嵯峨嵐山周辺は毎年テレビなどで特集が組まれるほどの紅葉の名所です。天龍寺や渡月橋周辺の紅葉が美しいのはもちろんですが、今回はそこから徒歩15分ほどにある紅葉の名所をいくつかご紹介します。
今回は前回ご紹介した常寂光寺から徒歩5分ほど、常寂光寺と並び藤原定家が小倉百人一首を選定した山荘があったと言われる小倉山の東麓にある紅葉の美しい名刹 二尊院をご紹介します。
二尊院の場所
二尊院の行き方
バスで
京都市バス、京都バス 「嵯峨釈迦堂前」下車 徒歩約10分
電車で
今回のスタートは常寂光寺です。
常寂光寺への行き方や詳しい情報は以下でご紹介しています。
常寂光寺の山門です。
山門を背にして,、東へ延びる坂道を下っていきます。
80mほど進むと道が二手に分かれていますので、北(左)へ曲がります。
北へ向いたところです。この道を進みます。
60mほど進むとまた道が二手に分かれていますが、そのまま北へ200mほど進みます。
二尊院に到着です。この二尊院の総門は慶長18年(1613)に伏見城にあった薬医門を角倉了以によって移築・寄進されたもので、京都市指定文化財となっています。
二尊院とは
写真:二尊院公式サイトより
二尊院はその名の通り、「釈迦如来」と「阿弥陀如来」の二尊を祀る寺院であり、正式には「小倉山二尊教院蕐臺寺」(おぐらやまにそんきょういんけだいじ)と言います。
開創したのは平安時代初期の承和年間(834~848)で、嵯峨天皇の勅願により円仁(慈覚大師)が建立したと伝わります。明治維新までは天台宗・真言宗・律宗・浄土宗の四宗兼学の道場でしたが、明治時代以降は天台宗に属しています。
二尊院と関わりのある天皇(嵯峨天皇、土御門天皇、後土御門天皇、後嵯峨天皇、亀山天皇)の御分骨を納めると伝わる三帝陵があり、また法然上人ゆかりの寺として二十五ヶ霊場の第17番札所となっています。
さっそく入って行きましょう。
総門を入ってすぐ右手の受付前に苔の敷き詰められたスペースがあり、可愛らしいフラワーアレンジメントが数個飾ってありました。
紅葉の馬場
総門を抜けた先に広がる、まっすぐに伸びた参道は紅葉の名所として親しまれ「紅葉の馬場」と呼ばれています。小倉山を背景に、春は桜色に染まり、夏は青紅葉、冬は霜や雪に輝く木々が連なり、四季それぞれの風景を楽しめる二尊院一番の見どころです。
紅葉の馬場の石段を登って振り返ったところです。遠くに嵯峨野の景色が小さく見えています。
石段を上がり切った本堂までの小道にもたくさんのカエデが植えられています。
勅使門
本堂へと続く門は、天皇の意志を伝えるために派遣される使いである勅使だけが出入りする際に使われた「勅使門」です。弓を横にしたような形で中央が高い「唐破風形」の屋根をしています。かつては、勅使が訪れた時のみ開門していた格式高い特別な門です。今では誰でも通ることが出来ます。
本堂
先にご紹介した二尊を安置する本堂です。六間取り方丈形式の間口の広い建物が京都市指定文化財です。室町時代の応仁の乱(1467~77)の兵火で諸堂が全焼しますが、永正18年(1521)に三条実隆が諸国に寄付を求めて再建。本堂に掲げられている後奈良天皇の自筆による「二尊院」は、この再建時に与えられたものです。平成28年(2016)に、約350年ぶりとなる平成の大改修が完了し、由緒ある寺院にふさわしい壮麗さを取り戻しています。
勅使門を本堂側から見た所です。周辺の紅葉と白砂、苔の緑と勅使門の重厚な黒い色がお互いを引き立てあっています。
本堂の脇の小さな庭園もまさに錦のような美しさでした。
別角度から。こぢんまりしていますが、とても気持ちの良い庭園で見ごたえがあります。
本堂の裏の小倉山の崖のあちこちに六地蔵菩薩さんが出迎えてくれます。ちょっと距離があり、うまく写真に収められませんでしたが、一つ一つ探しながら見て回ると、可愛らしい表情に癒されました。
花手水
本堂脇の花手水にはマリーゴールドやサザンカ、キク、ナンテンにススキなどで色鮮やかでした。
鐘楼(しあわせの鐘)
鐘楼も見事な紅葉に彩られてとても絵になりますね。
この梵鐘(釣鐘)をつるす堂「鐘楼」は、慶長年間(1596~1615)に建立、梵鐘は慶長9年(1604)に鋳造されました。平成4年(1992)に、開基嵯峨天皇1200年御遠忌法要記念として再鋳されました。「しあわせの鐘」と名付けられ、「自分が生かされているしあわせを祈願」「自分のまわりの生きとし生けるものに感謝」「世界人類のしあわせのために」と、鐘を三つ撞いてそれぞれに祈願することとしています。誰でも自由に撞くことが出来るので、この三つの幸せを祈願して撞いてみてはいかがでしょうか?
角倉了以の像
鐘楼の東側には紅葉の木や紅葉の絨毯に囲まれた角倉了以の像があります。
案内板には、「角倉了以翁の業績 京の豪商の家に生誕した了以翁は、徳川家康の政策のもと、朱印船貿易の第一船を出航、以来13年に渡り、安南国との貿易で蓄財を成した。その私財を投じて保津川、大堰川開削、富士川疏通、天竜川疏通、鴨川疏通、高瀬川開削を行い、『水運の父』とよばれる偉業を成した。墓所 二尊院」とあります。
ブラタモリでも紹介されていましたが、この角倉了以が京都の高瀬川などの開発のために現在の価格に換算すると150億円もの私財を投じたそうですが、通行料収入ですぐ元を取ったそうです。とは言え、これらの開削は浅瀬を航行できる船を京都でも活躍させるためで、保津川(大堰川)では丹波から農産物や材木が運ばれるようになったり、京都と大阪が川でつながることにより多くの物品が船で自由に運ぶことが出来るようになったりと、京都の人々の生活が大きく変わり暮らしを豊かにしました。それほどまでに京都の経済に大きな貢献をした角倉了以とその家族の墓がこの二尊院にあるということで、このような石像が建てられたそうです。
再び勅使門を本堂側から撮影しました。黒々とした古い勅使門が周囲の色鮮やかな紅葉を一層引き立てています。その名の通り天皇や皇族の遣いである「勅使」だけが通ることを許された門であり、他の寺院などでは「開かずの門」となっていることが多いので、二尊院のように誰でも通れるように開放されているのは実は珍しいのだそうです。
二尊院の住職は多くの天皇の戎師(仏門に入る時に戒を授ける師僧)になっており、関係の深い天皇(嵯峨天皇、土御門天皇、後土御門天皇、後嵯峨天皇、亀山天皇)の御分骨を納めると伝わる三帝陵があります。そのような格式高い寺院ではありますが、誰でも通れる勅使門やいつでも撞ける鐘楼があるように、非常に親しみやすい雰囲気もあります。境内は紅葉の馬場をはじめ四季折々に美しい自然が楽しめ、更に嵯峨嵐山の喧騒からは少し距離があるためか、紅葉の時期以外はそんなに混雑することもありませんので、是非足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。
嵯峨嵐山周辺の見どころを以下でもご紹介しています。