京都の有名な観光地で修学旅行でもおなじみの三十三間堂から徒歩5分、七条通の東の端にあるのが智積院(ちしゃくいん)です。広大な境内は美しく整えられ、名勝庭園や国宝の障壁画など見どころ満載です。11月に入り京都も紅葉シーズンを迎え、混雑が予想されますが、ここ智積院は驚くほど静かな穴場スポットですので、是非ご紹介したいと思い訪ねてみました。
智積院の場所
智積院の行き方
電車で
・JR/京阪「東福寺駅」から徒歩約15分
バスで
・京都駅から市バス206・208・86・88系統で約10分「東山七条」から徒歩3分
(京都駅から「東山七条」へは100・106・110系統もありますが、現在運行が休止されています。詳しくは京都市交通局の公式サイトでご確認ください)
今回のスタートは京阪「七条駅」です。
改札を出たら右手へ向かいます。
右手へ向いたところです。案内板に従って二番出口への階段へ向かいます。
この階段を上ります。
階段を上がり切ると、七条通に出ます。マクドナルドの角を東(右)へ曲がります。
マクドナルドの角を東へ曲がると右手が七条通です。七条通沿いを東へ進みます。
七条通のゆるやかな坂道を300mほど進むと大和大路七条の交差点に出ます。七条通を挟んで右手が三十三間堂、左手が京都国立博物館です。このまま七条通の坂を更に250mほど東へ進みます。
七条通の東の突き当り、東大路通と交差する地点まで来ました。道の向こうに見えているのが智積院の総門ですが、普段こちらからは入れません。
信号を渡り、東大路通沿いを南(右)へ進みます。
東大路通を80mほど進むと、こちらが智積院の入口になっています。
智積院とは
智積院は真言宗智山派の総本山で、全国に約3000の末寺があります。
真言宗は弘法大師空海によって開宗され、空海が高野山に真言密教を広める道場を開きます。空海の死後約300年が経ち、平安末期になり真言宗は衰退しますが、鳥羽上皇の信任を得た興教大師覚鑁上人(こうぎょうだいしかくばんしょうにん)が高野山に学問所を開き真言教学を再興しました。しかし教義上の対立から覚鑁は高野山を去り、紀州(和歌山県)根来寺(ねごろじ)に移ります。根来寺は最盛期の戦国時代には2700余りの坊舎、約6000人の学僧を擁し多数の塔頭寺院が建立されました。その中でも智積院は真言教学を学ぶ学僧の学問所として隆盛。その学僧を補佐し護衛を勤める者たちは最新兵器の鉄砲を駆使する「根来衆」と呼ばれ、根来寺隆盛の原動力となっていました。
この根来衆が、小牧長久手の戦いのとき、徳川家康に加担したため、豊臣秀吉と対立し、天正13年(1585)、根来寺は豊臣秀吉に全山を焼き払われます。そして智積院の最高指導者 玄宥(げんゆう)僧正は、根来の再興を願いつつ多くの学僧と共に高野山、京都と難を逃れていました。
その後、元和元年(1615)徳川家康は、秀吉が愛児鶴松の菩提を弔うために建立した祥雲禅寺を智積院の住職に寄進したことから智積院が再興し、現在に至っています。祥雲禅寺は天和2年(1682)の火災で焼失しましたが、その客殿を飾っていた長谷川等伯筆の障壁画は持ち出され、現在は智積院に保管されています。また、名勝庭園も祥雲禅寺から引き継がれ修復されたものです。秀吉に排斥された智積院ですが、その秀吉ゆかりの祥雲禅寺の地へ移り、また秀吉の命により描かれた国宝の障壁画を現在まで引き継いでいるというのも、歴史の不思議な因縁を感じますね。
広大な境内です。
さっそく中へ入っていきましょう。
木造の冠木門は弘法大師千百五十年御遠忌を記念し、昭和59年(1984)に智積院檀徒より寄進されたそうです。
周囲の木々が色づき始めていますね。
美しく整えられた境内を進みます。
智積院は、金堂や明王殿など無料で参拝することが出来ますが、国宝の障壁画が納められている収蔵庫と名勝庭園は拝観料が必要です。受付で拝観料を納めます。
拝観受付のすぐ西隣にあるのが収蔵庫です。
この中に国宝の長谷川等伯筆障壁画がありますが撮影不可でした。
国宝 長谷川等伯の障壁画
収蔵庫には長谷川等伯一門による「桜図」「楓図」をはじめとする桃山時代の数々の障壁画が大切に収められています。
国宝「桜図」(写真:智積院公式サイトより)
長谷川等伯の子・久蔵25歳の時の作と言われています。金箔をふんだんに使った絢爛豪華な背景に、力強い桜の大木を描き、絵具を盛り上げる手法を用い、桜の花びら一枚一枚を大胆に表現しています。残念なことに、久蔵はこの作品を仕上げた翌年に亡くなりました。
国宝 「楓図」
「桜図」完成の翌年に亡くなった、息子久蔵の突然の死を悲しみ、創作意欲を失いかけた長谷川等伯でしたが、息子の分まで精進しようと自らを鼓舞し、この絵を描き上げたと言われます。桜図と同様、豪華な金箔の背景に、楓の古木が枝をいっぱいに広げ、その下には様々な草花が見事に配されています。
この他に「松に秋草図」(国宝)などの国宝や重要文化財の障壁画が収蔵され、華やかな桃山文化の雰囲気が見て取れます。400年以上前のものなので、金箔もところどころ剥げ、木々の色も色あせてはいますが、それでもこれだけ大きな障壁画が幾多の火災などの困難をくぐりぬけ、多くの関係者の苦労によって大切に受け継がれ、目の前で鑑賞することが出来る幸せを感じました。
名勝庭園
収蔵庫の西の奥にあるのが、講堂、大書院と名勝庭園です。
講堂は、灌頂道場や各種研修の道場として使用されています。現在の建物は、平成4年(1992)の興教大師覚鑁上人850年御遠忌記念事業として計画し、平成7年(1995)に完成したものです。
講堂の広縁の前には高浜虚子の句碑が。「ひらひらと つくもをぬひて 落花かな」
この句は昭和5年4月に虚子が参拝した時に作られました。「つくも」とは高さが1~2mの池沼に生える多年草の太藺(ふとい)で、かつて智積院の池にたくさん生えていたことがわかります。
フトイ(写真:Wikipediaより)
高浜虚子の句碑を通り過ぎ、講堂の角を曲がると、庭園が見えてきました。
「利休好みの庭」と伝えられるこの庭園は、豊臣秀吉が建立した祥雲禅寺時代に原形が造られており、智積院第七世運敞(うんしょう)僧正が修復、東山第一の庭と言われています。中国の廬山をかたどって土地の高低を利用して築山を造り、その前面に池を掘るとともに、山の中腹や山裾に石組みを配して変化をつけており、築山・泉水庭の先駆となった貴重な遺産と言われています。講堂に隣接する大書院(おおじょいん)はこの庭園に面して建ち、この大書院より眺めることが出来る庭園は、四季折々の美しさです。私が訪れた11月初旬は色づき始めた紅葉と刈り込まれた植木の緑が池の水面に映え、すっと見ていても見飽きない美しさでした。ツツジやサツキが咲く頃は一段と華やぎを増します。
この名勝庭園に面して建てられた大書院の縁側の端に、「SOUND TRIP」という体験スペースがありました。これは、アーティストがお寺や神社で実際に音を収録し、土地に根付く音を使った、ここでしか体験できない「物語のある音楽」をつくるプロジェクトです。私も体験してみました。利用料金(300円)をボックスに入れ、丸いクッションに座り、ヘッドフォンをつけて再生ボタンを押すと6分30秒間、智積院の内外で収録された様々な音が聞こえてきます。それは智積院の修行僧の朝のお勤めの読経の声や鳥たちのさえずり、水や風の音など境内の中の音だけでなく、智積院が面している東大路通の交通の音なども含まれています。目の前に広がる清々しい緑の庭園を見ながらこの音楽を聞き、音楽が終わってヘッドフォンを外すと、また鳥のさえずりが聞こえてきました。「SOUND TRIP」を体験する前と後とでは、そんなさりげない音が、ずっとくっきりと心に響いてくるように感じられました。
大書院には、先ほど収蔵庫で見た障壁画のレプリカが展示されています。レプリカなので、どうも安っぽい感じは否めませんが、金箔を背景にした色鮮やかな絵に、当時の人たちが障壁画に囲まれた時の驚きや感動は想像できました。
金堂など
さて、見ごたえ充分の庭園を鑑賞した後、一旦講堂の外に出て、境内の奥にある金堂へと向かいます。金堂は、総本山智積院の中心的な建物で、弘法大師ご生誕千二百年の記念事業として昭和50年に建設されました。堂内には本尊大日如来の尊像が安置され、朝の勤行、総本山としての多くの法要がここで行われます。
金堂を側面から見た写真です。スケールの大きさが伝わるでしょうか。
楓に囲まれた鐘楼堂
明王殿~鐘楼堂周辺の池泉回遊式庭園
境内にはこのほかにも不動明王を本尊とする明王殿や鐘楼堂、弘法大師空海の尊像を安置する大師堂など大小様々な堂宇や、あじさい園や明王殿沿いの池泉回遊式庭園など、無料で拝観できるスポットも多数あり、四季折々に彩る草花も迎えてくれます。
京都人でも、地元の人以外にはあまり知られていない智積院は、本当に穴場のおすすめスポットでした。近くには三十三間堂や京都国立博物館、豊国神社などもあり、文化財の宝庫でもあります。京都駅からのアクセスも良く、市バスを使ったり徒歩でも清水寺や祇園などの有名な観光エリアにもすぐ行くことが出来ます。機会があれば是非足をお運びください。