世界遺産 東寺は京都駅八条口から徒歩15分、塀の外は街中の交通量の多い通りなので車がビュンビュン行きかいますが、塀の中は広々とした境内に大きな建造物が整然と立ち並ぶ落ち着いた空間です。
当時最先端の密教によって国家鎮護を目指した弘法大師空海が、嵯峨天皇より下賜された東寺をどのように作り上げていったのかを、有料エリアである金堂、講堂、五重塔などを巡りながらご紹介します。
東寺の場所
東寺の行き方
電車で
JR「京都駅」八条口から徒歩約15分
バスで
京都駅烏丸口より 「京都駅前」から市バス
78、19系統で約13分「東寺南門前」下車
42系統で約6分「東寺東門前」下車
16系統で約10分「東寺西門前」下車
78、19系統で約9分「東寺南門前」下車
16系統で約5分「東寺西門前」下車
京阪「祇園四条駅」より 「四条京阪前」から市バス
207系統(反時計回り 九条大宮・九条車庫行き)で約19分「東寺東門前」下車
207系統(反時計回り 九条大宮・九条車庫行き)で約19分「東寺東門前」下車
京都駅八条口から東寺へは徒歩15分ほど。詳しい行き方は以下でご紹介しています。
今回のスタートは東寺の食堂(じきどう)南側の拝観受付です。
東寺では、金堂、講堂、五重塔のエリアのみ拝観料が必要です。
写真右の窓口で拝観料を納めて入って行きます。
こちらの入口から入ります。緑が美しい庭園の向こうに五重塔がそびえていますね。
不二桜
入ってすぐ左手、講堂東側の瓢箪池の一角に見上げるように大きな桜の木があります。高さ13m、枝張り10mというとても大きな木です。この桜の木はもともと岩手県盛岡市のある旧家で育てられ、平成6年(1994)秋田県を経て三重県鈴鹿市の農園が譲り受け、大切に育てられた樹齢120年を数える大木です。平成18年(2006)、弘法大師空海が唐への旅から帰朝し1200年の記念にあたることから、この場所へ移植されました。弘法大師の「不二の教え」から「不二桜」と命名されました。
木の登頂部に覆いが架かっている理由を調べましたが詳しいことはわかりませんでした。
春のライトアップの時にはこのように大迫力の美しい姿で咲き誇ります。
講堂と立体曼荼羅
有料エリアから入って一番北側にあるのが「講堂」です。
平安遷都に伴い、平安京を護る寺として建てられた、国立の寺院 東寺を託された弘法大師空海は、人生のすべてを注いで密教という教えを伝えようとしました。その中心的な建物として位置付けたのがこの講堂です。
空海は、仏の教えを言葉で説くそれまでの仏教を「顕教」と呼び、それに対して「密教」は隠された深い信実なので、言葉では説明できず、図形や画像によってしか伝えられないとしました。
左:国宝 両界曼荼羅図 金剛界曼荼羅 右:国宝 両界曼荼羅図 退蔵界
そしてその曼荼羅をよりリアルに伝えるために、空海が具現化することを構想したのが「羯磨曼荼羅」(かつままんだら)。一般的には立体曼荼羅として知られるものです。
つまり空海は「言葉で理解できないなら二次元の絵や図で、それでもだめなら三次元の仏像で表現しよう」としたのです。
空海は、大日如来を中心とした二十一尊の仏様を講堂の須弥壇に登場させました。曼荼羅の中心に大日如来が描かれているように、東寺の中心に大日如来を安置して、寺域を巨大な曼荼羅にレイアウトしたのです。
この立体曼荼羅は、横長の巨大な基壇の中央に、森羅万象そのものである根本仏・大日如来を中心とする五体の如来像、東に五大菩薩像、西に五大明王像、東西に梵天・帝釈天像、四隅に四天王像が配置されています。
空海の密教への熱い思いから構想された画期的な立体曼荼羅ですが、空海が没した4年後の承和6年(839)に諸仏の開眼供養が営まれたそうです。
講堂の中に入ると、ほの暗く広大な室内に巨大な仏像が立ち並び、厳かな雰囲気です。京都には大きな仏像が公開されている寺院も多数ありますが、東寺は講堂や金堂に入ると、数名の警備員の姿が目につきます。ちょっとものものしいな…と思いましたが、講堂の二十一体の仏像のうち何と十六体が国宝!そして残り五体が重要文化財という、まさしくお宝の宝庫なので、警備員が目を光らせているのも納得でした。
この立体曼荼羅の中心となる大日如来像は像高285㎝、講堂の中心でひときわ輝きを放ち、智拳印という、いっさいのものを大日如来の智慧で包み込むという印を結んでいます。その表情は大らかで包み込むような慈愛に満ち、切れ長の大きな瞳は、一度目を合わせたら目が離せなくなるような不思議な魅力に溢れています。
東寺の講堂は密教を伝え広めるために建立された建物で、元々は僧侶たちの修行の場でした。そのため、一般の人々はこの貴重な仏像群を目にすることはできませんでした。限られた者しか見ることが出来ないからこそ、そのありがたさは相当なものだったことでしょう。現代に生きる私たちは、この立体曼荼羅を自由に拝観出来るという幸運に恵まれています。堂内には修学旅行生や私のような一般の拝観者、そして地元の方でしょうか?講堂の一番南端の壁際にあるベンチに腰掛けて熱心に読経を唱える方の姿もあり、皆思い思いに空海の伝えたかった密教の世界を全身で感じているように見えました。
金堂
平安遷都直後の延暦15年(796)に東寺が創建され、最初に工事が着手されたのがこの金堂です。金堂には、国立の寺院にふさわしい荘厳な姿が求められました。以後600年以上、都の正面で威風堂々とその姿を残していました。しかし、文明18年(1486)に土一気のため焼失、現在の建物が関ケ原の合戦の後に豊臣秀頼の寄進により再建されました。宋の様式を取り入れた天竺様と和様を合わせた桃山時代の代表的な建物です。
この金堂は、東寺の本堂にあたり、本尊は薬師如来坐像。薬壺を持たない古い様式の仏像で、光背に七体の化仏を配する七仏薬師如来です。本尊に対して右側には日光菩薩、左側には月光菩薩が控えています。薬師如来と言えば、あらゆる病や苦しみから人々を護ってくれ、世間の災禍を消してくれるという頼れる存在。
本尊 薬師如来像は、像高288㎝、先ほどの大日如来坐像とほぼ同じぐらい巨大な仏像で、仏教界のお医者様のような存在だからか、表情は理知的でクールな印象です。
金堂にある本尊 薬師如来坐像と、講堂の立体曼荼羅の中心となる大日如来坐像、一体どちらが東寺の中心なの?と疑問を持たれる方も多いと思います。
元々、東寺は空海に託される前にすでに金堂が建築されており、本尊としての薬師如来坐像がありました。その後、空海が嵯峨天皇より東寺を賜り、密教を世に広めるために作ったのが講堂であり、立体曼荼羅です。
密教としての最高仏、宇宙の根本とされているのが大日如来ですが、鎌倉時代の真言密教の仏教書「覚禅抄」によると、大日如来と薬師如来は同体と書かれているそうです。
平安時代は薬師如来を本尊とする寺院が多く作られました。天変地異や疫病、政変など、度重なる禍を避けて安寧な世の中を目指して遷された平安京とそれを護る東寺に、ご本尊として薬師如来坐像が真っ先に安置されたのも頷けます。
そして、空海自身も薬師如来を好み、高野山金剛峰寺の本尊も薬師如来であることからも、従来の東寺の本尊、薬師如来坐像はそのままに、大日如来坐像を中心とする密教の世界は、金堂とは別の講堂に設置したのではないでしょうか。(これはあくまで私の個人的な想像ですが)
空海の真意は分かりませんが、薬師如来坐像、大日如来坐像どちらも、「平安な世を」と望んだ当時の人々の祈りや願いを受け止め導いてくださる存在として、崇敬され続けたことは間違いありませんね。
五重塔
東寺のみならず京都のランドマークとして有名な国宝 五重塔は、高さ54.8m、木造建築としては日本一の高さを誇ります。空海が建立に着手した時、費用も人手も不足しており、実際に創建されたのは、空海没後の9世紀末でした。落雷などで合計4回焼失しますが、その度に多くの人が奔走し再建され、現在の五重塔は寛永21年(1644)に再建された五代目です。
写真:東寺公式サイトより
五重塔の初層内部には、極彩色で彩られた密教空間が広がっています。五重塔の各層を貫いている心柱は、大日如来として、その周りを四尊の如来、八尊の菩薩が囲んでいます。さらに四方の柱には金剛界曼荼羅が描かれています。また、四面の側柱には八大龍王、壁には真言八祖像を描き、真言の教えが弘法大師空海に伝えられた歴史を表しています。
普段は非公開となっている五重塔内部ですが、特別公開される時期もあるので、興味のある方は最新情報をチェックしてから拝観してください。
ちょうど修学旅行生のグループが五重塔の足元でガイドさんの説明を受けていました。
こうやって比較すると、五重塔の高さが実感できますね。
講堂、金堂東側の有料エリアに広がる瓢箪池付近から見る五重塔は、周囲の木々の瑞々しい緑と五重塔のモノトーンがお互いを引き立てあって、一幅の絵のような美しさです。ハス池からの眺めも素晴らしかったですが、こちらの庭園からの眺めも歩みを進めるごとに違った景色が楽しめ、本当に見ごたえがあります。
教王護国寺
東寺には「教王護国寺」というもう一つの名称があります。東寺の公式サイトにはその名称が全く出てこないのですが、東寺も教王護国寺もどちらも正式名称なのだそうです。
「教王」とは王を教化するという意味で、教王護国寺という名称には、国家鎮護の密教寺院という意味合いが込められています。東寺の成り立ちを考えると、この名称はとてもしっくりと来ます。平安遷都を決めた桓武天皇による、都の南端の東を守護するべく建立された当初の東寺、そして、その次の嵯峨天皇から空海へ下賜され、更に都を護り発展させるようにと託された東寺、どちらも時の天皇から東寺へ国家鎮護を目指し託された、厚い信頼と崇敬の念がありました。そしてその信頼が、弘法大師信仰と相まって、一般の人々にまで広がり、平安の世から現在まで続き、この歴史ある寺院を存続させてきたとも言えるのでしょう。
東寺は国宝、重要文化財を多数所蔵しており、今回ご紹介したエリアでは写真撮影が許可されていない物が多く、公式サイトからの転載ばかりになってしまったことをご了承ください。写真が少ない分、文章で説明を…と頑張ってみましたが、かえってわかりにくかったかもしれません。
実は私も東寺を訪れるのは数十年ぶり(!)それも、前回は弘法市で境内をぶらっとしただけだったので、ゆっくりと諸堂を拝観するのは今回が初めてでした。
歴史の教科書にも必ず登場し、京都の観光地としてもあまりにも有名な東寺を、実はほとんど知らなかったなあ、と反省しかり。まだまだ紹介しきれていないこともたくさんありますが、今回はこの辺にしたいと思います。
京都駅から徒歩圏内で、周辺にも興味深いスポットがたくさんありますので、機会があれば是非足をお運びください。
東寺と同じく嵯峨天皇による弘法大師空海への信頼と崇敬から生まれた寺院大覚寺↓
京都駅近くの穴場の名勝 渉成園↓
東寺から徒歩10分ほどの自然豊かな梅小路公園↓