京都おすすめ散歩道

定番から穴場まで京都のお散歩コースを地元民の視点からご紹介

蘆山寺~桔梗の咲き誇る紫式部ゆかりの寺院~

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京都御所の東、梨木神社の向かい側に蘆山寺は静かにたたずんでいます。周囲は多くの寺院が立ち並ぶ寺町で、京都御所と鴨川に挟まれ、観光地のすぐ近くですが、この一帯は驚くほど静かな雰囲気です。かつて紫式部源氏物語を執筆したと言われる邸宅跡でもあります。また、源氏物語にちなんだ桔梗のお寺としても有名で、6月から9月初旬には本堂前の「源氏庭」に紫色の可憐な花が咲き誇り、多くの参拝客が訪れます。今回、蘆山寺の桔梗が見ごろを迎えていると聞き、訪ねてみました。

 

●蘆山寺の場所

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●蘆山寺の行き方

京阪鴨東線 「出町柳」駅より徒歩約15分

      「神宮丸太町」駅より徒歩約15分

京都市営地下鉄 烏丸線「丸太町」駅より徒歩約20分

京都市営バス「京都駅」から4・17・205系統

      「四条河原町」から3・4・17・205系統

      「府立医大病院前」下車 徒歩約5分

 

注意)「府立医大病院前」のバス停は河原町通にありますが、蘆山寺には河原町通側からは入山できません。寺町通よりお越しください。

 

 

今回のスタートは京阪鴨東線出町柳」駅です。

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叡山電鉄との連絡口である叡電口改札から出て、叡山電鉄とは反対の右手へ向かいます。

 

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コンビニの前を通り右手へ進みます。

 

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3番出口へ向かいます。

 

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突き当りを右へ曲がります。

 

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階段を上り左へ曲がります。

 

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階段を上がり切ると、右手が賀茂大橋です。橋を渡ります。

 

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賀茂大橋の北(右)には、有名な鴨川デルタが見えます。

 

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賀茂大橋を渡りそのまま進むと河原町今出川の交差点です。

横断歩道を西へ渡り、今出川通を西へ向かいます。

 

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今出川通をそのまま西へ向かいます。

 

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寺町今出川の交差点を南(左)へ曲がります。

 

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寺町通です。このまま南へ進みます。

 

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寺町通を南へ進むと、進行方向右手に御所の小さな入口(石薬師御門)が見えました。(この写真では中央奥です)御所のすぐ近くであることがわかります。今回は御所に向かわずに、寺町通をこのまま南へ300mほど進みます。

 

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寺町通の東側(左)に蘆山寺があります。「桔梗咲いています」の看板が出ていました。

 

●蘆山寺とは

蘆山寺は天台圓浄宗の大本山で、正しくは廬山天台講寺と言います。天慶元年(938)、比叡山第十八世座主元三大師(がんざんだいし)良源が、京都の北、船岡山南麓に開いた興願金剛院に始まります。元三大師は比叡山延暦寺の中興の祖として知られ、命日が正月の三日であることから「元三大師」の通称で親しまれています。

一方で寛元3年(1245)に法然に帰依した住心房覚瑜が出雲路に寺を建立し、宋の廬山にならい廬山寺と称しました。

南北朝時代、この二か寺を兼務した明導照源によって蘆山寺が興願金剛院に統合されました。この時以来、寺名を蘆山から正式名称を蘆山天台講寺と改め、円(天台宗)、密(密教)、戒(律宗)、浄(浄土教)の四宗兼学道場となりました。

その後、応仁の乱の兵火に遭い、また織田信長比叡山焼き討ちにも遭遇しますが、正親町天皇(おおうぎまちてんのう)の勅命によって免れました。

その後天正元年(1573)、豊臣秀吉の京都整備によって、現在地に移転してきました。

現在の本堂は、寛政6年(1794)、仙洞御所の一部を移築して再建されました。

 

皇室とも大変ゆかりが深く、明治維新までは御黒戸 (おくろど)四箇院といって、宮中の仏事を司る寺院 四ケ寺(蘆山寺、二尊院、般船院、遣迎院)の一つでもあります。

 

紫式部の邸宅跡と源氏庭

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現在の蘆山寺は紫式部の曽祖父の中納言藤原兼輔(877~933)から伯父の為頼、父の為時へと伝えられた広い邸宅でした。

紫式部はその兼輔が建てたこの邸宅で一生の大部分を過ごしたと言われ、この邸宅で藤原宣孝との結婚生活を送り、一人娘の賢子(大弐三位)を育て、源氏物語を執筆したと言われています。

 

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紫式部と賢子(大弐三位)の歌碑

左・紫式部の歌

  めぐりあひて みしやそれとも わかぬまに くもがくれにし 夜半の月かな

右・大弐三位の歌

  有馬山 稲名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする

 

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昭和40年(1965)11月には、境内に紫式部の邸宅跡を記念する顕彰碑が建てられるとともに、「源氏庭」が整備されました。平安朝の庭園を表現した源氏庭は、白砂に映える苔がたなびく雲に見立てられ、その苔の上には、紫式部にちなんで紫の桔梗が植えられています。源氏物語に出てくる朝顔の花は、今の桔梗のことだという説もあり、6月末から9月初めまで静かに源氏庭を彩ります。
ちなみに、蘆山寺のこの場所がたまたま紫式部の邸宅跡地だったということで、紫式部と蘆山寺には特に関係は無いそうです。

 

それでは、蘆山寺に入っていきましょう。

 

●廬山寺の開祖 元三大師良源

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山門を入るとすぐ正面にあるのが元三大師堂です。こちらには、ご本尊の元三大師像が祀られています。開祖の元三大師良源は比叡山の中興の祖として崇められており、人並み外れた霊力と様々な姿に身を変えて人々を救ったという伝説があり、平安後期から鎌倉期にかけて説話集が作られました。元三大師堂では、毎月三日に護摩を行っており、自由に参加できるそうです。

元三大師は実在の人物ですが、中世以来、独特の信仰を集め、現在でも「厄除け大師」などとして民間の信仰を集めています。また、現在の寺社・仏閣で行われているおみくじは元三大師が始めたと言われています。

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(蘆山寺パンフレットより)

元三大師は宮中に出現した三匹の鬼を宝器である独鈷(どっこ)や三鈷(さんこ)で退治したという逸話があり、それに由来する行事が毎年二月に行われています。節分の「鬼おどり(節分会追儺式鬼法楽)」がそれで、赤鬼・青鬼・黒鬼が足拍子をとりながら室内に入り厄除け開運・福寿増長の護摩供が行われます。私も鬼おどりのことは話には聞いたことがありますが、一度も見たことが無いので、コロナが落ち着いた暁にはぜひ見に行きたいと思います。

元三大師堂の前を右(南)に向かい、駐車場から奥(東)へ進むと本堂に出ます。

 

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写真左手が本堂です。右手には紫式部と娘の大弐三位の歌碑が見えます。

 

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左手の受付で拝観料500円を払い、右手の玄関から靴を脱いで入ります。

玄関を入るとすぐ正面に、金色に輝く紫式部像がありました。残念ながら本堂内の写真は源氏庭のみ許可されているので、これより先は内部の写真は撮影できませんでした。

式部像の左から奥へ進みます。

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本堂前の源氏庭です。白砂と苔の緑、そして桔梗の紫のコントラストが非常に美しく、心癒される景色です。ご本尊の前の廊下から続く縁側には屋根があるので、雨の日でもゆっくり庭を堪能できます。私が訪れた日もあいにくの雨模様でしたが、数名の参拝者も座布団の敷かれた縁側に座り、写真を撮ったりしながらひたすらゆったりと源氏庭の美しさを味わっておられました。

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(蘆山寺パンフレットより)

本堂内に安置されている重要文化財のご本尊阿弥陀三尊坐像は、13世紀初めの作と言われています。来迎阿弥陀像と言われる、臨終を迎える者のもとに出現した阿弥陀如来と観音、勢至菩薩の三尊仏です。両脇の菩薩は膝を揃えた座り方で、これは正座からすぐ次の動作に移れるように少し足を動かした状態なのだそうです。衣が後方に強くたなびく様子を表すことで、亡くなられた方の魂がどこかへ行ってしまわないように、すぐに迎えに行けるようにというスピード感を表しているそうです。

この阿弥陀三尊坐像を眺めながら隣の座敷で写経を体験することもできます。目の前には阿弥陀様、横には源氏庭という何とも贅沢な環境で写経が出来るんですね。

 

●皇室ゆかりの格式高い寺院

さて、源氏庭を後にして、再度本堂の玄関から外へ出ます。

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紫式部大弐三位の歌碑の右から奥の墓地へと続く参道があります。

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上記の参道を東へ進み、突き当りを少し北へ歩くと、慶光天皇廬山寺陵があります。

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(蘆山寺パンフレットより)

慶光天皇(きょうこうてんのう)は江戸時代後期の光格天皇の父です。

光格天皇って聞いたことあるなあ、と思ったら、明治以前に在位中に譲位した最後の天皇だったのです。光格天皇以降、平成31年4月30日に第125代天皇明仁さまが退位するまでの202年間、天皇が譲位する例はなかったというとで、さかんにテレビなどで解説されていましたね。ちなみに、天皇の前につく称号(例えば昭和天皇であれば昭和、明治天皇であれば明治)は、その天皇崩御されてから贈られる称号なので、明仁上皇のことを平成天皇と呼ぶのは誤りだそうです。

話を戻して、その光格天皇の前の天皇は後桃園天皇だったのですが、後桃園天皇には男子がいませんでした。そのため、後桃園天皇崩御した後は、慶光天皇の男子であった光格天皇が即位することになりました。

 

慶光天皇は、江戸時代には閑院宮典仁親王(かんいんのみやすけひとしんのう)と呼ばれていました。光格天皇が即位すると、典仁親王天皇の父となります。

しかし、典仁親王の地位は天皇の臣下である大臣よりも低く、これでは格好がつきません。そこで、光格天皇は父の典仁親王太上天皇の尊号を贈ることを計画しますが、幕府の反対に遭い、それはかないませんでした。

その後、明治17年になってから、典仁親王明治天皇の高祖父にあたるということで、慶光天皇諡号(しごう)が贈られるとともに太政天皇の尊号も贈られ、光格天皇の意思は100年近く経って叶えられたそうです。

そしてそのお墓も宮内庁の管理となっています。

蘆山寺墓地には、一般の墓地の中に、皇室の方々のお墓も点在しています。詳細は不明ですが、夭折された方が多いのではないかと言われています。

 

●秀吉の遺構 御土居の跡

この墓地の一番東の奥に、こんもりと樹木が茂っている所があります。

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これが御土居(おどい)です。蘆山寺の公式サイトやパンフレットには書いてあるのですが、蘆山寺の現地へ行っても、全然表示が無いので、どこにあるのかわからず、受付の方にお聞きしました。墓地の奥にある、とだけ教えていただき行ってみたのですが、まだわかりません。お盆の期間だったので、たまたまご住職の方がお墓におられ、「御土居はどちらにありますか?」と尋ね、本当に墓地の一番奥の樹木が茂って高くなっているあたりだとわかりました。

御土居は天下統一した豊臣秀吉が、長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環として外敵に備える防塁と、鴨川の氾濫から市街を守る堤防として、天正19年(1591)に多くの経費と労力を費やして築いた土塁です。

広い京都を縦長に囲み、全長は22.5㎞ありますが、現在残されている場所は少なく、国の史跡に指定されている地点は9か所です。

蘆山寺の御土居はそのうちの一つなのです。

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御土居の東端の多くの部分が河原町通と合致しているので、ほとんどは市街地化して取り壊されているようです。河原町通の西沿いが御土居の位置にあたるわけです。

蘆山寺の御土居のように、河原町通に沿って残っているのも貴重だそうです。さすがに墓地の中だったので、壊されなかったのでしょう。

ブラタモリによると、御土居に上がれる所はあまり無く、蘆山寺の御土居はそういう意味でも一見の価値ありです。

 

f:id:yomurashamroch:20210813211023j:plain 御土居の向こうは京都市でも随一のにぎやかな界隈、河原町通にも関わらず、蘆山寺の境内はそんな喧噪とは全く別世界の凛とした空気に包まれています。桔梗の季節だけでなく、四季折々の自然の美しさを味わえる蘆山寺は、各電車の駅からは徒歩15分前後と近くはありませんが、恰好のお散歩コースです。また、向かいには梨木神社、御所やその北にある相国寺なども徒歩圏内にあり見どころ満載ですので、蘆山寺と合わせて訪れてみてはいかがでしょうか。