京都おすすめ散歩道

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円山公園 ~桜守が心をつなぐ祇園しだれ桜

京都のメインストリートの一つ、四条通の東の端に位置する八坂神社を通り抜けた先にあるのが、京都市民憩いの円山公園です。この円山公園の園内中央には、通称「祇園の夜桜」と呼ばれる有名な桜があります。今回は蔓延防止措置が解除され、三年ぶりに賑わう円山公園祇園しだれ桜を見に訪ねました。

 

 

円山公園の場所

goo.gl

 

円山公園の行き方

 電車で

  京阪電鉄祇園四条駅」から徒歩約10分

  阪急電鉄「京都河原町駅」から徒歩約14分

  地下鉄東西線東山駅」から徒歩約15分

バスで

  京都駅から市バス100,206系統で「祇園」下車

 

円山公園への行き方は以下のブログをご参照ください。↓

円山公園は八坂神社に隣接していますので、是非八坂神社も訪ねてみてください。

www.yomurashamrock.me

 

今回のスタートは八坂神社です。

四条通の突き当り、信号の先におなじみの八坂神社の西楼門が見えます。四条通から来られる人が多いので、この門が一番有名ですが、実はこちらは正門ではなく、正門は南楼門だそうです。ちなみに京都人(大阪でも聞きますが)は突き当りのことを「どんつき」と呼びます。四条通のどんつきが八坂神社ですね。

 

さっそく入って行きましょう。この日は4月上旬の平日ですが、すでに京都市の桜は見ごろを迎えており、八坂神社を始め祇園界隈も観光客でごった返していました。

 

八坂神社とは

明治維新までは祇園社または感心院と称されました。創祀は諸説ありますが、社伝では斉明天皇2年(656)と伝えられ平安遷都がなされた延暦13(794)以前よりこの地に祀られたとされています。また、貞観11年(869)全国的な疫病流行の際、当社の神にお祈りして始まったのが祇園祭です

 

西楼門を入ってすぐ右手です。たくさんの屋台が軒を並べていました。

 

立ち並ぶ屋台の間を通り抜けると、正面が舞殿(ぶでん)です。祇園祭の際に三基の神輿が奉安されるほか、結婚式や各種奉納行事(舞妓による舞踊等)が行われます。

舞殿の北(左手)が本殿です。

 

本殿です。令和2年(2020)12月に国宝に指定されました。

現在の本殿は承和3年(1654)に徳川四代将軍の家綱が再建したものです。一般の神社では別棟とする本殿と拝殿を一つの入母屋屋根で覆った独特の建築様式を取り「祇園造」と言われています。

 

本殿・舞殿の南側(右手)には入母屋造の立派な南楼門がそびえています。

南楼門の建立は明治12年で、国の重要文化財に指定されています。四条通に面した西楼門のほうが有名ですが、南楼門が八坂神社の表参道・正門です。祇園祭の神輿や結婚式の際は必ずこちらの門より出発します。
 

南楼門の北側の道を東へ進むと、写真奥にの朱塗りの鳥居が見えてきました。
 

この鳥居の向こうが円山公園です。
 

円山公園とは

円山公園明治維新までは八坂神社(当時は祇園感神院)や慈円山安養寺、長楽寺、双林寺の境内の一部でした。明治初年の廃仏毀釈の一環として、明治4年(1871)に上知令によって土地が没収され、明治19年(1886)に総面積約9万平方メートルの公園が設けられました。明治20年(1887)には京都市へ移管され京都市初の都市公園となりました。大正元年(1912)に小川治兵衛により池泉回遊式の日本庭園が作庭され、現在の姿になりました。国の名勝にも指定されており、四季折々に美しい自然が楽しめる都会の癒しスポットになっています。

 

参道の露店や満開の桜の下の茶店も、蔓延防止措置が解除されたことを受けて今年は営業を再開していました。一方で敷物を敷いての宴会は感染防止対策から禁止されており、ゴザの貸し出しも行われていませんでした。皆さんご家族や少人数のグループで、静かに花見を楽しんでおられました。

 

結婚式の前撮りでしょうか。花嫁衣裳に満開の桜がまさに華を添えていました。

 

更に奥へ進み、園内中央の小高い丘のようになっている所に、お待ちかねの祇園しだれ桜があります。

 

祇園しだれ桜

周囲を柵で囲われた小高い場所にそびえ立つ、大きなしだれ桜です。

正式名称は「一重白彼岸枝垂桜(ひとえしろひがんしだれざくら)」で、現在の木は2代目となります。初代のしだれ桜は、根回り4m、樹高12mで国の天然記念物に指定されていましたが、昭和22年(1947)に樹齢200年あまりで枯死したそうです。

これに先立つ昭和3年に、15代佐野藤右衛門氏が初代のしだれ桜から種子を採取し、畑で育成したものを、同氏の寄贈により、昭和24年に現地に植栽したもので、こちらもすでに樹齢90年を超え、根回り2.8m、樹高12m、枝張り10mの大木に成長しています。

大きく伸ばした枝を薄紅色の花が彩り、見る者の心を圧倒する佇まいです。

 

写真:円山公園公式サイトより

夜にはライトアップされ、咲き誇る花が夜空を背景に浮かびあがり、艶やかで荘厳な光景となります。

 

祇園しだれ桜と桜守

桜の木の健康を見守り、貴重な桜の子孫を残すため尽力する人のことを「桜守」と呼びます。その代表が、京都の庭師、佐野藤右衛門氏です。佐野藤右衛門とは、江戸時代、仁和寺の植木職人に始まる庭師の号です。大正時代、京都府立植物園の造園に携わったことをきっかけに、14代佐野藤右衛門氏が桜の研究を始め、15代がその研究を継ぎ、成果を図譜として記録したり、円山公園のしだれ桜を育てるなど貴重な桜の保存育成に尽力されました。

そして当代16代佐野藤右衛門氏は、90歳を過ぎてなお、桜のため全国のみならず世界で活躍。パリ、ユネスコ本部の日本庭園をイサム・ノグチに強力して造園し、平成9年(1997)ユネスコからピカソ・メダルを授与され、平成11年(1999)には勲五等双光旭日章を受章、平成17年(2005)には京都迎賓館の庭園を棟梁として造成もされています。

日本中にあるソメイヨシノは成長が早く花がたくさんつき、接ぎ木がしやすいという理由で、人工的に増やしたものだそうです。日本古来のヤマザクラは、もともと自分が育ちやすい所に根を下ろすので放っておいても育ちます。一方植樹したソメイヨシノは種が無い桜を人工的に増やしたクローンなので、自力では跡継ぎも残せず、人間が関わらないと生きていけない。そういう桜で並木を造り、名所を作っているのが今の日本なのだそうです。とは言え、人間の都合で植えたのだから最後まで面倒を見てやらなければいけない、と16代佐野氏は言います。

そんな佐野藤右衛門氏の京都市右京区の自宅には、全国から集めた約200種の桜が植えられています。円山公園祇園しだれ桜も、元は15代が初代しだれ桜から種をもらって自宅の庭で育て、自分の息子の誕生記念に植えたうちの一本を植樹したものだそうです。16代佐野氏は「自分の楽しみのために植えるのではなく、次の世代が楽しめるようにサクラを植える」と著書の中で述べられています。祖父や父がしてきたように、百年後、二百年後を見据えてサクラを育てて次の世代へ引き継いでいくことで、また新たな桜の物語が未来へとつながっていくのですね。そのような物語を知った上で、この祗園しだれ桜を見上げると、美しさも更に増して見える気がしました。

 

円山公園は、京都の繁華街のすぐそばにありながら、奥に進んでいくと渓谷のような景色が広がり、季節の移ろいを感じさせる美しい景色を楽しめます。日本庭園の奥には坂道があり、道沿いに流れる小川は静かな水音を感じられる癒しのスポットです。

 

 

坂本龍馬中岡慎太郎の像

幕末の志士「坂本龍馬中岡慎太郎の像」です。坂道を登った先、料亭「いそべ」の手前です。左が坂本龍馬、右が中岡慎太郎です。台座を含め6m超の立派な像ですが、実はこの銅像は二代目だそうです。初代は昭和11年(1936)に建立されましたが、第二次大戦中に金属供出のため取り壊されました。この像は昭和37年(1962)京都高知県人会有志によって再建されたものです。

2人はともに土佐出身でしたが、脱藩し幕末に活躍します。竜馬は海援隊、慎太郎は陸援隊を結成。薩長同盟大政奉還の立役者、そしてともに近江屋で暗殺されます。

この付近一帯は幕末の志士達の活躍した場所でしたので、若くして世を去った二人の像を眺めながら、その時代に思いを馳せてみるのも良いかもしれませんね。

 

 

京都有数のお花見スポット円山公園は、平安時代から京都の町と人々を守ってきた八坂神社に隣接し、京都の自然の美しさと歴史の奥深さを感じられる絶好のお散歩コースです。周辺には清水寺高台寺知恩院建仁寺など名だたる観光スポットも徒歩圏内にありますので、併せて訪ねてみてください。