妙心寺は臨済宗妙心寺派の大本山で、石畳で結ばれた一つの寺町を形作っており、46もの塔頭があります。退蔵院は、そんな塔頭寺院の中でも600年以上前に建立された山内屈指の古刹です。境内には枯山水庭園と池泉回遊式庭園の二つの異なる趣きの庭園が広がり、一年を通じて多くの樹木や草花に彩られます。特に境内の紅しだれ桜が有名で、ちょうど見ごろを迎えていましたので訪ねてみました。
退蔵院の場所
退蔵院の行き方
京都駅から
・JR山陰線(嵯峨線)「花園駅」下車、徒歩約7分
・タクシーで約25分
・市バス26系統 御室仁和寺・山越行き「妙心寺北門前」下車 徒歩約5分
三条京阪から
・京都バス62、63、65、66系統 嵐山・清滝・有栖川行き「妙心寺前」下車
徒歩約3分
・市バス10系統 宇多野・山越行き「妙心寺北門前」下車 徒歩約5分
地下鉄四条駅から
嵐山方面から
・京福電鉄 帷子ノ辻駅乗り換え北野白梅町行き「妙心寺前」下車 徒歩約10分
・京都バス62、63、66系統「妙心寺前」下車 徒歩約3分
・市バス93系統「妙心寺前」下車 徒歩約3
JR花園駅から退蔵院への行き方は以下で詳しくご紹介しています
今回のスタートは妙心寺の南総門です。
妙心寺の境内は近隣住民の生活道路になっているようで、私がこの門をくぐろうとすると、横から自転車に乗った中学生が二人、自転車のまますーっと入って境内を爆走していきました。こんな格式高い大寺院なのに、普通に通り抜けられるのね…と感心してしまいました。他にも犬の散歩中の方や恐らく買い物やお出かけなどで通り抜けられる方もたくさん見かけました。
東西約500m、南北約600mの広々とした境内は、約10万坪、東京ドーム7個分ほどの敷地面積です。
妙心寺とは
妙心寺がある辺りの「花園」という地名は、その昔、四季折々の美しい花が咲き誇る花畑があったのでそう呼ばれていました。そこには花園御所と呼ばれる離宮があり、花園上皇の御所としての役割を担っていました。花園上皇が法王となったのち、世の平和を願い離宮を禅寺へと改めました。それが1337年のことで、妙心寺はこの年を開創の年としています。
妙心寺は臨済宗妙心寺派の大本山で、3400もの寺院を束ねている格式高いお寺です。日本には臨済宗の寺院が6000ほどあるので、その半分以上を占めているということになります。
ところで京都の臨済宗のお寺には「禅づら」と呼ばれる、そのお寺の特徴を一言で言い表すものがあります。例えば詩文芸術に秀でた学僧を多く輩出した建仁寺は「学問づら」、千利休をはじめ茶の湯文化と深い関わりのある大徳寺は「茶づら」、境内に大きな伽藍が立ち並ぶ東福寺の「伽藍づら」、武家の篤い信頼を得て発展した南禅寺の「武家づら」などなど。妙心寺は全国3400もの妙心寺派の寺院を束ねるため、節約に徹し合理化した寺院経営を重視したことから「算盤づら」と呼ばれています。
そんな妙心寺の約10万坪の境内には、七堂伽藍と46の塔頭寺院が立ち並び、多くの重要文化財や史跡・名勝指定の庭園・寺宝が保存されています。
堂々とした三門です。慶長4年(1599年)建立で、境内で唯一の朱塗りの建物です。三門は仏教修行で悟りに至るために通過しなければならない三つの関門、空・無相・無作の三解脱門を略した呼称です。空は「物事にこだわらない」、無相は「見かけで差別しない」、無作は「欲望のまま求めない」ことだそうです。
三門の前の道を西へ向かうと退蔵院への案内板が出ています。案内板に従って北(右)へ向かいます。
こじんまりとした退蔵院の山門です。早速中へ入りましょう。
退蔵院とは
退蔵院は1404年(応永11年)に建立され、一年を通して美しい花々に彩られた華やかさと禅寺の落ち着きを兼ね備えた寺院です。
寺院の名前である「退蔵」とは「価値あるものをしまっておく」という意味があるように、隠匿(人に知られないようにして良い行いをする)を積み重ね、それを前面に打ち出すのではなく、内に秘めながら布教していくという意味があるそうです。
受付で拝観料を納めます。
「石庭遊び」ご自由に『私の石庭』を製作して、スマホに残してお楽しみください。」と書かれていました。退蔵院にある「元信の庭」の白川砂を洗った後の細かくなった砂をこの「私の石庭」用に再利用されているそうです。
「私の石庭」の前を通り、突き当りを右へ曲がり、奥まで進むと方丈の大玄関に出ます。
方丈
方丈の大玄関です。
大玄関(国指定・重要文化財)の唐破風造りで非常に珍しいとされている玄関の様式は、破風の曲線が直線になっており、ちょうど袴の腰のようになっていることから「袴腰(はかまこし)造り」と呼ばれています。
方丈(本堂)には、同院開祖である無因宗因禅師(妙心寺第三世)が祀られています。応仁の乱後、1597年に再建されました。禅と剣の道には精神的な共通点があり、江戸時代には宮本武蔵もここに居して修行に励んだと言われています。
退蔵院の目玉で国宝に指定されている『瓢年図(ひょうねんず)』の模写が方丈の入口に展示されています。この絵は山水画の始祖と言われている如拙が、足利義時の命により心血注いで描き、現存する彼の作品の中で最高傑作と言われています。「ただでさえ捕まえにくいなまずを、こともあろうに瓢箪で捕まえようとする」この矛盾をどう解決するか、悟りの不可思議を描いた頭上に、将軍義時が当時の京都五山の禅僧31人に書かせた賛詩(回答)が並びます。
元信の庭
元信の庭は、室町時代の画聖・狩野元信の作品で、絵画的な優美豊艶の趣を失わず、独特の風格を備えている枯山水庭園です。庭の背景には、やぶ椿、松、槇、もっこく、かなめもち 等、常緑樹を主に植え、一年中変わらない美しさ「不変の美」を求めた物と考えられます。
狩野元信が画家としてもっとも円熟した70歳近くの頃の築庭と推測されています。自分の描いた絵をもう一度立体的に表現しなおしたもので、彼の最後の作品が造園であったことで珍しい 作品の一つと数えられています。
昭和6年(1931年)には、国の名勝史跡庭園に指定されました。
方丈奥のつくばいの横から覗き込むようにして見ると上記のように見えます。
方丈の西にある「鎖の間」から見るとこのように見えます。鎖の間が普段は非公開ですが、今回は入ることが出来ましたので、庭のメインである画面右奥の枯滝石組もしっかり見ることが出来、小さな多数の石で滝の流れを表現しているのもよく分かりました。
「鎖の間」からは、先ほどと反対方向(庭園の奥側から入口側)を見ることも出来ました。小さい庭ですが、こちら側から見ると、より奥行を感じ実際より広々として見える気がしました。
元信の庭を堪能したので、次の庭園へ向かいます。
細い路地を東へ進みます。
案内板に従って南へ曲がります。この小道の突き当りを右に曲がると中門です。
中門の欄間には瓢鯰図にちなみ鯰の彫刻が施されています。
陰陽の庭
中門の向こうにあるのが、本日のお散歩のメインイベント(?)大きなしだれ桜が見えて来ました。
しだれ桜の木が大きすぎて、全体が見える写真が撮れなかったので、退蔵院で購入した絵葉書の写真を拝借。
しだれ桜の両側には陰陽の庭があります。向かって左側が「陽の庭」、右側が「陰の庭」です。敷砂の色が異なる二つの庭は、物事や人の心の二面性を伝えています。陰の庭には8つ、陽の庭には7つ、計15の石が配されています。昔から15という数字は「完全を表す」とされてきました。この陰陽の庭は両方の庭を見ないと15個の石を見ることが出来ません。良いところだけを見ても、悪いところだけを見てもダメ、全てをありのままに受け入れることが重要だという仏教の教えが隠されているといいます。
「陰の庭」黒い砂が用いられています。
「陽の庭」白い砂が用いられています。
大きく枝を広げたしだれ桜を下から見上げると、まるで桜のシャワーを浴びているような気分になります。
陰陽の庭を過ぎると、かやぶき屋根の東屋があります。
さらに奥へと進むと水琴窟があります。つくばいの下深く底を穿った瓶を伏せ込み、手水に使われたつくばいの水が瓶に反響して琴の音のように聞こえます。とある京都の庭師さんがつくばいで手を洗うだけでは面白くないということで考案されたそうです。禅宗には「手元にあるものを活かしなさい」という教えがあります。つくばいは手を洗うための鉢ですが、手を洗った水を水琴窟に通せば、綺麗な音で楽しませてくれる、無駄なものなど何一つありません。
写真左手の竹の筒に耳を押し当てると、水がチョロチョロ流れる音の奥に、時折かすかなカラン、コロンという涼し気な金属音が聞こえて来ます。
余香苑
余香苑に出ました。なだらかな勾配のこの庭園は、「昭和の小堀遠州」と称される中根金作によって設計され、昭和40年(1965)に完成しました。一年を通して、紅しだれ桜や藤、皐、蓮、金木犀、楓などが庭園を彩ります。これは禅寺の庭としては異例です。元信の庭とは対照的な、季節ごとに姿を変える演出は、これはこれで世の無常を表すようで趣があります。庭園の中心には、瓢鯰図にちなみひょうたん池が配されています。大きな庭園ではありませんが、全体をなだらかな勾配にして、手前が低く奥をだんだんと高くしています。まわりを木で囲み、手前の木は低く、奥は大きく丸く刈るなどの工夫で、実際よりも奥行があるように見せています。正面から見るのと、池に来るまでに余香苑を上から見るのとではずいぶん違います。これもまた物事の多面性を表現していると言ってもいいかもしれません。
退蔵院では、瓢鮎図へのヒントとして二代前の元住職が瓢箪形をした余香苑の池の中にナマズを入れることでその答えとされました。
多くの人は外へ外へと答えを求めるものですが、実は答えはもう自分の中にすでのあるのではないか、ということを示唆してるのです。
退蔵とは「価値あるものを内に秘める」ことですが、禅の心もそのように自分の内にある大切なものをあるがままに見つめ確かめることである、と退蔵院全体が教えてくれているのではないか。降るように咲き誇るしだれ桜を見ながらそんなことを思いました。
桜の季節は駆け足で過ぎてしまいましたが、これからの季節は藤、菖蒲や皐(サツキ)なども競うように花をつけ初夏の爽やかさが境内を彩ります。駅から徒歩10分という市街地にありながら、四季の花々の美しさの中に禅の心を垣間見せてくれる退蔵院の小宇宙を是非堪能してみてください。