京都おすすめ散歩道

定番から穴場まで京都のお散歩コースを地元民の視点からご紹介

東寺① ~泥の中に咲く色鮮やかなハス

世界遺産 東寺は京都駅八条口から徒歩15分、塀の外は街中の交通量の多い通りなので車がビュンビュン行きかいますが、塀の中は瑞々しい緑いっぱいの極楽浄土のような景色が広がっています。三年ぶりに行われる祇園祭山鉾巡行も近い7月中旬に、満開のハスの花を見に、東寺を訪れました。

 

 

東寺の場所

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東寺の行き方

電車で

 JR「京都駅」八条口から徒歩約15分

 近鉄東寺駅」から徒歩約10分

 

バスで

 京都駅烏丸口より 「京都駅前」から市バス

  78、19系統で約13分「東寺南門前」下車

  42系統で約6分「東寺東門前」下車

  16系統で約10分「東寺西門前」下車

 京都駅八条口より 「京都駅八条口」から市バス

  78、19系統で約9分「東寺南門前」下車

  16系統で約5分「東寺西門前」下車

 京阪「祇園四条駅」より 「四条京阪前」から市バス

  207系統(反時計回り 九条大宮・九条車庫行き)で約19分「東寺東門前」下車

 阪急「河原町駅」より 「四条河原町」から市バス

  207系統(反時計回り 九条大宮・九条車庫行き)で約19分「東寺東門前」下車

 

 

今回のスタートはJR京都駅西口です。

京都駅はとても広く、大きく分けて北側の「烏丸口」(京都タワーに近い方)と南側の「八条口」(新幹線のホームに近い方)があります。

東寺は京都駅の南側なので八条口が近いのですが、八条口にも「八条口」「八条西口」「八条東口」更に「近鉄八条口」もあったりして、非常に分かりにくいので、今回はJR京都伊勢丹に近い「西口」をスタート地点にしました。もしJRで京都駅に来られたら、とりあえずエスカレーターで駅の二階へ上がれば、西口に迷わずたどり着けると思います。

西口の改札を出て南(左手)へ向かいます。

頭上の黄色い案内板に「八条西口」とありますので、それに従いこの通路を直進します。

エスカレーターを降ります。

 

エスカレーターを降りると、左手が新幹線乗り場(中央口)です。新幹線乗り場を左手に見て直進します。

この辺りが八条西口になります。右手に階段とエスカレーターがあるので右手へ降ります。

 

この階段を降ります。

 

階段を降りたところです。左手はタクシー乗り場です。この通路を西へ直進します。

 

 

左手に駐輪場があります。このまま西へ向かいます。

 

階段を降りてから200m弱ほどずっと直進するとこんな景色です。左手は八条通です。八条通沿いを更に西へ向かいます。

 

左手に駿台予備校、PHPなどのビルが見えます。更に西へ向かいます。

 

頭上に近鉄京都線の線路が見えます。線路の下が八条堀川の交差点になります。

 

この交差点を更に西へ渡ります。

 

右手上方はJRの線路、左手は八条通です。八条通を更に300m余り西へ進みます。

 

途中「東寺まで5分」の案内板があります。このまま西へ進みます。

 

高架の手前が大宮八条の交差点です。

 

この交差点を南(左)へ渡ります。

 

交差点を渡ると、高架の向こう、右手に小さく五重塔の先が見えてきました。

この道を南へ進みます。

 

250mほど進むと右手に東寺の慶賀門が見えて来ました。五重塔も見えていますね。

信号を渡ると東寺に到着です。

 

東寺とは

東寺は平安遷都とともに建立された官寺つまり国立の寺院で、平安京の南玄関である羅城門をはさんで西寺と合わせて建立されました。西寺はその後衰退しましたが、東寺はこれまで何度も戦火や落雷などで焼失していますが、南大門、金堂、講堂、食堂(じきどう)と並ぶ配置とその規模は平安時代からそのまま引き継いでいます。創建からおよそ1200年経った1994年に世界遺産として登録されました。

桓武天皇の後に即位した嵯峨天皇が、空海弘法大師)に下賜し、日本で初めての真言密教の寺院となり根本道場として長く栄えました。

東寺を託された空海は、密教の主尊である大日如来を境内の中心に据え、広大な寺域に曼荼羅を表現したと言われています。

境内には国宝・重要文化財を多数有し、中でも京都のランドマークとも言われる五重塔は高さ54.8m、日本一の高さの木造建築です。

 

それでは、慶賀門から中に入っていきましょう。

京都のお寺は拝観料が必要なところが多いですが、金堂、講堂、五重塔以外の境内は拝観料不要で自由にお参りできます。

 

見ごろを迎えたハスの池

慶賀門を入ると左手すぐに目に入るのが、ハスの池です。東寺の開門は朝5時(!)。

ハスの花は早朝に開いてお昼ごろには閉じてしまうので、ハスの花を見るなら午前中の拝観がおすすめです。私は9時半頃到着しましたが、すでにたくさんの人がハスの花の写真を撮っておられました。

 

池一面を覆うハスは濃いピンク色が鮮やかで、まるで極楽浄土のような美しさです。

 

 

撮影スポットの一番人気は、五重塔をバックにしたハス池です。華やかに群生するハスの向こうにモノトーンの五重塔、周囲の緑も鮮やかなコントラストで、まさに「映える」構図ですね!

 

小野東風ゆかりの柳

ハス池の横で揺れる柳も風情があるな~と思ってみていたら、立て看板が。

「伝 小野道風ゆかりの柳」と書かれています。

小野道風とは、平安時代の貴族で能書家(書の専門家)。道風は「書道の神」として祀られ、中国から伝わった漢字主体の書風から、かな主体の書道の基礎を築いた人物です。

この道風が、自分の才能を悩み、書道をあきらめかけていたある雨の日のこと、柳に蛙が飛びつこうと、繰り返し飛び跳ねていました。道風は「柳は離れた所にあるから、蛙は柳に飛びつけるわけがない」と思っていました。すると、たまたま吹いた風が柳をしならせ、蛙はうまく飛び移ったそうです。道風は「自分はまだこの蛙ほど努力をしていない」と目を覚まして、書道をやり直すきっかけを得たと言います。この逸話は、花札の「雨」の札に描かれている「柳に小野東風」の絵柄の題材にもなっており、見たことのある方も多いでしょう。そして、その逸話の舞台となったのが、ここ東寺の柳なのだそうです。ことの真偽はわかりませんが、あの花札の「雨」の絵札の不思議な絵には、そういう意味があり、東寺と関係があったとしたら興味深いですね!

 

宝蔵

柳の木の横のハス池のお堀に囲まれた中にあるのが、東寺の宝物経巻を保管している宝蔵(重要文化財)です。周りを掘で囲っているのは火事による延焼を防ぐため。

平安時代後期建立の校倉造の倉庫で、東寺最古の建造物です。校倉造は奈良の正倉院でも有名ですが、木材を特殊な組み方をすることで、空気の湿度に合わせて木材が伸縮し、室内の湿度が調整される仕組みです。現代のような空調設備が無い時代に、木の特徴を生かして大事な宝物を護って来た昔の人々の知恵に関心します。

この記事を書きながら、今気づいたのですが、ハス池の石の上に亀が二匹休んでいました。ほのぼのして癒されますね~

 

食堂(じきどう)

ハス池の西側にあるのが食堂(じきどう)です。(写真を撮り忘れたのでネットの無料画像から拝借しました。)

食堂とは僧侶が斎時に食事をした場所です。食堂の建立は平安時代と推定されています。ご本尊は約6mの千手観音菩薩でした。足利尊氏は東寺に本陣を置き、この食堂に居住していたこともありました。現在の建物は、昭和5年(1930年)に焼失後、3年間の工事を経て完成。堂内には納経所があり、洛陽三十三所観音霊場第23番札所にもなっています。

この食堂に置いてあったのが、「お大師さまのおことば」と書かれたリーフレットです。

ハスは、泥水の中からまっすぐに茎をのばして美しい花を咲かせ、開花と同時に実を結ぶ姿は悟りを表し、仏教の象徴とされています。ハスの花というと、ただ美しく極楽浄土に咲く花というイメージでしたが、悩みや苦しみの多い人生をよりよく生きようと導く仏教の精神がハスの花に象徴されていたのですね。弘法大師空海が伝えたかったことの一端が分かった気がしました。

 

今回のお散歩では、京都駅から東寺までの道のりと、ハス池、そして食堂という無料で拝観できるエリアをご紹介しました。

次回は、東寺の五重塔、金堂、講堂など有料エリアをご紹介します。

 

 

 

京都には他にもハスの花で有名な寺院があります。↓

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京都駅の近くの梅小路公園。東寺からも北へ徒歩10分ほどです。↓

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藤森神社 ~アジサイに囲まれた学問・勝運と馬の社

京都駅からJR奈良線で3駅の藤森駅の近くにある藤森神社(ふじのもりじんじゃ)は、平安遷都以前からある歴史ある神社です。学問や勝運、また馬の神様として、朝廷から庶民まで幅広く崇敬されています。宇治の三室戸寺と並んで京都屈指のアジサイの名所としても知られています。梅雨の晴れ間の6月中旬、アジサイが見ごろの藤森神社を訪ねました。

 

 

藤森神社の場所

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藤森神社の行き方

電車で

 京阪電車墨染駅」下車徒歩7分

 JR奈良線藤森駅」下車徒歩5分

 

バスで

 京都市バス南8号系統、臨南5号系統「藤森神社前」下車すぐ

  

バスは本数が少ないので、電車でのアクセスがおすすめです。

 

今回のスタートはJR藤森駅です。

改札を出てそのまま進み、西(右手)へ曲がります。

右手へ曲がったところです。このまま西へ400mほど進みます。

 

 

藤森神社の南門に到着です。

 

「菖蒲の節句発祥の地」の石碑があります。

 

藤森神社とは

社伝によると、神功皇后摂政3年(203)、三韓征伐から凱旋した神功皇后が、山城国深草の里藤森に軍旗(いくさの旗)を立て、兵具を納め、塚を作り、祭祀を行ったのが発祥とされています。当初の御祭神は、本殿中央に祀られている素戔嗚尊を始めとする7柱で、本殿の東には軍旗を立てたと言われる旗塚があります。近郊にあった三つの社が合祀され、現在の藤森神社となりました。

同社の藤森祭は毎年5月5日に行われ、菖蒲の節句発祥の祭として知られ、各家に飾られる武者人形には藤森の神が宿ると伝えられています。菖蒲は尚武に通じ、尚武は勝負に通じると言われ、勝運を呼ぶ神として信仰を集めています。

また、「日本書紀」の編者であり、日本最初の学者である舎人親王を御祭神としてお祀りしていることから、学問の神として崇敬されています。

更に、藤森祭の駈馬神事として室町時代から走り馬が行われ、古来より馬との関わりが深く、馬主、騎手や競馬関係者、競馬ファンからも馬の神様として親しまれています。

 

それでは中に入って行きましょう。

 

扁額の無い石の鳥居

この石造りの鳥居には扁額がありません。もともとは後水尾天皇の宸筆の額がかけて有りました。そのため、江戸時代、西国大名の参勤交代で各大名が神社前を通る時には、駕籠から降り、拝礼をして槍を倒して通行しなければならなかったそうです。しかし、幕末動乱の時代となり、「このような悠長なことでは時代に合わない」と新選組近藤勇が外したと言われています。

これが事実かどうかはわかりませんが、近藤勇がこんな暴挙に出たことで、勝運の神様に見放されたのかも…と思ってしまいますね。

 

 

参道は二つのコース(?)に分かれています。

 

右は車、左は人と馬(!)なんだそうです。これも馬の神様ならではですね。

藤森祭の際の「駈馬神事」では、左側の通路を馬が駆け抜けるようです。

 

150mほど奥へ進むと、紫陽花苑の案内板があり、もうその向こうにはアジサイが見えて来ました。

 

第一紫陽花苑

藤森神社にはあじさい苑が二か所あります。まずは第一紫陽花苑へ向かいます。

案内板に従って左の奥へ入ります。

 

こちらの受付で入苑料300円(第一、第二共通)を払って入ります。

藤森神社では、例年6月初旬から一か月ほど「紫陽花祭」として紫陽花苑を開苑し、6月15日頃に蹴鞠や雅楽、太鼓などの奉納行事も行われています。

 

 

こちらが第一紫陽花苑の入口です。手作り感あふれる素朴な入口ですね。入苑料も300円と他の寺社の庭園と比べるとずいぶんお手頃な感じがして、庶民的で親しみやすい神社だな、と思いました。

 

入口をくぐると、そこはもう「アジサイの森」という感じで、どちらを向いても満開のアジサイが迎えてくれます。アジサイは大きく育つと人の背の高さ近いほどになりますね。人がアジサイに埋もれているようです。

 

さっそくハート型のアジサイを発見!ぽっこりと可愛らしいハート型です。

紫陽花苑中央に東屋があり、何とも良い雰囲気です。アジサイを眺めながら休憩出来ます。

最初は「アジサイの森」とお伝えしましたが、「アジサイの海」と表現した方がよいかもしれません。見渡す限り、あじさいの大海原です。

 

 

絵馬舎と神馬像

さて、第一紫陽花苑を満喫したので、隣の絵馬舎へ向かいます。

現在の拝殿が出来るまで、こちらの絵馬舎が拝殿だったそうです。ここに懸る絵馬の中には白馬・黒馬の二枚の絵馬があり、これらは「慶長十八年」(1613)の銘があって、京都でも一、二を争う古いものなのだそうです。

 

JRAにおける重賞レース優勝馬を始め、競馬をモチーフにした絵馬もたくさん奉納されていました。

 

「菖蒲の節句発祥の地」の絵馬もあります。

 

絵馬舎の横にある藤棚の下の歌碑に「むらさきの 雲とぞよそに見えつるは 木高き藤の森にぞありける」という待宵の小侍従(平安後期から鎌倉初期の女流歌人)の和歌があります。この和歌や「藤森」という地名があるように、当時、この辺りには藤の森があったようです。

藤は、その旺盛な生命力と豊かな芳香、そして高貴な色として、平安時代には日本人に最も愛され繁栄の象徴として家紋にも多く使用されていました。また、藤の花は、神を招く依代であったとも言われ、活力に満ちた雄健な「藤森に在る神」を祀る処として、この地に社が建てられたのであろう、とこの立て札で解説されています。

 

 

神馬像は、戦争中に供出したものを駈馬会が復活したもので、馬の社の象徴として建立されたそうです。

 

手水舎

アジサイの花手水になっていました。色鮮やかなアジサイがとても爽やかですね。

この写真には写っていないのですが、手水舎の水鉢の台石は、宇治浮島の十三重の塔の五番目の石を石川五右衛門が盗んで持ってきたという言い伝えがあるそうです。

石川五右衛門にまつわる言い伝えはフィクションが多く、この話もおそらく作り話だろうとも言われていますが、水鉢の台石のように大きな石を十三重の塔から盗んで宇治から持ってきたと思うと、何だか楽しくなってきますね。

 

拝殿・本殿

拝殿は御所より賜ったもので、割拝殿として有名です。割拝殿とは、真ん中に通路(土間)がある拝殿のことです。この日はその通路部分には木の蓋(?)がしてあって通り抜けられませんでしたが、藤森神社の公式サイトの写真を見ると以下のように、拝殿の向こうの本殿まで見えるように通路になっています。

写真:藤森神社公式サイトより

 

こちらは本殿です。紫陽花祭で参拝者が後を絶たず、正面から撮影できませんでした。切妻造り、檜皮葺きで、正徳二2年(1712)中御門天皇より賜ったもので、宮中内侍所(賢所)であった建物です。現存する賢所としては最も古いもので、その原型をよくどめているそうです。本殿に祀られているのは、素戔嗚尊、訳雷命、日本武尊応神天皇仁徳天皇神功皇后武内宿禰の武勇で名を馳せた七柱です。ご祭神が武神であることにちなんで、毎年五月五日の藤森祭では三基の神輿が出され、華やかな甲冑をまとった武者行列が巡行します。

 

旗塚

本殿の東横にあるのが旗塚です。神功皇后が軍旗を立てられたところで、同社の発祥の地と言われています。ここにあるイチイガシは「いちのきさん」と親しまれていて、お参りすると腰痛が治るそうで、近藤勇も参拝して治癒したと伝えられています。

 

不二の水

地下約100mから湧き出る水で、氏子はもとより、遠方からも汲みに来られる人々が後を絶たないそうです。二つとない水という意味で不二の水と言われています。

「水六訓」という立て札がそばにありました。今年は梅雨が非常に短く、水不足が心配ですし、一方でここ数年、大規模な水害も多発していることからも、水の大切さ、怖さも心しておきたいですね。

 

第二紫陽花苑

さて、本殿の東の奥に、第二紫陽花苑があります。第一紫陽花苑がしっとりと落ち着いた雰囲気なのに対して、こちらは小高い丘のようになっていて、光がたくさん当たり、明るい感じがしました。

今では「紫陽花の宮」とも呼ばれる藤森神社ですが、アジサイの名所となったのは1980年代と歴史は比較的新しいようです。更に、当初は「菖蒲の節句発祥の地」でもあることから花菖蒲園を作りたかったのだそうですが、土壌の関係で紫陽花苑にしたのが始まりだそうです。

きっかけはともかく、平安以前から続く歴史ある神社に、色とりどりのアジサイの花はとても良く映え、私たちの目を楽しませてくれるのはありがたいことです。

 

大将軍神社

第二紫陽花苑の西、本殿の北側にある摂社で、磐長姫命を御祭神とします。桓武天皇の平安遷都に際し、王城守護のために都の四方に祀られた、南面の守護神です。古来より方除けの神として信仰され、今も祈願する人が絶えないそうです。社殿は永享10年(1438)、時の将軍足利義教の造営で、一間社流造り、こけら葺きです。

 

 

藤森神社はアジサイの名所として知っていたのですが、訪れてみると皇室と縁が深い由緒正しい神社で、勝運や学問、更に馬の神など様々なご利益があるかなりのパワースポットでもありました。武神がご本尊であることから、ちょっといかつい感じの神社なのかな?と思いましたが、爽やかな紫陽花苑のおかげか、親しみやすい雰囲気でした。

「藤森神社なのに、藤の名所ではなく紫陽花の名所なの?」と疑問にも思っていましたが、もともとは名前の通り「藤の森」があった場所だということもわかりました

そして「藤森神社に藤棚を作る会」によって、藤棚を作る活動が始められ、紫陽花苑にあらたに、藤棚と菖蒲苑が設置される予定だそうで、2026年完成予定とのことです。

更に色々な花で彩られるので、完成が楽しみですね。

藤森神社は、京都駅から最寄りの駅へののアクセスもよく、駅からも徒歩5~7分とちょうど良い距離です。藤森祭などの大きなお祭り以外はそれほど混雑することも無さそうですので、のんびり散策を楽しめます。機会があれば是非、足をお運びください。

 

 

 

梅宮大社② ~北神苑から西神苑はアジサイの博物館

阪急嵐山線で嵐山駅から一駅、松尾大社駅から徒歩10分ほどのところにある梅宮大社神苑という名の池泉式庭園は広さ10,000㎡、梅宮の名の通り梅が60種600本、そのほかにも池にはアヤメやカキツバタハナショウブスイレンのほか、アジサイやツバキ、キリシマツツジなどたくさんの花木が植えられ、1年を通じて季節の花が参拝者の目を楽しませてくれます。春に訪れた時にみつけたアジサイが、そろそろ見ごろと思い6月初旬に訪ねてみました。

 

 

梅宮大社の場所

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梅宮大社の行き方

電車で

 阪急電車 嵐山線松尾大社」下車 徒歩約10分

 

バスで

 京都市バス3,28,29,71系統で「梅宮大社」下車すぐ

 

梅宮大社への行き方は以下のブログで詳しくご紹介しています。↓

www.yomurashamrock.me

 

梅宮大社の概要や東神苑については以下のブログで詳しくご紹介しています。↓

www.yomurashamrock.me

 

 

梅宮大社神苑は本殿の東、北、西の周囲三方を囲むように配されていますが、東神苑は江戸時代には現在の半分ほどの広さでした。明治から大正にかけて拡張され、さらに昭和40年代後半に池の改修とともに北神苑や西神苑の整備が行われ、現在の姿になりました。

 

今回のスタートは神苑咲耶池にある池中亭です。

池中亭(芦のまろや)

咲邪池の中島には、江戸時代末期の嘉永4年(1851)に建てられた池中亭(ちちゅうてい)があります。百人一首源経信に詠まれた「夕(ゆふ)されば 門田(かどた)の稲葉(いなば)おとづれて 芦(あし)のまろやに秋風ぞ吹く」と読まれた「芦のまろや」が、この池中亭だそうです。この茶室の風雅な茅葺屋根の形が、往時の芦のまろやの姿を今に伝えています。池中亭を囲む池の周りにハナショウブが群生していて、ひなびた庵に華やぎを添えています。

 

池中亭へ入る入口の傍に、百人一首の大納言 源経信の歌碑があります。

 

さて、池の周囲をぐるりと回り、これから北神苑へ向かいます。

 

アジサイの博物館

このように、庭園の順路の両側に100mほどアジサイがずっと並んでいます。

 

アジサイの名前を書いた札などが無いので名前がわからないのですが、本当に種類が多く、まるでアジサイの博物館のようです。

 

神苑の勾玉池

池中亭から100mほど北西へ向かうと、脇道があり、その先が開けています。

 

勾玉池です。ハナショウブが満開でした。こちらは勾玉池のしっぽ(?)の部分から見たところです。

 

他の角度からも見てみました。勾玉池の頭(?)の方です。スイレンも咲いていました。全体を俯瞰する場所が無いのが残念です。

 

勾玉池を過ぎて、更に西へ進みます。

ハート型のアジサイを探しましたが、なかなか見つかりませんでした。

これが一番ハート型に近いかな?

このアジサイは葉の形が変わっていますね。柏の葉のような形なので「カシワバアジサイ」というそうです。

 

勾玉池の向こう側にも小道があり、こちらもずらっとアジサイが並んでいました。

西神苑の梅苑に咲くアジサイ

更に進むと梅苑になりますが、こちらにもアジサイが沢山植わっています。

梅苑のもっと奥へ行くと…

梅の実がいくつか落ちていました。

梅宮大社の公式サイトによると、梅苑で採れた梅の実を、昔ながらの製法で手作りした梅干しを同社で販売しているそうです。時期的に梅宮大社の梅も収穫した後だと思われます。熟して落ちた梅の実は、ほのかに甘い芳香を漂わせていました。

 

 

神苑をぐるっと一周して、社務所の横に戻って来ると、また猫に出会いました。近くでカメラを向けると警戒するので、少し離れた場所から写真を撮らせてもらいました。

 

梅宮大社アジサイの多種多様さは圧巻でした。しかも、土の栄養がよほど良いのか、どのアジサイものびのびと育ち、色も冴え冴えとしていました。「こんなにも多様なアジサイをどうにか記録に残したい」と一つ一つ撮っていたら、どの写真も同じようなアングルになってしまいました。アジサイは雨に濡れた時が一番美しいと思っていましたが、今年は梅雨が異常に短く、アジサイの写真はいつも晴れた日のものです。それでも、まぶしい木漏れ日の下のアジサイもまた趣き深いものですね。そんな新しい発見をさせてもらえた今年の梅雨のお散歩でした。

梅宮大社京都市の西の端にあり、交通の便もあまりよくありませんが、徒歩圏内には松尾大社もあり、一緒に参拝することが出来ます。観光地化されていない分、じっくりと散策を楽しめますので、機会があれば是非足をお運びください。

 

 

松尾大社への行き方や詳しい情報は以下でご紹介しています。↓

www.yomurashamrock.me

 

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梅宮大社① ~初夏を彩る東神苑のハナショウブ

阪急嵐山線で嵐山駅から一駅、松尾大社駅から徒歩10分ほどのところにある梅宮大社神苑という名の池泉式庭園は広さ10,000㎡、梅宮の名の通り梅が60種600本、そのほかにも池にはアヤメやカキツバタハナショウブスイレンが植えられているほか、アジサイやツバキ、キリシマツツジなどたくさんの花木が植えられ、1年を通じて季節の花が参拝者の目を楽しませてくれます。6月に入りアジサイハナショウブが見ごろを迎えていると思い訪ねてみました。

 

 

梅宮大社の場所

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梅宮大社の行き方

電車で

 阪急電車 嵐山線松尾大社」下車 徒歩約10分

 

バスで

 京都市バス3,28,29,71系統で「梅宮大社」下車すぐ

 

梅宮大社への行き方は以下のブログで詳しくご紹介しています。↓

www.yomurashamrock.me

 

 

今回のスタートは、阪急嵐山線松尾大社から東へ徒歩10分、四条通を北へ140mほど上がった所にある梅宮大社の鳥居です。

堂々とした朱塗りの鳥居です。

 

鳥居をくぐると、随身門があります。三間一戸の楼門で、入母屋造、屋根は本瓦葺で文政11年(1828)再造営されたと言われています。酒造りの守護神を祀る神社なので、楼門の二階に酒樽が並んでいるという珍しい姿です。

 

梅宮大社とは

梅宮大社は京都でも有数の古い歴史のある神社です。詳細は不明ですが、奈良時代には政治家であった橘諸兄(たちばなのもろえ)の母 県犬養三千代(あがたのいぬかいみちよ)(橘美千代)によって、現在の京都府綴喜郡井手町山城国相楽郡井出荘)に創建したのが始まりと言われています。平安時代の初めに、その神を橘氏氏神として橘嘉智子(檀林皇后・嵯峨天皇の后)が現在地あたりに移したと言われ、皇室外戚神として天皇家から崇敬されました。

本殿では酒解神(さかとけのかみ)、大若子神(おおわくこのかみ)・小若子神(こわくこのかみ)・酒解子神(さかとけこのかみ)の四座を御祭神とします。酒解神の御子・酒解子神大若子神との一夜の契りで小若子神が生まれたことから、歓喜して、狭名田の稲をとって天甜酒(あめのうまさけ)を造り飲んだという神話から、古くから安産と酒造の神として有名です。

現在の社殿のうち、本殿・拝殿・楼門・境内社の若宮社・護王社の5棟は江戸時代の造営であり、京都府登録文化財に登録されています。

さらに、庭園はカキツバタハナショウブアジサイの名所として知られるほか、ウメ、ヤエザクラ、ツバキ、ツツジなども大変美しいと言われています。

 

それでは、中へ入って行きましょう。

拝殿

随身門を入って真正面にあるのが、拝殿です。桁行三間・梁行三間の入母屋造で、妻入、屋根は銅板葺です。文政11年(1828)再造営されたそうです。

 

本殿

拝殿の奥にあるこちらが拝所と回廊で、その奥に本殿があります。三間社流造で、屋根は檜皮葺です。現在の本殿は元禄13年(1700)に造営されたと言われていますが、何回か再建されているようです。

 

 

拝殿の左手にあるのが手水舎です。最近はコロナの影響で花手水をしつらえてある寺社も多いですが、こちらはオーソドックスな手水舎です。横にはお酒の神様らしく、酒樽が並んでいます

 

手水舎の右横の社務所に庭園への入苑受付があります。

 

猫神社

梅宮大社は京都の猫神社としても知られています。動物写真家 岩合光昭さんも訪ねられたそうです。

写真のように、社務所の窓口の真ん前でお昼寝している姿もしばしば見られます。ご住職が猫に「ちょっと、のいて(どいて)や~」と優しく話しかけられ、そんな微笑ましいやり取りを眺めるのも楽しいものです。

 

ここ数年は、この猫たちを目当てに訪れる参拝者も多いそうです。

 

神苑

社務所で猫たちに癒されながら、神苑の拝観料を納めたら、早速中へ入って行きましょう。京都府有形文化財に登録されている本殿や楼門など社殿の多くが元禄年間に復興されましたが、現在の東神苑にあたる部分も、この時期に最初の整備がなされたようです。現在、神苑は本殿の東、北、西の周囲三方を囲むように配されていますが、東神苑は江戸時代には現在の半分ほどの広さでした。明治から大正にかけて拡張され、さらに昭和40年代後半に池の改修とともに北神苑や西神苑の整備が行われ、現在の姿になりました。

 

拝殿の東側(右手)に神苑の入口があります。

 

神苑入口から入ると正面にあるの東神苑には、ご祭神である酒解子神の別名 木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)にちなんで咲耶池(さくやいけ)と名付けられた池を中心に、池の周囲にはカキツバタハナショウブキリシマツツジなど多くの草花が植えられています。

この日はハナショウブが満開でした。

 

アヤメ? カキツバタ? ハナショウブ

ところで、梅宮大社の池のほとりで初夏に咲いている花に「アヤメ」「カキツバタ」「ハナショウブ」がありますが、とてもよく似ていて、私も違いがよくわかりませんでした。5月に訪れた時は「アヤメ」が見ごろ、と公式サイトに記載があったので、「これがアヤメなのか~」と思っていました。今回は「ハナショウブ」が見ごろとありました。そこで、見分け方を調べてみました。

 

見分け方その1「花びらの付け根」

 まず、花びらの付け根を見てください。見分けるサインは以下の通りです。

 アヤメ…網目状

 

カキツバタ…白い筋

 

ハナショウブ…黄色

 

見分け方その2「育つ場所」

あやめ…陸地

 

カキツバタ…水の中

池や沼地など常に水のある場所で育ちます。

 

ハナショウブ…水辺

水の流れに沿うように、菖蒲が群生して咲く姿がよく見られますね。

 

 

見分け方その3「咲く時期」

カキツバタ…5月中旬

アヤメ…5月中旬~下旬

ハナショウブ…6月~7月中旬

カキツバタとアヤメが咲き始めるのは5月中頃で、やや遅れるようにして、ハナショウブが咲き始めます。ちょうど梅雨の今頃なので、アジサイと一緒に楽しむこともできます。

 

見分け方は分かりましたが、アヤメは漢字で書くと「菖蒲」なんですね。本当にややこしいです😢

「何れ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)」という言葉の通り、アヤメとカキツバタはよく似ていますし、さらにハナショウブも入ると、もう何が何だか…。実はこの3つとも「アヤメ科アヤメ属」の仲間なんだそうです。似ているのも当たり前ということですね。違いはどうあれ、いずれも蒸し暑い日本の初夏を彩る姿が私たちの心を爽やかにしてくれる花たちですね。

 

スマホのカメラではうまく撮影できなかったのですが、咲耶池ではスイレンも咲いていて、ハナショウブとともに咲き競うようでした。

梅宮大社は嵐山からほど近いものの、京都でも少しマイナーな神社で、観光客でごった返すということもありません。それでも、この美しい神苑のおかげか、いつ訪れても散歩や写真撮影を楽しまる方がおり、地元の人にとても愛されているなあと感じます。

徒歩圏内に松尾大社もありますので、機会があれば是非一度足をお運びください。

 

次回は北神苑~西神苑を巡り、ハナショウブに縁どられた勾玉池や、多種多様なアジサイをご紹介します。

 

 

 

京都府立植物園 ~初夏の花々が咲く市民憩いの園へ

京都市街地の北部にある京都府立植物園は、大正13年(1924)に開園した日本で最古の公立総合植物園です。24万㎡(甲子園球場約6個分)という広大な敷地に、約12,000種もの植物が植えられ、四季折々の植物を鑑賞することが出来ます。

私も何度も訪れているのですが、たまたまバラが咲いていない頃ばかりだったので、今年こそはバラ園を見たい!と思い、バラが見ごろのこの時期に訪ねてみました。

 

 

京都府立植物園の場所

goo.gl

 

京都府立植物園の行き方

電車で

 JR「京都駅」、近鉄「京都駅」、阪急「烏丸駅」から

  京都市営地下鉄北山駅」下車3番出口すぐ

  または「北大路駅」下車3番出口を東へ徒歩約10分

 

 京阪「出町柳駅」から

  市バス1系統または京都バス「静原」「市原」行きに乗り

  「植物園前」下車徒歩約5分

 

 

今回のスタートは地下鉄「北大路駅」です。「北山駅」からの方が近いのですが、今回の目的地である「ばら園」や「あじさい園」「はなしょうぶ園」は北大路駅から近い正門から入った方がわかりやすいので、北大路駅からの行き方をご紹介します。

 

北大路駅です。改札を出たら左手へ進みます。

 

前方左手に階段があり、3番出口を目指して階段を上がります。

 

近くには小学校があり、ちょうど下校時刻でしたのでたくさんの小学生に出会いました。

 

階段を上がり切ると、目の前は北大路通で、北大路通の向こう側には大谷大学があります。

 

北大路通を東(左手)へ進みます。

 

烏丸北大路の交差点です。このまま北大路通を東へ250mほど進みます。

 

人気の洋食店「グリルはせがわ」です。食事時に通りかかると、いつも行列ができていますが、この日は時間が中途半端だったので誰も並んでいません。

さらに東へ進みます。

 

北大路橋西詰です。バスの向こうに見えているのが北大路橋です。信号を渡ります。

 

北大路橋を渡ります。

 

北大路橋から北山方向を見た景色です。春は賀茂川の両岸の枝垂れ桜が見事なのですが、それ以外の季節でも、いつ見ても美しい自然が京都らしい景色だなあ、と思います。

 

北大路橋を東へ渡り、賀茂川沿いを100mほど北へ向かいます。

賀茂川?鴨川?

ところで…

京都を代表する「かもがわ」ですが、「賀茂川」「鴨川」さらに「加茂川」と色々な表記があるようです。どう違うのかな?と思い調べてみました。

京都府のホームページによると

平安京造営の前から、ほとりに住んでいた「賀茂氏」に由来し…中略…賀茂氏氏神をまつる上賀茂神社出町柳付近の下鴨神社にちなんで高野川合流点より上流を「賀茂川」、下流を「鴨川」と書かれることが多いようです」

ということだそうです。ざっくり、北山や北大路付近の上流は「賀茂川」、それより下流、みなさんご存じの三条や四条付近などは「鴨川」と表記しているそうです。しかし一級河川として指定された区間全ては「鴨川」に統一されているそうです。ややこしいですね。

 

では先へ進みます。

右手にちらりとグラウンドが見えてきたら東(右)へ曲がります。

 

京都府立大学運動場」がありますので、その手前を北(左)へ曲がります。

 

京都府立大学の運動場の横の並木道を道なりに北へ200mほど進みます。

 

京都府立植物園の正門に到着です。

 

正門の左手に入場券売り場がありますので、こちらで入場料を払います。

公立の植物園なので、一般の入場料は200円、高校生は150円、中学生以下と70歳以上はなんと無料です!近隣にある私設の植物園だと入場料は2000円前後なので、この安さはびっくりです。

 

京都府立植物園とは

京都府立植物園は、京都市街北部にあり、東は比叡山、東山連峰を望み、西には賀茂川、北は北山の峰々を背景とした風光明媚な場所にあります。

大正13年(1924)1月1日に日本初の公立植物園「大典記念京都植物園」として開園しました。第二次大戦中は園内に菜園が設けられ食料増産の場になり、戦後は12年間連合軍に接収され閉園を余儀なくされましたが、昭和36年(1961)4月に再開しました。

園内には観覧温室の他、正門花壇、はす池、ばら園など20程のエリアがあり、24万㎡の広大な敷地にテーマ別に約12万本の植物が植えられています。日本の四季の花が見られる花壇や洋風庭園、熱帯植物を集めた温室があります。北半分は半木(なからぎ)の森と呼ばれる自然に近い森を利用した生態植物園などがあります。これは当地に残された山城盆地の原植生を伺い知ることのできる園内唯一の貴重な自然林です。

 

正門を入ると、広々とした空間が広がります。写真中央に見えているのが、正門花壇です。一年草を中心に四季折々の花が咲きそろいます。

前方左手に見えているのは温室です。延床面積4600㎡余り、4500種類、25000本の熱帯や高山などの珍しい植物が植えられていて、こちらも見どころ満載ですが、今回は時間の関係でパスしました。また別の機会にご紹介したいと思います。温室は植物園の入場料とは別料金になります。

 

正門から入って右手へ曲がります。

右手へ曲がったところです。この道を奥へ進みます。

 

80mほど進むと、右手に「植物園会館」があります。

 

植物園会館の向かいでは、様々な花の苗などを販売していました。
さらに奥へ進みます。

 

植物園会館の端まで行くと、「二階展望テラス」の案内板があったので、案内に従って階段を登りました。

 

階段を登り切ったら、館内左手の「園芸サロン」という部屋へ入ります。

 

園芸サロンには植物に関する様々な図書のコーナーがあり、部屋で閲覧できます。

この部屋から展望テラスに出ます。

 

テラスからの眺めです。比叡山を背景に見えるばら園が見事です。

では、階段を降りて、ばら園へ向かいましょう。

 

ばら園

ばら園を入ったところです。320品種、1400株のバラが植えられているそうです。

シンメトリーな設計の庭園で、開園当初の設計を継承しています。

 

金閣、嵯峨野、貴船など京都にちなんだ名前のバラもたくさんありました

 

ばらのアーチの下にベンチがあり、ゆったり座ってばら園を鑑賞することが出来ます。

 

 

「シュシュ」ひらひらとフリルの入った花弁が可愛らしいですね。

「スヴニール・ドゥ・アンネ・フランクアンネ・フランクに捧げられたバラで移り変わる花色と半八重の柔らかな花形が魅力です。

 

ノヴァーリス」藤色の個性的なバラです。

「大原女」荷を頭にのせて京の町へ物売りに来る、京都の風物詩、大原女の華やかな立ち姿からその名がついたそうです。

 

伊豆の踊子」パリと静岡県河津市の友好の証として贈呈されたバラだそうです。

 

マスク越しですが、辺りはバラの甘い香りに包まれ、華やかに咲き誇る沢山のバラに心癒されるひと時でした。やっぱり来て良かった~!

 

沈床花壇

ばら園の東隣には、周囲から一段低くなっている沈床花壇があり、噴水を中心に四季の草花が咲き誇る華やかな花壇になっています。

この沈床花壇で特に印象的なのが「アリウム・ギガンテウム」という花です。紫色の小さな花を無数につけた大きな球状の花が特徴で高さは1m~1.5mほど。球状の花序の直径は15㎝ほどです。アリウムはラテン語でニンニク、ギガンテウムは巨大なという意味だそうです。おとぎ話の挿絵に出て来そうな不思議な形の花ですね。

 

 

沈床花壇を後にして、園内を北へ進みます。

 

あじさい園

6月初旬だったので、まだ全てのあじさいが咲きそろっていませんが、ガクアジサイが見ごろを迎えていました。

この日は暑いくらいの晴天、「あじさいは雨に濡れている方が色鮮やかでいいな…」と思っていましたが、木漏れ日の下のあじさいも可憐で風情がありました。

 

植物生態園

あじさい園を後にして、北西へ進むと、植物生態園へ出ます。

 

植物生態園は、京都府庁100年記念として造成され、日本各地の山野に自生する植物を出来るだけ自然に近い状態で植栽されています。総面積は15000㎡、外周部は樹木林、内部や湿地や砂地など様々なエリアに分かれ、四季それぞれに懐かしいふるさとの山や川の風景が思い出される植物を見ることが出来るそうです。

 

はなしょうぶ園

植物生態園の南側に開けた所にあるのが、はなしょうぶ園です。

はなしょうぶは、初夏の花として親しまれ、江戸時代には各地で独特の品種が作られました。府立植物園では、群生する姿が美しい江戸系、花弁が縮れて垂れる優雅な伊勢系、大輪で豪華な肥後系など、約150品種、10000株が栽培、展示されています。

凛とした立ち姿に鮮やかな花色のはなしょうぶの群生を見ていると、この日の青空のように爽やかで清々しい気分になりました。

 

 

今回はばら園、あじさい園、はなしょうぶ園を目的に訪れましたが、四季折々の花や外国の珍しい植物も鑑賞することが出来、花の少ない冬の時期でも観覧温室では面白い熱帯植物や高山植物などもたくさんあります。地下鉄北大路駅北山駅からのアクセスも良く、入園料も非常に安いうえ、申込不要・無料で参加できるガイドツアーも週に二回ほど開催されるなど、一年中楽しむことが出来る京都府立植物園は、本当にお散歩におすすめです。神社仏閣だけではない京都の魅力を堪能したい方は、是非一度足をお運びください。

 

東福寺③ ~青紅葉の海原に浮かぶ通天橋と開山堂の美しい庭園

京都五山の第四位に列せられる東福寺は、京都でも最大規模の伽藍を有する由緒正しき大寺院です。京都有数の紅葉の名所でもある東福寺ですが、青紅葉のこの時期は比較的人も少なく参拝しやすいのでお散歩に最適です。今回は、東福寺で一番有名な通天橋と、開山堂の庭園をご紹介します。

 

 

東福寺の場所

goo.gl

 

東福寺の行き方

電車で

 ・阪急京都線

   「京都河原町駅」で京阪電車に乗り換え後、京阪本線東福寺駅」下車

   徒歩約10分

 ・JR,京都市営地下鉄

  各線「京都駅」でJR奈良線に乗り換え後、「東福寺駅」下車、徒歩約10分

 ・京阪戦車で

  京阪本線東福寺駅」下車後、徒歩約10分

 

バスで

 ・京都駅から

   市バス 88、208系統に乗車、「東福寺」下車

 ・四条河原町から

   市バス207系統に乗車、「東福寺」下車

 ・東山三条から

   市バス202系統に乗車、「東福寺」下車

 ・祇園から

   市バス202、207系統に乗車、「東福寺」下車

 ・平安神宮、岡崎から

   市バス100、110系統に乗車後、「東山七条」で88、202、207、208系統に乗り換え、「東福寺」下車

 

最寄り駅のJR東福寺駅からの行き方は、以下のブログで詳しくご紹介しています。

www.yomurashamrock.me

 

東福寺とは

臨済宗東福寺派大本山山号は慧日山。摂政九条道家が、当時奈良で最大の寺院東大寺と、奈良でも最も盛大を極めてた興福寺になぞらえ「東」と「福」の字を取り、京都最大の大伽藍を造営したのが東福寺です。円爾(えんに);聖一国師(しょういちこくし)を開山として鎌倉時代の嘉禎2年(1236)から19年の歳月をかけて七堂伽藍が完成しました。京都五山の第四位に列せられ、「東福寺の伽藍面(がらんづら)」とまで言われ壮観を極めましたが、度重なる兵火や火災で仏殿、法堂、庫裏などを焼失したものの、以後逐次再建されてきました。

禅宗伽藍を代表する室町最古の三門(国宝)をはじめ、浴室、東司(便所)禅堂(いずれも重文)など室町時代の禅僧の生活を知る上で貴重な建築が多数残っています。

通天橋は京都でも一、二の紅葉の名所で、方丈の四方の周囲に枯山水の庭園を巡らせたものはこの庭園のみで、平成26年(2014)国の名勝に指定されるなど、見どころ満載の大寺院です。

 

 

 

今回のスタートは、東福寺の本堂です。

本堂

さて、日下門から入ると「東福寺の伽藍面」の名の通り、見える堂宇はどれも大変大きくインパクトがあります。まず目に入るのが本堂です。

本堂は仏殿兼法堂です。明治14年(1881)に仏殿と法堂が焼けた後、1917年から再建工事にかかり、1934年に完成しました。入母屋造、裳階付き、高さ22.5m、間口41.4mの大規模な堂宇で、昭和期の木造建築としては最大級のものです。大きすぎて、うまく写真に収まりません。

本尊の釈迦三尊像明治14年の火災後に塔頭万寿寺から移されたもので、鎌倉時代の作です。通常、本堂内は非公開ですが、春の涅槃会の際には公開されるようです。

 

方丈

本堂の左隣にあるこれまた立派な方丈の入口です。

禅宗寺院における僧侶の住居を指す「方丈」。本堂(法堂)と同じく、明治の火災で焼失しましたが、明治23年(1890)に再建。庭園は昭和14年(1939)、作家は重森三鈴の手により、鎌倉時代の風格を基調に、現代芸術の抽象的構成を取り入れた近代的禅宗庭園として完成されました。

国の名勝にも指定されている本坊庭園(方丈)の拝観受付もこちらです。

 

モダンアートのような本坊庭園(方丈)については以下のブログで詳しくご紹介しています。↓

www.yomurashamrock.me

 

通天橋の拝観受付は仏殿の横、方丈の拝観受付の前辺りです。

 

こちらで拝観料を納め、右横の入口から入場します。

こちらが通天橋の入口です。

 

秋の紅葉の時期とはくらべものにならないぐらい空いていますが、それでも誰も写り込まないタイミングというのは難しいです。

 

通天橋

通天橋は、東福寺の境内を東西に横切る谷川「洗玉澗」を渡るため、本堂から開山堂を結ぶ橋廊です。長さ27mの屋根付きの木造橋で、天授6年(1380)に春屋妙葩が架けたとされます。

東福寺内で洗玉澗に架かる橋は西から順に臥雲橋、通天橋、偃月橋の「東福寺三名橋」と称される三つの橋です。

渓谷を埋めるように植えられた楓は約2000本。通天橋から西を臨むと、青紅葉の海原の向こうに、小さく臥雲橋が見えます。

この圧倒的な楓の海はなぜできたのでしょうか?

京都に限らず、一般的な寺社では桜と楓がほぼ同じくらいの割合で植えられていると思います。ところが東福寺には、一部の塔頭寺院などを除き桜の木がほとんどありません。渓谷を埋める木のほとんどが楓なので、これほど圧倒的な青紅葉(秋は紅葉)の大海原になるのです。

では、なぜ東福寺には桜の木が無いのか?

実は、桜の木が無いのではなく、正確には約600年ほど前に桜を全て伐採してしまったのです。

東福寺の画僧・吉山明兆(きつさんみんちょう)が室町幕府4代将軍・足利義持に、有名な「大涅槃図」を献上した褒美として何が望みかと尋ねられ、明兆は「境内に桜があると、花見客が増え遊行の地となり修行の妨げになる」と答えたそうです。そこで義持は境内の桜をすべて伐採させたと伝えられています。何とも潔いですね!

 

通天橋からすぐ下の洗玉澗を見下ろすとこんな感じ。結構深い谷川です。通天橋が架かる前は、本堂から開山堂へ行くには、一旦崖の下へ降りて谷川を渡りまた崖を上がるという苦労があったそうです。そんな僧侶たちの負担を軽減するために架けられたのが通天橋と言われています。

 

さて、通天橋を渡り切った境内の北、東福寺の最も高い所にあるのが…

 

常楽庵開山堂


写真:東福寺 Wikipediaより

開山堂とは寺院において開山を祀ったお堂のことです。祖師堂、御影堂、影堂などとも言います。

東福寺の開山堂の元の建物は文政2年(1819)に焼失し、文政9年(1826)までに再建されました。1階の礼堂最奥の祠堂に、開山である円爾弁円(聖一国師)の尊像が安置されているそうです。(非公開)円爾はここ開山堂に隣接する普門寺(現在の普門院)に住み、東福寺建立のようすを眺め、1280年(弘安3)79歳で入寂した地でもあります。ちなみに円爾聖一国師)が住んでいた普門院は開山堂のすぐ西隣にあるのですが、現在修復中でした。

開山堂上部の中央部分は2階建ての楼閣となっており、伝衣閣(でんねかく)と呼ばれる珍しい造りです。金閣鹿苑寺)、銀閣慈照寺)、飛雲閣西本願寺)、呑湖閣(大徳寺塔頭芳春院)と並び「京の五閣」と言われています。阿弥陀如来立像、布袋和尚坐像、薬師如来坐像を祀り、布袋和尚坐像は伏見人形のルーツとされます。

 

東福寺の国宝三門や本堂、本坊庭園(方丈)に通天橋と青紅葉も拝観し、すでに大満足だったのですが、最後にまだこんな素晴らしい池泉式庭園が待っていたとは…!

しかも、現在は修復中の普門院前の白砂の枯山水庭園も個性的で、白砂だけで市松模様が描かれていたものだそうです。本坊庭園(方丈)を作庭した重森三令も、この普門院の市松砂紋から着想を得て、本坊庭園(方丈)の北庭や西庭にも市松模様を取り入れたそうです。普門院の市松模様の砂紋も見てみたいものです。

 

愛染堂

開山堂の西に位置する丹塗りの杮葺き八角円堂が特徴的なのが、重要文化財の愛染堂です。もとは東福寺塔頭三聖寺の愛染堂でしたが、明治6年(1873年)に万寿寺が三聖寺を併合し、万寿寺の堂となりました。その万寿寺明治19年(1886)に東福寺塔頭となった後、昭和12年(1937)に、愛染堂は万寿寺よりこの地に移されました。中には鎌倉時代の制作という愛染明王坐像を祀ります。愛染明王は12の広大な誓願を発して、一切衆生を諸々の苦悩から救い愛と尊敬の心を与え、悪縁を断ち切ってすべての人々に安寧を授けると言います。なんだかすごいご利益がありそうですね。

そんな謂れは知らなくても、丹塗りのお堂が爽やかな青紅葉に映えて、見ているだけで清々しい気持ちになり、様々なものに感謝したくなるような、ありがたい気持ちにさせてくれます。

 

愛染堂の近くから青紅葉越しに通天橋を臨むことが出来ました。こちらからの眺めが一番きれいですね。青紅葉の緑色にもさまざまなグラデーションがあり、木造の通天橋のくすんだ色との対比で一層鮮やかに見えます。

この木々の鮮やかな発色は、境内を流れる川のおかげだそうです。また庭園の杉苔がよく育つのも、湿度の高い盆地の気候あってのこと。

このように、通天橋からの美しい景色は、境内の自然のパワーが凝縮していたんですね。そう思ってこの景色を眺めると、心にも体にもパワーがみなぎってくるような気がしてきました。

 

東福寺は京都駅からJR奈良線で一駅という訪ねやすい距離感です。秋の紅葉だけでない魅力にあふれた東福寺に、是非一度足をお運びください。

 

 

東福寺塔頭寺院 勝林寺もすぐ近くにあります。

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重森三令の作庭した庭園がある松尾大社

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東福寺② ~「永遠のモダン」を体現できる本坊庭園(方丈)

京都五山の第四位に列せられる東福寺は、京都でも最大規模の伽藍を有する由緒正しき大寺院です。京都有数の紅葉の名所でもある東福寺ですが、青紅葉のこの時期は比較的人も少なく参拝しやすいのでお散歩に最適です。今回は、まるでモダンアートのような東福寺の庭園をご紹介します。

 

 

東福寺の場所

goo.gl

 

東福寺の行き方

電車で

 ・阪急京都線

   「京都河原町駅」で京阪電車に乗り換え後、京阪本線東福寺駅」下車

   徒歩約10分

 ・JR,京都市営地下鉄

  各線「京都駅」でJR奈良線に乗り換え後、「東福寺駅」下車、徒歩約10分

 ・京阪戦車で

  京阪本線東福寺駅」下車後、徒歩約10分

 

バスで

 ・京都駅から

   市バス 88、208系統に乗車、「東福寺」下車

 ・四条河原町から

   市バス207系統に乗車、「東福寺」下車

 ・東山三条から

   市バス202系統に乗車、「東福寺」下車

 ・祇園から

   市バス202、207系統に乗車、「東福寺」下車

 ・平安神宮、岡崎から

   市バス100、110系統に乗車後、「東山七条」で88、202、207、208系統に乗り換え、「東福寺」下車

 

最寄り駅のJR東福寺駅からの行き方は、以下のブログで詳しくご紹介しています。

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今回のスタートは東福寺の日下門です。

東福寺の駅からは上記の地図の赤線のルートでやってきました。

東福寺とは

臨済宗東福寺派大本山山号は慧日山。摂政九条道家が、当時奈良で最大の寺院東大寺と、奈良でも最も盛大を極めてた興福寺になぞらえ「東」と「福」の字を取り、京都最大の大伽藍を造営したのが東福寺です。円爾(えんに);聖一国師(しょういちこくし)を開山として鎌倉時代の嘉禎2年(1236)から19年の歳月をかけて七堂伽藍が完成しました。京都五山の第四位に列せられ、「東福寺の伽藍面(がらんづら)」とまで言われ壮観を極めましたが、度重なる兵火や火災で仏殿、法堂、庫裏などを焼失したものの、以後逐次再建されてきました。

禅宗伽藍を代表する室町最古の三門(国宝)をはじめ、浴室、東司(便所)禅堂(いずれも重文)など室町時代の禅僧の生活を知る上で貴重な建築が多数残っています。

通天橋は京都でも一、二の紅葉の名所で、方丈の四方の周囲に枯山水の庭園を巡らせたものはこの庭園のみで、平成26年(2014)国の名勝に指定されるなど、見どころ満載の大寺院です。

 

本堂

さて、日下門から入ると「東福寺の伽藍面」の名の通り、見える堂宇はどれも大変大きくインパクトがあります。まず目に入るのが本堂です。

本堂は仏殿兼法堂です。明治14年(1881)に仏殿と法堂が焼けた後、1917年から再建工事にかかり、1934年に完成しました。入母屋造、裳階付き、高さ22.5m、間口41.4mの大規模な堂宇で、昭和期の木造建築としては最大級のものです。大きすぎて、うまく写真に収まりません。

本尊の釈迦三尊像明治14年の火災後に塔頭万寿寺から移されたもので、鎌倉時代の作です。通常、本堂内は非公開ですが、春の涅槃会の際には公開されるようです。

 

方丈

本堂の左隣にあるこれまた立派な方丈の入口です。

禅宗寺院における僧侶の住居を指す「方丈」。東福寺では、法堂(本堂)の北側に位置し、国指定名勝として登録されている「東福寺本坊庭園」で有名です。本堂(法堂)と同じく、明治の火災で焼失しましたが、明治23年(1890)に再建。庭園は昭和14年( 1939)、作家は重森三鈴の手により、鎌倉時代の風格を基調に、現代芸術の抽象的構成を取り入れた近代的禅宗庭園として完成されました。拝観の際には、上記写真の庫裏で受付をして入ります。

 

本坊庭園(方丈)「八相の庭」

東福寺本坊庭園(方丈)は、明治14年(1881)の火災により、仏殿、法堂、庫裏とともに焼失しましたが、明治23年(1890)に再建されました。広大な方丈には東西南北に四庭が配され「八相成道」に因んで「八相の庭」と称しています。方丈の四周に庭園を巡らせたものは、この東福寺本坊庭園(方丈)のみです。

当時、日本全国古庭園実測調査を終えたばかりの新進の作庭家・重森三令(しげもりみれい)により、それまでの日本庭園にこめられた伝統的な思想や意匠を取り入れつつも、今までに無い斬新で意欲的な庭園が造り上げられました。というのも、作庭にあたって東福寺から三令に課せられた制約が「本坊内にあった材料はすべて廃棄することなく、もう一度再利用する」ということだったからです。これは禅の教えである「一切の無駄をしてはならない」ということから提示されたのです。禅の修行をしたことの無い三令でしたが、逆転の発想で、制約された中で最大限の美を追求するという禅の境地を表現し、様々な新たな手法を盛り込むことに成功しました。

 

南庭

庫裏から渡り廊下へと進むと、すぐ見えてくるのが南庭です。210坪の枯山水庭園は、日本庭園によく見られる蓬莱神仙思想を中心とした意匠形態となっています。蓬莱神仙思想とは古来中国大陸で信じられてきたもので、東の大海の彼方に仙人が住む「蓬莱」「方丈」「瀛洲(えいじゅう)」「壺梁」と呼ばれる四仙島があるというものです。この庭園の斬新なところは、写真ではわかりにくいのですが、この四仙島を表現するために、長さ18尺(約6m)もの長石を基本に、巨大な石をダイナミックに配置していることです。こんなにも巨石を配した石庭は他には無いそうです。石庭というと、龍安寺銀閣寺、建仁寺などが有名で、どれも縁側で庭を眺めながら静かに自分と向き合うイメージですが、東福寺のこの巨石群は、見る者を圧倒し、心を外へ解き放つようなイメージがあります。南庭には、この巨石群に加え、渦巻く砂紋で「八海」を表現、さらに写真にはほとんど写っていませんが、西の奥には「五山」になぞらえた築山を配しています。

 

西庭

西庭の大市松模様「井田の庭」は、日本の伝統的な市松模様をサツキの刈り込みと葛石(かづらいし)で表現しています。このモダンなデザインは、かつて本坊内の敷石の縁石(葛石)を再利用してできあがったものです。こんなにも直線的な材料を、自然の山を模した築山や石組み、樹木などを植えた庭園に使うのは、難しいというより、通常の庭づくりでは考えられなかったことでしょう。それでも使用しなければならないということで三令が考え抜いた末にたどり着いた答えが「市松」模様だったのです。

白い砂地に青々としたサツキの刈り込みの市松模様が映え、何とも不思議な光景です。

 

西庭から北庭へと続く途中には「通天台」と呼ばれる舞台が設けられ、眼下に渓谷「洗玉澗」を一望できます。

北庭

ウマスギゴケの緑との対比も色鮮やかな市松模様の敷石は、勅使門から方丈に向けて敷き詰められていた切石を再利用されたものです。

西庭の大市松を受けて初めはほぼ正確な小さな市松模様で配置され、だんだんとそれが崩れていき、最後はポツンポツンと一石づつ配しながら東北方向の谷へと消えていく様を表現しています。

こちらもモダンアートのような、斬新なデザインですね。彫刻家イサム・ノグチはこの庭を「モンドリアン風の新しい角度の庭」と評したそうです。

「コンポジション2 赤、青、黄」(1930年)

モンドリアンと言えば、白地に黒い垂直線と水平線のグリッド模様と三原色で構成された絵画「コンポジション」で有名ですね。東福寺の北庭もこんな雰囲気ですね~

ちなみに、日本庭園で苔を育て維持するのは大変労力が必要なのですが、東福寺本坊では、ちょうど真横に谷があり川が流れており、苔の生育に適した空中水分が得られるので、こんなにも瑞々しい苔の庭が完成したそうです。

 

東庭

東庭の表しているものは、星座の「北斗七星」で「北斗の庭」と呼ばれています。円柱、白川砂、苔、背後の二重生垣で表現しています。

北斗七星を表す円柱は、東福寺の「東司」(トイレ)で使用されていた礎石で、東司の解体修理の際の廃材を使ったものです。円柱を使うという手法は、明治から昭和初期にかけて京都を中心に活躍した第七代小川治兵衛が有名です。三条大橋五条大橋で使われていた橋脚を払下げ、平安神宮の池に沢飛石のような橋を架け、龍のように見える「臥龍橋」を円柱を使って表現しているのです。全国の古庭園を3年かけて実測調査した三令もこれを意識していたのかもしれません。

 

禅宗の庭園は、東福寺だけでなく夢窓疎石小堀遠州など有名な作庭家による優れたものが数多く残っていますが、重森三令が目指したのは、日本全国の庭園を研究しつくしたうえで、更に新しい思想や手法を積み上げ創作した「永遠のモダン」でした。京都の寺院は長い歴史を持ちながらも、新進気鋭の芸術家に発表の場を提供するなど新しい文化の創作にも柔軟に対応しているところが多いように思います。「一切の無駄をしない」という禅の精神に基づき、伝統的な精神に新しいデザインを融合し、さらなる高みを目指した重森三令に庭園を依頼した、東福寺の懐の深さにも脱帽です。

 

東福寺には本坊庭園(方丈)の他にも素晴らしい庭園がありますが、それはまた次回ご紹介したいと思います。

 

 

 

東福寺塔頭寺院 勝林寺もすぐ近くにあります。

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重森三令の作庭した庭園がある松尾大社

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七代目小川治兵衛の臥龍橋がある平安神宮

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