京都御苑の東にひっそりと佇む梨木神社は、別名「萩の宮」とも呼ばれ、9月には境内に咲き乱れる萩の花で彩られます。近隣には京都府立医科大学、その付属病院などの関連施設や住宅街があり、とても閑静な一帯です。
訪れてみると、小さいながら心癒されるスポットが沢山ある魅力的な神社であることがわかりました。観光用の大きな案内の看板などもなく、京都市民でも知らない人も多いと思いますので、今回ご紹介したいと思います。
前回は地下鉄丸太町駅から京都御苑を通り抜けて梨木神社へのお散歩コースをご紹介しました。↓
今回はいよいよ本題の梨木神社を詳しくご紹介します。
- 梨木神社の場所
- 梨木神社の行き方
- 梨木神社とは
- 梨木神社とマンション?
- 萩の花あふれる境内
- 京都三名水「染井」
- 御神木 愛の木
- 満開の萩に彩られる本殿と「天壌無窮の石碑」
- 水みくじ
- 湯川秀樹博士の石碑
- 四季折々の自然の美を楽しめる梨木神社
梨木神社の場所
梨木神社の行き方
●バスで
JR京都駅前(烏丸口)
市バス乗り場A2乗り場から
4系統・17系統・205系統で約20分
「府立医大病院前」下車 徒歩3分
●電車で
「丸太町駅」1番出口から徒歩約20分
「今出川駅」3番出口から徒歩約20分
「神宮丸太町駅」1番出口から徒歩約15分
「出町柳駅」 2番出口から徒歩約15分
梨木神社とは
梨木神社は、明治18年10月に明治維新の功労者、三條實萬(さんじょうさねつむ)を御祭神として創建された、京都では比較的新しい神社です。大正4年の大正天皇即位式に實萬の子で元内大臣で一時は内閣総理大臣も兼任した三條實美(さねとみ)が第二御祭神として合祀されました。
梨木神社という社名はこのあたりの旧地名の梨木町に由来します。
三條家は五摂家に次ぐ公卿最高の名家で、代々すぐれた歌人、学者など賢才偉人を輩出した家です。御祭神の三條實萬、實美父子は、学問・文芸の神様として崇敬を集め、境内には江戸時代の国学者で『雨月物語』の著者上田秋成や、日本最初のノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士の歌碑があります。
また、拝殿の傍らにある石碑は、三條實萬が天壌無窮の神勅を軸に書き、日夜皇室の発展を願って祈念していた文字を石碑に刻んだものと伝えられています。
梨木神社は別名「萩の宮」とも称され、境内には500株以上の萩が植えられ、毎年9月には「萩まつり」として舞踊、邦楽、弓、居合などやお茶会が催され、多くの参拝者で賑わいます。
梨木神社とマンション?
前回、やっとたどり着いた梨木神社の鳥居の真後ろに低層マンションが…
何とも不思議な光景です。これは一体どういうことでしょうか?
調べてみると、2013年(平成25)、社殿の修復等の資金集めに苦慮していた同社は、境内の参道を含む土地をマンション開発業者に60年の定期借地権で貸し、その賃貸料を社殿の修復費用に充てることにしたそうです。しかし、その計画が神社本庁の承認を得られなかったことから、神社本庁から離脱して独立し、単立神社となり、マンション建設に踏み切ったそうです。
上記の鳥居の西側に移動すると、やはり鳥居の後ろがマンションになっています。
案内板に従って脇の道を進んでみます。
左が京都御所のある京都御苑の森、右がマンションです。この間の道を北へ進みます。
京都御所に隣接するこのあたりは公家のお屋敷が建ちならんでいたそうです。そしてこの通りを梨木通りと言い、かつて朝夕御所に参内する公卿たちの参内道として使われていたんだとか。
写真ではわかりにくいですが、マンションの名前は「イーグルコート京都御所梨木の杜」というそうです。
マンションのすぐ北側に細い小道があり、こちらから梨木神社の境内へ入れます。
境内へ続く小道で、さっそく咲き乱れる萩に出迎えられました。
前述の上田秋成の石碑です。
上田秋成は江戸時代の後期の読本作者、国学者、歌人、茶人であり、近世日本文学の代表作「雨月物語」の作者として知られています。この石碑は、上田秋成が晩年を過ごした羽倉信義邸がこの近辺にあったことから、梨木神社に奉納されたそうです。
そしてまた鳥居が…さきほどの鳥居が一の鳥居で、こちらが二の鳥居、この二つはマンションを挟んで直線でつながっています。つまり、マンション建設の前には、この二つの鳥居の間に参道が通っていたんですね。何かすごい光景ですが…
萩の花あふれる境内
さっそく境内に入っていきましょう。
参道の両側が萩の花で埋め尽くされています!
流れるように枝垂れた枝に紫色の可憐な花が咲きこぼれ、ため息が出そうな美しさです。萩というと和のイメージなのですが、なんとなくイングリッシュガーデンのような、ちょっと洋のイメージもあり、不思議とおしゃれな感じがしました。
萩の枝には、萩にちなんだ俳句や短歌がしたためられていて、雅な雰囲気です。
「神符守札授与所」では御朱印やお守り、おみくじなどが販売されています。
京都三名水「染井」
さて、境内を進みましょう。
染井の井戸です。京都三名水「染井(そめい)・佐女牛井(さめがい)・縣井(あがたい)」のひとつである染井の井戸は、境内の手水舎にあり、今も近隣の人や観光客が名水を拝受することができます。一回5リットルまで100円です。私もペットボトルを持参していたので1本分頂きました。飲んでみると口当たりが柔らかく飲みやすいお水でした。
梨木神社の境内は、藤原義房の娘明子(あきらこ・清和天皇の御母染殿皇后)の御所の跡地で、宮中御用の染所の水として染井の水が用いられたと言われています。
御神木 愛の木
染井の井戸の隣の大きな桂の木は、葉がハートの形をしていることから、「愛の木」という名称で親しまれてきたそうです。木に触れながら祈ると願いが叶うといわれています。
御神木の後ろにはハート形の絵馬が。みなさんの願いか叶うといいですね。
満開の萩に彩られる本殿と「天壌無窮の石碑」
中門からさらに奥へ進みます。青紅葉と萩の花のコラボレーションも美しいですね。
拝殿の周りも萩の花で溢れていました。例年ですと今頃「萩まつり」が行われ、この拝殿でも舞踊や邦楽、居合などが奉納されていますが、昨年、今年は感染防止のため神事のみ斎行され、奉納行事は中止となっています。
拝殿の奥、本殿の手前に「天壌無窮の石碑」があります。三條實萬が軸に書き、日夜皇室の繁栄を祈念していましたが、その軸の破損を危惧して石に刻んだと伝えられています。明治天皇はこれをお聞きになり、石碑の拓本をとられ、2月11日の今の建国記念日に居間に掲げられ、国の繁栄、国民の安泰を祈念されたそうです。
本殿までの参道も両側が萩の花であふれています。しなやかにたわむ枝と可憐な花に、秋らしい風情を感じ、熱心に写真を撮る参拝者もおられました。
本殿は秋風にゆれる満開の萩の花に囲まれて、とても華やかでした。うまく写真に撮れなかったのですが、時折黄色い蝶が萩の花々の間を飛び交い、絵本の中にいるような不思議な気分になりました。
萩はマメ科の植物です。派手さは無いものの可憐な美しさがあり、日本人が好みそうな花ですね。万葉の時代にも最も愛された秋草だそうです。その字もくさかんむりに秋と書いて、訓読みで「ハギ」と読みます。
栽培がしやすく、土地を豊かにするために植えられることもあったそうです。育った萩は、屋根や壁の材料、染め物、お茶、家畜のエサ等々、様々な活用の仕方があり、実の粉は餅に混ぜて食べられ、これが「おはぎ」の由来という説もあるそうです。
萩は万葉集で一番多く詠まれた花で、4516首のうち140首もあるそうです。2位は梅で110首。中国から伝わり、高い人気を誇っていた梅を抑えての一位です。
花と言えば桜かと思ったら、万葉の人々にはまた違う感性があったのですね。
水みくじ
本殿をお参りした後、再度「神符守札授与所」に立ち寄ると、面白いおみくじを発見。
くじを引いて書かれている数字を授与所で伝えると、その数字のおみくじが授与されます。このみくじ紙を水に浮かべると文字が浮き出し読めるようになっているのです。
200円を払っておみくじを引きます。24番でした。
24番のおみくじを授けていただきました。
これを水に浮かべると…大吉でした!
何かいいことありそうですね。
湯川秀樹博士の石碑
二の鳥居の手前に湯川秀樹博士の石碑があり、やはり萩の花に包まれていました。
『千年の昔の園もかくやありし 木の下かげに乱れさく萩』
日本人初のノーベル受賞者で理論物理学者である湯川博士は、生涯の殆どを京都で過ごし、京都大学、大阪大学名誉教授など歴任されました。京都市名誉市民として表彰されており、最年少で文化勲章を受章したことでも知られています。
梨木神社の「萩の会」の初代会長だそうです。湯川博士も境内に咲く萩を見ながら千年前の、このあたりの秋の風景に思いを馳せていたのですね。
四季折々の自然の美を楽しめる梨木神社
萩の宮で有名な梨木神社は、萩以外にも大変多くの木々に囲まれており、紅葉の時期はまた違った鮮やかな色彩で彩られるそうです。また、春は山吹も美しいということで、四季折々に自然の美しさを楽しめる心癒されるスポットです。
京都御苑へ行かれた折には、是非、梨木神社へも足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。その際、染井の水を汲めるように、ペットボトルなどをお忘れなく!
近隣にも見どころがたくさんあり、以下のブログでご紹介しています。
寺町通を挟んで、梨木神社の東向かいには紫式部ゆかりの蘆山寺が↓
相国寺内にある承天閣美術館は伊藤若冲をはじめ、相国寺や塔頭寺院が所蔵する数々の美術品や文化財が多数展示されています。↓