京都おすすめ散歩道

定番から穴場まで京都のお散歩コースを地元民の視点からご紹介

秋の京都御所周辺 おすすめ紅葉スポット ①京都御苑

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11月も下旬となり、京都の紅葉も見ごろを迎えました。この時期、京都の紅葉の名所は観光客であふれますが、京都のど真ん中なのに、意外と人が少なくて紅葉を満喫できるお得なスポットがあります。それが京都御所とその周辺です。京都人は京都御所のことを親しみをこめて単に「ごしょ」と呼びます。都会の中の一大紅葉穴場スポットをご紹介します。

 

 

京都御苑の場所

goo.gl

 

京都御苑の行き方

電車で

 京都市営地下鉄烏丸線

   「丸太町駅」から徒歩3分

   「今出川駅」から徒歩3分

 京阪電車

   「神宮丸太町駅」から徒歩15分

   「出町柳駅」から徒歩20分

 

今回のスタートは地下鉄丸太町駅です。

 

丸太町駅から京都御苑の行き方は以下のブログをご参照ください。京都御苑を通って、次の目的地、梨木神社までのルートもご紹介しています。

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ブログのタイトルに京都御所と書きながら、ご紹介しているスポットは京都御苑とはどういうこと?と疑問に思いますよね(笑)

京都御所」と「京都御苑」ってどう違うの?と疑問に思い調べてみました。上記のブログでもご紹介しているのですが、以下に再掲します。

 

京都御所京都御苑の違い

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「御所」というのはこの看板の向こうにある広い公園のずっと奥の、築地塀内の旧皇居、つまりかつて天皇家が居住した場所です。そしてその外側、つまりそれ以外の公園部分を「御苑」と呼んで区別しているのです。

余談ですが、御所の所轄は宮内庁、御苑の所轄は環境省京都迎賓館の所轄は内閣府なんだそうです。

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今回は京都御苑間之町口から入って行きます。

 

京都御苑に入ってすぐ左手にあるのが閑院宮邸跡です。

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入館無料ということだったので、早速入ってみました。

 

閑院宮邸跡とは

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閑院宮家は、伏見宮家・有栖川宮家・桂宮家と並ぶ江戸時代の四親王家のひとつで、現在の皇統につらなるのが閑院宮す。東山天皇の第6皇子、直仁親王を始祖として1710年に創立されました。創建当初の建物は天明の大火(1788年)で焼失しており、現在の建物との関係など詳しいことはわかっていないそうです。

閑院宮家が東京に移る明治10年まで邸宅として使用されていましたが、のちに華族会館、裁判所となり、明治16年旧宮内庁京都支庁が設置された際に、現在の建物となりました。

敷地は約11,400㎡あり、築地塀に囲まれています。

中庭を囲む木造平屋立ての4つの棟で構成されており、展示室のある南棟は格式ある外観の書院造です。

庭園では、四季折々の花々を楽しむことができ、池にはアオサギをはじめ、京都の中心部ではなかなか見ることができない野鳥も訪れることがあるそうです。

更に収納展示館では、京都御苑の自然と歴史について学ぶことも出来ます。

 

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築地塀に囲まれた立派な門構えです。

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京都御苑に一歩足を踏み入れると、京都の幹線道路の一つ丸太町通を塀一つ隔てただけとは思えない、都会の喧騒とは全く別の清澄な空気が流れています。それは自然の姿を最大限残しつつ丁寧に手入れされた深い森がつくる空気感と言えます。そして、そこからさらにこの閑院宮邸跡に入ると、簡素ながらも宮家特有の高い品格からくる高貴な美しさに満ちています。

この美しさに感嘆している私の前を、近所の保育園の子供たちがにぎやかに散歩していました。京都御苑では、いつも近所の方が散歩したり、近隣の大学などの学生が休憩したりと思い思いにこの自然を満喫しています。私も京都市民ですが、フラっと歩いて訪れるには遠い場所に住んでいるので、近所の方を羨ましく思いました。

 

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広々とした庭園は江戸時代中期の作庭とされる池泉回遊式庭園です。京都御所・京都仙洞御所など皇室の庭園でも見られる州浜を有するこちらの庭園は、かつてはもっと大きな池泉だったそうです。江戸時代の州浜の遺構は地中に残しつつ、その上に同じ形で復元されたのが、今日眺められる州浜です。

 

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先ほどの池の向こうの木々もそうですが、京都御苑の中の木は、とにかく背の高いものが多いです。それだけ長い歴史があるということですね。

 

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先ほどの庭園の奥にはもう一つ小規模ながら優雅な庭園もあります。

明治時代~大正時代に作庭されたこの池泉回遊式庭園の水は、琵琶湖疎水から京都の市街地まで引かれた水路から伸びているそうです。こぢんまりしつつ、きれいな水の流れが楽しめます。

 

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庭園の前には宮内庁長官舎跡があります。官舎の客室などから庭園が眺められるような配置になっていたそうです。

 

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京都御所京都御苑の歴史を紹介した収蔵展示室です。宮家の邸宅のわりには、非常に簡素な造りに思えますが、やはりとても上品な感じです。

 

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京都御所の自然や歴史、宮廷文化の紹介などの展示がありました。

平安時代から明治時代に至るまで千年以上にわたり天皇がお住まいになり、政事を行ってきた京都御所。江戸時代末期には京都御所を囲むように公家屋敷街が形づくられていましたが、明治維新を迎え京都から東京へと都が移りました。

それに伴って天皇と公家たちも東京へ移り住み、御所と公家屋敷街は一時期荒れ果てていましたが、明治天皇のお考えもあり、大内保存事業が開始されました。公家屋敷街一体は建物を取り払って樹木などを植えて公園化し、新たに「京都御苑」として生まれ変わりました。

 

京都御苑内の秋の見どころ

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f:id:yomurashamroch:20211127234812j:plainまさに見ごろのカエデの紅葉です。一本の木のこの見事な枝の広がり!これも京都御苑ならではですね。

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閑院宮邸跡からもう少し北へ向かうと出水の小川があります。水とふれあえるように井戸水を引いて造られた100mほどのものです。夏には水遊びをする子どもたちの人気スポットになるそうです。多くの品種の桜が植えられており、秋は写真のように紅葉していますが、春は京都御苑の桜の見どころのひとつとなっています。

 

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桜と言えば、出水の小川の東側の「十月桜(ジュウガツザクラ)」が見ごろでした。10月頃から開花し、春まで花を咲かせるのだそうです。

 

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閑院宮邸跡の北側に少しだけイチョウ並木がありました。

 

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これは本当に見上げると首が痛くなるほどの巨樹でした。「凝華洞跡のイチョウ」と呼ばれ、京都市の区民誇りの木にも選ばれているそうです。幹周5.28m、樹高23m。

少しだけ小高くなった丘の上にあるので、よく目立ちます。

でも後で調べてみたら、これでも京都御所の巨木ベスト10のうちの4位だそうです。まだあと3本もこのイチョウより大きい木があるとは…

 

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凝華洞跡のイチョウの前を東へ横切り玉砂利の道を北へ進むと北西(左斜め前)に京都御所築地塀が見えます。写真を撮り忘れましたが、京都御所の東南にあるのが京都仙洞御所です。こちらの庭園も見事だそうですが、今回は時間の都合でパスしました。

 

京都御所が見えたら、東(右)へ曲がります。

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右に見えているのが京都仙洞御所の築地塀です。こちらのカエデの木も非常に背が高いですね。写真奥に見えている清和院門を目指して、このまま東へ向かいます。

 

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京都仙洞御所の北側の木々です。人との対比で木の背の高さが良くわかりますね。

何度も言いますが、本当に巨樹がたくさんあります。広々とした敷地内で、長い年月をかけて大事に手入れされここまで大きくなった木々が、京都御所の歴史を物言わず見守って来たのでしょうね。

 

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今回のお散歩のゴール、清和院門です。こちらを出ると次の目的地、梨木神社はすぐそこです。

 

京都御苑の公式サイトに「千年の歴史と四季折々の豊かな自然に囲まれた京のセントラルパークへようこそ」と書かれていました。

まさに京都の町のオアシスとも呼べる京都御苑は、秋だけでなく一年中豊かな自然を満喫でき、いつも清澄な空気に心と体を癒せる絶交の穴場スポットです。

ぜひ次回以降ご紹介する周辺スポットと合わせて足をお運びください。

 

 

 

京都御所周辺には他にもおすすめスポットがたくさんあります。

 

秋には萩の花が咲き乱れる梨木神社↓

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寺町通を挟んで、梨木神社の東向かいには紫式部ゆかりの蘆山寺が↓

yomurashamroch.hatenablog.com

 

京都御所の南側、寺町通り沿いの小さなお寺、革堂行願寺

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京都御苑の北側には、京都五山第二位を誇る大寺院相国寺が↓

yomurashamroch.hatenablog.com

 

 

 

相国寺内にある承天閣美術館伊藤若冲をはじめ、相国寺塔頭寺院が所蔵する数々の美術品や文化財が多数展示されています。↓

yomurashamroch.hatenablog.com

 

 

相国寺の山内塔頭や神社などもおすすめです。↓

yomurashamroch.hatenablog.com

 

秋の嵯峨嵐山 おすすめ紅葉スポット ④二尊院

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京都でも有数の観光地、嵯峨嵐山。緊急事態宣言も解除され、観光客も戻ってきました。

11月に入り渡月橋周辺の木々や嵐山も色鮮やかに色づき始めました。JR、阪急、京福の各駅からの交通アクセスも便利で、有名な神社仏閣などの絶景スポットも多数集まっています。そんな嵯峨嵐山でも特におすすめの紅葉スポットを数回にわたりご紹介します。

今回は、藤原定家小倉百人一首を選定した山荘があったと言われる小倉山の東麓にある紅葉の美しい名刹 二尊院をご紹介します。

 

 

二尊院の場所

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二尊院の行き方

バスで

 京都市バス、京都バス 「嵯峨釈迦堂前」下車 徒歩約10分

 

電車で

 京福電気鉄道嵐山本線「嵐山駅」下車 徒歩約15分

 JR嵯峨野線 「嵯峨嵐山駅」下車 徒歩約19分

 

 

今回のスタートは清凉寺(嵯峨釈迦堂)です。

JR嵯峨嵐山駅から清凉寺までの道のりは以下のブログをご参照ください↓

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二尊院清凉寺から徒歩10分ほどと徒歩圏内なので、是非清凉寺も一緒に訪れてみてください。

 

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清凉寺の西門を清凉寺の内側から見たところです。西門から見える正面の山が小倉山です。小倉山へ向かって西へ進みます。

 

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西門を出たところです。住宅街の道を、小倉山へ向かって西へ進みます。

 

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250mほど進むとゆるやかな上り坂になってきます。このまま小倉山へ向かいます。

 

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150mほど進み、左に曲がると、もう二尊院です。

 

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二尊院の総門です。慶長18年(1613)に伏見城にあった薬医門を角倉了以によって移築・寄進されたもので、京都市指定文化財となっています。

 

二尊院とは

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写真:二尊院公式サイトより

二尊院はその名の通り、「釈迦如来」と「阿弥陀如来」の二尊を祀る寺院であり、正式には「小倉山二尊教院蕐臺寺」(おぐらやまにそんきょういんけだいじ)と言います。

開創したのは平安時代初期の承和年間(834~848)で、嵯峨天皇の勅願により円仁(慈覚大師)が建立したと伝わります。明治維新までは天台宗真言宗律宗・浄土宗の四宗兼学の道場でしたが、明治時代以降は天台宗に属しています。

二尊院と関わりのある天皇嵯峨天皇土御門天皇後土御門天皇後嵯峨天皇亀山天皇)の御分骨を納めると伝わる三帝陵があり、また法然上人ゆかりの寺として二十五ヶ霊場の第17番札所となっています

では、さっそく二尊院へ入っていきます。

 

紅葉の馬場

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総門を抜けた先に広がる、まっすぐに伸びた参道は紅葉の名所として親しまれ「紅葉の馬場」と呼ばれています。小倉山を背景に、春は桜色に染まり、夏は青紅葉、冬は霜や雪に輝く木々が連なり、四季それぞれの風景を楽しめる二尊院一番の見どころです。

嵐山からは少し距離があるため、普段は参拝者もそれほど多くは無い二尊院ですが、紅葉が美しいこの時期はたくさんの人が、まさに錦秋の名にふさわしい紅葉のトンネルを楽しみに訪れます。

 

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石段を登ると、更に色鮮やかな紅葉が見られました。

 

勅使門

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本堂へと続く門は、天皇の意志を伝えるために派遣される使いである勅使だけが出入りする際に使われた「勅使門」です。弓を横にしたような形で中央が高い「唐破風形」の屋根をしています。かつては、勅使が訪れた時のみ開門していた格式高い特別な門です。今日では参拝した誰もが通ることが出来ますが、歴史的背景を知ると厳かな気持ち

になります。勅使門の周辺の紅葉を一緒に写真に納めたくて、変な角度から撮影したため、勅使門の前に枯れ木が入ってしましました。

 

 

本堂

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先にご紹介した二尊を安置する本堂です。六間取り方丈形式の間口の広い建物が京都市指定文化財です。室町時代応仁の乱(1467~77)の兵火で諸堂が全焼しますが、永正18年(1521)に三条実隆が諸国に寄付を求めて再建。本堂に掲げられている後奈良天皇の自筆による「二尊院」は、この再建時に与えられたものです。平成28年(2016)に、約350年ぶりとなる平成の大改修が完了し、由緒ある寺院にふさわしい壮麗さを取り戻しています。

 

本尊「釈迦如来」と「阿弥陀如来

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写真:二尊院公式サイトより

本堂には、寺名のもととなっている二尊が安置されています。

どちらも同じくらいの大きさで約80センチほど、ヒノキの寄木造です。ともに伏し目がちの良く似たお顔で、穏やかながら理知的な表情を浮かべておられます。

向かって右が極楽往生を目指す人を此岸から送る「発遣の釈迦」、向かって左が彼岸へと迎える「来迎の弥陀」の遣迎二尊です。つまり「極楽浄土」へ行くためには、この二尊の送り迎えが必要ということですね。そのため、この二尊院では「発遣の釈迦」と「來迎の弥陀」の二尊が仲良く並んで祀られているという訳です。この思想は、中国の唐の時代に善導大師が広めた「二河白道喩」というたとえによるもので、やがて日本に伝わり法然上人に受け継がれました。

二尊院の遣迎二尊像は鎌倉時代中頃の、奈良在住の仏師であった快慶の作風に似ているのですが、作者がはっきりしないので、奈良の仏師を総称した「春日仏師」の作とされています。

 

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本堂脇の小さな石庭です。紅葉の後ろからの日の光が後光が差しているかのようで、神々しいまでの美しさです。

 

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石庭に面した縁側に、紅葉をあしらった可愛らしい鉢が並べてあり、おもてなしの心を感じました。

 

花手水

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本堂右横にはサザンカナンテン、ススキなどによる花手水が。紅葉で彩られた境内を、更に華やかに彩っていました。

 

鐘楼(しあわせの鐘)

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二尊院では、かなり頻繁に鐘の音が響き渡っています。初めて訪れた時は「あれ?何時だったかな?」と時計を見ましたが、時刻に関係無く不定期に鳴り響きます。

その訳は、参拝者なら誰でも自由に無料で鐘を撞くことが出来るからです。

この梵鐘(釣鐘)をつるす堂「鐘楼」は、慶長年間(1596~1615)に建立、梵鐘は慶長9年(1604)に鋳造されました。平成4年(1992)に、開基嵯峨天皇1200年御遠忌法要記念として再鋳されました。「しあわせの鐘」と名付けられ、「自分が生かされているしあわせを祈願」「自分のまわりの生きとし生けるものに感謝」「世界人類のしあわせのために」と、鐘を三つ撞いてそれぞれに祈願することとしています。私も撞いてみると「心を落ち着けて静かに撞いてください」と立て札にもあるように、優しく穏やかな鐘の音が、小倉山全体に響き渡り、コロナで疲れた心を癒してくれるようでした。

 

小倉山百人一首

二尊院が位置する小倉山は、渡月橋の下を流れる大堰川をへだてて嵐山と相対する山で、その東面に嵯峨野を擁しています。高さはわずか292mですが、その山容の美しさ、優雅さや四季折々の自然の美しさから、平安時代の皇族や貴族がこのあたりを別荘地として選んだ場所です。

この山が歴史上もっとも有名なのは、紅葉の名所として、多くの歌に詠まれていることでしょう。中でも藤原忠成

 小倉山 峰のもみじばこころあらば 今ひとたびのみゆき待たなむ

の歌は「小倉百人一首」にも選ばれています。

 この「小倉百人一首」は藤原定家が選定したと言われていますが、その定家の山荘があったのが、現二尊院の裏山(小倉山)の中腹で「時雨亭(しぐれてい)」と言われる場所であったそうです。

 

小倉餡発祥の地

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本堂の北、鐘楼の東あたりにも小さな苔庭があります。その傍らにひと際立派な石碑があり「小倉餡発祥之地」と刻まれています。

日本で初めて小豆と砂糖で餡が炊かれたのは平安時代の初め820年のことです。

当時このあたりの小倉の里に和三郎という菓子職人がいて、809年に空海が中国から持ち帰った小豆の種子を栽培し、それに御所から下賜された砂糖を加え、煮詰めて餡を作り、これを毎年御所に献上してしていたのが始まりだそうです。

 

ところで、和菓子に欠かせないあんこには「こしあん」「つぶあん」のほかに、「小倉あん」と呼ばれているものがありますね。小倉あんとは、こしあんに蜜で煮た大納言小豆などの大粒の小豆を粒状のまま混ぜたあんこのことです。他のあんこよりひと手間多いのですね。そして小倉あんに使われている大納言小豆が、この小倉山周辺を産地とするものが最も良質と言われていたそうです。

小倉あんの小倉が小倉山から来ていたとは、二尊院で初めて知りました。京都の和菓子がおいしいのは、もともと日本文化の最先端であったからだけでなく、おいしい小豆の採れる産地でもあったからなのですね。

 

 

法然二尊院・皇族や公家などの墓

二尊院平安時代に創建されたものの、以降荒廃していきます。その後鎌倉時代になり、法然九条兼実の支援を得て二尊院を再興します。法然は一時、二尊院に住んで多くの弟子にその教えを説きました。二尊院所蔵の「法然上人足曳きの御影」(重要文化財)は、先の九條兼実の命により絵師 宅間法眼が描いたもので、画面の損傷が激しいものの、法然の画像としては最古級のものです。

生前 比叡山から敵視されていた法然は、比叡山の僧徒が法然の遺骸を掘り出そうとしたため、法然門徒が遺骸を嵯峨に移し火葬しました。この時に、法然の高弟であり二尊院の中興の祖でもある湛空が、法然の遺骸の一部を分骨し、二尊院に御廟を建てて祀りました。

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本堂と鐘楼の間にある長い石段を登り切った先に、その御廟があります。湛空廟とも呼ばれています。

 

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先ほどの石段の横には公家や江戸時代の国学者伊藤仁斎らなどの墓が並んでおり、それらのもっと奥、山の上には旧三帝の御陵もあります。また石段の左横には小倉百人一首を選定した藤原定家の山荘「時雨亭」跡もあります。
その他に、鐘楼の北には墓地があり、坂東妻三郎ら有名人の墓もあります。
お墓の写真を掲載するのも無粋な気がしたので、それらの場所を記した立て札をご紹介しました。
 

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二尊院には独特の清澄な空気感があります。それは小倉山の自然の恵みから生まれた美しさだけではない、平安時代 嵯峨天皇の勅願から始まる古い歴史と、法然との深い縁や皇室からの厚い帰依などからもたらされた、この寺院特有の品格からくるものなのかもしれません。
嵐山から少し離れてはいますが、ちょうど良い距離感の散歩コースになっていますので、是非一度足をお運びください。
 
 
 
 

周辺のおすすめスポットは以下のブログでもご紹介しています。

 

世界遺産 天龍寺

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天龍寺塔頭で庭園が美しい宝厳院↓

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渡月橋の西にある日本画の美術館二館↓

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嵐山の断崖に建つ絶景寺院 大悲閣千光寺↓

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天龍寺の西にある絶景スポット亀山公園↓

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小倉山のふもとの日本で唯一の髪の神社 御髪神社

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奥嵯峨の竹林に佇む祇王寺

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秋の嵯峨嵐山 おすすめ紅葉スポット ③清涼寺

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京都でも有数の観光地、嵯峨嵐山。緊急事態宣言も解除され、観光客も戻ってきました。

11月に入り渡月橋周辺の木々や嵐山も色鮮やかに色づき始めました。JR、阪急、京福の各駅からの交通アクセスも便利で、有名な神社仏閣などの絶景スポットも多数集まっています。そんな嵯峨嵐山でも特におすすめの紅葉スポットを数回にわたりご紹介します。

今回は、観光客で賑わう嵐山の渡月橋から北へ歩くこと約15分、奥嵯峨の入口にある名刹 清涼寺をご紹介します。

 

 

清涼寺の行き方

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電車で

 ・JR嵯峨野線 「嵯峨嵐山駅」下車

   北西へ徒歩約11分

 ・京福電気鉄道「嵐山駅」下車 

   北へ徒歩約12分

 ・阪急「嵐山駅」下車 北へ徒歩約22分

 

バスで

 ・京都バス 

   京都駅より大覚寺行・清滝行にて

    「嵯峨釈迦堂前」下車

 ・京都市バス 

   京都駅より28番 大覚寺

    「嵯峨釈迦堂前」下車 

   四条烏丸より91番 太秦映画村大覚寺

    「嵯峨釈迦堂前」下車

   三条京阪より11番嵯峨山越行

    「嵯峨小学校前」下車

 

本日のスタートはJR嵯峨嵐山駅です。

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改札口を出て北(右)へ向かいます。

 

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コンビニの前を通り、階段を降ります。

 

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階段を降りたら西(左)へ向かいます。

 

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このゲートを出て北(右)へ向かいます。

 

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ゲートを出たところです。このまま北へ向かい、突き当りを西(左)へ曲がります。

 

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西へ曲がったところです。住宅街の中の道を西へ200mほど進みます。

 

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ファミリーマートの角を北(右)へ曲がります。

 

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この道をまっすぐ北へ向かいます。突き当りは丸太町通です。

 

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丸太町通の信号を北へ渡り、西(左)へ向かいます。

 

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丸太町通を120mほど西へ向かうと交差点があります。信号を渡り、そのまま西へ向かいます。

 

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丸太町通沿いに嵯峨小学校があります。更に西へ進みます。

 

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嵯峨小学校の前を西へ進み、北(右)へ曲がります。

 

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嵯峨小学校の角を曲がり、更に北へ進みます。ここまで来れば、清涼寺はもうすぐです。

 

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120mほど北上すると、道の左手に注連縄の施された朱の鳥居があり、その前に「愛宕野々宮両御座所」と刻まれた石碑があります。清涼寺関連の駐車場かと思ったら、ここに両社の神輿が納められているそうです。5月の第四日曜日に野宮神社愛宕神社合同の還幸祭祭が行われます。このお祭りは「嵯峨祭」と呼ばれ、古くは元禄4年(1691)に松尾芭蕉も見学したとの記録も残される歴史のある祭です。

この御旅所前の通りの突き当りに、清涼寺の山門が見えて来ました。

 

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清涼寺の山門に着きました。

ひときわ目を引く重層の山門(京都府指定文化財)で天明3年(1783)の建立です。初層に室町時代制作の仁王像、上層に十六羅漢像を祀ります。

総欅造(そうけやきづくり)の三間一戸で二階二重門、屋根は入母屋造、屋根は本瓦葺です。全体に禅宗様(ぜんしゅうよう)と和様を折衷した、江戸後期の典型的な形式を持つ賑やかな意匠の建物です。

 

清涼寺とは

清涼寺の正式な名称は五台山清凉寺、現在は浄土宗の寺院です。本尊釈迦如来像があることから「嵯峨釈迦堂」の名で地元の人に親しまれています。

もともとこの地には、嵯峨天皇の皇子 源融(みなもとのとおる)の山荘、棲霞観(せいかかん)がありましたが、これが後に寺となって棲霞寺と称しました。永延元年(987)奝然(ちょうねん)上人が、愛宕山を中国の五台山に模して大清凉寺を建立しようとしたものの、志半ばで没し、弟子の盛算がその遺志を継いで、棲霞寺内の釈迦堂を清凉寺としたのが、この清凉寺の起こりです。

 

では、山門から中に入っていきましょう。

愛宕権現

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境内に入ってすぐ右手にあるのが愛宕権現社です。

神仏習合の名残で、かつて同寺が愛宕山白雲寺(現・愛宕神社)の山下別当寺であった歴史を今に伝えています。

 

多宝塔

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山門を入ってすぐ左手にあるのが多宝堂塔(京都府指定有形文化財)で、多宝如来を安置しています。江戸時代の出開帳の際に寄進を受けて江戸で造られ、3年後の元禄16年(1703)に船で運ばれ再建されたそうです。

 

阿弥陀堂

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本堂に向かって右手前(東)にあって西向きに建つのが、もと棲霞寺の阿弥陀堂です。平安時代には、嵯峨天皇の皇子で左大臣源融の別荘棲霞観がありましたが、源融の一周忌に阿弥陀三尊像を祀る棲霞寺と改められ、これが阿弥陀堂の始まりです。

 

 

本堂

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山門を入って正面に堂々と佇むのが本堂の釈迦堂(京都府指定文化財)です。

三国伝来と伝える栴檀(せんだん)釈迦如来像(なんと国宝!)を安置します。桁行7間、梁間7間、一重入母屋造本瓦葺で、正面と背面に3間の向拝を設けるなど本山として風格を備え、山門同様に禅宗様と和様が巧みに折衷しています。現在の建物は徳川綱吉の援助を受けて、元禄14年(1701)に再建されました。

本堂内は撮影禁止なので、写真でご紹介できませんが、本尊釈迦如来像を安置した、四天柱で区切られた中央の宮殿は徳川初期末の桃山建築の名残を示す華麗豪壮なものとなっています。歴史の感じられる薄暗い堂内で、宮殿周辺はひときわ輝いて、そこに極楽浄土が現れたようなありがたくも圧倒される気持ちになりました。

 

本尊阿弥陀如来像(国宝)

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写真:清凉寺パンフレットより

本堂に安置されている本尊釈迦如来像は、国宝で日本三如来の一つに数えられ、昔から広く信仰されています。三国伝来(インド~中国~日本)の生身のお釈迦様として、釈迦37歳の生き姿を刻んだものと言われています。清凉寺の開基 奝然(ちょうねん)が中国に渡り、その尊像を模刻し日本へ持ち帰りました。この尊像が模刻された時、中国の尼僧により釈迦如来像の体内に絹で造られた五臓六腑等が封じられ、昭和28年にそれらが発見されました。これは中国で千年も前に人間の体の構造を知っていたことを示すもので、解剖学的にも貴重な資料です。

東大寺で学んだ奝然ですが、東大寺を始めとする南都仏教に対する批判の心から、新しい仏教を起こそうとしていました。その思いを実現するため、中国へ渡り仏教の聖地を参拝し、帰国した後、その頃新しく生まれて力を増していた比叡山延暦寺に対抗する新しい寺院を、同じ平安京の反対側にある愛宕山に作ることを目指していました。その新しい寺院は、中国の五台山の清凉寺を模し、清凉寺と号するつもりでした。

奝然は中国での参拝を終え、釈迦如来像とともに帰国しましたが、この釈迦像を安置する愛宕山の寺院はできておらず、様々な障害も持ち上がり、清凉寺創建を果たせぬまま没しました。弟子の盛算が奝然の遺志を引き継ぎ、愛宕山の麓の棲霞寺に釈迦堂を建て清凉寺としました。もともと、源融の山荘を転用した棲霞寺は、東大寺や東寺のような国が建てた寺院とは違う、親しみやすい雰囲気であったようです。その一角を間借りして始まった清凉寺は、更に庶民的で貴賤問わず多くの人々の信仰を集めていたようです。

実際に釈迦如来像を近くで拝見すると、他の寺院でよく見受けられる、ある種人間を超越したような雰囲気の慈悲深いお顔のお釈迦様とは違い、たくましい体つきでしっかりと意志を持った人間的なお姿をされています。これが釈迦37歳の生き姿を刻んだと言われているのも頷け、長い間多くの人々の心を引き付け導いてきた理由がわかる気がしました。

 

法然清凉寺の釈迦如来

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道順を少し戻りますが、山門を入ってすぐ西(左)に浄土宗を開いた法然上人の像があります。

法然比叡山延暦寺で学んで僧となりましたが、世の中の中心が貴族から武士へと変わり混乱が続く中、庶民の苦悩に正面から向き合おうとしない比叡山延暦寺の寺院としての在り方に疑問を持ち、煩悶の日々を送っていました。そんな中、法然は保元元年(1156)24歳の時、身分も関係無く、全て広く人々を救うための仏教を求めて、清凉寺の釈迦如来像の前に七日間参篭をとげました。下層の庶民たちも多く参拝していた清凉寺で、新しい仏教を開く起縁になったと言われています。

 

清凉寺の庭園へ

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本堂北側の扉を抜けると、その先にこのような渡り廊下があります。

 

弁天堂

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渡り廊下の西(左)に弁天堂があります。正面に軒唐破風(のきからはふ)を付け、屋根は宝形造(ほうぎょうづくり)で、全体的に装飾彫刻が多い建造物です。 建築年代は不明ですが、江戸時代後期とされています。

 

池泉式庭園

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渡り廊下をもう少し先へ行った所から見た弁天堂です。弁天堂の周りは池泉式庭園になっています。色づき始めた紅葉が常緑樹とともに、弁天堂を鮮やかに彩っています。

 

 

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更に渡り廊下を先へ行った所から弁天堂を見た時、ちょうど良い加減に日の光が差して、池の水面に周りの木々が映り込み、何とも幻想的な美しい風景が見られました。

忠霊塔と川中島

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弁天堂西の川中島に建つ十三重石塔忠霊塔です。

 

大方丈と庭園

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大方丈は、享保年間(1716~1735)の造営と伝えられています。寛永14年の類焼以前のものは6つで早世した徳川家康の息女一照院の位牌所として、家康公および実母のおちかの方の寄進によるものです。方丈前の庭は、ところどころに石を置いた枯山水の平庭で、小堀遠州作と伝えられています。

 

霊宝館

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今回は秋の霊宝館特別公開中であったため、こちらも観覧してきました。

阿弥陀堂の北側の小道を東の奥へ入った所にあります。

 

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こちらは霊宝館です。

館内には、阿弥陀堂の元となった旧棲霞寺本尊阿弥陀三尊像(国宝)、本堂釈迦如来両脇侍文殊菩薩騎獅像、普賢菩薩騎象像(重要文化財)など、貴重な文化財が多数収蔵され、間近で観覧することが出来ます。

館内入ってすぐの所にある阿弥陀如来像は、光源氏のモデルとなった源融の面影を伝えると言われています。やや面長で端正な表情は、いかにも平安貴族の嗜好を反映したものと言えるそうです。

 

清凉寺の興味深い行事の数々

嵯峨地域の地元の人々を始め、多くの人の信仰を集める清凉寺では、たくさんの年中行事が行われています。その中でも特に興味深いものを二つご紹介します。

 

嵯峨大念仏狂言

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京都三大念仏狂言の一つ「嵯峨大念仏狂言」(重要無形民俗文化財)が演じられる「狂言堂」が、西門近くにあり、毎年春、秋と清凉寺のお松明の日には定期公演が行われています。

 

涅槃会とお松明

毎年3月15日には涅槃図を供養した後、火祭り(お松明:京都市指定無形民俗文化財)が行われます。三本の大松明を早稲、中稲、晩稲に見立て、その燃え方でその年の豊凶を占います。近世、愛宕の山中で修験者によって行われていた愛宕への献火が変化したものだそうです。当日は境内に多くの露店が出て賑わいます。

 

 

 

清凉寺は嵯峨野観光の中心拠点

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嵐山から非常に近い場所にありながら、普段はそれほど観光客が多くない清凉寺ですが、実は国宝や重要文化財が多数収蔵され、また庭園も非常に美しく、見どころ満載のスポットです。

嵯峨野のほぼ中央に位置する清凉寺は、周辺に観光名所も多数点在しています。大覚寺二尊院、常寂光寺、祇王寺、化野念仏寺なども徒歩圏内ですので、是非一緒に訪れてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

周辺のおすすめスポットは以下のブログでもご紹介しています。

 

世界遺産 天龍寺

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天龍寺塔頭で庭園が美しい宝厳院↓

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渡月橋の西にある日本画の美術館二館↓

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嵐山の断崖に建つ絶景寺院 大悲閣千光寺↓

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天龍寺の西にある絶景スポット亀山公園↓

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小倉山のふもとの日本で唯一の髪の神社 御髪神社

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奥嵯峨の竹林に佇む祇王寺

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秋の嵯峨嵐山 おすすめ紅葉スポット ②宝厳院

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京都でも有数の観光地、嵯峨嵐山。緊急事態宣言も解除され、観光客も戻ってきました。

11月に入り渡月橋周辺の木々や嵐山も色鮮やかに色づき始めました。JR、阪急、京福の各駅からの交通アクセスも便利で、有名な神社仏閣などの絶景スポットも多数集まっています。そんな嵯峨嵐山でも特におすすめの紅葉スポットを数回にわたりご紹介します。

今回は京福電気鉄道「嵐山駅」からすぐの天龍寺塔頭、宝厳院(ほうごんいん)の紅葉をご紹介します。

 

 

宝厳院の場所

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宝厳院の行き方

電車で

 JR「嵯峨嵐山駅」下車10分

 京福電鉄「嵐山駅」下車徒歩3分

 阪急「嵐山駅」下車徒歩10分

 

京都市バス

 JR京都駅前より京都市バス28番で

  「嵐山天龍寺駅」下車そこから徒歩5分

 

京都バスで

 JR京都駅前より

  京都バス72番もしくは73番で

  「京福嵐山駅前」下車 そこから徒歩5分

 

 

 

本日のスタートは京福「嵐山駅」からすぐの天龍寺です。

京福「嵐山駅」から天龍寺までの行き方は以下のブログで紹介しています。↓

ぜひ天龍寺も一緒にご参拝ください。

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天龍寺の法堂です。法堂とは説法法堂の意で、住持が仏に代わって民衆に説法する場所のことです。元治元年(1864)の兵火で焼失し、その後明治になり、江戸後期建立の雲居庵禅堂を移築し、禅宗七堂伽藍の一つとしました。

法堂正面に見える「選佛場」の額は、雲水が座禅修行するための禅堂であった名残です。

 

法堂の前を南へ向かいます。

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正面に見えているのが嵐山です。嵐山の方へ向かいます。

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駐輪場がありますので、その横を道なりに西(右)へ向かいます。

 

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右手に宝厳院の門がありますが、出口となりますので、もう少し南へ進みます。

 

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道の左側には何やらたくさんの仏像群が…

 

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表情やポーズが妙にリアルで、ちょっと異様な雰囲気です。

調べてみると、「嵐山羅漢」と言って宝厳院が管理しているようです。羅漢とは釈迦の弟子の中で最も位の高い弟子に与えられる称号のようなものです。

この嵐山羅漢は「先祖供養」「嵐山の守護」「企業の繁栄祈願」の思いをこめて、宝厳院へ申し込めば建立奉納できるそうです。

 

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嵐山羅漢の向かいぐらいに宝厳院の山門があります。背景となる嵐山の自然と調和した素朴な佇まいです。宝厳院は春と秋の特別公開の時期以外は、通常非公開です。特別公開の期間など詳細は宝厳院の公式サイトをご確認ください。

 

 

宝厳院とは

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大亀山 宝厳院(だいきさん ほうごんいん)は、臨済宗天龍寺派大本山天龍寺塔頭寺院です。室町時代細川頼之によって、天龍寺開山夢窓礎石より三世法孫(ほうそん 仏教における孫弟子)にあたる聖仲永光禅師を開山に迎え創建されました。

創建時は、現在の京都市上京区京都御所の北側)にあり、広大な境内を有した寺院でしたが、応仁の乱(1467~1477年)により京の都は灰燼と化し、宝厳院もまた焼失します。天正年間(1573~1591年)に豊臣秀吉が再建しましたが、その後天龍寺塔頭弘源寺境内に移転後、2002年に現在地(旧塔頭 妙智院)に移転再興しました。

さきほど宝厳院は旧塔頭 妙智院の場所に移転したと書いた通り、この庭園はもとは妙智院の庭園として、室町時代、妙智院の第三世、策彦周良禅師によって作庭されました。嵐山を借景として巧みに取り入れ、また「獅子岩」等の巨岩を配した借景回遊式庭園であり、江戸時代の京都の名所名園を収録した『都林泉名勝図会』にも妙智院の庭園として掲載されています。

 

それでは宝厳院へ入っていきましょう。

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山門にある受付で拝観料を払い入山します。今回は庭園のみの拝観としましたが、本堂も参拝したい場合は、別途本堂拝観料が必要です。

 

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境内の紅葉はまだごく一部が色づいている程度のようです。

 

宝厳院庭園(獅子吼の庭)とは

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「獅子吼(ししく)の庭」は、室町時代に中国に二度渡った禅僧、策彦周良(さくげんしゅうりょう)によって作庭され、嵐山の景観を巧みに取り入れた借景回遊式庭園です。「獅子吼」とは「仏が説法する」という意味で、庭園内を散策し、鳥の声、風の音を聞くことによって、人生の真理、正道を肌で感じ、心が癒される庭とされています。

天龍寺の曹源池庭園と同じく、「龍門瀑」の表現が引き継がれています。龍門瀑とは中国夏朝の高弟 禹がその治水事業において山西省黄河流域にある竜門山を切り開いてできた急流のことです。中国の故事にある「登竜門」の由来である「鯉が三段の滝を登って将に化す様」を表現しており、鯉が死を賭してまで龍になるべく努力する様子にならって、修行僧が観音の知恵を得る(悟る)まで、努力しなければならないことを借景回遊式庭園の中で表現しているそうです。

この庭は多くの巨岩、二百数十本のモミジ、春は新緑、秋は紅葉、また一面の苔の緑の美しさは京都随一と言われています。

 

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庭園に一歩足を踏み入れると、色づき始めた木々の色と苔庭が、静寂の中で色鮮やかに調和した世界が広がっています。

三尊石と苦海

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三尊石とは彼岸(悟りの世界)に降り立った釈尊文殊菩薩普賢菩薩の三尊佛を現します。

 

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苦海とは、現世すなわち人間界を現し、此岸(迷いの世界)にいる人間のみならず獣たちにいたるまで、仏の佛徳(佛心)をあやかるべく、人間は舟石に乗り彼岸に渡り、佛の膝下に参じます。獣たちが泳いで苦海を渡る姿が獣石群(十二支)です。

 

龍門瀑

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三尊石の左に組まれた石積みは、中国の黄河中流にある滝で激流を登り切った鯉が龍になるという伝説の登竜門を表しています。禅宗の修行僧の心の支えであり、修行の励みのシンボルです。滝壺の鯉が、滝を登り龍になるための修行のさまを表現しています。

 

碧岩

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碧岩は2億年前の海底に堆積した微生物やプランクトンが水圧で圧縮されて出来た「岩石(チャート)」です。非常に硬い岩石で、河川で流されて運ばれる中で、その硬さのために最後まで削られずに残りやすいことから、河原の石ころや地層中の礫岩層の礫の中でも最も多く見られる岩石種です。京都市内では、渡月橋のあたりを流れる大堰川上流、有栖川上流、龍安寺の山手より産出されるそうです。パワーストーンのマニアがパワーを授かりにリピーターとして通年訪れているそうです。このことは帰宅して碧岩のことを調べていてわかったので、そんなにパワーがある石なら、触ってその力をチャージして来ればよかったなあ、とちょっと残念な気分でした。

 

獅子岩

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碧岩と同じ石質の「岩石(チャート)」であり、獅子の顔のような形をしていることから獅子岩命名されたそうです。寛政11年(1799)発行の「都林泉名勝図鑑」にも記載されています。

獅子の名がつく通り、全体的に苔むした巨岩は非常に迫力がありますが、静かな庭園の中で苔庭とあまりにも一体化していて、地図で見て探さないと見過ごしてしまいそうでした。

 

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獅子岩の裏手にある方豊丸垣。竹の小枝を下向きに重ねた垣で、耐久性を増すために上部に屋根をつけたのがオリジナルで、宝厳院垣と呼ばれるそうです。

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こちらがオリジナルの宝厳院垣。獅子吼の庭の入口付近を囲っています。山門を入って、庭園までの参道右手にあります。

 

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まだ色づき始めのモミジです。見ごろとなる11月下旬には庭園全体が燃えるような赤い色に染まり、嵐山一の紅葉スポットと言われているそうです。


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山門を出て出口までの道は両側にモミジの木が並んでいて、もみじのトンネルと名付けられています。今はまだ一部のみ紅葉していますが、見ごろになると圧巻の紅葉で真っ赤に染まるそうです。

 

宝厳院では、2021年は11月13日(土)~12月5日(日)の間、午後5時30分から午後8時30分の時間限定で「獅子吼の庭」の夜間特別拝観が行われます。

日中の鮮やかな紅葉とはまた違った。夜間での静寂かつ艶やかな紅葉が織りなす幻想的な景観が楽しめます。

 

嵐山は人気の観光地なのに、夜間は早く閉まってしまう所が多いです。そのため嵐山での秋のライトアップは、この宝厳院と嵯峨野トロッコ列車が線路脇のモミジのライトアップがあるぐらいなので、かなり貴重です。

 

冬になると「京都嵐山花灯路」が2021年は12月11日(金)~20日(日)17時~20時30分まで開催される予定です。こちらは嵯峨嵐山一帯で行われ、宝厳院でも夜間拝観が行われていますのでお楽しみに!

 

宝厳院は小さな寺院で、普段は非公開のため、気を付けていないと見落としてしまいそうですが、天龍寺の近くにあり、獅子吼の庭の美しさは必見です。春と秋、そして冬の花灯路の時期に嵯峨嵐山を訪れた折りには、是非一度足をお運びください。

 

 

嵯峨嵐山周辺には他にもおすすめスポットがたくさんあります。

 

渡月橋の西にある日本画の美術館二館↓

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嵐山の断崖に建つ絶景寺院 大悲閣千光寺↓

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天龍寺の西にある絶景スポット亀山公園↓

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小倉山のふもとの日本で唯一の髪の神社 御髪神社

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奥嵯峨の竹林に佇む祇王寺

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秋の嵯峨嵐山 おすすめ紅葉スポット ①天龍寺 

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京都でも有数の観光地、嵯峨嵐山。緊急事態宣言も解除され、観光客も戻ってきました。

11月に入り渡月橋周辺の木々や嵐山も色鮮やかに色づき始めました。JR、阪急、京福の各駅からの交通アクセスも便利で、有名な神社仏閣などの絶景スポットも多数集まっています。そんな嵯峨嵐山でも特におすすめの紅葉スポットを数回にわたりご紹介します。

今回は京福電気鉄道「嵐山駅」からすぐの世界遺産 天龍寺の紅葉をご紹介します。

 

 

天龍寺の場所

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天龍寺の行き方

電車で

 ・京福電気鉄道嵐山線 

   「嵐山」駅下車

 ・JR嵯峨野線 

   「嵯峨嵐山」駅下車徒歩13分

 ・阪急電車 

   「嵐山」駅下車徒歩15分

 

バスで

 ・市バス 11.28,93番で

   「嵐山天龍寺前」下車前

 ・京都バス 61,72,83番で

   「京福嵐山駅前」下車前

 

新緑の天龍寺曹源池庭園や紫陽花などの四季折々の花が楽しめる百花苑については、以下のブログでご紹介しています。↓

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本日のスタートは、京福電鉄「嵐山駅」です。

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平日の朝9時頃だったため、緊急事態宣言は解除されていましたが、まだ人影はまばらでした。

嵐山駅の改札を出ると、嵐山のメインストリート「長辻通」です。この通りを北(右)へ向かいます。

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通りに面した木々がほんのり紅葉しています。このまま北へ向かいます。

 

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天龍寺の入口です。紅葉は「色づき始め」と掲示されています。こちらからでも入れますが、更に長辻通を北へ向かいます。

 

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総門です。今回はこちらの門から入って行きます。

 

天龍寺とは

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霊亀山と号する臨済宗天龍寺派大本山で、釈迦如来像を本尊とします。平成6年  (1994年)に世界文化遺産に認定登録されました。

 足利尊氏後醍醐天皇の菩提を弔うため、暦応二年(1339)、夢窓礎石を開山に迎え創建した寺院で、至徳3年(1386)には、京都五山の第一位となりました。しかし、度重なる火災により堂宇は焼失し、現在の諸堂の多くは明治以降に再建されたものです。

 

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天龍寺の山内地図です。境内にはたくさんの塔頭寺院が並びます。

 

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参道を進んでいきます。写真奥に見えているのは中門です。

 

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中門です。京都府指定有形文化財で、慶長年間(1596年~1615年)に建立されたと言われています。

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中門から入り、参道を進みます。目の前には嵐山が広がります。秋の青空と色づき始めた木々の赤や黄色、掃き清められた参道の玉砂利の白い色がそれぞれ引き立てあって、ここだけでも絵画のような美しさです。

 

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法堂です。禅寺の中心堂宇としては珍しい寄棟造単層の建物です。禁門の変蛤御門の変)で天龍寺の建築物の大半が焼失しましたが、なんとか残った塔頭・雲居庵の禅堂を移築し、明治33年(1900)に法堂兼仏殿としたものです。

正面須弥壇には釈迦三尊像を安置し、天井には鏡天井で鈴木松年により明治32年(1899)に描かれた雲に乗る龍の絵がありましたが、平成9年(1997)に法堂移築100年・夢想国師650年遠諱記念事業として加山又造画伯により新しく雲竜図が制作されました。

 

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明治32年(1899)建立の庫裏です。庫裏とは七堂伽藍の一つで台所兼寺務所の機能を持ちます。方丈や客殿と棟続きで、切妻造の屋根下の大きな三角形の壁を正面に見せています。この白壁を縦横い区切ったり、曲線の梁を用いたりした装飾性を出した特徴のある建物は、天龍寺の景観の象徴ともなっています。

 

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今回は庭園のみ拝観します。

庫裏の左手に今回の目的地、曹源池庭園の入口があります。

 

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こちらの入口から庭園へ入ります。

 

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庭園受付から入るとすぐに方丈に出ます。

 方丈とは禅宗様式柄の一つで、住職の居室です。方丈のご本尊は釈迦如来坐像I(重要文化財)です。平安時代後期の作とされ、天龍寺が受けた八度の火災のいずれにも罹災せず助けられた仏像で、天龍寺に祀られる仏像の中で最も古いものとなります。

方丈の東は中門に対し、西は曹源池に面しています。東側が正面で曹源池側が裏となります。

方丈の東面を通り過ぎ、方丈の裏手(西面)に回ると曹源池庭園に出ます。

 

曹源池庭園

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曹源池庭園に出ました。色づき始めた紅葉と常緑樹の緑が池にも映り込み、神秘的な美しさです。

 

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方丈裏手の前にベンチが並べてあり、座ってゆっくり庭園を鑑賞することが出来ます。

 

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方丈の前を通り過ぎ、さきほどと反対側からの眺めです。嵐山や庭園西に位置する亀山を取り込んだ借景式庭園で、まさに周囲の自然と一体化した壮麗な美しさです。

 

曹源池庭園は、約700年前の夢窓国師作庭当時の面影をとどめており、わが国最初の史跡・特別名勝に指定されました。中央の曹源池を巡る池泉回遊式庭園です。

方丈からみた曹源池中央正面には2枚の巨岩を立て龍門の滝とします。龍門の滝とは中国の登龍門の故事になぞらえたもので、鯉魚石を配するが、通常の鯉魚石が滝の下に置かれているのに対し、この石は滝の流れの横に置かれており、龍と化す途中の姿を現す珍しい姿をしていると言われています。

曹源池の名称は国師が池の泥をあげたとき池中から「曹源一滴」と記した石碑が現れたところから名付けられたそうです。

曹源池から更に北へ、百花苑の方へ向かいます。

途中、可愛らしい秋の花々が目を楽しませてくれます。

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紫式部コムラサキシキブ)

 

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笹竜胆(ササリンドウ)

 

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艶蕗(ツワブキ

 

百花苑

更に北へ進むと百花苑です。

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秋冥菊(シュウメイギク

 

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紅葉しているのはまだ一部の木でしたが、庭園内の苔の緑とのコントラストが美しかったです。

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大文字草(ダイモンジソウ)と落ち葉とのコラボレーションも趣きがあります。

 

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百花苑をぐるっと回って、また曹源池の前に戻って来ました。

日光の加減で、水面が鏡のように木々と空を映して、えも言われぬ美しさです。本日一番のベストショットが撮れました!

 

天龍寺京都市内の一番西に位置し、曹源池庭園が東側に広く開けているので、一番早く朝日が当たり、早朝が最も美しいそうです。今回私が訪ねたのは9時過ぎでしたが、次回はもっと早く訪ねてみたいです。

 

例年紅葉の見ごろは11月中旬から12月初旬となっていますので、是非一度訪れてみてはいかがでしょうか。

 

 

嵯峨嵐山周辺には他にもおすすめスポットがたくさんあります。

 

渡月橋の西にある日本画の美術館二館↓

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嵐山の断崖に建つ絶景寺院 大悲閣千光寺↓

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天龍寺の西にある絶景スポット亀山公園↓

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小倉山のふもとの日本で唯一の髪の神社 御髪神社

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奥嵯峨の竹林に佇む祇王寺

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梅小路公園 ~京都駅近くのみどりの楽園 ②いのちの森

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JR嵯峨野線で京都駅から嵯峨嵐山方面へ一駅のところに「梅小路京都西駅」という駅があります。この駅は、人気の京都水族館京都鉄道博物館へのアクセスのために2019年3月に出来た駅です。これら人気のスポットは梅小路公園の中にあります。この梅小路公園は、京都駅から徒歩15分という都会の真ん中にありながら、びっくりするぐらい緑にあふれています。

この公園に、まるで一幅の絵のように美しい庭園と、太古の風景を彷彿とさせる原始的な森があることは京都市民にも意外と知られていません。

今回は梅小路公園のこの二つのスポットのうち、「いのちの森」という1000年前と同じ手つかずの自然な姿の復元を目指し都市空間につくられた森をご紹介します。

 

 

梅小路公園の場所

goo.gl

 

 

梅小路公園の行き方

電車で

 ・JR嵯峨野線

   「梅小路京都西駅」下車すぐ

   「京都駅」(JR,地下鉄・近鉄

      中央口より塩小路通を西へ徒歩15分

バスで

 ・京都市営バス

   「梅小路公園・JR梅小路京都西駅

   「梅小路公園京都鉄道博物館前」

   「七条大宮・京都水族館前」

     各停留所から徒歩すぐ

 ・京阪京都交通バス

   「梅小路公園前」

   「七条大宮・京都水族館前」

     各停留所からすぐ

 

 それぞれの詳細は、梅小路公園の公式サイトでご確認ください。

 

梅小路公園の成り立ちなどについては以下のブログでご紹介しています。↓

最寄りの駅から「朱雀の庭」「いのちの森」までの行き方もこちらでご紹介しています。

www.yomurashamrock.me

 

本日のスタートは、梅小路公園内の「緑の館」からです。

「いのちの森」は、「朱雀の庭」と同じく梅小路公園内の「緑の館」から入ります。

 

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「緑の館」の入口です。

 

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先ほどの入口から入り、左手のこの建物の二階へ上がります。

 

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階段を上がり切ると、入園チケットの販売機があります。大人一人200円です。

チケットを購入し、このゲートを通って入園します。

 

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ゲートの向こうに案内板があります。

庭園内にトイレが無いので、入園する前に緑の館の中のトイレを利用されることをお勧めします。

 

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「朱雀の庭」へ向かう通路の左手を見ると、一階におしゃれなレストランがあります。

 

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レストランを眺めながら、「朱雀の庭」へ向かいます。

 

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アカマツ林を進みます。

 

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しばらく遊歩道を進むと右手に平清盛公西八条第跡の石碑があります。更に進みます。

 

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右手に「いのちの森」への橋「楓林橋(ふうりんばし)」があります。

さっそく渡りましょう。

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樹冠回廊入口です。森の樹木や生き物を守るため、いのちの森ではこの樹冠回廊を通行します。

 

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樹冠回廊です。最大3.6mの高さに作られた回廊は、夏は森の木々に囲まれた緑の空間になります。

 

「いのちの森」とは

いのちの森は、もとは草も木も無い都心の貨物駅だった場所に、いきものの生息空間(ビオトープ)の再生を目指して造られました。起伏に富む地形や多様な水辺環境を再現し、人為的な干渉を控えることで、植物やいきものの自然な再生を試みています。電車の線路に隣接し、京都駅から徒歩15分という立地にあるにもかかわらず、四季を通じて多くのいきものの姿を見ることが出来ます。

 

庭師で森の案内人の三浦豊さんによると、「いのちの森は、都市空間に京都の太古の森を復元する、をテーマにつくられ、下鴨神社糺の森(ただすのもり)など、市内に残る原生林を調査し、そこに生えている木を各地から集めて植樹し、森をつくりあげた」そうです。

さらに開発によって行き場を失った木の受け入れ先にもなったそうです。1996年に京都市営地下鉄東西線が開通した際に、伐採しないといけなくなった御池通ケヤキの木をここに移植しました。

地元生まれ、地元育ちの木はやはり強いそうです。その土地の在来種がだけで構成された森は、なかなか外来種が入って来られないので、たった25年で人の足跡なんて無かったように生い茂ったこのような森が出来上がったというわけです。

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アラカシ(ブナ科)   

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 ソヨゴ(モチノキ科)

 

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トキワサンザシ(バラ科

 

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ムクノキ(ニレ科)

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チマキザサ

いのちの森が出来るまで

整備計画が進められていた当時、このような都市中心部でまとまった生物の生息空間が復元された例はありませんでした。

そこで、植物や昆虫、鳥類や緑地政策の専門家によって構成される京都ビオトープ研究会が発足し、生物が主役となる空間づくり、自然再生の目標や方法について検討が重ねられました。

そして3年後の1996年6月、いのちの森が開園しました。

 

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いのちの森の変遷です。開園当初は、移植したての樹木や植物もまばらですが、約20年ほど経つと、木々が生い茂り、自然の力強さを感じる森になっています。

 

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そしてこちらが2021年10月のいのちの森です。2015年の写真よりさらに鬱蒼として、手つかずの太古の森を彷彿とさせる雰囲気が漂います。

 

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いのちの森が目指すことが綴られています。

「この森では、チョウやトンボが飛び交い、小鳥がさえずり、水辺では魚やヤゴなどの水生生物が生まれるといった生き物のいぶきを感じることのできる森となることを目指しています。

 ケヤキ、エノキ、クスなどの大木で森を形成し、変化に富んだ地形や水辺をつくりました。小鳥や昆虫が好む樹木を数多く選ぶとともに、四季の草花で彩りをそえることによって、多種多様な生き物が育つことを期待しています。

 現代の都市づくりは、経済効率を重視する方向から、生き物としての人間の生活環境を大切にする方向に変わりつつあります。都会の中で、小さな生命が生まれ育つ豊かな森をつくることにより、私たちの生活の中になくてはならない緑や、その環境を守り育てることの大切さを認識していただきたいと考えています。」

 

開園から25年が経ち、いのちの森は「人間が守り育てていく森」から「自らの力で育ち更に繁栄していく森」へとその姿を変えてきました。鬱蒼とした原生林のようなこの森は、力強く、どこか恐ろしささえ感じる森でした。これこそが、人知の及ばない自然への畏怖の念ということなのでしょう。「森を守ろう」なんて実は人間のおごりでしか無いのかもしれません。このような森が身近にあり、いつでも訪れることが出来る幸せを感じずにはいられませんでした。

人間の知恵と技術の結晶から造られた「朱雀の庭」と、自然の力を信じることで自然が自ら育っていった「いのちの森」、両極端の自然の美が、京都駅近くの町中で見ることができますので、是非一度足をお運びください。

 

 

 

梅小路公園 ~京都駅近くのみどりの楽園 ①朱雀の庭

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JR嵯峨野線で京都駅から嵯峨嵐山方面へ一駅のところに「梅小路京都西駅」という駅があります。この駅は、人気の京都水族館京都鉄道博物館へのアクセスのために2019年3月に出来た駅です。これら人気のスポットは梅小路公園の中にあります。この梅小路公園は、京都駅から徒歩15分という都会の真ん中にありながら、びっくりするぐらい緑にあふれています。

この公園に、まるで一幅の絵のように美しい庭園と、太古の風景を彷彿とさせる原始的な森があることは京都市民にも意外と知られていません。

今回は梅小路公園のこの二つのスポットのうち、「朱雀の庭」という見事な庭園をご紹介します。

 

 

梅小路公園の場所

goo.gl

 

 

梅小路公園の行き方

電車で

 ・JR嵯峨野線

   「梅小路京都西駅」下車すぐ

   「京都駅」(JR,地下鉄・近鉄

     中央口より塩小路通を西へ徒歩15分

 

バスで

 ・京都市営バス 

   「梅小路公園・JR梅小路京都西駅前」

   「梅小路公園京都鉄道博物館前」

   「七条大宮・京都水族館前」

     各停留所から徒歩すぐ

 ・京阪京都交通バス

    「梅小路公園前」

    「七条大宮・京都水族館前」

     各停留所からすぐ

 

 それぞれの詳細は、梅小路公園の公式サイトでご確認ください。

 

 

梅小路公園とは

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梅小路公園は、市街地の中心にありながら、人が緑と花で憩える空間として、また災害時には市民が避難できる場所として1995年から開園している、面積13.7haの都市公園です。公園内には広々とした「芝生広場」、水と親しめる「河原遊び場」、イベントが開催される「七条入口広場」などがあります。また、有料施設として、平安建都1200年を記念して創設された日本庭園「朱雀の森」や京都で初めての復元型ビオトープ「いのちの森」、京都市電として初めて導入された車両が走る「チンチン電車」、レストランや多目的に利用できる貸室のある「緑の館」があります。

さらに、2012年3月に京都市初の本格的な水族館「京都市水族館」がオープンした他、2016年4月には、日本最大級の鉄道博物館京都鉄道博物館」もオープンし、京都でも有数の観光スポットの一つとなりました。

注)写真は七条通から梅小路公園への入口です。最寄りの梅小路京都西駅から公園へ行く際には、この入口は通りません

 

 

本日のスタートは、JR嵯峨野線梅小路京都西駅」です。

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梅小路京都西駅は2019年3月に出来た新しい駅です。梅小路公園は、広大な広場にたくさんの大型遊具もあり、子どもが大喜びする公園です。しかし、この駅が出来るまでは、最寄りの駅は京都駅か隣の丹波口駅で、どちらの駅からも徒歩15分ほどの、子連れにはちょっと行きにくい場所でした。他府県からの観光客にも人気の京都水族館京都鉄道博物館が園内に出来てから、そのアクセスの悪さが問題視されていました。そんな中、2015年2月に京都市JR西日本と新駅設置の合意書に署名し、事業化が決定。そして2019年3月に待望の新駅の開業となったのです。

この駅のおかげで本当にアクセスが良くなりました。

 

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梅小路京都西駅の改札を出たら、南東(左斜め前)へ進みます。

 

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スターバックスコーヒーの前を南へ進みます。

 

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正面に見えるのが「緑の館」です。「朱雀の庭」へは「緑の館」から入園します。

 

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「緑の館」の入口です。

 

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「朱雀の庭・いのちの森」へは「緑の館」の2階入り口より入園します。

 

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先ほどの入口を入って左手のこの建物の2階へ上がります。

 

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階段を上がり切ると、入園チケットの販売機があります。大人一人200円です。

チケットを購入し、このゲートを通って入園します。

 

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ゲートの向こうに案内板があります。

庭園内にトイレが無いので、入園する前に緑の館の中のトイレを利用されることをお勧めします。

 

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ゲートを入って「朱雀の庭」へ向かう通路の左手を見ると、一階におしゃれなレストランが。今回は昼食をとってから公園に伺ったので利用しませんでしたが、次回は利用してみたいと思いました。レストランからは庭園の絶景を見ながら食事が出来そうです。

 

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レストランを眺めながら、「朱雀の庭」へ向かいます。

 

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通路を抜けて、すぐ左手には、さっそくこの絶景が広がっています。

緑の館からは想像がつかないぐらい広大で美しい庭園です。

 

朱雀の庭とは

平安建都1200年を記念し、長い歴史の中で培ってきた京都の作庭技術、技法を結集し、伝統と創生の調和を目指して作庭された平成の日本庭園が「朱雀の庭」です。

 この池泉回遊式庭園には、中央の浅池の周囲に築山や滝、野筋や花床などが配置され、歩みにつれて変化する風景は、訪れるたびに新鮮な発見に満ちているそうです。

 

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梅小路公園「朱雀の庭」「いのちの森」パンフレットより抜粋

 

 

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レストランと反対側には「紅葉渓(もみじだに)」と名付けられた沢山のモミジの木があり、わずかに色づき始めていました。こちらのモミジはイロハモミジ(別名タカオカエデ)と言い、京都の紅葉の名所「高雄」の景色を偲ばせます。

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アカマツ林には、コバノミツバツツジやクマザサが広がり、昔の京都の風景を形づくっています。

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写真ではわかりにくいですが、水際にススキも色づき、モミジの緑色に秋らしさを添えています。

 

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平清盛公西八条第跡の石碑です。

この石碑から南東側に平家一門の邸宅群「西八条第(にしはちじょうてい)」があり、平清盛公だけでなく他の平家一門もこの地に邸宅を構えていたそうです。

平安末期の中心地だったんですね。

 

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この橋を渡ると「いのちの森」へ行けますが、次回ご紹介します。

 

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先ほどの橋と反対側の、水際へと続く堤のほうへ階段を下りて行きます。

 

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ところどころに大きな石が配置された気持ちの良い遊歩道が続きます。

 

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滝があります。落差6メートル、京都市内にある日本庭園の滝としては最大のものだそうです。

 

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写真の中央右寄りに月の形のフットライトが見えます。

11月中旬から下旬に「紅葉まつり」が行われ、苑内がライトアップされるそうです。

 

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野趣あふれる遊歩道を抜けると…

 

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先ほどまでの日本らしい趣きのある秋の野とはまた違った、現代絵画のように美しい景色が広がります。

御影石の上に1㎝だけ水を張り、周囲の景色がよく映り込むように施された「水鏡(みずかがみ)」です。水鏡のある水面の向こう側には先ほどのレストランが見えます。レストランから見た水鏡のある風景もさぞ美しいことでしょう。

 

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少し視線を左に振ると、レストラン横の桟橋まで続く飛び石がありますが、今日は飛び石は渡らずに、来た道を戻り、いのちの森への橋の向かいにあった階段付近まで行きます。

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階段を上って、最初に歩いていた庭の外周の遊歩道が見える場所まで戻りました。この辺りは日当たりが良いのか、周辺より一足早くモミジが紅葉していました。

秋の青空にモミジの赤や黄色が映えて一段と美しく見えます。

 

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更に庭の外周を進み、先ほどの紅葉したカエデを見晴らせる場所まで来ました。

この辺りには、低い盛り土でゆるやかな起伏をつけた小丘があり、これを平安時代からの庭園用語で「野筋(のすじ)」と言います。

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水が野を分けて流れる地形づくりのことを野筋と言うこともあり、平安時代、宮中では野筋の流れで詩を詠む「曲水の宴」が行われていました。

 

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緑のグラデーションと、ニチニチソウの鮮やかなピンク色がお互いを引き立てあっています。この花床(はなどこ)が水鏡に色鮮やかに浮かびあがり、さながら極楽浄土ような美しさに思わずため息が…

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もう少し先へ進むと池に突き出た舞台のような場所があり、そこにはフジバカマの植木鉢がたくさん並んでいました。フジバカマは、花そのものの美しさだけでなく、吸蜜のためたくさんの蝶が集まることでも知られています。フジバカマの花に含まれるピロリジジンアルカロイドの一種が、アサギマダラなど一部の蝶にとっては、雄が雌を誘うフェロモンを作るのに必須の物質だからです。梅小路公園の公式サイトに、10月初旬にこのフジバカマに、何千キロも海を渡る蝶アサギマダラが集まっているという記載がありましたが、私が訪ねた時は、残念ながらミドリヒョウモンという蝶しかいませんでした。それでもこの蝶とフジバカマと水鏡に照り映えるニチニチソウのコラボレーションは、それはそれは美しく夢のような光景でした。

 

蝶が舞うフジバカマのお寺 革堂行願寺を紹介しています。↓

www.yomurashamrock.me

 

フジバカマに集まるアサギマダラがいる奥嵯峨のお寺 祇王寺を紹介しています。↓

www.yomurashamrock.me

 

 

 

庭師で森の案内人 三浦豊さんによると、朱雀の庭の「池および、庭の中に設置された小川や滝の水は循環していて、静的な池の水、動的な川の水、コントラストを設けているのが特徴」だそうです。また、「水の流れだけでなく、植えた木々で視界をところどころさえぎって飽きさせない仕掛け」があり、「見えないけれどせせらぎは聞こえるので、ああ、川が流れているんだなあ、とわかる。さらに歩くと視界がひらけて、水の流れそのものが姿を見せるんです」と解説されています。

自然をそのままではなく、かといって自然を殺すでもなく、絶妙な塩梅と計算でつくられる、まさに日本庭園の作庭技術や技法を結集した庭園が、朱雀の庭なのですね。

 

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今回はほんのり色づいたモミジが見られましたが、11月中旬から下旬の「紅葉まつり」の頃には、まさに見ごろを迎えたモミジと水鏡の饗宴が見られ、さらに夜間のライトアップで幻想的な美しい世界を楽しめることと思います。京都駅からでも徒歩15分のお散歩圏内ですので、機会があればぜひ足を運んでみてください。

注)「紅葉まつり」については、梅小路公園の公式サイトより最新の情報をご確認ください。

 

次回は太古の森を彷彿とさせる「いのちの森」をご紹介します。