御所の東南、寺町丸太町を下がった街中にある小さなお寺「革堂行願寺(こうどうぎょうがんじ)」。西国三十三ヶ所めぐりの十九番札所にあたります。
こちらのお寺とその周辺では例年10月初旬に「藤袴祭」が開催されます。今年はコロナウイルス感染拡大防止のため中止と聞いていましたが、そんな中でも藤袴が咲いているとの情報を得て、伺ってみました。
革堂行願寺の場所
革堂行願寺の行き方
・京阪電車
「神宮丸太町駅」下車徒歩約10分
「京市役所前駅」下車徒歩約15分
改札口を出て右へ向かいます。
右手の1番出口へ向かいます。
案内板に従って1番出口へ向かって右へ曲がります。
曲がったところです。突き当りの階段を上がります。
階段を上がり切ったところです。右側は川端通です。そのまま北へ向かいます。
川端通の左(西)側は、鴨川です。左前方は丸太町通に続く丸太町橋です。
この日は長かった緊急事態宣言解除後初めての日曜日、鴨川は散歩や川遊び、ボール遊びなどを思い思いに楽しむ人々の姿が見られました。
丸太町通を200mほど西へ進むと河原町丸太町の交差点です。右前方にあるのは御所東小学校です。
河原町丸太町の交差点を西へ渡ります。
80mほど進み、京都中央信用金庫の角を南(左)へ曲がります。
曲がったところです。このまま南へ進みます。
進行方向右手が下御霊神社の裏側です。このまま神社沿いを南へ進みます。
一筋目を西(右)へ進みます。
曲がったところです。右手は下御霊神社の南側の壁です。この道を西へ進みます。
突き当りが寺町通です。南(左)へ曲がります。
寺町通を40mほど南へ進むと
寺町通に面して左手に革堂行願寺があります。観光地化された立派な門がまえの大寺院ではなく、周囲のビルに挟まれてさりげなくそこにある、という感じで、何とも京都らしいお寺です。
革堂行願寺とは
行願寺は天台宗の寺院で山号は霊麀山(れいゆうざん)。西国三十三所第19番札所です。
寛弘元年(1004)、行円上人が上京区の一条小川に創建しました。当初の寺地は現在の京都御苑の西方で、付近には革堂町、革堂中之町、革堂西町の町名が残っています。「行願寺」とは、いっさいの人々の成仏を「願い、行じる」思いがこめられています。
行円は仏門に入る前は狩猟を業としていましたが、ある時、子を身ごもった雌鹿を射止めてしまいました。そのことを悔いた行円が、常にその皮をまとって鹿を憐み、人々から皮聖(かわひじり)と呼ばれていたことから、行願寺は革堂と呼ばれるようになったそうです。
以降、人々からの厚い信仰を受け、町堂として栄えてきましたが、度重なる火災により寺地を転々とし、宝永5年(1708)の大火の後、現在の場所に移されました。
現在の本堂は、文化12年(1815)に建てられたもので、堂内には行円上人の作と伝えられる本尊千手観音像を安置しています。
山門の前の由緒書の立て札の脇で、さっそく藤袴の花がお出迎えです。
藤袴に黄色い蝶がやってきたので、夢中で写真を撮りました。
さっそく中へ入って行きましょう。
参道の脇にはずらりと藤袴の鉢が。夏はその奥にあるハスの鉢が並んでいたそうです。
革堂はハスの花でも有名だそうです。
本堂'(京都市指定有形文化財)の前には「西国19番 革堂行願寺」の石碑が。霊場巡りをされている方の姿もたくさん見かけました。
本堂の右横に、沢山の藤袴の鉢植えが並んでいました。
藤袴の鉢植えの横に、「藤袴祭」のフライヤーが掲示してありました。
それによると、「例年10月に藤袴の保全育成および京都の花として秋の風物詩となるよう開催してきた藤袴祭ですが地域の安心安全および感染拡大を防止するため縮小あるいは中止します。
なお、この窮屈な日常を強いられている今、例年通りの藤袴展示はしませんが普段の生活に少しだけ彩りを添えることが出来ればと思い、皆様にご協力いただき育てられた藤袴は革堂、下御霊神社、各スタンプラリー会場、地域の学校、寺町通りに一部並べます。」ということだそうです。少しだけでも展示していただき本当に嬉しく思いました。
たくさんの藤袴の鉢植えに、またもや黄色い蝶が数匹やってきました。
調べてみたらミドリヒョウモンという名前だそうです。
秋の七草と藤袴
秋の七草は、奈良時代の貴族 山上憶良(やまのうえの おくら)が詠んだ歌が由来とされます。
「秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花」(万葉集巻八一五三七)(訳)秋の野に咲いている花を、指を折って数えてみれば、七種類の花がある。
「萩の花 尾花 葛花 撫子 瞿麦の花 姫部志 また藤袴 朝貌の花」(万葉集巻八一五三八)(訳)萩の花 尾花(オバナ=ススキ) 葛花(クズ) 瞿麦(ナデシコ)
の花 姫部志(オミナエシ) 藤袴(フジバカマ) 朝貌(アサガオ=現在のキキョウ)
憶良は1首目で秋に咲く草花を数えて、2首目でその花の名前を挙げています。当時は季節の草花を歌に詠むことが多くありました。憶良がこの2首を詠んだことにより、上記7つが秋を代表する草花として認知されるようになったようです。
フジバカマは中国原産で、奈良時代に伝わったとされます。当時は薬草として使われていました。乾燥させると独特の香りを放ち、中国ではお風呂に入れたり、匂い袋に入れて持ち歩いたりするなど愛用されました。かつては関東より西の地方で見られましたが、環境の変化などで数が減少、京都では「絶滅寸前種」に指定されています。
しかし、1998年に京都の大原野で再発見された野生種の藤袴が、京都各地の寺社へと広がり、各地で美しい花を咲かせるようになりました。
藤袴と蝶
藤袴の魅力は、花そのものの美しさだけではありません。吸蜜のためにたくさんの蝶が藤袴へ集まります。
アサギマダラなど一部の蝶は、藤袴の花に含まれる、ピロリジジンアルカロイドの一種を摂取する必要があるそうです。これらの蝶にとって、ピロリジジンアルカロイドは、雄が雌を誘うフェロモンを作るのに必須の物質です。そのため、アサギマダラなどの蝶にとっては、子孫を残すために藤袴などの蜜を吸う必要があるのですね。
アサギマダラは、マダラチョウの仲間で、羽を広げた時の大きさは10センチほどと大きく、春から秋にかけて見られる珍しい蝶です。名前の通り浅葱色の美しい翅をしています。浅葱色とは薄い藍色のことで、漢字の通り、薄い葱(ねぎ)の葉のような色に由来します。
アサギマダラは、春には南から北へ移動し、秋には北から南へと移動する「海を渡る蝶」として知られています。春に暑さを避けて台湾や南西諸島から本州へと渡り、秋には本州から台湾から南西諸島へと渡ります。これまでの調査では、和歌山で放たれたアサギマダラが83日後に香港で発見されたのが最長記録で、実に約2500kmを旅したそうです。一日に200kmを移動したという記録もあります。
暑さが苦手なアサギマダラは本州でも朝や夕方に見られることが多いそうです。
革堂の境内
さて、本堂をお参りしたので、更に境内の奥(北)へと進みます。
本堂の手前を左手へと進みます。写真手前の鉢植えは、コムラサキです。
紫色の可憐な果実が秋らしい風情を感じさせます。
七福神と寿老人
参道を更に奥(北)へ進むと、左手(西)に寿老神堂があります。
寿老神堂の横にはずらりと並んだ七福神の石像が。横でたなびく幟には「日本最古 都七福神」と書いてあります。これはどういうことでしょうか?
調べてみると、都七福神(みやこしちふくじん)は京都府内の7箇所の社寺から構成される七福神巡りの巡礼札所だそうです。七福神めぐりは今で全国各地で行われていますが、もともとは京都が発祥なんだとか。特に新春に巡拝すると「七難即滅」「七福即生極まりなし」とされ、功徳が大きいとのことです。
七福神の七人の神様が祀られる社寺が7つあり、革堂は先ほどの「寿老人」の神堂があります。この神様は、不老長寿のご利益を授けてくださるそうです。
こちらがその寿老人(じゅろうじん)です。中国が発祥で、三千年とも千五百年とも言われる長寿の玄鹿を従え、巻物をつけた杖を携えています。なんとも福々しい、良いお顔の神様ですね~
庫裏
七福神の向かい側あたりにあるのが、僧侶の居住する場所や台所、そして寺務所を兼ねる場合もある庫裏(くり)です。
鎮宅霊符神堂と鐘楼
庫裏の奥、参道の北の突き当りに鎮宅霊符神(北辰妙見菩薩)を祀る鎮宅霊符神堂と鐘楼(京都市指定有形文化財 - 文化元年(1804年)再建)があります。
加茂大明神五輪塔
大きな五輪塔の水輪部分に加茂大明神が祀られています。
藤袴とアサギマダラなどの蝶
加茂大明神五輪塔の向かい、境内の一番奥まったところにも、藤袴の鉢植えが沢山ありました。
藤袴には何匹もの黄色い蝶 ミドリヒョウモンがやってきて蜜を吸っていました。
私がこの辺りで蝶を眺めていると、一匹のアサギマダラらしき蝶も現れました。大喜びで近寄ると、その蝶はすぐに革堂の境内から出てしまいました。
何とかアサギマダラの姿を写真に納めたい…と30分ほど境内をウロウロして待ち構えていました。アサギマダラはその後、二度ほど境内に現れたのですが、人間を嫌っているのか、私の気配を察するとすぐにどこかへ飛んで行ってしまいました。
こんな写真が撮りたかったのですが…まあ、スマホなのでこんなにクリアな画像はそもそも無理でしょうが(笑)とにかくチラっと見かけただけですが、透明感のある浅葱色の翅をヒラヒラさせて飛ぶ様は、優雅で一度見たら忘れられません。コロナが収まって、藤袴祭が復活した暁には、是非とも藤袴の間を飛び交うたくさんのアサギマダラと再会したいと切に願います。
革堂のネコ
革堂には数匹のネコがいます。屋根の上で昼寝をしたり、参道で寝そべったり、檀家さんに名前で呼ばれているネコもいました。
町中で市民に愛される革堂行願寺
2021年の藤袴祭は残念ながら中止となりましたが、境内だけでなく、街路樹下のスペースや近隣の小学校や幼稚園、そのほか寺町通りの各所でも藤袴の定植作業に市民のボランティアが活躍したそうです。私が訪れた際も、西国三十三ヶ所巡りの巡礼の方だけでなく、ふらりとお散歩に来られた家族連れなどもたくさん見かけました。
革堂行願寺は、ビルや商店に囲まれた小さな門構えながら奥は意外と広く、地域の人々の生活に根差し、町なかにありながらアサギマダラなどの珍しい蝶も見られ、四季折々の自然を感じられる本当に京都らしいお寺です。近くには京御苑や寺町通には蘆山寺、梨木神社なども点在しており、恰好のお散歩コースですので、是非一度足をお運びください。
周辺のお散歩スポットも以下のブログでご紹介しています。
寺町通を100mほど北上すると、もう京都御苑は目の前です。↓
寺町通を1kmほど北上すると梨木神社があります。↓
寺町通をはさんで梨木神社の向かいには蘆山寺があります。↓
梨木神社や蘆山寺からさらに寺町通を北上し、御所の真北には相国寺があります。↓
相国寺の中にある承天閣美術館は伊藤若冲をはじめ、相国寺や塔頭寺院が所蔵する数々の美術品や文化財が多数展示されています。↓