嵯峨嵐山周辺は毎年テレビなどで特集が組まれるほどの紅葉の名所です。天龍寺や渡月橋とその下を流れる保津川~大堰川の紅葉が美しいのはもちろんですが、今回はそこから徒歩15分ほどの知る人ぞ知る紅葉の名所「宝筐院」を起点に、周辺のスポットをいくつかご紹介します。
宝筐院の場所
宝筐院の行き方
電車で
京福電気鉄道「嵐山駅」から北へ徒歩約15分
阪急「嵐山駅」から北へ徒歩約25分
バスで
京都市バス28系統 京都駅から約1時間「嵯峨釈迦堂前」下車 徒歩約3分
今回のスタートは京福電鉄「嵐山駅」です。11月下旬の紅葉シーズンに入りましたので、混みあう前にと朝9時より少し前にこちらをスタートします。さすがに観光客もまばらです。改札を出て駅前の長辻通を北(渡月橋と反対方向)へ向かいます。
長辻通を北へ向いたところです。このまま北へ進みます。
嵐山駅の向かい側(長辻通左手)には天龍寺があります。紅葉の時期は朝7時半から早朝参拝が出来、こちらも紅葉が見ごろですが、今回はパスして更に400mほど北へ向かいます。
長辻通を400mほど北へ進むとJR嵯峨野線の踏切に出ます。このまま北へ進みます。
更に進むと丸太町通に出ますので、信号を渡り更に北へ進みます。右前方に見えているのが嵯峨小学校です。嵯峨小学校の西側の道を更に北へ進みます。
丸太町通を渡り、嵯峨小学校の西側の道を300mほど北へ進みます。
300mほど進むと突き当りに清凉寺嵯峨釈迦堂があります。こちらも全国的にはあまり知られていませんが、見どころ満載の寺院です。
清凉寺については以下のブログで詳しくご紹介しています。JR嵯峨嵐山駅からの行き方も詳しく説明していますので、JR嵯峨嵐山駅から宝筐院へ行かれる方は、こちらをご参照ください↓www.yomurashamrock.me
清凉寺の前の道を西(左)へ曲がります。
西へ向いたところです。150mほど西へ進みます。
突き当りが宝筐院です。
宝筐院とは
平安時代に白河天皇(1053~1129)により建てられ善入寺と名付けられました。
南北朝時代に夢窓疎石の高弟 黙庵周論が入寺し、室町幕府二代将軍足利義詮の保護を得て伽藍が整備され、これ以降は臨済宗の寺院となりました。
義詮が没すると、善入寺はその菩提寺となり、義詮の院号に因み「宝筐院」と改められましたが、応仁の乱以降は経済的に困窮し衰退。明治の初めに廃寺となりましたが、その後50数年を経て、大正時代に復興されました。
宝筐院は、南北朝時代の南朝を代表する武将、楠正行(くすのきまさつら 楠木正成の長男)の菩提寺でもあります。(楠正行は父親が「大楠公」と呼ばれたのに対し「小楠公」と呼ばれていました。)
正行が北朝との戦いで討ち死にし、生前交流のあった黙庵によりその首級(しゅきゅう・討ち取った敵の首)は善入寺に手厚く葬られました。黙庵を崇敬していた義詮は、自らも正行の傍らに葬るよう遺言したと言われています。そして、生前は敵同士であった足利義詮と楠正行が宝筐院に仲良く並んで葬られています。
書院から本堂周辺は白砂・青苔と多くの楓や四季折々の花のある回遊式の庭園が広がり、特に秋には見事な紅葉が楽しめます。
錦秋に染まる境内
ではさっそく入って行きましょう。
境内に入ってすぐ迎えてくれるのが、この色鮮やかな紅葉のトンネルです。赤や黄色に色づいた木々と苔の緑が映えて、まさに「錦秋」の名にふさわしい美しさです。
本堂前に小さな石庭のようになっているスペースがあり、白砂や石のモノトーンと紅葉の織りなすハーモニーが素晴らしかったです。
大正5年(1916)に宝筐院再興のための工事が完了し、その後茶室が移築、本堂が新築されたということで、かなり古いこぢんまりした本堂です。ご本尊は古仏の木造十一面千手観音菩薩立像です。
本堂の中から眺める庭園
本堂の西側は枯山水の石庭と紅葉の赤や黄色、そして青紅葉や苔の緑と色とりどりです。
本堂の東側
本堂脇の小道から庭園西側を覗くと、石畳と小菊の鉢植えが紅葉を引き立てています。
本堂側から先ほどの小さい石庭を撮影。境内はどこから見ても絵になります。
生前は南朝と北朝で対立した二人のお墓が今は寄り添うように仲良く並んでいます。
散紅葉の絨毯も前日の雨でより色が冴えています。
宝筐院は清凉寺のすぐ近くにありますが、山門が小さいため、うっかりすると見過ごしてしまいそうなさりげなさです。紅葉の名所なのは知っていましたが、紅葉シーズンに訪ねたのは初めてでした。こじんまりとした境内は、どちらを向いても黄金色や赤の紅葉の錦に包まれるような圧巻の美しさでした。周辺には清凉寺だけでなく、このあと訪れる紅葉の名所がまだまだたくさんありますので、嵯峨嵐山へお越しの際は、是非宝筐院もコースに加えてみてください。
次回は常寂光寺をご紹介します。
嵯峨嵐山周辺の見どころを以下でもご紹介しています。