京都おすすめ散歩道

定番から穴場まで京都のお散歩コースを地元民の視点からご紹介

八坂神社 ~東山に鎮座する京都の守護社

f:id:yomurashamroch:20211209213331j:plain

京都のメインストリートの一つ四条通の東のスタート地点に位置し、京都東山随一の観光地でもある八坂神社は、一年を通して多くの参拝者で賑わっています。

京都人は八坂神社のことを親しみをこめて「祇園さん」や「八坂さん」と呼びます。それは八坂神社が元は「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」などと呼ばれていたからです。花街として知られる祇園の名も、その門前街として栄えたことに由来します。

そして日本三大祭の一つ「祇園祭」も、疫病が鎮まるようにと平安時代に始まった八坂神社の祭礼としてあまりにも有名です。

平安時代から京都を守ってきた八坂神社の歴史と魅力を、八坂神社の奥に広がる「円山公園」とともにご紹介します。

 

 

八坂神社の場所

goo.gl

 

八坂神社の行き方

電車で

 京阪電車祇園四条」駅より徒歩約5分

 阪急電鉄「京都河原町」駅より徒歩約8分

 

バスで

 JR京都駅より市バス100・206番

  「祇園」下車すぐ

 

今回のスタートは、阪急電鉄「京都河原町」駅です。

f:id:yomurashamroch:20211209233959j:plain

東改札口から出てそのまま北(前)へ進みます。

 

f:id:yomurashamroch:20211209234130j:plain

1番出口へ向かいます。

 

f:id:yomurashamroch:20211209234341j:plain

1番出口のうち出口Aでも出口Bでもどちらでも良いのですが、今回私は出口B(右側)から出ました。

 

f:id:yomurashamroch:20211209234608j:plain

階段を上ると四条通木屋町通の交差したところに出ます。四条通りを右(東)へ向かいます。

f:id:yomurashamroch:20211209235114j:plain写真左手が四条通、前方が木屋町通です。木屋町通の信号を東へ渡ります。

 

f:id:yomurashamroch:20211209235603j:plain

60mほど東へ進むと四条大橋です。そのまま東へ進みます。

 

f:id:yomurashamroch:20211210211418j:plain

四条大橋から南側の風景です。少しだけ紅葉が残っています。

写真左端、鴨川の向こうに見えている建物は南座です。

 

南座

f:id:yomurashamroch:20211210212043j:plain

四条大橋を渡り切ると、川端通りです。写真左手に見えているのは京阪電鉄祇園四条」駅へ下りる階段の入口です。川端通りの向こう、信号を渡った先に見えている赤と白の華やかな建物は南座です。

 

f:id:yomurashamroch:20211210212136j:plain

南座の傍らにひっそり立っているのが「阿国歌舞伎発祥地の碑」です。横の立て札によると、慶長8年(1603)この辺り鴨河原において歌舞伎の始祖出雲の阿国が初めてかぶきおどりを披露したと伝えられているそうです。この石碑は昭和28年11月吉例顔見世興行を前に歌舞伎発祥350年を記念して松竹株式会社により建設されたものです。我が国が世界に誇る文化財歌舞伎を日本の至宝として末永く後世に伝えたいという願いがこめられているそうです。

 

f:id:yomurashamroch:20211210212853j:plain

阿国歌舞伎発祥の碑」を見た後、川端通りを北へ向かい「にしんそば」の看板の所を東(右)へ曲がります。

 

f:id:yomurashamroch:20211210213954j:plain

四条通に出て少し歩くと、こちらが南座の正面入口です。

南座は江戸時代初期に起源を発し、元和年間に官許されたとされる劇場で、同一の場所で今日まで興行を続けてきたという意味では、日本最古の劇場です。「南座」という名称は、京都のメインストリート四条通の南側に位置しているためです。

f:id:yomurashamroch:20211210215256j:plain

南座の正面上部には、文字や絵を使って飾った「まねき看板」がずらりと並びます。まねき看板の上部に庵形をつけ、勘亭流(かんていりゅう)文字で俳優の名前を記し、上部をその俳優の紋で飾ります。

今年も12月1日に南座のまねき上げが行われました。総数47枚のまねき看板が南座の正面に掲げられると、一緒に飾られた松や短冊とともに、南座は「吉例顔見世興行」一色となります。まねき上げのニュースを見ると、ああ師走だなあと思う京都人が多いのではないでしょうか。

 

f:id:yomurashamroch:20211210220945j:plain

南座を後にして、四条通を更に東へ向かいます。

 

仲源寺

f:id:yomurashamroch:20211210221512j:plain

南座から80mほど東へ進むとお土産物屋さんと並んで「仲源寺」というお寺がひょっこり現れます。京都はこんな風に商店街の中にも普通にお寺や神社が同居しているんですよね~

仲源寺は浄土宗に属する寺院で、一般に「目疾地蔵(めやみじぞう)」の名で人々に親しまれています。平安時代の治安2年(1022)仏師定朝が四条橋の東北(四条通をはさみ現在地の向かいほどでしょうか?)に地蔵菩薩を祀ったことに由来します。

安貞2年(1228)の鴨川氾濫時に、鴨川の管理を行う防鴨河使(ぼうおうかし)という役人の中原為兼が、河原にあったこの地蔵菩薩に止雨を祈ったところ雨がやんで洪水も治まったことから「雨やみ地蔵」と呼ばれるようになったそうです。そして朝廷から「中原」の名字をもじって「仲源寺」という寺号が下賜されました。本尊の地蔵菩薩は当初「雨やみ地蔵」と呼ばれていましたが、次第に「目やみ地蔵」と呼ばれるようになり、参拝すると目の病が治るとされたそうです。

天正13年(1585)に現在地へと移転しました。

観光客でいつも賑わう町中に、そんな霊験あらたかなお地蔵さんがいらっしゃるのも京都ならではですね。

 

漢字ミュージアム漢検 漢字検定博物館・図書館)

f:id:yomurashamroch:20211211214844j:plain

さて、仲源寺から300mほど四条通を東へ進むと、右手に大きな黒い和風の建物が。

これは漢検 漢字検定博物館・図書館(通称 漢字ミュージアム)です。

漢字をテーマとした日本初の博物館・図書館で2016年6月に京都市立弥栄小学校の跡地にオープンしました。漢字をただ見るだけでなく、触れたり、学んだりできる展示で、世界へ向けて発信し、漢字の普及を目指す施設です。

漢字ミュージアムへは訪れたことは無かったのですが、今回は時間の都合で入館は見送り。また別の機会にゆっくりと訪れたいと思います。

 

漢字ミュージアムまで来れば、もう八坂神社は目の前です。

f:id:yomurashamroch:20211211221411j:plain

四条通の突き当り、信号の先におなじみの八坂神社の西楼門が見えます。四条通から来られる人が多いので、この門が一番有名ですが、実はこちらは正門ではなく、正門は南楼門だそうです。

 

八坂神社とは

八坂神社の創祀には諸説ありますが、社伝によると、一つは斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山(ごずさん)に座した素戔嗚尊(すさのをのみこと)をこの地の祀ったのが始まりとされます。

また一説には貞観18年(876)、南都(奈良)の僧 円如(えんにょ)がこの地にお堂を建立し、同じ年に天神(祇園神)が東山の麓 祇園林に降り立ったことに始まるとも言われています。

その後元慶元年(877)、疫病流行に際して「東山の小祠」(祇園社)に祈りが捧げられ流行が止んだことが八坂神社の発展の景気とされています。

長徳元年(995)には王城鎮護の社として崇敬された二十一社(のちに二十二社)に数えられました。

 

それでは、この西楼門から八坂神社へ入って行きます。

f:id:yomurashamroch:20211215233403j:plain

石段を登り、西楼門をくぐってすぐ左手にあるのが手水舎です。現在は感染防止のため柄杓の使用を中止しています。

 

f:id:yomurashamroch:20211215233632j:plain

手水舎のすぐ右手、西楼門をくぐった真正面にあるのが疫神社(えきじんじゃ)です。

名前の通り疫病除けの神社です。

f:id:yomurashamroch:20211215233838j:plain

むかし素戔嗚尊(すさのをのみこと)が旅された際、二人の兄弟の神様に宿を請います。弟の巨旦将来(こたんしょうらい)は裕福でしたが宿を貸さず、兄の蘇民将来(そみんしょうらい)は貧しいながらも粟で手厚くおもてなしをし、それに感激した素戔嗚尊は、後に疫病が流行しても「茅の輪」をつけて「蘇民将来の子孫なり」と言えば災厄から免れると約束されました。以来、疫病退散のご利益のある神様として信仰されています。祇園祭で売られている粽(ちまき)にも疫病退散を願って「蘇民将来之子孫也」と書かれた札が付けられています

 

f:id:yomurashamroch:20211216100418j:plain

疫神社をお参りし、更に境内を右の奥へ向かいます。

 

境内にはたくさんの摂社・末社があります。

f:id:yomurashamroch:20211216100622j:plain

太田神社のご祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)、宇受女命(うずめのみこと)で、ご利益はみちしるべ、芸能です。

 

f:id:yomurashamroch:20211216101146j:plain

北向蛭子社(きたむきえびすしゃ)のご祭神は事代主神(ことしろぬしのかみ)で、俗に「えべっさん」とも称される神様です。商売繁盛のご利益があります。

 

f:id:yomurashamroch:20211216102422j:plain

大国主社(おおくにぬししゃ)のご祭神は大国主神(おおくにぬしのかみ)です。「因幡の白兎」(いなばのしろうさぎ)で知られる神様で「大国さん」と親しまれ、縁結びの神様としても知られています。

f:id:yomurashamroch:20211216103044j:plain

大国主社の前にある因幡の白うさぎの石像にもマスクがかけられていました(笑)

 

f:id:yomurashamroch:20211216103306j:plain

大国主社の向かいが社務所とお札・お守りなどの授与所です。

 

f:id:yomurashamroch:20211216103616j:plain

本殿前にあるのが舞殿(ぶでん)です。祇園祭の際に三基の神輿が奉安されるほか、結婚式や各種奉納行事(舞妓による舞踊等)が行われます。

花街の置屋や付近の料亭から奉納されたたくさんの提灯は、毎夜明かりが灯され幻想的な雰囲気を醸し出しています。

余談ですが、17時以降に閉鎖する神社やお寺が多い京都で、八坂神社は四方に門があり夜間も参拝できる珍しい神社です。

 

 

f:id:yomurashamroch:20211216104851j:plain

f:id:yomurashamroch:20211216105032j:plain

本殿に着きました。令和2年(2020)12月に国宝に指定されました。

現在の本殿は承和3年(1654)に徳川四代将軍の家綱が再建したものです。一般の神社では別棟とする本殿と拝殿を一つの入母屋屋根で覆った独特の建築様式を取り「祇園造」と言われています。

祀られているのは素戔嗚尊とその妻 櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、その間に生まれた子どもである八柱御子神(やはしらのみこがみ)の三柱のご祭神です。

 

古から京を守ってきた八坂神社

八坂神社は明治までは牛頭天王(もとはインドの祇園精舎を守護する神様)が祀られていましたが、後に素戔嗚尊と習合され現在は素戔嗚尊を祭神としています。

八坂神社のご利益として牛頭天王が防疫神であることから疫病除け、厄除けのご利益があるとされ、日本三大祭の一つ「祇園祭」も貞観11年(869)に全国で疫病が流行した際に祇園社にお祈りした祇園御霊会が起源とされています。

また夏越の祓の神事で茅の輪をくぐり穢れを払う風習や蘇民将来之子孫也のお札をつけた粽(ちまき)を受け疫病除けとするのも牛頭天王信仰からきており、更に大晦日の夜から元旦にかけて行われる年越しの伝統行事「をけら詣り」で灯される灯篭の火には邪鬼を払う力があるといわれています。

このように八坂神社の祭神 牛頭天王素戔嗚尊は古来より災厄除けの神様として信仰され、京都の町を見守ってきました。

 

京都は、方角を司る「四神」が守護する土地として造営されたため、四神相応といわれます。方角すなわち、東西南北とその要所に鎮座するお社のうち、八坂神社は東を守る青龍をシンボルとしています。

一方、八坂神社にはたくさんの不思議な伝説が伝わっていて、本殿にもその一つがあります。それは、本殿の下に大きな池があり、水脈が平安京の西に位置する神泉苑や南の東寺まで続いているというのです。またその池は大地のエネルギーが集まる場所として、青龍が棲む「龍穴」になっていて、古くから都を守ってきたと言われていたそうです。大地のパワーの面からも、八坂神社は古来より京都を守る存在だったのですね。

 

 

本殿の周りにはそのほかにもたくさんの摂社末社があります。

f:id:yomurashamroch:20211217000321j:plain

悪王子社です。ご祭神は素戔嗚尊です。神様には「和魂(にぎみたま)」と「荒魂(あらみたま)」という魂が存在していると考えられており、本殿に祀る素戔嗚尊の「荒魂」を祀っています。悪王子の「悪」とは「強い力」の意であり、所願成就の御神徳があるそうです。

 

f:id:yomurashamroch:20211217114959j:plain

f:id:yomurashamroch:20211217115052j:plain

美御前社(うつくしごぜんしゃ)です。ご祭神は宗像三女神(むなかたさんじょしん)という容姿端麗な3人の美の女神です。舞妓さんや芸妓さんなどの芸能関係をはじめ、美容や化粧品関係の方から篤い崇敬を集めています。

また、社殿前にはご神水が湧き出ており、身も心も美しく磨かれる「美容水」と言われています。飲料水ではないので飲めませんが、美御前社にお参りして、この美容液を肌に2~3滴つけると美のご利益があるそうです。

 

八坂神社にはこのほかにも10以上の摂社・末社があります。それぞれの由緒をたどりながらお参りして歩けば、この上ないご利益があるかもしれませんね。

 

さて、本殿・舞殿の南側には入母屋造の立派な南楼門がそびえています。

f:id:yomurashamroch:20211217120529j:plain

南楼門の建立は明治12年で、国の重要文化財に指定されています。四条通に面した西楼門のほうが有名ですが、南楼門が八坂神社の表参道・正門です。祇園祭の神輿や結婚式の際は必ずこちらの門より出発します。
 
南楼門から更に表へ出ると石鳥居があります。

f:id:yomurashamroch:20211217121152j:plain

こちらも国の重要文化財に指定されていて、建立は正保3年(1646)。鳥居をくぐると南に向けて、高台寺清水寺へと続く道が伸びています。

 

円山公園とは

f:id:yomurashamroch:20211217211835j:plain

八坂神社の境内を巡ったあとには、隣接する円山公園にも足を伸ばしてみてください。

国の名勝にも指定されており、四季折々に美しい自然が楽しめる都会の癒しスポットになっています。

円山公園明治維新までは八坂神社(当時は祇園感神院)や慈円山安養寺、長楽寺、双林寺の境内の一部でした。明治初年の廃仏毀釈の一環として、明治4年(1871)に上知令によって土地が没収され、明治19年(1886)に総面積約9万平方メートルの公園が設けられました。明治20年(1887)には京都市へ移管され京都市初の都市公園となりました。大正元年(1912)に小川治兵衛により池泉回遊式の日本庭園が作庭され、現在の姿になりました。

 

f:id:yomurashamroch:20211217213737j:plain

東山を背に池泉回遊式の日本庭園を中心に、料亭や茶店が点在し、四季を問わず風情があります。京都随一の枝垂桜の名所ですが、12月初旬の園内は枯れ木が並んでいました。

 

f:id:yomurashamroch:20211217221045j:plain

それでもまだ紅葉が残っている木もありました。終わりかけの少しくすんだ紅葉もまた風情があり、見ごたえがありました。

 

f:id:yomurashamroch:20211217213905j:plain

f:id:yomurashamroch:20211217212826j:plain

円山公園は、京都の繁華街のすぐそばにありながら、奥に進んでいくと渓谷のような景色が広がり、季節の移ろいを感じさせる美しい景色を楽しめます。日本庭園の奥には坂道があり、道沿いに流れる小川は静かな水音を感じられる癒しのスポットです。奥に進むほど観光客がまばらになり、意外と穴場です。

平安時代から京都の東に鎮座し、京都の町と人々を守ってきた八坂神社。そして隣接する円山公園と合わせて、京都の自然の美しさと歴史の奥深さを感じる絶好のお散歩コースとなっています。周辺には清水寺高台寺知恩院建仁寺など名だたる観光スポットも徒歩圏内にありますので、併せて訪ねてみてはいかがでしょうか。