京都五山の第四位に列せられる東福寺は、京都でも最大規模の伽藍を有する由緒正しき大寺院です。京都有数の紅葉の名所でもある東福寺ですが、青紅葉のこの時期は比較的人も少なく参拝しやすいのでお散歩に最適です。今回は、東福寺で一番有名な通天橋と、開山堂の庭園をご紹介します。
東福寺の場所
東福寺の行き方
電車で
・阪急京都線で
「京都河原町駅」で京阪電車に乗り換え後、京阪本線「東福寺駅」下車
徒歩約10分
・JR,京都市営地下鉄で
各線「京都駅」でJR奈良線に乗り換え後、「東福寺駅」下車、徒歩約10分
・京阪戦車で
バスで
・京都駅から
市バス 88、208系統に乗車、「東福寺」下車
・四条河原町から
・東山三条から
市バス202系統に乗車、「東福寺」下車
・祇園から
・平安神宮、岡崎から
市バス100、110系統に乗車後、「東山七条」で88、202、207、208系統に乗り換え、「東福寺」下車
最寄り駅のJR東福寺駅からの行き方は、以下のブログで詳しくご紹介しています。
東福寺とは
臨済宗東福寺派の大本山で山号は慧日山。摂政九条道家が、当時奈良で最大の寺院東大寺と、奈良でも最も盛大を極めてた興福寺になぞらえ「東」と「福」の字を取り、京都最大の大伽藍を造営したのが東福寺です。円爾(えんに);聖一国師(しょういちこくし)を開山として鎌倉時代の嘉禎2年(1236)から19年の歳月をかけて七堂伽藍が完成しました。京都五山の第四位に列せられ、「東福寺の伽藍面(がらんづら)」とまで言われ壮観を極めましたが、度重なる兵火や火災で仏殿、法堂、庫裏などを焼失したものの、以後逐次再建されてきました。
禅宗伽藍を代表する室町最古の三門(国宝)をはじめ、浴室、東司(便所)禅堂(いずれも重文)など室町時代の禅僧の生活を知る上で貴重な建築が多数残っています。
通天橋は京都でも一、二の紅葉の名所で、方丈の四方の周囲に枯山水の庭園を巡らせたものはこの庭園のみで、平成26年(2014)国の名勝に指定されるなど、見どころ満載の大寺院です。
今回のスタートは、東福寺の本堂です。
本堂
さて、日下門から入ると「東福寺の伽藍面」の名の通り、見える堂宇はどれも大変大きくインパクトがあります。まず目に入るのが本堂です。
本堂は仏殿兼法堂です。明治14年(1881)に仏殿と法堂が焼けた後、1917年から再建工事にかかり、1934年に完成しました。入母屋造、裳階付き、高さ22.5m、間口41.4mの大規模な堂宇で、昭和期の木造建築としては最大級のものです。大きすぎて、うまく写真に収まりません。
本尊の釈迦三尊像は明治14年の火災後に塔頭万寿寺から移されたもので、鎌倉時代の作です。通常、本堂内は非公開ですが、春の涅槃会の際には公開されるようです。
方丈
本堂の左隣にあるこれまた立派な方丈の入口です。
禅宗寺院における僧侶の住居を指す「方丈」。本堂(法堂)と同じく、明治の火災で焼失しましたが、明治23年(1890)に再建。庭園は昭和14年(1939)、作家は重森三鈴の手により、鎌倉時代の風格を基調に、現代芸術の抽象的構成を取り入れた近代的禅宗庭園として完成されました。
国の名勝にも指定されている本坊庭園(方丈)の拝観受付もこちらです。
モダンアートのような本坊庭園(方丈)については以下のブログで詳しくご紹介しています。↓
通天橋の拝観受付は仏殿の横、方丈の拝観受付の前辺りです。
こちらで拝観料を納め、右横の入口から入場します。
こちらが通天橋の入口です。
秋の紅葉の時期とはくらべものにならないぐらい空いていますが、それでも誰も写り込まないタイミングというのは難しいです。
通天橋
通天橋は、東福寺の境内を東西に横切る谷川「洗玉澗」を渡るため、本堂から開山堂を結ぶ橋廊です。長さ27mの屋根付きの木造橋で、天授6年(1380)に春屋妙葩が架けたとされます。
東福寺内で洗玉澗に架かる橋は西から順に臥雲橋、通天橋、偃月橋の「東福寺三名橋」と称される三つの橋です。
渓谷を埋めるように植えられた楓は約2000本。通天橋から西を臨むと、青紅葉の海原の向こうに、小さく臥雲橋が見えます。
この圧倒的な楓の海はなぜできたのでしょうか?
京都に限らず、一般的な寺社では桜と楓がほぼ同じくらいの割合で植えられていると思います。ところが東福寺には、一部の塔頭寺院などを除き桜の木がほとんどありません。渓谷を埋める木のほとんどが楓なので、これほど圧倒的な青紅葉(秋は紅葉)の大海原になるのです。
では、なぜ東福寺には桜の木が無いのか?
実は、桜の木が無いのではなく、正確には約600年ほど前に桜を全て伐採してしまったのです。
東福寺の画僧・吉山明兆(きつさんみんちょう)が室町幕府4代将軍・足利義持に、有名な「大涅槃図」を献上した褒美として何が望みかと尋ねられ、明兆は「境内に桜があると、花見客が増え遊行の地となり修行の妨げになる」と答えたそうです。そこで義持は境内の桜をすべて伐採させたと伝えられています。何とも潔いですね!
通天橋からすぐ下の洗玉澗を見下ろすとこんな感じ。結構深い谷川です。通天橋が架かる前は、本堂から開山堂へ行くには、一旦崖の下へ降りて谷川を渡りまた崖を上がるという苦労があったそうです。そんな僧侶たちの負担を軽減するために架けられたのが通天橋と言われています。
さて、通天橋を渡り切った境内の北、東福寺の最も高い所にあるのが…
常楽庵開山堂
開山堂とは寺院において開山を祀ったお堂のことです。祖師堂、御影堂、影堂などとも言います。
東福寺の開山堂の元の建物は文政2年(1819)に焼失し、文政9年(1826)までに再建されました。1階の礼堂最奥の祠堂に、開山である円爾弁円(聖一国師)の尊像が安置されているそうです。(非公開)円爾はここ開山堂に隣接する普門寺(現在の普門院)に住み、東福寺建立のようすを眺め、1280年(弘安3)79歳で入寂した地でもあります。ちなみに円爾(聖一国師)が住んでいた普門院は開山堂のすぐ西隣にあるのですが、現在修復中でした。
開山堂上部の中央部分は2階建ての楼閣となっており、伝衣閣(でんねかく)と呼ばれる珍しい造りです。金閣(鹿苑寺)、銀閣(慈照寺)、飛雲閣(西本願寺)、呑湖閣(大徳寺塔頭芳春院)と並び「京の五閣」と言われています。阿弥陀如来立像、布袋和尚坐像、薬師如来坐像を祀り、布袋和尚坐像は伏見人形のルーツとされます。
東福寺の国宝三門や本堂、本坊庭園(方丈)に通天橋と青紅葉も拝観し、すでに大満足だったのですが、最後にまだこんな素晴らしい池泉式庭園が待っていたとは…!
しかも、現在は修復中の普門院前の白砂の枯山水庭園も個性的で、白砂だけで市松模様が描かれていたものだそうです。本坊庭園(方丈)を作庭した重森三令も、この普門院の市松砂紋から着想を得て、本坊庭園(方丈)の北庭や西庭にも市松模様を取り入れたそうです。普門院の市松模様の砂紋も見てみたいものです。
愛染堂
開山堂の西に位置する丹塗りの杮葺き八角円堂が特徴的なのが、重要文化財の愛染堂です。もとは東福寺塔頭三聖寺の愛染堂でしたが、明治6年(1873年)に万寿寺が三聖寺を併合し、万寿寺の堂となりました。その万寿寺も明治19年(1886)に東福寺の塔頭となった後、昭和12年(1937)に、愛染堂は万寿寺よりこの地に移されました。中には鎌倉時代の制作という愛染明王坐像を祀ります。愛染明王は12の広大な誓願を発して、一切衆生を諸々の苦悩から救い愛と尊敬の心を与え、悪縁を断ち切ってすべての人々に安寧を授けると言います。なんだかすごいご利益がありそうですね。
そんな謂れは知らなくても、丹塗りのお堂が爽やかな青紅葉に映えて、見ているだけで清々しい気持ちになり、様々なものに感謝したくなるような、ありがたい気持ちにさせてくれます。
愛染堂の近くから青紅葉越しに通天橋を臨むことが出来ました。こちらからの眺めが一番きれいですね。青紅葉の緑色にもさまざまなグラデーションがあり、木造の通天橋のくすんだ色との対比で一層鮮やかに見えます。
この木々の鮮やかな発色は、境内を流れる川のおかげだそうです。また庭園の杉苔がよく育つのも、湿度の高い盆地の気候あってのこと。
このように、通天橋からの美しい景色は、境内の自然のパワーが凝縮していたんですね。そう思ってこの景色を眺めると、心にも体にもパワーがみなぎってくるような気がしてきました。
東福寺は京都駅からJR奈良線で一駅という訪ねやすい距離感です。秋の紅葉だけでない魅力にあふれた東福寺に、是非一度足をお運びください。
重森三令の作庭した庭園がある松尾大社↓