南禅寺と言えば、京都五山そして鎌倉五山の上に置かれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺の中で最も高い格式を持つ寺院です。広大な境内には国宝の方丈を始め、石川五右衛門の名セリフ「絶景かな、絶景かな」で有名な重要文化財の三門、インスタ映え間違い無しの水路閣など見どころ満載で、一年中観光客が絶えません。そんな南禅寺にあって、ほとんど人が訪れない秘密のスポットがありました。今回は、気功師のガイドさんの案内で、氣の変化を感じながら南禅寺の奥の奥にあるパワースポットを訪ねました。このブログでは、最寄り駅の蹴上駅から南禅寺へ至り、三門や水路閣などを訪ねたところまでをご紹介します。
今回は「まいまい京都」が企画する「気功師といく南禅寺 秘密のパワースポット 水と岩が織り成す聖域へ~」というツアーに参加しました。「まいまい」とは「うろうろする」という意味の京ことばで、「まいまい京都」では、600人を超える各分野のスペシャリストが独自の視点でガイドする京都や近郊のミニツアーを多数実施されています。
南禅寺最勝院の場所
南禅寺の行き方
電車で
バスで
・京都駅から5号系統で「東天王町」また「南禅寺・永観堂」下車 徒歩約10分
・四条河原町から5,32,203号系統で「東天王町」下車 徒歩約10分
地下鉄蹴上駅から南禅寺へ
今回のスタートは地下鉄「蹴上駅」です。
改札を出たら、看板の通り左へ向かいます。
突き当りを左へ曲がります。
階段を上がります。
階段を上がり切ると、三条通に出るので、三条通を北(右)へ向かいます。
100mほど進むと、右手に「ねじりまんぼ」が。
「ねじりまんぼ」は三条通から南禅寺へ向かう道路の造成に伴って建設され、明治21年(1888)6月に完成。「まんぼ」とはトンネルを意味する古い言葉で、「ねじりまんぼ」とは「ねじりのあるトンネル」という意味です。上部にあるインクライン(傾斜鉄道)と斜めに交わる道路に合わせ、トンネルも斜めに掘られるとともに強度を確保する観点から、内壁のレンガをらせん状に積む工法が取られています。
ねじりまんぼを通り抜け、東側に出ました。この道を東へ進みます。
この日は10月下旬、道沿いのカエデが色づき始めていました。道なりに左へ曲がります。
左へ曲がったところです。右手に見えているのは、南禅寺の塔頭寺院「南陽院」です。通常非公開ですが、陶芸や生け花などのイベントがよく開催されており、運が良ければ中の様子を見ることが出来るそうです。七代目小川治兵衛が作庭した枯山水庭園があります。
さらに進むと、左手に南禅寺の塔頭「金地院」があります。室町時代の創建当初は、洛北、鷹峯にありましたが、江戸時代初期、以心崇伝により現在地へ移転されました。以心崇伝は徳川家康のブレーンとして幕政に関与「黒衣の宰相」などと呼ばれました。
金地院の方丈庭園は「鶴亀の庭」(特別名勝)と呼ばれ、小堀遠州作として名高いものです。
金地院を通りすぎ、さらに北へ進むと、正面に東照宮下乗門があります。この門を抜けると…
南禅寺の境内に出ます。写真奥に見えているのが南禅寺の中門です。
さっそく南禅寺へ入っていきましょう。
南禅寺とは
正式には五山之上瑞龍山太平興国南禅禅寺と称し、臨済宗南禅寺派の大本山です。
鎌倉時代の正応4元年(1291)に亀山上皇が当地の離宮を禅寺に改められたのが前身です。室町時代、足利義満によって五山之上とされ隆盛しましたが、応仁の乱など三度の大火で衰退。徳川家康の庇護を受け再興され、江戸時代には10万坪を超えた境内地は、現在では約4万5千坪です。方丈は国宝で、内部の障壁画の多くは重要文化財に指定され、方丈の前庭は小堀遠州の作とされる代表的な枯山水庭園で、「虎の子渡し」として有名です。
三門
南禅寺に入るとまず目を惹くのが堂々とした佇まいの巨大な三門です。寛永5年(1628)に藤堂高虎が大阪夏の陣の戦没者慰霊のために寄進建立したものです。楼上には宝冠釈迦如来像を本尊として、十六羅漢像などが安置され、内部の極彩色画は狩野探幽、土佐徳悦の合作と伝えられます。
今回のまいまいツアーの集合場所はこの三門前でした。まいまいツアーの受付を済ませた後、講師の長根あきさんの紹介がありました。
長根さんは気功師で、北海道出身。幼少の頃よりアイヌの物語に惹かれ、1993年よりアイヌ民族に伝わる楽器・ムックリの演奏を始め、北海道ムックリ大会で優勝。2004年に京都へ移住され、気功を取り入れた暮らしを始められます。各地で気功教室を主催するなど、活動は多岐に渡ります。
長根さんから配布された今回のツアーの道程を紹介した資料です。
句碑「この門を入れば涼風おのづから」
まず、三門前から一旦戻り、上記資料の中心に書いてある「この門を入れば涼風おのづから」と書かれた石碑を見学します。
この句を書いた森永杉洞(さんどう)は南禅寺派の僧侶で、南禅寺の管長になれるほどの高僧だったそうですが、断って郷里の九州に帰って俳句を詠みながら静かに余生を送ったそうです。この句について、長根さんは次のように話されました。
「この門とは、言わずもがな三門ですね。文字通りの意味を考えると、三門を入ったら涼やかな風が自然と吹いてくる、ということですね。門(結界)のこちら側は普通の世界だけれど、門の向こうは結界の向こう、聖域なので気(氣)が違い、この門の向こうは清涼な空間ですよということですよね。でもこの句にはもう一つ意味が込められていると思います。三門っていうのは山という字を書く山門もありますけど、ここでは一二三の三ですよね?三門の入口の穴も三か所開いてますよね。三を大事にするんです。
この三は何を象徴してるかというと解脱に至るための関門です。
私の気功の先生はその三つの関門のことを甲乙丙の乙の字のようだと話しておられました。乙の字には三つの曲がった部分がありますよね。一つ目の曲がったところが一つ目の関門、二つ目のカーブのところが二つ目の関門、三つ目のハネの部分が三つ目の関門。普通の人は一つ目の関門のところで人生が終わる、先生は二つ目の関門のあたりにいる、三つ目の関門を超えられる人はまずいないと。一つめの関門を過ぎたところでもう満足して解脱した気分になっている人が世の中には多いけれど、まだまだその先が大変なんだよ、自分は二つ目のあたりだけれども死ぬまで修行を続けていると。ですから三門を通ってというのは、そのような努力を積み重ねて解脱に至れば、そこにはもう涼風が自然と吹き渡っていますよ、という意味でもあるんだろうな、と。その二つの意味をかけた句なのではないかなと思います。」
文字通り三門という結界の内外での空気感の違いと、三門が解脱へ至るための三つの関門を意味し、その三門を入るということは、努力を続け解脱へ至った先には何ものにも汚されない清々しい心持がおのずと得られるという二つの意味があるということなのかと思いました。
杉洞の句の解説が終わり、いよいよ三門をくぐって南禅寺の中心部へと入るにあたり、長根さんは気功師として「氣」を感じるコツのようなものを教えてくださいました。「今回のツアーで色々なことを感じていただけると思いますが、「感じる」ことと「考える」ことは同時にはしにくいので、感じるためには考えないこと、考えなければ感じられるし、感じていれば考えないということをちょっと気にとめていただければと思います。感じる体になると氣を感じやすくなるし、もっと別の世界が開けてくると思います。考えをやめるためには感じること、歩いていく中で何かを感じながら歩くと考えない、人は常に移り変わっていくものに意識を向けるので、足の裏の感触に意識を向けて
みてください。今この足の下の砂利の感触、砂利から石畳に変わり、石畳を静かに歩いている感触から階段を踏んで登って行く時の感触、というように足の裏の感触の変化に意識を向けていくと、あまり左脳がわーっと働くこともなく、リラックスできるのではないかと思います。そのような感覚で、法堂まで進んでいきます。」
私自身は気(氣)の存在をあまり意識したことが無かったのですが、長根さんのお話を伺い、氣とは何か特別な人だけが感じるものではなく、身の周りの自然や様々な状況を頭で考えるのではなく、空っぽの心で素直に受け入れることで得られるものなのかな?と思いました。
氣と気の違い
ところで、長根さんからいただいた資料には「氣」という漢字が使われています。普段私たちが使う「気」とどう違うのか少し調べてみました。
万葉の昔から、元々は「氣」の字が使われていましたが、戦後漢字の見直しが行われ「気」となり、教科書にも「気」が採用され、現在に至ります。
気という字を使う言葉として「元気」「病気」「気持ち」などの言葉が示すように、気はエネルギーを表しています。「氣」と「気」の違いは气の中の「米」と「〆」です。「米」は末広がりで八方に広がることを意味しています。エネルギーのあるべき姿は全身から放出されること。そう考えると、本来のエネルギーとしてあるべき字は「氣」なのかもしれません。特に私たち日本人は昔から米を主食としてきましたので、米はまさにエネルギーの源です。このことからもエネルギーを意味する「氣」の字に「米」の字が入っているのは自然なことに思えてきます。
長根さんからは「氣」と「気」の違いについて特に説明はありませんでしたが、このようなことを意識されて「氣」を使われていたのではないかと思いました。
三門から法堂、水路閣へ
三門をくぐり法堂へ向かいます。
長根さんの言葉に従い、足の裏の感触に意識を向ければよかったのですが、三門をくぐった先の参道脇に並ぶ木々の美しさに目を奪われたことだけ覚えています。氣の違いなのかわかりませんが、門を一歩くぐると、前日の雨の湿気を含んだ木の香気が爽やかだった気がしました。
参道のカエデが色づき始めていました。木々の奥にちらりと見えているのが法堂です。
法堂
法堂は慶長11年(1606)に豊臣秀頼によって寄進されましたが、明治28年(1895)に焼失し、現在の建物は明治42年(1909)に再建されたものです。本尊は釈迦如来坐像です。
法堂まで進んだら、南(右)へ曲がります。向かって左手が東になります。だいぶ高くなってきた朝日が差して、荘厳な雰囲気です。
木々から発せられる静かなエネルギーと朝日の神々しい光に包まれながら、黙々と石段を上ります。木々の向こうにちらりと見えているのが、水路閣です。
ねじりながら伸びる気功のイメージ
水路閣の手前で石段から少し横道にそれ、長根さんが足を止めました。
一本の木の周辺に参加者を集めて、長根さんが次のように話されました。
「木に包まれて、次第に空気が美味しい感じになってきましたね。そして見ていただきたいのが、この木なんです。ねじりながら、ぐーんと伸びていますよね。ねじりが入って強く上に伸びています。これが気功のイメージなんです。木の根元が人間でいうところの丹田(へその下3寸あたり)だと思ってください。丹田からずっと上へ伸びあがるエネルギー。それから、見えていないけれど大地に根っこを張っています。ずっと大地へ入っていくエネルギー。丹田を中心に上へ上がるエネルギーと下がっていくエネルギーと。この後、奥の院でやる気功はこんな感じなので、気功をやる時にちょっとこのイメージを頭に入れておいていただけたらなと思います。」
水路閣
気功のイメージをつかんだところで、更に奥へと進むと、有名な水路閣に出ます。
南禅寺水路閣は、琵琶湖疎水の枝線水路です。水路は明治23年(1890)に建造され、レンガ造り、ローマ風のアーチ橋上を通っています。水路閣の全長は93.17m、幅4.06m、水路幅2.42mで、周囲の景観に配慮して設計され、13の橋脚が作り出すアーチの連続は絶好のフォトスポットで、この日も多くの人が写真を撮影されていました。
日本建築の粋を集めた禅寺の境内に、洋風の建造物である水路閣があるのがちょっと不思議な気持ちもしますが、木々の緑と古びたレンガの色合いが何とも良い感じで周辺の景観に溶け込んでいます。
この水路閣を抜けて、更に山の奥へと向かい、いよいよ最勝院の奥の院へと向かいますが、今回はここまで。次回へ続きます。