京都でも有数の観光地、嵯峨嵐山。緊急事態宣言も解除され、観光客も戻ってきました。
11月に入り渡月橋周辺の木々や嵐山も色鮮やかに色づき始めました。JR、阪急、京福の各駅からの交通アクセスも便利で、有名な神社仏閣などの絶景スポットも多数集まっています。そんな嵯峨嵐山でも特におすすめの紅葉スポットを数回にわたりご紹介します。
今回は、観光客で賑わう嵐山の渡月橋から北へ歩くこと約15分、奥嵯峨の入口にある名刹 清涼寺をご紹介します。
清涼寺の行き方
電車で
北西へ徒歩約11分
・京福電気鉄道「嵐山駅」下車
北へ徒歩約12分
・阪急「嵐山駅」下車 北へ徒歩約22分
バスで
・京都バス
京都駅より大覚寺行・清滝行にて
「嵯峨釈迦堂前」下車
京都駅より28番 大覚寺行
「嵯峨釈迦堂前」下車
「嵯峨釈迦堂前」下車
三条京阪より11番嵯峨山越行
「嵯峨小学校前」下車
本日のスタートはJR嵯峨嵐山駅です。
改札口を出て北(右)へ向かいます。
コンビニの前を通り、階段を降ります。
階段を降りたら西(左)へ向かいます。
このゲートを出て北(右)へ向かいます。
ゲートを出たところです。このまま北へ向かい、突き当りを西(左)へ曲がります。
西へ曲がったところです。住宅街の中の道を西へ200mほど進みます。
ファミリーマートの角を北(右)へ曲がります。
この道をまっすぐ北へ向かいます。突き当りは丸太町通です。
丸太町通の信号を北へ渡り、西(左)へ向かいます。
丸太町通を120mほど西へ向かうと交差点があります。信号を渡り、そのまま西へ向かいます。
丸太町通沿いに嵯峨小学校があります。更に西へ進みます。
嵯峨小学校の前を西へ進み、北(右)へ曲がります。
嵯峨小学校の角を曲がり、更に北へ進みます。ここまで来れば、清涼寺はもうすぐです。
120mほど北上すると、道の左手に注連縄の施された朱の鳥居があり、その前に「愛宕野々宮両御座所」と刻まれた石碑があります。清涼寺関連の駐車場かと思ったら、ここに両社の神輿が納められているそうです。5月の第四日曜日に野宮神社と愛宕神社合同の還幸祭祭が行われます。このお祭りは「嵯峨祭」と呼ばれ、古くは元禄4年(1691)に松尾芭蕉も見学したとの記録も残される歴史のある祭です。
この御旅所前の通りの突き当りに、清涼寺の山門が見えて来ました。
清涼寺の山門に着きました。
ひときわ目を引く重層の山門(京都府指定文化財)で天明3年(1783)の建立です。初層に室町時代制作の仁王像、上層に十六羅漢像を祀ります。
総欅造(そうけやきづくり)の三間一戸で二階二重門、屋根は入母屋造、屋根は本瓦葺です。全体に禅宗様(ぜんしゅうよう)と和様を折衷した、江戸後期の典型的な形式を持つ賑やかな意匠の建物です。
清涼寺とは
清涼寺の正式な名称は五台山清凉寺、現在は浄土宗の寺院です。本尊釈迦如来像があることから「嵯峨釈迦堂」の名で地元の人に親しまれています。
もともとこの地には、嵯峨天皇の皇子 源融(みなもとのとおる)の山荘、棲霞観(せいかかん)がありましたが、これが後に寺となって棲霞寺と称しました。永延元年(987)奝然(ちょうねん)上人が、愛宕山を中国の五台山に模して大清凉寺を建立しようとしたものの、志半ばで没し、弟子の盛算がその遺志を継いで、棲霞寺内の釈迦堂を清凉寺としたのが、この清凉寺の起こりです。
では、山門から中に入っていきましょう。
愛宕権現社
境内に入ってすぐ右手にあるのが愛宕権現社です。
神仏習合の名残で、かつて同寺が愛宕山白雲寺(現・愛宕神社)の山下別当寺であった歴史を今に伝えています。
多宝塔
山門を入ってすぐ左手にあるのが多宝堂塔(京都府指定有形文化財)で、多宝如来を安置しています。江戸時代の出開帳の際に寄進を受けて江戸で造られ、3年後の元禄16年(1703)に船で運ばれ再建されたそうです。
阿弥陀堂
本堂に向かって右手前(東)にあって西向きに建つのが、もと棲霞寺の阿弥陀堂です。平安時代には、嵯峨天皇の皇子で左大臣源融の別荘棲霞観がありましたが、源融の一周忌に阿弥陀三尊像を祀る棲霞寺と改められ、これが阿弥陀堂の始まりです。
本堂
山門を入って正面に堂々と佇むのが本堂の釈迦堂(京都府指定文化財)です。
三国伝来と伝える栴檀(せんだん)釈迦如来像(なんと国宝!)を安置します。桁行7間、梁間7間、一重入母屋造本瓦葺で、正面と背面に3間の向拝を設けるなど本山として風格を備え、山門同様に禅宗様と和様が巧みに折衷しています。現在の建物は徳川綱吉の援助を受けて、元禄14年(1701)に再建されました。
本堂内は撮影禁止なので、写真でご紹介できませんが、本尊釈迦如来像を安置した、四天柱で区切られた中央の宮殿は徳川初期末の桃山建築の名残を示す華麗豪壮なものとなっています。歴史の感じられる薄暗い堂内で、宮殿周辺はひときわ輝いて、そこに極楽浄土が現れたようなありがたくも圧倒される気持ちになりました。
本尊阿弥陀如来像(国宝)
写真:清凉寺パンフレットより
本堂に安置されている本尊釈迦如来像は、国宝で日本三如来の一つに数えられ、昔から広く信仰されています。三国伝来(インド~中国~日本)の生身のお釈迦様として、釈迦37歳の生き姿を刻んだものと言われています。清凉寺の開基 奝然(ちょうねん)が中国に渡り、その尊像を模刻し日本へ持ち帰りました。この尊像が模刻された時、中国の尼僧により釈迦如来像の体内に絹で造られた五臓六腑等が封じられ、昭和28年にそれらが発見されました。これは中国で千年も前に人間の体の構造を知っていたことを示すもので、解剖学的にも貴重な資料です。
東大寺で学んだ奝然ですが、東大寺を始めとする南都仏教に対する批判の心から、新しい仏教を起こそうとしていました。その思いを実現するため、中国へ渡り仏教の聖地を参拝し、帰国した後、その頃新しく生まれて力を増していた比叡山延暦寺に対抗する新しい寺院を、同じ平安京の反対側にある愛宕山に作ることを目指していました。その新しい寺院は、中国の五台山の清凉寺を模し、清凉寺と号するつもりでした。
奝然は中国での参拝を終え、釈迦如来像とともに帰国しましたが、この釈迦像を安置する愛宕山の寺院はできておらず、様々な障害も持ち上がり、清凉寺創建を果たせぬまま没しました。弟子の盛算が奝然の遺志を引き継ぎ、愛宕山の麓の棲霞寺に釈迦堂を建て清凉寺としました。もともと、源融の山荘を転用した棲霞寺は、東大寺や東寺のような国が建てた寺院とは違う、親しみやすい雰囲気であったようです。その一角を間借りして始まった清凉寺は、更に庶民的で貴賤問わず多くの人々の信仰を集めていたようです。
実際に釈迦如来像を近くで拝見すると、他の寺院でよく見受けられる、ある種人間を超越したような雰囲気の慈悲深いお顔のお釈迦様とは違い、たくましい体つきでしっかりと意志を持った人間的なお姿をされています。これが釈迦37歳の生き姿を刻んだと言われているのも頷け、長い間多くの人々の心を引き付け導いてきた理由がわかる気がしました。
法然と清凉寺の釈迦如来像
道順を少し戻りますが、山門を入ってすぐ西(左)に浄土宗を開いた法然上人の像があります。
法然は比叡山延暦寺で学んで僧となりましたが、世の中の中心が貴族から武士へと変わり混乱が続く中、庶民の苦悩に正面から向き合おうとしない比叡山延暦寺の寺院としての在り方に疑問を持ち、煩悶の日々を送っていました。そんな中、法然は保元元年(1156)24歳の時、身分も関係無く、全て広く人々を救うための仏教を求めて、清凉寺の釈迦如来像の前に七日間参篭をとげました。下層の庶民たちも多く参拝していた清凉寺で、新しい仏教を開く起縁になったと言われています。
清凉寺の庭園へ
本堂北側の扉を抜けると、その先にこのような渡り廊下があります。
弁天堂
渡り廊下の西(左)に弁天堂があります。正面に軒唐破風(のきからはふ)を付け、屋根は宝形造(ほうぎょうづくり)で、全体的に装飾彫刻が多い建造物です。 建築年代は不明ですが、江戸時代後期とされています。
池泉式庭園
渡り廊下をもう少し先へ行った所から見た弁天堂です。弁天堂の周りは池泉式庭園になっています。色づき始めた紅葉が常緑樹とともに、弁天堂を鮮やかに彩っています。
更に渡り廊下を先へ行った所から弁天堂を見た時、ちょうど良い加減に日の光が差して、池の水面に周りの木々が映り込み、何とも幻想的な美しい風景が見られました。
忠霊塔と川中島
大方丈と庭園
大方丈は、享保年間(1716~1735)の造営と伝えられています。寛永14年の類焼以前のものは6つで早世した徳川家康の息女一照院の位牌所として、家康公および実母のおちかの方の寄進によるものです。方丈前の庭は、ところどころに石を置いた枯山水の平庭で、小堀遠州作と伝えられています。
霊宝館
今回は秋の霊宝館特別公開中であったため、こちらも観覧してきました。
阿弥陀堂の北側の小道を東の奥へ入った所にあります。
こちらは霊宝館です。
館内には、阿弥陀堂の元となった旧棲霞寺本尊阿弥陀三尊像(国宝)、本堂釈迦如来両脇侍文殊菩薩騎獅像、普賢菩薩騎象像(重要文化財)など、貴重な文化財が多数収蔵され、間近で観覧することが出来ます。
館内入ってすぐの所にある阿弥陀如来像は、光源氏のモデルとなった源融の面影を伝えると言われています。やや面長で端正な表情は、いかにも平安貴族の嗜好を反映したものと言えるそうです。
清凉寺の興味深い行事の数々
嵯峨地域の地元の人々を始め、多くの人の信仰を集める清凉寺では、たくさんの年中行事が行われています。その中でも特に興味深いものを二つご紹介します。
嵯峨大念仏狂言
京都三大念仏狂言の一つ「嵯峨大念仏狂言」(重要無形民俗文化財)が演じられる「狂言堂」が、西門近くにあり、毎年春、秋と清凉寺のお松明の日には定期公演が行われています。
涅槃会とお松明
毎年3月15日には涅槃図を供養した後、火祭り(お松明:京都市指定無形民俗文化財)が行われます。三本の大松明を早稲、中稲、晩稲に見立て、その燃え方でその年の豊凶を占います。近世、愛宕の山中で修験者によって行われていた愛宕への献火が変化したものだそうです。当日は境内に多くの露店が出て賑わいます。
清凉寺は嵯峨野観光の中心拠点
嵐山から非常に近い場所にありながら、普段はそれほど観光客が多くない清凉寺ですが、実は国宝や重要文化財が多数収蔵され、また庭園も非常に美しく、見どころ満載のスポットです。
嵯峨野のほぼ中央に位置する清凉寺は、周辺に観光名所も多数点在しています。大覚寺、二尊院、常寂光寺、祇王寺、化野念仏寺なども徒歩圏内ですので、是非一緒に訪れてみてはいかがでしょうか。
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