おなじみの観光地 嵐山から桂川沿いを南東へ20分余り、松尾橋を東へ渡り、四条通を10分ほど歩いたところに梅宮大社はあります。境内には神社で飼っている多くの猫が暮らしていて、全国の猫好きが集まります。社名にもなっている梅の名所でもあり、そろそろ梅が見ごろと思い訪ねてみました。
梅宮大社の場所
梅宮大社の行き方
電車で
バスで
改札を出て正面の信号を北へ渡ります。
信号を渡って東(右)へ進みます。
踏切を渡ります。
踏切の先の信号を渡り、松尾橋を渡り更に東へ進みます。
松尾橋を渡り切ると罧原堤(ふしはらづつみ)四条の交差点です。
信号を渡り、四条通を更に東へ進みます。
四条通を200mほど東へ進むんだところです。フレスコの横を更に道なりに進みます。
フレスコから更に200mほど東へ進むと信号があり、「梅宮大社参道」の看板があるので、北(左)へ曲がります。
曲がった先に大きな石の鳥居と、朱の鳥居が見えてきました。
朱色の鳥居の手前には大きな梅の木が!さすが梅宮大社です。
青空に白い梅が映えます。
朱色の鳥居は迫力があります。さっそく入って行きましょう。
随身門は三間一戸の楼門で、入母屋造、屋根は本瓦葺で文政11年(1828)再造営されたと言われています。酒造りの守護神を祀る神社なので、楼門の二階に酒樽が並んでいるという珍しい姿です。
梅宮大社とは
梅宮大社は京都でも有数の古い歴史のある神社です。詳細は不明ですが、奈良時代には政治家であった橘諸兄(たちばなのもろえ)の母 県犬養三千代(あがたのいぬかいみちよ)(橘美千代)によって、現在の京都府綴喜郡井手町(山城国相楽郡井出荘)に創建したのが始まりと言われています。平安時代の初めに、その神を橘氏の氏神として橘嘉智子(檀林皇后・嵯峨天皇の后)が現在地あたりに移したと言われ、皇室外戚神として天皇家から崇敬されました。
本殿では酒解神(さかとけのかみ)、大若子神(おおわくこのかみ)・小若子神(こわくこのかみ)・酒解子神(さかとけこのかみ)の四座を御祭神とします。酒解神の御子・酒解子神は大若子神との一夜の契りで小若子神が生まれたことから、歓喜して、狭名田の稲をとって天甜酒(あめのうまさけ)を造り飲んだという神話から、古くから安産と酒造の神として有名です。
また、皇子に恵まれなかった橘嘉智子(檀林皇后)が、本殿の横に鎮座する「またげ石」をまたいで子どもを授かったことから、この石をまたげば子宝に恵まれると伝えられ、その下の白砂は安産のお守りとされています。
現在の社殿のうち、本殿・拝殿・楼門・境内社の若宮社・護王社の5棟は江戸時代の造営であり、京都府登録文化財に登録されています。
さらに、庭園は杜若や花菖蒲、紫陽花の名所として知られるほか、梅、八重桜、椿、つつじ、なども大変美しいと言われています。
それでは、中へ入って行きましょう。
入ってすぐ左手にある手水舎の横にもたくさんの酒樽が並んでいます。
拝殿
拝殿は桁行三間・梁行三間の入母屋造で、妻入、屋根は銅板葺です。文政11年(1828)再造営されたそうです。
本殿
拝殿の奥にあるこちらが拝所と回廊で、その奥に本殿があります。三間社流造で、屋根は檜皮葺です。現在の本殿は元禄13年(1700)に造営されたと言われていますが、何回か再建されているようです。
私が訪れた時は、若い夫婦らしき参拝者が神主さんからお祓いを受けていました。安産祈願でしょうか。
またげ石
写真:梅宮大社公式サイトより
本殿の横に鎮座する神秘的な石で、またぐと子宝に恵まれると言われています。
猫神社
社務所の横には猫のお昼寝スペースがあり、のんびりと過ごす猫の姿に癒されます。
動物写真家 岩合光昭さんも訪ねられたそうです。
人懐っこい猫もいて、参拝者に抱っこされても嫌がらない場合もありますが、人に慣れていない猫もいるので、むやみに追い掛け回さないで見守ってあげましょう。
神苑
さて、お参りを済ませたら、社務所で拝観料を納めて神苑を訪ねましょう。京都府の有形文化財に登録されている本殿や楼門など社殿の多くが元禄年間に復興されたと先ほどお伝えしましたが、現在の東神苑にあたる部分も、この時期に最初の整備がなされたようです。
現在、神苑は本殿の東、北、西の周囲三方を囲むように配されていますが、東神苑は江戸時代には現在の半分ほどの広さでした。明治から大正にかけて拡張され、さらに昭和40年代後半に池の改修とともに北神苑や西神苑の整備が行われ、現在の姿になりました。
神苑に入るとさっそく紅梅が出迎えてくれます。
写真が下手で、ちょっとわかりにくいのですが一本の木に紅梅と白梅が咲いていました。
東神苑には、ご祭神である酒解子神の別名 木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)にちなんで咲耶池(さくやいけ)と名付けられた池を中心に、池の周囲には杜若、花菖蒲、霧島つつじなど多くの草花が植えられています。初夏にも訪れてその美しさを堪能したいものです。
池泉回遊式庭園なので、ぐるっと巡ってみましょう。
咲邪池の中島には、江戸時代末期の嘉永4年(1851)に建てられた池中亭(ちちゅうてい)があります。百人一首で源経信に詠まれた「夕(ゆふ)されば 門田(かどた)の稲葉(いなば)おとづれて 芦(あし)のまろやに秋風ぞ吹く」と読まれた「芦のまろや」が、この池中亭だそうです。この茶室の風雅な茅葺屋根の形が、往時の芦のまろやの姿を今に伝えています。
池中亭へ入る入口の傍に、百人一首の大納言 源経信の歌碑があります。
更に奥へ進みます。
北神苑です。こちらの中心は勾玉池です。その奥に梅林があります。花菖蒲や平戸つつじ、八重桜やあじさいもあるそうです。それぞれの季節で咲き競うさまを見たいですね。
勾玉池の更に奥へ、西神苑へと進んでいきます。
西神苑の梅苑です。梅はまだ3分咲きといったところですが、水仙と梅の甘い香りが漂っていました。梅が満開になったらさぞかし艶やかなことでしょうね。
かつては天皇家の外戚を祀る氏神として崇敬を集めた梅宮大社は、平安時代には貴族の別荘地が集まっていた嵐山の近くに佇む、格式の高い神社です。それにも関わらず、猫がのんびり歩いていたり、手をかけられた神苑にも野の花が咲き乱れていたりと、どこかほっとするような素朴で親しみやすい雰囲気が漂っていました。
梅宮大社から徒歩10分ほどのところに、同じく酒造の神でもある松尾大社があります。松尾山を背にした松尾大社は、訪れる者に自然への畏敬の念を抱かせるような厳しい雰囲気に満ちていました。こんなに近くにあるのに、両社のこの雰囲気の違いは何なのだろう?と考えてみると、松尾大社のご神体である磐座(信仰の対象である岩)の大きく荒々しい姿に見られる男性的な厳しさに対して、梅宮大社のご神体である安産の神には、新しい命を生みはぐくむ女性のような、人々を包み込む優しい雰囲気があることが影響しているのではないかと感じました。
阪急電鉄松尾大社駅から西へ行くとすぐ松尾大社、東へ10分ほど歩くと梅宮大社ということで、これほど対照的な2社を一緒に参拝するのは非常に趣き深いものです。
公共の交通機関では少し不便な場所ではありますが、気候の良いお時間のある時に、是非足をお運びください。