京都駅からJR奈良線で3駅の藤森駅の近くにある藤森神社(ふじのもりじんじゃ)は、平安遷都以前からある歴史ある神社です。学問や勝運、また馬の神様として、朝廷から庶民まで幅広く崇敬されています。宇治の三室戸寺と並んで京都屈指のアジサイの名所としても知られています。梅雨の晴れ間の6月中旬、アジサイが見ごろの藤森神社を訪ねました。
藤森神社の場所
藤森神社の行き方
電車で
バスで
京都市バス南8号系統、臨南5号系統「藤森神社前」下車すぐ
バスは本数が少ないので、電車でのアクセスがおすすめです。
今回のスタートはJR藤森駅です。
改札を出てそのまま進み、西(右手)へ曲がります。
右手へ曲がったところです。このまま西へ400mほど進みます。
藤森神社の南門に到着です。
「菖蒲の節句発祥の地」の石碑があります。
藤森神社とは
社伝によると、神功皇后摂政3年(203)、三韓征伐から凱旋した神功皇后が、山城国深草の里藤森に軍旗(いくさの旗)を立て、兵具を納め、塚を作り、祭祀を行ったのが発祥とされています。当初の御祭神は、本殿中央に祀られている素戔嗚尊を始めとする7柱で、本殿の東には軍旗を立てたと言われる旗塚があります。近郊にあった三つの社が合祀され、現在の藤森神社となりました。
同社の藤森祭は毎年5月5日に行われ、菖蒲の節句発祥の祭として知られ、各家に飾られる武者人形には藤森の神が宿ると伝えられています。菖蒲は尚武に通じ、尚武は勝負に通じると言われ、勝運を呼ぶ神として信仰を集めています。
また、「日本書紀」の編者であり、日本最初の学者である舎人親王を御祭神としてお祀りしていることから、学問の神として崇敬されています。
更に、藤森祭の駈馬神事として室町時代から走り馬が行われ、古来より馬との関わりが深く、馬主、騎手や競馬関係者、競馬ファンからも馬の神様として親しまれています。
それでは中に入って行きましょう。
扁額の無い石の鳥居
この石造りの鳥居には扁額がありません。もともとは後水尾天皇の宸筆の額がかけて有りました。そのため、江戸時代、西国大名の参勤交代で各大名が神社前を通る時には、駕籠から降り、拝礼をして槍を倒して通行しなければならなかったそうです。しかし、幕末動乱の時代となり、「このような悠長なことでは時代に合わない」と新選組の近藤勇が外したと言われています。
これが事実かどうかはわかりませんが、近藤勇がこんな暴挙に出たことで、勝運の神様に見放されたのかも…と思ってしまいますね。
参道は二つのコース(?)に分かれています。
右は車、左は人と馬(!)なんだそうです。これも馬の神様ならではですね。
藤森祭の際の「駈馬神事」では、左側の通路を馬が駆け抜けるようです。
150mほど奥へ進むと、紫陽花苑の案内板があり、もうその向こうにはアジサイが見えて来ました。
第一紫陽花苑
藤森神社にはあじさい苑が二か所あります。まずは第一紫陽花苑へ向かいます。
案内板に従って左の奥へ入ります。
こちらの受付で入苑料300円(第一、第二共通)を払って入ります。
藤森神社では、例年6月初旬から一か月ほど「紫陽花祭」として紫陽花苑を開苑し、6月15日頃に蹴鞠や雅楽、太鼓などの奉納行事も行われています。
こちらが第一紫陽花苑の入口です。手作り感あふれる素朴な入口ですね。入苑料も300円と他の寺社の庭園と比べるとずいぶんお手頃な感じがして、庶民的で親しみやすい神社だな、と思いました。
入口をくぐると、そこはもう「アジサイの森」という感じで、どちらを向いても満開のアジサイが迎えてくれます。アジサイは大きく育つと人の背の高さ近いほどになりますね。人がアジサイに埋もれているようです。
さっそくハート型のアジサイを発見!ぽっこりと可愛らしいハート型です。
紫陽花苑中央に東屋があり、何とも良い雰囲気です。アジサイを眺めながら休憩出来ます。
最初は「アジサイの森」とお伝えしましたが、「アジサイの海」と表現した方がよいかもしれません。見渡す限り、あじさいの大海原です。
絵馬舎と神馬像
さて、第一紫陽花苑を満喫したので、隣の絵馬舎へ向かいます。
現在の拝殿が出来るまで、こちらの絵馬舎が拝殿だったそうです。ここに懸る絵馬の中には白馬・黒馬の二枚の絵馬があり、これらは「慶長十八年」(1613)の銘があって、京都でも一、二を争う古いものなのだそうです。
JRAにおける重賞レース優勝馬を始め、競馬をモチーフにした絵馬もたくさん奉納されていました。
「菖蒲の節句発祥の地」の絵馬もあります。
絵馬舎の横にある藤棚の下の歌碑に「むらさきの 雲とぞよそに見えつるは 木高き藤の森にぞありける」という待宵の小侍従(平安後期から鎌倉初期の女流歌人)の和歌があります。この和歌や「藤森」という地名があるように、当時、この辺りには藤の森があったようです。
藤は、その旺盛な生命力と豊かな芳香、そして高貴な色として、平安時代には日本人に最も愛され繁栄の象徴として家紋にも多く使用されていました。また、藤の花は、神を招く依代であったとも言われ、活力に満ちた雄健な「藤森に在る神」を祀る処として、この地に社が建てられたのであろう、とこの立て札で解説されています。
神馬像は、戦争中に供出したものを駈馬会が復活したもので、馬の社の象徴として建立されたそうです。
手水舎
アジサイの花手水になっていました。色鮮やかなアジサイがとても爽やかですね。
この写真には写っていないのですが、手水舎の水鉢の台石は、宇治浮島の十三重の塔の五番目の石を石川五右衛門が盗んで持ってきたという言い伝えがあるそうです。
石川五右衛門にまつわる言い伝えはフィクションが多く、この話もおそらく作り話だろうとも言われていますが、水鉢の台石のように大きな石を十三重の塔から盗んで宇治から持ってきたと思うと、何だか楽しくなってきますね。
拝殿・本殿
拝殿は御所より賜ったもので、割拝殿として有名です。割拝殿とは、真ん中に通路(土間)がある拝殿のことです。この日はその通路部分には木の蓋(?)がしてあって通り抜けられませんでしたが、藤森神社の公式サイトの写真を見ると以下のように、拝殿の向こうの本殿まで見えるように通路になっています。
写真:藤森神社公式サイトより
こちらは本殿です。紫陽花祭で参拝者が後を絶たず、正面から撮影できませんでした。切妻造り、檜皮葺きで、正徳二2年(1712)中御門天皇より賜ったもので、宮中内侍所(賢所)であった建物です。現存する賢所としては最も古いもので、その原型をよくどめているそうです。本殿に祀られているのは、素戔嗚尊、訳雷命、日本武尊、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰の武勇で名を馳せた七柱です。ご祭神が武神であることにちなんで、毎年五月五日の藤森祭では三基の神輿が出され、華やかな甲冑をまとった武者行列が巡行します。
旗塚
本殿の東横にあるのが旗塚です。神功皇后が軍旗を立てられたところで、同社の発祥の地と言われています。ここにあるイチイガシは「いちのきさん」と親しまれていて、お参りすると腰痛が治るそうで、近藤勇も参拝して治癒したと伝えられています。
不二の水
地下約100mから湧き出る水で、氏子はもとより、遠方からも汲みに来られる人々が後を絶たないそうです。二つとない水という意味で不二の水と言われています。
「水六訓」という立て札がそばにありました。今年は梅雨が非常に短く、水不足が心配ですし、一方でここ数年、大規模な水害も多発していることからも、水の大切さ、怖さも心しておきたいですね。
第二紫陽花苑
さて、本殿の東の奥に、第二紫陽花苑があります。第一紫陽花苑がしっとりと落ち着いた雰囲気なのに対して、こちらは小高い丘のようになっていて、光がたくさん当たり、明るい感じがしました。
今では「紫陽花の宮」とも呼ばれる藤森神社ですが、アジサイの名所となったのは1980年代と歴史は比較的新しいようです。更に、当初は「菖蒲の節句発祥の地」でもあることから花菖蒲園を作りたかったのだそうですが、土壌の関係で紫陽花苑にしたのが始まりだそうです。
きっかけはともかく、平安以前から続く歴史ある神社に、色とりどりのアジサイの花はとても良く映え、私たちの目を楽しませてくれるのはありがたいことです。
大将軍神社
第二紫陽花苑の西、本殿の北側にある摂社で、磐長姫命を御祭神とします。桓武天皇の平安遷都に際し、王城守護のために都の四方に祀られた、南面の守護神です。古来より方除けの神として信仰され、今も祈願する人が絶えないそうです。社殿は永享10年(1438)、時の将軍足利義教の造営で、一間社流造り、こけら葺きです。
藤森神社はアジサイの名所として知っていたのですが、訪れてみると皇室と縁が深い由緒正しい神社で、勝運や学問、更に馬の神など様々なご利益があるかなりのパワースポットでもありました。武神がご本尊であることから、ちょっといかつい感じの神社なのかな?と思いましたが、爽やかな紫陽花苑のおかげか、親しみやすい雰囲気でした。
「藤森神社なのに、藤の名所ではなく紫陽花の名所なの?」と疑問にも思っていましたが、もともとは名前の通り「藤の森」があった場所だということもわかりました
そして「藤森神社に藤棚を作る会」によって、藤棚を作る活動が始められ、紫陽花苑にあらたに、藤棚と菖蒲苑が設置される予定だそうで、2026年完成予定とのことです。
更に色々な花で彩られるので、完成が楽しみですね。
藤森神社は、京都駅から最寄りの駅へののアクセスもよく、駅からも徒歩5~7分とちょうど良い距離です。藤森祭などの大きなお祭り以外はそれほど混雑することも無さそうですので、のんびり散策を楽しめます。機会があれば是非、足をお運びください。