京都でも一、二を争う一大観光地「嵐山」。その一つ手前の駅「松尾大社駅」前にあるのが「松尾大社」です。京都どころか日本でも最古の神社の一つです。
京都では「お酒の神様」として有名ですが、嵐山ほどには観光客も多くなく、初詣やお宮参りなどで訪れる地元の方以外は、京都人でも訪れたことがある方はそんなに多くは無いのではないでしょうか。
しかし調べてみると山吹の名所として、またすばらしい庭園や多くの文化財など見どころ満載の興味深い神社です。
緑濃い背後の松尾山を含む約十二万坪の広大な境内には、古代から続く神の気配に満ちています。
松尾大社の場所
松尾大社への行き方
■阪急電車「松尾大社」駅下車
JR京都駅→(地下鉄)→四条烏丸→(阪急京都線)→桂→(阪急嵐山線)→松尾大社
所要時間:京都駅から40分
■市バス「松尾大社前」バス停下車
JR京都駅→(市バス・嵐山大覚寺行き→松尾大社前
JR京都駅→(京都バス・苔寺行き)→松尾大社前
所要時間:京都駅から40分
前回は、阪急嵐山駅から嵐山東公園を通って、松尾大社までのお散歩を楽しみました。
ここから、やっと目的地の松尾大社のご紹介です。
●太古の神宿る酒造の神
一の鳥居の前にある二つのオブジェは、お酒を入れる容器「瓶子(へいし)」をモチーフとして、「お酒の神様」である松尾大社に捧げられたものだそうです。
さあ、いよいよ(やっと?)松尾大社へ入ります.。
●太古の風習を伝える鳥居
表参道です。左手奥に無料の駐車場があり、一般の車両が普通に通ります。
若い人が足早に通るので「うん?なぜ平日の昼間に松尾大社へ?」と思ったら、近くの嵯峨美術大学、短期大学への送迎バスがこちらのバス駐車場から発着するようです。
二の鳥居です。この鳥居にぶら下がっているのは脇勧請(わきかんじょう)と呼ばれる榊(さかき)の束です。穢れ(けがれ)を祓う力があると言われる榊を、原始の神社では境内の大木に吊り下げることによって、神域と人の結界としていて、それが鳥居の始まりと言われています。
榊の束は12個(閏年は13個)。榊の枯れ方によって月々の農作物の出来具合を占ったそうです。榊が完全に枯れると豊作で、一部が枯れ残ると不作…太古の風習を松尾大社ではそのまま伝えていると言われています。
●「まつお」?「まつのお」?
ところで、松尾大社の読み方ですが、松尾大社のホームページのトップページを見ると「MATSUNOO TAISHA」と書いてあります。「あれ?『まつのおたいしゃ』なの?『まつおたいしゃ』じゃないの?」と疑問に思い、Wikipediaで調べてみたところ、
「「松尾」の読みは、公式には「まつのお」であるが、一般には「まつお」とも称されている。文献では『延喜式』金剛寺本、『枕草子』、『太平記』建武2年(1335年)正月16日合戦事条、『御湯殿上日記』明応8年(1499年)条等においていずれも「まつのお/まつのを」と訓が振られており、「の」を入れるのが古くからの読みとされる。」ということだそうです。ちなみに阪急嵐山線「松尾大社駅」の読みは通称の「まつおたいしゃ」の読みを採用しているそうです。
●松尾大社の歴史とご祭神
松尾大社本殿の背後にある松尾山は、太古の昔から、山頂近くに「磐座(いわくら)」と呼ばれる、神が降臨するという岩があり、この地に住む人々が山の神として崇め、信仰してきました。大宝元年(701年)、京都盆地の西一帯を支配していた秦氏が「磐座」の神霊を勧請し、現在の本殿の場所に社殿を建立したとされています。
その後も秦氏(はたうじ)により氏神として奉斎され、平安遷都後は東の賀茂神社(賀茂別雷神社:上賀茂神社、 賀茂御祖神社:下鴨神社)とともに「東の厳神、西の猛霊」と並び称され、西の王城鎮護社に位置づけられたました。中世以降は酒の神としても信仰され、現在においても醸造家からの信仰の篤い神社です。
御祭神は大山咋神(おおやまぐいのかみ)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)です。大山咋神は、古事記によると山の上部に鎮座されて、山及び山麓一体を支配される神であり、近江の国の比叡山と松尾山を支配される神であったと伝えられます。
一方、市杵島姫命は、中津島姫命(なかつしまひめのみこと)の別名で、古事記の記述によると、福岡県の宗像大社に祀られる三女神の一神として古くから海上守護の霊徳を仰がれた神です。おそらく外来民族である秦氏が朝鮮半島と交易する関係から、航海の安全を祈って古くから当社に勧請されたと伝えられているそうです。
●神幸祭と賀興丁船
松尾大社で4月に行われる「松尾祭」は平安時代から行われ、松尾七社の神輿(六つの神輿と唐櫃)が順次松尾大社を出て七条通の桂橋の上流で船をととのえ神輿渡御がありますが、この時に使うのが、この「賀興丁船(かよちょうふね)」です。4月21日以後の第一日曜日に「神幸(おいで)祭」、21日後に「還幸(おかえり)祭」が行われています。(2021年の神輿渡御は車両での渡御に変更) 神幸祭には、神輿六基と唐櫃が氏子地域を巡幸されます。途中桂離宮東側の桂川で行われる船渡御は、水面の色に神輿の朱の御衣(おきぬ)が映えて壮麗なものだそうです。神幸祭のことはメディアなどではあまり大きく報道されないので私は全く知りませんでしたが、コロナが落ち着いたら一度見に行きたいものです。
楼門です。
左右に随神を配置したこの楼門は江戸時代初期の作と言われており、屋根は入母屋造檜皮葺です。高さ約11メートルで大規模なもので、華美な装飾はなく和様系で古式の楼門です。
この楼門の随神の周囲に張り巡らせた金網には、たくさんの杓子がさしてありますが、これはよろずの願い事を記して掲げておけば救われると言う信仰によるもので、祈願杓子とも言われているそうです。
楼門の左手前に先ほど道中で見かけた赤いタワシみたいな花をつけた木がここにも…
「赤いタワシみたいな花」でネットで調べたところ、「ブラシノキ」!(笑)
和名がブラシノキといい、別名は金宝樹(きんぽうじゅ)と言います。高貴な名前ですね~
ビンを洗うためのブラシにそっくりだからか英語ではボトルブラッシュと呼ばれているそうです。
和名も英語名も見た目どおりの名前ですね!
楼門をくぐって小さな橋を渡り右手には手水舎があるのですが、何やら涼やかな音色が…
招福除災のための風鈴祈願の風鈴の音でした。なんてフォトジェニックな…!
涼やかな風鈴の響きが、コロナ禍で疲れた心に爽やかな風を吹き込んでくれるようです。
松尾大社の手水舎の水は後でご紹介する亀の井からの水で、亀の口から流れ出ています。何となくユーモラスですね~
手水舎の横にも「撫で亀」が。ただし現在は新型コロナ感染防止のため、ビニールがかけられ撫でられませんでした…
気を取り直して階段を上り左手を見ると…
「招福樽うらない」があります。おもちゃの弓矢で樽を狙い打って運試しです。樽の真ん中には穴が開いていて鉄板が貼ってあるので、命中すると大きな音が出ます。写真左の社務所で受付してくださいね。
樽占いの後方、境内南側の神輿庫前には、たくさんの奉納酒樽が。
特に醸造祖神として、全国の酒造家、味噌、醤油、酢等の製造及び販売業の方から格別な崇敬を受けています。
拝殿は入母屋造で、檜皮葺です。広場の中央に位置し、大祓式のほか各種神事で使用されます。この拝殿は、元禄・寛政期の絵図でも同一の様式で描かれているので、こちらも江戸時代から変わらない姿をとどめていると思われます。
拝殿の奥が本殿になりますが、写真は本殿に続く中門です。この奥が本殿で、中門の後ろに本殿の屋根の部分がチラッと見えますね。本殿は外からは撮影することが出来ませんでした。本殿は大宝元年(701)、秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勅命を奉じて創建以来、皇室や幕府の手で改築され、現在のものは室町初期の応永四年(1397)の建造にかかり、天文11年(1542)大修理を施したものです。
屋根は側面から見ると前後同じ長さに流れており、この形式は「両流造」とも「松尾造」とも称される独特のものです。この本殿は国の重要文化財に指定されています。また本殿につづく釣殿・中門・回廊は、神庫・拝殿・楼門と共に江戸期の建築物で京都府暫定登録文化財に指定されています。
では、次回は、本日のお散歩のメインの目的、三つの庭園をご紹介します。