京都を代表する花街 祇園 花見小路の南端に位置する建仁寺は、国宝 風神雷神図屏風や法堂の天井を彩る「双竜図」などで有名ですが、この建仁寺の塔頭寺院である両足院は通常非公開ですが、新春と初夏などに特別公開で庭園や襖絵などが楽しめます。
今回は冬でも見ごたえのある池泉回遊式庭園や襖絵などをご紹介します。
2022年の新春特別公開はすでに終了しています。ご了承ください。
両足院の場所
両足院の行き方
電車で
・京阪「祇園四条」駅下車 東へ信号二つ目、花見小路南へ突き当り徒歩7分
・阪急「京都河原町」駅下車 徒歩10分
市バスで
JR京都駅より市バス 206系統、100系統
・「四条京阪」下車 大和大路通を南へ5分
・「東山安井」下車 安井通を西へ徒歩2~3分
・「南座前」下車 徒歩10分
・「祇園」下車 徒歩10分
建仁寺への行き方は以下で詳しくご紹介しています↓
今回のスタートは建仁寺の北門です。
前回のブログ「両足院①毘沙門天堂~虎が護る祇園のパワースポット」でも建仁寺の北門からの行き方をご紹介していますが、再掲します。
さっそく中へ入って行きます。
観光客で賑わう花見小路から一変、京都最古の禅寺らしい凛とした空気が漂います。
道なりに右へ曲がります。
先ほどの道を右へ曲がると左前方に鐘楼があります。この鐘楼の前を左へ曲がります。
両足院の新春特別公開の案内板です。「虎みくじなくなりました」とあります。松尾大社の虎みくじも売り切れでしたが、ここでも虎みくじが人気のようです。
案内板に従って進むと、前方左手が両足院の塀です。正面の石畳の小道を進みます。
小道を10m余り進むともう両足院の入口です。門前に「毘沙門天王」の石碑があります。
境内を入るとすぐ左手には狛犬ならぬ狛虎が護る毘沙門天堂が。よく見ると香炉や灯篭などにも虎がいますので、探してみてください。
何故毘沙門天堂を虎が護っているかについては、前回のブログをご参照ください。↓
手水舎の横には、寅年にちなんで虎の絵の絵馬が鈴なりに。毘沙門天は勝利の神として、商売繁盛、合格祈願、誓願成就の他、祇園の芸妓、舞妓が「良い旦那さんが見つかりますように」などとお参りしたことから「祇園の縁結び」として良縁成就のご利益もあると言われています。
この手水舎の右横の階段を上ると、新春特別公開の受付があります。
写真を撮り忘れましたが、特別公開の受付のほか、御朱印や絵馬、お守り、おみくじ、お札などもこちらで授けていただけます。
虎年にちなんだ虎の絵の絵馬です。
受付を済ませたら、右奥に進み、靴を脱いで上がります。
靴箱の横の小さなスペースにも枯山水の坪庭が。
両足院とは
両足院は、室町時代の1358年に龍山徳見(りゅうざんとっけん)により開山された臨済宗建仁寺派の塔頭寺院です。
建仁寺は京都五山の第三位に列せられ、京都最古の禅寺としても有名な名刹で、両足院はその塔頭寺院の一つです。
両足院は当初は「知足院」という名でしたが、1536年の火災で焼失し、再建にあたって現在の両足院と改称しました。
両足院は、室町時代中期まで「五山文学」の最高峰の寺院であり、江戸時代に入っても当院の住持が五山の中で学徳抜群の高層に与えられ最高の名誉とされる「硯学禄」を授与されるなど、「建仁寺の学問面」(建仁寺から詩文芸術に秀でた禅僧を多数輩出したことから、京都の人にこう呼ばれた)の中核を担いました。
また、天正年間から幕末までの間に長崎の対馬にあった、朝鮮との通交の要所寺院であった「以酊庵」に当院の住持が輪住したこともありました。以酊庵に輪住する和尚は、外交文書の交信、朝鮮通信使の応接など、五山の代表として、いわば外交官のような重要な役職を務めました。
また、両足院は「饅頭始祖の寺」としても有名です。開山の龍山徳見の弟子のひとりである中国の僧林浄因が、龍山和尚が修行した中国からともに来日し、両足院で「饅頭」の文化を日本に伝えたと言われています。
それではさっそく入っていきましょう。
閼伽井庭
方丈と庫裏の間の中庭です。閼伽(仏前に供える水)を汲む井戸とその水を受ける水鉢がこの庭の象徴です。三尊石(写真左手)が中心にあり、その奥に前述の水鉢と灯篭を配しています。
写真がうまく撮れていなかったのですがこの写真の左下あたりに水鉢と灯篭があります。小さいながら趣きのある石庭です。
方丈前庭
方丈の前庭です。桃山時代に作庭されたそうです。
苔地に松や石組みを配した枯山水庭園が、方丈の建物を取り囲むように続いています。手前の石組は豪快で力強さを感じます。
更に奥へ進むと写真左に見える門の向こうは大書院前庭へと続きます。
大書院前庭
先ほどの門を抜けると大書院の前庭です。こちらは江戸時代の作庭で、京都府の名勝庭園にも指定されている池泉回遊式庭園です。
写真左手が先ほど通った方丈、正面が大書院です。
池の北側には織田信長の弟織田有楽斎好みの如庵の写し「水月亭」、その右には六帖席の「臨池亭」が並びます。
水月亭は明治末期に大村家により寄進されました。臨池亭は高台寺にあった木村家の別荘の茶室を昭和元年に移築されました。
大書院側から前庭を眺めると池が羽を広げた鶴のように見えます。
飛び石沿いに池の周りを回遊すると一足ごとに見える景色の移り変わりが楽しめます。
池の反対側から大書院を眺めます。池の水面に大書院が映り込んでいます。
雪舟天谿画伯筆 方丈襖絵32面
今回の新春特別公開では方丈の襖絵も見どころでしたが、撮影不可だったため看板の写真から拝借しました。雪舟天谿(せっしゅうてんけい)画伯筆『方丈襖絵32面』です。この襖絵は、墨と水を使って仏の示す幽玄な世界を描いた『道釈画』と言われるものです。2014年に建仁寺開山 栄西禅師800年遠忌を記念し、5年の歳月をかけて制作されたそうです。
雪舟と言えば、室町時代の水墨画家 雪舟等楊(せっしゅうとうよう)が有名ですね。雪舟は京都の相国寺に籍を置いた禅僧です。48歳で明に渡り、水墨画を学び、大陸の大自然を描きました。一方現代に生きる雪舟天谿画伯も2006年に48歳で雪舟が学んだ中国・禅宗五山の一つ『天童寺』に渡ります。「雪舟の再来」と称えられ、雪舟と同じ『天童第一座』の称号を授与され、2019年には相国寺の有馬頼底管長から『雪舟』の号を与えられました。道釈画の伝統を受け継ぎ、厳粛な精神世界を求める一方で、天谿画伯は道釈画の新しい表現にも挑戦しています。
天谿画伯は大学時代に油絵を専攻し、シュールレアリズムを学びました。特に影響を受けたのが、サルバドール・ダリの「ダブルイメージ」という手法です。これは一つのものを二つに見立てる、いわば「隠し絵」です。上記写真の奥に見えるのが「拈華微笑(ねんげみしょう)」という禅の起源を表した場面です。中央に座す釈迦が、大衆に向かって金波羅華(こんぱらげ)という花を高くかざして静かに示されました。この時大衆はその意味がわからずざわめきましたが、一番弟子の摩訶迦葉(まかかしょう)だけが真意を知って微笑したという場面です。以心伝心で法を体得する、禅の根本思想の一つです。この思想を絵画で表現するために、群衆の中の摩訶迦葉を「いるのだけれどいない存在」「いないけれどもいる存在」として、いわば隠し絵的に描いています。この襖絵を見て摩訶迦葉がわかれば摩訶迦葉と同じ、わからなければ群衆のひとりということを体験してほしいという意図がこめられているのです。
言葉を超えた仏の教えを画で伝える、という深い意図が分からなくても、繊細かつ大胆でのびやかな線で描かれた水墨画の数々は、従来のイメージを超えて、たおやかに、勇壮に、また時にユーモラスに現代を生きる私たちに訴えかけるものがあると感じました。
両足院では新春以外にも初夏の半夏生の美しい季節や春や秋などに特別公開を行っていますので、機会があれば是非、四季折々に美しい庭園や、時代を超えて見ごたえ充分な襖絵で禅の世界を堪能してみてはいかがでしょうか。
特別公開の日程は、両足院の公式サイトからご確認ください。