京都おすすめ散歩道

定番から穴場まで京都のお散歩コースを地元民の視点からご紹介

東福寺① ~圧倒的な壮観を誇る東福寺の伽藍面

東福寺京都五山の第四位に列せられ、25もの塔頭寺院を抱える、京都でも最大規模の伽藍を有する由緒正しき大寺院です。

紅葉で有名な通天橋や数多くの国宝や重要文化財を所蔵し、特に秋の紅葉シーズンは観光客の多さで有名なのですが、青紅葉のこの時期は比較的人も少なく参拝しやすいと思い訪ねてみました。

 

 

東福寺の場所

goo.gl

 

東福寺の行き方

電車で

 ・阪急京都線

   「京都河原町駅」で京阪電車に乗り換え後、京阪本線東福寺駅」下車

   徒歩約10分

 ・JR,京都市営地下鉄

  各線「京都駅」でJR奈良線に乗り換え後、「東福寺駅」下車、徒歩約10分

 ・京阪戦車で

  京阪本線東福寺駅」下車後、徒歩約10分

 

バスで

 ・京都駅から

   市バス 88、208系統に乗車、「東福寺」下車

 ・四条河原町から

   市バス207系統に乗車、「東福寺」下車

 ・東山三条から

   市バス202系統に乗車、「東福寺」下車

 ・祇園から

   市バス202、207系統に乗車、「東福寺」下車

 ・平安神宮、岡崎から

   市バス100、110系統に乗車後、「東山七条」で88、202、207、208系統に乗り換え、「東福寺」下車

 

道順は前回ご紹介した勝林寺と途中まで同じですので、一部再掲します。

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今回のスタートはJR東福寺駅です。

JR東福寺駅には二階にある「改札口」と一階にある「乗り換え口」があります。東福寺や勝林寺へ行かれる場合は、駅に着いたら、必ずホームを宇治・奈良方面の端の方まで歩いて二階へ上がりましょう。

 

改札口から出て、左手へ向かいます。

案内板にも「東福寺徒歩10分」と書いてありますね。

 

東福寺 通天橋方面」と書かれた案内板に従って連絡通路を進みます。

 

階段を降りると、京阪電車東福寺駅東改札に出ます。

 

京阪東福寺駅の改札口の前の道を東(右手)へ進みます。

 

突き当りを南(右)へ進みます。

 

駅前の飲食店などが立ち並ぶ道を南へ進みます。写真奥に見える高架もくぐって更に南へ進みます。(高架の辺りに、東福寺へは左手へ進むという案内表示もありますが、今回はまっすぐ南へ進みます)

 

高架をくぐって、更に80mほど南へ進みます。

 

左手に東福寺交番が見えました。

 

交番の手前を東(左)へ曲がります。

 

東福寺北大門です。こちらから入って行きます。

 

80mほど東へ進むと、右手に退耕庵があります。

 

さらに東へ向かい、突き当りを南(右)へ曲がります。

 

またすぐ突き当たるので、東(左)へ曲がります。

 

東へ曲がったところです。この道をそのまま東へ50mほど進みます。

 

 

右手に「大本山東福寺 名勝通天橋」の石碑があります。こちらの道を南(右)へ入ります。

左手には善慧院、右手は五大堂同聚院などの塔頭寺院が立ち並んでいます。

 

同聚院とユキサンの白バラ

同聚院の門前には白いバラが沢山植えられ、甘い香りが漂っていました。

 

東福寺の寺地一帯は、平安時代中期に藤原忠平が法性寺を建立した所で、寛弘3年(1006)には藤原道長が仏師定朝の父康尚に作らせた不動明王を中心とする五大明王を祀った五大堂を建立しました。しかし、後に兵火によって不動明王を残して五大堂は焼失しました。その後、嘉禎2年(1236)に九条道家は衰微した法性寺に代わって東福寺を建立し、不動明王東福寺の所有となり、弘安3年(1280)に東福寺開山の聖一国師によって五大堂は再建され、不動明王が祀られました。五大堂は、文安元年(1444)に東福寺塔頭・同聚院が建立されるとその本堂とされました。

本尊の不動明王坐像は重要文化財で像高は2m65㎝の一木造、木造不動明王坐像としては日本一の大きさだそうです。

 

さて、この不動明王を祀る寺院と白バラの取り合わせが珍しいな…と思って調べてみると、明治期に活躍した女性にちなむことがわかりました。

女性が国際社会に進出し始めた明治時代、世界に日本女性の存在を知らしめた一人に「モルガンお雪」(加藤ゆき:1881年8月7日~1963年5月18日)がいました。彼女は世界三大財閥であるモルガン一族に嫁ぎ、日本のシンデレラとして日本に限らず世界中の話題を集めた祇園の芸妓でした。晩年、亡くなった夫を追ってカトリックに改宗しましたが、親族の希望で同聚院に分骨され現在もこちらで供養されています。

 

そしてお雪の三回忌にパリ市から京都市へ白バラの献花が行われました。それは世界屈指のフランスのバラの名門であるメイアン氏がお雪を慕って開発した新種のバラで、その名も「ユキサン」。それが、この白いバラだったのです。

写真:同聚院公式サイトより

社交界デビューしたお雪は、フランス滞在時には最新のモードを身に着けていたそうです。本当に美人ですね。そして白バラ「ユキサン」も、お雪のように高貴な香りと上品な美しさにあふれていました。

 

同聚院を後にして、更に南へ80mほど進みます。

 

臥雲橋

東福寺の境内には洗玉澗(せんぎょくかん)という渓谷があり、西から東へ臥雲橋、通天橋、偃月橋という三本の橋(東福寺三名橋)が架かっています。

臥雲橋は境内というより境内と公道の間にある感じですが、屋根付きの純木橋で、京都府指定の重要文化財となっています。橋上から、洗玉澗越しに通天橋が見られます。

通天橋は拝観料が必要ですが、臥雲橋は無料なんですね~(笑)東福寺の紅葉と言えば、通天橋からの眺めが最も有名ですが、その通天橋と紅葉を見るだけなら、この臥雲橋からでも見ることが出来ます。

 

東福寺とは

臨済宗東福寺派大本山山号は慧日山。摂政九条道家が、当時奈良で最大の寺院東大寺と、奈良でも最も盛大を極めてた興福寺になぞらえ「東」と「福」の字を取り、京都最大の大伽藍を造営したのが東福寺です。円爾(えんに);聖一国師(しょういちこくし)を開山として鎌倉時代の嘉禎2年(1236)から19年の歳月をかけて七堂伽藍が完成しました。京都五山の第四位に列せられ、「東福寺の伽藍面(がらんづら)」とまで言われ壮観を極めましたが、度重なる兵火や火災で仏殿、法堂、庫裏などを焼失したものの、以後逐次再建されてきました。

禅宗伽藍を代表する室町最古の三門(国宝)をはじめ、浴室、東司(便所)禅堂(いずれも重文)など室町時代の禅僧の生活を知る上で貴重な建築が多数残っています。

通天橋は京都でも一、二の紅葉の名所で、方丈の四方の周囲に枯山水の庭園を巡らせたものはこの庭園のみで、平成26年(2014)国の名勝に指定されるなど、見どころ満載の大寺院です。

東福寺の境内にある一つ一つの伽藍がスケールが大きく、また25もの塔頭寺院も軒を連ね、まさに「伽藍面」と呼ばれるのも頷けますね。

ちなみに「〇〇面」というのは京都にある禅宗寺院のそれぞれの特色を言い表した、いわば「あだ名」のようなものでしょうか。他にも「建仁寺の学問面:詩文・芸術に秀でた学僧を多数輩出」「大徳寺の茶面:茶の湯に縁が深い」「南禅寺武家面:徳川家康など武家の篤い信仰」「妙心寺の算盤面:臨済宗最大の巨大教団を形成」などなど…

 

さて、臥雲橋を渡り80mほど進むと、日下門に出ます。

さりげなく建っていますが、こちらも京都府指定有形文化財です。

 

本堂

本堂は仏殿兼法堂です。明治14年(1881)に仏殿と法堂が焼けた後、1917年から再建工事にかかり、1934年に完成しました。入母屋造、裳階付き、高さ22.5m、間口41.4mの大規模な堂宇で、昭和期の木造建築としては最大級のものです。大きすぎて、うまく写真に収まりません😢

こちらが正面でしょうか。別の角度から撮影しましたが、やっぱりうまく収まらない😢

本尊の釈迦三尊像明治14年の火災後に塔頭万寿寺から移されたもので、鎌倉時代の作です。通常、本堂内は非公開ですが、春の涅槃会の際には公開されるようです。

 

三門

応永32年(1425)に足利義持が再建し、現存する禅寺の三門としては日本最古で最大のもので、高さ22mの威風堂々とした佇まいの国宝です。上層に釈迦如来十六羅漢を安置する折衷様の五間三戸二重門(五間三戸とは、正面の柱間が5つ、うち中央3間が通路になっているという意味。二重門は二階建ての門だが、楼門と違い、一階と二階の境目にも軒の出を作るものをいう)。三門も本当に大きくて、下から見上げると首が痛くなりそうです。三門も通常は非公開です。

 

別角度から撮影。前を歩く人との対比で、大きさが伝わるでしょうか?

他の寺院では通常「山門」と書きますが、東福寺では「三門」と書きます。これは涅槃(悟り)に至る際に通貨しなければならない「空」、「無相」、「無作」の三つの境地(関門)を象徴した三解脱門の意味が込められているとされ、京都では他に南禅寺妙心寺大徳寺などでも「三門」と呼ばれています。

 

今回の散歩に同行してくれた友人が話していたのですが、これだけ大きな建造物がクレーンも何も無い昔に建てられたなんて、宗教心、恐るべし…と。特に日本は奴隷制度なども無かったので(六道の辻など葬送の地で特定の職種に就いていた被差別民はいたようですが)、余計にその宗教心に感服します。

 

禅堂 東司 浴室

時間の関係で今回は写真を撮りませんでしたが、禅堂、東司、浴室なども重要文化財です。

禅堂(写真;公式サイトより)は、1347年再建の国内最古最大、中世から遺る唯一の坐禅道場です。

 

東司(写真:公式サイトより)

通称百雪隠(ひゃくせっちん)すなわち便所です。禅僧は用便も修行であり、東司に行くにも厳しい作法が定められていたそうです。国内最古、室町前期の遺構です。

 

浴室(写真:公式サイトより)

国内最大、東大寺湯屋に次いで古い浴室で、蒸し風呂形式だそうです。

 

ようやくコロナ禍による制限が無くなったこともあると思いますが、東福寺では10数人前後の団体さんが記念撮影されているのに何度も出逢いました。添乗員などの姿が見られず、どういう人たちなのかな?と思っていたところ、境内まで車やタクシーがどんどん入ってくる様子でピンときました。東福寺は多くの塔頭寺院を抱え、それぞれに檀家さんがおられます。制限が無くなったこともあり、法要で東福寺を訪ねておられるのでしょう。団体さんの年齢層が年配の方から子どもまで様々なのも頷けます。新緑のまぶしいこの時期に久しぶりに親族で集った団体さんは、みなさんとても晴れやかな笑顔で記念撮影されていた姿がとても印象的でした。

 

東福寺はJRで京都駅から一駅とアクセスも良く、駅からの距離もほどよいので、お散歩に最適なスポットと言えます。紅葉の時期の混雑は覚悟が必要ですが、そのほかの時期ならそれほどでも無く、次回ご紹介する庭園も四季折々の美しさがありますので、機会があれば是非足をお運びください。

 

 

 

勝林寺 ~花手水に彩られた東福寺の毘沙門天

京都五山の四位に位置付けられた東福寺は、京都でも最大級の大伽藍を誇る有名な禅寺の一つです。その塔頭東福寺の北側、住宅街の中にひっそりと佇む勝林寺は「東福寺毘沙門天」とも呼ばれ、東福寺の鬼門に位置し、仏法と北方を護っています。

勝林寺は本堂があるだけの小さなお寺で、ご本尊の毘沙門天はお正月と春と秋以外は通常非公開ではありますが、境内は美しく整えられ、また近年は華麗な花手水でも有名です。青紅葉が美しいこの季節に勝林寺を訪ねましたので、ご紹介します。

 

 

 

勝林寺の場所

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勝林寺の行き方

電車で

 ・阪急京都線

   「京都河原町駅」で京阪電車に乗り換え後、京阪本線東福寺駅」下車

   徒歩約8分

 ・JR,京都市営地下鉄

  各線「京都駅」でJR奈良線に乗り換え後、「東福寺駅」下車、徒歩約8分

 ・京阪戦車で

  京阪本線東福寺駅」下車後、徒歩約8分

 

バスで

 ・京都駅から

   市バス 88、208系統に乗車、「東福寺」下車

 ・四条河原町から

   市バス207系統に乗車、「東福寺」下車

 ・東山三条から

   市バス202系統に乗車、「東福寺」下車

 ・祇園から

   市バス202、207系統に乗車、「東福寺」下車

 ・平安神宮、岡崎から

   市バス100、110系統に乗車後、「東山七条」で88、202、207、208系統に乗り換え、「東福寺」下車

 

 

今回のスタートはJR東福寺駅です。

JR東福寺駅には二階にある「改札口」と一階にある「乗り換え口」があります。東福寺や勝林寺へ行かれる場合は、駅に着いたら、必ずホームを宇治・奈良方面の端の方まで歩いて二階へ上がりましょう。一階の乗り換え口は並走する京阪電車東福寺駅にしか行けません。この「乗り換え口」周辺には駅員さんが常駐されていません。誤ってこの乗り換え口から降りてしまった場合は、改札口に駅員への連絡用インターホンがありますので、これを使用して事情を伝えると、正しい行き方を案内してもらえます。

ここまで読んだ方はお察しのことと思いますが、かく言うも、乗り換え口から降りてしまいました😢このようにぼんやりした乗客が後を絶たないのでしょう。対応された駅員さんは非常に手慣れた感じで案内してくださいました。

 

改札口から出て、左手へ向かいます。

案内板にも「東福寺徒歩10分」と書いてありますね。

 

東福寺 通天橋方面」と書かれた案内板に従って連絡通路を進みます。

 

階段を降りると、京阪電車東福寺駅東改札に出ます。

 

京阪東福寺駅の改札口の前の道を東(右手)へ進みます。

 

突き当りを南(右)へ進みます。

 

駅前の飲食店などが立ち並ぶ道を南へ進みます。写真奥に見える高架もくぐって更に南へ進みます。(高架の辺りに、東福寺へは左手へ進むという案内表示もありますが、今回はまっすぐ南へ進みます)

 

高架をくぐって、更に80mほど南へ進みます。

 

左手に東福寺交番が見えました。

 

交番の手前を東(左)へ曲がります。

 

東福寺北大門です。こちらから入って行きます。

 

80mほど東へ進むと、右手に退耕庵があります。

 

退耕庵

退耕庵は臨済宗東福寺塔頭寺院です。貞和2年(1346)に創建され、応仁の乱の災火により一時荒廃しましたが、慶長年間(1596~1615)安国寺恵瓊によって再興されました。客殿は、再興時に恵瓊によって建てられたもので、豊臣秀吉の没後、客殿の中にある茶室作夢軒で、恵瓊、石田三成、宇喜田秀家らが、関ケ原の戦いの謀議を行ったと伝えられています。

 慶応4年(1868)の鳥羽伏見の戦いの際には、東福寺長州藩の陣が置かれていたことから、当庵はその戦いの殉難者の菩提所となっています。

 

歴史の教科書にも出てくる大きな出来事の舞台になった場所が、大々的に宣伝されるでもなくさりげなくそこにある、京都にはそんな場所があちこちにありますね。

 

さらに東へ向かい、突き当りを南(右)へ曲がります。

 

またすぐ突き当たるので、東(左)へ曲がります。

 

東へ曲がったところです。この道をそのまま東へ進みます。

 

左手に「勝林寺」の看板が見えました。更に東へ進みます。

 

左手に「毘沙門天王」の石碑があります。この手前の道を北(左)へ進みます。

 

先ほどの「毘沙門天王」の石碑の隣の看板に「タクシー、自家用車、その他車両にて勝林寺ご参拝の方は東門へおまわりください」と書かれています。徒歩以外の方はこの看板に従ってください。

 

毘沙門天王」の石碑の手前を北へ曲がったところです。住宅街の向こうに青い幟がはためいていて、その先に山門が見えます。

 

階段の両脇に「毘沙門天」の幟がずらりと並んでいます。

 

勝林寺の南門に到着しました。こぢんまりとした静かなお寺です。

 

勝林寺とは

勝林寺は、東福寺塔頭で、天文19年(1550)に第205世住持・高岳令松によって創建されました。本山東福寺の鬼門(北方)に位置し、仏法と北方を守護することから「東福寺毘沙門天」と呼ばれています。

本堂は大檀那であった近衛家の大玄関を移築したもので、境内には一切経を埋めた石塔が建っています。数々の絵画や仏像を有し、とりわけ毘沙門堂としての正当性を証明するべく、本尊の秘仏毘沙門天立像をはじめ、他に例を見ない珍しい毘沙門天曼荼羅や、迫力に満ちた虎の大襖絵などが伝わります。

また、春には「皇桜」、秋には「吉祥紅葉」はもとより、庭園には四季を通じて美しい花々が咲き、参拝者の目を楽しませてくれます。

ご本尊の毘沙門天立像などは新春、春、秋の特別公開時期以外は通常非公開ですが、境内は無料で拝観することが出来、ガラス戸越しではありますが、ご本尊に手を合わせたり、虎の大襖絵を垣間見ることは出来ます。

拝観 毘沙門天・寺宝

写真:勝林寺公式サイトより

8名以上の団体参拝者は、事前予約にて拝観もできるようですので、詳しくは公式サイトをご確認ください。

 

境内の庭園は苔の庭に青紅葉が美しく、清々しい気持ちになります。

 

ナマズの像と小さなお地蔵様でしょうか?

 

 

本尊 毘沙門天など

勝林寺のご本尊、毘沙門天立像は、東福寺の仏殿の天井裏に密かに安置されていましたが、江戸時代に当寺の開山高岳令松の霊告により発見され、東福寺全体を守護するために鬼門にあたる勝林寺に安置されたそうです。制作年代は平安時代の10世紀頃、ほぼ等身大の145.7cmです。当寺の毘沙門天はとりわけ財運、勝運、厄除けにご利益があるとされています。

また、吉祥尊天は、美と幸福を司る神とされており、それを女性に授けると云われています。毘沙門天の妃とされ、当寺の吉祥天はとりわけ美・幸福・縁結びにご利益があるとされています。

さらに、善膩師(ぜんにし)童子は、毘沙門天王、吉祥尊天の御子とされています。

当寺では三尊が揃っているため、毘沙門天、吉祥尊天、善膩師童子の三尊を拝めば一家和合の神(仏)として、また子授け、子育て、夫婦円満にもご利益があると言われています。

毘沙門天毘沙門天毘沙門天

写真:勝林寺公式サイトより

左から毘沙門天立像、吉祥天尊像、善膩師童子

 

毘沙門天も吉祥天もよく見かける仏様ですが、この二人が夫婦で、更にその間に善膩師童子という子どもまでおられたとは初めて知りました。そして、この二人の間には善膩師童子を含め5人の子どもがいるとも言われており、善膩師童子は末っ子なのだそうです。日本ではかつて長子相続制度がありましたが、もっと昔、古代の神々の時代には末子相続も見られるそうで、そんなに珍しいことでも無いそうです。いずれにせよ、夫婦と子どもという家族で祀られている仏様というのは、なんだかほのぼのとして親しみが湧きますね。

 

 

花手水

 

コロナ禍で手水舎が使用できなくなってから、各寺社で趣向を凝らした花手水が見られますが、勝林寺の花手水も豪華で見ごたえがありました。この花手水を目当ての参拝者も多いようで、皆さん熱心に写真を撮られていました。

 

 

花手水の向こう側に丸い石の鉢に植えられた植木がありました。写真だと苔玉のようにも見えますが、実際は高さ1m弱程の大きさです。大きさの比較のためか、手前に小さな15cmほどの植木も添えられています。二つの対比が面白かったです。

 

 

吉祥紅葉

古来より、紅葉の美しさから吉祥天が宿るもみじとされているそうです。「美しさ」「良縁」を求める女性にご利益があり、邪気を払うともされています。かつては祇園の舞妓・芸妓といった綺麗どころのお参り姿も見られたといいます。

 

 

のぼりイメージ

写真:勝林寺公式サイトより

 

勝林寺は座禅や写経・写仏、ヨガなど様々な体験をすることも出来、また切り絵御朱印なども人気です。小さいながら、様々な見どころが詰まった趣き深いお寺で、私も次は春の桜や秋の紅葉の時期や、新年に毘沙門天家族の三尊を参拝し、一年の幸運と発展をお願いするために訪れてみたいと思います。

東福寺からも徒歩5分ほどですので、是非合わせてお訪ねください。

 

松尾大社 ~黄金色に染まる太古の社

観光客であふれる嵐山から阪急嵐山線で一駅の「松尾大社」駅からすぐ近くにある松尾大社。酒造の神様として有名ですが、実は関西でも随一の山吹の名所でもあります。約3000本の山吹が自生する境内はまさに黄金色に染まり、桜とは違う素朴な温かさと華やかさがあります。「桜の次は山吹」ということで、山吹に包まれた松尾大社を訪ねました。

 

 

松尾大社の場所

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松尾大社の行き方

阪急電車松尾大社」駅下車

JR京都駅→(地下鉄)→四条烏丸→(阪急京都線)→桂→(阪急嵐山線)→松尾大社

所要時間:京都駅から約40分

 

●市バス「松尾大社前」バス停下車

JR京都駅→(市バス 嵐山大覚寺行き)→松尾大社

JR京都駅→(京都バス 苔寺行き)→松尾大社

所要時間:京都駅から約40分

 

松尾大社への詳しい行き方や詳細は下記ブログでもご紹介しています↓

www.yomurashamrock.me

 

www.yomurashamrock.me

 

本日のスタートは阪急「松尾大社駅」を降りてすぐの松尾大社の一の鳥居です。

一の鳥居の右横にある二つのオブジェは、お酒を入れる容器「瓶子(へいし)」をモチーフとして、「お酒の神様」である松尾大社に捧げられたものだそうです。

 

松尾大社とは

松尾大社本殿の背後にある松尾山は、太古の昔から、山頂近くに「磐座(いわくら)」と呼ばれる、神が降臨するという岩があり、この地に住む人々が山の神として崇め、信仰してきました。大宝元年(701年)、京都盆地の西一帯を支配していた秦氏が「磐座」の神霊を勧請し、現在の本殿の場所に社殿を建立したとされています。その後も秦氏(はたうじ)により氏神として奉斎され、平安遷都後は東の賀茂神社賀茂別雷神社上賀茂神社賀茂御祖神社下鴨神社)とともに「東の 厳神、西の猛霊」と並び称され、西の王城鎮護社に位置づけられたました。中世以降は酒の神としても信仰され、現在においても醸造家からの信仰の篤い神社です。
御祭神は大山咋神(おおやまぐいのかみ)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)です。大山咋神は、古事記によると山の上部に鎮座されて、山及び山麓一体を支配される神であり、近江の国の比叡山と松尾山を支配される神であったと伝えられます。一方、市杵島姫命は、中津島姫命(なかつしまひめのみこと)の別名で、古事記の記述によると、福岡県の宗像大社に祀られる三女神の一神として古くから海上守護の霊徳を仰がれた神です。おそらく外来民族である秦氏朝鮮半島と交易する関係から、航海の安全を祈って古くから同社に勧請されたと伝えられています。

 

さて、一の鳥居をくぐり中へ入って行きましょう。

入ってすぐ左手の脇道に、さっそく山吹と八重桜のコラボが見られました。この日は4月中旬、ソメイヨシノの時期は終わっていましたが、遅咲きの八重桜は境内でも何本か咲いていました。

 

参道です。松尾大社は嵐山からもほど近いのですが、初詣やお祭りの時期を除き、いつ訪れてもほとんど混んでいません。この日も参道はこんな感じでした。

突き当りに見えている鳥居の後ろに控えているのが松尾山です。訪れるたびに、この山の素朴ながらも人を圧倒するような力強い気配に畏怖の念が湧いてきます。これが太古から続く神の気配というものでしょうか。京の西の端に鎮座するこの山に、都を守護する神を見た昔の人々と心が通じた気がしました。

 

参道を100mほど進むと二の鳥居です。鳥居の上部に榊の小枝を束ねたものがたくさん垂れ下がっています。これを「脇勧請」と言います。穢れ(けがれ)を祓う力があると言われる榊を、原始の神社では境内の大木に吊り下げることによって、神域と人の結界としていて、それが鳥居の始まりと言われています。

 

二の鳥居の下から脇勧請を見上げて写真を撮ってみました。空の青と鳥居の朱色、そして鳥居の下に白い雲という不思議な絵が撮れました。

鳥居に垂れ下がっている榊の束は12個(閏年は13個)。榊の枯れ方によって月々の農作物の出来具合を占ったそうです。榊が完全に枯れると豊作で、一部が枯れ残ると不作。太古の風習を松尾大社ではそのまま伝えていると言われています。

 

楼門です。左右に随神を配置したこの楼門は江戸時代初期の作と言われており、屋根は入母屋造檜皮葺です。高さ約11メートルと大規模なもので、華美な装飾はなく和様系で古式の楼門です。

 

楼門をくぐってすぐ用水路沿いに、ありましたよ!お目当ての山吹が満開です。

満開の山吹が川面にも映り、黄金色にきらめいています。石橋との取り合わせが何とも風流です。

 

 

 

楼門をくぐって右手にあるのが手水舎です。

手水舎にいる動物と言えば、龍が多いようですが、松尾大社では亀です。何だかユーモラスな表情ですね。

 

手水舎の奥から先ほどの石橋を臨んだ景色です。

私の他にも何人か、この山吹を撮影しに来られていました。

 

今度は手水舎の手前、石橋側から見てみると水車があり、これもまたフォトジェニックです。



手水舎と楼門の間あたりに咲いていたのが、白山吹です。境内の庭園内でも咲いているとのことでしたが、こちらでも見つけました。帰宅してから気づいたので、もっとアップで撮影すれば良かった…とちょっと後悔。

 

手水舎から石の階段を数段上がった所の広場の中央にあるのが、拝殿です。入母屋造、檜皮葺の建物で、元禄・寛政期の絵図でも同一の様式で描かれているので、その頃の姿を現在にとどめていると思われます。大祓式のほか、各種神事で使用されます。

訪れたのが午後だったので、拝殿の後ろ(西側)に太陽があり、後光が差しているように見えますね。

 

拝殿の奥にあるのが本殿になりますが、写真は本殿に続く中門です。この奥が本殿で、中門の後ろに本殿の屋根がチラッと見えますね。本殿は外から撮影することが出来ません。本殿は大宝元年(701)、秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勅命を奉じて創建以来、皇室や幕府の手で改築され、現在のものは室町初期の応永四年(1397)の建造にかかり、天文11年(1542)大修理を施したものです。

屋根は側面から見ると前後同じ長さに流れており、この形式は「両流造」とも「松尾造」とも称される独特のものです。この本殿は国の重要文化財に指定されています。また本殿につづく釣殿・中門・回廊は、神庫・拝殿・楼門と共に江戸期の建築物で京都府暫定登録文化財に指定されています。

 

本殿の前を北へ向かいます。

本殿右の端、庭園入口の手前にある「神使の庭」です。松尾大社の二つの神の使い、亀と、滝を登る鯉の像(写真右奥)があります。太古、大神様が山城丹波の国を拓くため保津川を遡られる時、急流は鯉、緩やかな流れは亀の背に乗って進まれたと伝えられ、以来亀と鯉は神のお使いとして崇められているそうです。

神使の庭の西側に「霊亀の滝 亀の井 松風苑」の看板があります。本殿と客殿をつなぐ廊下の下をくぐって進みます。

 

廊下の下をくぐった先に、神泉と書かれた「亀の井」があります。

 

酒造家は、この霊水を酒の元水として造り水に混和して用いると腐敗しないと言い、延命長寿、よみがえりの水としても有名です。茶道、書道の用水として活用したり、飲用として地元の方たちが汲みに来られたりしています。

亀の井の奥の坂を上へあがっていくと、「霊亀の滝」があります。

 

「三宮社」と「四大神社」の奥にあるのが「霊亀の滝」です。奥に鳥居が見えていますね。鳥居の更に奥に滝があります。

 

滝の手前の鳥居には「滝御前」と記されています。ご祭神は罔象女神(みずはのめかみ)で、万物生成を司る水神だそうです。

 滝の左側に天狗の横顔にように見える「天狗岩」があるそうなのですが、今回もよくわかりませんでした。

 

さて、亀の井と霊亀の滝を訪ねた後は、また先ほどの廊下の下をくぐり、拝殿の南へ向かいます。

 

拝殿の横には「樽うらない」があります。おもちゃの弓矢で樽を狙い打って運試しです。樽の真ん中には穴が開いていて鉄板が貼ってあるので、命中すると大きな音が出ます。

樽うらないの奥にある神輿庫前にはたくさんの奉納酒樽がずらり。京都はもとより全国のお酒が集まります。松尾大社を創建した秦氏は、この周辺の土地の開拓だけでなく、農業など各種産業にも従事し、その生業のひとつが「酒造り」などの醸造です。ご祭神の大山咋神(おおやまぐいのかみ)は「醸造祖神」として崇められ、平安時代以来、お酒をはじめ味噌や醤油、お酢など醸造に関わる方から篤く信仰されています。

 

樽うらないの横にある社務所では御朱印やお守り、お札やおみくじなどを授けていただけます。

お正月に売り切れだった白虎みくじが授与再開されているということで、私も引いてみると…なんと「大吉」!

先日の平安神宮でも大吉にあたる「満開」を引きましたし、我ながらすごいくじ運です。ここで運を使い果たしているかも…?

「初めは危ない谷の小川の橋を渡るような心配事があるが驚き迷うことはありません。後には何もかも平和に収まります。全て小さいことも用心してすればよろしい」とのこと。大吉だからと慢心せずに、小さいことも用心して事にあたりたいと思います。

 

松尾大社は京都でも最も古い神社の一つで、観光客もさほど多くは無く派手さはありません。しかし山吹の咲き乱れるこの時期は、境内の至るところで黄金色の花々に出会うことが出来、とりわけ華やかに彩られます。今年の山吹の時期は終わりましたが、桜が終わった4月中旬頃が見ごろとなりますので、その季節に一度訪れてみてはいかがでしょうか。

 

平野神社 ~平安時代から続く桜の博物館

京都にはたくさんの桜の名所があり、ここ平野神社も特に有名ですが、他の観光スポットと比べるとそれほど混雑していなくて、ゆっくりお花見を楽しみたい方におすすめです。

60種400本の桜が境内を埋め尽くすさまは、まさに桜の園。珍しい品種も多く「桜の博物館」とも呼ばれています。

今回は名物の桜とともに、パワースポットととしても有名な平野神社を訪れました。

 

 

 

平野神社の場所

goo.gl

 

平野神社の行き方

JR「京都駅」から

 市バス205、50系統「衣笠校前」下車 北へ徒歩3分

 

京福電鉄北野線北野白梅町駅」から

 北へ徒歩7分

 

京阪「三条駅」から

 市バス10系統「北野白梅町」下車 北へ徒歩7分

 市バス15系統「衣笠校前」下車 北へ徒歩3分

 

阪急京都線「京都河原町駅」から

 市バス205系統「衣笠校前」下車 北へ徒歩3分

 

 

今回のスタートは京福電鉄北野線北野白梅町駅」です。

 

改札を出ると正面が北野白梅町の交差点です。まず北(左)の信号を渡ります。

 

この信号を渡ります。

 

先ほどの信号を渡ったら、右手が西大路通です。西大路通の信号を東へ渡ります。

 

信号を渡ったら、西大路通を北へ向かいます。緩やかな坂道を400mほど登って行きます。

 

平野神社に到着です。

 

平野神社とは

平野神社の創建は平安京遷都頃とされています。元々は桓武天皇の生母の祖神として平城京の田村後宮に祀られていましたが、平安遷都に伴い平安京大内裏近くに移し祀られたことに始まるようです。「後宮」とは、皇后や妃の殿舎。つまり女性が住み、子どもを育てる場所です。そのため後宮に鎮座していた神様は皇太子を守護する神社となりました。また、多くの臣籍降下氏族から氏神として歴史的に崇敬された神社としても知られています。

現在の本殿は江戸時代前期の寛永年間の再建で、4殿2棟からなり、いずれも「平野造」とも称される独特の形式の造りで、重要文化財に指定されています。

本殿のご祭神は次の4柱です。

今木皇大神(いまきのすめおおかみ)源気新生、活力生成の神

九度大神(くどのおおかみ)竈の神、生活安泰の神

古開大神(ふるあきのおおかみ)邪気を振り開く平安の神

比売大神(ひめのおおかみ)生産力の神

まとめると、生まれてきた子がすくすくと成長するよう、食を中心とした生活安定や邪気祓いの神々を後宮に祀り、これからの国の活力生成や幸せを生み出すことを願ったということでしょうか。

 

平野神社の桜

桜は生命力を高める象徴として、平野神社では平安時代より植樹され、現在では約60種400本もあります。珍種の桜が多いのは、臣籍降下した氏族の氏神でもあったことから、蘇り、生産繁栄を願い、各公家伝来の家の標となる桜を奉納したからと伝えられています。平野神社を代表する早咲きで一重のしだれ桜「魁(さきがけ)」、「平野寝覚(ひらのねざめ)」、「御衣黄(ぎょいこう)」などが次々に咲き代わり、約1カ月もの間、花見を楽しむことができます。江戸時代になると庶民にも夜桜が開放され、「平野の夜桜」は都を代表する花見の名所となりました。

 

では早速平野神社へ入っていきましょう。

西大鳥居です。鳥居の向こうに、すでに桜色に染まる境内が見えてきました。

 

紅白の垂れ幕の上に枝を広げる桜の木々の美しさにはやる気持ちが抑えられません。

 

平野神社の境内は拝観無料ですが、こちらの「桜養生園」は、この時期は有料です。受付で拝観料500円を納めて入園します。

2018年の台風21号で、拝殿や平野神社の桜は数十本も倒れてしまったそうです。桜の養生費や拝殿の修理費に充てるため、以前は無料だった桜の園が、2019年以降は「桜養生園」として有料エリアになったそうです。

 

中へ入ると、そこは満開の桜と菜の花の、夢のような空間が広がっていました。写真が下手すぎて、美しさが全く伝わっていないのですが…

 

菜の花は、2018年の台風で桜の木が倒れた後に植えられたそうです。

 

南門前の桜とミツバツツジのコラボレーションです。

 

八重紅枝垂れ桜です。日本ではしだれ桜の中では関山(かんざん)と並んで最も一般的な品種です。先日の平安神宮でもたくさん見られましたね。

 

平野匂(ひらのにほひ)は平野神社に植栽されている希種(希少種)で良い匂いがするそうですが、マスクをしていて気づきませんでした…

 

桜にそっくりですが、アーモンドの花です。桜と同じく、バラ科サクラ属の落葉高木なので、本当にそっくりですよね。アーモンドと桜の大きな違いは花柄(かへい)にあります。花柄とは、枝上における花の配列状態を支える茎のことです。アーモンドは花柄が短く枝に沿うように花を咲かせています。一方、桜はさくらんぼのように、ふんわりとした長い花柄で、一つの花芽から複数の花を咲かせることが特徴です。

 


桜養生園には桜や菜の花だけでなく、色とりどりの花が咲き誇っていました。

桜養生園はどちらを向いてもこのような景色が広がっていて、回遊式の庭園になっているのですが、だんだん方向感覚がわからなくなりそうでした。時間が許せば、ずっと眺めていたい幸せな風景でした。

桜養生園をあとにして、こちらから庭園を出ます。

 

大鳥居の周囲にも満開の桜がこれでもか、と咲き誇っています。

 

参道も桜でいっぱいです。

 

出世引導稲荷周辺の桜

大鳥居を入って北(右)にあるのが出世引導稲荷です。この周りにも色々な桜がありました。

「陽光」は早咲きの桜です。花は大輪で濃いピンク色の一重咲きです。背が高い木で、スマホでは近くで撮影できませんでした。

 

「白妙」東京都足立区の荒川堤で栽培されていた桜です。

 

有明」こちらも東京都足立区荒川堤で栽培されていた桜で、芳香があるそうです。

 

手前の雪柳も見事です。

 

東神門と魁桜

東神門前の「魁(さきがけ)」はその名の通り3月中旬から下旬に咲く早咲きのしだれ桜で、「魁桜が開くと京都の花見が始まる」と言われています。

 

東神門の提灯には、平野神社の御神紋である「桜」が描かれています。

 

拝殿

拝殿です。慶安3年(1650)に東福門院後水尾天皇中宮)により建立され、これまで大きな損壊はありませんでしたが、2018年の台風21号により六本の柱が折れ倒壊してしまいました。その後令和3年9月に無事修復が完了し、またこのように美しい姿に戻りました。

 

仮殿と本殿

拝殿の奥に本殿があるのですが、檜皮屋根の吹き替え工事のため、工事に先立って本殿のご神体は仮殿遷座祭をもって仮殿に御移りされました。

 

拝殿の後ろに(写真右手の白い布がかかった所)仮殿が見えています。そしてその後ろの工事用の覆いがかかった部分が工事中の本殿と思われます。

 

御神木と「すえひろがね」

神門をくぐり前方南(左)、拝殿の左横に御神木のクスノキと霊石「すえひろがね」がある場所は、平野神社随一のパワースポットです。
御神木のクスノキは、樹齢400年を超える大木です。そしてその下にある「すえひろがね」は餅鉄(べいてつ)とも呼ばれる、強い磁力を帯びた特殊な石です。もともと東北地方にあったものを平野神社に運ばれお祀りされています。

古くから不思議な力を持った石として知られ、三種の神器の一つもこの石から作られていたという話もあります。粉にして邪気を吸取る薬としても用いられていて、神様が宿っている神秘の石「鉄尊様(てっそんさま)」と崇められていました。

 

この不思議な力を授かるために、御神木のクスノキに触れながら時計と反対回りに回った後にすえひろがねに触ると、新しい力が吸収されるそうです。

 

すえひろがねの不思議な力を常に身近に感じたい時は、『授かる守』というお守りを神社の授与所で授かることが出来ます。

自身の願うことを念じながら、『授かる守』をすえひろがねにつけると、石のパワーを授かることが出来るそうです。

 

(注意)

私もこの『すえひろがね』を授与所で授かったのですが、そのお守りを入れて渡された紙袋に入っていた注意書きかこちら↓

このお守りは磁石を使っているため、携帯の際には、その磁力の影響を受ける可能性のあるものに近づけないよう注意してください、ということでした。

このことを理解してから、お守りをお受けください。

 

 

遅咲きの桜と境内の花々

満開の桜養生園が見たくて4月初旬に平野神社を訪れたのですが、遅咲きの桜も気になるなあと思い、4月下旬に再訪しました。

4月下旬の桜園の様子です。現在は無料で拝観できます。ソメイヨシノなど主な桜はほとんど散って、青々とした新緑が美しい季節へと変わっていました。そんな中でも、さすがは桜の博物館、平野神社ではまだまだたくさんの桜を見ることが出来ました。

 

「須磨浦普賢象」花色が黄緑色に変化したもので、開花終期には花弁の基部から赤変します。

 

「関山」花色が美しいので、お祝いの席で出される桜湯にはこの花の塩漬けが用いられます。

 

「突羽根(つくばね)」平野神社境内に古くから植えられていた桜です。遅咲きの桜で、桜園のあちこちで見られました。

 

桜園を出て、出世引導稲荷へ移動します。

鬱金(うこん)」花弁が香辛料の「ウコン」に似た淡黄緑色になることからこの名が付けられました。終期には中心部がピンク色に染まります。この花も終わりかけですね。黄色い花を咲かせる唯一の桜であり、清酒「黄桜」もこの花にちなむそうです。

 

ここから東神門の南(左横)の桜です。

「松月(しょうげつ)」八重桜の中では最も優美な桜と言われています。

 

「普賢象」写真には写っていませんが、花の中央に象の鼻のような「変わり葉(雌しべが変化したもの)」があり、「普賢菩薩」が乗る白い象の鼻(または牙)になぞらえてフゲンゾウと名付けられたそうです。

 

東神門の中へ入ります。

「おけさ」東神門を入って北(右手)にある桜で、平野神社にしか無いそうです。

 

おけさ桜の足元にはツツジやアヤメが綺麗に咲いていました。これらの花は5月に咲くイメージだと思うのですが、今年の春は非常に暑いので、季節が早く進んでいるようですね。

 

 

 

今年は桜の時期が長く、たくさんの場所で桜を愛でることができ、とても幸せでした。

特に平野神社は早咲きから遅咲きまで様々な桜があり、公式サイトにも、境内の多種多様な桜が美しい写真とともに紹介されていますので、予習してからお花見するもよし、後で自分で撮った写真と見比べて復習するもよし、色々な楽しみ方が出来ます。「桜の博物館」でたくさんの桜を知り、予習復習もしっかりしたら、にわか「桜博士」になれるかも?

ソメイヨシノの時期以外にもお花見できる貴重なスポットですね。

新年度の始まる春、平野神社を参拝すれば、家庭や生活を安定させ、活力生成で運気もアップするかもしれませんね。近くには北野天満宮金閣寺もありますので、是非一緒にお訪ねください。

 

 

 

 

北野天満宮は以下のブログでもご紹介しています。↓

www.yomurashamrock.me

 

平安神宮 ~紅しだれ桜に彩られた神宿る苑

京都を代表する観光スポットの一つ平安神宮は、朱塗りの大鳥居や大極殿など京都らしい佇まいが一年を通じて人気ですが、その中でも特に有名なのが広大な敷地面積を誇る日本庭園、その名も「神苑」の紅しだれ桜です。谷崎潤一郎の『細雪』や川端康成の『古都』でもその美しさが描かれているように、花びらが幾重にも重なって咲くしだれ桜は、しとやかな美しさにあふれ人々を魅了します。今回はそんな紅しだれ桜が満開の平安神宮を訪ねました。

 

 

平安神宮の場所

goo.gl

 

平安神宮の行き方

JR「京都駅」より 約30分

  市バス5系統、洛バス100号、110系統で「岡崎公園 美術館・平安神宮前」下車

  北へ徒歩5分

阪急「京都河原町駅」より 約20分

  市バス5、46、32系統で「岡崎公園 美術館・平安神宮前」

  「岡崎公園 ロームシアター京都・みやこめっせ前」下車 

  北へ徒歩5分

祇園・清水方面より 清水道より約25分

  市バス201、203、206系統「東山二条・岡崎公園口」下車

   東へ徒歩5分

  洛バス100号系統「岡崎公園 美術館・平安神宮前」下車

   北へ徒歩5分

平安神宮の最寄り駅

  地下鉄東西線東山駅」下車 1番出口より徒歩10分

  京阪鴨東線三条駅」「神宮丸太町駅」下車 徒歩15分

 

平安神宮への詳しい行き方や情報は下記ブログをご参照ください。↓

www.yomurashamrock.me

 

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今回のスタートは、岡崎公園南側の仁王門通です。地下鉄東西線東山駅から北へ徒歩5分ほどです。

琵琶湖疎水の向こうに朱塗りの大鳥居が見えて来ました。この大鳥居は昭和13年(1928)に、昭和天皇の大礼を記念して建てられました。高さ24m、幅18mにもなり、建設当時としては国内最大級の鳥居だったと言われています。神宮周辺の岡崎地区のランドマークとして、なくてはならない存在です。

 

仁王門通と神宮道の交差点の先の橋から見た琵琶湖疎水です。タイミングが合えば、岡崎十石船が通ります。(2022年は3月19日~4月10日までの運行でした)今回は残念ながら出会えませんでした。

 

神宮道を北へ向かいます。

ロームシアター京都の西に隣接する岡崎公園の紅しだれ桜です。他にも桜の木はたくさんあるのですが、この一本だけ広場の端にポツンと、しかし堂々たる姿で立っていました。

更に北へ向かいます。

平安神宮の応天門(重要文化財)です。

 

平安神宮とは

平安神宮明治28年(1895)、平安遷都1100年を記念して創建されました。第50代天皇桓武天皇を御祭神に迎え、幕末の戦乱で荒廃した京都の再建を願った京都の人々により建てられたのが由来です。京都では数百年の歴史のある神社仏閣が多い中で、平安神宮は比較的新しい神社であることは、京都人でも意外と知らない人が多いです。

794年に平安遷都を行った桓武天皇は、律令を正し、難民の救済や学問の奨励も進めるとともに、広く海外とも交易し大いに我が国の発展に努めました。

昭和15年(1940)には明治維新の基を築いた大121代天皇孝明天皇もご祭神として鎮座しています。

平安神宮の社殿は、桓武天皇が開かれた当時の平安京の正庁、朝堂院が約8分の5の規模で再現されています。大極殿(だいごくでん・外拝殿)・応天門(おうてんもん・神門)・蒼龍楼(そうりゅうろう)・白虎楼(びゃっころう)・歩廊・龍尾壇(りゅうびだん)などは明治28年(西暦1895年)の創建当時に造営されたものです。
 その後昭和15年(西暦1940年)孝明天皇ご鎮座にあたり、本殿・祝詞殿・神楽殿(かぐらでん・儀式殿)などが増改築され、これまでの社殿も大修理が行われました。また、昭和50年からは主要な建物の屋根葺替が行われ、この間51年に社殿の一部が災禍に会いましたが、54年にはその復興もあわせて完成し現在のような壮麗な社頭が整いました。

 

さっそく中へ入って行きましょう。

正面に見えるのが、大極殿重要文化財)です。平安京大内裏の正庁で、即位、朝賀をはじめ国の主要な儀式が行われる中枢です。大極とは、宇宙の本体・万物生成の根源を示す言葉で、天皇の坐す御殿を意味します。

境内の拝観は無料ですが、神苑はこちらで入苑料600円を納めて拝観します。

受付左手の入口から神苑へ入っていきます。

 

神苑

神苑に入ると、まず目に飛び込んでくる満開の紅しだれ桜群に、拝観者はみな「わあ~」と声を上げて写真を撮ったり、じっと見入ったりされていました。

 

こちらの八重紅しだれ桜は、平安神宮が創建された明治28年仙台市長遠藤唐治により寄贈されたものです。そのもとは五摂家筆頭の近衛家に伝来した「糸桜」(先日京都御苑の桜のブログでもご紹介しましたね)を津軽藩主が持ち帰り育て、それが再び京都に帰ったことから「里帰り桜」とも言われています。

平安神宮神苑は明治時代の代表的な日本庭園として広く内外に知られており、社殿を取り囲むように東・中・西・南の四つの庭からなっています。
総面積約33,000㎡(約10,000坪)の広大な池泉回遊式庭園で、明治の有名な造園家7代目小川治兵衛らの手になるものです。平安京千年の造園技法の粋を結集した庭園として、昭和50年12月に国の名勝に指定されています。

 

神苑は明治28年の平安神宮創建以来、しだれ桜の名所として親しまれてきました。

昭和44年の孝明天皇100年祭の時に、平安時代の特色である野筋(道筋)と遣水が設けられました。また、昭和56年には、平安時代の代表的文学書(竹取物語伊勢物語古今和歌集枕草子源氏物語)に登場する草木、約180種類を植栽して、王朝文化をしのばせる庭「平安の苑(その)」としました。

 

春の南神苑の主役は紅しだれ桜。苑内のどちらからでもしだれ桜を楽しむことが出来ます。

苑内の随所に上記のように平安時代の代表的文学書(竹取物語伊勢物語古今和歌集枕草子源氏物語)に登場する草木、約180種類を植栽して、その植物が登場する文学の箇所が添えられています。

 

神苑の奥の方には東屋があり、その後ろには小さな池もあり、水面に映り込んだ桜と木々の緑が鮮やかでした。

 

白い大島桜と紅しだれ桜の競演も見事です。

 

神苑を後にして、西神苑へと向かいます。

 

西神苑

西神苑平安神宮が創建された明治28年に中神苑とともに造られました。

白虎池を中心にした庭は池の西側に出島、北側には神苑唯一の滝があります。

初夏を彩る池畔の花菖蒲は特に有名で約200種類、約2000株植わっているそうです。

6月頃に西神苑などを訪れた時のブログです↓

www.yomurashamrock.me

 

今回は花菖蒲の季節では無かったのですが、こちらでもしだれ桜が随所で楽しめました。

 

西神苑を後にして、中神苑へ向かいます。

 

中・東神苑へ向かう小道は静かな林になっています。

 

神苑

こちらが中神苑です。桜は少なめでした。中神苑は西神苑と同じく、平安神宮創建時に作庭されたもので、庭の中央に蒼龍池があります。

 

神苑と東神苑の間をつなぐ水辺には、川底に玉石が敷き込まれており、せせらぎの音が爽やかです。

神苑

最後の庭園は東神苑です。

こちらは東山を借景とし、明治末期から大正初期にかけて造られました。

京都御所から移築された泰平閣(橋殿;はしどの)、並びに尚美館(貴賓館)があります。

紅しだれ桜の向こう側、左奥に見える屋根つきの橋殿が泰平閣で、右手前に見える建物が尚美館です。

 

栖鳳池には、鶴島、亀島の二島を配し、その周囲には八重紅枝垂れ桜をはじめ、さつき・つばきなど多様な花木が植えられ水面に映る花々は格別の風情を醸しています。

 

尚美館と紅しだれ桜です。

神苑をぐるりと一周しました。

 

桜(はな)みくじ

神苑側の神苑出口から出ると、期間限定の桜記念品売り場があり、その中でもちょっと珍しいのが平安神宮名物「桜(はな)みくじ」です。大吉、吉、中吉…と吉凶を占う通常のおみくじと違い、桜みくじは「つぼみ」「つぼみふくらむ」「咲き初む」「三分咲き」「五分咲き」「八分咲き」「満開」と記されています。吉凶はつぼみが凶に満開が大吉に相当するそうですが、凶と記されているより「つぼみ」の方が、この先まだまだ満開に向けて希望がふくらみ元気が出てきそうですね。

私も運試しに桜みくじを引いてみると…なんと「満開」でした!

「禍(わざわい)転じて福となす」わざわいを わざわいとして甘んじて受けず、これを巧みに利用して、かえって幸福になること。善しも悪しも紙一重。努力すれば叶う

とのことでした。

コロナ禍で友人とのお出かけが減り、運動不足解消とストレス解消にと始めたお散歩。訪れた先々のことを知るうちに、京都のすばらしさをお伝えしようとブログを始めて早や一年が経ち、拙い文章ではありますが、少しづつ読んでくださる方も増えました。今年の春は本当にたくさんの京都の桜をご紹介できたことも、まさに「禍転じて福となす」だったなあ、と感慨深いものがあります。

 

そんな感慨を胸に、さらなる精進を誓い、神楽殿の前の結び木に桜みくじを結びました。

たくさんの方の思いをこめた結び木は、まるで満開の桜のように華やかでした。

 

私が訪れたのは4月初旬でしたので、平安神宮の紅しだれ桜もすでに見ごろを終えていると思います。それでも、平安神宮神苑は四季折々に自然が堪能できる贅沢なスポットですので、機会があれば是非、訪れてみてください。

 

円山公園 ~桜守が心をつなぐ祇園しだれ桜

京都のメインストリートの一つ、四条通の東の端に位置する八坂神社を通り抜けた先にあるのが、京都市民憩いの円山公園です。この円山公園の園内中央には、通称「祇園の夜桜」と呼ばれる有名な桜があります。今回は蔓延防止措置が解除され、三年ぶりに賑わう円山公園祇園しだれ桜を見に訪ねました。

 

 

円山公園の場所

goo.gl

 

円山公園の行き方

 電車で

  京阪電鉄祇園四条駅」から徒歩約10分

  阪急電鉄「京都河原町駅」から徒歩約14分

  地下鉄東西線東山駅」から徒歩約15分

バスで

  京都駅から市バス100,206系統で「祇園」下車

 

円山公園への行き方は以下のブログをご参照ください。↓

円山公園は八坂神社に隣接していますので、是非八坂神社も訪ねてみてください。

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今回のスタートは八坂神社です。

四条通の突き当り、信号の先におなじみの八坂神社の西楼門が見えます。四条通から来られる人が多いので、この門が一番有名ですが、実はこちらは正門ではなく、正門は南楼門だそうです。ちなみに京都人(大阪でも聞きますが)は突き当りのことを「どんつき」と呼びます。四条通のどんつきが八坂神社ですね。

 

さっそく入って行きましょう。この日は4月上旬の平日ですが、すでに京都市の桜は見ごろを迎えており、八坂神社を始め祇園界隈も観光客でごった返していました。

 

八坂神社とは

明治維新までは祇園社または感心院と称されました。創祀は諸説ありますが、社伝では斉明天皇2年(656)と伝えられ平安遷都がなされた延暦13(794)以前よりこの地に祀られたとされています。また、貞観11年(869)全国的な疫病流行の際、当社の神にお祈りして始まったのが祇園祭です

 

西楼門を入ってすぐ右手です。たくさんの屋台が軒を並べていました。

 

立ち並ぶ屋台の間を通り抜けると、正面が舞殿(ぶでん)です。祇園祭の際に三基の神輿が奉安されるほか、結婚式や各種奉納行事(舞妓による舞踊等)が行われます。

舞殿の北(左手)が本殿です。

 

本殿です。令和2年(2020)12月に国宝に指定されました。

現在の本殿は承和3年(1654)に徳川四代将軍の家綱が再建したものです。一般の神社では別棟とする本殿と拝殿を一つの入母屋屋根で覆った独特の建築様式を取り「祇園造」と言われています。

 

本殿・舞殿の南側(右手)には入母屋造の立派な南楼門がそびえています。

南楼門の建立は明治12年で、国の重要文化財に指定されています。四条通に面した西楼門のほうが有名ですが、南楼門が八坂神社の表参道・正門です。祇園祭の神輿や結婚式の際は必ずこちらの門より出発します。
 

南楼門の北側の道を東へ進むと、写真奥にの朱塗りの鳥居が見えてきました。
 

この鳥居の向こうが円山公園です。
 

円山公園とは

円山公園明治維新までは八坂神社(当時は祇園感神院)や慈円山安養寺、長楽寺、双林寺の境内の一部でした。明治初年の廃仏毀釈の一環として、明治4年(1871)に上知令によって土地が没収され、明治19年(1886)に総面積約9万平方メートルの公園が設けられました。明治20年(1887)には京都市へ移管され京都市初の都市公園となりました。大正元年(1912)に小川治兵衛により池泉回遊式の日本庭園が作庭され、現在の姿になりました。国の名勝にも指定されており、四季折々に美しい自然が楽しめる都会の癒しスポットになっています。

 

参道の露店や満開の桜の下の茶店も、蔓延防止措置が解除されたことを受けて今年は営業を再開していました。一方で敷物を敷いての宴会は感染防止対策から禁止されており、ゴザの貸し出しも行われていませんでした。皆さんご家族や少人数のグループで、静かに花見を楽しんでおられました。

 

結婚式の前撮りでしょうか。花嫁衣裳に満開の桜がまさに華を添えていました。

 

更に奥へ進み、園内中央の小高い丘のようになっている所に、お待ちかねの祇園しだれ桜があります。

 

祇園しだれ桜

周囲を柵で囲われた小高い場所にそびえ立つ、大きなしだれ桜です。

正式名称は「一重白彼岸枝垂桜(ひとえしろひがんしだれざくら)」で、現在の木は2代目となります。初代のしだれ桜は、根回り4m、樹高12mで国の天然記念物に指定されていましたが、昭和22年(1947)に樹齢200年あまりで枯死したそうです。

これに先立つ昭和3年に、15代佐野藤右衛門氏が初代のしだれ桜から種子を採取し、畑で育成したものを、同氏の寄贈により、昭和24年に現地に植栽したもので、こちらもすでに樹齢90年を超え、根回り2.8m、樹高12m、枝張り10mの大木に成長しています。

大きく伸ばした枝を薄紅色の花が彩り、見る者の心を圧倒する佇まいです。

 

写真:円山公園公式サイトより

夜にはライトアップされ、咲き誇る花が夜空を背景に浮かびあがり、艶やかで荘厳な光景となります。

 

祇園しだれ桜と桜守

桜の木の健康を見守り、貴重な桜の子孫を残すため尽力する人のことを「桜守」と呼びます。その代表が、京都の庭師、佐野藤右衛門氏です。佐野藤右衛門とは、江戸時代、仁和寺の植木職人に始まる庭師の号です。大正時代、京都府立植物園の造園に携わったことをきっかけに、14代佐野藤右衛門氏が桜の研究を始め、15代がその研究を継ぎ、成果を図譜として記録したり、円山公園のしだれ桜を育てるなど貴重な桜の保存育成に尽力されました。

そして当代16代佐野藤右衛門氏は、90歳を過ぎてなお、桜のため全国のみならず世界で活躍。パリ、ユネスコ本部の日本庭園をイサム・ノグチに強力して造園し、平成9年(1997)ユネスコからピカソ・メダルを授与され、平成11年(1999)には勲五等双光旭日章を受章、平成17年(2005)には京都迎賓館の庭園を棟梁として造成もされています。

日本中にあるソメイヨシノは成長が早く花がたくさんつき、接ぎ木がしやすいという理由で、人工的に増やしたものだそうです。日本古来のヤマザクラは、もともと自分が育ちやすい所に根を下ろすので放っておいても育ちます。一方植樹したソメイヨシノは種が無い桜を人工的に増やしたクローンなので、自力では跡継ぎも残せず、人間が関わらないと生きていけない。そういう桜で並木を造り、名所を作っているのが今の日本なのだそうです。とは言え、人間の都合で植えたのだから最後まで面倒を見てやらなければいけない、と16代佐野氏は言います。

そんな佐野藤右衛門氏の京都市右京区の自宅には、全国から集めた約200種の桜が植えられています。円山公園祇園しだれ桜も、元は15代が初代しだれ桜から種をもらって自宅の庭で育て、自分の息子の誕生記念に植えたうちの一本を植樹したものだそうです。16代佐野氏は「自分の楽しみのために植えるのではなく、次の世代が楽しめるようにサクラを植える」と著書の中で述べられています。祖父や父がしてきたように、百年後、二百年後を見据えてサクラを育てて次の世代へ引き継いでいくことで、また新たな桜の物語が未来へとつながっていくのですね。そのような物語を知った上で、この祗園しだれ桜を見上げると、美しさも更に増して見える気がしました。

 

円山公園は、京都の繁華街のすぐそばにありながら、奥に進んでいくと渓谷のような景色が広がり、季節の移ろいを感じさせる美しい景色を楽しめます。日本庭園の奥には坂道があり、道沿いに流れる小川は静かな水音を感じられる癒しのスポットです。

 

 

坂本龍馬中岡慎太郎の像

幕末の志士「坂本龍馬中岡慎太郎の像」です。坂道を登った先、料亭「いそべ」の手前です。左が坂本龍馬、右が中岡慎太郎です。台座を含め6m超の立派な像ですが、実はこの銅像は二代目だそうです。初代は昭和11年(1936)に建立されましたが、第二次大戦中に金属供出のため取り壊されました。この像は昭和37年(1962)京都高知県人会有志によって再建されたものです。

2人はともに土佐出身でしたが、脱藩し幕末に活躍します。竜馬は海援隊、慎太郎は陸援隊を結成。薩長同盟大政奉還の立役者、そしてともに近江屋で暗殺されます。

この付近一帯は幕末の志士達の活躍した場所でしたので、若くして世を去った二人の像を眺めながら、その時代に思いを馳せてみるのも良いかもしれませんね。

 

 

京都有数のお花見スポット円山公園は、平安時代から京都の町と人々を守ってきた八坂神社に隣接し、京都の自然の美しさと歴史の奥深さを感じられる絶好のお散歩コースです。周辺には清水寺高台寺知恩院建仁寺など名だたる観光スポットも徒歩圏内にありますので、併せて訪ねてみてください。

 

 

天龍寺「百花苑」と亀山公園 ~百花繚乱の嵐山

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京都、嵐山のランドマーク的存在、天龍寺。言わずと知れた世界遺産で、境内の美しさも折り紙つきです。修学旅行で訪れた方も多いと思います。桜を始め様々な花が咲き乱れる、境内の「百花苑」が、まさに見ごろとなっていました。今回は、天龍寺のすぐ裏にあたる亀山公園やその展望台からの絶景も一緒にご紹介します。

 

 

天龍寺の場所

goo.gl

 

天龍寺の行き方

電車で

 ・京福電気鉄道嵐山線 

   「嵐山」駅下車

 ・JR嵯峨野線 

   「嵯峨嵐山」駅下車徒歩13分

 ・阪急電車 

   「嵐山」駅下車徒歩15分

 

バスで

 ・市バス 11.28,93番で

   「嵐山天龍寺前」下車前

 ・京都バス 61,72,83番で

   「京福嵐山駅前」下車前

 

天龍寺は以下のブログでもご紹介しています。最寄りの駅からの行き方もこちらをご参照ください。↓

www.yomurashamrock.me

 

今回のスタートは、庭園受付です。

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こちらで拝観料を納め、庭園へ入ります。

 

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受付横の看板には庭園内の枝垂れ桜が満開、そのほか沢山の花が開花中と書かれていて、期待が高まります。

 

天龍寺とは

臨済宗天龍寺派大本山で、足利尊氏後醍醐天皇の菩提を弔うため、暦応2年(1339)、夢窓疎石を開山として創建されました。室町時代には京都五山の第一位を占めた格式高い寺院です。創建以来は八度にわたる大火により堂宇が焼失し、創建当時の壮大な面影はとどめていないそうです。現在の諸堂は明治になって再建されたものです。方丈には藤原時代の釈迦如来像を本尊として安置し、多宝殿は吉野朝の紫宸殿を模して建てられました。当時の原型を残す曹源池庭園は亀山や嵐山を借景にして池泉回遊式で、夢窓礎石の作庭を言われています。

日本で最初に史跡・特別名勝に指定され、平成6年(1994)に「古都京都の文化財」として、「正解文化遺産に登録されました。

平成9年(1997)に加山又造画伯によって法堂の天井に「雲龍図」が描かれました。

 

方丈

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庭園受付から入ってすぐが方丈です。

方丈とは禅宗様式柄の一つで、住職の居室です。方丈のご本尊は釈迦如来坐像I(重要文化財)です。平安時代後期の作とされ、天龍寺が受けた八度の火災のいずれにも罹災せず助けられた仏像で、天龍寺に祀られる仏像の中で最も古いものとなります。

方丈の東は中門に対し、西は曹源池に面しています。東側が正面で曹源池側が裏となります。

方丈の東面を通り過ぎ、方丈の裏手(西面)に回ると曹源池庭園に出ます。

 

曹源池庭園

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曹源池庭園は、約700年前の夢窓疎石作庭当時の面影をとどめており、わが国最初の史跡・特別名勝に指定されました。中央の曹源池を巡る池泉回遊式庭園です。

方丈からみた曹源池中央正面には2枚の巨岩を立て龍門の滝とします。龍門の滝とは中国の登龍門の故事になぞらえたもので、鯉魚石を配するが、通常の鯉魚石が滝の下に置かれているのに対し、この石は滝の流れの横に置かれており、龍と化す途中の姿を現す珍しい姿をしていると言われています。曹源池の名称は夢窓疎石が池の泥をあげたとき池中から「曹源一滴」と記した石碑が現れたところから名付けられたそうです。

嵐山や庭園西に位置する亀山を取り込んだ借景式庭園で、まさに周囲の自然と一体化した壮麗な美しさです。

曹源池から更に北へ、百花苑の方へ向かいます。

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石段を登り、その向こうに広がっているのが…

 

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見事な枝垂れ桜の巨木たちです。

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この日は曇り時々雨模様だったのが残念でしたが、それでもこの枝垂れ桜の迫力は曇り空にも負けないものでした。

 

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先ほどの枝垂れ桜群の奥の小道から丘の上へ向かいます。

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満開のミツバツツジです。

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白とピンクが可愛らしいボケ。

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こちらは濃い赤色のボケ。

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石段を登り切ったところです。

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丘の上から見下ろすと枝垂れ桜群が見えます。こちらは「望京の丘」と呼ばれているそうです。

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丘の上に立つ、更に大きな枝垂れ桜です。樹齢はわかりませんが百年は越えていそうな巨木です。どれだけ長い間、天龍寺や嵐山の歴史を見守ってきたのでしょうか。曇り空にゆらゆらと揺れる姿には美しさへの感動とともに畏怖の念が湧きました。

天龍寺の主のような枝垂れ桜を後にして、反対側の石段を下っていきます。

 

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ミツマタも満開です。

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「平和観音と愛の泉」という池があり、池にはカエルが三匹。この「カエル三尊」は、平和観音を守護しているそうで、このカエル像の前のお皿にお金を投げて見事に入ると倍になって返ってくると言われています。

 

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「平和観音像と愛の泉」や枝垂れ桜を見入っていた、着物姿の女性グループが華を添えていました。

 

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愛の泉の右横の小道から「百花苑」へ入っていきます。

 

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シャクナゲツツジの仲間で、花が密集して咲くので華やかですね。

 

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こちらはヨシノツツジショッキングピンクが鮮やかです。

 

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雪が降り積もったかのように枝垂れた枝一面に白い花を咲かせるユキヤナギ

 

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サンシュユは、早春、葉がつく前に木一面に黄色の花をつけることから「ハル͡コガネバナ」(春黄金花)という可愛い日本名があるそうです。

 

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アセビは葉や茎に含まれる有毒成分によって「足がしびれる」ことが変化してこの名がついたとも、アセビの葉を食べた馬が酔っ払ったようにふらふらしてしまったことから「馬酔木」と名付けられたとも言われています。可愛らしい花に似合わない怖い名前ですね。

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ヒカゲツツジは黄緑色の独特の雰囲気があります。日陰では蛍光色のようにも見えるそうで、自生地では水辺の景色を照らすことから「サワテラシ」とも呼ばれています。

 

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トキワガマズミです。小さなラッパ型の花が、直系7センチほどの半球状に集まって咲く姿が清楚で可愛らしいです。

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その名の通り百花繚乱の百花苑でした。

 

道中を撮り忘れましたが、百花苑を北の端まで進むと、天龍寺の北門に出ます。

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そちらから西へ曲がると竹林の美しい小径へ出て、突き当りの大河内山荘の横の道を南へ下がると、亀山公園へ出ます。

 

亀山公園の場所

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地元の人は「亀山公園」と呼びますが、「嵐山公園 亀山地区」が正式名称なのだそうです。ちなみに、渡月橋の南側に東西に広がっている公園を地元の人は「中之島公園

と呼びますが、こちらは「嵐山公園 中之島地区」が正式名称です。

 

地図:京都府公式サイトより

 

亀山公園(嵐山公園亀山地区)とは

京都市の西北に連なる愛宕山脈。その間を縫うように流れる桂川丹波山地に源を発し、亀岡の保津峡付近は保津川、嵐山付近からは大堰川、その下流は「桂川」と呼ばれています。嵐山公園保津川渓谷が平野に達したあたり、大堰川の川岸の広い範囲に位置し、亀山、中之島臨川寺の三地区からなっています。

亀山地区は、渡月橋の北端から大堰川沿いに西へ500m程進んだ先、小倉山の南東部を占める丘陵地で、アカマツを主木にサクラ、カエデを交え、木下にはヤマツツジなどが群生するなど、美しい自然が印象的です。その中に園路がめぐり、広場や休憩所、展望台、児童広場があります。西側は保津峡を見渡せる抜群の眺望地、東側は後嵯峨天皇以下三天皇火葬塚となっています。

 

亀山公園への詳しい行き方などは以下でもご紹介しています↓

www.yomurashamrock.me

 

 

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大河内山荘側から亀山公園に入った辺りです。

たくさんの桜の木が出迎えてくれます。

 

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こちらから丘の上へあがって展望台を目指します。

 

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桜並木を登って行きます。

 

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亀山公園でもミツバツツジが満開でした。

 

竹林側の入口から、なだらかな坂道を登ること10分ほど、あ~しんど、と思った頃に展望台に到着です。

その展望台からの眺めがこちら

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保津川の深い碧と山の若葉、そして桜の淡いピンク色が織りなすハーモニーは正に絶景です。

亀山公園の展望台は三か所あり、それぞれに角度の違う絶景が楽しめます。

 

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展望台のベンチで休んでいると、ちょうど保津川下りの屋形船が通りかかりました。

タイミングが合えば、川のこちら側にある線路をトロッコ列車が通ります。

川向うに見えている建物群は星のや京都です。渡月橋の南端から専用の渡し舟でホテルへ行くことが出来るそうです。星のや京都の背後の山の中腹には断崖の絶景寺院「大悲閣千光寺」が見えています。ちょうどウグイスの鳴き声(ただし絶賛自主練中のちょっと覚束ない鳴き声でしたが)も聞こえてきました。

 

私が訪れたのは4月初旬の土曜日、コロナ禍とは言え蔓延防止措置も解除された春休み中だったので、天龍寺の前のお土産物屋や飲食店の立ち並ぶ長辻通中之島公園付近は観光客でごった返していました。この亀山公園はそんな喧噪が嘘のような静かな絶景を楽しむことが出来ます。

 

最後に定番の渡月橋と桜のコラボレーションをどうぞ

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ちなみに渡月橋の北東のこの辺りが嵐山公園臨川寺地区になります。

嵐山を背景にした、桜と渡月橋の風景は、テレビなどでもよく紹介されますね。

やはりこちらからの眺めも絶景です。

 

今回は、枝垂れ桜と春の花々の競演が美しい天龍寺と、あまり知られていない絶景スポット亀山公園をご紹介しました。ショッピングやグルメももちろん楽しいものですが、嵐山へお越しの折には、このような四季折々の自然の美も是非お見逃しなく!

 

天龍寺についてはこちらのブログでもご紹介しています↓

 

www.yomurashamrock.me