京都おすすめ散歩道

定番から穴場まで京都のお散歩コースを地元民の視点からご紹介

毘沙門堂門跡② ~門跡寺院の風格を湛えた紅葉の名所

京都市中心部から山をひとつ越えるだけで、観光客の混雑もぐんと減る山科は、隠れた紅葉の名所が点在する穴場スポットです。前回は御陵駅から山科疎水沿いの紅葉を堪能しながら毘沙門堂にたどり着きました。今回はいよいよ紅葉の名所、毘沙門堂を巡ります。

 

 

毘沙門堂門跡の場所

https://maps.app.goo.gl/7n8hmZ6zf7MNbdLA6

 

毘沙門堂門跡の行き方

 JR、市営地下鉄東西線京阪電鉄山科駅」より北へ徒歩約20分

山科駅の高架下歩行者通路を通ると、駅北側にスムーズに出ることができます。

 

毘沙門堂門跡の最寄り駅は山科駅なのですが、地下鉄で一つ西側の手前の駅で下車し、山科疎水沿いを散策しながら向かいました。

御陵駅から山科疎水を通り毘沙門堂への道順

 

詳しい行き方は以下でご紹介しています。

 

www.yomurashamrock.me

 

 

毘沙門堂門跡とは

護法山毘沙門堂の創建は古く奈良時代の大宝3(703)年。文武天応の勅願により開かれました。当初、京都の出雲路橋付近(現在の御所北側)にあり「出雲寺」と呼ばれていましたが、後に「毘沙門堂」となります。戦乱や焼失を乗り越えながら、現在の地・山科に再建されたのが寛文5(1665)年。毘沙門堂復興に尽力した天海大僧正とその高弟公海を経て、後西(ごさい)天皇の皇子・公弁法親王が入寺されたことにより「門跡寺院」となり、天台宗京都五箇室門跡の一つとして現在に至ります。

寺院名の由来となるご本尊毘沙門天は、比叡山延暦寺の本尊である薬師如を作った際の余材をもとに伝教大師最澄が刻んだと伝えられています。

七福神の一人でもあり、また四天王の多聞天としても知られる毘沙門天は、今も多くの人々から「毘沙門さん」と呼ばれて篤い信仰を受けています。

17,18世紀の日本建築と風情を今に伝える貴重な本堂や唐門などの歴史的な建物や、桜や紅葉の名所として知られる自然豊かな境内の佳景も見どころです。

 

 

今回のスタートは、山科疎水にかかる安朱橋から参道を進んだ突き進んだあたりの毘沙門堂の入口からです。

11月下旬のこの日は紅葉もだいぶ進んで色鮮やかでした。

 

仁王門

仁王門は急な石段を上った先にそびえる大提灯と阿吽像が目印の本堂の表門です。山科に再建された寛文5年(1665年当時から変わらぬ姿で参拝者を出迎えてくれます。


山腹沿いの急な階段を上り、仁王門にたどり着いて後ろを振り返ると、眼下にダイナミックな紅葉の景色が広がります。

 

本殿

本殿にはご本尊の毘沙門天が祀られています。徳川家寄進により建てられた本殿や唐門は日光東照宮の建築様式を色濃く受け継いでおり、唐破風造の唐門や堂の周囲の透塀など通常の寺院建築にはあまり見られない鮮やかな彩色や装飾も必見です。

画像:毘沙門堂門跡公式サイトより

 

高台弁財天

豊臣秀吉の母・大政所ゆかりの弁財天。大阪城高台寺で祀られたのち、毘沙門堂の地に移されました。庶民福楽を祈る弁天様として親しまれ、不老弁財天とも呼ばれます。

本殿と霊殿をつなぐ渡り廊下から見る、紅葉の錦に囲まれた弁天堂は圧巻の美しさです。

 

霊殿

元禄6(1693)年に宸殿、勅使門などとともに後西天皇から拝領・移築された建物。阿弥陀如来が祀られており、迫力の天井龍図は狩野永叔主信の作とされています。

龍の鋭い目つきや顔つきは、見る角度によって変化します。

画像;毘沙門堂門跡公式サイトより

 

宸殿

元禄6(1693)に移築。宸殿を彩る狩野益信による動く襖絵や円山応挙筆とされる迫力ある鯉の杉戸絵などは毘沙門堂の見どころの一つです。

宸殿襖絵は動く襖絵として有名です。左から右へ歩いていくと描いてある机が向きや大きさを変えたように見えるなど、常に鑑賞者が中心にいるような錯覚に陥る逆遠近法が使われています。

画像:毘沙門堂門跡公式サイトより

 

晩翠園

谷川の水を引いて滝を作った、江戸初期の回遊式庭園です。山裾の木立の枝間は暗く、夜の翠(みどり)を思わせることから「晩翠園」と名付けられたそうです。「心」の裏文字を象った池に、亀島、千鳥石、座禅石などが配置されています。池の周りの草木が四季の風景を彩ります。この日も観音堂の周りをモミジやドウダンツツジなどが色鮮やかに囲み、いつまでも眺めていたい美しさでした。

 

勅使門

御所より移築された檜皮葺の総門です。門主の晋山式(しんざんしき・新たに住職となった僧侶が寺院に初めて入る時に営まれる法要)や天皇行幸など特別な時にのみ用いられます。門につながる石畳の勅使坂は敷き紅葉の名所です。この日は残念ながらまだ敷き紅葉には時期が早かったようですが、勅使門周辺の紅葉は門跡寺院ならではの気品と壮麗さを兼ね備えた圧巻の美しさでした。

 

毘沙門堂のある山科の地は、オーバーツーリズムが問題になっている京都市中心部の喧騒が嘘のような静かな佇まいで、いかにも京都らしい風情のある紅葉が楽しめるスポットでした。

最寄りの山科駅からでも徒歩20分以上と距離があり、山門から急な石段を上らなければならないのでちょっと大変ですが、登り切った所からの絶景を見れば、その大変さも報われた気分になると思います。

私も初めて訪れて知ったのですが、山科疎水沿いの道も毘沙門堂も、地元の方には有名な桜の名所でもあるそうです。

来年の春には是非ともそんな桜の絶景を見に再訪したいと思いました。

 

 

毘沙門堂門跡① ~御陵駅から山科疎水を通り紅葉の穴場スポットへ~

紅葉の名所がひしめく京都は、秋の紅葉シーズンになるとどこも観光客で混雑します。そんな中、京都市の東側に位置する山科エリアは京都市中心部と比べて人が少なく、穴場スポットが点在します。その中でも特に有名な毘沙門堂門跡を、山科疎水沿いを散策しながら訪ねてみました。

 

 

毘沙門堂門跡の場所

https://maps.app.goo.gl/7n8hmZ6zf7MNbdLA6

 

毘沙門堂門跡の行き方

 JR、市営地下鉄東西線京阪電鉄山科駅」より北へ徒歩約20分

山科駅の高架下歩行者通路を通ると、駅北側にスムーズに出ることができます。

 

2024年12月14日更新

御陵駅から山科疎水を通り毘沙門堂への道順

御陵駅から山科疎水を通り毘沙門堂

今回のスタートは地下鉄東西線「御陵(みささぎ)駅」です。

毘沙門堂門跡の最寄り駅は山科駅なのですが、地下鉄で一つ西側の手前の駅で下車し、山科疎水沿いを散策しながら向かいます。

 

改札を出て4番出口を目指して右へ向かいます。

 

この通路を進みます。



突き当りを右へ曲がり階段を上がります。

 

階段を上がり切ると、三条通に出るので、西(右)へ向かいます。

 

一つ目の信号のところを北(右)へ上がっていきます。

 

住宅街の坂道を北東方向へ上がっていきます。

 

150mほど上がったY字路の所を右へ曲がります。

 

右へ曲がった所です。向こうに見えている黒岩公園の前の道を北(左)へ曲がります。

 

左へ曲がりました。緩やかな坂道を50mほど上り、右手の一筋目を東(右)へ曲がります。

 

曲がった先の道の写真を撮り忘れました。

50mほど道なりに東へ進むと四辻に出るので北(左)へ曲がります。


左へ曲がるのですが、右手にチラッとお地蔵さんが見えたので、ちょっと寄り道します

 

鏡山地蔵

鏡山地蔵尊です。

 

このお地蔵様は、もと東山区粟田口の良恩寺にありました。「山科砥ノ粉(とのこ)」の生産者である片山藤治郎氏が、地域の繁栄、町内安全、子どもの健康と幸福を願って、旧知の良恩寺住職に請い、同寺のお地蔵様を譲って頂くことになったそうです。ちなみに鏡山とは、この近くにある天智天皇陵の真北にある山のことです。

また「山科砥ノ粉」の「砥ノ粉」とは、風化した岩石を加工し粉末にしたもので、漆塗りの下地や木製品の表面の仕上げなどに使われ、木工芸には不可欠な材料です。この砥ノ粉は全国で山科でしか製造されていないそうで、昭和30~40年代の最盛期には30軒ほどあった製造業者も現在では2軒だけしか残っていません。山科には砥ノ粉の原料となる土が豊富にあるのだとか。

 

 

栗原邸

さて鏡山地蔵を後にして、川沿いの細い道を200mほど上がって行くと、右手にコンクリートブロックの塀に囲まれた、古びてはいるもののちょっとモダンな建物「栗原邸」があります。

この建物は、昭和4年(1929年)に建築家で京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)の教授であった本野清吾の設計により、学長であった鶴巻鶴一邸として建てられたコンクリートブロック造3階建ての住宅です。

昭和16年(1941年)には、日本最古の広告代理店社長の栗原伸に譲られ、2014年には国の登録有形文化財に登録、2017年には京都市による「京都を彩る建物や庭園」にも認定されています。

 

外観はむき出しのコンクリートです。建築家中村鎮の考案した「中村式鉄筋コンクリート」(通称鎮ブロック)を用いています。

鎮ブロックは、L字のコンクリートブロックを互い違いに組み合わせて作った中空部に、配筋しコンクリートを打つことで強度を高めた、鉄筋コンクリート造で、学長の鶴巻鶴一から依頼された本野精吾は、中村式鉄筋コンクリートで建てられた建物が、関東大震災で倒壊しなかったことに着目し、採用したようです。

無機質なコンクリートブロックが紅葉の鮮やかな色合いを引き立てておしゃれな感じです。

 

 

山科疎水

栗原邸を過ぎ、50m余り東へ歩くと、山科疎水に出ます。

 

山科疎水とは、明治23年(1890年)に完成した琵琶湖と京都を結ぶ人工の水路「琵琶湖疎水」の山科エリア(約4km)の名称です。

琵琶湖疎水の豊富な水は水力発電に利用され、西陣織の発展や日本初の路面電車開通など明治維新後低迷していた京都の復興に大きく貢献しました。現在でも農業、防火用水、水力発電など、幅広く活用されています。

 

橋を渡って、西(京都側)を見ると、琵琶湖疎水第二トンネル東口が見えます。

京都の中心部からほんの数十分移動しただけなのに、神々しいほど静けさのある風景が広がります。

 

時折地元の方が散歩をされているのとすれ違うぐらいで、ほとんど人に出会いません。

このすばらしい紅葉の絶景を独り占め出来ます。

 

最初に渡った橋から180mほど歩くと、大岩橋があります。下の写真は大岩橋を通り過ぎて、琵琶湖側から京都側へ振り返って撮ったものです。



疎水沿いにある本圀寺へ向かう参道にある朱塗りの「正嫡橋(しょうちゃくばし)」が写真奥に見えています。渡って本圀寺へ行ってみたかったのですが、疎水の北側を歩いていて、この橋は疎水の南側からしか渡れません。この橋を渡って本圀寺へお参りしたい方は、正嫡橋の一つ手前(西側)にある、先ほどの大岩橋を南側へ渡ってから疎水沿いを東へ向かってください。



更に進むと、山科市内を一望できるスポットもあります。木々の間から、JR湖西線の線路が見えました。御陵駅から疎水沿いまでの道がずっと上り坂だったので、この辺りもだいぶ高いところにあることが分かります。

 

毘沙門道

山科疎水沿いを写真を撮りながらゆっくり1時間ほど歩き、山科駅から毘沙門堂へと通じる「毘沙門道」にかかる安朱橋に出ました。春には桜と共に、地域の方々が丹念に育てた菜の花が咲き誇る花の名所だそう。

安朱橋を渡り、北(左)へ進みます。

 

安朱橋を北へ渡ります。この道は毘沙門堂へと続く参道です。

 

参道(毘沙門道)は住宅街の間の細い道で、車二台はすれ違えないぐらいです。

 

ゆるやかな坂道(毘沙門道)を約400mほど上がると、毘沙門堂門跡に到着です。

 

今回はここまでです。

この日は11月下旬、京都市中心部の紅葉スポットはどこも観光客でいっぱいですが、山科疎水沿いはそんな賑わいが嘘のような静けさで、人込みが苦手な方には是非おすすめしたいお散歩ルートです。

 

次回はいよいよ紅葉の名所 毘沙門堂門跡内を散策します。

 

洋食とフランス料理BITOKES ~大映通りにあるカジュアルだけど本格的なビストロ

京福電鉄難読駅名が多いことで知られていますが、そのうちの二駅「太秦広隆寺(うずまさこうりゅうじ)駅」と「帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅」の間をつなぐのが全長約600mの「大映通り商店街」。そんな大映通り商店街の真ん中あたりに昨年オープンした「洋食とフランス料理BITOKES(ビトク)」は、土曜日の夕方に通りかかると、ワイン片手にお料理を囲むお客さんで賑わっていて、とても気になっていました。今回は平日にランチをいただきましたのでご紹介します。(2024年7月25日訪問)

 

 

洋食とフランス料理BITOKESの場所

https://maps.app.goo.gl/kptVJTzDDAHrDieR9

 

洋食とフランス料理BITOKESの行き方

京福電鉄 帷子ノ辻駅から徒歩3分

                  撮影所前駅から215m

 

今回のスタートは京福電鉄帷子ノ辻駅



改札を出て南へ向かうとすぐ三条通に出ます。信号を渡ると、大映通り商店街の入口です。

 

大映通り商店街とは

戦後、大映撮影所(現在は跡碑)、東映撮影所、松竹撮影所とともに発展した「大映通り商店街」は、約600mの間に、食料品や装飾品を販売しているお店の他、理髪店、書店、居酒屋等色々なお店が立ち並ぶ商店街です。映画が一番の娯楽だった昭和の頃は、撮影の合間にスターが衣裳のままで商店街を歩いていたなど、様々な映画にまつわるエピソードが息づき、『キネマストリート』とも呼ばれ親しまれています。そんな商店街には、映画のカメラをモチーフにした街灯や約5メートルの高さの大魔神のほか、年代物の手回し映写機や昔の台本などを展示しているキネマ・キッチンなどがあり、歩くだけで昭和のキネマ時代にタイムスリップしたような気分になります。

 

さて、さきほどの大映通り商店街の入口から100mほど歩くと、「キネマのまち太秦のシンボルに」と修復された約5mの「大魔神」が凛々しい姿で仁王立ちし、出迎えてくれます。

大魔神像から更に150mほど大映通りを進むと、chokoZAPの向かいにあるのが「洋食とフランス料理BITOKES」です。

 

クリーム色の壁が可愛い入口を入ると、店内は空間を広くとり、家具もシックな色合いなので、すっきりと落ち着いた印象。

 

洋食とフランス料理BITOKESとは

同店は、昨年オープンし、親しみのある洋食と伝統的なフランス郷土料理を提供されています。カジュアルだけど本格的な料理が楽しめる、皆様に愛されるお店にしたいと思っているそう。

BITOKESという店名は「フランス風ハンバーグ」という意味で、「洋食とフランス料理」というお店のコンセプトにぴったりということで、この店名にされたとか。



季節の素材を生かした本格的なお料理

ランチメニューはA(1800円)とB(2800円)があり、今回は欲張ってAにエビフライ(一尾300円)を追加しました。

 

まずは季節のサラダ。全体的に優しい酸味が効いた食べやすい味です。キャロットラぺ左のタブレは、クスクスの粒々とした食感が楽しい一品。クスクスとはデュラム小麦粉を原料とした世界最小のパスタで、タブレはクスクスを材料としたフランスのお惣菜の一つです。

キャロットラぺ、タブレの他、ズッキーニとシメジのソテーも入っていて、ボリュームたっぷりの一皿。サラダだけでも結構食べ応えがありました。

 

次に提供されたトウモロコシの冷製ポタージュは、トウモロコシの甘みが濃く、夏にぴったりの爽やかなお味でした。クルトン替わりのポップコーンがいい仕事しています。

 

メインはBITOKES特製のハンバーグにエビフライを追加しました。

ハンバーグはふっくら柔らかく、お肉がみっちり詰まっていて、厚みが4~5㎝はあるでしょうか?表面を焼いた後にオーブンでじっくり中まで火を通しているそう。肉汁とうま味がしっかり閉じ込められていました。デミグラスソースは甘めでコクがあり、ごはんによく合う味でした(パンも選べます)

追加のエビフライも思ったより大きくて、衣がサクサク、タルタルソースが酸っぱすぎず食べやすい味で、これもごはんによく合います。付け合わせは伏見唐辛子のソテー、ボイルしたカボチャ、マッシュポテト。お腹いっぱいになりました。

 

最後にコーヒーか紅茶が選べます。私はホットのストレートティーにしましたが、これが他では味わったことのない、夏らしい爽やかな香りです。「ムレスナティーハウス京都」というお店の「サブリナの瞳」という素敵すぎる名前のフレーバーティーだそう!ワインの香りをベースに、ローズとジャスミンの香りをブレンドしています。「季節に合わせて紅茶の種類も変えています。次はどんなフレーバーにしよう?と今から考えています」と店主さん。また他の季節にも行きたくなりますね。

フレーバーティー「サブリナの瞳」の業務用大袋の写真を撮らせていただきました。

 

家族で作り上げる本格的な味をテイクアウトでも

お店のInstagramプロフィール画像や、メニューの看板に登場する、ちょっとぽっちゃりしたシェフのイラストがとても可愛くて、店主さんがモデルでは?と思い、お尋ねしました。

「特にモデルがある訳ではなく、妻が描いた『食いしん坊シェフ』をイメージしたキャラクターなんです。ま、僕も食いしん坊シェフなんですけどね」と照れ笑いされた店主さん。

 

Instagramに添えられた文章からも、ご家族で協力しながら真摯に料理に向き合われている様子が伺えました。

そして、この本格的なお料理のいくつかはテイクアウトも出来るそうです。(写真左側にテイクアウトメニューが記載されています)

 

今回は洋食がメインのランチをいただきましたが、次は是非、ディナーでアラカルトメニューもいただき、フランスの郷土料理の味を楽しみたいと思いました。

 

大映通り商店街聖徳太子ゆかりの広隆寺太秦映画村も徒歩圏内ですし、京福電車で嵐山駅からも5駅、10分ほどですので、近くへ観光の際は立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

 

近くには古墳もあります

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嵯峨嵐山のおすすめスポット

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京都市京セラ美術館開館 「村上隆 もののけ京都」展②

京都市京セラ美術館開館90周年展として開催された「村上隆もののけ京都」展は、現代美術の最前線で活躍する村上隆の、国内では約8年ぶりの大規模個展です。

 

本記事は以下の続きになります。

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この展覧会は9月1日で終了しています。

 

 

 

京都市京セラ美術館の場所

https://maps.app.goo.gl/cyAcz9dQErwvpTiz5

 

京都市京セラ美術館の行き方

地下鉄東山駅からの行き方は以下で詳しくご紹介しています。

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今回は同展の第4室以降をご紹介します。

 

第4室 風神雷神ワンダーランド

風神雷神

琳派」を代表する俵屋宗達の『風神雷神図屛風』①(国宝・17世紀)は、琳派たるものこれを描かなければいけない、という感じで二代目尾形光琳②も三代目酒井抱一③も四代目鈴木其一④も描いているし、明治以降、琳派ではない画家が風神雷神図を自分流に描くのが流行ったことがあります。

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俵屋宗達風神雷神図屏風建仁寺(複製)

 

尾形光琳 『紙本金地著色風神雷神図』東京国立博物館

 

酒井抱一 『風神雷神図屏風出光美術館

 

④鈴木其一『風神雷神図襖』(部分)東京国立博物館

 

上記のように尾形光琳酒井抱一俵屋宗達風神雷神図屛風と同じような感じで描いていますが、鈴木其一はガラッと変え、墨絵のように、しかも屏風ではなく襖に描くという自分のスタイルに変えているように、それ以降、近代以降は自分の好きなようにアレンジしている画家が多く、その流れの最終形が村上のこの風神雷神図だそうです。つまり、風神雷神図を現代アートとして捉え、しかも村上イズムで描くとこういう風に、ちょっとゆるキャラっぽく描かれているのがとても印象的でした。

 

村上隆『風神図』

 

村上隆『雷神図』

 

(参考:you tube 掛軸塾 村上隆もののけ京都」徹底解説 @ 京都市京セラ美術館 )

雲龍赤変図《辻 惟雄先生に「あなた、たまには自分で描いてみたらどうなの?」と嫌味を言われて腹が立って自分で描いたバージョン》

今回の展覧会の中で、私が一番印象的だったのがこの作品です。

サブタイトル《辻 惟雄先生に「あなた、たまには自分で描いてみたらどうなの?」と嫌味を言われて腹が立って自分で描いたバージョン》が、茶目っ気があってとても面白いですよね。

村上隆雲龍赤変図《辻 惟雄先生に「あなた、たまには自分で描いてみたらどうなの?」と嫌味を言われて腹が立って自分で描いたバージョン》』

 

辻 惟雄先生とは、日本美術史学者の第一人者で、著書『奇想の系譜』などで、従来の美術史ではあまり評価されていなかった岩佐又兵衛伊藤若冲、曽我蕭白長沢芦雪などを「奇想の画家たち」として取り上げたことで、江戸絵画の再評価を促し、日本美術史に大きな影響を与え、特に伊藤若冲ブームの立役者となった人です。

この作品の元となったのが、『奇想の系譜』でも紹介されている曾我蕭白の『雲龍図』で、現在はボストン美術館の所蔵です。

曽我蕭白『雲竜図』(部分)ボストン美術館

 

こちらは縦165センチ、横10mの襖絵ですが、村上の『雲龍赤変図』は横18mもある超大作です。蕭白のダイナミックで勢いのある筆遣い、大胆な構図、ユーモラスな龍の表情などを受け継ぎつつ、村上らしい赤色の濃淡で描かれた雲龍図を見て、「村上隆は本当に日本画家でもあったんだ!」と再確認しました。村上のDOB君やお花などのイラスト風作品と日本画が、スーパーフラットという概念でスーッとつながった瞬間でした。

(参考:you tube 掛軸塾 村上隆もののけ京都」徹底解説 @ 京都市京セラ美術館 )

 

金色の空の夏のお花畑

尾形の展覧会のパンフレットの表紙やポスターにもなっていて、村上の主要キャラクターの一つお花を描いた村上ワールド全開の作品ですが、実は尾形光琳の『孔雀立葵図屏風』をオマージュしているそうです。

光琳『孔雀立葵図屏風』アーティゾン美術館


背景に貼られた金箔とすっくと立ち並んだ花々が、確かに尾形の作品を彷彿とさせ、ここでも村上の日本画と現代美術をつなぐスーパーフラットの概念を体感できました。金色の空のもと、もくもくとした入道雲の前にすっくと立ち笑顔を見せるお花の数々を見ていると、子どもの頃の輝かしい夏の思い出が蘇るような楽しい作品です。

村上隆『金色の空の夏のお花畑』

 

(参考:you tube 掛軸塾 村上隆もののけ京都」徹底解説 @ 京都市京セラ美術館 )

 

第5室 もののけ遊戯潭

《Murakami. Flowers Collectible Trading Card 2023》

同じサイズのキャンバスが108つ並び、お花が様々な表情を見せるこの作品群は、トレーディングカードとして制作したNFT作品を、絵画作品として並行して制作したもの。コンピューターを使って描いたようにも見えますが、じつは全て手作業で制作されたので、この展覧会の中で一番時間がかかったとか。

この作品について、you tubeのインタビューで村上が解説しているのものを見つけました。その中で村上は、自分の作品はほとんど非常に高い値段で売られるが、その値段に見合った価値を購入した人に感じてもらいたい、何度見てもその良さを嚙み締められるようなレベルに到達するまで手をかけ描き込んだそう。しかし、このようなカードゲームのキャラ風の絵はパッと見は幼稚なので、鑑賞に耐えられない、アートとして受け入れられないという先入観が、特に日本人の中にはあるとか。ただ、そんな作品も50年、100年後には浮世絵のように美術として評価されるようにとの思いを持って制作されているそうです。

 

(参考:you tube 永久保存版 村上隆 もののけ京都 独占インタビュー SUPER FLATと現代美術アート)

 

私自身、村上のアニメ風の作品に対する違和感というか、あまり共感できない部分があったのですが、この村上の解説を聞き、村上が言うアニメやキャラ的な作品がいわゆるアート作品よりも価値を下に見ていたということかもしれないと腑に落ちました。村上はそんな人々の先入観を身に染みて感じているからこそ、自分の作品を購入してくれた人や、50年100年後、アニメへの先入観を持たない人たちにはその価値を感じてもらえるようにとの強い思いをこめて、この作品に膨大な時間をかけて制作していたようです。

 

 

第6室 五山くんと古都歳時記

しめくくりとなる第六章は「五山くんと古都歳時記」。会場である京都の文化をテーマにした作品が並びます。この展示室は豊臣秀吉の「黄金の茶室」さながらに、壁面が金箔貼りになっている点が特徴です。金箔の背景の上に展示された各作品は、まるで寺社で見る大きな障壁画のよう。数々の伝統文化や祭礼に彩られ国内外の人のイメージから着想して描きおろした『京都の舞妓さん アニメ風』『五山送り火』などが初公開されています。

 

市川海老蔵改め第十三代目市川團十郎白猿の襲名披露の際に祝幕として描かれた「歌舞伎十八番」の原画です。この祝幕は映画監督の三池崇史氏が「十三代目市川團十郎ドキュメンタリー映画を撮影する中で「現代の絵師が描く現代の役者絵を作ってほしい」と村上に依頼し実現したもので、2023年12月1日~24日に京都・南座でお披露目されました。歌舞伎十八番の演目がいきいきと鮮やかに描かれています。

村上隆『2020十三代目市川團十郎白猿 襲名十八番』

 

村上隆『京都の舞妓さん』

 

村上隆『五山送り火

 

同展で特徴的だったのが、随所に掲示された、村上自身の「言い訳」コメント。カラフルな手書き風文字で書かれた言い訳に、村上の本音が垣間見えて、とても興味深かったです。

 

 

同展の全体の流れをおさらいすると、まず第1室の洛中洛外図で京都の町そのものを俯瞰し、第2室では暗闇の中、東西南北の四神 もののけ平安京を囲む様子を体感、そこからスーパーフラットの概念と日本の美術史のつながりを見せる第3室、第4室と続き、第5室ではトレーディングカードなどの村上の最新トレンドを紹介、最後の第6室では現代のいわゆる京都のイメージから着想した五山や舞妓さんなどの描きおろしで終わります。つまり、過去から現代に繋がる京都の歴史をイメージで巡る構成になっているようです。東京生まれの村上ですが、東日本大震災以降、京都に居を構えたこともあり、京都には特別な想いを持っているそう。村上は東京以外で初めての大規模個展を京都で開催したことにより、自身「私淑している」と述べる『奇想の系譜』に紹介され京の都で活躍した絵師たちと更に深くつながったのは間違いないでしょう。この展覧会を観覧し、村上のことを調べる中で、私も大好きな若冲を初めとする奇想の絵師たちと村上の深いつながりに気づき、村上の今後の活動にも更に興味が湧き、注目していきたいと思いました。

京都市京セラ美術館開館 「村上隆 もののけ京都」展①

京都市京セラ美術館開館90周年展として開催された「村上隆もののけ京都」展は、現代美術の最前線で活躍する村上隆の、国内では約8年ぶりの大規模個展です。

同展は会期最終日目前の8月31日に来場者45万人を突破し、京都市京セラ美術館の動員記録を更新中だそうです。同館では「ルーブル美術館展」や「ボストン美術館展」「フェルメールレンブラント展」など誰もが名前を知っていて行列必至の人気の展覧会が多いイメージでしたが、今回の村上隆は海外での評価は高いものの、日本では賛否両論というか好き嫌いが分かれるイメージがあったので、今回の展覧会がこんなに人気が出たのが少し意外でした。という私も、恥ずかしながら村上隆のことをほとんど知らずに見に行きましたが、何とも刺激的で印象的な内容で、俄然村上に興味が湧いてきました。そこで展覧会鑑賞後に村上について少し調べたりもしましたので、ご紹介したいと思います。

 

この展覧会は9月1日で終了しています。

 

 

京都市京セラ美術館の場所

https://maps.app.goo.gl/cyAcz9dQErwvpTiz5

 

京都市京セラ美術館の行き方

地下鉄東山駅からの行き方は以下で詳しくご紹介しています。

www.yomurashamrock.me

 

今回のスタートは京都市京セラ美術館です

京都市京セラ美術館のある岡崎エリアは、平安神宮を中心に有名な神社仏閣や美術館、動物園など文化施設も集まり、京都でも人気の観光スポットでもあります。

 

京都市京セラ美術館とは

京都市京セラ美術館は、1928年(昭和3年)に京都で挙行された即位の大礼を記念し、関西の財界や美術界、市民の寄付により「大礼記念京都美術館」として開館。鉄筋コンクリートの近代建築に和風の屋根をのせた特徴的な外観は、昭和初期に流行した和洋折衷の建築スタイルで、公立美術館として日本で現存する最も古い建築です。

 

戦後、「京都市美術館」と名称を変更。京都画壇など京都ゆかりの作品コレクションを誇り、美術系大学の多い京都ならではの地元密着型展覧会も頻繁に開催。「ツタンカーメン展」や「ルーブル展」など新聞社主催の大規模展覧会は京都ではこの京都市美術館で開催されることが多いという印象でした。

 

2020年のリニューアルに伴い京セラが命名権を取得し、2020年3月の再オープンに先立

ち、2019年から京都市京セラ美術館という呼称に変更されました。

 

こちらのメインエントランスは従来の正面玄関をそのままに、一段掘り下げたところに新たな玄関を作ることで、“京都市美術館”のイメージを壊すことなく、機能的なエントランスを実現させました。

 

こちらの受付で観覧料を払います。

 

地下からこの大階段を上がって行きます。

 

 

村上隆 もののけ 京都展とは

本展は、主に海外を中心に活動してきた村上にとって、国内で約8年ぶり、東京以外で初めての大規模個展です。村上が活動初期から深い関心を寄せてきた江戸時代の絵師たちが活躍し、今なおあらゆる芸能と芸術が息づき交わり合うここ京都を舞台に、新たに描き下ろした超大作をはじめ、代表的なシリーズ、国内初公開となる作品など、大多数が新作となる約170点で構成されています。

同展と同時期に開催されていた「キュビズム展」では莫大な予算、特に海外から有名な作品をレンタルする際の輸送費や保険代をかけて開催されましたが、村上の展覧会にはその保険代がかけられない、それは村上の作品がキュビズムのように評価が定まっていないから、という非常に理不尽な理由だったそう。村上はその予算不足に対処するため、既存の作品を海外から運ぶほどの保険代がかけられないなら全てを新作にして、完成させず、完成直前の状態で展示したり、会期中に完成させたりするという斬新な方法を取りました。更に、京都府ふるさと納税の仕組みを使い、返礼品として入場券に加えトレーディングカードを初めとする限定アイテムをつけることにより、目標額以上の寄付金を集めることに成功しました。現在、京都在住の村上は、ふるさと納税の寄付により京都市内在住(通学)の高校生、大学生を無料で招待するという、地元京都への還元と現代アートの振興ということにも成功し、話題を集めました。

 

村上隆略(むらかみ たかし)

1962年、東京生まれ。1993年、東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。博士号取得。博士論文は「美術における『意味の無意味の意味』をめぐって」。

2000年、伝統的日本美術とアニメ・マンガの平面性を接続し、日本社会の在り様にも言及した現代視覚文化の概念「スーパーフラット」を提唱した。2001年、自身が代表を務める有限会社カイカイキキを設立。2005年「リトルボーイ展」(ジャパン・ソサエティ、ニューヨーク)にて、全米批評家連盟ベストキュレーション賞受賞。2016年、文化庁「第66回芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

 

阿吽像

さっそく展覧会を見ていきましょう。

先ほどの大階段を上がると美術館の中央ホールには満開の桜を背に、高さ4.3mという巨大でユーモラスな「阿吽像」です。広々としたホールの壁面いっぱいに描かれた桜とその上空?の金銀色の格子模様の上にも舞う桜、そして筋骨隆々としたいかつい顔の、でも頭が大きくてどことなくゆるキャラ的な愛くるしさも感じられる赤鬼と青鬼の像に度肝を抜かれました。

普通、寺院などに祀られている鬼の像というと、四天王の足元で踏みつけられている悪役として表現されている場合が多いと思うのですが、この「阿吽像」の赤鬼、青鬼はそれ自体が主役で、しかもその鬼たちが足元にまた別の鬼を踏みつけているのが珍しいそうです。

この作品は、東日本大震災の後、日本全体が重苦しい自粛ムードになる中、自然災害や疫病、戦争といった様々な災厄を鬼の力で打ち払いたいという願いがこめられ、その後のコロナ禍の厄災をも鬼が踏みつけてやっつけるという意図があるとか。現代アートは、作家が存命の場合が多いので、このような制作意図や背景を聞くことが出来るので、よりその作品を身近に感じることが出来て興味深いですね。 

(参考:you tube 掛軸塾 村上隆もののけ京都」徹底解説 @ 京都市京セラ美術館 )

 

お花の親子

さきほどの「阿吽像」の向こうの入口を抜けると、そこは大きなガラス窓の向こうに広々とした緑豊かな日本庭園が広がっています。そして庭園の池に浮かぶように建っていたのが金色に光輝く「お花の親子」というこれまた巨大な作品です。これには私も本当に啞然としました。日本庭園の向こうに広がる東山を借景に水面からの高さが13mもある金ぴかの彫像がルイ・ヴィトンのトランクの上で微笑んでいます。村上隆の主要アイコンの一つであるお花は大きな口を開けて笑っていて可愛らしいのですが、シュールでもあり、見方によってはちょっと怖い感じもします。表面的な可愛らしさの奥に潜む畏怖の念のような重層的なメッセージもあるのかもしれません。ちなみにこの作品も会期が始まって一か月後あたりに完成したそうです。



上記二点の作品は、いわば本編への導入、番外編になります。そして、この後からが本編ということになります。

 

第1室 もののけ洛中洛外図

この作品は岩佐又兵衛の『洛中洛外図(舟木本)』(国宝・江戸時代 17世紀)を村上流にオマージュしたものです。オリジナルは神社仏閣、祭りや遊里、歌舞伎や浄瑠璃に興じる人々など、京都の様々なシーンが生き生きと描かれています。これを引用し、描き下ろした全長13mにもおよぶ現代の『洛中洛外図』は、東京藝術大学日本画を専攻し、京都の絵師たちの絵にも詳しい村上隆による「京都」への入口に相応しい作品と言えるでしょう。

先ほどの掛軸塾の講師によると村上版洛中洛外図は、岩佐又兵衛版のそれをかなり忠実にトレースしているそうですが、村上版では随所に彼のオリジナルキャラクターであるお花などが登場し、またアクリル絵の具で描かれたことにより非常に色合いがクリアでカラフルになっており、村上隆らしさが存分に発揮されているそうです。

 

第2室 四神と六角螺旋堂

次の部屋は入口が白いカーテンで覆われていて、部屋の中は真っ暗。そこに展示された絵や彫刻などだけに光が当たった独得の雰囲気のある空間です。

そこに描かれているのは部屋の四つの壁面いっぱいに色鮮やかに描かれた四神(しじん)です。四神とは青龍、白虎、朱雀、玄武という東西南北を象徴する神獣のこと。東西南北を山や川、池などに囲まれた平安京が、これらの四神をモチーフとした新作が部屋の四方を囲むことによって表現されています。

本展の名称である「もののけ 京都」ですが、「もののけ」というと水木しげるなどの妖怪のイメージが強かったのですが、もともとはこの四神のように「神」でもある、ということがよく分かりました。

 

 

この部屋で私が一番好きな作品は、西の白虎図です。村上らしさのあるちょっと可愛くてユーモラスな表情の白虎が何匹も描かれ、しかも一つ一つ全て表情が違う。ずっと見ていても見飽きない個性的な神の姿です。

 

四神に囲まれた部屋の中央には鐘楼(六角螺旋堂)がそびえ、「もののけ」がさまよう不穏な気配を祓います。

 

本展全般に言えることですが、とにかく大きな作品が多いので、部屋全体が村上ワールドを体感することが出来るアトラクションのような楽しさがあります。

 

第3室 DOB往還記

1990年に登場した村上の代表的キャラクター「DOB」(村上が1993年に生み出した大きな耳とつぶらな瞳が特徴的なキャラクター)マンガやゲームのキャラクターをモチーフとするDOBは、変幻自在に姿を変え、様々な文脈に接続してきました。村上の提唱する「スーパーフラット」の概念を体現するDOBの往還を辿ります。

スーパーフラットのビジュアル上の特徴は、大和絵や浮世絵など古来から続く日本美術やアニメに見られるような平面的な構成。ビジュアル面だけでなく、村上は、敗戦後の日本を主題にオタクカルチャーやキャラクター文化と日本の美術史を結び付けて「ハイアートも権威もサーもセレブレイトもカーストも無い日本文化の中の『芸術』と語るように、美術と大衆芸術の位置関係がフラットであるという考え方や、戦後社会における日本社会の階級の均一性を表しているとも考察されているそうです。

加えて、新たなキャラクターやフィギュアなどの作品の数々は、現代の「もののけ」と言えるのかもしれません。

不思議の森のDOB君

今回はここまでです。

次回は第4室以降をご紹介します。

 

 

チョット台所ニ居マス ~御所近くの路地裏で体に優しいおばんざいランチ

京都御所の西側の路地裏に、ちょっと変わった店名のおばんざい定食のお店があります。私は御所を訪れた後に何度かお邪魔しましたが、いつ伺っても季節の食材を上手に使った体にやさしいおばんざいの数々と、季節ごとのしつらいに目も心も癒されます。店主さんのこだわりと優しさが詰まったこの素敵なお店をご紹介します。

 

 

チョット台所ニ居マスの場所

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チョット台所ニ居マスの行き方

地下鉄「丸太町駅」から北へ徒歩約2分

京阪「神宮丸太町駅」から西へ徒歩約20分

 

 

地下鉄丸太町駅からの行き方

今回私は京都御苑内の拾翠亭を訪れた後に「チョット台所ニ居マス」を訪れたので、丸太町駅からの行き方の写真を撮るのを忘れました。以下の写真は二年ほど前に撮影したものです。

 

京都御苑内の拾翠亭については以下でご紹介しています。

www.yomurashamrock.me

 

 

今回のスタートは地下鉄「丸太町駅」です。

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北改札口を出ます。

 

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改札を出て、コンビニの左横の通路を進みます。

 

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出口2へ向かいます。

 

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階段を上がります。

 

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階段を上がり切ると、烏丸通に出ます。烏丸通の向こうは京都御苑です。

烏丸通を北(左)へ向かいます。

 

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烏丸通を北へ向かうと、すぐ左手に大きな洋館があります。

大丸ヴィラ

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「大丸ヴィラ」という説明書きが掲げられていました。

大丸ヴィラは昭和7年(1932)当時の株式会社大丸 社長下村正太郎の住宅として、ヴォーリス建築事務所の設計で建てられました。ヴォーリスとは、アメリカ出身で日本に数多くの西洋建築を手がけた人で、ヴィーリス合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者の一人としてメンソレータム(現メンターム)を広く日本に普及させた実業家でもあります。

大丸ヴィラの特徴としては、チューダー様式(イングランドの15世紀末頃から17世紀初頭までの建築様式)で建てられ、木造風に見えるものの実は鉄筋コンクリート造りの3階建てです。当時いわゆる日本化が進んでいた洋館の中で、珍しくほぼ純粋なチューダー様式で建てられ、昭和59年(1984)には京都市登録有形文化財に登録されました。

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洋館のかわいらしさと日本建築にはない凝った装飾などが見られ、中に入ってみたいところですが、非公開だそうです。

 

さて、ここから先は先日訪れた時の写真です。

大丸ヴィラを通り過ぎて一つ目の路地を左(西)へ曲がります。



「竹邑庵太郎敦盛」というおそばやさんの看板を目印に路地の奥へ入って行きます。

 

路地の突き当りを右(北)へ曲がります。

 

20mほど路地を進むと、お店に到着です。手作り風の暖簾や店名の看板が町家の雰囲気としっくり馴染んでいます。

 

チョット台所ニ居マス とは

お店の公式サイトは見つけられなかったので、食べログからの情報です。

「チョット台所ニ居マス」は2012年1月にオープンされた、路地裏の隠れ家レストランです。メニューは国産米と地元産のお野菜を使用した日替わりランチとコーヒーのみ。席はカウンター席3席と、四人掛けのテーブル席の7席。こぢんまりしていて、親戚のお家にお邪魔してご飯を食べさせてもらうような感じの、落ち着くお店です。

 

とても小さいお店ですが、店内のあちこちに季節のしつらいが。中には手作りと思われる物もさり気なく飾られていました。それらを目にすると、丁寧に暮らしておられる店主さんのお人柄が感じられ、心が癒されます。


以下は昨年9月に訪れた時の写真です。秋らしいですね。

 

日替わりランチ

さて、お待ちかねの日替わりランチです。ほとんどは作り置きのおばんざいのようでしたが、魚のフライは揚げたてでした。

写真左上から時計回りに

麩とわかめの味噌汁、さつまいもの甘煮、セロリとミョウガスナップエンドウのナムル、冷ややっこ海苔載せ、おから煮、タコとネギのチヂミ、魚フライ、キュウリとゆで卵のジャコ和え、豚冷しゃぶ甘酢ショウガソース、ゆかりご飯、キュウリの糠漬け

なんと10品!

 

おばんざいプレートの部分だけ拡大してみました。

セロリとミョウガスナップエンドウのナムルは、野菜の組み合わせが夏らしく爽やかでした。

冷ややっこの海苔載せは、パリパリの味付け海苔と出汁醤油が豆腐によく合って新鮮な美味しさです。これは家でもすぐ真似できるな~と思いました。

おから煮はナスとコーンとショウガ?が具として入っていて、ショウガのピリッとしたしっかり味にコーンの歯ごたえがアクセントになり、これも夏らしい味でした。

タコとネギのチヂミは、もう間違いない美味しい組み合わせですよね。チヂミはカリッと焼けていました。

魚フライの魚の種類を確認し忘れたのですが、恐らく子持ちシシャモかな?揚げたてサクサクで美味しかったです。

キュウリとゆで卵のジャコ和えは、マヨネーズではなくゴマ和えで、ゆで卵の味が利いていました。

豚冷しゃぶ甘酢ソースは、夏らしい甘酢ショウガのさっぱり味で暑い夏を乗り切れそうな味でした。

 

奇抜なメニューはありませんが、ちょっと小技が利いていて、季節の食材の味を生かし丁寧に調理されていました。どれも優しくほっとする味わいです。自宅でこんなにたくさんのおかずを作ろうと思ったら大変です。それだけでものすごく贅沢で価値あるランチで、食べると間違いなく元気になります!

色々なものを少しづつ食べたい、まさに女性好みのランチと言え、男性にはボリューム的には少し物足りないかもしれません。そんな方にはご飯はお替わり自由とのことです。

少しわかりにくい場所ですが、大丸ヴィラと「竹邑庵太郎敦盛」の看板を頼りに、京都御所へ行かれた際には足を運んでみてはいかがでしょうか。

 

 

京都御苑やその周辺については以下でもご紹介しています。

 

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京都御苑 拾翠亭 ~公家の美意識が垣間見える茶室や庭園

京都御苑の南の端に、五摂家の一つであった九条家の現存する唯一の建物で、江戸時代後期に建てられた瀟洒な茶室(拾翠亭)と緑豊かな庭園があります。梅雨空の中、雨に濡れ風情ある景観を静かに楽しめるこのスポットを訪ねてみましたので、ご紹介します。

 

 

拾翠亭の場所

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拾翠亭の行き方

電車で

 ・京都市営地下鉄丸太町駅」下車 徒歩3分

 ・京阪電鉄神宮丸太町駅」下車 徒歩10分

 

バスで

 ・京都市バス10、51、65、93、202、204系統「烏丸丸太町」下車 徒歩3分

 

 

地下鉄丸太町駅から拾翠亭へ

今回のスタートは地下鉄「丸太町駅」です。

北改札を出て、右手へ向かいます。

 

コンビニの右手にある出口1へ向かい、階段を上がります。

 

階段を上がり、出口1を出ると、丸太町通に面した市バスの停留所があります。停留所を通り越し、丸太町通を東へ向かいます。

 

100mほど東へ進むと京都御御苑の間之町口がありますので、こちらから入ります。

 

間之町口を入ると、すぐ右手に拾翠亭があります。

 

足元の小さい案内にある通り、公開は木、金、土曜日と葵祭時代祭となっておりますので、訪問の際はお気をつけください。案内板の後ろの小径を奥へと入って行きます。

 

 

拾翠亭とは

拾翠亭(しゅうすいてい)は、約200年前の江戸時代後期に建てられたと伝えられています。当時の五摂家の一つであった九条家の別邸として使用されたもので、主として茶会や歌会等の社交の場として利用されました。

数寄屋風の書院造りで二層からなり、屋根の頂には一対の鯱とその下に九条家の家紋を象った鬼瓦が飾りとして置かれています。

鯱の下の鬼瓦が写っていないかな?と探していたら、写真を撮った時は気づかなかったのですが、鯱の横にサギ?も止まっていました。

二層の外周りには縁高欄(えんこうらん)と言われる手すりが施されており、また、屋根の形は入母屋造で瓦葺と一部が杮葺が組み合わされ、簡素な中にも貴族的な優美な外観を呈しています。上の写真を見ると、屋根の上の方は瓦葺で下の色の濃い所が杮葺で、木の薄板を幾重にも重ねてあります。

 

九條家は藤原鎌足を遠祖とする藤原北家の流れを汲み、多くの摂政関白の要職を輩出した名家。豊臣秀吉の都市計画により、御所の南の現在地あたりに移されました。当時の九條家の敷地は約35,300㎡で建物も最盛時には12,500㎡にありましたが、明治の初めにそのほとんどが移築、取り壊しとなり、130㎡余りの拾翠亭のみが残されました。

「拾翠」とは緑の草花を拾い集めるという意味があり、平安貴族が春に野辺に出て、草花を摘んで楽しんだ習わしに因んで名づけられました。また、翠という字はみどりの美しい鳥のカワセミという意味があり、かつてこの地に数多くのカワセミが飛来してことから「拾翠」と名付けられたとも言われます。

 

では、さっそく中へ入っていきましょう。

こちらが入口です。

敷地内はすっきりと美しく整えられています。

 

玄関を入って参観料300円を納めて建物内を見る形なので、周囲の庭園だけなら無料で散策することが出来るようです。

 

一階は主として十畳の広間の茶室と七畳半の控の間、更に広間の北側の三畳中板の小間からなります。

 

控えの間

玄関から上がってすぐ左手にあるのが控えの間です。広間に席入りする場合の控えの間となり、写真左側の襖を外せば広間と合わせて17畳ほどの広さとなります。広さの伸縮を可能にし、室の機能をより充実させる重要な空間です。

 

広間

控えの間の北側にある、一階の主室が広間です。

池に面して広縁を設け、寝殿造の趣を残しています。室内は十畳の広さがあり、畳敷で床の間がある書院造になっています。

 

広縁から九條池を眺めたところです。池には小舟が浮かんでおり、優美な景色です。

 

西側北寄りに幅一間の床があり、炉が四畳半切りに切られて、茶室としても使われます。


小間

広間の北側に位置する部屋です。広間の広縁の突き当りから奥へ入ると小間があります。

小間はその名の通りとても小さく、また部屋の奥までは入れないので、全体の写真が撮れませんでした。

 

上の写真の左側から小間の奥を覗き込んだ写真です。

手前座(写真左)に一枚、客座(写真右)に二枚の畳を敷き、その間に幅一尺五寸あまりの板を入れて炉を切っていることから、三畳中板の席といいます

広間と小間が隣接しているということは、公家がこの二つの茶室を行き来しながら茶事を楽しんでいたことを表し、貴族の茶事の習わしを知る上で貴重なものです。

 

では、二階へ上がりましょう。

 

二階座敷

階段を上がると、二間半四方のゆったりとした座敷があります。

 

南西隅に踏込床を構えています。踏込床とは、床框を設けずに床地板と畳が同じレベルになったものです。畳と床地板の間に高低差が無いので、部屋がすっきり開放的になり、簡素でくだけた印象になります。床柱は皮付丸太、落掛(おとしがけ:床の間上部の小壁を受け止める横木)は湾曲した雑木を使い、床脇には天袋を吊ってその下に書院風の中敷居窓を開けています。一階広間よりさらにくだけた自由な造形の床です。

 

九條池とその周辺

外回りは北、東、南の三方に縁高欄がめぐらされています。見晴らしを計算した設計で、眼下には厳島神社や高倉橋が望まれます。東の彼方には借景として東山の大文字山が取り入れられています。写真右奥の赤い矢印の先が東山と思われます。昔はこんなに木が生い茂っていなかったので、東山がもっとよく見えたのだと思います。

広縁の前に広がる庭は、九條池を中心とした庭園になっています。池は東西約90m南北約60mで、江戸時代後期の築造と考えられています。西寄りに厳島神社を祀り、この神社は九條家の鎮守社です。



中央に架かる立派な反り橋は明治15年に竣工し、高倉橋と呼ばれます。

 

橋から東方池辺に築山があり、ここに滝組を設けています。



 

障子(石垣貼りと丁子七宝)

障子の貼り方にも趣きがあります。紙の継ぎ目は縦桟の間隔を二分の一ずつずらした石垣貼りという貼り方は、高度な技術が必要です。拾翠亭の座敷の障子から欄間、そして茶室の小さな明り取りの一つひとつまでこの貼り方で統一されています。

 

こちらは南側の格子窓にある丁子七宝という文様です。丁子(チョウジ)とはスパイスのクローブのことで、チョウジノキの花蕾であるチョウジが、ちょうど丁の字や釘に形が似ているのでこう呼ばれるようです。香りが強いので邪鬼払いに使われたそうで、この丁子七宝の文様もそのような意味があるのではないかと思います。この文様がおしゃれなので、この向こうに広がる景色が一層趣き深く見えますね。

 

 

 

厳島神社

拾翠亭を出て、京都御苑内の道を道なりに右へ曲がると、厳島神社へ行けます。

道なりに100mほど進むと厳島神社の入口です。

 

厳島神社は九條家の鎮守社で、平清盛が母祇園女御のために安芸の厳島神社を勧請したのが起こりと言われます。はじめは兵庫の築島にあったものをここへ移したと伝えられ、厳島三姫命と祇園女御を祀っています。石鳥居は島木、笠木を唐破風形にしているのが珍しく、国の重要美術品に指定されていて、京都三珍鳥居の一つに挙げられています。

厳島神社から池の向こうに拾翠亭を眺めた景色も素晴らしいです。

 

高倉橋

厳島神社から更に道なりに30mほど東へ進むと、高倉橋の前に出ます。

九條邸跡の立て看板があります。

高倉橋の上からも池の向こうに拾翠亭が望めます。

厳島神社も見えました。


拾翠亭の内部は木~土のみ公開ですが、京都御苑は公園なので、その中の九條池の周辺や高倉橋は24時間365日無料で自由に回遊することが出来ます。

京都御苑内は外国人観光客の方も多かったのですが、拾翠亭は私が訪れた時間帯には2~3組ほどで、そもそも参拝料が必要なエリアに入る方は日本人でもかなり少ないので、観光客の多い京都市内にあって、こちらは本当に空いていて静かな時間が過ごせます。公家らしい雅な雰囲気を堪能したい方には是非訪れていただきたいおすすスポットです。

私が訪れた時はまだ咲いていなかったのですが、高倉橋側から拾翠亭を眺めるとサルスベリがあちこちに咲いていて拾翠亭を彩るそうなので、また時期を変えて訪れてみたいと思いました。

 

京都御苑やその周辺については以下でもご紹介しています。

 

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