市営地下鉄

  各線「京都駅」でJR奈良線に乗り換え後、「東福寺駅」下車、徒歩約10分

 ・京阪戦車で

  京阪本線東福寺駅」下車後、徒歩約10分

 

バスで

 ・京都駅から

   市バス 88、208系統に乗車、「東福寺」下車

 ・四条河原町から

   市バス207系統に乗車、「東福寺」下車

 ・東山三条から

   市バス202系統に乗車、「東福寺」下車

 ・祇園から

   市バス202、207系統に乗車、「東福寺」下車

 ・平安神宮、岡崎から

   市バス100、110系統に乗車後、「東山七条」で88、202、207、208系統に乗り換え、「東福寺」下車

 

最寄り駅のJR東福寺駅からの行き方は、以下のブログで詳しくご紹介しています。

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今回のスタートは東福寺の日下門です。

東福寺の駅からは上記の地図の赤線のルートでやってきました。

東福寺とは

臨済宗東福寺派大本山山号は慧日山。摂政九条道家が、当時奈良で最大の寺院東大寺と、奈良でも最も盛大を極めてた興福寺になぞらえ「東」と「福」の字を取り、京都最大の大伽藍を造営したのが東福寺です。円爾(えんに);聖一国師(しょういちこくし)を開山として鎌倉時代の嘉禎2年(1236)から19年の歳月をかけて七堂伽藍が完成しました。京都五山の第四位に列せられ、「東福寺の伽藍面(がらんづら)」とまで言われ壮観を極めましたが、度重なる兵火や火災で仏殿、法堂、庫裏などを焼失したものの、以後逐次再建されてきました。

禅宗伽藍を代表する室町最古の三門(国宝)をはじめ、浴室、東司(便所)禅堂(いずれも重文)など室町時代の禅僧の生活を知る上で貴重な建築が多数残っています。

通天橋は京都でも一、二の紅葉の名所で、方丈の四方の周囲に枯山水の庭園を巡らせたものはこの庭園のみで、平成26年(2014)国の名勝に指定されるなど、見どころ満載の大寺院です。

 

本堂

さて、日下門から入ると「東福寺の伽藍面」の名の通り、見える堂宇はどれも大変大きくインパクトがあります。まず目に入るのが本堂です。

本堂は仏殿兼法堂です。明治14年(1881)に仏殿と法堂が焼けた後、1917年から再建工事にかかり、1934年に完成しました。入母屋造、裳階付き、高さ22.5m、間口41.4mの大規模な堂宇で、昭和期の木造建築としては最大級のものです。大きすぎて、うまく写真に収まりません。

本尊の釈迦三尊像明治14年の火災後に塔頭万寿寺から移されたもので、鎌倉時代の作です。通常、本堂内は非公開ですが、春の涅槃会の際には公開されるようです。

 

方丈

本堂の左隣にあるこれまた立派な方丈の入口です。

禅宗寺院における僧侶の住居を指す「方丈」。東福寺では、法堂(本堂)の北側に位置し、国指定名勝として登録されている「東福寺本坊庭園」で有名です。本堂(法堂)と同じく、明治の火災で焼失しましたが、明治23年(1890)に再建。庭園は昭和14年( 1939)、作家は重森三鈴の手により、鎌倉時代の風格を基調に、現代芸術の抽象的構成を取り入れた近代的禅宗庭園として完成されました。拝観の際には、上記写真の庫裏で受付をして入ります。

 

本坊庭園(方丈)「八相の庭」

東福寺本坊庭園(方丈)は、明治14年(1881)の火災により、仏殿、法堂、庫裏とともに焼失しましたが、明治23年(1890)に再建されました。広大な方丈には東西南北に四庭が配され「八相成道」に因んで「八相の庭」と称しています。方丈の四周に庭園を巡らせたものは、この東福寺本坊庭園(方丈)のみです。

当時、日本全国古庭園実測調査を終えたばかりの新進の作庭家・重森三令(しげもりみれい)により、それまでの日本庭園にこめられた伝統的な思想や意匠を取り入れつつも、今までに無い斬新で意欲的な庭園が造り上げられました。というのも、作庭にあたって東福寺から三令に課せられた制約が「本坊内にあった材料はすべて廃棄することなく、もう一度再利用する」ということだったからです。これは禅の教えである「一切の無駄をしてはならない」ということから提示されたのです。禅の修行をしたことの無い三令でしたが、逆転の発想で、制約された中で最大限の美を追求するという禅の境地を表現し、様々な新たな手法を盛り込むことに成功しました。

 

南庭

庫裏から渡り廊下へと進むと、すぐ見えてくるのが南庭です。210坪の枯山水庭園は、日本庭園によく見られる蓬莱神仙思想を中心とした意匠形態となっています。蓬莱神仙思想とは古来中国大陸で信じられてきたもので、東の大海の彼方に仙人が住む「蓬莱」「方丈」「瀛洲(えいじゅう)」「壺梁」と呼ばれる四仙島があるというものです。この庭園の斬新なところは、写真ではわかりにくいのですが、この四仙島を表現するために、長さ18尺(約6m)もの長石を基本に、巨大な石をダイナミックに配置していることです。こんなにも巨石を配した石庭は他には無いそうです。石庭というと、龍安寺銀閣寺、建仁寺などが有名で、どれも縁側で庭を眺めながら静かに自分と向き合うイメージですが、東福寺のこの巨石群は、見る者を圧倒し、心を外へ解き放つようなイメージがあります。南庭には、この巨石群に加え、渦巻く砂紋で「八海」を表現、さらに写真にはほとんど写っていませんが、西の奥には「五山」になぞらえた築山を配しています。

 

西庭

西庭の大市松模様「井田の庭」は、日本の伝統的な市松模様をサツキの刈り込みと葛石(かづらいし)で表現しています。このモダンなデザインは、かつて本坊内の敷石の縁石(葛石)を再利用してできあがったものです。こんなにも直線的な材料を、自然の山を模した築山や石組み、樹木などを植えた庭園に使うのは、難しいというより、通常の庭づくりでは考えられなかったことでしょう。それでも使用しなければならないということで三令が考え抜いた末にたどり着いた答えが「市松」模様だったのです。

白い砂地に青々としたサツキの刈り込みの市松模様が映え、何とも不思議な光景です。

 

西庭から北庭へと続く途中には「通天台」と呼ばれる舞台が設けられ、眼下に渓谷「洗玉澗」を一望できます。

北庭

ウマスギゴケの緑との対比も色鮮やかな市松模様の敷石は、勅使門から方丈に向けて敷き詰められていた切石を再利用されたものです。

西庭の大市松を受けて初めはほぼ正確な小さな市松模様で配置され、だんだんとそれが崩れていき、最後はポツンポツンと一石づつ配しながら東北方向の谷へと消えていく様を表現しています。

こちらもモダンアートのような、斬新なデザインですね。彫刻家イサム・ノグチはこの庭を「モンドリアン風の新しい角度の庭」と評したそうです。

「コンポジション2 赤、青、黄」(1930年)

モンドリアンと言えば、白地に黒い垂直線と水平線のグリッド模様と三原色で構成された絵画「コンポジション」で有名ですね。東福寺の北庭もこんな雰囲気ですね~

ちなみに、日本庭園で苔を育て維持するのは大変労力が必要なのですが、東福寺本坊では、ちょうど真横に谷があり川が流れており、苔の生育に適した空中水分が得られるので、こんなにも瑞々しい苔の庭が完成したそうです。

 

東庭

東庭の表しているものは、星座の「北斗七星」で「北斗の庭」と呼ばれています。円柱、白川砂、苔、背後の二重生垣で表現しています。

北斗七星を表す円柱は、東福寺の「東司」(トイレ)で使用されていた礎石で、東司の解体修理の際の廃材を使ったものです。円柱を使うという手法は、明治から昭和初期にかけて京都を中心に活躍した第七代小川治兵衛が有名です。三条大橋五条大橋で使われていた橋脚を払下げ、平安神宮の池に沢飛石のような橋を架け、龍のように見える「臥龍橋」を円柱を使って表現しているのです。全国の古庭園を3年かけて実測調査した三令もこれを意識していたのかもしれません。

 

禅宗の庭園は、東福寺だけでなく夢窓疎石小堀遠州など有名な作庭家による優れたものが数多く残っていますが、重森三令が目指したのは、日本全国の庭園を研究しつくしたうえで、更に新しい思想や手法を積み上げ創作した「永遠のモダン」でした。京都の寺院は長い歴史を持ちながらも、新進気鋭の芸術家に発表の場を提供するなど新しい文化の創作にも柔軟に対応しているところが多いように思います。「一切の無駄をしない」という禅の精神に基づき、伝統的な精神に新しいデザインを融合し、さらなる高みを目指した重森三令に庭園を依頼した、東福寺の懐の深さにも脱帽です。

 

東福寺には本坊庭園(方丈)の他にも素晴らしい庭園がありますが、それはまた次回ご紹介したいと思います。

 

 

 

東福寺塔頭寺院 勝林寺もすぐ近くにあります。

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重森三令の作庭した庭園がある松尾大社

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七代目小川治兵衛の臥龍橋がある平安神宮

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東福寺① ~圧倒的な壮観を誇る東福寺の伽藍面

東福寺京都五山の第四位に列せられ、25もの塔頭寺院を抱える、京都でも最大規模の伽藍を有する由緒正しき大寺院です。

紅葉で有名な通天橋や数多くの国宝や重要文化財を所蔵し、特に秋の紅葉シーズンは観光客の多さで有名なのですが、青紅葉のこの時期は比較的人も少なく参拝しやすいと思い訪ねてみました。

 

 

東福寺の場所

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東福寺の行き方

電車で

 ・阪急京都線

   「京都河原町駅」で京阪電車に乗り換え後、京阪本線東福寺駅」下車

   徒歩約10分

 ・JR,京都市営地下鉄

  各線「京都駅」でJR奈良線に乗り換え後、「東福寺駅」下車、徒歩約10分

 ・京阪戦車で

  京阪本線東福寺駅」下車後、徒歩約10分

 

バスで

 ・京都駅から

   市バス 88、208系統に乗車、「東福寺」下車

 ・四条河原町から

   市バス207系統に乗車、「東福寺」下車

 ・東山三条から

   市バス202系統に乗車、「東福寺」下車

 ・祇園から

   市バス202、207系統に乗車、「東福寺」下車

 ・平安神宮、岡崎から

   市バス100、110系統に乗車後、「東山七条」で88、202、207、208系統に乗り換え、「東福寺」下車

 

道順は前回ご紹介した勝林寺と途中まで同じですので、一部再掲します。

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今回のスタートはJR東福寺駅です。

JR東福寺駅には二階にある「改札口」と一階にある「乗り換え口」があります。東福寺や勝林寺へ行かれる場合は、駅に着いたら、必ずホームを宇治・奈良方面の端の方まで歩いて二階へ上がりましょう。

 

改札口から出て、左手へ向かいます。

案内板にも「東福寺徒歩10分」と書いてありますね。

 

東福寺 通天橋方面」と書かれた案内板に従って連絡通路を進みます。

 

階段を降りると、京阪電車東福寺駅東改札に出ます。

 

京阪東福寺駅の改札口の前の道を東(右手)へ進みます。

 

突き当りを南(右)へ進みます。

 

駅前の飲食店などが立ち並ぶ道を南へ進みます。写真奥に見える高架もくぐって更に南へ進みます。(高架の辺りに、東福寺へは左手へ進むという案内表示もありますが、今回はまっすぐ南へ進みます)

 

高架をくぐって、更に80mほど南へ進みます。

 

左手に東福寺交番が見えました。

 

交番の手前を東(左)へ曲がります。

 

東福寺北大門です。こちらから入って行きます。

 

80mほど東へ進むと、右手に退耕庵があります。

 

さらに東へ向かい、突き当りを南(右)へ曲がります。

 

またすぐ突き当たるので、東(左)へ曲がります。

 

東へ曲がったところです。この道をそのまま東へ50mほど進みます。

 

 

右手に「大本山東福寺 名勝通天橋」の石碑があります。こちらの道を南(右)へ入ります。

左手には善慧院、右手は五大堂同聚院などの塔頭寺院が立ち並んでいます。

 

同聚院とユキサンの白バラ

同聚院の門前には白いバラが沢山植えられ、甘い香りが漂っていました。

 

東福寺の寺地一帯は、平安時代中期に藤原忠平が法性寺を建立した所で、寛弘3年(1006)には藤原道長が仏師定朝の父康尚に作らせた不動明王を中心とする五大明王を祀った五大堂を建立しました。しかし、後に兵火によって不動明王を残して五大堂は焼失しました。その後、嘉禎2年(1236)に九条道家は衰微した法性寺に代わって東福寺を建立し、不動明王東福寺の所有となり、弘安3年(1280)に東福寺開山の聖一国師によって五大堂は再建され、不動明王が祀られました。五大堂は、文安元年(1444)に東福寺塔頭・同聚院が建立されるとその本堂とされました。

本尊の不動明王坐像は重要文化財で像高は2m65㎝の一木造、木造不動明王坐像としては日本一の大きさだそうです。

 

さて、この不動明王を祀る寺院と白バラの取り合わせが珍しいな…と思って調べてみると、明治期に活躍した女性にちなむことがわかりました。

女性が国際社会に進出し始めた明治時代、世界に日本女性の存在を知らしめた一人に「モルガンお雪」(加藤ゆき:1881年8月7日~1963年5月18日)がいました。彼女は世界三大財閥であるモルガン一族に嫁ぎ、日本のシンデレラとして日本に限らず世界中の話題を集めた祇園の芸妓でした。晩年、亡くなった夫を追ってカトリックに改宗しましたが、親族の希望で同聚院に分骨され現在もこちらで供養されています。

 

そしてお雪の三回忌にパリ市から京都市へ白バラの献花が行われました。それは世界屈指のフランスのバラの名門であるメイアン氏がお雪を慕って開発した新種のバラで、その名も「ユキサン」。それが、この白いバラだったのです。

写真:同聚院公式サイトより

社交界デビューしたお雪は、フランス滞在時には最新のモードを身に着けていたそうです。本当に美人ですね。そして白バラ「ユキサン」も、お雪のように高貴な香りと上品な美しさにあふれていました。

 

同聚院を後にして、更に南へ80mほど進みます。

 

臥雲橋

東福寺の境内には洗玉澗(せんぎょくかん)という渓谷があり、西から東へ臥雲橋、通天橋、偃月橋という三本の橋(東福寺三名橋)が架かっています。

臥雲橋は境内というより境内と公道の間にある感じですが、屋根付きの純木橋で、京都府指定の重要文化財となっています。橋上から、洗玉澗越しに通天橋が見られます。

通天橋は拝観料が必要ですが、臥雲橋は無料なんですね~(笑)東福寺の紅葉と言えば、通天橋からの眺めが最も有名ですが、その通天橋と紅葉を見るだけなら、この臥雲橋からでも見ることが出来ます。

 

東福寺とは

臨済宗東福寺派大本山山号は慧日山。摂政九条道家が、当時奈良で最大の寺院東大寺と、奈良でも最も盛大を極めてた興福寺になぞらえ「東」と「福」の字を取り、京都最大の大伽藍を造営したのが東福寺です。円爾(えんに);聖一国師(しょういちこくし)を開山として鎌倉時代の嘉禎2年(1236)から19年の歳月をかけて七堂伽藍が完成しました。京都五山の第四位に列せられ、「東福寺の伽藍面(がらんづら)」とまで言われ壮観を極めましたが、度重なる兵火や火災で仏殿、法堂、庫裏などを焼失したものの、以後逐次再建されてきました。

禅宗伽藍を代表する室町最古の三門(国宝)をはじめ、浴室、東司(便所)禅堂(いずれも重文)など室町時代の禅僧の生活を知る上で貴重な建築が多数残っています。

通天橋は京都でも一、二の紅葉の名所で、方丈の四方の周囲に枯山水の庭園を巡らせたものはこの庭園のみで、平成26年(2014)国の名勝に指定されるなど、見どころ満載の大寺院です。

東福寺の境内にある一つ一つの伽藍がスケールが大きく、また25もの塔頭寺院も軒を連ね、まさに「伽藍面」と呼ばれるのも頷けますね。

ちなみに「〇〇面」というのは京都にある禅宗寺院のそれぞれの特色を言い表した、いわば「あだ名」のようなものでしょうか。他にも「建仁寺の学問面:詩文・芸術に秀でた学僧を多数輩出」「大徳寺の茶面:茶の湯に縁が深い」「南禅寺武家面:徳川家康など武家の篤い信仰」「妙心寺の算盤面:臨済宗最大の巨大教団を形成」などなど…

 

さて、臥雲橋を渡り80mほど進むと、日下門に出ます。

さりげなく建っていますが、こちらも京都府指定有形文化財です。

 

本堂

本堂は仏殿兼法堂です。明治14年(1881)に仏殿と法堂が焼けた後、1917年から再建工事にかかり、1934年に完成しました。入母屋造、裳階付き、高さ22.5m、間口41.4mの大規模な堂宇で、昭和期の木造建築としては最大級のものです。大きすぎて、うまく写真に収まりません😢

こちらが正面でしょうか。別の角度から撮影しましたが、やっぱりうまく収まらない😢

本尊の釈迦三尊像明治14年の火災後に塔頭万寿寺から移されたもので、鎌倉時代の作です。通常、本堂内は非公開ですが、春の涅槃会の際には公開されるようです。

 

三門

応永32年(1425)に足利義持が再建し、現存する禅寺の三門としては日本最古で最大のもので、高さ22mの威風堂々とした佇まいの国宝です。上層に釈迦如来十六羅漢を安置する折衷様の五間三戸二重門(五間三戸とは、正面の柱間が5つ、うち中央3間が通路になっているという意味。二重門は二階建ての門だが、楼門と違い、一階と二階の境目にも軒の出を作るものをいう)。三門も本当に大きくて、下から見上げると首が痛くなりそうです。三門も通常は非公開です。

 

別角度から撮影。前を歩く人との対比で、大きさが伝わるでしょうか?

他の寺院では通常「山門」と書きますが、東福寺では「三門」と書きます。これは涅槃(悟り)に至る際に通貨しなければならない「空」、「無相」、「無作」の三つの境地(関門)を象徴した三解脱門の意味が込められているとされ、京都では他に南禅寺妙心寺大徳寺などでも「三門」と呼ばれています。

 

今回の散歩に同行してくれた友人が話していたのですが、これだけ大きな建造物がクレーンも何も無い昔に建てられたなんて、宗教心、恐るべし…と。特に日本は奴隷制度なども無かったので(六道の辻など葬送の地で特定の職種に就いていた被差別民はいたようですが)、余計にその宗教心に感服します。

 

禅堂 東司 浴室

時間の関係で今回は写真を撮りませんでしたが、禅堂、東司、浴室なども重要文化財です。

禅堂(写真;公式サイトより)は、1347年再建の国内最古最大、中世から遺る唯一の坐禅道場です。

 

東司(写真:公式サイトより)

通称百雪隠(ひゃくせっちん)すなわち便所です。禅僧は用便も修行であり、東司に行くにも厳しい作法が定められていたそうです。国内最古、室町前期の遺構です。

 

浴室(写真:公式サイトより)

国内最大、東大寺湯屋に次いで古い浴室で、蒸し風呂形式だそうです。

 

ようやくコロナ禍による制限が無くなったこともあると思いますが、東福寺では10数人前後の団体さんが記念撮影されているのに何度も出逢いました。添乗員などの姿が見られず、どういう人たちなのかな?と思っていたところ、境内まで車やタクシーがどんどん入ってくる様子でピンときました。東福寺は多くの塔頭寺院を抱え、それぞれに檀家さんがおられます。制限が無くなったこともあり、法要で東福寺を訪ねておられるのでしょう。団体さんの年齢層が年配の方から子どもまで様々なのも頷けます。新緑のまぶしいこの時期に久しぶりに親族で集った団体さんは、みなさんとても晴れやかな笑顔で記念撮影されていた姿がとても印象的でした。

 

東福寺はJRで京都駅から一駅とアクセスも良く、駅からの距離もほどよいので、お散歩に最適なスポットと言えます。紅葉の時期の混雑は覚悟が必要ですが、そのほかの時期ならそれほどでも無く、次回ご紹介する庭園も四季折々の美しさがありますので、機会があれば是非足をお運びください。

 

 

 

勝林寺 ~花手水に彩られた東福寺の毘沙門天

京都五山の四位に位置付けられた東福寺は、京都でも最大級の大伽藍を誇る有名な禅寺の一つです。その塔頭東福寺の北側、住宅街の中にひっそりと佇む勝林寺は「東福寺毘沙門天」とも呼ばれ、東福寺の鬼門に位置し、仏法と北方を護っています。

勝林寺は本堂があるだけの小さなお寺で、ご本尊の毘沙門天はお正月と春と秋以外は通常非公開ではありますが、境内は美しく整えられ、また近年は華麗な花手水でも有名です。青紅葉が美しいこの季節に勝林寺を訪ねましたので、ご紹介します。

 

 

 

勝林寺の場所

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勝林寺の行き方

電車で

 ・阪急京都線

   「京都河原町駅」で京阪電車に乗り換え後、京阪本線東福寺駅」下車

   徒歩約8分

 ・JR,京都市営地下鉄

  各線「京都駅」でJR奈良線に乗り換え後、「東福寺駅」下車、徒歩約8分

 ・京阪戦車で

  京阪本線東福寺駅」下車後、徒歩約8分

 

バスで

 ・京都駅から

   市バス 88、208系統に乗車、「東福寺」下車

 ・四条河原町から

   市バス207系統に乗車、「東福寺」下車

 ・東山三条から

   市バス202系統に乗車、「東福寺」下車

 ・祇園から

   市バス202、207系統に乗車、「東福寺」下車

 ・平安神宮、岡崎から

   市バス100、110系統に乗車後、「東山七条」で88、202、207、208系統に乗り換え、「東福寺」下車

 

 

今回のスタートはJR東福寺駅です。

JR東福寺駅には二階にある「改札口」と一階にある「乗り換え口」があります。東福寺や勝林寺へ行かれる場合は、駅に着いたら、必ずホームを宇治・奈良方面の端の方まで歩いて二階へ上がりましょう。一階の乗り換え口は並走する京阪電車東福寺駅にしか行けません。この「乗り換え口」周辺には駅員さんが常駐されていません。誤ってこの乗り換え口から降りてしまった場合は、改札口に駅員への連絡用インターホンがありますので、これを使用して事情を伝えると、正しい行き方を案内してもらえます。

ここまで読んだ方はお察しのことと思いますが、かく言うも、乗り換え口から降りてしまいました😢このようにぼんやりした乗客が後を絶たないのでしょう。対応された駅員さんは非常に手慣れた感じで案内してくださいました。

 

改札口から出て、左手へ向かいます。

案内板にも「東福寺徒歩10分」と書いてありますね。

 

東福寺 通天橋方面」と書かれた案内板に従って連絡通路を進みます。

 

階段を降りると、京阪電車東福寺駅東改札に出ます。

 

京阪東福寺駅の改札口の前の道を東(右手)へ進みます。

 

突き当りを南(右)へ進みます。

 

駅前の飲食店などが立ち並ぶ道を南へ進みます。写真奥に見える高架もくぐって更に南へ進みます。(高架の辺りに、東福寺へは左手へ進むという案内表示もありますが、今回はまっすぐ南へ進みます)

 

高架をくぐって、更に80mほど南へ進みます。

 

左手に東福寺交番が見えました。

 

交番の手前を東(左)へ曲がります。

 

東福寺北大門です。こちらから入って行きます。

 

80mほど東へ進むと、右手に退耕庵があります。

 

退耕庵

退耕庵は臨済宗東福寺塔頭寺院です。貞和2年(1346)に創建され、応仁の乱の災火により一時荒廃しましたが、慶長年間(1596~1615)安国寺恵瓊によって再興されました。客殿は、再興時に恵瓊によって建てられたもので、豊臣秀吉の没後、客殿の中にある茶室作夢軒で、恵瓊、石田三成、宇喜田秀家らが、関ケ原の戦いの謀議を行ったと伝えられています。

 慶応4年(1868)の鳥羽伏見の戦いの際には、東福寺長州藩の陣が置かれていたことから、当庵はその戦いの殉難者の菩提所となっています。

 

歴史の教科書にも出てくる大きな出来事の舞台になった場所が、大々的に宣伝されるでもなくさりげなくそこにある、京都にはそんな場所があちこちにありますね。

 

さらに東へ向かい、突き当りを南(右)へ曲がります。

 

またすぐ突き当たるので、東(左)へ曲がります。

 

東へ曲がったところです。この道をそのまま東へ進みます。

 

左手に「勝林寺」の看板が見えました。更に東へ進みます。

 

左手に「毘沙門天王」の石碑があります。この手前の道を北(左)へ進みます。

 

先ほどの「毘沙門天王」の石碑の隣の看板に「タクシー、自家用車、その他車両にて勝林寺ご参拝の方は東門へおまわりください」と書かれています。徒歩以外の方はこの看板に従ってください。

 

毘沙門天王」の石碑の手前を北へ曲がったところです。住宅街の向こうに青い幟がはためいていて、その先に山門が見えます。

 

階段の両脇に「毘沙門天」の幟がずらりと並んでいます。

 

勝林寺の南門に到着しました。こぢんまりとした静かなお寺です。

 

勝林寺とは

勝林寺は、東福寺塔頭で、天文19年(1550)に第205世住持・高岳令松によって創建されました。本山東福寺の鬼門(北方)に位置し、仏法と北方を守護することから「東福寺毘沙門天」と呼ばれています。

本堂は大檀那であった近衛家の大玄関を移築したもので、境内には一切経を埋めた石塔が建っています。数々の絵画や仏像を有し、とりわけ毘沙門堂としての正当性を証明するべく、本尊の秘仏毘沙門天立像をはじめ、他に例を見ない珍しい毘沙門天曼荼羅や、迫力に満ちた虎の大襖絵などが伝わります。

また、春には「皇桜」、秋には「吉祥紅葉」はもとより、庭園には四季を通じて美しい花々が咲き、参拝者の目を楽しませてくれます。

ご本尊の毘沙門天立像などは新春、春、秋の特別公開時期以外は通常非公開ですが、境内は無料で拝観することが出来、ガラス戸越しではありますが、ご本尊に手を合わせたり、虎の大襖絵を垣間見ることは出来ます。

拝観 毘沙門天・寺宝

写真:勝林寺公式サイトより

8名以上の団体参拝者は、事前予約にて拝観もできるようですので、詳しくは公式サイトをご確認ください。

 

境内の庭園は苔の庭に青紅葉が美しく、清々しい気持ちになります。

 

ナマズの像と小さなお地蔵様でしょうか?

 

 

本尊 毘沙門天など

勝林寺のご本尊、毘沙門天立像は、東福寺の仏殿の天井裏に密かに安置されていましたが、江戸時代に当寺の開山高岳令松の霊告により発見され、東福寺全体を守護するために鬼門にあたる勝林寺に安置されたそうです。制作年代は平安時代の10世紀頃、ほぼ等身大の145.7cmです。当寺の毘沙門天はとりわけ財運、勝運、厄除けにご利益があるとされています。

また、吉祥尊天は、美と幸福を司る神とされており、それを女性に授けると云われています。毘沙門天の妃とされ、当寺の吉祥天はとりわけ美・幸福・縁結びにご利益があるとされています。

さらに、善膩師(ぜんにし)童子は、毘沙門天王、吉祥尊天の御子とされています。

当寺では三尊が揃っているため、毘沙門天、吉祥尊天、善膩師童子の三尊を拝めば一家和合の神(仏)として、また子授け、子育て、夫婦円満にもご利益があると言われています。

毘沙門天毘沙門天毘沙門天

写真:勝林寺公式サイトより

左から毘沙門天立像、吉祥天尊像、善膩師童子

 

毘沙門天も吉祥天もよく見かける仏様ですが、この二人が夫婦で、更にその間に善膩師童子という子どもまでおられたとは初めて知りました。そして、この二人の間には善膩師童子を含め5人の子どもがいるとも言われており、善膩師童子は末っ子なのだそうです。日本ではかつて長子相続制度がありましたが、もっと昔、古代の神々の時代には末子相続も見られるそうで、そんなに珍しいことでも無いそうです。いずれにせよ、夫婦と子どもという家族で祀られている仏様というのは、なんだかほのぼのとして親しみが湧きますね。

 

 

花手水

 

コロナ禍で手水舎が使用できなくなってから、各寺社で趣向を凝らした花手水が見られますが、勝林寺の花手水も豪華で見ごたえがありました。この花手水を目当ての参拝者も多いようで、皆さん熱心に写真を撮られていました。

 

 

花手水の向こう側に丸い石の鉢に植えられた植木がありました。写真だと苔玉のようにも見えますが、実際は高さ1m弱程の大きさです。大きさの比較のためか、手前に小さな15cmほどの植木も添えられています。二つの対比が面白かったです。

 

 

吉祥紅葉

古来より、紅葉の美しさから吉祥天が宿るもみじとされているそうです。「美しさ」「良縁」を求める女性にご利益があり、邪気を払うともされています。かつては祇園の舞妓・芸妓といった綺麗どころのお参り姿も見られたといいます。

 

 

のぼりイメージ

写真:勝林寺公式サイトより

 

勝林寺は座禅や写経・写仏、ヨガなど様々な体験をすることも出来、また切り絵御朱印なども人気です。小さいながら、様々な見どころが詰まった趣き深いお寺で、私も次は春の桜や秋の紅葉の時期や、新年に毘沙門天家族の三尊を参拝し、一年の幸運と発展をお願いするために訪れてみたいと思います。

東福寺からも徒歩5分ほどですので、是非合わせてお訪ねください。