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西芳寺(苔寺)~禅寺の世界観を表す静謐な苔の庭 ②境内

一面の苔に覆われた幻想的な庭園が印象的な寺院、西芳寺苔寺と呼ばれ親しまれています。拝観には往復はがきやネットでの予約が必要なため、ちょっと敷居が高く感じ、私も拝観したことが無く、今回やっと訪ねることが出来ました。

苔の美しさが最高潮を迎えるのは梅雨時とのことですが、今回は紅葉も楽しみたくて、

11月下旬に訪ねた時の様子をご紹介します。

前回は松尾大社駅から徒歩で西芳寺までの行き方を詳しくご紹介しました。

今回は境内の様子を詳しくご紹介します。

 

 

 

西芳寺の場所

maps.app.goo.gl

 

西芳寺の行き方

京都駅から

京都バス(73系統)で約60分、「苔寺鈴虫寺」下車、徒歩3分

またはタクシーで約20分

 

大阪方面から

阪急電鉄京都線で「桂駅」下車、タクシーで約12分

 

嵐山方面から

阪急電鉄嵐山線松尾大社駅」下車、徒歩約20分

 

西芳寺参拝の方法

西芳寺は事前申込制による少人数参拝を実施されており、以下の二つの参拝方法があります。当日突然伺っても参拝することは出来ないのでご注意ください。

 

1.日々(にちにち)参拝

  写経と庭園の拝観(所要時間約60分)

  オンラインか往復はがき

       詳細は西芳寺公式サイトをご確認ください。

  西芳寺公式サイト

 

2.折々(おりおり)参拝

  季節限定の参拝や朝坐禅会、ご家族向けのプログラムなど、日程と人数を限定した

  参拝です。

  詳細は西芳寺公式サイトをご確認ください。

  西芳寺公式サイト

 

3.西芳寺冬季の参拝について

 境内整備のため、冬季期間(2024年1月9日~2月29日)は日々参拝を休止されます。折々参拝は冬季期間中も実施されます。

 

 

 

今回のスタートは参拝の入口となっている衆妙門からです。

 

西芳寺とは

西芳寺のあるエリアには、聖徳太子の別荘があったと伝えられています。奈良時代になり、聖武天皇の勅願を得て行基天平3年(731)に聖徳太子の別荘跡地に開山したのが、法相宗の寺「西方寺」です。平安時代には空海が入山し、西方寺の黄金池で日本初の「放生会」を行ったと言われています。鎌倉時代には法然が浄土宗に改宗しましたが、その後しばらくは荒廃していました。そして室町時代になり、室町幕府重臣であり、近くの松尾大社宮司でもあった摂津親秀が、作庭の名手でもあった高僧、夢窓疎石(夢窓国師)を招いて臨済宗に改宗、禅寺として再興し、「西芳寺」と改めました。「西芳」とは「祖師西来」「五葉聯芳 」(祖師は西から来られて、五つ花が順に咲くように悟りを開かれた)という禅宗を開いた達磨大師に関する句に由来するそうです。

足利義満や義政をはじめ、西芳寺坐禅に励んだ者も多く、夢窓疎石が作庭した西芳寺の庭園は金閣銀閣などの庭園の原型になったとも言われています。

戦国時代以降、兵乱や洪水などで荒廃と再興を繰り返し、現在のように境内で苔の繁茂が始まったのは江戸時代末期頃と言われています。

昭和3年(1928)より庭園を一般公開しますが、昭和52年(1977)からは観光公害対策のため、事前申し込み(往復はがき)による少数参拝制になりました。

 

境内を入るとすぐ目に入るのが、本堂です。西来堂とも呼ばれています。

昭和44年、京都大学名誉教授村田治郎氏の設計により再建されたものです。西来堂の名は夢窓疎石によるもので、西芳寺の名の由来と同じく「祖師西来意」に由来します。

本尊は、開山の行基ゆかりの阿弥陀如来です。参拝者は、はじめにこの本堂で写経を行います。

 

写経の用紙は以下のようなもので、筆ペンと一緒に渡されました。

 

参拝者は本堂の内外に設置された写経席に座り、この用紙に書かれた経典(お経)を筆ペンでなぞっていきます。一字一字、集中して文字を書くということが久しぶりでしたが、境内の清々しくひんやりとした空気の中での写経していると、心まで澄み切ってくるようでした。写経用紙は本堂で祈祷を済ませてあるので、書き上げた写経は持ち帰り、お守りのように手元に置いたり、不安な時に見返してください、とのことでした。

 

本堂にはご本尊の阿弥陀如来像が祀られ、その周囲には日本画の巨匠 堂本印象による色鮮やかな襖絵が彩ります。古い仏像と現在アートの襖絵が不思議な調和を為し、荘厳な空間を作っていました。(本堂内は撮影禁止です)

普段はご本尊の両側襖絵数面のみ拝観できますが、冬季期間の折々参拝では104面の襖絵を拝観することが出来ます。(要予約。詳細は以下をご確認ください。)

 

intosaihoji.com

 

写経が終わったら庭園に向かいますが、本堂と庭園の間の休憩所付近の紅葉も見事でした。散紅葉と苔のコントラストがまさに錦秋の名にふさわしい美しさです。

 

 

上下二段の庭

史跡・特別名勝に指定されている庭園は上下二段に分かれており、上段は枯山水庭園、下段は黄金池を中心とした池泉回遊式庭園になっています。(上段の庭は通常非公開)

 

枯山水(上段の庭)

夢窓疎石により1339年に築かれた日本最古の枯山水の石組みです。西芳寺枯山水庭園の原点となり、わが国における枯山水庭園の最高峰と称されているそうです。(通常非公開)

写真:西芳寺公式サイトより

 

池泉回遊式庭園(下段の庭)

「心」の字を象る黄金池を中心とした池泉回遊式庭園です。足利義満・義政などの将軍たちが船から庭を眺めた名残で小舟が浮かび、園路沿いには三つの茶室が並びます。

 

休憩所の横の小径を通り過ぎ、こちらから下段の庭へと入っていきます。

 

「史跡及び名勝 西芳寺庭園」の石碑があり、こちらから庭園回遊が始まります。

 

西芳寺庭園」の石碑の向こう側にある、黄金池の北側に位置するこの池には、中央に南北2列に等間隔に連なる石が浮かんでいます。これは、港に停泊する舟の姿になぞらえて「夜泊石(やはくせき)」と名付けられています。

 

小庵堂

黄金池の東側にある小さな茶室が小庵堂です。千利休の子、千小庵の木像を安置しており、1920年に建てられました。大正期に活躍した京都の数寄屋師、上坂次郎による普請です。

 

夕日ヶ島と朝日ヶ島

小庵堂付近から池の方を眺めた写真です。

黄金池には北から夕日ヶ島、朝日ヶ島、霞島(かすみじま)の三つの島があり、左側に見えている鎮守堂があるのが夕日ヶ島、写真中央の紅葉した木々が美しいのが朝日ヶ島です。

 

湘南亭

湘南亭はこの庭園の最も南に位置します。千利休の子 千小庵により建立された茶室で、西芳寺境内で最も古く、国の重要文化税に指定されています。千利休明治維新で幕府から逃れた岩倉具視の隠れ家ともなったそうです。北に張り出した月見台が特徴ですが、月見台と言いながら北向きに建てられているのは、東から南向きに空に浮かぶ月を見るのではなく、黄金池に映った月を愛でるためと言われています。何とも風流ですね。こちらは人が多くて写真が撮れませんでした。

湘南亭

写真:西芳寺公式サイトより

 

写真右奥、石畳の道を人が歩いている先が湘南亭です。(建物がほとんど見えなくてすいません)紅葉と苔の緑、石垣の色が見事に調和しています。

 

霞島(かすみじま)

庭園の最も南側にあるのが霞島です。写真ではわかりにくいのですが、島の南側(写真では島の左奥あたり)に三尊石があります。恐らく南側の対岸の参道から見えやすい場所に据えられていると思われます。伝統的な日本庭園には、三尊石といわれる象徴的な三つの石組がある場合が多いそうです。この庭園を浄土庭園とすれば、釈迦陀如来及び、観音・勢至菩薩の釈迦三尊仏ということになります。西芳寺の三尊石組は、後世の同趣の庭園の見本となったものです。

 

潭北亭(たんほくてい)

庭園の東側にある茶亭は潭北亭です。夢窓国師の時代に建てられた「潭北軒」という草庵にちなむもので、現在の建物は昭和3年(1928)に再建されたものです。内部は立礼(りゅうれい)式:椅子式の茶室になっているそうです。写真右側の木立の奥に見えます。

 

禅宗の世界観を表す回遊式庭園

西芳寺は1994年に世界遺産古都京都の文化財」十七寺社域の一つに登録されています。それは、西芳寺が日本庭園史上重要な位置を占めているからでしょう。西芳寺の下段庭園にあったと言われる瑠璃殿は金閣銀閣のモデルになった楼閣で、自然地形を巧みに利用した枯山水は日本最古のものと伝えられており、後世の庭園に大きな影響を及ぼしています。そのような名庭である西芳寺庭園を造ったのが夢窓疎石です。

夢窓疎石は室町初期に臨済宗を発展させ、禅宗の高僧として歴代足利将軍や後醍醐天皇からの厚い帰依を受けた偉大な宗教家としての一面と、豊かな自然を取り入れ、禅の世界を巧みに表現した禅宗庭園を多数作った名作庭家という一面があります。

政治的には対立していた後醍醐天皇とも足利尊氏とも関係の深かった夢窓疎石は、尊氏の重臣摂津親房から荒廃していた西方寺(後に西芳寺)の住持を任されました。そしてその四か月後に後醍醐天皇崩御されました。疎石は尊氏に後醍醐天皇の菩提を弔う禅寺として天龍寺を建てるよう進言しました。尊氏はこの進言を受け、光明天皇の勅願として天龍寺を建て、夢窓疎石を開山としました。疎石にとって天龍寺は公的な機関であり、一方、西芳寺は私的な存在であり、禅宗の修行に励む場であったようです。

というのも、夢窓疎石にとって、あるいはこの時代の禅僧にとって、作庭とは修行であり、また修行の成果を表現したもの、つまり宗教的行為そのものだったのです。ですから、西芳寺を始めとする禅宗寺院の庭園には、禅宗の世界観が凝縮して表現されていると言えます。

黄金池を中心とする池泉回遊式庭園では一足ごとに景色が変わる様子が楽しめ、見ている自分と周辺の自然が混然一体となったような感覚が味わえました。禅宗の世界観と言われても詳しいことはよく分かりませんが、幻想的な苔の絨毯の上に落ちた錦のようなカエデの葉や、周囲の木々や空の色を映した鏡のように光る池の美しさを見ていると、森羅万象全てに仏の心が宿っているということが何となく実感できたひと時でした。

 

 

 

西芳寺は拝観予約が必要ということと、場所も京都市の西の端で最寄りの駅からも距離があり、訪れるのに少しハードルが高かったので、気になりながらもなかなか訪れられなかった寺院でした。今回、紅葉の一番美しい時期に訪れてみて、オーバーツーリズム気味の京都市内の他の寺院と比べ格段に静かでじっくりと拝観できたので、このハードルの高さは必要だったのだと実感しました。最寄りのバス停からは徒歩3分ですが、敢えて松尾大社駅から西芳寺川沿いの坂道をてくてくと登っていくことで、西芳寺苔寺となった湿気の多い土地柄であることも体感することが出来ました。

西芳寺では春夏秋冬に梅雨を加えた「五季」それぞれに一期一会の姿を見せてくれるそうですので、また機会があれば他の季節にも訪れてみたいと思いました。