渉成園は京都駅から徒歩10分ほど 東本願寺の東方約150mのところにある、ほぼ200m四方の広大な庭園です。四季折々の花が咲き誇り、国の名勝にも指定されている素晴らしい庭園ですが、京都人でも知る人ぞ知る穴場の名所です。
今回はちょうど桜が見ごろを迎えた渉成園を訪ねて、その魅力をご紹介します。
渉成園の場所
渉成園の行き方
JR京都駅より北へ徒歩10分
地下鉄 五条駅より徒歩7分
市バス「烏丸七条」バス停より徒歩1分
今回のスタートはJR京都駅です。
中央口の改札から出ます。
中央口から出るとこんな感じです。前方右手に見える京都タワーの方へ向かいます。
駅の外に出るとバスのロータリーがありますので、京都タワーを目指してロータリーの右手の通路を進みます。
京都タワーの下のビルに向かって信号を渡ります。
信号を渡ったら、スターバックスの横の道(烏丸通)を北へ進みます。
烏丸通を更に100m余り進むと烏丸七条の交差点です。まず烏丸通の信号を東(右)へ渡ります。
烏丸通の反対側(進行方向左)に、東本願寺の広大な敷地が見えています。そのまま烏丸通を北へ向かいます。
東本願寺の御影堂門が見えます。正面21m、側面13m、高さ27mで、木造建築の山門としては世界最大級であり、木造建築の二重門としては、日本一の高さと言われています。この御影堂門が見える辺りを右(東)へ曲がります。
右へ曲がったところです。この道を東へ向かいます。
東本願寺の門前町らしく、仏壇、仏具や念珠、法衣などのお店が立ち並んでいます。
この道を60mほど進みます。
間之町通の信号を東へ渡ります。
間之町通を100mほど北へ進みます。
渉成園の入口に到着です。
渉成園(枳殻邸)とは
渉成園は東本願寺の飛び地別邸で、周辺に植えられていた枳殻(からたち)の生垣にちなんで枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれます。
この地は、寛永18年(1641)に徳川家光から寄進を受けた本願寺第十三代宣如上人が、承応二年(1653)、石川丈山らとともに庭園を築き、別邸としたところです。
中国の詩人陶淵明(とうえんめい)の「園日渉而以成趣(園、日に渉って以て趣を成す)」という漢詩の一節から採って「渉成園」と名付けました。つまり「日々その趣きが増していく庭」という意味だそうです。
平安時代の初め、源氏物語の主人公 光源氏のモデルとされる左大臣源融が奥州塩釜の風景を模して作った河原院の跡の近くに作庭し、印月池(いんげつち)と呼ばれる広い池を中心に、池には島を浮かべて木橋で結び、周囲には樹木を茂らせ、源融をしのぶ名所も作られて、平安朝の面影を再現しています。
渉成園は創立以来、幾度かの火災に遭い、現在の建物は元治元年(1864)の蛤御門の変による炎上以降に再建されたものであり、その後、明治天皇の御小休所ともなったことから、大宮御所の御車寄(玄関)が移築されました。そこから内仏堂(持仏堂)である園林堂(おんりんどう)を中心に数寄屋風の書院や座敷が連なっています。
昭和11年(1936)、文人趣味にあふれる仏寺庭園として、国の名勝に指定されました。
徳川家と渉成園
渉成園が造られたきっかけは、徳川家の豊臣家に対するライバル意識があったようです。というのも、当初、秀吉が残した西本願寺には飛雲閣庭園や虎渓の庭などの立派な庭園がありましたが、東本願寺には無かったのです。そこで徳川家は秀吉の造った庭園に負けないような素晴らしい庭園を造ることにしました。そして源氏物語の光源氏のモデルになったと言われる源融ゆかりの地と言われている土地を徳川家光が東本願寺に寄進し、その土地に石川丈山とともに素晴らしい庭園を造り上げました。それが渉成園だったと言われています。
また、秀吉を祀る豊国神社、秀吉が建立した方広寺大仏および西本願寺は、正面通と呼ばれる東西の道路で直結され、西本願寺が秀吉恩顧の寺院として存在することを都市計画の上からも示していると言われています。
後に徳川家康が天下を掌握した際、豊臣家の保護を受けた西本願寺と豊臣家の聖地である豊国神社と方広寺大仏を結ぶライン、すなわち正面通を断ち切るという意図で、現在の地に東本願寺を建立させたという説があるそうです。三代将軍・家光による渉成園の土地の寄進は、正面通をさらに切断し、西本願寺と豊臣家との関係性を念入りに分断しようとした意図があったとも解釈できます。
東西分立自体は本願寺内部の事情から起きたことであり、この説の学問的な当否も現時点では不明ですが、西本願寺に対抗して東本願寺が境内地を定めるにあたり、徳川家の果たした役割は否定できず、渉成園の位置も関わりがあったのかもしれませんね。
このような歴史的背景を知ってから、渉成園、東本願寺、西本願寺などを訪ねてみると、また違った興味をそそられますね。
では早速、中へ入っていきましょう。
入園門を入ってすぐ右手に受付があります。こちらで庭園維持寄付金(入場料のようなもの?)500円以上を払うと、オールカラーの立派なパンフレットをいただけます。
門を入ってまっすぐ東へ進み、突き当りを北(左)に曲がります。
突き当りにあるのが、この高石垣です。石橋のような長い切石や礎石、石臼、山石や瓦など多種多様な素材を組み合わせて築かれています。
高石垣沿いに北へ進むと、東(右)へ曲がる小道がありますので奥へと進みます。
庭園北口です。門の奥に桜が見えて来ました。
庭園に入ると、もうそこは満開の桜でいっぱいでした。
渉成園十三景や名物・景物
江戸時代の歴史家「頼山陽」は、「渉成園記」の中で、園内の主な建物・景物を「渉成園十三景」と名付け、その風雅を讃えています。ここでは「十三景」をはじめ、園内随所にみられる建築や景物をいくつかご紹介します。
臨池亭(りんちてい)と滴翠軒(てきすいけん)
写真左手が臨池亭、正面が滴翠軒です。かつては滴翠軒も含めて2棟を併せて「臨池亭」と呼びました。滴翠軒が「渉成園十三景の一」となります。滴翠軒の名は、その池に落ちる小滝(滴翠)からつけられました。緩やかな屋根が深く軒を差し出し、縁側が池中に張り出しているのが特徴で、臨池亭も滴水軒とよく似た外観となっています。
園林堂(おんりんどう)
園林堂はご本尊を安置する持仏堂です。「園林」とは元来、中国宮廷に設けられた大規模な庭園の意ですが、仏典では「浄土」を表し、桂離宮にも同じ「園林堂」という持仏堂があります。室内には宗像志功の襖絵で飾られているそうです。
傍花閣(ぼうかかく)
傍花閣は渉成園十三景の二です。園林堂の東方、山門にあたる位置に建てられています。庭園内には珍しい楼門造りで、左右の側面に山廊と呼ばれる階段の入口があり、階上には四畳半の部屋を設けています。傍らには桜並木が広がり、春にはその名にふさわしい佇まいを見ることができます。
さきほどの写真と反対側から
今回のお散歩のハイライトです。傍花閣の周りは桜だけでなく、様々な花が植えられていて華やかです。
傍花閣の周りはどこを眺めても花々が咲き誇り、遣水に映し出される花の影の美しく、さながら「秘密の花園」のようです。
閬風亭(ろうふうてい)
庭園の南側の大広間で、軒を深く差し出し、規模の大きな建物ながら穏やかな姿です。
明治13年(1880)7月14日、明治天皇がご休息に使われた場所です。
「閬風」とは、中国・崑崙(こんろん)山脈の頂部にあるといわれる山の名前で、仙人が住むとされ、賓客をお迎えする大書院に相応しい名前がつけられています。
角度を変えて、もう少し東の方を向いて閬風亭を見ると、京都タワーが見えました!
京都タワーから徒歩10分弱ほどの距離に、こんな素晴らしい庭園があるんですね。
印月池(いんげつち)
印月池は渉成園十三景の三です。渉成園の東南にあり、いわゆる池泉回遊式庭園の中心となる広い園池です。東山から上る月影を水面に映して美しいことからこの名がつけられたそうです。広さは約1700坪あり、園全体の約6分の1を占めています。
侵雪橋(しんせつきょう)
侵雪橋は渉成園十三景の六です。印月池の西北岸から縮遠亭のある島へ渡る木造の橋です。
縮遠亭(しゅくえんてい)
渉成園十三景の七です。印月池に浮かぶ北大島に建てられた茶室です。その名の通り、かつては東山三十六峰の一つ、阿弥陀ヶ峰の遠景が縮図のごとく見晴らせたといいますが、江戸時代後期にはすでに樹木が繁茂して見えなくなっていたそうです。
回棹廊(かいとうろう)
渉成園十三景の十二です。北大島と丹楓渓とを結ぶ木橋です。安政の大火(1858)での焼失以前は朱塗りの欄干を持つ反橋だったそうですが、現在は檜皮葺の屋根を持つ橋となっています。
臥龍堂(がりゅうどう)(南大島)
印月池に浮かぶ南大島のことを臥龍堂とも称し、渉成園十三景の四です。元来はこの島に建てられていた小さな鐘楼堂のことを指しましたが、安政の大火による焼失以降、再建されず、現在は礎を残すのみだそうです。背景のビル群と色合いが馴染んで不思議な光景ですね。
漱枕居(そうちんきょ)
渉成園十三景の十一です。印月池の西南に位置し、水上に乗り出すように建てられています。「漱枕居」の名は、旅路にあることを意味する「漱流枕石」の語から取られているそうです。
源融ゆかりの塔
左大臣源融は嵯峨天皇の皇子でしたが、源氏の姓を賜って臣籍に下りました。「源氏物語」の主人公・光源氏のモデルの一人と言われています。
この塔は源融の供養塔と言われている九重の石塔で、制作年代は鎌倉時代中期と推定されています。渉成園が築造される以前からこの辺りに建っていたと伝えられています。
「渉成園は源融の邸宅・河原院跡である」という説は、渉成園の成立後まもない時期から伝えられいました。しかし、近年の研究によって河原院の位置は、渉成園のより東北であり、渉成園を河原院跡とする説は否定的な意見が強くなってきたそうです。
穴場の名勝「渉成園」
渉成園は京都駅から徒歩圏内で、四季折々の自然の美しさも堪能できる名勝ですが、地元の人にも観光客にもあまり知られていないことから、いつ訪れてもそれほど混んでいません。
私は、他府県から知人が訪ねた折に(特に連休中、春秋の観光シーズンなど混雑する時に)人込みを避けて京都らしい場所を案内したい時には必ず渉成園を紹介しています。京都の名所は行き尽くしたなあ…という方も一度は訪れてみてください。きっと新しい京都の魅力を感じられると思います。
なお、拝観時間中、庭園内は自由に拝観できますが、茶室、書院など建物内は通常非公開なのが残念なところです。ただし、秋の夜間特別公開の際には茶室や建物内でお茶や食事をいただけるプランもあるようですので、詳細は公式サイト
https://www.higashihonganji.or.jp/about/guide/shoseien/
などをご確認ください。