堀川紫明を少し南へ下がったあたりにある寺社仏閣には、知る人ぞ知る隠れた桜の名所がいくつかあります。このあたりは電車の駅から少し距離があり観光地化されていないので、桜のピークの時期でもそれほど人も多くなく、それぞれ徒歩10分ほどで移動できる距離にあるので、お散歩にぴったりのコースです。
今回は、日蓮宗の寺院として京都で初めて創建された妙顕寺をご紹介します。
(2023年3月27日訪問)
妙顕寺の場所
妙顕寺の行き方
電車で
バスで
・京都市バス 9,12,67系統「堀川寺之内」より徒歩約5分
今回のスタートは本法寺の仁王門です。
本法寺への行き方は以下でご紹介しています。
仁王門の前の道を北へ30mほど進みます。
一筋目を東(右)へ曲がり、住宅街の細い路地を120mほど進みます。
突き当りを南(右)へ曲がり、40mほど進みます。
ほどなく桜に囲まれた美しい境内が見えてきます。
妙顕寺とは
妙顕寺は日蓮宗の大本山の寺院で山号は具足山です。日蓮の孫弟子にあたる日像が、鎌倉時代後期、元亨元年(1321)に創建した、京都における日蓮宗最初の寺院です。
応仁の乱や宗派間の紛争(天文法難)によりたびたびの移転をしてきましたが、戦国時代には東西は西洞院から油小路、南北は御池から二条にわたる大規模な敷地をもち、本能寺の変後は豊臣秀吉が京都の宿所としていました。
その後天正11年(1584)に秀吉に土地を与えられ現在地へと移転しました。秀吉は妙顕寺跡地に二条新邸(妙顕寺城)へと改造し、その城を二条城と呼び、聚楽第築城まで京都の拠点としていました。
天明8年(1788)の「天明の大火」により焼失しましたが、その後本堂は49年以上かけて焼失以前の姿に復元されました。
本堂の北側に庭園の受付があります。
桜の向こうに見えているのが方丈です。お客様を迎え入れる伽藍の一つで、僧侶の居住する場所です。拝観や御朱印の受付や物品販売もこちらで行っています。
早速入ってきます。
四海唱導の庭
写真正面に見える勅使門に面し、朝廷や皇室などの貴人を迎えるための庭です。「四海唱導」とは、世界中のあらゆる人々を法華経の教えに導き、その功徳によって人々を救うという意味がこめられています。滝から流れ落ちた水が白砂で表した大海へと広がっている様子を表しています。勅使門の後ろの大きな屋根が本堂です。
妙顕寺にはこの他に「孟宗竹の坪庭」「光琳曲水の庭」「抱一曲水の庭」がありますが、現在、改修工事中で拝観することが出来ませんでした。それぞれに見ごたえがありそうな立派なお庭のようですので、また日を改めてじっくり拝観したいと思います。
(工事期間は令和7年3月末までとのことです。詳しくは妙顕寺の公式サイト
https://www.shikaishodo-myokenji.org/
をご確認ください)
桜でいっぱいの境内
妙顕寺の境内は桜が多数植えられており、ちょうど見ごろを迎えていました。
勅使門
先ほどの四海唱導の庭の正面に見えていた勅使門を外側から撮影。
鐘楼堂
鐘楼堂です。梵鐘は正徳3年(1713)に鋳造されました。鐘楼堂は天明の大火(1788)で焼失後、再建されたものです。昭和40年(1965)、大門の東側から、五重塔があった現在の場所に移築されました。毎夕5時と除夜の鐘の際に鐘撞が行われます。
三菩薩堂
日蓮宗で三菩薩と呼ばれる日蓮大菩薩、日朗菩薩、日像菩薩と大覚を祀ります。天明の大火後に再建された際には、仮本堂とされていました。
寿福院塔
前田利家の側室である寿福院日栄が自らの来世の冥福を祈り建てた石塔です。寿福院は日蓮宗の大寄進者であり、建立した石塔が各地に残っています。
総門
妙顕寺正面にある大門です。いつでも参拝できるように閉門することなく常に開門しているそうです。
妙顕寺では、春と秋の特別公開時にライトアップも開催され、その際本堂・仏殿・客殿・書院などが開放されるそうです。今回は満開の桜を目的に訪問しましたが、機会があれば、秋の特別公開も訪問してみたいです。
3回にわたり、堀川周辺のかくれた桜の名所をご紹介してきました。電車の駅からは少し距離があり行きにくいのですが、お散歩にはちょうど良い距離感です。春の桜だけでなく、秋の紅葉の時期も見ごたえがありそうです。京都は春よりも秋の紅葉の時期のほうが混雑しますので、人込みを避けてじっくりと紅葉を楽しみたい方は、是非一度足をお運びください。
周辺の桜の名所を以下でご紹介しています。