京都おすすめ散歩道

定番から穴場まで京都のお散歩コースを地元民の視点からご紹介

京都御苑 ~桜や桃など春の花の饗宴

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京都のセントラルパークとも呼ばれる京都御苑は、かつての天皇の居宅のあった京都御所を有する広大な公園です。都会の真ん中にありながら、驚くほど豊かな自然にあふれています。御苑内には桃林や梅林もあり、桜と同時期に桃の花も満開でした。その他にもたくさんの花が見ごろを迎えていましたので、ご紹介します。

 

 

京都御苑の場所

goo.gl

 

京都御苑の行き方

電車で

 京都市営地下鉄烏丸線

   「丸太町駅」から徒歩3分

   「今出川駅」から徒歩3分

 京阪電車

   「神宮丸太町駅」から徒歩15分

   「出町柳駅」から徒歩20分

 

今回のスタートは地下鉄「今出川駅」です。

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南改札から出ます。

 

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改札を出ると売店があるので、売店の左手の3番出口へ向かいます。

 

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大きく「京都御所」と書かれていますね。

ところでブログのタイトルに京都御苑と書きながら、この行先は京都御所とはどういうこと?と疑問に思いますよね(笑)

京都御所」と「京都御苑」ってどう違うの?と疑問に思い、以前のブログで調べてみましたので、再掲します。

 

京都御苑京都御所の違い

京都人は京都御所のことを単に「御所」と呼ぶことが多いです。

「御所」というのは、これから訪ねる広い広い公園の奥の、築地塀内の旧皇居、かつて天皇家が居住した場所です。そしてその外側、つまりそれ以外の公園部分を「御苑」と呼んで区別しているのです。

余談ですが、御所の所轄は宮内庁、御苑の所轄は環境省京都迎賓館の所轄は内閣府なんだそうです。

 

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さて、地下鉄今出川駅の3番出口を出ると烏丸今出川の交差点に出ます。

写真に見えている信号を南へ渡り、東(左)へ曲がります。

 

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東へ曲がったところです。右手に見えているのが京都御苑の石垣です。

道なりに250mほど東へ進みます。

 

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今出川御門です。こちらから京都御苑へ入って行きます。

 

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入ってすぐ右手の小道を入って行きます。

 

京都御苑は「森の博物館」

道なりに進むと、右手にこんな標識がありました。

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京都御苑にはたくさんの植物が生育しており、四季を通じて、花、新緑、紅葉、実などを楽しむことができます。植物相が豊かということは、小動物の住処としても適していると言えます。京都御苑では、これまでに鳥類約100種、チョウ類50種以上、トンボ類20数種、セミ類8種、菌類約400種が確認されているなど、多種多様な生き物が見られ、四季を通じてこれらの動植物に親しみ、学ぶことが出来る場です。

自然の仕組みを知り、自然を大切にする気持ちを育んでいただくため、「森の博物館」として解説標識などが整備されているそうなので、御苑内を散策しながら探してみてください。

 

更に進むと、また標識が。

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京都御苑は、かつての公家町が公園として整備されたもので、その原型は明治10年から16年にかけて行われた「大内保存事業」に遡ります。この時初めて外周に土塁が築かれて、それ以降も積極的に植栽された樹木が現在の樹林を形づくっているそうです。

 

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道が二股に分かれています。左手へ進みます。

 

近衛邸跡の糸桜(いとざくら)

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このあたりは「近衛邸跡」と呼ばれ、五摂家の一つで摂政や関白を多く輩出した近衛家の邸宅跡です。枝垂れ桜の大木が約60本も植わっています。京都御苑内で一番早く咲き始める桜で、「近衛の枝垂れ桜(糸桜)」とも呼ばれます。

かつてはこの庭園の池の西側に大きな屋敷があり、御所炎上の際には仮の皇居にもなったそうです。池のほとりの「枝垂れ桜(糸ざくら)」が昔からの有名で、孝明天皇も次の歌を詠まれています。

「昔より名にはきけども今日みれば むべめかれせぬ糸さくらかな」

 

近衛邸跡は、2018年の大型台風の後、整備が追いつかず、その後しばらく荒廃していたそうですが、2022年の修復工事で整備され、今はだいぶ綺麗な姿になっています。

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池に降り注ぐように咲く枝垂れ桜もまた何とも言えない美しさですね。

近衛邸跡の枝垂れ桜は、京都では「糸桜」と言われます。京都で単に「糸桜」と言えば、近衛邸の枝垂れ桜を指すこともある、一種の固有名詞なのだそうです。(京都人ですが知らなかった…)全国的には、糸桜は枝垂れ桜と同義語として使われる場合もあります。近衛邸跡の枝垂れ桜が特に糸桜と呼ばれるのは、糸を引くように天から降り注ぐ美しい樹形をしているからだそうです。

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近衛邸跡の糸桜は、ソメイヨシノに先駆けて3月下旬に開花し、3月末から4月初めに満開となります。糸桜が満開の時期になると、平日でも朝から多くの花見客で賑わいます。実際、私が訪れたのも平日の午前中でしたが、すでにたくさんの方がお花見を楽しんでおられました。

近衛邸跡の糸桜は、京都の桜を紹介するガイドブックなどには載っていないそうです。ある意味では、近衛邸跡の糸桜は京都人にとっての秘密の人気お花見スポットなのかもしれませんね。

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さて、糸桜を満喫したので、次の目的地へ移動します。

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写真右端に映っているのは京都御所築地塀です。築地塀沿いに南へ向かいます。

 

オオシマザクラ

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しばらく行くと、右手にオオシマザクラが咲いていました。オオシマザクラの香り高い葉は、桜餅の葉に使用されるそうです。白い桜と若葉の淡い緑が映えて爽やかな美しさですね。

 

ハクモクレン

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背の高いハクモクレンも満開でした。私がこの写真を撮っている時に、近くにおられた方が「コブシが咲いてるなあ」と話していたので、「ハクモクレンとコブシ?どう違うのかな?」と思い調べてみました。コブシの花びらは6枚、ハクモクレンは、萼も花びら並みに大きく目立つため、花びらのように見えるものが全部で9枚だそうです。

とすると、この写真はハクモクレンということになりますね!

 

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中立売休憩所です。2019年にオープンした比較的新しい休憩所で、レストランや土産物店もあります。

 

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中立売休憩所から更に300mほど南へ進むと幕末の「禁門の変」で有名になった「蛤御門」があります。

桃林

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蛤御門の南側に広がっているのが桃林です。こちらもちょうど見ごろとなっていました。その数およそ70本におよび、ひとところに多くの桃が楽しめる貴重な場所です。

 

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写真のピンとが甘くてすいません。桃林の木は、まだ低いものが多いので、花もちょうど目の高さほどになります。皆さん思い思いにスマホやカメラを構えて、熱心に写真撮影し、やわらかで独特の雰囲気の桃を愛でておられました。

 

梅林

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桃林の南側には梅林も広がっています。京都御苑内には約180本の梅があり、そのうち130本がこの梅林にあるそうです。

 

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こちらはそろそろ散り始めていましたが、中にはまだ美しく咲いている梅も残っていました。

 

出水の枝垂れ桜

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梅林を過ぎて更に南へ進むと「出水の小川」があります。市民が水とふれあえるように作られた100mほどの小川です。井戸水が小川となって、木々の間をさらさらと流れているさまはとても風流です。夏には水遊びをする子どもたちの人気スポットだそうです。周辺には多くの品種の桜が植えられていますが、この時はまだほとんど咲いていませんでした。ただ、出水の小川の向かい側にある「出水の枝垂れ桜」が満開でした。

 

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大きく枝を広げた「出水の枝垂れ桜」です。

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出水の桜を反対側から撮影。こちらから見ると、また違った迫力があります。

 

ユキヤナギ

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ユキヤナギも満開でした。

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ユキヤナギの植え込みもこれだけ続くと圧巻です。辺りはユキヤナギの甘く爽やかな香りに包まれていました。

 

宗像神社の桜

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宗像神社の前の桜も満開でした。宗像神社のご祭神は、多紀理比売命(たぎりひめのみこと)、多岐津比売命(たぎつひめのみこと)、市岐嶋比売命(いちきしまひめのみこと)です。3柱合わせて、宗像三女神(むなかたさんにょしん)と総称されています。

海産、生産の他、運送に関係あるご利益を授けてくださるそうです。

 

この日は3月下旬、京都のソメイヨシノはまだ満開の知らせは少ない時期でしたが、自然の宝庫、京都御苑ではたくさんの春の花の饗宴が楽しめました。

この記事を書いている4月上旬には、先ほどのオオシマザクラも見ごろになったそうです。このように四季折々の自然が楽しめる京都御苑へ、是非足をお運びください。「森の博物館」では、いつ訪れても新しい発見があることでしょう。

 

 

京都御苑については以下でもご紹介しています↓

 

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京都御苑の周辺のおすすめスポット

 

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車折神社 ~桜色に染まる開運神社

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三月も下旬になり、京都でも各地で桜の開花が伝えられていますが、一部を除き満開まではもう少しかかりそう…でも今日は快晴でじっとしていられない!

そんな私が思い出したのが、ここ車折神社です。昨年嵐山の桜が満開の時に、ついでに見に行ったのですが、すでにかなり散っていて残念だったのです。

昨年のリベンジを果たすべく、勇んで訪れた車折神社の艶やかな景色をご覧ください。

 

車折神社はこのブログでも何度かご紹介していますが、小さいながら見どころ満載の興味深い神社です↓

 

 

車折神社の場所

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車折神社の行き方

京福電鉄嵐山本線嵐電)「車折神社駅」下車すぐ

・JR嵯峨野線山陰本線)「嵯峨嵐山駅」下車 徒歩約10分

阪急電鉄嵐山線「嵐山駅」下車 徒歩約15分

京都市営バス車折神社前」下車 徒歩3分

・京都バス「車折神社前(嵯峨美術大学・嵯峨美術短期大学前)」下車 徒歩3分

 

 

今回のスタートは京福電鉄車折神社駅」です。

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車折神社駅を降りると、もう線路の南側が車折神社です。

 

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こちらの鳥居は駅からはすぐですが、裏参道になります。表参道は三条通側になります。

 

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さっそく満開の桜がお出迎えです。


車折神社とは

車折神社」の社名は、後嵯峨天皇が嵐山に遊行された際に、社前で牛車の轅(ながえ)が折れ、動かなくなったことから、ご神威を畏れ、門前右側の石を「車折石」(くるまざきいし)と呼んで「正一位車折大明神」の神号を贈られたことに由来するそうです。そのため、車折神社では「石」に対する信仰が篤く、「清めの社」や、神主がお祓いをした石が入ったお守り「祈念神石(きねんしんせき)」は古来より信仰を集めています。

車折神社のご祭神は清原頼業で、彼は学問で有名は広澄流清原氏の出で、自身も平安時代後期の著名な漢学者・儒学者だったそうです。

彼の学徳により学業成就や試験合格はもとより、特に「約束を違えないこと」をお守りくださる霊験あらたかな神様だそうです。そのため商売繫盛、金運向上、家内安全、良縁成就など様々なご利益があり、全国からお参りする人が絶えないのだそうです。

車折神社というと芸能の神さまとして有名ですが、それは境内に芸能神社があるためです。かつて撮影所が集まっていた場所柄、玉垣に映画俳優や歌手、伝統芸能のさかんな京都らしく日本舞踊家などの名も多く掲げられています。

 

清めの社

清めの社のご神力(パワー)により、車折神社の境内全体は「悪運・悪因縁の浄化」「災厄消除」のご神力が充満しており、全国から厄除け、八方除けのご祈祷を受けに来られるそうです。

 

さて、本殿をお参りしましょう。

本殿前の大きな桜の木はまだつぼみでした。

 

 

境内を染める満開の桜

本殿を参拝した後、参道東側にひときわ立派な桜の木が。「渓仙桜(けいせんざくら)」という立て看板が立っています。この桜は画家 富岡渓仙が車折神社に奉納したものです。富岡渓仙は富岡鉄斎(同社の元宮司で近代日本画の巨匠)の日本美術院の同人で鉄斎に私淑(師と仰ぐ人と直接会って指導を受けたわけではないが、その人が著した著作などを通して学ぶこと)したそうです。

 

角度を変えて渓仙桜を南側の下の方から撮影。大きく広げた枝に雪のように白い花が青空に映え、本当にも見事です。参拝者もみな夢中でシャッターを切っていました。

 

風にそよぐ姿もまた幽玄の美しさです。

 

玉垣と桜のコラボも艶やかで京都らしい風情を感じます。

 

奉納された酒樽の棚と玉垣の朱色、桜のピンク、青空と白い雲!

 

愛宕社の脇の桜も満開でした。

ピンクの花とグリーンの葉の色が可愛らしい雰囲気です。

芸能神社

芸能神社はその名の通り芸能にご利益がある社で「天宇受売命(あめのうずめのみこと)」という女性の神様がまつられています。

日本神話によると、天照大神(あまてらすおおみかみ)が岩戸に隠れてしまい、この世が真っ暗になった時、岩戸の前で舞を演じたのが天宇受売命で、その舞に惹かれた天照大神が岩戸から出てこられ、この世に光が戻ったといわれています。このことから、天宇受売命は芸能の祖神といわれており、芸の上達を願う人たちが訪れるようになったそうです。

境内には参拝した芸能人の名前が記された「玉垣(たまがき)」が」あり、2000枚以上も奉納されているそうです。

玉垣に記された芸能人の名前をたどっていくだけでも、なかなか楽しめます。ジャニーズのメンバーなどお目当ての芸能人の名前を探して写真を撮っているファンの方の姿もよく見かけられます。

 

清少納言

車折神社のご祭神 清原頼業公と同族の清少納言は、その生没年、墓所等が定かでないので、清原氏ゆかりの当社に祠を築きその御霊を祀ることにされたそうです。

画像:車折神社公式サイトより

言わずと知れた平安時代の女流作家清少納言にあやかり、才色兼備のお守りも当社で授けていただけます。

 

帰り際にもう一度ご本殿横を通ったら、鮮やかな桜色の狩衣姿の女性の神主さんを発見!お宮参りのご家族のご祈祷をされていたようです。神主さんの装束の色も、儀式や神主さんの階級によって細かく決まっているそうです。調べてみると、普段のお祭り(お宮参りもこれにあたるのではないでしょうか)では、特に定められた色は無いそうです。そのため、今回の狩衣の色も季節に合わせたのでは無いかと想像しています。

それにしても、つややかな桜色の狩衣を着て颯爽と歩く神主さんの爽やかで美しかったこと!車折神社で咲き誇る桜とともに、ずっと思い出すことでしょう。

 

 

こちらが三条通側からの表参道です。朱色の鳥居とずらりと並んだ玉垣に桜が華やぎを添えています。

車折神社はこじんまりとしていながらも、様々なご利益のある摂社末社が軒を連ね、いつ訪れても気持ちがリフレッシュできる神社です。嵐山から徒歩15分、ほどよい距離感でお散歩にもお勧めですので、ぜひ一度訪れてみてください。強力な開運パワーもいただけるかもしれませんよ。



 

車折神社についてはこちらのブログでもご紹介しています↓

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嵯峨嵐山周辺のおすすめスポットもご紹介

世界遺産 天龍寺

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天龍寺塔頭で庭園が美しい宝厳院↓

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渡月橋の西にある日本画の美術館二館↓

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天龍寺の西にある絶景スポット亀山公園↓

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亀山公園の向かい側の断崖に建つ秘境寺院 大悲閣千光寺↓

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小倉山のふもとの日本で唯一の髪の神社 御髪神社

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奥嵯峨の竹林に佇む祇王寺

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国宝釈迦如来像を有する名刹 清凉寺釈迦堂↓

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奥嵯峨の紅葉の名所 二尊院

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梅宮大社 ~猫好きが集まる安産と酒の神の社

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おなじみの観光地 嵐山から桂川沿いを南東へ20分余り、松尾橋を東へ渡り、四条通を10分ほど歩いたところに梅宮大社はあります。境内には神社で飼っている多くの猫が暮らしていて、全国の猫好きが集まります。社名にもなっている梅の名所でもあり、そろそろ梅が見ごろと思い訪ねてみました。

 

梅宮大社の場所

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梅宮大社の行き方

電車で

 阪急電車 嵐山線松尾大社」下車 徒歩約10分

 

バスで

 京都市バス3,28,29,71系統で「梅宮大社」下車すぐ

 

今回のスタートは阪急電鉄嵐山線松尾大社」駅です。

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改札を出て正面の信号を北へ渡ります。

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信号を渡って東(右)へ進みます。

 

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踏切を渡ります。

 

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踏切の先の信号を渡り、松尾橋を渡り更に東へ進みます。

 

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松尾橋を渡り切ると罧原堤(ふしはらづつみ)四条の交差点です。

信号を渡り、四条通を更に東へ進みます。

 

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四条通を200mほど東へ進むんだところです。フレスコの横を更に道なりに進みます。

 

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フレスコから更に200mほど東へ進むと信号があり、「梅宮大社参道」の看板があるので、北(左)へ曲がります。

 

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曲がった先に大きな石の鳥居と、朱の鳥居が見えてきました。

 

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朱色の鳥居の手前には大きな梅の木が!さすが梅宮大社です。

 

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青空に白い梅が映えます。

 

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朱色の鳥居は迫力があります。さっそく入って行きましょう。

 

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随身門は三間一戸の楼門で、入母屋造、屋根は本瓦葺で文政11年(1828)再造営されたと言われています。酒造りの守護神を祀る神社なので、楼門の二階に酒樽が並んでいるという珍しい姿です。

 

梅宮大社とは

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梅宮大社は京都でも有数の古い歴史のある神社です。詳細は不明ですが、奈良時代には政治家であった橘諸兄(たちばなのもろえ)の母 県犬養三千代(あがたのいぬかいみちよ)(橘美千代)によって、現在の京都府綴喜郡井手町山城国相楽郡井出荘)に創建したのが始まりと言われています。平安時代の初めに、その神を橘氏氏神として橘嘉智子(檀林皇后・嵯峨天皇の后)が現在地あたりに移したと言われ、皇室外戚神として天皇家から崇敬されました。

本殿では酒解神(さかとけのかみ)、大若子神(おおわくこのかみ)・小若子神(こわくこのかみ)・酒解子神(さかとけこのかみ)の四座を御祭神とします。酒解神の御子・酒解子神大若子神との一夜の契りで小若子神が生まれたことから、歓喜して、狭名田の稲をとって天甜酒(あめのうまさけ)を造り飲んだという神話から、古くから安産と酒造の神として有名です。

また、皇子に恵まれなかった橘嘉智子(檀林皇后)が、本殿の横に鎮座する「またげ石」をまたいで子どもを授かったことから、この石をまたげば子宝に恵まれると伝えられ、その下の白砂は安産のお守りとされています。

現在の社殿のうち、本殿・拝殿・楼門・境内社の若宮社・護王社の5棟は江戸時代の造営であり、京都府登録文化財に登録されています。

さらに、庭園は杜若や花菖蒲、紫陽花の名所として知られるほか、梅、八重桜、椿、つつじ、なども大変美しいと言われています。

 

それでは、中へ入って行きましょう。

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入ってすぐ左手にある手水舎の横にもたくさんの酒樽が並んでいます。

 

 

拝殿

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拝殿は桁行三間・梁行三間の入母屋造で、妻入、屋根は銅板葺です。文政11年(1828)再造営されたそうです。

 

本殿

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拝殿の奥にあるこちらが拝所と回廊で、その奥に本殿があります。三間社流造で、屋根は檜皮葺です。現在の本殿は元禄13年(1700)に造営されたと言われていますが、何回か再建されているようです。

私が訪れた時は、若い夫婦らしき参拝者が神主さんからお祓いを受けていました。安産祈願でしょうか。

 

またげ石

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写真:梅宮大社公式サイトより

本殿の横に鎮座する神秘的な石で、またぐと子宝に恵まれると言われています。

 

猫神社

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社務所の横には猫のお昼寝スペースがあり、のんびりと過ごす猫の姿に癒されます。

動物写真家 岩合光昭さんも訪ねられたそうです。

人懐っこい猫もいて、参拝者に抱っこされても嫌がらない場合もありますが、人に慣れていない猫もいるので、むやみに追い掛け回さないで見守ってあげましょう。

 

神苑

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さて、お参りを済ませたら、社務所で拝観料を納めて神苑を訪ねましょう。京都府有形文化財に登録されている本殿や楼門など社殿の多くが元禄年間に復興されたと先ほどお伝えしましたが、現在の東神苑にあたる部分も、この時期に最初の整備がなされたようです。

 

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現在、神苑は本殿の東、北、西の周囲三方を囲むように配されていますが、東神苑は江戸時代には現在の半分ほどの広さでした。明治から大正にかけて拡張され、さらに昭和40年代後半に池の改修とともに北神苑や西神苑の整備が行われ、現在の姿になりました。

 

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神苑に入るとさっそく紅梅が出迎えてくれます。

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写真が下手で、ちょっとわかりにくいのですが一本の木に紅梅と白梅が咲いていました。

 

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神苑には、ご祭神である酒解子神の別名 木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)にちなんで咲耶池(さくやいけ)と名付けられた池を中心に、池の周囲には杜若、花菖蒲、霧島つつじなど多くの草花が植えられています。初夏にも訪れてその美しさを堪能したいものです。

 

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池泉回遊式庭園なので、ぐるっと巡ってみましょう。

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f:id:yomurashamroch:20220318161206j:plain咲邪池の中島には、江戸時代末期の嘉永4年(1851)に建てられた池中亭(ちちゅうてい)があります。百人一首源経信に詠まれた「夕(ゆふ)されば 門田(かどた)の稲葉(いなば)おとづれて 芦(あし)のまろやに秋風ぞ吹く」と読まれた「芦のまろや」が、この池中亭だそうです。この茶室の風雅な茅葺屋根の形が、往時の芦のまろやの姿を今に伝えています。

 

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池中亭へ入る入口の傍に、百人一首の大納言 源経信の歌碑があります。

 

更に奥へ進みます。

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神苑です。こちらの中心は勾玉池です。その奥に梅林があります。花菖蒲や平戸つつじ、八重桜やあじさいもあるそうです。それぞれの季節で咲き競うさまを見たいですね。

勾玉池の更に奥へ、西神苑へと進んでいきます。

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西神苑の梅苑です。梅はまだ3分咲きといったところですが、水仙と梅の甘い香りが漂っていました。梅が満開になったらさぞかし艶やかなことでしょうね。

 

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かつては天皇家外戚を祀る氏神として崇敬を集めた梅宮大社は、平安時代には貴族の別荘地が集まっていた嵐山の近くに佇む、格式の高い神社です。それにも関わらず、猫がのんびり歩いていたり、手をかけられた神苑にも野の花が咲き乱れていたりと、どこかほっとするような素朴で親しみやすい雰囲気が漂っていました。

梅宮大社から徒歩10分ほどのところに、同じく酒造の神でもある松尾大社があります。松尾山を背にした松尾大社は、訪れる者に自然への畏敬の念を抱かせるような厳しい雰囲気に満ちていました。こんなに近くにあるのに、両社のこの雰囲気の違いは何なのだろう?と考えてみると、松尾大社のご神体である磐座(信仰の対象である岩)の大きく荒々しい姿に見られる男性的な厳しさに対して、梅宮大社のご神体である安産の神には、新しい命を生みはぐくむ女性のような、人々を包み込む優しい雰囲気があることが影響しているのではないかと感じました。

 

阪急電鉄松尾大社駅から西へ行くとすぐ松尾大社、東へ10分ほど歩くと梅宮大社ということで、これほど対照的な2社を一緒に参拝するのは非常に趣き深いものです。

公共の交通機関では少し不便な場所ではありますが、気候の良いお時間のある時に、是非足をお運びください。

 

護王神社 ~足腰の守護神「イノシシ神社」

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京都御所の西に、イノシシが護る小さな神社があります。狛犬ならぬ狛イノシシ、手水舎にも「幸運の霊猪」やイノシシの大絵馬、水飲み場にもイノシシ像…

コロナ禍で何かと気持ちも塞ぎがちですが、神社のあちこちに見られるイノシシに元気をもらえるかもしれないな…と思い、京都では唯一の「イノシシ神社」とも呼ばれる護王神社を訪ねてみました。

 

 

 

 

護王神社の場所

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護王神社の行き方

電車で

 ・地下鉄烏丸線丸太町駅」下車 北へ徒歩7分

 

バスで

 ・市バス51系統「烏丸下長者町」下車すぐ

 

 

 

今回のスタートは地下鉄「丸太町駅」です。

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北改札口を出ます。

 

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改札を出て、コンビニの左横の通路を進みます。

 

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出口2へ向かいます。

 

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階段を上がります。

 

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階段を上がり切ると、烏丸通に出ます。烏丸通の向こうは京都御苑です。

烏丸通を北(左)へ向かいます。

 

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烏丸通を北へ向かうと、すぐ左手に大きな洋館があります。

 

大丸ヴィラ

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「大丸ヴィラ」という説明書きが掲げられていました。

大丸ヴィラは昭和7年(1932)当時の株式会社大丸 社長下村正太郎の住宅として、ヴォーリス建築事務所の設計で建てられました。ヴォーリスとは、アメリカ出身で日本に数多くの西洋建築を手がけた人で、ヴィーリス合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者の一人としてメンソレータム(現メンターム)を広く日本に普及させた実業家でもあります。

大丸ヴィラの特徴としては、チューダー様式(イングランドの15世紀末頃から17世紀初頭までの建築様式)で建てられ、木造風に見えるものの実は鉄筋コンクリート造りの3階建てです。当時いわゆる日本化が進んでいた洋館の中で、珍しくほぼ純粋なチューダー様式で建てられ、昭和59年(1984)には京都市登録有形文化財に登録されました。

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洋館のかわいらしさと日本建築にはない凝った装飾などが見られ、中に入ってみたいところですが、非公開だそうです。

 

さて大丸ヴィラを通り過ぎ、更に烏丸通を200mほど北上すると、石の鳥居が…

ちょっと寄り道してお参りしていきましょう。

菅原院天満宮神社

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菅原院天満宮神社です。手作り感あふれる黄緑色の看板は、学問の神さまとして全国で天神さんと親しまれている菅原道真公の似顔絵のようです。

菅原院天満宮神社は菅原道真公のお生まれになった霊地で、道真公の先祖三代の住居地でもあり、菅原道真公とその父是善卿、祖父清公卿を祀っているそうです。

「烏丸の天神さん」とも呼ばれ、人々に親しまれ厚い信仰が寄せられています。

 

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さすが天神さん、手水舎には臥牛が…

 

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菅原道真公産湯の井戸がありました。道真公がお生まれになった時、この井戸の水をお使いになられたそうです。道真公にあやかり、丈夫で賢い子どもになるように安産祈願の神さまとしても祀られるようになりました。

 

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天神さんと言えば学業の神さまですね。

 

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境内にもたくさんの学業成就を祈願した絵馬が納められていました。

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その他、末社として癌封じや腫物等の病にご利益があると言われている「梅丸大明神」も祀られていました。

 

さて、菅原院へもお参りしましたので、再び烏丸通を北上していきます。

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菅原院のすぐ北隣には、赤レンガ造りの美しい教会がありました。

こちらは平安女学院京都キャンパスの敷地内にある日本聖公会聖アグネス教会です。聖堂は明治31年に聖三一大聖堂として建てられたゴシック様式の建物で京都市有形文化財に指定されています。

先ほどの大丸ヴィラといい、聖アグネス教会といい、古い神社仏閣のすぐ近くに洋風建築が町並みに自然に溶け込んでいるのも、京都ならではですね。

 

烏丸通をさらに北へ向かいます。

聖アグネス教会から250mほど北へ歩くと、木の塀に昔のお札の絵が並んでいます。

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護王神社とは

護王神社平安京の建都に貢献した和気清麻呂(わけのきよまろ)公を御祭神としています。もとは高雄山神護寺の境内にありましたが、明治19年(1886)、明治天皇の勅命により、現在地に移され、御所の守護神とされています。

さて、和気清麻呂がご祭神の護王神社になぜイノシシの像がたくさんあるのか?ということですが、これには日本史上唯一、天皇家以外の人間が天皇になろうとした事件「宇佐八幡宮神託事件」が関わっています。この事件は私が高校生の時の日本史の授業でも、先生が「これは日本史上本当に大きな事件だ!和気清麻呂公がいなければ、もしかしたら現在まで続く天皇の系譜が途絶えていたかもしれないんだぞ!」と力説していたことを思い出しました。

この事件は、奈良時代称徳天皇の寵愛を受けた道鏡(どうきょう)という僧侶が天皇位を得ようとして阻止された事件です。道鏡天皇の寵愛から「法王」という天皇に準じる高位にまで昇りつめ、769年宇佐八幡宮大分県宇佐神宮)が、「道鏡天皇にすれば天下が泰平になる」との神託を称徳天皇に奏上しました。天皇和気清麻呂宇佐八幡宮へ派遣。清麻呂が神託を請うと「天皇の後継者には必ず皇族の者を立てなさい。無道の者は早く追放してしまいなさい」というご神託を下されました。清麻呂公がこれを天皇に報告したため、道鏡の怒りを買い、清麻呂公は大隅国(鹿児島県)へ流罪となり、その旅の途中、道鏡の放った刺客により足の筋を切られてしまいました。その道中でどこからともなく300頭ものイノシシが現れ、清麻呂公を守りながら道案内をしてくれ、清麻呂公の足の痛みも不思議と治ったそうです。

この話から、清麻呂公を祀る護王神社には、その崇敬者により狛犬の代わりに狛イノシシが奉納され、「イノシシ神社」として人々に親しまれているそうです。

 

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また、清麻呂公が悩んでおられた足萎えが治ったことから、護王神社は足腰の守護神として広く信仰されています。

毎月21日の午後3時に足腰祭が行われます。参列者は本殿での祈願祭の後、表門前の御千度車を回し、足腰の大御守の下をくぐって足腰の健康安全を祈願します。(参列自由ですが、感染症拡大の状況などにより変更になる場合もあるかと思いますので、詳しくは護王神社の公式サイトをご確認ください)

更に、皇室の危機を救った忠臣として、戦前には十円紙幣に肖像が印刷されました。歴代の十円紙幣のうち、6券種に採用され、護王神社が描かれていたり、裏面にイノシシが描かれているものもありました。

 

イノシシだらけの境内

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まず出迎えてくれるのが、この狛イノシシ。

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表門の前の鳥居を護る阿吽のイノシシ像です。キリリとした表情が頼もしいですね。

 

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続いて鳥居のすぐ後ろにいたイノシシ像。淡い朱色がおしゃれです。

 

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境内に入り、右手にあるのが霊獣手水舎の「幸運の霊猪」。鼻を撫でると幸運が訪れると言われています。

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霊猪の周りにも小さいイノシシがぎっしり。可愛いすぎます!!

 

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拝殿の前にも狛犬ならぬ狛イノシシ。先ほどご紹介した「宇佐八幡宮神託事件」より、「清麻呂公のお社には狛犬ではなく狛イノシシを」という崇敬者の声により、明治23年に建てられたそうです。

 

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祈願殿の南側に展示されている真ん中の像は、護王神社境内に生い立っていた樹齢300年の桂の木から作られた、チェーンソー彫刻の「飛翔親子猪」像です。これは祈願殿建設に際し、やむなく伐採した、桂の根株を、チェーンソーアートの世界チャンピオン城所ケイジ氏が「生命のよみがえり」をテーマに彫刻し、翼の生えた神猪が子猪を守る姿が表現されているそうです。「飛翔親子猪」の両側には、同氏が北山杉で彫刻した作品「昇り神猪と降り神猪」が展示されています。

 

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本殿前にそびえたつ招魂樹(おがたまのき)の根本には、願掛け猪の石象があり、その周りには座立亥串(くらたていぐし)と言う願掛けの串がたくさん刺し立ててあります。自分の名前と願い事を書いた紙札をはさんで、願掛け猪の前に立てて願掛けをするという護王神社独特の信仰だそうです。

 

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水飲み場にもイノシシ像が。この像が一番ユーモラスで可愛らしいですね。

感染対策のため、ひしゃくは一時撤去され、センサーにより水が出るようになっていました。

 

足萎難儀回復の碑

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本殿向かって右側の招魂樹(おがたまのき)のそばにある「足萎難儀回復の碑」には、足腰の病気やケガの平癒のご利益があるそうです。参拝者は足形の石の上に乗ったり、碑をさすったりして祈願します。

 

和気清麻呂銅像

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平成10年(1998)、和気清麻呂公千二百年祭を記念して、和気清麻呂銅像が建てられました。造形作家松本繁来氏の手によって、御所に向かい真っすぐな眼差しを注ぐその像は、清廉潔白と称された清麻呂公のイメージをよく表しています。

 

さざれ石

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清麻呂公像のすぐ後ろには、国歌「君が代」に詠まれる「さざれ石」があります。幅3メートル、高さ2メートルで、まさに大きな巌(いわお)です。大小様々な石が集まって頑強な巌になっているさまは「君が代」の和歌に詠まれた国を思う心を表しているかのようです。

 

御神木カリンの木

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樹齢100年を超える御神木は、京都の巨樹名木百選にも選べばれるほど有名だそうで、秋には甘い香りの黄色い大きな実をつけます。この実で造ったカリン酒は、喘息によく効くそうです。

 

 

護王神社はこじんまりしていますが、たくさんのイノシシ像がユーモラスだったり可愛らしかったりと見ごたえ充分で、イノシシ像を探しながら参拝するのも楽しく、元気をもらえる神社でした。

また、皇室の危機を救った忠臣である和気清麻呂公を祀る神社が洛西の高雄山神護寺から御所の西隣に移され、清麻呂公が6種類もの十円紙幣に登場するなど、明治以降の天皇を中心とする国家の形成において、和気清麻呂公が非常に重要視されたことがよくわかりました。

京都御所のすぐ西に位置し、御所の北には相国寺もあるなど、お散歩にはちょうど良い距離感で、四季折々に楽しめるスポットとなっています。

これから春に向けて、京都御所では梅や桃、そして桜なども次々と咲きそろってきますので、是非一度足をお運びください。

 

 

護王神社周辺のおすすめスポットは以下のブログをご参照ください。

 

四季折々の自然が楽しめる広大な京都御苑

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京都御所の東にある穴場スポット梨木神社と蘆山寺↓

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京都御所の北にある京都五山二位の名刹相国寺

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天龍寺と祇王寺 ~嵯峨嵐山 名残の雪景色

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少しづつ春めく日も増えてきた2月下旬、嵯峨嵐山に雪が降った朝です。おそらく今年最後になるであろう雪景色を惜しみ、天龍寺祇王寺を訪ねてみました。

 

 

天龍寺の場所

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天龍寺の行き方

電車で

 ・京福電気鉄道嵐山線 

   「嵐山」駅下車

 ・JR嵯峨野線 

   「嵯峨嵐山」駅下車徒歩13分

 ・阪急電車 

   「嵐山」駅下車徒歩15分

バスで

 ・市バス 11.28,93番で

   「嵐山天龍寺前」下車前

 ・京都バス 61,72,83番で

   「京福嵐山駅前」下車前

 

天龍寺への行き方や詳しい情報については、以下のブログでもご紹介しています。↓

www.yomurashamrock.me

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まず、天龍寺へ向かいました。

天龍寺とは

嵐山や渡月橋天龍寺の西側に広がる亀山公園などもかつては天龍寺の境内地でした。

もともと後嵯峨天皇の亀山離宮があった所に、暦応2(1339)年、足利尊氏後醍醐天皇の菩提を弔うため、夢想国師を開山として創建した禅寺です。

室町時代には京都五山の第一位を占めたこともありました。創建以来八度にわたる大火で創建当時の壮大な面影はとどめていないそうです。現在の諸堂は明治になって再建されました。当時の原型を残す曹源池庭園は亀山や嵐山を借景にした池泉廻遊式で、夢想国師の作庭と言われています。

日本で最初に史跡・特別名勝に指定され1994年12月には「古都京都の文化財」として、世界文化遺産に登録されました。

 

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庭園への拝観受付の横には、役目を終えた鬼瓦が展示されています。雪を被って、力強い感じが弱まっていますね(笑)

 

さっそく中へ入ります。

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方丈前の庭園です。枯山水の庭がうっすら雪化粧しています。

 

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方丈の角を曲がると曹源池庭園です。雪で白く輝く方丈の屋根と池の深い緑、そして庭の木々の雪が見事なハーモニーを奏でています。

天龍寺京都市内の一番西に位置し、曹源池庭園が東側に広く開けているので、朝日が当たる早朝が最も美しいそうです。今回は9時頃に訪問しましたが、次回はもっと早く訪れてみたいです。

 曹現池庭園は、約700年前の夢窓国師作庭当時の面影をとどめており、わが国最初の史跡・特別名勝指定だそうです。中央の曹源池を巡る池泉回遊式庭園で、大堰川を隔てた嵐山や庭園西に位置する亀山を取り込んだ借景式庭園でもあります。

方丈からみた曹源池中央正面には2枚の巨岩を立て龍門の滝とします。龍門の滝とは中国の登龍門の故事になぞらえたもので、鯉魚石を配するが、通常の鯉魚石が滝の下に置かれているのに対し、この石は滝の流れの横に置かれており、龍と化す途中の姿を現す珍しい姿をしていると言われています。

曹源池の名称は国師が池の泥をあげたとき池中から「曹源一滴」と記した石碑が現れたところから名付けられたそうです。

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池の鯉も寒そうに体を寄せあっていました。

 

さらに奥の「百花苑」へ入って行きます。

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百花苑入口付近に咲いていた椿です。雪に日の光が当たり、椿の紅色を引き立てています。

 

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曙馬酔木(アケボノアセビ)です。アセビというと薄桃色や白色のイメージですが、こちらは別名ベニバナアセビとも呼ばれるように紅色が美しい種類です。

アセビ類の壺型の花は寒い時期に咲くため、霜や雪を防ぐため下向きで入口が小さいそうです。虫による受粉が難しそうですが、雄しべに細長い突起があり、これに昆虫の口が触れると花粉を落とすことで受粉させるという絶妙な構造なんだそう。

 

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素心蝋梅(ソシンロウバイ)です。普通の蝋梅(ロウバイ)は内側の花被片が濃い紫色ですが、素心蝋梅は花被片全体が黄色くなります。蝋梅の名は、蝋細工のように見える花の姿から来ているそうです。マスク越しですが、水仙に似た甘い香りが漂っていました。英名はウインタースウィート(winter sweet)と可愛らしい名前がついています。

 

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山茶花サザンカ)です。薄桃色の花びらが優しい色合いです。

 

花の少ない真冬の時期ではありますが、さすが「百花苑」、雪と花の貴重なコラボレーションを随所で見ることが出来ました。

 

 

 

さて、次は祇王寺へ向かいます。天龍寺から祇王寺までは徒歩20分ほどです。

 

祇王寺の場所

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祇王寺の行き方

・電車で

 ①JR嵯峨野線

   「嵯峨嵐山駅」下車 徒歩25分

 ②京福電気鉄道

   「嵐山駅」下車 徒歩25分

・市バスで

 ①四条河原町から

  市バス11番(山越中町行)乗車(約50分)

  「嵯峨小学校前」下車 徒歩17分

 ②四条烏丸(阪急烏丸駅)から

  市バス91番(大覚寺行)乗車(約45分)

  「嵯峨釈迦堂前」下車 徒歩15分

 ③阪急嵐山駅から

  市バス28番(大覚寺行)乗車(約10分)

  「嵯峨釈迦堂前」下車 徒歩15分

 

祇王寺への行き方や詳しい情報は以下のブログでもご紹介しています。↓

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祇王寺へ向かう坂道の途中に可愛いお地蔵さん群が。

お地蔵さんたちの向こうの坂道を上がり切った所に祇王寺があります。

 

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祇王寺に到着です。10時を少し過ぎていて、だいぶ雪が解けていましたが、こじんまりとした風情のある入口です。

 

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苔むした藁葺の門にも雪が積もり、趣きがあります。

 

祇王寺とは

祇王寺は往生院祇王寺と号する真言宗の寺院です。寺伝によれば、この地は平安時代に開創し、後に祇王寺と呼ばれるようになったそうです。

 平家物語によれば、祇王平清盛に寵愛された白拍子でしたが、若い仏御前の出現により清盛の心が離れてしまったので、母刀自(とじ)、妹祇女と共に出家し、当地に移り住みました。後に「いつかわが身も同じ運命」と悟った仏御前も旧怨を捨てた祇王母子に加わり、4人で念仏三昧の余生を送ったと伝えられています。

 現在の本堂は、明治28年(1895)に再建されたもので、堂内には、本尊大日如来像をはじめ、平清盛祇王ら四人の尼僧像を安置しています。

 

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祇王寺というと苔庭で有名ですが、この時は雪に覆われてところどころ苔が顔を出していました。雪が太陽の光を受けて輝き、庭全体を明るく照らしていました。

 

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祇王寺を囲む竹林にも少し雪が残っていました。

 

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ひっそりと佇むかやぶき屋根の草庵。中には祇王、祇女、刀自、仏御前ら五人の木像が安置されている仏間があり、吉野窓から外の景色を眺めることもできます。

 

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草庵の奥の間の大きな窓を吉野窓と言います。境内の緑葉を通って差し込む日差しが障子に色とりどりの色彩を映し出すことから「虹の窓」とも呼ばれています。

 

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色彩の少ない雪の庭にわずかに残った紅葉が美しいですね。

 

今回は二月末の天龍寺祇王寺をご紹介しました。水墨画のような雪景色ももちろん美しいのですが、春の声が聞こえてきそうな、淡い雪と緑や花々の色彩の組み合わせもまた趣き深いものですね。あとひと月もすれば桜の季節となります。春の訪れが待ち遠しいお散歩でした。天龍寺祇王寺もJRや阪急、京福などの各駅からのアクセスも良く、お散歩にちょうど良い距離感で、周辺にもたくさんの見どころがありますので、ぜひ訪れてみてください。

 

 

嵯峨嵐山周辺のおすすめスポットは以下のブログをご覧ください。

天龍寺塔頭で庭園が美しい宝厳院↓

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渡月橋の西にある日本画の美術館二館↓

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天龍寺の西にある絶景スポット亀山公園↓

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亀山公園の向かいの絶壁に佇む穴場スポット大悲閣千光寺↓

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小倉山のふもとの日本で唯一の髪の神社 御髪神社

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国宝釈迦如来像を有する名刹 清凉寺釈迦堂↓

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奥嵯峨の紅葉の名所 二尊院

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北野天満宮 ~梅咲き誇る学業成就の神さま

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北野天満宮は、菅原道真公をご祭神としておまつりする全国約1万2000社の天満宮、天神社の総本社です。天神信仰の発祥の地であり、京都では親しみをこめて「北野の天神さん」「北野さん」と呼ばれています。

言わずと知れた学業の神様で、京都のみならず全国から学業成就を願う参拝者が絶えません。境内はご祭神の道真公が愛したと言われる梅にちなみ、梅の木約50種1500本が2万坪の敷地に咲き誇ります。境内の梅苑は1月末から3月中旬まで公開されるので、今回は梅を見に北野さんへお参りしてきました。

 

 

北野天満宮の場所

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北野天満宮の行き方

電車で

 京福電車「北野白梅町駅」より徒歩5分

 

バスで

 ・JR京都駅より市バス50、101系統

 ・JR二条駅、地下鉄二条駅より市バス55系統

 ・JR円町駅より203系統

 ・地下鉄今出川駅より市バス51、102,203系統

 ・京阪出町柳駅より市バス102,203系統

 ・京阪三条駅より市バス10系統

 ・阪急大宮駅より市バス203系統

 ・阪急西院駅より市バス203系統

 いずれも「北野天満宮前」下車すぐ

 

 

今回のスタートは京福電車「北野白梅町駅」です

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駅を出て左(北)へ向かいます。

 

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写真右手に見えているのが北野白梅町の交差点です。まず目の前の今出川通の信号を北へ渡り、次に西大路通の信号を東へ渡り、今出川通を東へ進みます。

 

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西大路通を東に渡り今出川通を東に向かって450mほど歩きます。

 

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今出川通に面して建つ一の鳥居です。高さ11.4mの堂々とした大鳥居です。

木曽の花崗岩の一本柱で、大正10年(1912)10月に建立されたそうです。

 

北野天満宮とは

北野天満宮は天暦元年(947)に創建されました。平安時代に学者・政治家として活躍した菅原道真公を御祭神としています。

菅原道真は昌泰4年(901)、都で右大臣を務めていましたが、政敵の藤原時平からの中傷により、都から左遷され、その二年後に大宰府で命を落としました。その後、都では落雷などの災害が相次ぎ、これを無念の死を遂げた道真の怨念の仕業と考え、その怨霊を鎮め、都を守護する社として北野天満宮が創建されたのです。のちに「天神さま」と崇められ、学問、至誠、芸能、厄除けの神さまとして、人々の信仰を集めています。特に学問の神さまとしての信仰が厚く、多くの受験生らが全国から参拝に訪れます。

国宝である本殿は豊臣秀頼が造営したもので、八棟造と称される豪華絢爛な桃山建築です。道真公のご命日である毎月25日の「天神市(てんじんさん)」の縁日では、宝物の特別公開が行われ、境内では多くの露店が立ち並んでにぎわいを見せます。現在放映中の朝ドラ「カムカムエヴリバディ」でも3人目のヒロインひなたが天神さんの縁日に訪れていましたね。

また、梅や紅葉の名所としても有名です。

 

では、さっそく中へ入って行きましょう。

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一の鳥居をくぐって参道を歩きます。

 

撫で牛

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境内を歩くと、あちこちで牛の像が見られます。参道の初めの方で見かけたこの牛は目が大きくて愛らしい顔つきですね!

牛は天満宮では神のお使いとされています。それにははいくつか説があります。「道真公の生まれたのが丑年である」「亡くなったのが丑の月の丑の日である」また「道真公が牛に乗り大宰府へ下った」とか、「道真公のご遺体を運んでいた牛が哀しみから途中で動かなくなった」などです。最後の説から、北野天満宮の牛の像はほとんどが臥牛(座り込んだ牛)の姿で鎮座されています。

この臥牛は「撫で牛」と呼ばれます。お参りする人が、自分の体の悪い部分を撫でてから、牛の体の同じ部分を撫でると、牛が悪い箇所を直してくれるとか、頭を撫でると学業成就などのご利益がある、などと言われています。

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先ほどの撫で牛にも「合格しました。ありがとうございました。」というメッセージが供えられていました。撫で牛のご利益があったんですね~。

 

楼門

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楼門の上部に掛けられた額には「文道太祖 風月本主(ぶんどうのたいそ ふうげつのほんしゅ)」という文言が刻まれています。平安時代中期の学者 義滋保胤(よししげのやすたね)、大江匡衡(おおえのまさひら)が道真公を讃えた言葉です。「文道太祖」とは学問・文学の祖、「風月本主」は漢詩・和歌に長じた人という意味です。道真公がまさに学問の神さまと呼ばれる所以ですね。

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楼門上部の「文道太祖 風月本主」の額

花手水

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楼門をくぐり、すぐ右手にあるのが手水舎です。ネットの情報で「北野天満宮の花手水は京都一の大きさではないでしょうか」という記述も見られるほど豪華な花手水です。

他の寺社のものと比べると、普通サイズの2倍くらいある手水鉢に、毎回テーマに沿ってお花が盛り込まれるアート感あふれる花手水が特徴です。

私が訪れた時は、花開き始めたチューリップや蝋梅、ハート型を描いた枝「サンゴミズキ」など色とりどりの花々で、春の訪れを感じる華やかな花手水でした。

花手水情報は、公式サイトではあまり公開されていませんが、公式Twitterのアカウント「北野天満宮 北野文化研究所」から、花手水のお花の解説がされていたり、公式Instagramで今週の花手水が配信されていますので、こちらもチェックしてみてください。

 

境内に咲き誇る梅

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手水舎のすぐ横にあるのが、大きな臥牛像です。ちょうど満開の梅の花に囲まれて、心なしか嬉しそうに見える立派な牛の像に、参拝者も笑顔をほころばせ、順に写真を撮っていました。

 

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先ほどの臥牛像の横の梅の木です。大きく広げた枝ぶりに北野天満宮の歴史を感じます。

 

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紅梅の色も鮮やかです。

多くの神社では、参道の正面に本殿がそびえたつというのが普通だと思いますが、北野天満宮では、先ほどの臥牛像と紅梅の間の参道をまっすぐ奥へ向かうと本殿ではなく摂社の地主社があります。これは、もともとこの地には地主神社があり、のちに菅原道真公をおまつりする社殿を建てたという歴史的な理由から、本殿は地主社の正面を避けて建てられたそうです。(「筋違いの本殿」と呼ばれています)

 

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本殿へ向かうため、楼門正面の参道から左(西)へ曲がり突き当りを北(写真右)へ進みます。写真の左手奥に梅苑の入口が見えていますが、まずは本殿を参拝します。

 

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先ほどの写真の道を右手へ曲がったところです。正面に三光門が見えています。

 

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参道の撫で牛にも色々な石の色があり、それぞれに可愛らしいよだれかけがかかっています。感染予防のため、抗ウイルス、抗菌加工してあるそうです。

 

三光門

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本殿前の中門は三光門と呼ばれ、国の重要文化財に指定されている桃山時代の建築様式の豪華絢爛な美しさです。この三光門には「星欠けの三光門」伝説があります。門の名である「三光」は日・月・星の彫刻に由来しているものの、星は天上に輝く北極星のことで、実際には星は刻まれていません。平安時代、御所の場所は現在よりも西にあり、北野天満宮を北西に臨む千本丸太町に位置し、帝が当宮に向かってお祈りされる際、三光門の真上の北極星が輝いていたからだと伝えられているそうです。

 

社殿

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総面積約500坪の壮大な檜皮葺屋根を戴く社殿は、菅原道真公をおまつりする本殿と拝殿が石の間という石畳の廊下でつながり、本殿の西には脇殿を、拝殿の両脇には楽の間を備えた複雑な構造で、八棟造、権現造と称され、神社建築の歴史を伝える貴重な遺構として国宝に指定されています。

写真に写っているのは拝殿で、この奥にご本尊を安置する本殿があります。

 

菅原道真と梅

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道真公は梅をこよなく愛し、大宰府左遷の際に、庭の梅に「東風吹かばにほいおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」という和歌を詠んだと言われています。その梅が道真公を慕って一晩のうちに大宰府に飛来したという飛梅伝説があり、拝殿前のこの梅の木は「御神木の紅梅」、各地の飛梅伝説の原木と言われています。

この梅は遅咲きなので、咲くのはもう少し先のようですね。また、このような伝説から

梅が神文となり、御神木の右手に提げられた提灯にも「星梅鉢紋」が見えます。

 

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拝殿でお参りをした後、左手へ向かいます。

 

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拝殿左横から出ると、絵馬を書くテントが立てられていました。こちらで絵馬を書き、写真奥にある赤い鳥居の左にある絵馬掛け所で絵馬を掛けます。

 

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赤い鳥居の左側が絵馬掛け所です。

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ぎっしり絵馬が掛かっていますが、その奥にも同じような絵馬掛け所が更に3~4か所あります。ものすごい数の絵馬です。それだけ多くの人々の思いが北野さんに届けられているのですね。

 

牛社「一願成就のお牛さん」

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絵馬掛け所の横の鳥居の奥にも、かなり年季の入った撫で牛を発見。こちらは境内にある撫で牛のなかで最も古いものだそうです。「一願成就のお牛さん」とも呼ばれ、撫でると一つだけ願いがかなうと言われています。

 

梅苑

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お参りを終え、また楼門の横に戻ってきました。こちらの受付から梅苑に入って行きます。入苑料は大人1000円です。(茶菓子付き)

庭園

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まず、入って右手の庭園へ向かいます。紅白の梅と紫と白の垂れ幕が華やかです。

 

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石の鳥居と紅梅のコントラスト

 

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庭園の奥の白梅と青空と本殿の競演です。

 

庭園の梅はまだ3分咲きというところでした。

 

 

次に梅苑「花の庭」へ向かいます。

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庭園の南側に花の庭へ向かう通路があります。

 

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花の庭には茶店があり、上七軒の和菓子店 老松による茶菓接待が行われています。

 

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梅苑の入苑料を払った時に受け取る茶菓は麩菓子のようなものです。お茶は茶店でほうじ茶をいただけます。

 

花の庭

「花の庭」は、京都洛中の名庭『雪月花の三庭苑』のひとつとして、今年新に再興されました。

江戸時代、京には三つの成就院があり、歌人連歌師俳諧の祖として讃えられた松永貞徳(1571~1653)により作庭されたと伝わる「雪月花の三庭苑」と呼ばれました。寺町二条の妙満寺(現在は左京区岩倉)の「雪の庭」、清水寺の「月の庭」、そして北野天満宮の「花の庭」、それぞれが成就院(成就坊)という塔頭に造られた庭として、その名を馳せました。

花の庭は北野成就院に作られたとされ、明治期に成就院の廃寺とともに失われてしまいました。北野天満宮が残された庭石を活用するなどして境内の梅苑に新たな庭を整備したそうです。

 

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梅苑の梅は早咲きの梅がちらほら…という感じでした。

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梅苑の西側に、苑内を一望できる特設舞台があります。

 

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特設舞台に上がってみましたが、梅苑での梅の咲き具合はまだ1~2分咲きといったところでした。

 

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写真:パンフレット令和再興「雪月花の三庭苑」より

花の庭の梅が満開だと、こんな感じになるようです。先ほどの特設舞台から見たら、一面の梅が見渡せるのでしょうか。

今年の梅苑公開は3月下旬まで、2月25日(金)は梅花祭が、2月25日から3月13日(日)まではライトアップも行われる予定です。梅花祭や梅苑の公開が毎年行われることは私も知っていたのですが、ちょっと早すぎたようです。機会があれば満開の時期に訪れてみたいと思います。

梅苑公開やライトアップの詳細は北野天満宮の公式サイトでご確認ください。

 

北野天満宮は梅の時期だけでなく、桜も大変美しく、また初夏の青紅葉、秋の紅葉と一年を通して四季の美しさが楽しめます。国宝の社殿を始め、重要文化財も多数あり、また、毎月25日の「天神市」では骨董品や古着、手作りアイテムなどの露店が並び、また宝物殿では国宝「北野天神縁起絵巻」など皇室をはじめ公家や武家より奉納された宝物も公開され、更に天神市の日没後にはご本殿などのライトアップも実施されます。

学問の神さまとして学業成就の祈願だけでなく、見どころ満載の北野天満宮にぜひ足をお運びください。

 

 

 

神泉苑 ~平安の雅を伝える京のパワースポット

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京都への観光客が一度は訪れる「二条城」のすぐ南に位置する「神泉苑」。そのアクセスの良さの割に知名度はいま一つですが、国の史跡に指定されている美しい庭園であり、更に京都でも有数のパワースポットなのに、京都人にも意外と知られていません。今回は小さくてもキラリと光る、無料で観覧できる非常に魅力的な神泉苑をご紹介します。

 

 

 

神泉苑の場所

goo.gl

 

神泉苑の行き方

電車で

 ・阪急四条大宮駅より北へ徒歩10分

 ・JR二条駅より東へ徒歩10分

 ・JR京都駅→地下鉄東西線二条城前駅」下車 徒歩2分

バスで

 ・市バス15系統「神泉苑前」下車すぐ

 ・市バス9、50系統「堀川御池」下車 徒歩5分

 

今回のスタートはJR嵯峨野線二条駅」です。

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改札を出て左(東)へ向かいます。

 

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「二条城」の方へ向かうので東口へ向かいます。

 

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バスやタクシーのロータリーに出ます。ロータリーの一番北の歩道を東へ向かいます。

 

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歩道の一番東の端まで来ました。コメダ珈琲店に向かって信号を東へ渡り、そのままコメダ珈琲の南に面した御池通を東へ向かいます。

 

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御池通です。そのまま東へ450mほど進みます。

 

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神泉苑の大鳥居です。こじんまりとした庭園のようです。

さっそく入ってみましょう。

 

神泉苑とは

神泉苑平安京の造営と同時に計画された大宮苑で、延暦13年(794)、桓武天皇により禁苑(天皇のための庭園)として造営されました。平安京の(大内裏)の南東隣りに位置し、南北4町東西2町の約8ヘクタールもある広大な苑池でした。神の泉の名の通り豊かに水が湧き出て、どんな干天でも枯れず、灌漑用にも水を供給したそうです。

苑内には、大池、泉、小川、小山、森林などの自然を取り込んだ大規模な庭園が造られ、敷地の北部には乾臨閣を主殿とし、右閣、左閣、西釣台、東釣台、滝殿、後殿などを伴う壮大な宮殿がありました。

 桓武天皇による延暦19年(800)の行幸以来、歴代天皇神泉苑で宴遊され、9月9日の重陽節会(菊の節句)や7月7日の相撲節会など季節の行事も恒例として行われたました。嵯峨天皇は43回も神泉苑行幸され、弘仁3年(812)には神泉苑で「花宴の節」を行い、これが日本で初の花見の宴と言われています。

 

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平安時代初頭頃には、苑池での管弦の宴などに用いられた竜頭鷁首の船などが着き、天皇や貴族たちが遊宴に興じていたと記録に残されているそうです。

 

その後、神泉苑は鎌倉期には荒廃し、慶長年間、徳川家康が二条城を築くにあたり、広い池の多くが壊され、初期の八分の一ほどに縮小してしまいました。平安京の真ん中に位置した遊宴の大池はしのぶべくもないものの、深々とした池、後ほどご紹介する弁財天堂や善女龍王社の佇まい、朱塗りの法成橋には、平安時代の華やかな様子が伝えられています。

 

龍王伝説

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天長元年(824)、日本中が干ばつに見舞われ、淳和天皇の勅命により、弘法大師空海神泉苑の池畔で雨ごいの祈祷を行いました。空海北インドの無熱池の善女龍王を勧請(呼び寄せる)したところ、日本中に大雨が降りました。これ以降、神泉苑の池には善女龍王が棲んでいると言われており、「善女龍王社(ぜんにょりゅうおうしゃ)」というお社のなかに祀られています。

 

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神泉苑で最も注目されるのが、この「法成橋(ほうじょうばし)」です。先ほどの「善女龍王社」と本堂の間に架かっている朱塗りの橋です。

この橋のうえを、善女龍王社で授けられるお守りを胸に抱いて一つだけ願い事を念じながら善女龍王へお参りすると、その願いは必ず成就すると言われているそうです。

私もさっそく善女龍王社の前に並べられたお守りを買い求めようと思ったのですが、無人の販売所になっていて、あいにく釣銭が無いように払えるお金の持ち合わせがありませんでした。諦めて帰ろうかと思いながら法成橋を渡った先、本堂脇に売店があり、そちらでもお守りを買い求めることができました。

 

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こちらではお守りだけでなく、御朱印やお札なども授けていただけます。

 

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こちらが本堂で、利生殿とも呼ばれます。弘化4年(1847)に東寺の大元師堂を移築したものです。ご本尊は聖観音で後光明天皇の供養のために父の後水尾法皇によって造立されました。

 

ご本尊をお参りし、お守りを胸に再び法成橋を渡りました。願いがかないますように…

 

この法成橋では5月3日に「静御前の舞」が行われます。これは、寿永元年(1182)大日照りが続き、高僧100名による雨乞いの祈祷でも雨が降らなかったので、見目麗しい百人の白拍子が集められて舞いを舞い、百人目の静御前が舞ったところ三日間大雨が降ったという伝説にちなんで行われています。この静御前の姿を源義経が見染め側室にしたとも言われており、神泉苑では静御前の絵馬も授けていただけます。

 

 

恵方

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さて、法成橋を渡って善女龍王社の南に「恵方社」という小さなお社があります。

こちらは日本で唯一「くるくる回転する社」と言われています。節分の時に食べる恵方巻の「恵方」と同じく、その年の縁起の良い方角を指しており、お社自体が恵方を向くように、前年の大晦日に調整されているそうです。

この恵方には歳徳神(としとくじん)という神様がいて、陰陽道では福徳の神様とされ、吉の方角にお参りすると願いが叶うと言われています。

神泉苑でしかお参りできない、恵方社をお参りし、そのパワーをいただきたいですね。

 

祇園祭神泉苑

貞観5年(863)に、京で疫病が大流行し、神泉苑で六柱の御霊を鎮めるため、朝廷による御霊会が行われました。その際には経典の読経や、雅楽の演奏、稚児の舞、雑技なども催され、民衆だけでなく天皇もその様子を見られたそうです。貞観年間には、大地震や富士山の噴火など、全国的な災いが相次ぐ中で、貞観11年(869)には、全国の数66本の鉾を立て、祇園社(八坂神社)から神泉苑に御輿を送り、厄払いが行われました。これが後世には町衆の祭として、鉾に車をつけ 飾りを施して京の都を練り歩く「祇園祭」へと姿を変えることとなりました。

 

 

その他境内の見どころ

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弁財天社は財宝を授けてくださいます。水音が弁天様の奏でる琵琶の音色に聞こえると伝えられているそうです。

 

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宝篋印塔。貞観元年(1684)に弘法大師御入定850回忌にあたり、神泉苑の池中に建立されたそうで、宝永地震(1707)などで損壊した後、享保2年(1717)に再興されました。この供養塔に礼拝すると滅罪延命などのご利益や、ご先祖様へのご供養にも通ずると伝えられます。

 

 

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鎮守稲荷社。ご祭神は矢劔大明神(やつるぎだいみょうじん)です。

手に持った矢と剣で、参詣の人々を守護される神様だそうです。

神泉苑の稲荷社は江戸後期からあることが古文書により判明しています。

 

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神泉苑の中心には大池「法成就池」がありますが、その西にある小池は「心鏡(しんきょう)の池」と呼ばれています。池の面に映る自らの顔をうかがうと、心の奥の喜怒哀楽が映し出されると伝えられています。私も自分の顔を映して見てみたかったのですが、この日は薄曇りで、表情がわかるほどはっきりとは映りませんでした…

 

 

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私が訪れたのは一月末だったため、あまり花などは咲いていませんでしたが、真冬でも近隣の方が気軽に参拝されている姿が見られました。実際訪れてみると、街中とは思えないほど静かで清澄な気に満ち、心身ともに浄化されるような気持ちになりました。

神泉苑では春の梅や桜、夏の紫陽花、秋の紅葉など、四季折々に美しい自然の姿を見せてくれるそうです。

京都でも有数のパワースポットの一つで、二条城から徒歩5分、周辺の電車の駅からも徒歩10分ほどとアクセスも大変良いので、ぜひ一度足をお運びください。