一面の苔に覆われた幻想的な庭園が印象的な寺院、西芳寺は苔寺と呼ばれ親しまれています。拝観には往復はがきやネットでの予約が必要なため、ちょっと敷居が高く感じ、私も拝観したことが無く、今回やっと訪ねることが出来ました。
苔の美しさが最高潮を迎えるのは梅雨時とのことですが、今回は紅葉も楽しみたくて、
11月下旬に訪ねた時の様子をご紹介します。
西芳寺の場所
西芳寺の行き方
京都駅から
京都バス(73系統)で約60分、「苔寺・鈴虫寺」下車、徒歩3分
またはタクシーで約20分
大阪方面から
嵐山方面から
西芳寺参拝の方法
西芳寺は事前申込制による少人数参拝を実施されており、以下の二つの参拝方法があります。当日突然伺っても参拝することは出来ないのでご注意ください。
1.日々(にちにち)参拝
写経と庭園の拝観(所要時間約60分)
オンラインか往復はがき
詳細は西芳寺公式サイトをご確認ください。
2.折々(おりおり)参拝
季節限定の参拝や朝坐禅会、ご家族向けのプログラムなど、日程と人数を限定した
参拝です。
詳細は西芳寺公式サイトをご確認ください。
3.西芳寺冬季の参拝について
境内整備のため、冬季期間(2024年1月9日~2月29日)は日々参拝を休止されます。折々参拝は冬季期間中も実施されます。
松尾大社駅から西芳寺へ
改札を出て西(左手)へ向かいます。
左を向くと松尾大社の朱塗りの鳥居が見えます。鳥居を右手に見ながら、道なりに左へ曲がります。
左へ曲がったところです。この道をしばらく南へ進みます。
松尾大社駅から南へ500m、徒歩10分ほどで右手前方に観光駐車場が見えて来るので、そちら側へと信号を渡ります。
観光駐車場に観光バスが駐車していました。駐車場の前の道が二手に分かれているので、写真の矢印のとおり右手に曲がります。
右手へ曲がったところです。ゆるやかな上り坂を登っていきます。
100mほど坂を上ると、右手に川が見えるので、右手に曲がります。
右手に曲がったところです。川沿いのカエデの並木が美しく紅葉していました。
この坂道をしばらく上がっていきます。
坂道を400m、7分ほど上がっていくと突き当りに出るので、左に曲がります。
左を向いたところです。この橋を渡ります。
「けごんばし」と書いてあります。
橋を渡り、住宅街の間の道を突き当りまで進みます。
突き当りを右へ曲がります。
右へ曲がると左手前方に京都バスの「苔寺・鈴虫寺」の停留所があります。この道を西芳寺川沿いに西へ進んでいきます。
250mほど川沿いの道を進むと、西芳寺川に架かる橋を渡った先に見えているのが西芳寺の総門です。本瓦葺の薬師門で、西芳寺が予約制になる前は多くの参拝者が出入りしたのがこの総門でした。さらに川沿いを進みます。
川沿いを80m程進み、西芳寺川に架かる橋を渡ると杮葺の衆妙門(しゅうみょうもん)が見えてきます。こちらが現在の参拝者が出入りする門です。昭和44年(1969)に本堂(西来堂)と合わせて再建されました。すでに沢山の人が参拝するのを待っていました。
「衆妙」という言葉は『老子』に出てきて、すべてのものが生まれ出る万物の源になるところという意味だそうです。予約時間になるまではこの前で並んで待ちました。時間になったので、さっそく入っていきましょう。
西芳寺とは
西芳寺のあるエリアには、聖徳太子の別荘があったと伝えられています。奈良時代になり、聖武天皇の勅願を得て行基が天平3年(731)に聖徳太子の別荘跡地に開山したのが、法相宗の寺「西方寺」です。平安時代には空海が入山し、西方寺の黄金池で日本初の「放生会」を行ったと言われています。鎌倉時代には法然が浄土宗に改宗しましたが、その後しばらくは荒廃していました。そして室町時代になり、室町幕府の重臣であり、近くの松尾大社の宮司でもあった摂津親秀が、作庭の名手でもあった高僧、夢窓疎石(夢窓国師)を招いて臨済宗に改宗、禅寺として再興し、「西芳寺」と改めました。「西芳」とは「祖師西来」「五葉聯芳 」(祖師は西から来られて、五つ花が順に咲くように悟りを開かれた)という禅宗を開いた達磨大師に関する句に由来するそうです。
足利義満や義政をはじめ、西芳寺で坐禅に励んだ者も多く、夢窓疎石が作庭した西芳寺の庭園は金閣や銀閣などの庭園の原型になったとも言われています。
戦国時代以降、兵乱や洪水などで荒廃と再興を繰り返し、現在のように境内で苔の繁茂が始まったのは江戸時代末期頃と言われています。
昭和3年(1928)より庭園を一般公開しますが、昭和52年(1977)からは観光公害対策のため、事前申し込み(往復はがき)による少数参拝制になりました。
今回はここまでです。
次回は境内の様子を詳しくご紹介します。