2022年の干支は「壬寅(みずのえとら)」~厳しい冬を越えて、芽吹き始め、新しい成長の礎となるイメージの年だそうです。
一方、京の都においては、方角を司る四神である北の玄武、東の蒼龍、南の朱雀、西の白虎が守護する「四神相応の地」として平安京が造られました。そして、京都の西に位置する松尾大社では「白虎」が都を守護しています。
毎年松尾大社では新年にその年の干支にちなんだ大絵馬が拝殿に掲げられます。今年は松尾大社のシンボルでもある白虎がデザインされた大絵馬です。
2年にわたり様々なことが停滞した厳しいコロナ禍を越えて、京都と言わず世界中の新しい成長の礎が築かれることを願い、松尾大社へお参りしてきました。
今回は初詣の混雑を避けるため、12月末に伺いました。
松尾大社の場所
松尾大社の行き方
JR京都駅→(地下鉄)→四条烏丸→(阪急京都線)→桂→(阪急嵐山線)→松尾大社
所要時間:京都駅から約40分
●市バス「松尾大社前」バス停下車
所要時間:京都駅から約40分
今回のスタートは阪急「松尾大社駅」です。
改札を出て左手が松尾大社です。
交差点の向こうに立派な朱色の一の鳥居が見えます。
一の鳥居の右横にある二つのオブジェは、お酒を入れる容器「瓶子(へいし)」をモチーフとして、「お酒の神様」である松尾大社に捧げられたものだそうです。
松尾大社の歴史とご祭神
松尾大社本殿の背後にある松尾山は、太古の昔から、山頂近くに「磐座(いわくら)」と呼ばれる、神が降臨するという岩があり、この地に住む人々が山の神として崇め、信仰してきました。大宝元年(701年)、京都盆地の西一帯を支配していた秦氏が「磐座」の神霊を勧請し、現在の本殿の場所に社殿を建立したとされています。その後も秦氏(はたうじ)により氏神として奉斎され、平安遷都後は東の賀茂神社(賀茂別雷神社:上賀茂神社、賀茂御祖神社:下鴨神社)とともに「東の 厳神、西の猛霊」と並び称され、西の王城鎮護社に位置づけられたました。中世以降は酒の神としても信仰され、現在においても醸造家からの信仰の篤い神社です。
御祭神は大山咋神(おおやまぐいのかみ)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)です。大山咋神は、古事記によると山の上部に鎮座されて、山及び山麓一体を支配される神であり、近江の国の比叡山と松尾山を支配される神であったと伝えられます。一方、市杵島姫命は、中津島姫命(なかつしまひめのみこと)の別名で、古事記の記述によると、福岡県の宗像大社に祀られる三女神の一神として古くから海上守護の霊徳を仰がれた神です。おそらく外来民族である秦氏が朝鮮半島と交易する関係から、航海の安全を祈って古くから同社に勧請されたと伝えられています。
さっそく中へ入って行きましょう。
年末の参道ですが、私と同様に混雑を避けて訪れる参拝者もそれなりにおられました。
ピンぼけの写真ですいません。ジュウガツザクラだと思います。秋から冬にかけて開花する、淡紅色で半八重咲きの桜です。ソメイヨシノなどと比べると派手さは無いですが、色味の少ない秋冬に見かけるとほっとする花ですね。
参道を100mほど進むと二の鳥居(赤鳥居)です。鳥居の上部に榊の小枝を束ねたものがたくさん垂れ下がっています。これを「脇勧請」と言います。穢れ(けがれ)を祓う力があると言われる榊を、原始の神社では境内の大木に吊り下げることによって、神域と人の結界としていて、それが鳥居の始まりと言われています。
榊の束は12個(閏年は13個)。榊の枯れ方によって月々の農作物の出来具合を占ったそうです。榊が完全に枯れると豊作で、一部が枯れ残ると不作。太古の風習を松尾大社ではそのまま伝えていると言われています。
楼門です。
左右に随神を配置したこの楼門は江戸時代初期の作と言われており、屋根は入母屋造檜皮葺です。高さ約11メートルで大規模なもので、華美な装飾はなく和様系で古式の楼門です。
楼門の左右に随神が安置されています。随身とは、平安時代、貴族の外出時に護衛のために随従した近衛府の官人で、神社においては神を守る者として安置される随身姿の像のことを随神と言います。この随神の座っている椅子?にご注目!黒い着物の随神の椅子はヒョウの顔、赤い着物の随神の椅子はトラの顔になっています。もともとトラとヒョウだったのか、寅年にちなんでなのかはわかりませんが、見つけてちょっと嬉しくなりました。
楼門をくぐり中へ入っていきます。
境内を流れる用水路にかかる石橋を渡ります。
手水舎です。
手水舎に控えているのは龍が一般的かと思いますが、松尾大社では亀の役目です。
なかなかユーモラスな顔つきの亀です。
「撫で亀さん」です。古来「亀」と「鯉」は松尾大神のお使いと伝えられており、中でも「亀」は健康長寿のシンボルとして親しまれてきました。賽銭箱の左に見える白い物体が「撫で亀さん」で、本来は直接この亀に手を触れて、その霊威にあやかってご利益を受けるものなのですが、現在は感染防止のため、このような姿となっています。
撫で亀さんの横の石段を登ると、目の前に拝殿があります。
この大絵馬は、京都の版画家 故井堂雅夫氏の原画を元に作成された高さ3.2m、横幅5.5m、暑さ15センチ、総重量90kg余の京都で唯一の超大型絵馬で、昭和58年(1983)の新年以降毎年掲げられている伝統あるものだそうです。今年は3月末まで掲げられます。
今年の絵馬は、縁起の良い松・竹・梅に囲まれている「白虎」が、その前にある神亀が持つ寿の文字が描かれた漆塗りの酒杯を覗き込んでいる絵柄です。
神亀は、先ほどの撫で亀と同様、酒の神と言われる松尾大神のお使いで、境内にある霊亀の滝と、その前方にある亀の井を象徴するもので、また後程ご紹介します。
拝殿の横には「樽うらない」があります。おもちゃの弓矢で樽を狙い打って運試しです。樽の真ん中には穴が開いていて鉄板が貼ってあるので、命中すると大きな音が出ます。新春の運だめしをしてみるのも楽しいかもしれないですね。
樽うらないの横には社務所があり、樽うらないの受付はもちろん、お札やお守り、おみくじなどを授与していただけます。
寅年にちなんだ置物が並びます。
このブログの最初にもお伝えしたように、京都の西の守護神である白虎ゆかりの松尾大社では「白虎みくじ」が可愛いと、数年前から人気です。私が訪れた時は売り切れでしたが、年明けから販売予定とのことです。
社務所や樽うらないの奥にある神輿庫前にはたくさんの奉納酒樽がずらり。京都はもとより全国のお酒が集まります。松尾大社を創建した秦氏は、この周辺の土地の開拓だけでなく、農業など各種産業にも従事し、その生業のひとつが「酒造り」などの醸造です。ご祭神の大山咋神(おおやまぐいのかみ)は「醸造祖神」として崇められ、平安時代以来、お酒をはじめ味噌や醤油、お酢など醸造に関わる方から篤く信仰されています。
神輿庫前の酒樽を見た後は、拝殿の向こうの本殿前を北へ進みます。
初詣に向けた準備が境内各所で進んでいました。
篝火(かがりび)の奥の西側に、「松風苑 神像館入口」があります。
本殿と客殿の間をつなぐ渡り廊下の下をくぐって奥へ進みます。
渡り廊下をくぐった先に「神泉 亀の井」があります。西山から湧き出るこの霊水はとりわけ酒造りに霊験あらたかと言われています。
酒造家は、「この霊泉の水を酒の元水として造り水に混和して用いると腐敗しない」と言い、延命長寿、よみがえりの水としても有名です。茶道、書道の用水として活用したり、飲用として地元の方たちが汲みに来られたりしています。
亀の井の奥の坂を上へあがっていくと、「霊亀の滝」があります。
小さな滝ですが、澄んだ空気が感じられます。滝の手前の鳥居には「滝御前」と記されています。ご祭神は罔象女神(みずはのめかみ)で、万物生成を司る水神だそうです。
滝の左側に天狗の横顔にように見える「天狗岩」があるそうなのですが、よくわかりませんでした。でも、本当に天狗が出そうな雰囲気です。熱心に滝の写真を撮影されている人もおられました。
霊亀の滝を後にして、また先ほどの渡り廊下をくぐり、本殿横に戻りました。
初詣期間中はお札やお守りなどの売店が手前に設置されわかりにくいですが、篝火の向こうに「神使の庭」として、松尾大神のお使いである亀と鯉の石像があります。松尾大社では、大神様が太古、山城丹波の国を拓くため保津川を遡られる時、急流は鯉、緩やかな流れは亀の背に乗って進まれたと伝えられ、以来亀と鯉は神のお使いとして崇められているそうです。境内にはこの他に「幸運の撫で亀」や「幸運の双鯉」などのパワースポットもあるのですが、現在は感染防止の為、覆いがかかっていました。
平安遷都よりはるか昔から、この土地の守護神として地元の人々の崇敬を集めてきた松尾大社。きらびやかさは無いものの、常に人々の暮らしに寄り添い見守ってきた素朴な温かさが感じられました。神のお使いの亀や鯉、京都の西を守る白虎らのパワーをいただくことで、コロナ禍の閉塞感を越えて、新しい年を元気良く迎えたいものですね。
松尾大社は嵐山からも阪急電車で一駅とほど近いので、併せて訪れてみてはいかがでしょうか。
松尾大社については、以下のブログでもご紹介しています。
阪急嵐山駅から徒歩で松尾大社への行き方↓
松尾大社の歴史と概要↓
松尾大社の庭園↓