京都でも有数の観光スポット「嵯峨嵐山」。神社仏閣が多数立ち並びますが、この「嵯峨」という地名に最も関係が深い寺院が大覚寺だと私は思います。というのも、大覚寺の山号は「嵯峨山」。大覚寺はこの嵯峨の地をこよなく愛した嵯峨天皇の離宮であった嵯峨院を、寺に改めた皇室ゆかりの寺院なのです。そして、大覚寺の東に広がる大沢池は、日本でも最古の人工の庭池で、嵯峨天皇が離宮嵯峨院を造営の際に、中国の洞庭湖をモデルに設計されたもので、「庭湖」とも呼ばれ、平安時代初期の庭園を偲ばせる貴重な遺構です。
そんな歴史的背景がわからなくても、大沢池の景色を一目見れば、あたかも平安時代にタイムスリップしたかのような不思議な気分になります。今回は、満開の桜に縁どられ平安の雅を伝える大沢池をご紹介します。
大覚寺の場所
大覚寺の行き方
電車で
阪急嵐山線「嵐山駅」から徒歩約32分
バスで
京都バス 94で「大覚寺」下車すぐ
今回のスタートはJR嵯峨嵐山駅です。
改札を出て右へ向かいます。
北口へ向かいます。
階段を降り、西(左)へ向かいます。
階段を降りて左の方です。ゲートを出て北(右)へ向かいます。
ゲートを出て北を向いた所です。突き当りまで進みます。
突き当りを西(左)へ向かいます。
住宅街の道を西へ140mほど進みます。
右手にファミリーマートがあります。この角を北(右)へ曲がります。
ファミリーマートを北へ曲がりました。この道を120mほど進みます。突き当りは丸太町通です。
丸太町通に出ました。ローソンのある方へ信号を北へ渡ります。
ローソンの脇の道を北へ100mほど進みます。
道が二股に分かれています。「大覚寺」の案内板が出ているので東(右)へ曲がります。
この案内板です。案内板に従って右へ向かいます。
右へ曲がった所です。住宅街の道を40mほど進みます。
道なりに北(左)へ曲がります。
左へ曲がったところです。このまま200mほど住宅街の道を北へ進みます。
突き当り右手に案内板があります。
案内板に従って東(右)へ進みます。
右へ曲がったところです。このまま100mほど東へ進みます。
三叉路に出ます。北(左)へ渡ります。
信号の所に「大覚寺門前」の案内板があります。信号を北へ渡り、住宅街の道を450mほど北へ進みます。
突き当りが大覚寺です。青空に桜のピンク色が美しく映えています。
大覚寺とは
真言宗大覚寺派の大本山の寺院で山号は嵯峨山です。貞観18年(876年)嵯峨天皇の離宮を寺院に改め、歴代の天皇や皇族が住持された門跡寺院であり、嵯峨御所として知られます。平安時代、弘法大師のすすめで疫病退散を願った大覚寺の始祖である嵯峨天皇が般若心経を写経浄書し、弘法大師が嵯峨院持仏堂の五覚院で五大明王に祈願すると、たちまち疫病が収まったと伝えられています。このことから、嵯峨天皇などが書写された般若心経が大覚寺心経殿に祀られ、60年に一度しか開封されないそうです。そのため、大覚寺は般若心経の根本道場として、心経信仰が盛んに行われています。
また、嵯峨天皇を流祖と仰ぐ華道嵯峨御流の総司所(家元)でもあります。
さらに、時代劇の撮影所が多い太秦の近くということもあり、寺の境内は時代劇の映画やテレビなどの撮影にしばしば使用されています。
今回の目的地は大沢池の庭園なので、お堂エリアには行かず、東(右)へ向かいます。
大覚寺の前の道を東へ100m弱進みます。
大沢池へ入る門です。大沢池だけの拝観だと300円です。お堂エリアも拝観したい場合は500円になります。
庭園内に入ると、早速 こぼれるように満開の桜並木が出迎えてくれました。これを見るだけでも訪れた甲斐がありましたね。
大沢池とは
大沢池は、中国(唐)の洞庭湖を模して嵯峨天皇が築造したものと言われ、平安時代前期の名残をとどめる日本最古の人工の庭池とされています。当時の唐風文化の面影を今に残す園地は池の北方約100mにある「名古曾滝跡」とともに大正12年(1923)に国の名勝に指定されています。毎年、中秋の名月の頃に、大沢池に舟を浮かべて「観月の夕べ」が催されます。
外周は約1km、面積は約64,000㎡で甲子園球場がすっぽり入るほどの大きさです。そこに大小二つの島が浮かんでいます。大きい島は「天神島」で天神社が鎮座しています。小さい島には秋には嵯峨菊が咲いて「菊ヶ島」と呼ばれています。
さっそく中へ入って行きます。
桟橋です。ここから船をこぎ出すのでしょう。
広々していて「池」というより「湖」のようです。中国の「洞庭湖」を模して造られ「庭湖」と呼ばれるのも納得です。
五社明神(ごしゃみょうじん)
伊勢内宮、伊勢外宮、八幡社、春日社、住吉社の神を祀り、離宮嵯峨院の鎮守であり、弘法大師が勧請したと伝えられています。
閼伽堂(あかどう)
約1200年前、大覚寺の前身、「離宮嵯峨院」時代、嵯峨天皇の命で弘法大師が建立した
持仏堂「五覚院」の閼伽井として、弘法大師が自ら掘られた井戸だそうです。仏様にお供えする浄水を汲みます。
心経宝塔(しんぎょうほうとう)
昭和42年(1967)嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立された新しい塔です。大沢池のほとりに位置し、嵯峨野の四季の風景にとけあった朱塗りの端正な姿ですね。
護摩堂(ごまどう)
2間四方、方形造瓦葺の建物で、不動明王をお祀りします。
天神島
朱塗りの橋を渡って天神島へと向かいます。
天神社(てんじんしゃ)
菅原道真公を御祭神としてお祀りします。嵯峨天皇が建立された離宮嵯峨院は、清和天皇の勅許を得て貞観18年(876)大覚寺が開創されました。創建にあたり、清和天皇への上奏文を起草され、仏法の興隆と衆生済度のため、僧俗二人の別当を置くよう進言されたのが、菅原道真公です。また、道真公自身も、大覚寺の俗別当(俗人の身分まま寺院を統括する責任者)を務めたと伝えられています。
菊ヶ島・庭湖石(きくがしま・ていこせき)
平安時代の初め、嵯峨天皇が菊ヶ島に咲く菊を手折り、花瓶に挿されたのが、いけばな嵯峨御流の始まりであり、いけばな発祥の地とされています。菊ヶ島と天神島に庭湖石を加えた二島一石の景色を「景色いけ」として伝えています。
もみじロード
心経宝塔から名古曾の滝跡につながるモミジのトンネルは、四季折々で違った表情を見せるフォトスポットですが、今回はまだモミジの青葉も出ていなくてちょっと寂しい印象です。写真が小さくてわかりにくですが、この日は時代劇の撮影が行われるため、撮影スタッフの方々が忙しく準備されているところに出くわしました。
端役の俳優さんでしょうか。出番を待っておられました。
大覚寺周辺は「北嵯峨田園景観保全地域、歴史的風土特別保存地区」に指定されています。そのため、ずっと昔と変わらない風景が大切に保存されており、写真のような俳優さんの姿も違和感無く景色に溶け込んでいます。
名古曽の滝跡
離宮嵯峨院時代の滝殿庭園内に設けられたもので、「今昔物語」では百済川成が作庭したものと伝わっています。
滝の音は 絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ
藤原公任(ふじわらのきんとう)小倉百人一首55番の句で有名ですね。
さあ、ここから池の外周の桜です。
桜の向こうに見えているのは、五大堂です。現在の大覚寺の本堂にあたり、不動明王を中心とする五大明王を安置しています。
木に半分隠れていますが、写真左端に心経宝塔が見えています。
大沢池の南側は細い水路のようになっています。昔、大沢池は周辺の灌漑用水として重要な役割を果たしてきたそうです。
ぐるっと回ってまた元の場所に戻って来ました。
やはりここの桜が一番見事です。
「嵯峨」という地名は、現代では正に「日本」「和風」のイメージが定着していますが、実は唐の都長安の北方にある景勝の地「嵯峨山」に模してつけられた唐風の地名なのだそうです。とは言え、日本を象徴する桜の咲き誇るこの大沢池を歩いていると、この景色は昔とほとんど変わっていないのではないかと感じます。そしてこの景色は、まぎれもなく「日本」の心を映す日本庭園としての景色と言えるでしょう。
観光客で賑わう嵐山からは徒歩30分前後と少し距離がありますが、その分、いつ訪ねても静かで穏やかな空気が感じられる場所です。是非一度足を運び、平安時代から続く雅な風景をお楽しみください。
周辺の嵯峨嵐山のおすすめスポットは以下のブログでもご紹介しています。
天龍寺の西にある絶景スポット亀山公園↓
亀山公園の向かい側の断崖に建つ秘境寺院 大悲閣千光寺↓
小倉山のふもとの日本で唯一の髪の神社 御髪神社↓
奥嵯峨の竹林に佇む祇王寺↓
奥嵯峨の紅葉の名所 二尊院↓