京都屈指の桜の名所である醍醐寺は、世界遺産にも登録され、多くの国宝・重要文化財を伝承しています。その醍醐寺の本坊的存在が三宝院で、今回は「京の冬の旅」の特別公開に合わせて訪ねてみました。「京の冬の旅」は桜や紅葉といった自然の魅力だけでなく、冬の時期に文化財や伝統文化など奥深い京都の魅力をゆっくりと楽しむキャンペーン。三宝院の一番の見どころ、「庭の国宝」とも称される特別名勝に登録されている庭園はもちろん、今回特別公開される弥勒堂や、豊臣秀吉から贈られた「金の天目茶碗と天目台」などの寺宝も拝観してきましたのでご紹介します。
- 三宝院の場所
- 三宝院の行き方
- 醍醐寺とは
- 三宝院とは
- 「葵の間」「秋草の間」「勅使の間」
- 唐門(国宝)
- 表書院(国宝)
- 秀吉好みの大胆華麗な庭園
- 純浄観(重要文化財)
- 本堂(重要文化財)
- 奥宸殿(重要文化財)
三宝院の場所
三宝院の行き方
電車で
・京都駅からJR東海道本線(琵琶湖線)または湖西線約5分で「山科駅」
そこから地下鉄東西線に乗り換え約10分の「醍醐駅」で下車し、徒歩約12分
そこから地下鉄東西線に乗り換え約5分の「醍醐駅」で下車し、徒歩約12分
バスで
・京都駅八条口からホテル京阪前の「H4乗り場」から
・JR山科駅から京阪バス1番乗り場(22,22A 系統乗車)約20分の「醍醐寺」で下車
・京阪六地蔵駅から京阪バス2番乗り場(22,22A系統乗車)約15分の「醍醐寺」で下車
・JR六地蔵駅から京阪バス22,22A 系統乗車 約11分の「醍醐寺」で下車
改札を出たら左へ向かいます。
左へ向いたところです。このまま進みます。
出口2を目指して右へ曲がります。
突き当りを左へ曲がります。
階段を上がります。
階段を上がり切るとまた正面に階段があります。
こちらの階段を上がります。
階段を上がりきったところです。案内板に従ってアルプラザの二階通路を進んでいきます。
駅前の市営住宅群に向かう歩道橋を東へ渡り、そのまま300mほど東へ進みます。
市営住宅の間の道を300mほど東へ進んだところです。道路が横切っていますが、横断歩道を渡りこのまま東へ進みます。
市営住宅の間の道を更に200mほど進みます。
また道路に突き当たりました。
案内板に従って北(左)へ曲がります。
北へ向いたところです。この道を50mほど進みます。
交差点に出ます。横断歩道を東(右)へ渡ります。
新奈良街道の下をくぐって東へ進みます。
140mほど進むと旧奈良街道に出ます。大きな松の木の向こうが醍醐寺の総門です。
醍醐寺とは
醍醐寺は真言宗醍醐派の総本山で、貞観16年(874)、弘法大師空海の孫弟子 理源大師聖宝により開創されました。醍醐山全体を寺域とし、山上の上醍醐、山下の下醍醐からなる200万坪以上の広大な境内を持ちます。国宝や重要文化財を含む約15万点もの寺宝を所蔵し、世界遺産にも認定されています。豊臣秀吉が「醍醐の花見」を行った桜の名所としても有名で「日本のさくら名所100選」にも選ばれています。
さっそく入って行きましょう。
総門を入ってすぐ左手に醍醐寺の受付でもある三宝院入口が見えてきます。
こちらの拝観受付で拝観券を購入し三宝院に入ります。なお、拝観券は下醍醐の有料エリア(三宝院・霊宝館・伽藍)を全て拝観出来ます。
三宝院とは
三宝院は永久3年(1115)、醍醐寺第14世座主・勝覚僧正により創建され、以来醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主が居住する坊です。現在の三宝院は、豊臣秀吉が慶長3年(1598)に催した「醍醐の花見」を契機として整備されました。その庭園は、秀吉自らが基本設計したもので、国の特別史跡・特別名勝に指定されています。その庭園全体を見渡せる表書院(国宝)をはじめとする建造物の多くが重要文化財に指定されています。また、通常は非公開となっている本堂(重文)は、鎌倉時代の著名な仏師・快慶の最高傑作とも言われる弥勒菩薩坐像(重文)が祀られ、今回の「京の冬の旅」では特別公開されています。
写真は大玄関(重要文化財)です。こちらから入っていきます。
靴を脱いで上がります。
「葵の間」「秋草の間」「勅使の間」
入ってすぐの部屋は「葵の間」です。
豪華な生け花を囲む襖絵は、京都三大祭のひとつ葵祭の風景です。
葵の間の隣は「秋草の間」と「勅使の間」です。
「秋草の間」には秋の七草が点在する広々とした風景が描かれ、「勅使の間」には「竹林花鳥図」が描かれています。どちらも桃山時代の作品で長谷川等伯一派による作と言われています。
唐門(国宝)
勅使の間から外の廊下へ出ると庭園の向こうに見えるのが唐門(国宝)です。三宝院の勅使門で、慶長4年(1599)三間一戸の平唐門として建立されたものです。平成22年(2010)に創建当初の姿に復元されました。門は黒の漆塗りで、また菊と桐の四つの大きな門に金箔を施した豪華賢覧な門です。
唐門を外から撮影したものです。漆の深い黒と金箔の落ち着いた金色が、いかにも皇族や関係の方々をお迎えするのに相応しい上品かつ豪華な佇まいです。
元に戻って、勅使の間から続く外の廊下を通って表書院へと向かいます。
表書院(国宝)
庭に面して建っている表書院は、書院といっても縁側に勾欄(こうらん)をめぐらし、西南隅に泉殿が造りつけてあり、平安時代の寝殿造の様式を取り入れたユニークな建築で、下段・中段・上段の間があります。下段の間は別名「揚舞台の間」とも呼ばれ、畳をあげると能舞台になります。中段の間、上段の間は下段の間より一段高く、能楽や狂言を高い位置から見下ろせるようになっています。
下段の間は石田幽汀の作で孔雀と蘇鉄が描かれています。
上段・中段の間の襖絵は長谷川等伯一派が「四季の柳」や「山野の風景」を描いています。
秀吉好みの大胆華麗な庭園
慶長3年(1598)に豊臣秀吉が「醍醐の花見」を催した際に、自ら三宝院の庭園の基本設計をしたといい、各地の大名から集めた名石を配した庭園は桃山文化の特徴である華やかさと勇壮さが感じられる造りとなっており、国の特別名勝及び特別史跡に指定されています。秀吉は醍醐の花見の直後から作庭に着手したものの、それから3カ月後に庭園の完成を待たずに亡くなりますが、その後も醍醐寺座主・義演准后や石組みに携わった庭者・仙、与四郎、賢庭たちにより作庭は継続され25年後にようやく完成しました。
藤戸石
表書院の一番奥側、庭園中央の池の向かい側にある三尊石組みの中央にある立石です。「天下を治める者が所有する石」として室町時代から歴代の権力者によって引き継がれてきたもので「天下の名石」と言われています。「醍醐の花見」の後、秀吉の命により聚楽第より移設されました。
亀島・鶴島
樹齢500年以上と言われる五葉松が亀の甲羅のように覆っているこちらが亀石です。島の右側にある上向きの矢印で示したのが亀頭石、島の真ん中には山形の亀甲石、島の左側には下向き矢印で示した亀尾石が据えられています。全体として亀の「静寂」を表しているそうです。
亀石の西寄りにある島が鶴島です。島の中央の赤い山形で表したのが羽石という三角形の板石を建て、左側の矢印で示した細い石橋が鶴の首にあたります。全体として鶴の「躍動感」を表しているそうです。
賀茂の三石
池の手前の枯山水に三つ並んだ石が置かれています。向かって左の石は、賀茂川の「流れの速いさま」を、中央の石は「川の淀んだ状態」を、右の石は「川の水が割れて砕ける様子」を表しています。
三段の滝
庭園の東南隅に位置する滝は、大きな立石を大胆に組み上げて滝山を高くし、3段階に水が落ちるようになっています。これにより庭に深山の趣を加え、なおかつ豪胆な印象を与えるそうです。三宝院庭園の大きな見どころの一つです。
表書院を見終わったら、その奥の渡り廊下を進みます。
純浄観(重要文化財)
純浄観は秀吉が「醍醐の花見」で使用した建物を槍山から移築したものと言われています。内部の襖絵の桜・紅葉図などは平成に入り浜田泰介画伯により描かれました。通常は非公開です。
純浄観は表書院から更に一段高い場所にあるので、景観がぐっと広がり、目の前に3段の滝や名石「藤戸石」をのぞむことが出来ます。
純浄観の更に奥にあるのが本堂で、こちらも通常は非公開です。その本堂脇にも苔庭がありました。「酒づくしの庭」で、苔と白砂だけで瓢箪徳利、盃等を表しているそうです。
本堂(重要文化財)
本堂は弥勒菩薩を祀っていることから弥勒堂とも呼ばれています。本堂には快慶作の弥勒菩薩坐像を本尊に、向かって右に宗祖・弘法大師空海を、左に開祖・理源大師聖宝を安置しています。こちらも通常は非公開のため、内部は撮影禁止でした。
鎌倉時代を代表する仏師快慶の作というと奈良東大寺南大門の金剛力士像が、運慶・快慶らの共同制作として大変有名ですよね。あの力強く荒々しいイメージが頭にあったのですが、こちらの弥勒菩薩坐像はとても繊細で理知的な雰囲気でした。後で快慶について調べてみると、理知的、絵画的で繊細な作風で知られているとのことでした。
奥宸殿(重要文化財)
本堂からさらに廊下伝いに純浄観と表書院の裏手へ回ると、右手に茶室・松月亭とその前にも小さいながら凝った石組みの庭園がありました。(写真を撮り忘れていました)そしてその庭園の奥に奥宸殿(写真右奥)があります。奥宸殿も通常非公開で、今回も写真撮影不可でしたので、こんな遠景の写真のみとなります。
(写真:醍醐寺公式サイトより)
奥宸殿は江戸初期に建てられたと言われ、田の字形の間取りをしており、主室の上座の間は床棚書院及び帳台構(通称:武者返し)を備えています。棚は「醍醐棚」と呼ばれる有名な違い棚で、修学院利休の「霞棚」、桂離宮の「桂棚」とともに「天下の三大名棚」と称されています。
写真:京都観光ナビ「京の冬の旅」非公開文化財特別公開サイトより
通常は霊宝館で保管されている金天目と金天目台も奥宸殿で公開されていました。醍醐の花見のあと、秀吉は病に臥し、秀吉の平癒を祈祷した座主義演准后に、褒美として遺されたと伝えられる秀吉愛用の金天目と金天目台です。木製の椀に薄く延ばした金板をかぶせたもので、台は銅に金メッキをしたものです。黄金の茶室を造った秀吉らしい品ですね。
三宝院庭園は京都でも有数の名庭の一つと言われていますが、京都市中心部の世界遺産寺院の庭園と比べると、閑静でゆったりと鑑賞することが出来ます。
どの角度から見ても見どころが満載で、どこを見ようか迷うほどの美しさなので時の経つのを忘れて見入ってしまいます。
秀吉は、この庭園を造るために「石狩り」と称して戦国大名から多くの景石を収集したそうです。同じく数多くの樹木も召し取ったと言われており、全国統一の勢いを借りて力づくで庭の資材を調達したことが伺えます。これだけの名石と樹木を集めることの出来る力を周囲に見せつけるための庭園は、その美しさ、豪華さで造った人の権威の大きさと文化力の大きさも後世に伝えてくれます。庭園だけでなく国宝や重要文化財の宝庫である三宝院で、秀吉の築いた豪華絢爛な安土桃山文化の粋を感じてみてはいかがでしょうか。
京都の世界遺産寺院を以下でご紹介しています↓