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勝林寺 ~花手水に彩られた東福寺の毘沙門天

京都五山の四位に位置付けられた東福寺は、京都でも最大級の大伽藍を誇る有名な禅寺の一つです。その塔頭東福寺の北側、住宅街の中にひっそりと佇む勝林寺は「東福寺毘沙門天」とも呼ばれ、東福寺の鬼門に位置し、仏法と北方を護っています。

勝林寺は本堂があるだけの小さなお寺で、ご本尊の毘沙門天はお正月と春と秋以外は通常非公開ではありますが、境内は美しく整えられ、また近年は華麗な花手水でも有名です。青紅葉が美しいこの季節に勝林寺を訪ねましたので、ご紹介します。

 

 

 

勝林寺の場所

goo.gl

 

勝林寺の行き方

電車で

 ・阪急京都線

   「京都河原町駅」で京阪電車に乗り換え後、京阪本線東福寺駅」下車

   徒歩約8分

 ・JR,京都市営地下鉄

  各線「京都駅」でJR奈良線に乗り換え後、「東福寺駅」下車、徒歩約8分

 ・京阪戦車で

  京阪本線東福寺駅」下車後、徒歩約8分

 

バスで

 ・京都駅から

   市バス 88、208系統に乗車、「東福寺」下車

 ・四条河原町から

   市バス207系統に乗車、「東福寺」下車

 ・東山三条から

   市バス202系統に乗車、「東福寺」下車

 ・祇園から

   市バス202、207系統に乗車、「東福寺」下車

 ・平安神宮、岡崎から

   市バス100、110系統に乗車後、「東山七条」で88、202、207、208系統に乗り換え、「東福寺」下車

 

 

今回のスタートはJR東福寺駅です。

JR東福寺駅には二階にある「改札口」と一階にある「乗り換え口」があります。東福寺や勝林寺へ行かれる場合は、駅に着いたら、必ずホームを宇治・奈良方面の端の方まで歩いて二階へ上がりましょう。一階の乗り換え口は並走する京阪電車東福寺駅にしか行けません。この「乗り換え口」周辺には駅員さんが常駐されていません。誤ってこの乗り換え口から降りてしまった場合は、改札口に駅員への連絡用インターホンがありますので、これを使用して事情を伝えると、正しい行き方を案内してもらえます。

ここまで読んだ方はお察しのことと思いますが、かく言うも、乗り換え口から降りてしまいました😢このようにぼんやりした乗客が後を絶たないのでしょう。対応された駅員さんは非常に手慣れた感じで案内してくださいました。

 

改札口から出て、左手へ向かいます。

案内板にも「東福寺徒歩10分」と書いてありますね。

 

東福寺 通天橋方面」と書かれた案内板に従って連絡通路を進みます。

 

階段を降りると、京阪電車東福寺駅東改札に出ます。

 

京阪東福寺駅の改札口の前の道を東(右手)へ進みます。

 

突き当りを南(右)へ進みます。

 

駅前の飲食店などが立ち並ぶ道を南へ進みます。写真奥に見える高架もくぐって更に南へ進みます。(高架の辺りに、東福寺へは左手へ進むという案内表示もありますが、今回はまっすぐ南へ進みます)

 

高架をくぐって、更に80mほど南へ進みます。

 

左手に東福寺交番が見えました。

 

交番の手前を東(左)へ曲がります。

 

東福寺北大門です。こちらから入って行きます。

 

80mほど東へ進むと、右手に退耕庵があります。

 

退耕庵

退耕庵は臨済宗東福寺塔頭寺院です。貞和2年(1346)に創建され、応仁の乱の災火により一時荒廃しましたが、慶長年間(1596~1615)安国寺恵瓊によって再興されました。客殿は、再興時に恵瓊によって建てられたもので、豊臣秀吉の没後、客殿の中にある茶室作夢軒で、恵瓊、石田三成、宇喜田秀家らが、関ケ原の戦いの謀議を行ったと伝えられています。

 慶応4年(1868)の鳥羽伏見の戦いの際には、東福寺長州藩の陣が置かれていたことから、当庵はその戦いの殉難者の菩提所となっています。

 

歴史の教科書にも出てくる大きな出来事の舞台になった場所が、大々的に宣伝されるでもなくさりげなくそこにある、京都にはそんな場所があちこちにありますね。

 

さらに東へ向かい、突き当りを南(右)へ曲がります。

 

またすぐ突き当たるので、東(左)へ曲がります。

 

東へ曲がったところです。この道をそのまま東へ進みます。

 

左手に「勝林寺」の看板が見えました。更に東へ進みます。

 

左手に「毘沙門天王」の石碑があります。この手前の道を北(左)へ進みます。

 

先ほどの「毘沙門天王」の石碑の隣の看板に「タクシー、自家用車、その他車両にて勝林寺ご参拝の方は東門へおまわりください」と書かれています。徒歩以外の方はこの看板に従ってください。

 

毘沙門天王」の石碑の手前を北へ曲がったところです。住宅街の向こうに青い幟がはためいていて、その先に山門が見えます。

 

階段の両脇に「毘沙門天」の幟がずらりと並んでいます。

 

勝林寺の南門に到着しました。こぢんまりとした静かなお寺です。

 

勝林寺とは

勝林寺は、東福寺塔頭で、天文19年(1550)に第205世住持・高岳令松によって創建されました。本山東福寺の鬼門(北方)に位置し、仏法と北方を守護することから「東福寺毘沙門天」と呼ばれています。

本堂は大檀那であった近衛家の大玄関を移築したもので、境内には一切経を埋めた石塔が建っています。数々の絵画や仏像を有し、とりわけ毘沙門堂としての正当性を証明するべく、本尊の秘仏毘沙門天立像をはじめ、他に例を見ない珍しい毘沙門天曼荼羅や、迫力に満ちた虎の大襖絵などが伝わります。

また、春には「皇桜」、秋には「吉祥紅葉」はもとより、庭園には四季を通じて美しい花々が咲き、参拝者の目を楽しませてくれます。

ご本尊の毘沙門天立像などは新春、春、秋の特別公開時期以外は通常非公開ですが、境内は無料で拝観することが出来、ガラス戸越しではありますが、ご本尊に手を合わせたり、虎の大襖絵を垣間見ることは出来ます。

拝観 毘沙門天・寺宝

写真:勝林寺公式サイトより

8名以上の団体参拝者は、事前予約にて拝観もできるようですので、詳しくは公式サイトをご確認ください。

 

境内の庭園は苔の庭に青紅葉が美しく、清々しい気持ちになります。

 

ナマズの像と小さなお地蔵様でしょうか?

 

 

本尊 毘沙門天など

勝林寺のご本尊、毘沙門天立像は、東福寺の仏殿の天井裏に密かに安置されていましたが、江戸時代に当寺の開山高岳令松の霊告により発見され、東福寺全体を守護するために鬼門にあたる勝林寺に安置されたそうです。制作年代は平安時代の10世紀頃、ほぼ等身大の145.7cmです。当寺の毘沙門天はとりわけ財運、勝運、厄除けにご利益があるとされています。

また、吉祥尊天は、美と幸福を司る神とされており、それを女性に授けると云われています。毘沙門天の妃とされ、当寺の吉祥天はとりわけ美・幸福・縁結びにご利益があるとされています。

さらに、善膩師(ぜんにし)童子は、毘沙門天王、吉祥尊天の御子とされています。

当寺では三尊が揃っているため、毘沙門天、吉祥尊天、善膩師童子の三尊を拝めば一家和合の神(仏)として、また子授け、子育て、夫婦円満にもご利益があると言われています。

毘沙門天毘沙門天毘沙門天

写真:勝林寺公式サイトより

左から毘沙門天立像、吉祥天尊像、善膩師童子

 

毘沙門天も吉祥天もよく見かける仏様ですが、この二人が夫婦で、更にその間に善膩師童子という子どもまでおられたとは初めて知りました。そして、この二人の間には善膩師童子を含め5人の子どもがいるとも言われており、善膩師童子は末っ子なのだそうです。日本ではかつて長子相続制度がありましたが、もっと昔、古代の神々の時代には末子相続も見られるそうで、そんなに珍しいことでも無いそうです。いずれにせよ、夫婦と子どもという家族で祀られている仏様というのは、なんだかほのぼのとして親しみが湧きますね。

 

 

花手水

 

コロナ禍で手水舎が使用できなくなってから、各寺社で趣向を凝らした花手水が見られますが、勝林寺の花手水も豪華で見ごたえがありました。この花手水を目当ての参拝者も多いようで、皆さん熱心に写真を撮られていました。

 

 

花手水の向こう側に丸い石の鉢に植えられた植木がありました。写真だと苔玉のようにも見えますが、実際は高さ1m弱程の大きさです。大きさの比較のためか、手前に小さな15cmほどの植木も添えられています。二つの対比が面白かったです。

 

 

吉祥紅葉

古来より、紅葉の美しさから吉祥天が宿るもみじとされているそうです。「美しさ」「良縁」を求める女性にご利益があり、邪気を払うともされています。かつては祇園の舞妓・芸妓といった綺麗どころのお参り姿も見られたといいます。

 

 

のぼりイメージ

写真:勝林寺公式サイトより

 

勝林寺は座禅や写経・写仏、ヨガなど様々な体験をすることも出来、また切り絵御朱印なども人気です。小さいながら、様々な見どころが詰まった趣き深いお寺で、私も次は春の桜や秋の紅葉の時期や、新年に毘沙門天家族の三尊を参拝し、一年の幸運と発展をお願いするために訪れてみたいと思います。

東福寺からも徒歩5分ほどですので、是非合わせてお訪ねください。