紅葉の名所がひしめく京都は、秋の紅葉シーズンになるとどこも観光客で混雑します。そんな中、京都市の東側に位置する山科エリアは京都市中心部と比べて人が少なく、穴場スポットが点在します。その中でも特に有名な毘沙門堂門跡を、山科疎水沿いを散策しながら訪ねてみました。
毘沙門堂門跡の場所
https://maps.app.goo.gl/7n8hmZ6zf7MNbdLA6
毘沙門堂門跡の行き方
JR、市営地下鉄東西線、京阪電鉄「山科駅」より北へ徒歩約20分
山科駅の高架下歩行者通路を通ると、駅北側にスムーズに出ることができます。
2024年12月14日更新
御陵駅から山科疎水を通り毘沙門堂へ
今回のスタートは地下鉄東西線「御陵(みささぎ)駅」です。
毘沙門堂門跡の最寄り駅は山科駅なのですが、地下鉄で一つ西側の手前の駅で下車し、山科疎水沿いを散策しながら向かいます。
改札を出て4番出口を目指して右へ向かいます。
この通路を進みます。
突き当りを右へ曲がり階段を上がります。
階段を上がり切ると、三条通に出るので、西(右)へ向かいます。
一つ目の信号のところを北(右)へ上がっていきます。
住宅街の坂道を北東方向へ上がっていきます。
150mほど上がったY字路の所を右へ曲がります。
右へ曲がった所です。向こうに見えている黒岩公園の前の道を北(左)へ曲がります。
左へ曲がりました。緩やかな坂道を50mほど上り、右手の一筋目を東(右)へ曲がります。
曲がった先の道の写真を撮り忘れました。
50mほど道なりに東へ進むと四辻に出るので北(左)へ曲がります。
左へ曲がるのですが、右手にチラッとお地蔵さんが見えたので、ちょっと寄り道します
鏡山地蔵
鏡山地蔵尊です。
このお地蔵様は、もと東山区粟田口の良恩寺にありました。「山科砥ノ粉(とのこ)」の生産者である片山藤治郎氏が、地域の繁栄、町内安全、子どもの健康と幸福を願って、旧知の良恩寺住職に請い、同寺のお地蔵様を譲って頂くことになったそうです。ちなみに鏡山とは、この近くにある天智天皇陵の真北にある山のことです。
また「山科砥ノ粉」の「砥ノ粉」とは、風化した岩石を加工し粉末にしたもので、漆塗りの下地や木製品の表面の仕上げなどに使われ、木工芸には不可欠な材料です。この砥ノ粉は全国で山科でしか製造されていないそうで、昭和30~40年代の最盛期には30軒ほどあった製造業者も現在では2軒だけしか残っていません。山科には砥ノ粉の原料となる土が豊富にあるのだとか。
栗原邸
さて鏡山地蔵を後にして、川沿いの細い道を200mほど上がって行くと、右手にコンクリートブロックの塀に囲まれた、古びてはいるもののちょっとモダンな建物「栗原邸」があります。
この建物は、昭和4年(1929年)に建築家で京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)の教授であった本野清吾の設計により、学長であった鶴巻鶴一邸として建てられたコンクリートブロック造3階建ての住宅です。
昭和16年(1941年)には、日本最古の広告代理店社長の栗原伸に譲られ、2014年には国の登録有形文化財に登録、2017年には京都市による「京都を彩る建物や庭園」にも認定されています。
外観はむき出しのコンクリートです。建築家中村鎮の考案した「中村式鉄筋コンクリート」(通称鎮ブロック)を用いています。
鎮ブロックは、L字のコンクリートブロックを互い違いに組み合わせて作った中空部に、配筋しコンクリートを打つことで強度を高めた、鉄筋コンクリート造で、学長の鶴巻鶴一から依頼された本野精吾は、中村式鉄筋コンクリートで建てられた建物が、関東大震災で倒壊しなかったことに着目し、採用したようです。
無機質なコンクリートブロックが紅葉の鮮やかな色合いを引き立てておしゃれな感じです。
山科疎水
栗原邸を過ぎ、50m余り東へ歩くと、山科疎水に出ます。
山科疎水とは、明治23年(1890年)に完成した琵琶湖と京都を結ぶ人工の水路「琵琶湖疎水」の山科エリア(約4km)の名称です。
琵琶湖疎水の豊富な水は水力発電に利用され、西陣織の発展や日本初の路面電車開通など明治維新後低迷していた京都の復興に大きく貢献しました。現在でも農業、防火用水、水力発電など、幅広く活用されています。
橋を渡って、西(京都側)を見ると、琵琶湖疎水第二トンネル東口が見えます。
京都の中心部からほんの数十分移動しただけなのに、神々しいほど静けさのある風景が広がります。
時折地元の方が散歩をされているのとすれ違うぐらいで、ほとんど人に出会いません。
このすばらしい紅葉の絶景を独り占め出来ます。
最初に渡った橋から180mほど歩くと、大岩橋があります。下の写真は大岩橋を通り過ぎて、琵琶湖側から京都側へ振り返って撮ったものです。
疎水沿いにある本圀寺へ向かう参道にある朱塗りの「正嫡橋(しょうちゃくばし)」が写真奥に見えています。渡って本圀寺へ行ってみたかったのですが、疎水の北側を歩いていて、この橋は疎水の南側からしか渡れません。この橋を渡って本圀寺へお参りしたい方は、正嫡橋の一つ手前(西側)にある、先ほどの大岩橋を南側へ渡ってから疎水沿いを東へ向かってください。
更に進むと、山科市内を一望できるスポットもあります。木々の間から、JR湖西線の線路が見えました。御陵駅から疎水沿いまでの道がずっと上り坂だったので、この辺りもだいぶ高いところにあることが分かります。
毘沙門道
山科疎水沿いを写真を撮りながらゆっくり1時間ほど歩き、山科駅から毘沙門堂へと通じる「毘沙門道」にかかる安朱橋に出ました。春には桜と共に、地域の方々が丹念に育てた菜の花が咲き誇る花の名所だそう。
安朱橋を渡り、北(左)へ進みます。
安朱橋を北へ渡ります。この道は毘沙門堂へと続く参道です。
参道(毘沙門道)は住宅街の間の細い道で、車二台はすれ違えないぐらいです。
ゆるやかな坂道(毘沙門道)を約400mほど上がると、毘沙門堂門跡に到着です。
今回はここまでです。
この日は11月下旬、京都市中心部の紅葉スポットはどこも観光客でいっぱいですが、山科疎水沿いはそんな賑わいが嘘のような静けさで、人込みが苦手な方には是非おすすめしたいお散歩ルートです。
次回はいよいよ紅葉の名所 毘沙門堂門跡内を散策します。