京都おすすめ散歩道

定番から穴場まで京都のお散歩コースを地元民の視点からご紹介

祇王寺 ~奥嵯峨の竹林に佇む静寂の草庵 ②木漏れ日に緑したたる苔の庭 

f:id:yomurashamroch:20211014140825j:plain

観光名所嵐山からほど近い奥嵯峨に、紅葉の名所として有名な祇王寺があります。すぐ近くの二尊院と並んで、紅葉の美しさは京都でも有数ですが、実は秋の紅葉だけでなく、他の季節にも息を飲むほどの神秘的な美しさがあります。

紅葉にはまだかなり早い10月初旬、そんな祇王寺の魅力を探りに訪ねてみました。

 

祇王寺の場所

goo.gl

 

祇王寺の行き方

・電車で

 ①JR嵯峨野線

   「嵯峨嵐山駅」下車 徒歩25分

 ②京福電気鉄道

   「嵐山駅」下車 徒歩25分

 

・市バスで

 ①四条河原町から

  市バス11番(山越中町行)乗車(約50分)

  「嵯峨小学校前」下車 徒歩17分

 ②四条烏丸(阪急烏丸駅)から

  市バス91番(大覚寺行)乗車(約45分)

  「嵯峨釈迦堂前」下車 徒歩15分

 ③阪急嵐山駅から

  市バス28番(大覚寺行)乗車(約10分)

  「嵯峨釈迦堂前」下車 徒歩15分

 

嵯峨嵐山駅から祇王寺までの行き方は以下をご参照ください。↓

www.yomurashamrock.me

 

 

嵯峨嵐山駅から徒歩25分ほど歩き、竹林や落柿舎、二尊院などを経て、小倉山の麓の坂道を登ると、祇王寺まではもうすぐです。

f:id:yomurashamroch:20211010210752j:plain

小さく「祇王寺」と書かれた木の案内板がありました。もうすぐでしょうか。

案内板に従ってまっすぐ進みます。

 

f:id:yomurashamroch:20211010211003j:plain

坂道はまだ続きます。

右手には「檀林寺」の案内板があります。さらに坂道を登って行きます。

 

f:id:yomurashamroch:20211010213242j:plain

檀林寺の門の前あたり、坂の途中に、なぜか「祇王寺←→大覚寺 歩きマップ」という地図がありました。嵯峨、嵐山周辺にはたくさんの寺院がありますが、なぜこの二つの寺院を一緒に巡るのでしょうか?

 

f:id:yomurashamroch:20211010211516j:plain

急な坂を上り切った先に祇王寺がありました。竹林と青紅葉に囲まれたつつましやかな趣きある入口です。

祇王寺とは

f:id:yomurashamroch:20211010212047j:plain

祇王寺は往生院祇王寺と号する真言宗の寺院です。寺伝によれば、この地は平安時代に開創し、後に祇王寺と呼ばれるようになったそうです。

 平家物語によれば、祇王平清盛に寵愛された白拍子でしたが、若い仏御前の出現により清盛の心が離れてしまったので、母刀自(とじ)、妹祇女と共に出家し、当地に移り住みました。後に「いつかわが身も同じ運命」と悟った仏御前も旧怨を捨てた祇王母子に加わり、4人で念仏三昧の余生を送ったと伝えられています。

 現在の本堂は、明治28年(1895)に再建されたもので、堂内には、本尊大日如来像をはじめ、平清盛祇王ら四人の尼僧像を安置しています。

 

f:id:yomurashamroch:20211010212654j:plain

さっそく祇王寺に入って行きましょう。

こじんまりとした茅葺の門も苔むしていて、何とも趣きがあります。

 

祇王寺大覚寺

f:id:yomurashamroch:20211010213008j:plain

拝観料を払い、境内へ入りましょう。と、拝観受付で気づいたのですが、大覚寺祇王寺には深い関係がありました。

祇王寺は昔の往生院の境内にあり、往生院は法然上人の門弟良鎮によって創建されたと伝わっています。山上山下にわたって広い寺域を占めていた往生院も後年は荒廃し、ささやかな尼寺として残り、後に祇王寺と呼ばれるようになりました。

祇王寺墓地には祇王の墓があります。

明治初年に祇王寺は廃寺になりましたが、残された墓と仏像は旧地頭の大覚寺によって保管されました。大覚寺門跡の楠玉諦師はこれを惜しみ、再建を計画していました。その時、元京都府知事北垣国通氏が祇王の話を聞き、明治28年(1895)に嵯峨にあった別荘一棟を寄付されました。これが現在の祇王寺の建物です。これらの関係から、祇王寺真言宗大覚寺派の寺院で、旧嵯峨御所大本山大覚寺塔頭寺院ともなっています。このため、祇王寺大覚寺(2カ寺)共通拝観券があり、祇王寺300円、大覚寺500円ですが共通拝観券は600円となっています。こんな関係から、先ほどの祇王寺大覚寺を結んだ案内地図があったのですね。

 

緑したたる苔の庭

f:id:yomurashamroch:20211010215951j:plain

境内に一歩足を踏み入れると、そこは柔らかい木漏れ日の中で竹林と青紅葉に囲まれ、緑したたる苔で覆われた、息をのむほどに神秘的な美しさに満ちた静かな世界でした。

 

f:id:yomurashamroch:20211010220252j:plain

10月とは言え30度を超すほど暑い日もあり、紅葉はまだまだ先のようですが、苔むした緑の庭の美しさに出会えるこの時期に、祇王寺を訪れたことは本当に幸運に感じました。

 

東山魁夷川端康成の友情から生まれた絵画

f:id:yomurashamroch:20211010221925j:plain

順路に従って一旦、この茅葺の門を出て左へ進みます。

 

f:id:yomurashamroch:20211010222246j:plain

茅葺の門の内側に興味深い展示がありました。

一番上の「行く春」という絵画は東山魁夷が、祇王寺の苔庭に落ちた桜の花びらを描いた作品です。文豪 川端康成は「京都を描くなら今のうちに」と、急速な近代化で変貌する京都の町の姿を絵の中にとどめて欲しいと東山魁夷に勧めたそうです。この二人は不思議な縁で結ばれていました。明治生まれの二人の出会いは、中年を過ぎた昭和30年ごろで、友情は昭和47年に川端が亡くなるまで続きました。面白いことに川端は少年時代に画家を志し、一方の東山も文学に傾倒した時期があったそうです。また、ともに早くに肉親を亡くした孤独感を抱えてており、そんなことも二人の結びつきを深めたのかもしれませんね。

 

f:id:yomurashamroch:20211012221523j:plain

一旦、茅葺の門を出て順路に従って左へ進みます。

 

f:id:yomurashamroch:20211012221717j:plain

再び苔の庭へと入って行きます。

 

f:id:yomurashamroch:20211012222511j:plain

 

フタバアオイ

f:id:yomurashamroch:20211012222605j:plain

更に奥へ進むと、苔の庭に「フタバアオイ」が固まって生えていて、説明書きがありました。

テレビ時代劇などでおなじみの「この紋所が見に入らぬか?」という徳川家の三つ葉葵の紋所は、フタバアオイの葉三枚を組み合わせたものと言われています。フタバアオイは5月15日に賀茂御祖神社下鴨神社)と賀茂別雷神社上賀茂神社)で行われる京都三大祭の一つ「葵祭」の飾りつけに用いられるため、カモアオイの別名もあります。

f:id:yomurashamroch:20211012223351j:plain

フタバアオイの通常の葉の数は2枚だそうです。3つの葉をもつフタバアオイは稀で、三つ葉葵は架空のもののようです。

 

苔いろいろ

f:id:yomurashamroch:20211012224844j:plain

f:id:yomurashamroch:20211013110901j:plain

祇王寺内には20~30種類もの苔が植わっているそうです。代表的なものがこの説明書きで写真と植わっている位置が示されています。

下の苔の写真は右からハイゴケ、シノブゴケ、スギゴケ、ヒノキゴケ、コツボゴケ、のようです(一応ネットで調べてみましたが、いまいち違いがわかりません)

 

縁起の良い赤い実いろいろ

f:id:yomurashamroch:20211012230218j:plain

f:id:yomurashamroch:20211012230233j:plain

赤い実がなる植物の中で、「両」の名前が付くお正月に重宝されるおめでたい植物と言えば、万両、千両が有名ですが、そのほか一両、十両、百両もあるようです。

だいたい秋から冬に赤い実をつけるので、まだ暑い10月ではどれも実はともかく花も咲いていませんが、それぞれ別の種類の植物だそうです。

祇王の歌碑

f:id:yomurashamroch:20211012231516j:plain

平家物語』に書かれている、祇王が清盛のもとを去る時に、屋敷の襖に書き付けたとされる歌の歌碑です。

「萌え出づる 枯るるも同じ 野辺の草 いづれか秋に あはではつべき」

芽生えたばかりの草も枯れようとする草も、野辺の草は結局みな同じように、秋になると枯れ果ててしまうのです。人もまた、誰しもいつかは恋人に飽きられてしまうのでしょう。

祇王の悲しい恋と世の無常をつづった歌に胸が痛みます。

 

草庵

祇王 祇女 母刀自 仏御前

写真:祇王寺公式サイトより

ひっそりと佇むかやぶき屋根の草庵。中には祇王、祇女、刀自、仏御前ら五人の木像が安置されている仏間があり、吉野窓から外の景色を眺めることもできます。

 

仏像

仏間苔庭

写真:祇王寺公式サイトより

草庵の中の仏間には、本尊大日如来平清盛祇王、祇女、母刀自、仏御前の木造が安置されています。祇王、祇女の像が鎌倉末期の作で、その時代に特徴的な手法であった水晶(玉眼)が印象的です。

 

吉野窓

f:id:yomurashamroch:20211013111749j:plain

草庵の奥の間の大きな窓を吉野窓と言います。境内の緑葉を通って差し込む日差しが障子に色とりどりの色彩を映し出すことから「虹の窓」とも呼ばれています。窓からの景色ももちろん美しいのですが、部屋から眺めるこの窓自体が幻想的な光を放つフォトジェニックな佇まいです。

 

藤袴とアサギマダラ

f:id:yomurashamroch:20211013113104j:plain

この草庵の入口に藤袴の鉢植えが並べられていて、そこにアサギマダラという蝶が何匹も集まって蜜を吸っていました。

秋の七草の一つである藤袴(フジバカマ)は、吸蜜のためにたくさんの蝶が集まることでも知られています。

アサギマダラなど一部の蝶は、藤袴の花に含まれる、ピロリジジンアルカロイドの一種を摂取する必要があります。これらの蝶にとって、ピロリジジンアルカロイドは雄が雌を誘うフェロモンを作るのに必須の物質だからです。

実は一週間前に藤袴で有名な中京区のお寺「革堂行願寺(こうどうぎょうがんじ)」へ行ってきたところなのです。この時はアサギマダラの姿は見かけたものの、とてもシャイな蝶だったのか藤袴で蜜を吸う姿を写真に納めることが出来ませんでした。アサギマダラの美しさに魅せられた私は、写真を撮れなかったことが大変心残りでした。そんな折、たまたま祇王寺の公式サイトでアサギマダラが集まっていると知り、これは是非見に行かねば!と意気込んで、祇王寺を訪ねたという訳です。私はスマホしか持っていないので、アサギマダラの美しさをきちんと伝えられるような写真は撮れなかったのですが、それでも時を忘れ藤袴とアサギマダラの競演を堪能することが出来、必死で坂道を登った甲斐があったと満足感でいっぱいになりました。

f:id:yomurashamroch:20211013233545j:plain

f:id:yomurashamroch:20211013233941j:plain

 

水琴窟

f:id:yomurashamroch:20211014100207j:plain

草庵の入口に水琴窟があります。涼し気な音が緑の中に溶け込み、疲れた心を癒してくれます。

 

宝篋印塔

f:id:yomurashamroch:20211014101357j:plain

向かって左の宝篋印塔が祇王、祇女、刀自のお墓で、右の五輪塔平清盛の供養塔で、いずれも鎌倉時代に作られたものだそうです。時の権力者に翻弄された悲恋の物語の主人公たちも、今は静かにこの地を見守っているのですね。

 

祇王寺祇女桜

f:id:yomurashamroch:20211014102213j:plain

京都 円山公園のしだれ桜の桜守りで有名な佐野藤右衛門が、京都市右京区・嵯峨の中院に自生していたものを発見し、祇王寺の庭に移植したもので、祇王の妹祇女に因み、佐野が「祇王祇女桜」と命名しました。

 

 

緑したたる苔庭で優雅なひとときを過ごせる祇王寺

祇王寺は境内をぐるりと歩いて回っても20分もかからないほどの小さなお寺です。しかし、竹林と楓にかこまれたこちらのお庭は、木漏れ日の優しい光が苔庭の瑞々しい緑を照らす神々しいまでの美しさをたたえています。さらに、この時期は藤袴に群れ飛ぶアサギマダラも見られ、何とも優雅なひとときを過ごすことが出来ます。

もちろん、紅葉の時期は青々とした苔庭に楓の紅葉が映えて錦秋の名にふさわしい美しさです。

嵯峨嵐山駅からは徒歩25分は結構な距離ですが、道中は落柿舎周辺ののどかな田園風景や竹林、嵯峨野らしい閑静な住宅街やお土産物屋さんなどもあり、飽きることはありません。坂道を登ることもありますので、歩きやすい服装や靴でお越しください。

 

嵯峨嵐山周辺は他にもお散歩スポットがたくさんあります。

 

世界遺産天龍寺

www.yomurashamrock.me

 

 

渡月橋の西にある穴場スポット亀山公園↓

www.yomurashamrock.me

 

 

亀山公園の向かいにある絶景寺院 大悲閣千光寺↓

www.yomurashamrock.me

 

亀山公園の近くの日本画の美術館 福田美術館↓

www.yomurashamrock.me

 

福田美術館の近くの、百人一首日本画の美術館 嵯峨嵐山文華館↓

www.yomurashamrock.me

 

日本で唯一の髪の神社 御髪神社

www.yomurashamrock.me

 

 

祇王寺~奥嵯峨の竹林に佇む静寂の草庵  ①嵯峨嵐山駅から祇王寺まで

f:id:yomurashamroch:20211014141011j:plain

観光名所嵐山からほど近い奥嵯峨に、紅葉の名所として有名な祇王寺があります。すぐ近くの二尊院と並んで、紅葉の美しさは京都でも有数ですが、実は秋の紅葉だけでなく、他の季節にも息を飲むほどの神秘的な美しさがあります。

紅葉にはまだかなり早い10月初旬、そんな祇王寺の魅力を探りに訪ねてみました。

 

祇王寺の場所

goo.gl

 

祇王寺の行き方

・電車で

 ①JR嵯峨野線

   「嵯峨嵐山駅」下車 徒歩25分

 ②京福電気鉄道

   「嵐山駅」下車 徒歩25分

 

・市バスで

 ①四条河原町から

  市バス11番(山越中町行)乗車(約50分)

  「嵯峨小学校前」下車 徒歩17分

 ②四条烏丸(阪急烏丸駅)から

  市バス91番(大覚寺行)乗車(約45分)

  「嵯峨釈迦堂前」下車 徒歩15分

 ③阪急嵐山駅から

  市バス28番(大覚寺行)乗車(約10分)

  「嵯峨釈迦堂前」下車 徒歩15分

 

 

今回のスタートはJR嵯峨嵐山駅です。

f:id:yomurashamroch:20211009224932j:plain

改札口を出て、北口(右手)へ向かいます。

 

f:id:yomurashamroch:20211009225134j:plain

コンビニの前を通って階段を降ります。

 

f:id:yomurashamroch:20211009225338j:plain

北口から西側(左)へ出ます。

 

f:id:yomurashamroch:20211009225532j:plain

このゲートを出て北(右)へ向かいます。

 

f:id:yomurashamroch:20211009225714j:plain

ゲートを出た所です。北(前方)へ向かいます。

 

f:id:yomurashamroch:20211009230020j:plain

突き当りを西(左)へ曲がります。

 

f:id:yomurashamroch:20211009230315j:plain

住宅街の間の道を200mほど西へ向かいます。

 

f:id:yomurashamroch:20211009230440j:plain

ファミリーマートの角を北(右)へ曲がります。

 

f:id:yomurashamroch:20211009230752j:plain

この道をまっすぐ北へ向かいます。

 

f:id:yomurashamroch:20211009230938j:plain

突き当りは丸太町通です。

f:id:yomurashamroch:20211009231117j:plain

丸太町通の信号を北へ渡り、西(左)へ向かいます。

 

f:id:yomurashamroch:20211009231452j:plain

丸太町通を120mほど西へ向かうと交差点があります。信号を渡りそのまま西へ向かいます。

 

f:id:yomurashamroch:20211009231658j:plain

この日は嵯峨小学校のグラウンドを借りて、近所の嵯峨幼稚園の運動会が行われていました。感染防止のため、学年毎に入れ替え制で行われていたようで、校門付近は学校へ入る幼児と家族と、競技が終わって帰宅する幼児と家族でごった返していました。

長かった緊急事態宣言が明けて、運動会が行えた嬉しさが、子どもたちや保護者の表情から感じられた気がしました。秋晴れで良かったですね。

 

f:id:yomurashamroch:20211009232458j:plain

嵯峨小学校の前を西へ進むと信号があるので、このまま西へ渡ります。

 

f:id:yomurashamroch:20211009232814j:plain

60mほど進むと道が二手に分かれています。左へ進みます。

 

f:id:yomurashamroch:20211009233135j:plain

このまま右側の市営住宅の前の道を進んでもいいのですが、左に曲がって竹林沿いの道を更に西へ進みます。

 

f:id:yomurashamroch:20211009233353j:plain

竹林沿いの道です。向こうから人力車が来ます。緊急事態宣言中は観光客も少なく、人力車の車夫の方たちも暇そうでしたが、今日は何台もお客を乗せている方とすれ違いました。車夫の方も嬉しそうに生き生きと案内されていました。

 

f:id:yomurashamroch:20211009234051j:plain

右手に観光案内の案内板があります。祇王寺へもこのまま西へ進みます。

 

f:id:yomurashamroch:20211009234235j:plain

道が三方に分かれています。案内板に従って、真ん中の道を北へ進みます。

 

f:id:yomurashamroch:20211009234425j:plain

児童公園の横の道を北へ進みます。

 

f:id:yomurashamroch:20211009234634j:plain

左前方に「嵯峨野めぐり」の案内板が出ています。案内板に従って西(左)へ曲がります。

 

f:id:yomurashamroch:20211009235222j:plain

紅葉はまだわずかですが、ススキが生えていて、ほんのり秋の気配です。

 

f:id:yomurashamroch:20211009235755j:plain

100mほど進むと右手の空き地の向こうに落柿舎が。この辺りは歴史的風土保存地区なのでしょうか。電柱も無く、一瞬、江戸時代にタイムスリップしたようなのどかな風景が広がります。

f:id:yomurashamroch:20211010110919j:plain

更に進むと案内板が。祇王寺へは北(右)へ曲がります。

 

f:id:yomurashamroch:20211010111553j:plain

60mほど進むと道の左手に雑貨店があります。

ちょっと寄り道してこの店の前を東(右)へ曲がります。

 

f:id:yomurashamroch:20211010111821j:plain

嵯峨天皇皇女有智子内親王墓があります。この辺りは皇室関係のお墓があちこちにあります。

 

f:id:yomurashamroch:20211010112106j:plain

落柿舎です。松尾芭蕉の弟子 向井去来の別荘として使用されていた庵です。「落柿舎」という名の由来は、庵の周囲の柿が一夜にしてすべて落ちてしまったことによります。芭蕉も3度訪れ滞在し、「嵯峨日記」を記した場所としても知られています。現在も庵には柿の木が何本もあります。

 

さて、元の道に戻って北へ向かいます。

f:id:yomurashamroch:20211010204848j:plain

案内板があります。祇王寺は出ていませんが、二尊院の近くなので二尊院を目指します。

 

f:id:yomurashamroch:20211010205109j:plain

嵯峨落柿舎北公衆トイレです。トイレも和風で趣きがありますね。

 

f:id:yomurashamroch:20211010205432j:plain

更に100mほど北へ進むと二尊院に着きました。非常に立派な門構えです。

嵯峨野巡りの主要スポットの一つで、秋の紅葉の美しさは大変有名です。紅葉の時期は多くの観光客で賑わいますが、今日はほとんど訪れる人はいませんでした。

f:id:yomurashamroch:20211010205814j:plain

二尊院を後にして、更に北へ進み、突き当りを左へ曲がります。

 

f:id:yomurashamroch:20211010210022j:plain

道なりに右へ曲がります。結構な坂道で息が上がります。

 

f:id:yomurashamroch:20211010210349j:plain

更に坂道を上り道なりに左へ曲がります。

 

f:id:yomurashamroch:20211010210529j:plain

坂道の先に小倉山が見えて来ました。更に坂を上ります。

 

f:id:yomurashamroch:20211010210752j:plain

小さく「祇王寺」と書かれた木の案内板がありました。もうすぐでしょうか。

案内板に従ってまっすぐ進みます。

 

f:id:yomurashamroch:20211010211003j:plain

坂道はまだ続きます。

右手には「檀林寺」の案内板があります。さらに坂道を登って行きます。

 

f:id:yomurashamroch:20211010213242j:plain

坂の途中、檀林寺の前あたりに、なぜか「祇王寺←→大覚寺 歩きマップ」という地図がありました。嵯峨、嵐山周辺にはたくさんの寺院がありますが、なぜこの二つの寺院を一緒に巡るのでしょうか?

 

 

f:id:yomurashamroch:20211010211516j:plain

急な坂を上り切った先に祇王寺がありました。竹林と青紅葉に囲まれたつつましやかな趣きある入口です。

 

祇王寺とは

f:id:yomurashamroch:20211010212047j:plain

祇王寺は往生院祇王寺と号する真言宗の寺院です。寺伝によれば、この地は平安時代に開創し、後に祇王寺と呼ばれるようになったそうです。

 平家物語によれば、祇王平清盛に寵愛された白拍子でしたが、若い仏御前の出現により清盛の心が離れてしまったので、母刀自(とじ)、妹祇女と共に出家し、当地に移り住みました。後に「いつかわが身も同じ運命」と悟った仏御前も旧怨を捨てた祇王母子に加わり、4人で念仏三昧の余生を送ったと伝えられています。

 現在の本堂は、明治28年(1895)に再建されたもので、堂内には、本尊大日如来像をはじめ、平清盛祇王ら四人の尼僧像を安置しています。

 

f:id:yomurashamroch:20211010212654j:plain

さっそく祇王寺に入って行きましょう。

こじんまりとした茅葺の門も苔むしていて、何とも趣きがあります。

 

ここから先は次回へ続きます。

www.yomurashamrock.me

 

嵯峨嵐山駅から徒歩25分は結構な距離ですが、道中には落柿舎周辺ののどかな田園風景や竹林、嵯峨野らしい閑静な住宅街やお土産物屋さんなどもあり、飽きることはありません。坂道を登ることもありますので、歩きやすい服装や靴でお越しください。

 

 

 

 

嵯峨嵐山周辺は他にもお散歩スポットがたくさんあります。

 

世界遺産天龍寺

www.yomurashamrock.me

 

 

渡月橋の西にある穴場スポット亀山公園↓

www.yomurashamrock.me

 

 

亀山公園の向かいにある絶景寺院 大悲閣千光寺↓

www.yomurashamrock.me

 

亀山公園の近くの日本画の美術館 福田美術館↓

www.yomurashamrock.me

 

福田美術館の近くの、百人一首日本画の美術館 嵯峨嵐山文華館↓

www.yomurashamrock.me

 

日本で唯一の髪の神社 御髪神社

www.yomurashamrock.me

 

 

革堂行願寺 ~蝶が舞う藤袴の寺~

f:id:yomurashamroch:20211003231554j:plain

御所の東南、寺町丸太町を下がった街中にある小さなお寺「革堂行願寺(こうどうぎょうがんじ)」。西国三十三ヶ所めぐりの十九番札所にあたります。

こちらのお寺とその周辺では例年10月初旬に「藤袴祭」が開催されます。今年はコロナウイルス感染拡大防止のため中止と聞いていましたが、そんな中でも藤袴が咲いているとの情報を得て、伺ってみました。

 

革堂行願寺の場所

goo.gl

 

革堂行願寺の行き方

京阪電車 

  「神宮丸太町駅」下車徒歩約10分

京都市営地下鉄

  「京市役所前駅」下車徒歩約15分

 

今回のスタートは京阪電車 神宮丸太町駅です。

f:id:yomurashamroch:20211005225813j:plain

改札口を出て右へ向かいます。

 

f:id:yomurashamroch:20211005230009j:plain

右手の1番出口へ向かいます。

 

f:id:yomurashamroch:20211005230154j:plain

案内板に従って1番出口へ向かって右へ曲がります。

 

f:id:yomurashamroch:20211005230342j:plain

曲がったところです。突き当りの階段を上がります。

 

f:id:yomurashamroch:20211005230517j:plain

階段を上がり切ったところです。右側は川端通です。そのまま北へ向かいます。

 

f:id:yomurashamroch:20211005230715j:plain

川端通の左(西)側は、鴨川です。左前方は丸太町通に続く丸太町橋です。

 

f:id:yomurashamroch:20211005231146j:plain

f:id:yomurashamroch:20211005231414j:plain

この日は長かった緊急事態宣言解除後初めての日曜日、鴨川は散歩や川遊び、ボール遊びなどを思い思いに楽しむ人々の姿が見られました。

 

f:id:yomurashamroch:20211005231513j:plain

丸太町橋を渡り、丸太町通を西へ向かいます。

 

f:id:yomurashamroch:20211005231710j:plain

丸太町通を200mほど西へ進むと河原町丸太町の交差点です。右前方にあるのは御所東小学校です。

 

f:id:yomurashamroch:20211005232351j:plain

河原町丸太町の交差点を西へ渡ります。

 

f:id:yomurashamroch:20211005232529j:plain

80mほど進み、京都中央信用金庫の角を南(左)へ曲がります。

 

f:id:yomurashamroch:20211005233940j:plain

曲がったところです。このまま南へ進みます。

 

f:id:yomurashamroch:20211005232942j:plain

進行方向右手が下御霊神社の裏側です。このまま神社沿いを南へ進みます。

 

 

f:id:yomurashamroch:20211005233455j:plain

一筋目を西(右)へ進みます。

 

f:id:yomurashamroch:20211005233228j:plain

曲がったところです。右手は下御霊神社の南側の壁です。この道を西へ進みます。

 

f:id:yomurashamroch:20211005234239j:plain

突き当りが寺町通です。南(左)へ曲がります。

 

f:id:yomurashamroch:20211006214252j:plain

寺町通を40mほど南へ進むと

 

f:id:yomurashamroch:20211006214611j:plain

寺町通に面して左手に革堂行願寺があります。観光地化された立派な門がまえの大寺院ではなく、周囲のビルに挟まれてさりげなくそこにある、という感じで、何とも京都らしいお寺です。

 

革堂行願寺とは

f:id:yomurashamroch:20211006214831j:plain

行願寺天台宗の寺院で山号は霊麀山(れいゆうざん)。西国三十三所第19番札所です。

寛弘元年(1004)、行円上人が上京区の一条小川に創建しました。当初の寺地は現在の京都御苑の西方で、付近には革堂町、革堂中之町、革堂西町の町名が残っています。「行願寺」とは、いっさいの人々の成仏を「願い、行じる」思いがこめられています。

行円は仏門に入る前は狩猟を業としていましたが、ある時、子を身ごもった雌鹿を射止めてしまいました。そのことを悔いた行円が、常にその皮をまとって鹿を憐み、人々から皮聖(かわひじり)と呼ばれていたことから、行願寺は革堂と呼ばれるようになったそうです。

以降、人々からの厚い信仰を受け、町堂として栄えてきましたが、度重なる火災により寺地を転々とし、宝永5年(1708)の大火の後、現在の場所に移されました。

現在の本堂は、文化12年(1815)に建てられたもので、堂内には行円上人の作と伝えられる本尊千手観音像を安置しています。

 

f:id:yomurashamroch:20211007131432j:plain

山門の前の由緒書の立て札の脇で、さっそく藤袴の花がお出迎えです。

 

f:id:yomurashamroch:20211007132304j:plain

藤袴に黄色い蝶がやってきたので、夢中で写真を撮りました。

さっそく中へ入って行きましょう。

f:id:yomurashamroch:20211007135250j:plain

参道の脇にはずらりと藤袴の鉢が。夏はその奥にあるハスの鉢が並んでいたそうです。

革堂はハスの花でも有名だそうです。

 

f:id:yomurashamroch:20211007135702j:plain

本堂'(京都市指定有形文化財)の前には「西国19番 革堂行願寺」の石碑が。霊場巡りをされている方の姿もたくさん見かけました。

 

f:id:yomurashamroch:20211007140121j:plain

本堂の右横に、沢山の藤袴の鉢植えが並んでいました。

 

f:id:yomurashamroch:20211007140257j:plain

藤袴の鉢植えの横に、「藤袴祭」のフライヤーが掲示してありました。

それによると、「例年10月に藤袴保全育成および京都の花として秋の風物詩となるよう開催してきた藤袴祭ですが地域の安心安全および感染拡大を防止するため縮小あるいは中止します。

なお、この窮屈な日常を強いられている今、例年通りの藤袴展示はしませんが普段の生活に少しだけ彩りを添えることが出来ればと思い、皆様にご協力いただき育てられた藤袴は革堂、下御霊神社、各スタンプラリー会場、地域の学校、寺町通りに一部並べます。」ということだそうです。少しだけでも展示していただき本当に嬉しく思いました。

 

f:id:yomurashamroch:20211007141941j:plain

たくさんの藤袴の鉢植えに、またもや黄色い蝶が数匹やってきました。

調べてみたらミドリヒョウモンという名前だそうです。

 

秋の七草藤袴

秋の七草として知られる「藤袴(フジバカマ)」。

秋の七草は、奈良時代の貴族 山上憶良(やまのうえの おくら)が詠んだ歌が由来とされます。

「秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花」(万葉集巻八一五三七)(訳)秋の野に咲いている花を、指を折って数えてみれば、七種類の花がある。

「萩の花 尾花 葛花 撫子 瞿麦の花 姫部志 また藤袴 朝貌の花」(万葉集巻八一五三八)(訳)萩の花 尾花(オバナ=ススキ) 葛花(クズ) 瞿麦(ナデシコ

の花 姫部志(オミナエシ) 藤袴(フジバカマ) 朝貌(アサガオ=現在のキキョウ)

憶良は1首目で秋に咲く草花を数えて、2首目でその花の名前を挙げています。当時は季節の草花を歌に詠むことが多くありました。憶良がこの2首を詠んだことにより、上記7つが秋を代表する草花として認知されるようになったようです。

 

フジバカマは中国原産で、奈良時代に伝わったとされます。当時は薬草として使われていました。乾燥させると独特の香りを放ち、中国ではお風呂に入れたり、匂い袋に入れて持ち歩いたりするなど愛用されました。かつては関東より西の地方で見られましたが、環境の変化などで数が減少、京都では「絶滅寸前種」に指定されています。

しかし、1998年に京都の大原野で再発見された野生種の藤袴が、京都各地の寺社へと広がり、各地で美しい花を咲かせるようになりました。

 

藤袴と蝶

藤袴の魅力は、花そのものの美しさだけではありません。吸蜜のためにたくさんの蝶が藤袴へ集まります。

アサギマダラなど一部の蝶は、藤袴の花に含まれる、ピロリジジンアルカロイドの一種を摂取する必要があるそうです。これらの蝶にとって、ピロリジジンアルカロイドは、雄が雌を誘うフェロモンを作るのに必須の物質です。そのため、アサギマダラなどの蝶にとっては、子孫を残すために藤袴などの蜜を吸う必要があるのですね。

f:id:yomurashamroch:20211008130300p:plain

アサギマダラは、マダラチョウの仲間で、羽を広げた時の大きさは10センチほどと大きく、春から秋にかけて見られる珍しい蝶です。名前の通り浅葱色の美しい翅をしています。浅葱色とは薄い藍色のことで、漢字の通り、薄い葱(ねぎ)の葉のような色に由来します。

アサギマダラは、春には南から北へ移動し、秋には北から南へと移動する「海を渡る蝶」として知られています。春に暑さを避けて台湾や南西諸島から本州へと渡り、秋には本州から台湾から南西諸島へと渡ります。これまでの調査では、和歌山で放たれたアサギマダラが83日後に香港で発見されたのが最長記録で、実に約2500kmを旅したそうです。一日に200kmを移動したという記録もあります。

暑さが苦手なアサギマダラは本州でも朝や夕方に見られることが多いそうです。

 

 

革堂の境内

さて、本堂をお参りしたので、更に境内の奥(北)へと進みます。

f:id:yomurashamroch:20211008131837j:plain

本堂の手前を左手へと進みます。写真手前の鉢植えは、コムラサキです。

 

f:id:yomurashamroch:20211008132043j:plain

紫色の可憐な果実が秋らしい風情を感じさせます。

 

七福神と寿老人

f:id:yomurashamroch:20211008132616j:plain

参道を更に奥(北)へ進むと、左手(西)に寿老神堂があります。

 

f:id:yomurashamroch:20211008132726j:plain

寿老神堂の横にはずらりと並んだ七福神の石像が。横でたなびく幟には「日本最古 都七福神」と書いてあります。これはどういうことでしょうか?

調べてみると、都七福神(みやこしちふくじん)は京都府内の7箇所の社寺から構成される七福神巡りの巡礼札所だそうです。七福神めぐりは今で全国各地で行われていますが、もともとは京都が発祥なんだとか。特に新春に巡拝すると「七難即滅」「七福即生極まりなし」とされ、功徳が大きいとのことです。

七福神の七人の神様が祀られる社寺が7つあり、革堂は先ほどの「寿老人」の神堂があります。この神様は、不老長寿のご利益を授けてくださるそうです。

f:id:yomurashamroch:20211008211902j:plain

こちらがその寿老人(じゅろうじん)です。中国が発祥で、三千年とも千五百年とも言われる長寿の玄鹿を従え、巻物をつけた杖を携えています。なんとも福々しい、良いお顔の神様ですね~

 

庫裏

f:id:yomurashamroch:20211008215317j:plain

七福神の向かい側あたりにあるのが、僧侶の居住する場所や台所、そして寺務所を兼ねる場合もある庫裏(くり)です。

 

鎮宅霊符神堂と鐘楼

f:id:yomurashamroch:20211008220336j:plain

庫裏の奥、参道の北の突き当りに鎮宅霊符神(北辰妙見菩薩を祀る鎮宅霊符神堂と鐘楼(京都市指定有形文化財 - 文化元年(1804年)再建)があります。

 

加茂大明神五輪塔

f:id:yomurashamroch:20211008221306j:plain

大きな五輪塔の水輪部分に加茂大明神が祀られています。

 

藤袴とアサギマダラなどの蝶

f:id:yomurashamroch:20211008221617j:plain

加茂大明神五輪塔の向かい、境内の一番奥まったところにも、藤袴の鉢植えが沢山ありました。

f:id:yomurashamroch:20211008221947j:plain

f:id:yomurashamroch:20211008233226j:plain

藤袴には何匹もの黄色い蝶 ミドリヒョウモンがやってきて蜜を吸っていました。

私がこの辺りで蝶を眺めていると、一匹のアサギマダラらしき蝶も現れました。大喜びで近寄ると、その蝶はすぐに革堂の境内から出てしまいました。

何とかアサギマダラの姿を写真に納めたい…と30分ほど境内をウロウロして待ち構えていました。アサギマダラはその後、二度ほど境内に現れたのですが、人間を嫌っているのか、私の気配を察するとすぐにどこかへ飛んで行ってしまいました。

 

f:id:yomurashamroch:20211008234943p:plain

こんな写真が撮りたかったのですが…まあ、スマホなのでこんなにクリアな画像はそもそも無理でしょうが(笑)とにかくチラっと見かけただけですが、透明感のある浅葱色の翅をヒラヒラさせて飛ぶ様は、優雅で一度見たら忘れられません。コロナが収まって、藤袴祭が復活した暁には、是非とも藤袴の間を飛び交うたくさんのアサギマダラと再会したいと切に願います。

 

革堂のネコ

f:id:yomurashamroch:20211009001530j:plain

革堂には数匹のネコがいます。屋根の上で昼寝をしたり、参道で寝そべったり、檀家さんに名前で呼ばれているネコもいました。

 

町中で市民に愛される革堂行願寺

f:id:yomurashamroch:20211009002430j:plain

2021年の藤袴祭は残念ながら中止となりましたが、境内だけでなく、街路樹下のスペースや近隣の小学校や幼稚園、そのほか寺町通りの各所でも藤袴の定植作業に市民のボランティアが活躍したそうです。私が訪れた際も、西国三十三ヶ所巡りの巡礼の方だけでなく、ふらりとお散歩に来られた家族連れなどもたくさん見かけました。

革堂行願寺は、ビルや商店に囲まれた小さな門構えながら奥は意外と広く、地域の人々の生活に根差し、町なかにありながらアサギマダラなどの珍しい蝶も見られ、四季折々の自然を感じられる本当に京都らしいお寺です。近くには京御苑や寺町通には蘆山寺、梨木神社なども点在しており、恰好のお散歩コースですので、是非一度足をお運びください。

 

 

周辺のお散歩スポットも以下のブログでご紹介しています。

寺町通を100mほど北上すると、もう京都御苑は目の前です。↓

 

www.yomurashamrock.me

 

 

 

寺町通を1kmほど北上すると梨木神社があります。↓

www.yomurashamrock.me

 

寺町通をはさんで梨木神社の向かいには蘆山寺があります。↓

 

www.yomurashamrock.me

 

 

梨木神社や蘆山寺からさらに寺町通を北上し、御所の真北には相国寺があります。↓

www.yomurashamrock.me

 

 

相国寺の中にある承天閣美術館伊藤若冲をはじめ、相国寺塔頭寺院が所蔵する数々の美術品や文化財が多数展示されています。↓

www.yomurashamrock.me

 

梨木神社~萩の咲き乱れる小さな社 ②心癒される萩の宮

 

f:id:yomurashamroch:20210928210517j:plain

京都御苑の東にひっそりと佇む梨木神社は、別名「萩の宮」とも呼ばれ、9月には境内に咲き乱れる萩の花で彩られます。近隣には京都府立医科大学、その付属病院などの関連施設や住宅街があり、とても閑静な一帯です。

訪れてみると、小さいながら心癒されるスポットが沢山ある魅力的な神社であることがわかりました。観光用の大きな案内の看板などもなく、京都市民でも知らない人も多いと思いますので、今回ご紹介したいと思います。

 

前回は地下鉄丸太町駅から京都御苑を通り抜けて梨木神社へのお散歩コースをご紹介しました。↓

yomurashamroch.hatenablog.com

 

今回はいよいよ本題の梨木神社を詳しくご紹介します。

 

梨木神社の場所

goo.gl

 

梨木神社の行き方

●バスで

 JR京都駅前(烏丸口

  市バス乗り場A2乗り場から

  4系統・17系統・205系統で約20分

  「府立医大病院前」下車 徒歩3分

 

●電車で

 京都市営地下鉄烏丸線

  「丸太町駅」1番出口から徒歩約20分

  「今出川駅」3番出口から徒歩約20分

 京阪電車

  「神宮丸太町駅」1番出口から徒歩約15分

  「出町柳駅」  2番出口から徒歩約15分

 

梨木神社とは

梨木神社は、明治18年10月に明治維新の功労者、三條實萬(さんじょうさねつむ)を御祭神として創建された、京都では比較的新しい神社です。大正4年大正天皇即位式に實萬の子で元内大臣で一時は内閣総理大臣も兼任した三條實美(さねとみ)が第二御祭神として合祀されました。

梨木神社という社名はこのあたりの旧地名の梨木町に由来します。

三條家は五摂家に次ぐ公卿最高の名家で、代々すぐれた歌人、学者など賢才偉人を輩出した家です。御祭神の三條實萬、實美父子は、学問・文芸の神様として崇敬を集め、境内には江戸時代の国学者で『雨月物語』の著者上田秋成や、日本最初のノーベル賞受賞者湯川秀樹博士の歌碑があります。

また、拝殿の傍らにある石碑は、三條實萬が天壌無窮の神勅を軸に書き、日夜皇室の発展を願って祈念していた文字を石碑に刻んだものと伝えられています。

梨木神社は別名「萩の宮」とも称され、境内には500株以上の萩が植えられ、毎年9月には「萩まつり」として舞踊、邦楽、弓、居合などやお茶会が催され、多くの参拝者で賑わいます。

 

梨木神社とマンション?

f:id:yomurashamroch:20210928134612j:plain

前回、やっとたどり着いた梨木神社の鳥居の真後ろに低層マンションが…

何とも不思議な光景です。これは一体どういうことでしょうか?

調べてみると、2013年(平成25)、社殿の修復等の資金集めに苦慮していた同社は、境内の参道を含む土地をマンション開発業者に60年の定期借地権で貸し、その賃貸料を社殿の修復費用に充てることにしたそうです。しかし、その計画が神社本庁の承認を得られなかったことから、神社本庁から離脱して独立し、単立神社となり、マンション建設に踏み切ったそうです。

 

上記の鳥居の西側に移動すると、やはり鳥居の後ろがマンションになっています。

f:id:yomurashamroch:20210929102331j:plain

f:id:yomurashamroch:20210929102457j:plain

案内板に従って脇の道を進んでみます。

f:id:yomurashamroch:20210929103743j:plain

左が京都御所のある京都御苑の森、右がマンションです。この間の道を北へ進みます。

京都御所に隣接するこのあたりは公家のお屋敷が建ちならんでいたそうです。そしてこの通りを梨木通りと言い、かつて朝夕御所に参内する公卿たちの参内道として使われていたんだとか。

 

 

f:id:yomurashamroch:20210929102754j:plain

写真ではわかりにくいですが、マンションの名前は「イーグルコート京都御所梨木の杜」というそうです。

f:id:yomurashamroch:20210929103112j:plain

マンションのすぐ北側に細い小道があり、こちらから梨木神社の境内へ入れます。

 

f:id:yomurashamroch:20210929103357j:plain

境内へ続く小道で、さっそく咲き乱れる萩に出迎えられました。

 

f:id:yomurashamroch:20210929103611j:plain

前述の上田秋成の石碑です。

上田秋成は江戸時代の後期の読本作者、国学者歌人、茶人であり、近世日本文学の代表作「雨月物語」の作者として知られています。この石碑は、上田秋成が晩年を過ごした羽倉信義邸がこの近辺にあったことから、梨木神社に奉納されたそうです。

 

f:id:yomurashamroch:20210928210517j:plain

そしてまた鳥居が…さきほどの鳥居が一の鳥居で、こちらが二の鳥居、この二つはマンションを挟んで直線でつながっています。つまり、マンション建設の前には、この二つの鳥居の間に参道が通っていたんですね。何かすごい光景ですが…

 

萩の花あふれる境内

さっそく境内に入っていきましょう。

f:id:yomurashamroch:20210929105322j:plain

参道の両側が萩の花で埋め尽くされています!

流れるように枝垂れた枝に紫色の可憐な花が咲きこぼれ、ため息が出そうな美しさです。萩というと和のイメージなのですが、なんとなくイングリッシュガーデンのような、ちょっと洋のイメージもあり、不思議とおしゃれな感じがしました。

f:id:yomurashamroch:20210929105848j:plain  f:id:yomurashamroch:20210929105902j:plain

萩の枝には、萩にちなんだ俳句や短歌がしたためられていて、雅な雰囲気です。

 

f:id:yomurashamroch:20210929110253j:plain

「神符守札授与所」では御朱印やお守り、おみくじなどが販売されています。

 

京都三名水「染井」

さて、境内を進みましょう。

f:id:yomurashamroch:20210930130928j:plain

f:id:yomurashamroch:20210930131048j:plain

染井の井戸です。京都三名水「染井(そめい)・佐女牛井(さめがい)・縣井(あがたい)」のひとつである染井の井戸は、境内の手水舎にあり、今も近隣の人や観光客が名水を拝受することができます。一回5リットルまで100円です。私もペットボトルを持参していたので1本分頂きました。飲んでみると口当たりが柔らかく飲みやすいお水でした。

梨木神社の境内は、藤原義房の娘明子(あきらこ・清和天皇の御母染殿皇后)の御所の跡地で、宮中御用の染所の水として染井の水が用いられたと言われています。

 

 

御神木 愛の木

f:id:yomurashamroch:20210930132720j:plain

染井の井戸の隣の大きな桂の木は、葉がハートの形をしていることから、「愛の木」という名称で親しまれてきたそうです。木に触れながら祈ると願いが叶うといわれています。

f:id:yomurashamroch:20210930133049j:plain

御神木の後ろにはハート形の絵馬が。みなさんの願いか叶うといいですね。

 

 

満開の萩に彩られる本殿と「天壌無窮の石碑」

f:id:yomurashamroch:20210930133738j:plain

中門からさらに奥へ進みます。青紅葉と萩の花のコラボレーションも美しいですね。

 

f:id:yomurashamroch:20210930134010j:plain

拝殿の周りも萩の花で溢れていました。例年ですと今頃「萩まつり」が行われ、この拝殿でも舞踊や邦楽、居合などが奉納されていますが、昨年、今年は感染防止のため神事のみ斎行され、奉納行事は中止となっています。

 

f:id:yomurashamroch:20210930134139j:plain

拝殿の奥、本殿の手前に「天壌無窮の石碑」があります。三條實萬が軸に書き、日夜皇室の繁栄を祈念していましたが、その軸の破損を危惧して石に刻んだと伝えられています。明治天皇はこれをお聞きになり、石碑の拓本をとられ、2月11日の今の建国記念日に居間に掲げられ、国の繁栄、国民の安泰を祈念されたそうです。

 

 

f:id:yomurashamroch:20210930134723j:plain

本殿までの参道も両側が萩の花であふれています。しなやかにたわむ枝と可憐な花に、秋らしい風情を感じ、熱心に写真を撮る参拝者もおられました。

 

f:id:yomurashamroch:20210930134631j:plain

本殿は秋風にゆれる満開の萩の花に囲まれて、とても華やかでした。うまく写真に撮れなかったのですが、時折黄色い蝶が萩の花々の間を飛び交い、絵本の中にいるような不思議な気分になりました。

f:id:yomurashamroch:20210930135626j:plain

萩はマメ科の植物です。派手さは無いものの可憐な美しさがあり、日本人が好みそうな花ですね万葉の時代にも最も愛された秋草だそうです。その字もくさかんむりに秋と書いて、訓読みで「ハギ」と読みます。

栽培がしやすく、土地を豊かにするために植えられることもあったそうです。育った萩は、屋根や壁の材料、染め物、お茶、家畜のエサ等々、様々な活用の仕方があり、実の粉は餅に混ぜて食べられ、これが「おはぎ」の由来という説もあるそうです。

萩は万葉集で一番多く詠まれた花で、4516首のうち140首もあるそうです。2位は梅で110首。中国から伝わり、高い人気を誇っていた梅を抑えての一位です。

花と言えば桜かと思ったら、万葉の人々にはまた違う感性があったのですね。

 

 

水みくじ

本殿をお参りした後、再度「神符守札授与所」に立ち寄ると、面白いおみくじを発見。

f:id:yomurashamroch:20210929110556j:plain

くじを引いて書かれている数字を授与所で伝えると、その数字のおみくじが授与されます。このみくじ紙を水に浮かべると文字が浮き出し読めるようになっているのです。

 

f:id:yomurashamroch:20210930130032j:plain

200円を払っておみくじを引きます。24番でした。

 

f:id:yomurashamroch:20210930130202j:plain

24番のおみくじを授けていただきました。

 

f:id:yomurashamroch:20210930130337j:plain

これを水に浮かべると…大吉でした!

何かいいことありそうですね。

 

湯川秀樹博士の石碑

f:id:yomurashamroch:20210930140006j:plain

二の鳥居の手前に湯川秀樹博士の石碑があり、やはり萩の花に包まれていました。

『千年の昔の園もかくやありし 木の下かげに乱れさく萩』

日本人初のノーベル受賞者で理論物理学者である湯川博士は、生涯の殆どを京都で過ごし、京都大学大阪大学名誉教授など歴任されました。京都市名誉市民として表彰されており、最年少で文化勲章を受章したことでも知られています。

梨木神社の「萩の会」の初代会長だそうです。湯川博士も境内に咲く萩を見ながら千年前の、このあたりの秋の風景に思いを馳せていたのですね。

 

 

四季折々の自然の美を楽しめる梨木神社

萩の宮で有名な梨木神社は、萩以外にも大変多くの木々に囲まれており、紅葉の時期はまた違った鮮やかな色彩で彩られるそうです。また、春は山吹も美しいということで、四季折々に自然の美しさを楽しめる心癒されるスポットです。

京都御苑へ行かれた折には、是非、梨木神社へも足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。その際、染井の水を汲めるように、ペットボトルなどをお忘れなく!

 

 

近隣にも見どころがたくさんあり、以下のブログでご紹介しています。

 

寺町通を挟んで、梨木神社の東向かいには紫式部ゆかりの蘆山寺が↓

yomurashamroch.hatenablog.com

 

京都御苑の北側には、京都五山第二位を誇る大寺院相国寺が↓

yomurashamroch.hatenablog.com

 

 

 

相国寺内にある承天閣美術館伊藤若冲をはじめ、相国寺塔頭寺院が所蔵する数々の美術品や文化財が多数展示されています。↓

yomurashamroch.hatenablog.com

 

 

相国寺の山内塔頭や神社などもおすすめです。↓

yomurashamroch.hatenablog.com

 

梨木神社~萩の咲き乱れる小さな社~ ①地下鉄丸太町駅から京都御苑を経て梨木神社へ

f:id:yomurashamroch:20210926145032j:plain

京都御苑の東にひっそりと佇む梨木神社は、別名「萩の宮」とも呼ばれ、9月には境内に咲き乱れる萩の花で彩られます。近隣には京都府立医科大学、その付属病院などの関連施設や住宅街があり、とても閑静な一帯です。

訪れてみると、小さいながら心癒されるスポットが沢山ある魅力的な神社であることがわかりました。観光用の大きな案内の看板などもなく、京都市民でも知らない人も多いと思いますので、京都御苑とともにご紹介していきます。

今回は地下鉄丸太町駅から京都御苑を通り抜けて梨木神社へのお散歩コースをご紹介します。

 

梨木神社の場所

goo.gl

 

梨木神社の行き方

●バスで

 JR京都駅前(烏丸口

  市バス乗り場A2乗り場から

  4系統・17系統・205系統で約20分

  「府立医大病院前」下車 徒歩3分

 

●電車で

 京都市営地下鉄烏丸線

  「丸太町駅」1番出口から徒歩約20分

  「今出川駅」3番出口から徒歩約20分

 京阪電車

  「神宮丸太町駅」1番出口から徒歩約15分

  「出町柳駅」  2番出口から徒歩約15分

 

 

梨木神社はどこの駅からでも徒歩15分~20分ほどかかります。

京阪電車出町柳駅からの行き方は下記のブログをご参照ください。

寺町通をはさんで梨木神社の向かいにある蘆山寺をご紹介しています。

 

yomurashamroch.hatenablog.com

 

丸太町駅から京都御苑

今回のスタートは、地下鉄「丸太町駅」です。京都御苑を通り抜けて梨木神社へ向かいます。

f:id:yomurashamroch:20210926225208j:plain

北改札口から出ます。

f:id:yomurashamroch:20210926232007j:plain

コンビニの右手に行くと出口1に行けます。

 

f:id:yomurashamroch:20210926232146j:plain

案内表示に従って進みます。

 

f:id:yomurashamroch:20210926232250j:plain

奥に見えている階段を上ります。

 

f:id:yomurashamroch:20210926232351j:plain

階段を上がり切った所です。

右手は丸太町通、左手は京都御苑です。このまま丸太町通沿いを東(前方)へ進みます。

 

f:id:yomurashamroch:20210926233049j:plain

120mほど進むと、京都御苑間之町口に出ます。こちらから入ります。

 

京都御所京都御苑の違い

ところで、この写真に出ている看板は「京都御苑」と書かれていますよね。私をはじめ京都人の多くは「京都御所」あるいは単に「御所」と呼んでいます。私もここは京都御所だと思っていたので、京都御所京都御苑はどう違うのか疑問に思い、調べてみました。

「御所」というのはこの看板の向こうにある広い公園のずっと奥の、築地塀内の旧皇居、つまりかつて天皇家が居住した場所です。そしてその外側、つまりそれ以外の公園部分を「御苑」と呼んで区別しているのです。

余談ですが、御所の所轄は宮内庁、御苑の所轄は環境省京都迎賓館の所轄は内閣府なんだそうです。

 

厳島神社から仙洞御所へ

では早速、この京都御苑間之町口から中に入って行きます。

f:id:yomurashamroch:20210927114402j:plain

京都御苑に入るとすぐに出迎えてくれるのが、濃いピンク色の花が印象的な百日紅さるすべり)の木です。近所の家でも咲いているのをよく見かけますが、こんなに大きな百日紅の木は初めて見ました。百日紅の木の左側に京都御苑の地図があります。

 

f:id:yomurashamroch:20210927110017j:plain

この地図の左下の赤い色のついたあたりが現在地です。

京都市内の中心部にあって、深い緑に包まれた京都御苑は、東西約700m、南北約1300mのほぼ長方形をしており、このうち御所などを除いた約65haが「国民公園」として終日開放されています。苑内には約5万本の樹木が生育し、外周九門や、かつての公家屋敷の遺構も多く残っています。豊かな自然と歴史に恵まれた京都御苑は、御所の前庭として、また、散策、休養、スポーツ、そして自然や歴史とのふれあいの場として多くの人々に親しまれています。

 

f:id:yomurashamroch:20210927110215p:plain

ここから、赤い線で示したルートを歩いて梨木神社へ向かいます。

 

さきほどの百日紅の木の右の道を斜め右へ進みます。

f:id:yomurashamroch:20210927114751j:plain

この日は秋分の日の祝日。家族連れなどの人が散歩したり、木陰で休んだりと思い思いに京都御苑の自然を楽しんでおられました。

 

f:id:yomurashamroch:20210927115025j:plain

先ほどの道を進むと右手に「厳島神社」がありました。

中に入ってみました。

f:id:yomurashamroch:20210927115400j:plain

社伝によれば、この神社は、平清盛が、母 祇園女御のために、摂津国兵庫津に安芸国厳島神社の神を祀ったのが始まりです。祇園女御市杵島姫命田心姫命湍津姫命も合わせて祀っています。その神社を時期は不明ですがこの地へ遷座させたそうです。

この地は後世九條家の邸宅に取り込まれて同家の鎮守として崇敬されるとともに、池泉回遊式庭園の一部を構成するものとなりました。明治になって九條家は東京へ転宅しましたが、この厳島神社はそのまま残されたそうです。社前の石鳥居は笠木が唐破風で京都三珍鳥居の一つ(あと二つは北野天満宮の伴氏社の石造鳥居、木嶋坐天照御魂神社の三柱鳥居)とされ、池の弁財天とも呼ばれています。

f:id:yomurashamroch:20210927223515j:plain

 

厳島神社を出て、再び御苑内の道を北東(斜め右)へ進みます。

f:id:yomurashamroch:20210928102253j:plain

道が二手に分かれています。左手へ進みます。

 

f:id:yomurashamroch:20210928103511j:plain

先ほどの道を左手へ進むと、遠く正面に京都御所の建礼門が見えます。この道を少し進むと、また右手に分かれ道があります。

 

f:id:yomurashamroch:20210928103005j:plain

分かれ道の右手へ進みます。

 

f:id:yomurashamroch:20210928104527j:plain

また道が二手に分かれています。斜め右へ進みます。

 

f:id:yomurashamroch:20210928104706j:plain

大きな塀に囲まれた場所が見えてきました。こちらを左へ曲がります。

 

f:id:yomurashamroch:20210928105040j:plain

左へ曲がったところです。右手に見える長い塀の中は京都仙洞御所・大宮御所です。

 

京都仙洞御所・大宮御所とは

仙洞御所とは退位した天皇上皇)のための御所で、大宮御所とは上皇の后の御所を指します。京都御所に隣接する現在の場所に定まったのは、1630年、後水尾上皇とその后の東福門院のために造営された時に遡ります。

仙洞御所・大宮御所は、1854年の火災で主要な建物が焼失し、仙洞御所の建物は再建されないまま現在に至りますが、大宮御所は1867年に整備され、現在でも天皇皇后両陛下が京都に来られた際のご宿泊所として用いられているそうです。

 

1840年(天保11年)の光格天皇崩御後は、退位し上皇となる天皇がいなかったことから、1869年(明治2)に東京へ皇室や御所が移転された後も従来より単に「仙洞御所」と称されていました。

2019年に第125代天皇明仁さまが、明治以降初めて退位した天皇となり、上皇となりました。その上皇の御所として「仙洞御所」が東京にも必要になったことから、区別のために従来の仙洞御所は「京都仙洞御所」と改称されたのです。

 

ところで、私が京都仙洞御所の横を歩いていた時、一人の若い女性が私の少し前を歩いていました。秋分の日とは言え、日差しは強く照り付け、暑くなってきた私は、仙洞御所の塀でできた日陰を歩こうと塀に近づきました。私の前の女性もスマホを取り出し、私より一歩早く仙洞御所の塀の庇の下に立ったその時です。いきなりブザーが鳴り、「京都御所はみなさんの財産です。大切にしましょう」(うろ覚えなので、セリフが違っていたらすいません)という女性アナウンスが流れました。そして、黒塗りのパトカーがすっと近寄り「壁から離れてください」という警察官の声が。京都御苑に足を踏み入れた時から、パトカーらしき車が巡回しているのが気になっていたのですが、こういうことだったんですね。

京都御所では赤外線センサーがあり、それに触れると大音量のブザーが鳴り警告するそうです。塀にセンサーがある訳は、落書きなどがあり警戒しているからということのようです。皇室の方の宿泊場所でもある大事な場所なので、こうやって守られているのですね。みなさんも御所内の塀の近くを歩かれる際にはお気をつけください。

 

f:id:yomurashamroch:20210928120155j:plain

京都仙洞御所正門です。現在はこちらからは入れないようです。

 

f:id:yomurashamroch:20210928120438j:plain

仙洞御所正門から更に300mほど北上すると、左前方に京都御所築地塀が見え、右手の仙洞御所の西側の塀が終わり、東側へ曲がります。

仙洞御所の北端を東(右)へ曲がります。f:id:yomurashamroch:20210928131822j:plain

仙洞御所の北端を東へ曲がったところです。写真奥に清和院御門が小さく見えています。

 

f:id:yomurashamroch:20210928132204j:plain

先ほどの写真を拡大しました。右手にある仙洞御所の塀の途中にあるのが参拝者出入口です。普段は事前に申し込みをすれば無料で参観できるようです。現在は感染拡大防止のため受付を中止しています。詳しくは京都仙洞御所の公式サイトからご確認ください↓

goo.gl

 

f:id:yomurashamroch:20210928134021j:plain

更に250mほど東へ進むと清和院御門に到着です。京都御苑の東側の門です。清和院御門をくぐると…

f:id:yomurashamroch:20210928134429j:plain

左前方に神社の鳥居が見えます。でも鳥居の後ろはマンションのような…???

 

f:id:yomurashamroch:20210928134612j:plain

鳥居の前に行ってみました。確かに鳥居に「梨木神社」とあります。

この写真ではわかりにくいと思いますが、やっぱり鳥居の後ろはマンションのようです。

 

地下鉄丸太町駅から梨木神社までは、京都御苑を通って約15分でした。

京都御苑は京都の中心部とは信じられないほどの緑豊かな公園で、四季を通じて市民の憩いの場所となっています。今回は梨木神社がテーマと言いながら、京都御苑ばかりご紹介してしまいました(笑)京都御苑だけでも見どころが満載なので、いつか京都御苑京都御所についても、更に詳しくご紹介したいと思います。

次回は本題の梨木神社についてご紹介していきます。

鳥居の後ろのマンションについても調べましたので、次回詳しくご紹介します。

 

 

 

京都御苑の北側には、あまり観光地化されていないものの、京都五山二位を誇る大寺院相国寺があります。

yomurashamroch.hatenablog.com

 

 

相国寺内にある承天閣美術館伊藤若冲をはじめ、相国寺塔頭寺院が所蔵する数々の美術品や文化財が多数展示されています。↓

 

yomurashamroch.hatenablog.com

 

 

相国寺の山内塔頭や神社などもおすすめです。↓

 

yomurashamroch.hatenablog.com

 

梨木神社の向かいにある紫式部ゆかりの蘆山寺↓

 

yomurashamroch.hatenablog.com

 

 

「京(みやこ)のファンタジスタ」~若冲と同時代の画家たち ②嵯峨嵐山文華館

f:id:yomurashamroch:20210918211520j:plain

美しい自然が多くの貴族や文化人に愛され、すぐれた芸術を生み出す源泉となった嵯峨嵐山。この地で、18世紀の京の都で活躍した画家たちと彼らに大きな影響を与えた画家たちの作品を一堂に会した展覧会が二つの美術館で開催されています。近年特に注目を集めている伊藤若冲を中心とした個性豊かで豪華なラインナップの展覧会は、見ごたえ充分。渡月橋にほど近く、周囲の美しい自然と絶妙に調和した二つの美術館とともにご紹介します。今回は嵯峨嵐山文華館です。

 

 

f:id:yomurashamroch:20210909211852j:plain

京(みやこ)のファンタジスタ若冲と同時代の画家たち

 

伊藤若冲が活躍した18世紀の京都は、絵画と俳諧の二つの分野で才能を発揮した与謝蕪村、日本において文人画を大成した池大雅、写生を基本とした革新的な画風を確立した円山応挙、人々を驚嘆させた奇抜な画風の曽我蕭白など、個性豊かな絵師たちが群雄割拠していました。彼らは互いに交流し、影響をうけながらそれぞれの画風を確立していきました。この展覧会では、若冲と同時代の画家たちの作品を展示し彼らの絵の魅力に迫ります。

会期:2021年7月17日(土)~10月10日(日)

会場:第一会場:福田美術館 https://fukuda-art-museum.jp/   第二会場:嵯峨嵐山文華館 http://www.samac.jp/

開館時間:10:00~17:00(最終入館16:30)

休館日:火曜日(祝日の場合は翌平日)

 

入館料など詳細は各美術館の公式サイトからご確認ください。

 

 

嵯峨嵐山文華館とは

藤原定家小倉百人一首を選んだ地、小倉山のふもと、嵐山の渡月橋の近くに、百人一首をテーマとした展示、振興のために2006年に開館した「百人一首殿堂 時雨殿」を改装し、2018年11月にリニューアルオープンしたのが「嵯峨嵐山文華館」です。こちらは小倉百人一首の歴史やその魅力と、日本画をはじめとする京都ゆかりの芸術・文化の粋を伝えるミュージアムとして開館されました。

 

建物は一階、二階が展示スペースとなっており、一階は常設展示「百人一首ヒストリー」と企画展スペース、二階は企画展を開催する120畳の畳ギャラリーとなっています。日本の美術品・工芸品は本来、畳に座って見るものであることから、敢えて作品の位置が低い展示ケースを採用したそうです。競技かるたや講演会などのイベントも畳ギャラリーで開催されます。

 

 

嵯峨嵐山文華館の場所

https://g.page/SagaArashiyamaBunkakanSAMAC?share

 

 

嵯峨嵐山文華館の行き方

・JRで

  山陰本線嵯峨野線

  「嵯峨嵐山駅」下車 徒歩14分

 

・阪急で

  嵐山線「嵐山駅」下車 徒歩13分

 

嵐電京福電気鉄道)で

  嵐山本線「嵐山駅」下車 徒歩5分

 

 

 

今回のスタートは、同じく渡月橋近くの福田美術館からです。

京福電気鉄道「嵐山駅」から福田美術館までの行き方は以下のブログでご案内しています。↓

yomurashamroch.hatenablog.com

 

f:id:yomurashamroch:20210910233321j:plain

福田美術館の前の道を南(保津川方面)へ向かいます。

 

f:id:yomurashamroch:20210918232851j:plain

前方右手にコーヒー店アラビカ京都が見えます。アラビカ京都の角を西(右)へ曲がります。

 

 

 

f:id:yomurashamroch:20210918215406j:plain

保津川沿いの道に出ました。西へ進みます。

 

f:id:yomurashamroch:20210918215800j:plain

200mほど進み、道なりに北(右)へ曲がります。

 

f:id:yomurashamroch:20210918220419j:plain

嵯峨嵐山文華館に着きました。ミュージアムの前には四季折々の自然の美しさを楽しめる石庭に面したカフェ「嵐山OMOKAGEテラス」があります。こちらはカフェのみの利用も可能です。

 

f:id:yomurashamroch:20210918232700j:plain

では、さっそく中へ入って行きましょう。

 

エントランスで入館料を払い、住所、氏名、電話番号を記入します。

嵯峨嵐山文華館では、チケットにQRコードが印刷されています。

f:id:yomurashamroch:20210918234331j:plain

 

これを各展示室の入口にある読取機にかざして入室します。

f:id:yomurashamroch:20210919214410j:plain

f:id:yomurashamroch:20210918234358j:plain

ゲートが開いて中に入ります。

 

f:id:yomurashamroch:20210918234653j:plain

写真撮影は「撮影不可」の表示がある展示物以外はOKです。

 

f:id:yomurashamroch:20210919215542j:plain

まず、常設展示を見ていきます。

百人一首を選定した藤原定家の紹介や、さまざまなかるたのコレクションが並びます。

f:id:yomurashamroch:20210920210232j:plain

初期の源氏物語かるたは、貝型の紙に源氏物語に出てくる和歌の上の句と下の句が書かれた物だったそうです。その後、百人一首のかるたが作られたのと同時期に、写真のような長方形のカード形式に変化していきました。和歌と源氏物語の各場面が細やかな筆づかいで描かれています。

 

f:id:yomurashamroch:20210920210253j:plain

ズラリと並んだ100人の歌人を紹介する可愛らしい「歌仙人形」。それぞれの和歌とともに展示されていて壮観です。

f:id:yomurashamroch:20210920210311j:plain

 

常設展示では、このほかにも百人一首やかるたの歴史や魅力を様々な形で紹介しています。18世紀になると出版技術が発達し、絵入りの「百人一首本」が続々出版され、上流階級だけでなく、広く一般に知れ渡るようになりました。百人一首は、浮世絵や滑稽本などでパロディ化され、庶民の娯楽の一つとなり、生活の中に浸透していきます。特に、女性にとっては古典の教養として重視され、教科書としても使われたそうです。

 

私は百人一首に詳しいわけでも無く、中学生の頃、冬休みの宿題で覚えたぐらいです。今、改めて百人一首の和歌を読んでみると、こんなにも細やかに美しく四季の移ろいや人の心を歌に詠んだ古の歌人たちの感性と知性には本当に感服してしまいます。そして、千年の時を超えて、現代の私たちもその精神を感じられる…人の心や感性は千年経ってもそんなに変わらないということも興味深く感じました。源氏物語枕草子を今読んでも面白く感動するのと同じことなんでしょうね。

 

百人一首の魅力を存分に感じたところで、次は本題の「京(みやこ)のファンタジスタ」~若冲と同時代の画家たち の展示を見ていきましょう。

f:id:yomurashamroch:20210920233845j:plain


第一会場の福田美術館では「どうしてこんなに天才たちが」と題して、伊藤若冲と同時代に京で活躍した個性的な絵師たちの作品を中心に展示されています。

そして、第二会場の嵯峨嵐山文華館では「天才くらべてみました」と題して、若冲円山応挙、長沢蘆雪、呉春など、18世紀から19世紀にかけて活躍した絵師らの絵画を、画題ごとに並べて展示しています。各々の描き方の共通する点や異なる点を比べて鑑賞することが出来ます。

 

一階ギャラリーでは「第一章 いきもので比べてみました」と題し、同時代の絵師らの絵画をトラやニワトリ、サルやカメなど同じ動物の画題ごとに並べて展示するという面白い企画です。

f:id:yomurashamroch:20210921110340j:plain

円山応挙作 虎図

円山応挙は写生を重視した画風で人気を博しましたが、見たことが無いトラであっても、目の前に存在しているかのようにリアルに描くことに挑戦したそうです。黄色と黒色の毛並みが細かい線で描かれ、毛の触感までもが伝わってくるようです。日本には生息していないトラを、長崎で輸入された毛皮や絵画を参考にしたり、ネコをモデルにしたりして描いたそうです。その結果、頭部と胴体のつながりが不自然だったり、表情がネコのように可愛らしかったりとユーモラスな作品になっていますね。

 

f:id:yomurashamroch:20210921111001j:plain

長澤蘆雪作 猛虎図

長澤蘆雪円山応挙に入門して、応挙の描き方をマスターした後、より自由で大胆な画風へ変化したいきました。崖の下で真っ赤な舌で毛づくろいをするトラを描いたこの絵はネコを参考にしながら、眉毛のように縦に並ぶ縞模様や緑色の目など、想像で描いた部分も多く見られるそうです。「猛虎」と言いながら何とも愛嬌のあるトラですね。

 

 

f:id:yomurashamroch:20210921111832j:plain

曽我蕭白作 虎図

曽我蕭白は京都の商家に生まれた画家で、室町時代の画家 曽我蛇足の系譜に連なる蛇足軒十世を名乗りました。荒々しい筆致や大胆な構図は観る者を驚かせ、若冲と並んで「奇想の絵師」とも評されています。横向きに座って、ニンマリ笑う姿が印象的なトラです。

 

第一章ではトラの他にもニワトリやサル、カメなどが様々な画家による作品を並べて展示され、それぞれの特徴を見比べながら鑑賞でき、大変興味深かったです。

 

では二階へ移動しましょう。

f:id:yomurashamroch:20210921113657j:plain

階段もスタイリッシュですね。

 

f:id:yomurashamroch:20210921113816j:plain

二階の入口にもQRコードの読み取り機が設置されています。

このゲートを抜け、この先は靴を脱いで鑑賞します。

 

f:id:yomurashamroch:20210921114052j:plain

靴を脱いで畳ギャラリーに入る手前の廊下の突き当りに、百人一首の顔出しパネルが。

 

f:id:yomurashamroch:20210921114301j:plain

畳ギャラリーの横の廊下は縁側のようになっていて、椅子に座って保津川の流れや渡月橋、美術館一階の石庭をゆっくり眺めることも出来ます。

 

f:id:yomurashamroch:20210921114925j:plain

畳ギャラリーは120畳の大広間の周辺に、畳に座って絵画を鑑賞できるよう、敢えて作品の位置が低い展示ケースが設置されています。

 

第二章は「伊藤若冲若冲派」と題し、若冲晩年の屏風とともに、伊藤家の菩提寺である宝蔵寺が所蔵する若冲作品や弟の白歳、弟子の処冲など若冲派の作品が展示されています。若冲の画風を手本としながらも、個性的な表現を模索した画家たちの作品が楽しめます。

伊藤若冲享保元年(1716)京都の錦小路の青物問屋「桝屋」の長男として生まれました。23歳の時に家業を継ぎますが、30代には「蕪に双鶏図」などを描いていたことが分かっています。40歳の時に弟に家督を譲り隠居、画業に専念しました。彼の代表作「動植綵絵」30幅は43歳の頃からおよそ10年かけて描いた大作です。

 

f:id:yomurashamroch:20210921115556j:plain

入ってすぐのところに展示されているのは、伊藤若冲の群鶏図押絵貼屏風です。

若冲は動物の動きを微細に写生するために、自宅の庭に多数の鶏を飼って、図鑑のようにリアルな鶏の絵を沢山描き「鶏の画家」とも言われています。

墨の濃淡だけで描いた鶏たちですが、勢いよく伸びた尾羽や鱗状の足の模様、鋭い爪などが生き生きとリアルに描かれています。これが若冲晩年の作というから驚きです。

 

企画展「京(みやこ)のファンタジスタ」福田美術館・嵯峨嵐山文華館で - 若冲や同時代の京都の画家を紹介|写真2

f:id:yomurashamroch:20210921172446j:plain

f:id:yomurashamroch:20210921171454p:plain伊藤若冲作 竹に雄鶏図(一部)

正面を向いた雄鶏が片脚で竹の下に立っています。その羽は頭部を中心に周りに広がり、上へ積み重ねるように描かれています。胴体の羽に用いられているのは「筋目書き」と呼ばれる特徴的な技法。墨と墨とが混ざることなく、境目の白い筋が出来るという紙の性質を利用しています。餌でも探しているのでしょうか?鋭い目つきは今にも画面から飛び出して来そうです。

 

f:id:yomurashamroch:20210921172324j:plain

伊藤白歳作 南瓜雄鶏図(一部)

40歳で隠居した若冲に代わって青物問屋「桝屋」の6代目になった弟・宗巌は家業にちなんで「白歳(はくさい)」という号を使い、絵を描きました。南瓜に足を掛ける雄鶏を描いたこの作品は、羽と羽の境目に細い隙間を空けて描いています。兄・若冲の雄鶏に比べると直線的な形で立体感もありませんが、家業の傍ら兄の作品をまねようとしていたことが伺われ、兄弟の仲の良さが伝わってきます。

 

同じ畳ギャラリーの後半は、第三章「人物・山水で比べてみました」と題し、美人画や中国で有名な詩を元にした山水画を様々な画家の作品を並べることで比較展示しています。

 

f:id:yomurashamroch:20210921180238j:plain

円山応挙 皆川淇園 作 美人図(一部)

円山応挙は写生を重視した画風で人気を博し、老若男女や様々な職業の人を実際に写生して研究を行い、最も理想的な人物表現を追求したことで知られています。皆川淇園は江戸時代中期の儒学者で、山水画では円山応挙の弟子として相当の腕前だったそうで、師の応挙に劣らずとの評価も受けているそうです。白い肌に羽織の緑色が映えて、かんざしで髪を整えてくつろぐ遊女でしょうか。品の良い色気を感じますね。

 

f:id:yomurashamroch:20210921210812j:plain

祇園井特作 紫女図(一部)

紫女とは源氏物語の作者紫式部のことです。知的でちょっと神経質そうな表情が紫式部の心情まで読み取れそうです。

井特は、円山応挙らと同時代の京都の絵師で、祇園にあった茶店「井筒屋」の主人、特右衛門の雅号と伝えられているそうです。井特は、顔だけを極端に大きく描く独自の手法で、歴史上の女性をリアルに表現しようと試みているそうです。

京都のお土産「八つ橋」で有名な、井筒八つ橋本舗は、この井筒屋に料理を提供する仕出し店として発足したのが始まりだそうです。

 

f:id:yomurashamroch:20210921212854j:plain

呉春作 前赤壁図(一部)

呉春は京都出身の画家で、与謝蕪村に絵と俳諧を学び、蕪村が亡くなった後は円山応挙の画風に影響を受けたそうです。

この作品は、中国、宋代の詩人 蘇軾(そしよく)の有名な詩「前赤壁賦」を題材にした山水画です。「前赤壁賦」は画題としてよく使われるそうですが、その際、必ず古戦場とされた赤壁、時間を表す満月、船に乗る蘇軾と友人が描かれます。この作品では赤壁を左右から迫る険しい峡谷として見事に表現しています。

 

f:id:yomurashamroch:20210921214413j:plain

横山清暉作 赤壁図(一部)

横山清暉は京都出身の日本画家で、呉春とその弟・松村景文に学び、幕末まで京都を代表する画家として活躍しました。本作は左右から突き出た崖の間に、蘇軾らが乗った船を配し、呉春による赤壁図とは違う構図で描こうとしたことがわかります。

 

 

絵を見終わったので、また一階へ下ります。

ショップ

一階にはミュージアムショップがあります。百人一首や企画展に関するオリジナルグッズ、関連書籍などを取りそろえています。嵐山のお土産としても好評だそうです。

 

f:id:yomurashamroch:20210922125305j:plain

ミュージアムショップの奥にはカフェ「嵐山OMOKAGEテラス」が。開放感のある空間で、大きな窓から見える嵐山や保津川とともに、四季折々の自然の移ろいを感じられる石庭の眺めを楽しむことができます。

f:id:yomurashamroch:20210922125728j:plain

 

 

 

f:id:yomurashamroch:20210922130522j:plain

百人一首文芸苑

これはミュージアム内ではなく、近隣5ヵ所の公園、公有地に、百人一種に撰ばれた和歌の歌碑が100基あるそうです。2007年に京都商工会議所120周年記念事業の一環として建立されました。

写真は、以前近くの亀山公園で見かけた歌碑です。こちらも百人一首文芸苑の一つです。

亀山公園については、以下のブログでご紹介しています。↓

 

yomurashamroch.hatenablog.com

 

嵯峨嵐山文華館は、「百人一首殿堂 時雨殿」が前身のため、福田美術館とはまた違って、より和を感じられる落ち着いた佇まいの美術館でした。靴を脱ぎ畳に座って絵を鑑賞できるという体験も貴重ですし、外の嵐山の風景と、展示されている日本画とが、まるで一続きの絵のような一体感も感じられました。一階のカフェの前の石庭には四季折々の木が植えられ、どの季節に伺っても、嵐山の風景と調和した自然の美を感じられそうですので、また他の季節にも行ってみたいと思いました。

嵐山観光の目玉として、福田美術館とともに訪れてみてはいかがでしょうか。

 

 

嵐山周辺のスポットを他にもいくつかご紹介しています。

 

世界遺産 天龍寺

yomurashamroch.hatenablog.com

 

 

保津川を挟んで嵯峨嵐山文華館の向かい側の「大悲閣 千光寺」↓

 

yomurashamroch.hatenablog.com

 

 

京福電気鉄道で嵐山から3駅のところにある車折神社

 

yomurashamroch.hatenablog.com

 

 

「京(みやこ)のファンタジスタ」~若冲と同時代の画家たち ①福田美術館

f:id:yomurashamroch:20210909212206j:plain

美しい自然が多くの貴族や文化人に愛され、すぐれた芸術を生み出す源泉となった嵯峨嵐山。この地で、18世紀の京の都で活躍した画家たちと彼らに大きな影響を与えた画家たちの作品を一堂に会した展覧会が二つの美術館で開催されています。近年特に注目を集めている伊藤若冲を中心とした個性豊かで豪華なラインナップの展覧会は、見ごたえ充分。渡月橋にほど近く、周囲の美しい自然と絶妙に調和した二つの美術館とともにご紹介します。今回は福田美術館です。

 

 

f:id:yomurashamroch:20210909211852j:plain

京(みやこ)のファンタジスタ若冲と同時代の画家たち

 

伊藤若冲が活躍した18世紀の京都は、絵画と俳諧の二つの分野で才能を発揮した与謝蕪村、日本において文人画を大成した池大雅、写生を基本とした革新的な画風を確立した円山応挙、人々を驚嘆させた奇抜な画風の曽我蕭白など、個性豊かな絵師たちが群雄割拠していました。彼らは互いに交流し、影響をうけながらそれぞれの画風を確立していきました。この展覧会では、若冲と同時代の画家たちの作品を展示し彼らの絵の魅力に迫ります。

会期:2021年7月17日(土)~10月10日(日)

会場:第一会場:福田美術館 https://fukuda-art-museum.jp/   第二会場:嵯峨嵐山文華館 http://www.samac.jp/

開館時間:10:00~17:00(最終入館16:30)

休館日:火曜日(祝日の場合は翌平日)

 

入館料など詳細は各美術館の公式サイトからご確認ください。

 

●福田美術館とは

福田美術館は、美しい自然とともに日本美術の名品を楽しんでいただくことで、京都・嵯峨嵐山が日本文化の新たな発信拠点になることを目指して、2019年10月に開館されました。

同館のオーナーは、消費者金融大手 アイフルの創業者である堀田吉孝、館長は娘の川畑光佐が務め、「100年続く美術館」をコンセプトに、「地元京都への恩返しがしたい」という思いから設立されました。所蔵点数は約1500点、琳派から円山四条派、京都画壇の作品を中心にしています。

 

福田美術館の建築は、東京工業大学教授 安田幸一が担当。外観は伝統的な京町屋のエッセンスを踏まえたデザインとなっており、内部は蔵をイメージした展示室や、縁側のような廊下など、日本的な意匠を盛り込んでいます。また、展示室のガラスケースには、92%の高透過率を誇るドイツ製のガラスを採用し、継ぎ目の少ない巨大ガラスと、日本画を鑑賞するのに最適なライティングによって、より良い鑑賞体験を提供しています。

 

●福田美術館の場所

g.page

 

●福田美術館の行き方

JR山陰本線(嵯峨野線

  「嵯峨嵐山駅」下車 徒歩12分

阪急嵐山線

  「嵐山駅」下車 徒歩11分

嵐電京福電気鉄道

   「嵐山駅」下車 徒歩4分

 

今回のスタートは、京福電気鉄道「嵐山駅」です。

f:id:yomurashamroch:20210910231856j:plain

駅前を南北に走る「長辻通り」を南へ進みます。

 

f:id:yomurashamroch:20210910232054j:plain

緊急事態宣言中の嵐山は、土産物店や飲食店も休業している所があります。

この道を南へ進みます。

 

f:id:yomurashamroch:20210910232305j:plain

前方に渡月橋が見えてきました。橋の手前を右(西)へ進みます。

 

f:id:yomurashamroch:20210910232453j:plain

橋の手前を右に曲がったところです。このまま川沿いを西へ進みます。

 

f:id:yomurashamroch:20210910232743j:plain

川沿いの道を100mほど西へ進むと、道の右手(北)にコーヒー店 アラビカ京都・嵐山が見えます。この向かいに福田美術館の看板が出ています。

f:id:yomurashamroch:20210910233117j:plain

看板に従って、アラビカ京都・嵐山の前の道を右(北)へ曲がります。

 

f:id:yomurashamroch:20210910233321j:plain

アラビカ京都・嵐山の北隣が福田美術館です。

モダンな日本家屋といったおしゃれないで立ちです。

 

f:id:yomurashamroch:20210910233752j:plain

エントランスで検温し、住所・氏名・電話番号を記入してから入館します。

f:id:yomurashamroch:20210910234034j:plain

外の光をふんだんに取り入れたシックな階段と廊下です。

二階に上がっていきます。

 

f:id:yomurashamroch:20210910234619j:plain

階段を上がって二階に着くと、左手に「網代模様」をもとにデザインされた美しい外壁ガラスが。

f:id:yomurashamroch:20210912142451j:plain

網代模様のガラス窓から見えるのは保津川の流れです。こちらからの保津川の眺めはそれだけでも非常に美しいのですが、網代模様のガラス越しに見ると更に風情がありました。

 

さて、美しい保津川の眺めを後に、ガラス窓と反対側にある第一展示室へ向かいます。

第一会場である福田美術館では「どうしてこんなに天才たちが」と題して、若冲と同時代に京で活躍した個性的な絵師たちの作品を中心に展示されています。

 

f:id:yomurashamroch:20210912143118j:plain

ここから先は蔵をイメージした薄暗い展示室になり、禁止されている作品以外は撮影可能ですが、フラッシュ使用禁止のため、あまりきれいに撮影できませんでした。

そのため福田美術館の公式サイトなどから画像をお借りしています。

 

第一章は「若冲と蕪村」と題し、同じ年に生まれ、20年間同じ京に住み、中国絵画を学ぶなどの共通点がありながら、まったく異なる画風を追求した伊藤若冲与謝蕪村の作品が展示されています。

 

伊藤若冲は、1716年に京の錦小路市場の青物屋「桝屋」の長男として生まれ、40歳までは商いに精進しますが、40歳で隠居してからは画業に専念。代表作「動植綵絵(どうしょくさいえ)」のような極彩色の絵や水墨画、版画などを85歳で亡くなるまで精力的に制作しました。

f:id:yomurashamroch:20210912150935p:plain

福田美術館公式サイトより 以下伊藤若冲

左 :「鯉魚図」(一部)

中央:「蕪に双鶏図」(一部)

右 :「群鶏図押絵」(一部)

一番印象に残った絵は、群鶏図押絵です。若冲というと「動植綵絵(どうしょくさいえ)」に代表される色鮮やかな作品が有名ですが、動物の動きを微細に写生するために、自宅の庭に多くの鶏を飼って、図鑑のようにリアルな鶏の絵を沢山描き「鶏の画家」とも言われています。この「群鶏図押絵」はまさに「鶏の画家」の実力を存分に発揮した作品の一つと言えるでしょう。墨のにじみやかすれを利用してふさふさした胴体の羽や力強く勢いのある尾羽、うろこ状の足の模様や鋭い爪などがこれでもかとリアルに描かれており、これが若冲82歳の時の作品というから、その旺盛な創作意欲に感服します。

 

一方与謝蕪村は1716年、摂津国東成郡毛馬村(現在の大阪市都島区)に生まれました。20歳頃に江戸で俳諧を学びますが、師匠が亡くなったのを機におよそ10年間、浄土宗の僧侶として北関東から東北地方を遊歴します。42歳頃から京に定住し、僧侶を辞めて結婚。文人画の技法を用いた山水画や、絵に発句を書き添えた俳画を精力的に描き、68歳で生涯を閉じました。

「京のファンタジスタ若冲と同時代の画家たち」福田美術館公式サイトより

与謝蕪村「茶筵酒宴図屏風」(一部)

蕪村の絵画というと、水墨画に俳句を添えた渋い俳画のイメージですが、こちらの屏風は机の朱色が色鮮やかな作品です。絖(ぬめ)という非常に高価で特に光沢のある絹に描かれ、机などには高価な朱色の絵具がふんだんに使われているそうです。蕪村の支援者たちが資金を出し合って屏風講という会を作って描かせたもので、蕪村51歳の時の作品です。

 

f:id:yomurashamroch:20210913165403j:plain

2階の第一展示室を出て、更に階段を上がり第二展示室へ向かいます。

 

f:id:yomurashamroch:20210913165610j:plain

第二展示室での第二章では「鎬(しのぎ)を削る画家たち」と題し、若冲と同じ時期に京都の四条通界隈を中心に暮らしていた絵師たちの作品と、彼らが影響を受けた禅僧や画家の作品、大阪で活躍した同時代の画家たちの作品が展示されています。

 

f:id:yomurashamroch:20210913171027j:plain

池大雅作「菊花図」

池大雅は、京都の銀座役人の子として生まれました。幼少期から書画を得意とした大雅は、高位の武士や学者たちから愛され、文人画を志し、中国の絵画教本などを参考に、文人画のあるべき様式を手探りで追及し、文人画の大成者と言われています。

大輪の菊は墨のかすれやにじみにこだわらず、自由自在に筆を動かして描かれています。よく見ると、筆が紙に触れた時におのずと生じる跡が残っていない所が見られ、部分的に指や爪に墨をつけて描いたと考えられるそうです。画面上にしたためられているのは、若冲とも親しく交流した相国寺の梅荘顕常による賛です。

 

f:id:yomurashamroch:20210914104803p:plain

円山応挙作「黄蜀葵鵞鳥小禽図」
円山応挙京都府亀岡市の農家の次男で、京都に出てからは狩野探幽の流れを汲む石田幽汀に入門し絵画を学びました。その一方で生活のため眼鏡絵を描いて西洋画の遠近法などを取り入れて独自の写生画を創り出しました。

この「黄蜀葵鵞鳥小禽図」は鵞鳥(ガチョウ)の後ろに黄蜀葵(おうしょっき:トロロアオイ)が大きい黄色い花を咲かせ、周りに小禽(小鳥)たちが遊んでいます。

ガチョウのふわふわとした羽の感じやおでこの出っ張り具合、くちばしの形や視線もリアルに描かれていて、ガチョウの体温まで感じることが出来そうな作品です。

 

f:id:yomurashamroch:20210915101206p:plain

長沢芦雪作 「山水鳥獣人物押絵貼屏風」(一部)

長沢芦雪は、京都府丹波篠山の出身で円山応挙の高弟の一人と言われています。その絵は自由奔放、奇抜なもので、若冲や次に紹介する曽我蕭白とともに「奇想の絵師」と言われ、黒白、大小の極端な対比や、写実を無視した構図などは師である円山応挙の作風から逸脱しているそうです。

師の円山応挙狩野派のように伝統のある流派では無かったものの、多くの弟子を育て、その一門は「円山派」と呼ばれています。応挙の活躍した時代は、文化にかかわる層が町人へと拡大し、暮らしの中で掛け軸、襖絵などの需要が増えました。そんな中、応挙のように分かりやすくかつ新しい画法に注目が集まり、注文も増えました。その需要に応えるために、弟子をたくさん受け入れ育てなければならなかったそうです。たくさんの弟子の中には、長沢芦雪のような自由奔放な絵師も含まれ、応挙は弟子たちの個性も大切に育てたのかもしれません。なお、芦雪の自由奔放な性格は時に傲慢な面もあったようで、後年破門されたとか、その死も毒殺とも自殺とも言われ、少なくとも普通の死では無かったようです。

 

 

f:id:yomurashamroch:20210915103533p:plain

曽我蕭白作 「群仙図」

曽我蕭白は京都の商家の出身と言われていますが、若くして天涯孤独の御となり、絵筆一本で食べていくため伊勢や播州を放浪。高い水墨画の技術を誇る一方、絵師としての特色を打ち出そうと、あえて破天荒を演じたとも言われています。それは観る者を驚かせる強烈な画風で「奇想の絵師」と評されています。

「群仙図」は右下には一度寝ると百日は起きなかったと言われる「陳摶(ちんたん)」という仙人、右上の桃の木の下に座るのは西王母、左の馬小屋の前に立つ男は馬の医者

馬師皇と言われているそうです。でもこれらの仙人よりも断然目立っているのが左端の白い馬ですよね。蕭白の絵にはよくこのようにアイラインを描いたようにくっきりと隈取された目の馬の絵があるそうで、一度見たら忘れられない印象的な姿です。足をクロスさせた立ちポーズと言い、アイラインの強い不思議な馬の表情と言い、何とも言えないユーモアが感じられ、こんな所が「奇想の絵師」と称される所以なのでしょう。

 

 

個性派ぞろいの絵師たちの作品を満喫したところで、第三展示室へ向かいます。

f:id:yomurashamroch:20210915105210j:plain


第一、第二展示室では普通に作品を並べて展示することによりそれぞれの個性の違いを見比べるというものでしたが、第三展示室では少し別の視点から紹介されています。南宗画士の岡原大華さんの筆による、若冲与謝蕪村らそれぞれの画家のタッチをまねて描いた絵と、その特徴や描き方の解説が添えられていて、とても分かりやすかったです。

 

f:id:yomurashamroch:20210915110926j:plain

今回紹介された画家たちは、京都四条通り界隈のかなりご近所に暮らしていたようで、資料を元にそれぞれの住居の場所が地図上に記されていて興味深いです。

京都に住む人物を学者、書家、画家、篆刻者などの職業ごとに名前、雅号、住所、署名を記した名鑑「平安人物志」で、画家の部では一番に円山応挙、二番目が伊藤若冲、四番目が与謝蕪村が記されています。「平安人物志」の冒頭には「著者が知った順番に掲載し、才能の優劣には関係ない」と記されているそうですが、実際には人気のある順番に掲載されたと考えられているそうで、これも面白いなあ、と思いました。

 

 

f:id:yomurashamroch:20210915111834j:plain

さらに、それぞれの画家たちの生い立ちや交流の有無などを、資料を元にまとめた表も展示されています。今回の展示の第一章で紹介された与謝蕪村若冲については、関係を示す記録が全く確認されていないので、この表からは省いているそうです。

とは言え、先の地図や「平安人物志」で見る通り、家も近所、画家としての評判も優劣つけがたく、生まれ年も同じとあれば、お互い認識していないはずは無いと思いますが、意識しすぎてお互い避けてたのかなあ?などと勝手な想像をするのもまた一興ですね。

この時代の京都にこんなにも奇想の画家たちが活躍した背景として、明治学院大学教授の山下裕二さんは複数の要因を指摘しています。

「一つは市場の変化。江戸時代も中期になると庶民が購買力をつけ、絵を求めた。その需要に応えたのが、大名のお抱えではない、曽我蕭白のような職業絵師。京都は富裕な町人たちからの注文がかなりあり、職業絵師には魅力的なマーケットだった。」

地政学的要因も見逃せない。京都には天皇はいても、殿様がいない。幕府の権威が及ばない、いわば空白地帯。だから、絵師たちは自由に奇想を鍛えたのだ。

それを受け止める土壌があったことも要因の一つだろう。京都はもともと文化の中心。新しいものを求める気質や画を見る目もある」注)

 

思えば近代化においても京都は日本で最初に…というのがたくさんあります。

日本初の近代小学校、水力発電所、路面電車、中央卸売市場、国際会議場…京都は歴史のある街である一方、先進性に富む街でもあります。ただ伝統を守るだけでなく、新しいものに挑み、取り入れる柔軟性と懐の広さを持っているのでしょう。

私自身、絵画を見るのは好きだったのですが、日本画は古臭くてどうも…と少し苦手意識がありました。しかし若冲の絵と出会ってからは、同時代の画家たちの自由奔放でアバンギャルドな魅力に触れ、すっかり奇想の画家たちの大ファンになってしまいました。そして、京都でこれらの作品が見られたことを本当にうれしく思いました。

 

注)『若冲蕭白、芦雪…&其一にドキッ! 奇想の画家たち 又兵衛、山雪、国芳北斎も!』日経おとなのOFF より抜粋 2019年4月1日発行

 

 

素晴らしい絵画を満喫した後は、二階の突き当りにあるミュージアムカフェ「パンとエスプレッソと福田美術館」へ

f:id:yomurashamroch:20210915231449j:plain

床とオリジナルデザインの家具には無垢材を贅沢に使用し、美術を鑑賞した余韻をゆったりと味わいながら、ドリンクや軽食、スイーツなどを楽しめます。

f:id:yomurashamroch:20210915231511p:plain

福田美術館公式サイトより

f:id:yomurashamroch:20210915231543p:plain

福田美術館公式サイトより

 

 

f:id:yomurashamroch:20210915232055j:plain

深い庇をつくることでガラスの反射を抑え、しっとりと影に包まれた落ち着いた空間になっています。

 

f:id:yomurashamroch:20210915232637j:plain

カフェからの眺めはどこを切り取ってもまさに絶景!このカフェでお茶するだけでも楽しめるなあ、と思ったら、こちらのカフェは来館者のみ利用可能なのです。そのおかげで混雑することも無く、窓からの絶景をゆったりと楽しめるので、福田美術館を訪れた際には、是非このカフェにも足をお運びください。

 

今回は、嵯峨嵐山の福田美術館で若冲と同時代の画家たちの作品を満喫しました。

渡月橋からほど近い同館は、嵐山散策の目玉にもなりうる見ごたえ充分な美術館です。次回ご紹介する嵯峨嵐山文華館と合わせて、日本画の名作に浸るひと時を楽しんでみてはいかがでしょうか。

 

嵐山周辺は言わずと知れた観光スポットです。

周辺もいくつかご紹介しています。

 

世界遺産 天龍寺

yomurashamroch.hatenablog.com

 

保津川を挟んで福田美術館の向かい側の「大悲閣 千光寺」↓

yomurashamroch.hatenablog.com

 

福田美術館から保津川沿いに西へ300mほどの所にある亀山公園↓
yomurashamroch.hatenablog.com

 

京福電気鉄道で嵐山駅から3駅のところにある車折神社

yomurashamroch.hatenablog.com