京都おすすめ散歩道

定番から穴場まで京都のお散歩コースを地元民の視点からご紹介

喫茶 悠美 ~三条会商店街の隠れ家カフェ

JR二条駅から南東へ徒歩10分ほどのところに、西日本最大級の全長800mのアーケードのある三条会商店街があります。昔ながらの商店や町家を改装したおしゃれなカフェなどが仲良く並んだ楽しい商店街で、二条城や神泉苑が近いので私もよく立ち寄ります。

そんな三条会商店街から少し路地を入ったところにある素敵なカフェを見つけましたのでご紹介します。

 

 

喫茶 悠美の場所

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喫茶 優美の行き方

電車で

・JR嵯峨野線京都市地下鉄「二条駅」から徒歩約12分

阪急電鉄嵐山線四条大宮駅」から徒歩約10分

 

バスで

・6,46,52,55,201,206系統などで「千本三条・朱雀立命館前」下車

 徒歩約8分

・9,12,50,67系統で「堀川三条」下車し徒歩約5分

 

JR二条駅から悠美への行き方

今回のスタートはJR嵯峨野線二条駅」です。改札の東側に出て、南側(右手)へ向かいます。

 

京都市急病診療所や京都銀行がある方へ向かいます。

 

千本通の信号を東へ渡ります。

 

千本通沿いを南(右手)へ向かいます。

 

千本通を250mほど進むと、左手に三条会商店街のアーケードの入口に到着です。

堀川三条から千本三条までの全長800m、京都で一番長いアーケード商店街です。商店街内には創業100年の歴史を持つ店舗を含め180店舗以上の商店が立ち並びます。

加盟店で100円購入ごとにもらえるリボンスタンプによるリボンスタンプ事業や季節ごとのイベントなどで地域の方々に親しまれている商店街です。

 

さっそく商店街に入って行きましょう。

商店街を東へ450mほど進むと西友があります。更に東へ進みます。

 

西友から更に60mほど進むと左手に生花店とタコ焼き屋さんがあり、その間の路地を北へ進みます。

 

この路地を北へ進みます。

 

暖簾のかかった町家が喫茶悠美です。お正月らしく華やかな黄色地にサザンカの花の絵が素敵な暖簾ですね。

 

喫茶 悠美とは

町家を改装した静かで居心地の良いカフェです。体にやさしいおかゆと手作りのお惣菜の週替わりランチ、通常三種類のシフォンケーキが提供されます。

入口入ってすぐの所にテーブル席が4人用と2人用の2席、奥の座敷にはこたつが2つあります。店主さんおひとりで切り盛りされているようで、ランチは日替わり一種のみですが、そんなに待つことなく提供されました。

 

体にやさしいおかゆランチ

気になるお料理のお味はというと、どれも素材の味を生かして丁寧に調理された美味しい品々でした。

写真左上から時計回りに、おから入りポテトサラダ、見えにくいですがニラチヂミ、メインの油揚げの袋煮、味変のお出し餡、おかゆ、きのこの梅和え、この日は七草がゆの日だったので七草小鉢。

特に私が気に入ったのは、(多分)昆布出汁の効いた味変の餡です。おかゆには軽く塩味がついていて、これだけでも美味しくいただけますが、これに餡をかけると、また違った味わいになり、本当においしくてお替わりしたいほどでした(お腹いっぱいでしたが)

おから入りポテトサラダはおから煮とポテトサラダの中間みたいな感じで新鮮な味わい。ニラチヂミはカリッと焼いたチヂミに甘酸っぱいたれが絶妙です。メインの袋煮は2種あって、一つは卵と青菜入り、鉄板の組み合わせですね。もう一つは根菜の煮物入りで、お節のお煮しめの具を小さく切って入れたら家でも真似出来るアイディアだな~と思いました。どちらも油揚げは甘すぎない優しいお出しが効いてほっこりする味でした。

さらにきのこの梅和えは、ショウガの風味がキリっとして、ランチ全体の味を引き締めていました。これもとても美味しかったので家で真似してみようと思いました。

全て色味は薄いですがしっかり出汁が効いて、しみじみした美味しさに満ち溢れていました。

 

写真を撮り忘れましたが、これに豆乳プリンとシフォンケーキもつきます。

プリンはプルンとなめらかな食感。シフォンケーキはこの日は「はちみつ柚子のシフォン」「黒豆と栗の米粉シフォン」「オレンジピールとチョコチップのシフォン」の3種。どれも魅力的でしたが、私は「はちみつ柚子」をチョイス。しっとりふわふわのシフォンケーキに柚子ピールが効いていました。甘さ控えめのホイップクリームがケーキの優しい甘さを引き立てます。

 

見た目は地味ですが、かなりのボリュームで、更に1月からランチ価格が1000円から1100円に値上げしたお詫びにと小さなお菓子もつけていただき、本当にお腹いっぱいになりました。

 

 

店内には、さりげなくグリーンやドライフラワー、手作り小物などが飾られ、店主さんの趣味の良さが感じられます。

 

私が伺った日は、奥の座敷に一組、手前の二人用テーブルに中国人と思われる二人連れがおられ、先に店を出られた中国人二人連れは「美味しかったです」と日本語でお礼を言って帰られました。店主さんはおひとりで切り盛りされているので、お忙しいとは思うのですが、料理やお茶は素早く提供され、と言って構いすぎることもなく、一人でもとても居心地が良かったです。

お座敷もあるので、小さなお子さん連れでも過ごしやすそうです。座敷の奥には坪庭もあったようですが、見逃してしまい残念。

週替わりランチやシフォンケーキは季節によってメニューが変わるようですし、また他の季節にも訪問し、今度はお座敷で過ごしてみたいと思いました。

 

神泉苑は徒歩5分ほどです。

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八坂神社と建仁寺 ~辰年の龍にちなんだ寺社へ初詣

能登半島地震の甚大な被害に心が痛みます。お亡くなりになられた方々のご冥福と被災地の早期復興をお祈り申し上げるとともに、震災に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。

 

新年あけましておめでとうございます。

今年は辰年太陽が昇る方角でもある東は「誕生」「始まり」などを意味し、辰年は大きな変化が起きることが多いとも言われています。初詣として東山にある龍に縁の深い八坂神社と建仁寺訪ね、良い一年を祈念したいと思います。

 

 

 

八坂神社の場所

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八坂神社の行き方

電車で

 京阪電車祇園四条」駅より徒歩約5分

 阪急電鉄「京都河原町」駅より徒歩約8分

 

バスで

 JR京都駅より市バス100・206番

  「祇園」下車すぐ

 

 

建仁寺の場所

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建仁寺の行き方

電車で

 ・京阪電鉄祇園四条駅」より徒歩7分

 ・阪急電鉄「京都河原町駅」より徒歩10分

 

バスで

 ・JR京都駅より 市バス206系統、100系統

   「東山安井」より徒歩5分

   「南座前」より徒歩7分

   「祇園」より徒歩10分

   「清水道」より徒歩10分

 

八坂神社への詳しい行き方は以下で詳しくご紹介しています。

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八坂神社の西楼門

本日のスタートは八坂神社の西楼門です。

四条通の東の突き当りにあるのがこの西楼門です。この日は1月2日、元旦ほどではありませんが、多くの参拝者で賑わっていました。参拝者は四条通から来られる人が多いので、この西楼門が一番有名ですが、実はこちらは正門ではなく、正門は南楼門だそうです。

 

参道には多くの屋台が並び、コロナ前の賑わいを取り戻していましたので、写真を撮影するのは遠慮しておきました。先にご紹介した八坂神社のブログは2021年12月に参拝した時の様子ですが、ほとんど人が写り込んでいません。今、読み返すと、こんなに人が少ない八坂神社というのは実はものすごく貴重だったんだと気づきました。

2021年12月当時の八坂神社境内

八坂神社とは

京都のメインストリートの一つ四条通の東のスタート地点に位置し、京都東山随一の観光地でもある八坂神社は、一年を通して多くの参拝者で賑わっています。

京都人は八坂神社のことを親しみをこめて「祇園さん」や「八坂さん」と呼びます。それは八坂神社が元は「祇園神」「祇園社」「祇園感神院」などと呼ばれていたからです。花街として知られる祇園の名も、その門前街として栄えたことに由来します。

そして日本三大祭の一つ「祇園祭」も、疫病が鎮まるようにと平安時代に始まった八坂神社の祭礼としてあまりにも有名です。

八坂神社の創祀には諸説ありますが、社伝によると、一つは斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山(ごずさん)に座した素戔嗚尊(すさのをのみこと)をこの地の祀ったのが始まりとされます。

また一説には貞観18年(876)、南都(奈良)の僧 円如(えんにょ)がこの地にお堂を建立し、同じ年に天神(祇園神)が東山の麓 祇園林に降り立ったことに始まるとも言われています。

その後元慶元年(877)、疫病流行に際して「東山の小祠」(祇園社)に祈りが捧げられ流行が止んだことが八坂神社の発展の景気とされています。

長徳元年(995)には王城鎮護の社として崇敬された二十一社(のちに二十二社)に数えられました。

 

本殿

本殿前も多くの参拝者がお参りの順番待ちに並んでいたので、遠くから撮影。

本殿は令和2年(2020)12月に国宝に指定されました。

現在の本殿は承和3年(1654)に徳川四代将軍の家綱が再建したものです。一般の神社では別棟とする本殿と拝殿を一つの入母屋屋根で覆った独特の建築様式を取り「祇園造」と言われています。

祀られているのは素戔嗚尊とその妻 櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、その間に生まれた子どもである八柱御子神(やはしらのみこがみ)の三柱のご祭神です。

 

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2021年12月撮影

 

 

八坂神社と龍

京都は、方角を司る「四神」が守護する土地として造営されたため、四神相応といわれます。方角すなわち、東西南北とその要所に鎮座するお社のうち、八坂神社は東を守る青龍をシンボルとしています。

一方、八坂神社にはたくさんの不思議な伝説が伝わっていて、本殿にもその一つがあります。それは、本殿の下に大きな池があり、水脈が平安京の西に位置する神泉苑や南の東寺まで続いているというのです。(本殿の下の池は現在、漆喰で固められていて見ることは出来ないそうです)

 またその池は大地のエネルギーが集まる場所として、青龍が棲む「龍穴」になっていて、古くから都を守ってきたと言われています。大地のパワーの面からも、八坂神社は古来より京都を守る存在だったのですね。

 

 

八坂神社から建仁寺

さて、八坂神社を参拝した後は、再び西楼門を通って四条通を西へ向かい、祇園のメインストリート花見小路を南へ進み、建仁寺へと向かいます。

建仁寺への行き方は以下で詳しくご紹介しています。

 

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八坂神社の西楼門の正面から京都市内を東西に横切っているのが四条通です。四条通を西へ200mほど進むと花見小路に出ます。

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2021年12月の写真

 

古都京都らしい紅殻格子(べんがらごうし)や犬矢来(いぬやらい)をあしらった趣深い建物が立ち並ぶ、祇園のメインストリート 花見小路。この花見小路の南のスタート地点が建仁寺です。というのも、もともとこの通りは建仁寺の敷地だったそうです。

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2021年12月の写真 人通りがかなり少ないですね

 

花見小路を南へ300mほど進むと突き当りが建仁寺の北門です。

北門から一歩建仁寺に入ると、禅寺らしい凛とした静謐な空気がたちこめます。

 

建仁寺とは

建仁寺建仁2年(1202)、将軍源頼家が寺域を寄進し、日本で初めて臨済宗を伝えた栄西を開山として建立されました。その時の元号を寺号とし山号を東山(とうざん)と称し、京都最古の禅寺と言われています。創建時は比叡山延暦寺の力が強大であったため、天台・密教・禅の三宗兼学の道場でしたが、第十一世蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)の時から純粋な臨済禅宗の道場となりました。

室町幕府より中国の制度にならい京都五山が制定され、その第三位として厚い保護を受け大いに栄えますが、戦乱と幕府の衰退により荒廃します。

その後天正年間(1573~1592)に安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が方丈や仏殿を移築し復興が始まり、徳川幕府の保護のもと制度や学問が整備されます。

建仁寺の学問面(がくもんんづら)」という言葉がありますが、これは詩文芸術に秀でた禅僧を多数輩出し、「五山文学」を作りだしたことから、京都の人からこのように言われているそうです。

明治に入り政府の宗教政策等により臨済宗建仁寺派として分派独立、建仁寺はその大本山となります。

 

方丈

建仁寺で有名な双竜図は法堂にありますが、法堂などを拝観するためには、まず本坊で受付を済ませ、方丈を通ってから法堂へと向かいます。

 

方丈の襖には、桃山画壇を代表する巨匠 海北友松により描かれた「建仁寺方丈障壁画 雲龍図」があります。もともとは襖の障壁画でしたが、襖から掛け軸に形を変えて、京都国立博物館で保管されています。現在の方丈にある襖絵は2014年に複製されたものです。筆の軽快さとダイナミックな構図で、今にも龍が襖から飛び出して来そうなほど生き生きと描かれています。

 

方丈庭園「〇△▢乃庭」

〇△▢乃庭(まるさんかくしかくのにわ)は、単純な三つの図形で宇宙の根源的形態を示し、禅宗の四大思想(地水火風)を象徴したもので、地(▢)は奥の井戸、水(〇)は庭の中心の苔、火(△)は白砂で表しているそうです。平成18年(2006)に作庭家 北山安夫が作庭しました。

 

方丈庭園「大雄苑」

方丈の南側に広がる枯山水の庭園「大雄苑(だいおうえん)」です。

白砂に巨石や苔島などを配した庭園は、余分なものを省いた洗練した美しさです。

 

建仁寺と龍

双竜図のある法堂へは、方丈庭園「大雄苑」の脇の廊下からスリッパに履き替えて向かいます。

スリッパの数より拝観者が多いと、法堂を拝観し終わった人がスリッパを戻すまで廊下で待つことになります。ちょっと面倒ですが、スリッパの数以上の人は法堂に入れないので、自然と混雑緩和になっているようで、面白いシステムだなと思いました。

廊下から大雄苑を見たところです。

 

 

法堂

現在の法堂は明和2年(1765)に再建された、五間四間・一重・裳階(もこし)付の堂々とした禅宗様仏殿建築です。仏殿(本尊を安置する堂)と法堂(はっとう、講堂にあたる)を兼ねている「粘華堂(ねんげどう)」です。正面須弥壇には本尊釈迦如来坐像が安置され、天井には平成14年(2002)に、創建800年を記念し小泉淳作「双竜図」が描かれました。

 

二頭の「阿吽」の龍が絡み合うように描かれたこの天井画は畳108枚もの大きさで、圧巻の迫力です。龍は仏教を守護する八部衆に数えられ「龍神」と言われます。禅寺の本山の多くでは龍が天井に描かれているのは、水を司る神様である龍を描くことで、火災から建物を守るという意味もあるそうです。

龍が描かれる際には、その格の高さによって爪の本数が変わるそうです。建仁寺の双竜は、五本爪を持ち、かつ龍の尾と足が全て描かれている点がとても珍しいとか。上の写真でも口を開き下の方に描かれた龍が「あらゆる願いが叶う」如意宝珠を握っているその爪が五本ですね。そんなことを考えながらこの双竜図を眺め、十二支の中でも特に縁起が良いとされる龍のパワーをいただくことで、新年に良いスタートが切れるような気がしました。

年初から能登半島地震に航空機事故と不穏なニュースが続きますが、どうか一日も早く事態が落ち着き、辰年らしく力強い復興と再出発が叶いますようにお祈りしています。

 

今年もどうぞよろしくお願い申しあげます。

 

西芳寺(苔寺)~禅寺の世界観を表す静謐な苔の庭 ②境内

一面の苔に覆われた幻想的な庭園が印象的な寺院、西芳寺苔寺と呼ばれ親しまれています。拝観には往復はがきやネットでの予約が必要なため、ちょっと敷居が高く感じ、私も拝観したことが無く、今回やっと訪ねることが出来ました。

苔の美しさが最高潮を迎えるのは梅雨時とのことですが、今回は紅葉も楽しみたくて、

11月下旬に訪ねた時の様子をご紹介します。

前回は松尾大社駅から徒歩で西芳寺までの行き方を詳しくご紹介しました。

今回は境内の様子を詳しくご紹介します。

 

 

 

西芳寺の場所

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西芳寺の行き方

京都駅から

京都バス(73系統)で約60分、「苔寺鈴虫寺」下車、徒歩3分

またはタクシーで約20分

 

大阪方面から

阪急電鉄京都線で「桂駅」下車、タクシーで約12分

 

嵐山方面から

阪急電鉄嵐山線松尾大社駅」下車、徒歩約20分

 

西芳寺参拝の方法

西芳寺は事前申込制による少人数参拝を実施されており、以下の二つの参拝方法があります。当日突然伺っても参拝することは出来ないのでご注意ください。

 

1.日々(にちにち)参拝

  写経と庭園の拝観(所要時間約60分)

  オンラインか往復はがき

       詳細は西芳寺公式サイトをご確認ください。

  西芳寺公式サイト

 

2.折々(おりおり)参拝

  季節限定の参拝や朝坐禅会、ご家族向けのプログラムなど、日程と人数を限定した

  参拝です。

  詳細は西芳寺公式サイトをご確認ください。

  西芳寺公式サイト

 

3.西芳寺冬季の参拝について

 境内整備のため、冬季期間(2024年1月9日~2月29日)は日々参拝を休止されます。折々参拝は冬季期間中も実施されます。

 

 

 

今回のスタートは参拝の入口となっている衆妙門からです。

 

西芳寺とは

西芳寺のあるエリアには、聖徳太子の別荘があったと伝えられています。奈良時代になり、聖武天皇の勅願を得て行基天平3年(731)に聖徳太子の別荘跡地に開山したのが、法相宗の寺「西方寺」です。平安時代には空海が入山し、西方寺の黄金池で日本初の「放生会」を行ったと言われています。鎌倉時代には法然が浄土宗に改宗しましたが、その後しばらくは荒廃していました。そして室町時代になり、室町幕府重臣であり、近くの松尾大社宮司でもあった摂津親秀が、作庭の名手でもあった高僧、夢窓疎石(夢窓国師)を招いて臨済宗に改宗、禅寺として再興し、「西芳寺」と改めました。「西芳」とは「祖師西来」「五葉聯芳 」(祖師は西から来られて、五つ花が順に咲くように悟りを開かれた)という禅宗を開いた達磨大師に関する句に由来するそうです。

足利義満や義政をはじめ、西芳寺坐禅に励んだ者も多く、夢窓疎石が作庭した西芳寺の庭園は金閣銀閣などの庭園の原型になったとも言われています。

戦国時代以降、兵乱や洪水などで荒廃と再興を繰り返し、現在のように境内で苔の繁茂が始まったのは江戸時代末期頃と言われています。

昭和3年(1928)より庭園を一般公開しますが、昭和52年(1977)からは観光公害対策のため、事前申し込み(往復はがき)による少数参拝制になりました。

 

境内を入るとすぐ目に入るのが、本堂です。西来堂とも呼ばれています。

昭和44年、京都大学名誉教授村田治郎氏の設計により再建されたものです。西来堂の名は夢窓疎石によるもので、西芳寺の名の由来と同じく「祖師西来意」に由来します。

本尊は、開山の行基ゆかりの阿弥陀如来です。参拝者は、はじめにこの本堂で写経を行います。

 

写経の用紙は以下のようなもので、筆ペンと一緒に渡されました。

 

参拝者は本堂の内外に設置された写経席に座り、この用紙に書かれた経典(お経)を筆ペンでなぞっていきます。一字一字、集中して文字を書くということが久しぶりでしたが、境内の清々しくひんやりとした空気の中での写経していると、心まで澄み切ってくるようでした。写経用紙は本堂で祈祷を済ませてあるので、書き上げた写経は持ち帰り、お守りのように手元に置いたり、不安な時に見返してください、とのことでした。

 

本堂にはご本尊の阿弥陀如来像が祀られ、その周囲には日本画の巨匠 堂本印象による色鮮やかな襖絵が彩ります。古い仏像と現在アートの襖絵が不思議な調和を為し、荘厳な空間を作っていました。(本堂内は撮影禁止です)

普段はご本尊の両側襖絵数面のみ拝観できますが、冬季期間の折々参拝では104面の襖絵を拝観することが出来ます。(要予約。詳細は以下をご確認ください。)

 

intosaihoji.com

 

写経が終わったら庭園に向かいますが、本堂と庭園の間の休憩所付近の紅葉も見事でした。散紅葉と苔のコントラストがまさに錦秋の名にふさわしい美しさです。

 

 

上下二段の庭

史跡・特別名勝に指定されている庭園は上下二段に分かれており、上段は枯山水庭園、下段は黄金池を中心とした池泉回遊式庭園になっています。(上段の庭は通常非公開)

 

枯山水(上段の庭)

夢窓疎石により1339年に築かれた日本最古の枯山水の石組みです。西芳寺枯山水庭園の原点となり、わが国における枯山水庭園の最高峰と称されているそうです。(通常非公開)

写真:西芳寺公式サイトより

 

池泉回遊式庭園(下段の庭)

「心」の字を象る黄金池を中心とした池泉回遊式庭園です。足利義満・義政などの将軍たちが船から庭を眺めた名残で小舟が浮かび、園路沿いには三つの茶室が並びます。

 

休憩所の横の小径を通り過ぎ、こちらから下段の庭へと入っていきます。

 

「史跡及び名勝 西芳寺庭園」の石碑があり、こちらから庭園回遊が始まります。

 

西芳寺庭園」の石碑の向こう側にある、黄金池の北側に位置するこの池には、中央に南北2列に等間隔に連なる石が浮かんでいます。これは、港に停泊する舟の姿になぞらえて「夜泊石(やはくせき)」と名付けられています。

 

小庵堂

黄金池の東側にある小さな茶室が小庵堂です。千利休の子、千小庵の木像を安置しており、1920年に建てられました。大正期に活躍した京都の数寄屋師、上坂次郎による普請です。

 

夕日ヶ島と朝日ヶ島

小庵堂付近から池の方を眺めた写真です。

黄金池には北から夕日ヶ島、朝日ヶ島、霞島(かすみじま)の三つの島があり、左側に見えている鎮守堂があるのが夕日ヶ島、写真中央の紅葉した木々が美しいのが朝日ヶ島です。

 

湘南亭

湘南亭はこの庭園の最も南に位置します。千利休の子 千小庵により建立された茶室で、西芳寺境内で最も古く、国の重要文化税に指定されています。千利休明治維新で幕府から逃れた岩倉具視の隠れ家ともなったそうです。北に張り出した月見台が特徴ですが、月見台と言いながら北向きに建てられているのは、東から南向きに空に浮かぶ月を見るのではなく、黄金池に映った月を愛でるためと言われています。何とも風流ですね。こちらは人が多くて写真が撮れませんでした。

湘南亭

写真:西芳寺公式サイトより

 

写真右奥、石畳の道を人が歩いている先が湘南亭です。(建物がほとんど見えなくてすいません)紅葉と苔の緑、石垣の色が見事に調和しています。

 

霞島(かすみじま)

庭園の最も南側にあるのが霞島です。写真ではわかりにくいのですが、島の南側(写真では島の左奥あたり)に三尊石があります。恐らく南側の対岸の参道から見えやすい場所に据えられていると思われます。伝統的な日本庭園には、三尊石といわれる象徴的な三つの石組がある場合が多いそうです。この庭園を浄土庭園とすれば、釈迦陀如来及び、観音・勢至菩薩の釈迦三尊仏ということになります。西芳寺の三尊石組は、後世の同趣の庭園の見本となったものです。

 

潭北亭(たんほくてい)

庭園の東側にある茶亭は潭北亭です。夢窓国師の時代に建てられた「潭北軒」という草庵にちなむもので、現在の建物は昭和3年(1928)に再建されたものです。内部は立礼(りゅうれい)式:椅子式の茶室になっているそうです。写真右側の木立の奥に見えます。

 

禅宗の世界観を表す回遊式庭園

西芳寺は1994年に世界遺産古都京都の文化財」十七寺社域の一つに登録されています。それは、西芳寺が日本庭園史上重要な位置を占めているからでしょう。西芳寺の下段庭園にあったと言われる瑠璃殿は金閣銀閣のモデルになった楼閣で、自然地形を巧みに利用した枯山水は日本最古のものと伝えられており、後世の庭園に大きな影響を及ぼしています。そのような名庭である西芳寺庭園を造ったのが夢窓疎石です。

夢窓疎石は室町初期に臨済宗を発展させ、禅宗の高僧として歴代足利将軍や後醍醐天皇からの厚い帰依を受けた偉大な宗教家としての一面と、豊かな自然を取り入れ、禅の世界を巧みに表現した禅宗庭園を多数作った名作庭家という一面があります。

政治的には対立していた後醍醐天皇とも足利尊氏とも関係の深かった夢窓疎石は、尊氏の重臣摂津親房から荒廃していた西方寺(後に西芳寺)の住持を任されました。そしてその四か月後に後醍醐天皇崩御されました。疎石は尊氏に後醍醐天皇の菩提を弔う禅寺として天龍寺を建てるよう進言しました。尊氏はこの進言を受け、光明天皇の勅願として天龍寺を建て、夢窓疎石を開山としました。疎石にとって天龍寺は公的な機関であり、一方、西芳寺は私的な存在であり、禅宗の修行に励む場であったようです。

というのも、夢窓疎石にとって、あるいはこの時代の禅僧にとって、作庭とは修行であり、また修行の成果を表現したもの、つまり宗教的行為そのものだったのです。ですから、西芳寺を始めとする禅宗寺院の庭園には、禅宗の世界観が凝縮して表現されていると言えます。

黄金池を中心とする池泉回遊式庭園では一足ごとに景色が変わる様子が楽しめ、見ている自分と周辺の自然が混然一体となったような感覚が味わえました。禅宗の世界観と言われても詳しいことはよく分かりませんが、幻想的な苔の絨毯の上に落ちた錦のようなカエデの葉や、周囲の木々や空の色を映した鏡のように光る池の美しさを見ていると、森羅万象全てに仏の心が宿っているということが何となく実感できたひと時でした。

 

 

 

西芳寺は拝観予約が必要ということと、場所も京都市の西の端で最寄りの駅からも距離があり、訪れるのに少しハードルが高かったので、気になりながらもなかなか訪れられなかった寺院でした。今回、紅葉の一番美しい時期に訪れてみて、オーバーツーリズム気味の京都市内の他の寺院と比べ格段に静かでじっくりと拝観できたので、このハードルの高さは必要だったのだと実感しました。最寄りのバス停からは徒歩3分ですが、敢えて松尾大社駅から西芳寺川沿いの坂道をてくてくと登っていくことで、西芳寺苔寺となった湿気の多い土地柄であることも体感することが出来ました。

西芳寺では春夏秋冬に梅雨を加えた「五季」それぞれに一期一会の姿を見せてくれるそうですので、また機会があれば他の季節にも訪れてみたいと思いました。

 

西芳寺(苔寺) ~禅寺の世界観を表す静謐な苔の庭 ①松尾大社駅から西芳寺まで

一面の苔に覆われた幻想的な庭園が印象的な寺院、西芳寺苔寺と呼ばれ親しまれています。拝観には往復はがきやネットでの予約が必要なため、ちょっと敷居が高く感じ、私も拝観したことが無く、今回やっと訪ねることが出来ました。

苔の美しさが最高潮を迎えるのは梅雨時とのことですが、今回は紅葉も楽しみたくて、

11月下旬に訪ねた時の様子をご紹介します。

今回は松尾大社駅から西芳寺までの行き方をご案内します。

 

 

西芳寺の場所

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西芳寺の行き方

京都駅から

京都バス(73系統)で約60分、「苔寺鈴虫寺」下車、徒歩3分

またはタクシーで約20分

 

大阪方面から

阪急電鉄京都線で「桂駅」下車、タクシーで約12分

 

嵐山方面から

阪急電鉄嵐山線松尾大社駅」下車、徒歩約20分

 

西芳寺参拝の方法

西芳寺は事前申込制による少人数参拝を実施されており、以下の二つの参拝方法があります。当日突然伺っても参拝することは出来ないのでご注意ください。

 

1.日々(にちにち)参拝

  写経と庭園の拝観(所要時間約60分)

  オンラインか往復はがき

       詳細は西芳寺公式サイトをご確認ください。

  西芳寺公式サイト

 

2.折々(おりおり)参拝

  季節限定の参拝や朝坐禅会、ご家族向けのプログラムなど、日程と人数を限定した

  参拝です。

  詳細は西芳寺公式サイトをご確認ください。

  西芳寺公式サイト

 

3.西芳寺冬季の参拝について

 境内整備のため、冬季期間(2024年1月9日~2月29日)は日々参拝を休止されます。折々参拝は冬季期間中も実施されます。

 

松尾大社駅から西芳寺

今回のスタートは阪急電鉄嵐山線松尾大社駅」です。

改札を出て西(左手)へ向かいます。

 

左を向くと松尾大社の朱塗りの鳥居が見えます。鳥居を右手に見ながら、道なりに左へ曲がります。

 

左へ曲がったところです。この道をしばらく南へ進みます。



松尾大社駅から南へ500m、徒歩10分ほどで右手前方に観光駐車場が見えて来るので、そちら側へと信号を渡ります。

 

観光駐車場に観光バスが駐車していました。駐車場の前の道が二手に分かれているので、写真の矢印のとおり右手に曲がります。

 

右手へ曲がったところです。ゆるやかな上り坂を登っていきます。

 

100mほど坂を上ると、右手に川が見えるので、右手に曲がります。


右手に曲がったところです。川沿いのカエデの並木が美しく紅葉していました。

この坂道をしばらく上がっていきます。

 

坂道を400m、7分ほど上がっていくと突き当りに出るので、左に曲がります。

 

左を向いたところです。この橋を渡ります。

 

「けごんばし」と書いてあります。

 

橋を渡り、住宅街の間の道を突き当りまで進みます。

 

突き当りを右へ曲がります。

 

右へ曲がると左手前方に京都バスの「苔寺鈴虫寺」の停留所があります。この道を西芳寺川沿いに西へ進んでいきます。

 

250mほど川沿いの道を進むと、西芳寺川に架かる橋を渡った先に見えているのが西芳寺の総門です。本瓦葺の薬師門で、西芳寺が予約制になる前は多くの参拝者が出入りしたのがこの総門でした。さらに川沿いを進みます。

 

川沿いを80m程進み、西芳寺川に架かる橋を渡ると杮葺の衆妙門(しゅうみょうもん)が見えてきます。こちらが現在の参拝者が出入りする門です。昭和44年(1969)に本堂(西来堂)と合わせて再建されました。すでに沢山の人が参拝するのを待っていました。

 

「衆妙」という言葉は『老子』に出てきて、すべてのものが生まれ出る万物の源になるところという意味だそうです。予約時間になるまではこの前で並んで待ちました。時間になったので、さっそく入っていきましょう。

 

西芳寺とは

西芳寺のあるエリアには、聖徳太子の別荘があったと伝えられています。奈良時代になり、聖武天皇の勅願を得て行基天平3年(731)に聖徳太子の別荘跡地に開山したのが、法相宗の寺「西方寺」です。平安時代には空海が入山し、西方寺の黄金池で日本初の「放生会」を行ったと言われています。鎌倉時代には法然が浄土宗に改宗しましたが、その後しばらくは荒廃していました。そして室町時代になり、室町幕府重臣であり、近くの松尾大社宮司でもあった摂津親秀が、作庭の名手でもあった高僧、夢窓疎石(夢窓国師)を招いて臨済宗に改宗、禅寺として再興し、「西芳寺」と改めました。「西芳」とは「祖師西来」「五葉聯芳 」(祖師は西から来られて、五つ花が順に咲くように悟りを開かれた)という禅宗を開いた達磨大師に関する句に由来するそうです。

足利義満や義政をはじめ、西芳寺坐禅に励んだ者も多く、夢窓疎石が作庭した西芳寺の庭園は金閣銀閣などの庭園の原型になったとも言われています。

戦国時代以降、兵乱や洪水などで荒廃と再興を繰り返し、現在のように境内で苔の繁茂が始まったのは江戸時代末期頃と言われています。

昭和3年(1928)より庭園を一般公開しますが、昭和52年(1977)からは観光公害対策のため、事前申し込み(往復はがき)による少数参拝制になりました。



今回はここまでです。

次回は境内の様子を詳しくご紹介します。

 

南禅寺 最勝院奥の院 ~気功師と行く秘密のパワースポット ③アイヌの楽器を聞きながら気功トークを体験

京都五山そして鎌倉五山の上に置かれる別格扱いの寺院南禅寺。日本の全ての禅寺の中で最も高い格式を持つ寺院です。広大な境内には国宝の方丈を始め、重要文化財の三門、インスタ映え間違い無しの水路閣など見どころ満載で、一年中観光客が絶えません。そんな南禅寺にあって、ほとんど人が訪れないスポットがありました。前回までのブログでは、気功師のガイドさんの案内で、最寄り駅の蹴上駅から南禅寺へ至り、南禅寺の奥にある秘密のスポット最勝院の奥の院を訪ね、氣の変化を感じながら気功体験をした様子などをご紹介しました。このブログでは、南禅寺の近くにある町屋カフェで中国茶をいただきながら、アイヌの民族楽器トンコリの演奏や気功についてのトークをお聞きした様子をご紹介します。

 

このツアーは2023.10.28に実施されました。ツアーの内容は開催時期によって変更される可能性があります。また、あくまで私個人の感想であることをご了承ください。

 

今回は「まいまい京都」が企画する「気功師といく南禅寺 秘密のパワースポット 水と岩が織り成す聖域へ~」というツアーに参加しました。「まいまい」とは「うろうろする」という意味の京ことばで、「まいまい京都」では、600人を超える各分野のスペシャリストが独自の視点でガイドする京都や近郊のミニツアーを多数実施されています。

 

京都のミニツアー「まいまい京都」

ユニークなガイドさんと京都を歩こう!「京都・春のパンまつり!かわいい町家パン屋さんの工房へ」「ブラタモリ記念、京都高低差崖会と御土居でOh!」「京都本ライターと乙女なカフェめぐり」など、全260コース。
 
 
 

 

南禅寺最勝院の場所

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南禅寺の行き方

電車で

 ・地下鉄東西線蹴上駅」下車 徒歩約10分

 

バスで

 ・京都駅から5号系統で「東天王町」また「南禅寺永観堂」下車 徒歩約10分

 ・四条河原町から5,32,203号系統で「東天王町」下車 徒歩約10分

 

最寄りの地下鉄蹴上駅から南禅寺までの行き方は以下で詳しくご紹介しています。

www.yomurashamrock.me

 

このツアーのガイドは長根あきさんです。

長根さんは気功師で、北海道出身。幼少の頃よりアイヌの物語に惹かれ、1993年よりアイヌ民族に伝わる楽器・ムックリの演奏を始め、北海道ムックリ大会で優勝。2004年に京都へ移住され、気功を取り入れた暮らしを始められます。各地で気功教室を主催するなど、活動は多岐に渡ります。

 

www.maimai-kyoto.jp

 

南禅寺最勝院から好日居へ

前回は南禅寺の秘密のパワースポット、最勝院の奥の院を訪ね、また最勝院に戻って来たところまでをご紹介しました。

 

奥の院を訪ねた前回の道のりは以下で詳しくご紹介しています。

 

www.yomurashamrock.me

 

 

今回はこの最勝院からです。

川沿いの道を下って、こちらの小さな入口から最勝院へ入ります。



 

この辺りから更に奥の一帯は、鎌倉時代頃から「神仙佳境」と呼ばれ霊地として広く世間に知られていました。摂政関白、九条家の子であり、幼くして仏門に入った道智(どうち)は、比叡山延暦寺天台密教を極め、園城寺三井寺)管長や禅林寺永観堂)住持を務めましたが、晩年は世をいとい、この地に隠棲されました。南禅寺の寺伝によると、この地は園城寺別院の最勝光院の所在地でありましたが、のちに同院は衰退、文永元年(1264)亀山天皇が母大宮院の御所として離宮禅林寺殿を造営。その禅林寺殿造営の二年後(1266)、道智は法力を使って白馬にまたがり、生身を天空に隠されたと伝えられています。馬のことを駒とも言うので、それ以来、道智は駒大僧正、最勝院の山中は駒ヶ滝と呼ばれるようになりました。

その最勝院の本堂がこちらです。こじんまりとしていますが、とても綺麗に整えられた境内です。



 

本堂には「駒大僧正」の扁額がありました。



 

本堂の前にあるのが、立派な松の木です。この松の木が樹齢300年の百日紅の木の割れ目に、松の種が落ちて、そのまま成長したとされている非常に珍しいものです。松の木と百日紅が一体化していることから、『縁結びの松』と呼ばれています。



 

参道脇の木々も少しづつ色づき始めていました。

 

最勝院の由来を説明した看板に戻りました。

 

最勝院の由来の看板を見た後に振り返ると、水路閣の上の水路がすぐ横から見ることができます。

現在でもこの水路は現役で、琵琶湖疎水の水が毎秒2tも流れています。

 

こちらがおなじみの水路閣を下から見上げた様子です。

南禅寺水路閣は、琵琶湖疎水の枝線水路です。水路は明治23年(1890)に建造され、レンガ造り、ローマ風のアーチ橋上を通っています。水路閣の全長は93.17m、幅4.06m、水路幅2.42mで、周囲の景観に配慮して設計され、13の橋脚が作り出すアーチの連続は絶好のフォトスポットです。

木々の緑と古びたレンガの色合いが何とも良い感じです。モダンでレトロな一種独特の景観が、不思議と仏教寺院の和の空間に溶け込んでいます。


水路閣から境内を西へと横切り、中門を通り抜け、湯豆腐屋などが立ち並ぶ参道を歩いていきます。(写真を撮り忘れました)

 

白川通市道182号の交差点を西へ渡り、更に西へ向かいます。

 

西へ250mほど歩くと、南禅寺惣門があります。こちらを通り抜けると、完全に南禅寺の結界の外に出ることになります。ガイドの長根さんも話しておられましたが、この惣門の内と外とでは氣が全く違うようでした。それまでは気づかなかったのですが、門から出ると、周辺の空気がどことなく生ぬるいような緊張感の無いものに感じられました。逆に言うと、門の中では清浄で清涼な空気だったようです。結界の内と外で、これほど違いがあるのかとびっくりしました。

 

惣門から更に西へ徒歩約2分で、好日居に到着です。

 

好日居とは

平安神宮南禅寺の中間あたりの静かな路地に佇むカフェ「好日居」は、一休建築士でもある店主 横山さんが30年もの間空き家になっていたという大正期の家をこつこつと改修し、2008年に「とらわれない心でお茶の時間にささやかな魔法をかけてみたい」と、心休まる空間でほっこりお茶を楽しめる場所としてオープンされました。中国茶を中心に、季節に合わせたお茶をセレクトし、お茶教室やアーティストを招いたイベントなどを随時開催されています。

 

ガラガラと引き戸を開け、靴を脱いで好日居にお邪魔すると、まるで親戚か古い友人の家を訪ねたかのような何とも懐かしい気持ちになります。店主の横山さんが世界中から集めたという食器がずらりと並んだ厨房?を抜けると、木の長椅子だけが置かれた静謐な雰囲気の部屋があり、その奥には坪庭が眺められる素敵な居間がありました。

 

今回はこの好日居で、店主の横山さんが最近訪問されたという台湾で仕入れてこられた烏龍茶と、長根さんが準備されたお菓子をいただきながら、アイヌの楽器トンコリの演奏に耳を傾けつつ、アイヌの昔話などをお聞きしました。

 

お茶菓子として提供された「真盛豆」は上京区上七軒にある「金谷正廣」という江戸時代末期から続く和菓子屋さんのもの。豊臣秀吉が茶会の時に使ったお菓子を元に、創業当時からずっと同じ製法で作られているそうです。小さなマリモのような可愛らしいそのお菓子は、外側に青のりをまぶしてあり、優しい甘さがくせになりそうな味でした。

 

アイヌの楽器トンコリ

「私はトンコリ奏者では無いんですが、奏でることは出来るので、お茶とお菓子のイージーリスニング的に聞いていただければ。」と長根さん。このトンコリは、長根さんの手作りだそうです!

 

このツアーのあった前日は十三夜で、とても月が綺麗でした。そんな月にちなみ、長根さんは柿本人麻呂万葉集に書いてる有名な月の和歌を歌詞とした歌をトンコリを奏でながら歌ってくださいました。

「天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」

~はてしない天の大海原に 白い雲の波が広がっている。そこへ一艘の月の舟がこぎ出して行き、たゆたいながら、いつしか星の林の中へ隠れていったのが見えた~

1000年以上も昔の和歌ですが、その壮大かつロマンティックな情景がありありと目に浮かぶような、美しい歌ですね。百人一首もそうですが、古の都人の書いた歌の中に、現代にも通じる感性が垣間見えると、その時代の人々と心が通じたような不思議な気持ちになります。

ところで、アイヌの話のはずが、何故万葉集?ということについて、長根さんは以下のように話されました。

アイヌだ、日本人だという歴史より以前はみんな同じ縄文人だったと思っています。弥生時代に日本の真ん中あたりには大陸からも人が入ってきて、北と南は縄文的なものが残ったけれど、もともとは一緒だったんですよね。そういう視点で私は物を考えたいと思っていて。そういうところに近いもので、何か残っているものは無いかな、と考えて、万葉集から歌のテーマを取りました。」

トンコリの素朴な音色に、日本語の雄大な歌詞がとてもマッチして、長根さんの「みんな一緒だったんです」という意味が何となく分かった時間でした。

 

トンコリは赤エゾ松で出来ていて、各部位は体になぞらえて頭、首、耳、胴、へそなどと呼ばれます。アイヌの昔の女性は「タマサイ」というガラス玉のネックレスをつけていて、その玉をトンコリの中に入れていたそうです。長根さんはタマサイを持っておられないので、ご実家の庭の小石を入れたそうです。タマサイのネックレスのガラス玉は昔のものなので、まん丸ではないものの丸に近い形で、魂を入れるとか、心臓などと呼ぶ人もいるそうです。

写真:『アイヌ生活文化再現マニュアル トンコリ』財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構より

 

アイヌの昔話「クンネカタㇰ レタラカタㇰ」

最後に長根さんはアイヌの昔話「クンネカタㇰ レタラカタㇰ」~クンネは暗い、カタクは糸玉、糸をより合わせて作った糸玉、毛糸玉、レタラは白い、明るい、黒い糸玉と白い糸玉~を話されました。

日本語でこの昔話を話された後、アイヌ語でもう一度話をされました。独特のリズムを感じる優しい響きの言葉で紡がれる昔話に、参加者一同じっと聞き入っていました。日本・アイヌの違いはあれど、日本昔話にもこんな感じの話があったような…という懐かしさを感じるひとときでした。

 

長根さんは最後に気功について、もう少し解説されました。

気功というのは、基本的には鼻から吸って鼻から吐きます。簡単には肩をほぐすとかでも気功になるんです。呼吸を揺らすこと。呼吸を整えることが気功なので、簡単なんです。深呼吸の気を整えること。氣のめぐりをよくすること、そのようなことが全て気功になるので、ラジオ体操もゆっくりやれば気功になるんです。だから中国のよその国のものではなくて、もっと自分たちの暮らしの中に取り込みやすいものじゃないかなと思います。今回のツアーで、それぞれの場所の氣の違いを感じながら歩いていただいたと思います。」

 

 

今回のツアーで訪れた南禅寺塔頭 最勝院の奥の院は「秘密のパワースポット」の名にふさわしい場所でした。そんな場所で長根さんのリードのもと気功をやってみることで、普段氣の違いなど全然感じない私も、様々な氣を感じるとても貴重な体験となりました。そのあとに訪れた好日居での長根さんのお話からは、日本人・アイヌと言った民族の違いを超え、同じ縄文人をルーツに持つ者同士で相通じるものを随所で感じることが出来ました。気功というと、中国人が朝、公園などに集まってやるもの、とか、特別な訓練を受けた人でないと出来ないもの、というイメージがありましたが、体をほぐし、呼吸を揺らし整えることが気功になるというお話でしたので、普段の暮らしの中でも取り入れやすそうだな、と思いました。

長根さんはとても小柄な方でしたが、ハキハキとした語り口の中にも、ゆったりとした空気感をまとい、とてもスケールの大きな世界観を持たれた方だな、と感じました。素敵な時間をありがとうございました。

 

長根あきさんのFacebook

 

 

南禅寺 最勝院奥の院 ~気功師と行く秘密のパワースポット ②駒ヶ滝から磐座へ

京都五山そして鎌倉五山の上に置かれる別格扱いの寺院である南禅寺には、国宝の方丈を始め、重要文化財の三門、インスタ映え間違い無しの水路閣など見どころ満載で、一年中観光客が絶えません。そんな南禅寺にあって、ほとんど人が訪れない秘密のスポットがありました。今回は、気功師のガイドさんの案内で、氣の変化を感じながら南禅寺の奥の奥にあるパワースポットを訪ねました。

前回のブログでは、蹴上駅から南禅寺までの道のりと、南禅寺の三門から水路閣までをご紹介しました。このブログでは、いよいよ秘密のパワースポット、最勝院の奥の院へと向かいます。

 

このツアーは2023.10.28に実施されました。ツアーの内容は開催時期によって変更される可能性があります。また、あくまで私個人の感想であることをご了承ください。

 

今回は「まいまい京都」が企画する「気功師といく南禅寺 秘密のパワースポット 水と岩が織り成す聖域へ~」というツアーに参加しました。「まいまい」とは「うろうろする」という意味の京ことばで、「まいまい京都」では、600人を超える各分野のスペシャリストが独自の視点でガイドする京都や近郊のミニツアーを多数実施されています。

 

京都のミニツアー「まいまい京都」

ユニークなガイドさんと京都を歩こう!「京都・春のパンまつり!かわいい町家パン屋さんの工房へ」「ブラタモリ記念、京都高低差崖会と御土居でOh!」「京都本ライターと乙女なカフェめぐり」など、全260コース。
 
 

 

南禅寺最勝院の場所

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南禅寺の行き方

電車で

 ・地下鉄東西線蹴上駅」下車 徒歩約10分

 

バスで

 ・京都駅から5号系統で「東天王町」また「南禅寺永観堂」下車 徒歩約10分

 ・四条河原町から5,32,203号系統で「東天王町」下車 徒歩約10分

 

最寄りの地下鉄蹴上駅から南禅寺までの行き方は以下で詳しくご紹介しています。

 

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このツアーのガイドは長根あきさんです。

長根さんは気功師で、北海道出身。幼少の頃よりアイヌの物語に惹かれ、1993年よりアイヌ民族に伝わる楽器・ムックリの演奏を始め、北海道ムックリ大会で優勝。2004年に京都へ移住され、気功を取り入れた暮らしを始められます。各地で気功教室を主催するなど、活動は多岐に渡ります。

 

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水路閣から最勝院へ

南禅寺の奥にあるフォトスポット水路閣をくぐり、水路添いの坂道を東へ上っていきます。

 

70m程登っていくと、最勝院に出ます。

 

最勝院

この辺りから更に奥の一帯は、鎌倉時代頃から「神仙佳境」と呼ばれ霊地として広く世間に知られていました。摂政関白、九条家の子であり、幼くして仏門に入った道智(どうち)は、比叡山延暦寺天台密教を極め、園城寺三井寺)管長や禅林寺永観堂)住持を務めましたが、晩年は世をいとい、この地に隠棲されました。南禅寺の寺伝によると、この地は園城寺別院の最勝光院の所在地でありましたが、のちに同院は衰退、文永元年(1264)亀山天皇が母大宮院の御所として離宮禅林寺殿を造営。その禅林寺殿造営の二年後(1266)、道智は法力を使って白馬にまたがり、生身を天空に隠されたと伝えられています。馬のことを駒とも言うので、それ以来、道智は駒大僧正、最勝院の山中は駒ヶ滝と呼ばれるようになりました。

 

最勝院奥の院

最勝院の横を流れる川沿いに、更に山中へと上がっていきます。

水路閣周辺の賑わいが嘘のように、この辺りには日本人はほとんど上がってこないのですが、この山道は外国人向けの旅行サイトでは結構有名なようで、登山姿の外国人と時々出会いました。山道をたどって行くと、哲学の道大文字山、山科などへ至るコースもあるそうです。

 

川沿いを1、2分歩いた辺りで長根さんが足を止め、これから行く場所について注意事項を話されました。

「ここまで来ると観光地という感じはちょっとしないですね。南禅寺はお寺なんですが、その奥の院のところは山岳修行の方たちが使っておられます。今から行くところは細い滝なんですが、滝行もできるようになっていて、実際に滝行をしている方がいたり、ほら貝を吹いている方がいることもあります。神聖な場所なので、私語は控えつつ修行されてる方がいるところにお邪魔させていただくという気持ちでここから歩いて行きたいと思います。」

最勝院と白馬にまたがって天に上った道智(駒大僧正)の話についても、詳しく話されました。その間にも、ほら貝の音が聞こえてきて、この地が昔から神聖な修行の場であり、そのような不思議な伝説もすんなりと受け入れられそうな空気を感じました。そして、コンクリートとは違う、ザクザクとした土や砂利からくる足の裏の感覚を味わいながら、黙々と山道を登っていきました。

 

先ほどのところから更に10分ほど登ると、目の前に急な階段が現れました。

 

拝殿と厨子宝殿

階段を上りきると、奥の院の拝殿があります。

 

その拝殿の奥に駒大僧正を祀った小さな厨子宝殿があります。ぼんぼりに天狗の葉うちわのモチーフが。

 

 

 

拝殿の左側には、駒ヶ滝地蔵大菩薩の祠もあります。

 

拝殿や駒大僧正の厨子宝殿を通り過ぎた所にある赤い手すりの橋を渡ります。

 

その先には石でゴツゴツした山道が。途中、「秋葉一尺坊」という烏天狗の石像もありました。

 

駒ヶ滝

更に階段を登った先に、細い一筋の滝があり、滝の横には大日大聖不動明王が祀られていて、滝には白い衣の方がおられました。

周辺の山からはほら貝の音色も聞こえてきて、このあたりが修行の場であることを実感しました。

 

そこから更にものすごく急な階段を登って行き、途中洞窟のような所もあり、もっと上へ登って行きます。登るのに必死で写真が撮れなかったので、下の写真は帰り道に下から見上げて撮りました。ロープを張ってあるあたりが急な階段で、その先が洞窟です。その時は洞窟の中を見なかったのですが、ネットの他の方の記事によると、将軍地蔵菩薩厳島弁財天などが祀られているそうです。

 

小さな川が流れているので、そこに架かっている簡素な木の橋を渡ります。下の写真も帰り道に撮ったので、上から見た景色になります。

 

磐座

上の写真の手前、小石がゴロゴロする道なき道を更に上がって行くと、小川を挟んだ対岸に、巨大な石(磐座)があります。

この地は、鎌倉時代から霊地として「神仙佳境」と呼ばれていたそうです。この奥の院にある岩も、古代から信仰の対象だったのではないかと長根さんは言います。それは、この場所で感じられる氣や、今でも沢山の仏さまが祀られていて、人々が祈りを捧げていること、滝行の場となっていること、駒大僧正の伝承の地となっていることからも推測できるそうです。

 

最勝院の奥の院について調べるため、帰宅してから沢山のネットの情報を調べましたが、滝とその先の洞窟までは写真がありましたが、さすがにそれより先の情報は見つけることが出来ませんでした。まさに秘境と呼べるほどのパワースポットを目の前にして、私を始め他の参加者の方も、磐座の巨大さに圧倒され、ただただ息を飲んで見つめていました。

 

気功体験

長根さんのリードのもと、気功体験の始まりです。

参加者も、見よう見まねで長根さんの動きにならいます。水路閣の手前で見たねじりながら伸びる木をイメージしながら、ゆったりと体を動かしていきます。

そのあと、長根さんは持参されていたムックリアイヌ民族に伝わる口琴)を演奏されました。

参加者は目を瞑り、ムックリの響きに身をゆだねました。するとそれまで以上に周辺の鳥たちがさえずりを強めました。

数分ほどで長根さんのムックリの演奏が終わり、参加者はゆっくりと目を開きましたが、皆何となく夢から覚めたような不思議な感覚を味わっていたのではないでしょうか。普段私は霊感など全く感じないのですが、気功をすることで、他の場所とは違う氣の存在のようなものを体感することが出来た気がしました。それは、この土地がずっと昔から持っている強いパワーが私を後押ししてくれたのでは無いかと感じました。

 

そのあと10分ほど自由時間となり、磐座に彫られた大昔の観音像を見学したり、磐座の写真を撮ったりして思い思いに過ごしました。観音像はかなり古いもののようで、時間の経過とともに削れて見えにくくなっているそうで、磐座のすぐ横まで行って見ないとなかなか確認できないものでした。磐座のすぐ横まで行くには、人一人通るのがやっとの細い場所を上がっていかなければいけないので、時間の関係で私は傍まで行くことが出来ませんでした。それでも、参加者のうち数人はその観音像を確認できたようで「あれかな~?」「あ、わかった!」と声を上げておられました。こんな山深い場所にある巨大な岩に、一体だれがこのような観音像を彫ったのか…長根さんによると、今は一つぐらいしか観音像を確認できませんが、大昔はいくつも彫られていたようです。「神仙佳境」と呼ばれたこの地に、昔の人も自然のパワーを感じ、様々な祈りをこの磐座に捧げたのかもしれないということを、気功体験によってより実感できた時間でした。

 

大杉大神 ~みんなで育てるパワースポット

奥の院を後にして、また来た道をどんどん下って行くと、参道に一本の杉の巨木がありました。

大杉大神と書いてあり、臨済宗ですが、神仏習合の形がまだ残っているそうです。

この参道は、毎朝一般の方が掃除し火を灯しておられるそうです。10年ほど前はこの辺りは鬱蒼として一人で滝まで行くのも怖かったそうですが、今は有志の方が毎朝掃除されているお陰で、年々明るくすっきりといい感じになったとか。

パワースポットとは、パワーをいただきに行く場というよりも、パワーをいただきつつ返していく、パワーの循環をさせていくことで、さらに力を持ち輝きを増していくのではないか、と長根さんは話されました。

 

古代の人たちが、山の中にある大きな石を見て、神様が運んで来た石、またその石に神様が宿ると信じ、祀ってきた磐座。その磐座をパワースポットたらしめているのは、磐座を祀り、大切に守ってきた人々の信仰心なのですね。そしてその人々の信仰心(氣)が、磐座やその周辺の土地が持つパワー(氣)をより強め、さらなるパワーをもつものへと成長させていく…奥の院での気功で感じた不思議な氣はもちろんのこと、三門から南禅寺の境内へ入った時に感じた爽やかな空気も、何百年も人々がこの地にこめた祈りのパワーがそのようなものへと成長させたものだったのだと実感したひとときでした。

 

大杉大神から更に3分ほど川沿いを下って行くと、再び最勝院に戻って来ました。

 

今回はここまで。次回は長根さんのガイドで、南禅寺から少し歩いたカフェでの気功トークアイヌの民族楽器を聞いた感想などをご紹介します。

 

 

 

南禅寺 最勝院奥の院 ~気功師と行く秘密のパワースポット ①蹴上駅から南禅寺 水路閣まで

南禅寺と言えば、京都五山そして鎌倉五山の上に置かれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺の中で最も高い格式を持つ寺院です。広大な境内には国宝の方丈を始め、石川五右衛門の名セリフ「絶景かな、絶景かな」で有名な重要文化財の三門、インスタ映え間違い無しの水路閣など見どころ満載で、一年中観光客が絶えません。そんな南禅寺にあって、ほとんど人が訪れない秘密のスポットがありました。今回は、気功師のガイドさんの案内で、氣の変化を感じながら南禅寺の奥の奥にあるパワースポットを訪ねました。このブログでは、最寄り駅の蹴上駅から南禅寺へ至り、三門や水路閣などを訪ねたところまでをご紹介します。

 

このツアーは2023.10.28に実施されました。ツアーの内容は開催時期によって変更される可能性があります。また、あくまで私個人の感想であることをご了承ください。

 

今回は「まいまい京都」が企画する「気功師といく南禅寺 秘密のパワースポット 水と岩が織り成す聖域へ~」というツアーに参加しました。「まいまい」とは「うろうろする」という意味の京ことばで、「まいまい京都」では、600人を超える各分野のスペシャリストが独自の視点でガイドする京都や近郊のミニツアーを多数実施されています。

 

京都のミニツアー「まいまい京都」

ユニークなガイドさんと京都を歩こう!「京都・春のパンまつり!かわいい町家パン屋さんの工房へ」「ブラタモリ記念、京都高低差崖会と御土居でOh!」「京都本ライターと乙女なカフェめぐり」など、全260コース。
 
 
 

 

南禅寺最勝院の場所

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南禅寺の行き方

電車で

 ・地下鉄東西線蹴上駅」下車 徒歩約10分

 

バスで

 ・京都駅から5号系統で「東天王町」また「南禅寺永観堂」下車 徒歩約10分

 ・四条河原町から5,32,203号系統で「東天王町」下車 徒歩約10分

 

 

地下鉄蹴上駅から南禅寺

今回のスタートは地下鉄「蹴上駅」です。

 

改札を出たら、看板の通り左へ向かいます。

 

突き当りを左へ曲がります。


階段を上がります。

 

階段を上がり切ると、三条通に出るので、三条通を北(右)へ向かいます。

三条通を北へ向いたところです。100mほど北へ向かいます。

 

100mほど進むと、右手に「ねじりまんぼ」が。

 

「ねじりまんぼ」は三条通から南禅寺へ向かう道路の造成に伴って建設され、明治21年(1888)6月に完成。「まんぼ」とはトンネルを意味する古い言葉で、「ねじりまんぼ」とは「ねじりのあるトンネル」という意味です。上部にあるインクライン(傾斜鉄道)と斜めに交わる道路に合わせ、トンネルも斜めに掘られるとともに強度を確保する観点から、内壁のレンガをらせん状に積む工法が取られています。


ねじりまんぼを通り抜け、東側に出ました。この道を東へ進みます。

 

この日は10月下旬、道沿いのカエデが色づき始めていました。道なりに左へ曲がります。

 

左へ曲がったところです。右手に見えているのは、南禅寺塔頭寺院南陽院」です。通常非公開ですが、陶芸や生け花などのイベントがよく開催されており、運が良ければ中の様子を見ることが出来るそうです。七代目小川治兵衛が作庭した枯山水庭園があります。

 

さらに進むと、左手に南禅寺塔頭「金地院」があります。室町時代の創建当初は、洛北、鷹峯にありましたが、江戸時代初期、以心崇伝により現在地へ移転されました。以心崇伝は徳川家康のブレーンとして幕政に関与「黒衣の宰相」などと呼ばれました。

金地院の方丈庭園は「鶴亀の庭」(特別名勝)と呼ばれ、小堀遠州作として名高いものです。

 

金地院を通りすぎ、さらに北へ進むと、正面に東照宮下乗門があります。この門を抜けると…

 

南禅寺の境内に出ます。写真奥に見えているのが南禅寺の中門です。

 

さっそく南禅寺へ入っていきましょう。



 

南禅寺とは

正式には五山之上瑞龍山太平興国南禅禅寺と称し、臨済宗南禅寺派大本山です。

鎌倉時代の正応4元年(1291)に亀山上皇が当地の離宮を禅寺に改められたのが前身です。室町時代足利義満によって五山之上とされ隆盛しましたが、応仁の乱など三度の大火で衰退。徳川家康の庇護を受け再興され、江戸時代には10万坪を超えた境内地は、現在では約4万5千坪です。方丈は国宝で、内部の障壁画の多くは重要文化財に指定され、方丈の前庭は小堀遠州の作とされる代表的な枯山水庭園で、「虎の子渡し」として有名です。

 

三門

南禅寺に入るとまず目を惹くのが堂々とした佇まいの巨大な三門です。寛永5年(1628)に藤堂高虎大阪夏の陣戦没者慰霊のために寄進建立したものです。楼上には宝冠釈迦如来像を本尊として、十六羅漢像などが安置され、内部の極彩色画は狩野探幽、土佐徳悦の合作と伝えられます。

 

今回のまいまいツアーの集合場所はこの三門前でした。まいまいツアーの受付を済ませた後、講師の長根あきさんの紹介がありました。

長根さんは気功師で、北海道出身。幼少の頃よりアイヌの物語に惹かれ、1993年よりアイヌ民族に伝わる楽器・ムックリの演奏を始め、北海道ムックリ大会で優勝。2004年に京都へ移住され、気功を取り入れた暮らしを始められます。各地で気功教室を主催するなど、活動は多岐に渡ります。

 

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句碑「この門を入れば涼風おのづから」

まず、三門前から一旦戻り、「この門を入れば涼風おのづから」と書かれた石碑を見学します。

 

この句を書いた森永杉洞(さんどう)は南禅寺派の僧侶で、南禅寺の管長になれるほどの高僧だったそうですが、断って郷里の九州に帰って俳句を詠みながら静かに余生を送ったそうです。「この門を入れば涼風おのづから」とは、文字通りの意味だと三門を入ったら涼やかな風が自然と吹いてくる、ということです。門(結界)のこちら側は普通の世界だけれど、門の向こうは結界の向こう、聖域なので気(氣)が違い、この門の向こうは清涼な空間ということ。

さらに、三門とは解脱へ至るための三つの関門という意味もあるので、努力を積み重ねて解脱に至った先には何ものにも汚されない清々しい心持が自ずから得られるというもう一つの意味もかけているようです。解脱へ至るためには「これで終わり」というゴールは無く、努力し続けることこそ大事だということでしょうか。短い句の中に そんな深い意味がこめられていたんですね。

 

いよいよ三門をくぐって南禅寺の中心部へと入るにあたり、長根さんは気功師として「氣」を感じるコツのようなものとして、「感じる」ことと「考える」ことは同時にはしにくいので、まずは考えるのをやめ、感じることに意識を向けて欲しい、特に足の裏の感触に意識を向けることで、リラックスして感じることに集中でき、氣の変化も感じやすくなるのではないかと話されました。

私自身は気(氣)の存在をあまり意識したことが無かったのですが、長根さんのお話を伺い、氣とは何か特別な人だけが感じるものではなく、身の周りの自然や様々な状況を頭で考えるのではなく、空っぽの心で素直に受け入れることで得られるものなのかな?と思いました。

 

氣と気の違い

ところで、長根さんからいただいた資料には「氣」という漢字が使われています。普段私たちが使う「気」とどう違うのか少し調べてみました。

万葉の昔から、元々は「氣」の字が使われていましたが、戦後漢字の見直しが行われ「気」となり、教科書にも「気」が採用され、現在に至ります。

気という字を使う言葉として「元気」「病気」「気持ち」などの言葉が示すように、気はエネルギーを表しています。「氣」と「気」の違いは气の中の「米」と「〆」です。「米」は末広がりで八方に広がることを意味しています。エネルギーのあるべき姿は全身から放出されること。そう考えると、本来のエネルギーとしてあるべき字は「氣」なのかもしれません。特に私たち日本人は昔から米を主食としてきましたので、米はまさにエネルギーの源です。このことからもエネルギーを意味する「氣」の字に「米」の字が入っているのは自然なことに思えてきます。

長根さんからは「氣」と「気」の違いについて特に説明はありませんでしたが、このようなことを意識されて「氣」を使われていたのではないかと思いました。

 

三門から法堂、水路閣

三門をくぐり法堂へ向かいます。

 

長根さんの言葉に従い、足の裏の感触に意識を向ければよかったのですが、三門をくぐった先の参道脇に並ぶ木々の美しさに目を奪われたことだけ覚えています。氣の違いなのかわかりませんが、門を一歩くぐると、前日の雨の湿気を含んだ木の香気が爽やかだった気がしました。

 

参道のカエデが色づき始めていました。木々の奥にちらりと見えているのが法堂です。

 

法堂

法堂は慶長11年(1606)に豊臣秀頼によって寄進されましたが、明治28年(1895)に焼失し、現在の建物は明治42年(1909)に再建されたものです。本尊は釈迦如来坐像です。

 

法堂まで進んだら、南(右)へ曲がります。向かって左手が東になります。だいぶ高くなってきた朝日が差して、荘厳な雰囲気です。

 

木々から発せられる静かなエネルギーと朝日の神々しい光に包まれながら、黙々と石段を上ります。木々の向こうにちらりと見えているのが、水路閣です。

 

ねじりながら伸びる気功のイメージ

木に包まれて、次第に空気が美味しく感じられるようなってきました。水路閣の手前で石段から少し横道にそれ、長根さんが足を止めました。

ねじりながら空へとぐーんと伸びた木がありました。上へ伸びあがるエネルギーと、大地へ入っていくエネルギー。これが気功のイメージなのだそうです。 

水路閣

気功のイメージをつかんだところで、更に奥へと進むと、有名な水路閣に出ます。

南禅寺水路閣は、琵琶湖疎水の枝線水路です。水路は明治23年(1890)に建造され、レンガ造り、ローマ風のアーチ橋上を通っています。水路閣の全長は93.17m、幅4.06m、水路幅2.42mで、周囲の景観に配慮して設計され、13の橋脚が作り出すアーチの連続は絶好のフォトスポットで、この日も多くの人が写真を撮影されていました。

日本建築の粋を集めた禅寺の境内に、洋風の建造物である水路閣があるのがちょっと不思議な気持ちもしますが、木々の緑と古びたレンガの色合いが何とも良い感じで周辺の景観に溶け込んでいます。

 

この水路閣を抜けて、更に山の奥へと向かい、いよいよ最勝院の奥の院へと向かいますが、今回はここまで。次回へ続きます。