京都おすすめ散歩道

定番から穴場まで京都のお散歩コースを地元民の視点からご紹介

錦天満宮~京都一の繁華街の鎮守社~

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京の台所である錦市場を真正面にして新京極通のど真ん中に鎮座する錦天満宮
繁華街唯一の鎮守社として、地元の人々はもとより世界中から訪れる観光客や買い物客など全ての人を温かく見守っています。

地元の人には「錦の天神さん」と親しまれ、広く篤い崇敬が寄せられている錦天満宮をご紹介します。

 

●錦天満宮の場所

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●錦天満宮の行き方

●六角堂から錦市場

本日のスタートは六角堂です。

天満宮は、六角堂から錦市場を経て、徒歩10分余りで到着します。二か所続けて散策されるのにちょうど良い距離感でおすすめです。

 

六角堂への行き方や詳細は以下のブログをご参照ください↓

 

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六角堂の山門を出ると六角通に出ますので、東(左)へ進みます。

 

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六角通東洞院通(ひがしのとういんどおり)の交差点を南(右)へ曲がります。

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東洞院通を南へ進みます。

 

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京都の通り名の唄「あねさんろっかくたこにしき~」と歌いながら「六角通」「蛸薬師通」と確認しましょう。左手に御射山(みさやま)公園があります。この先が蛸薬師通です。そのまま南へ進みます。

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錦小路通に出ました。錦小路通沿いの左手にある八百屋さんの角を左(東)へ曲がります。

 

錦市場伊藤若冲

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曲がった先に錦市場の入口が見えて来ました!アーケード入口の上には伊藤若冲の絵をデザインした垂れ幕が。

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もう少し近づいてみると錦市場の入口の右手に小さな看板があります。

伊藤若冲生家跡」と書いてあります。若冲の生家は錦市場の青物問屋だったそうです。若冲錦市場とのつながりは, 生家があっただけではありません。

 23歳で青物問屋「桝源」の主人を務めますが、あまり仕事をせず、絵を描いてばかりいたそうで、40歳で家督を弟に譲り、その後は大好きな絵に没頭するようになったそうです。明和8年(1771)から安永3年(1774)までの錦市場の動向を伝える「京都錦小路青物市場記録」によると、じつは若冲錦市場の存続に関して積極的な活動をおこなっていたそうです。そのころ錦市場の営業をめぐる争議が起こり、若冲は画業を中断して町年寄として解決に尽力。その結果、錦市場は窮状を脱することになりました。若冲はの錦市場の恩人であり、錦市場の「中興の祖」と言っても過言では無いのだそうです。

そんな訳で、錦市場のお店のシャッターには、若冲の絵がたくさん使用されており、シャッターが下りた時間帯でも楽しめるそうです。今回は、まだほとんどのお店が開いていましたので、良い写真が撮れませんでした…

 

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 この日は緊急事態宣言明けの初めての土曜日だったので、それなりに人出がありましたが、コロナ禍以前の賑わいからするとまだまだ…という感じでした。

 

 

●商店街の中の不思議な鳥居

さて錦市場を眺めながら400mあまり東へ進むと、

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人込みの向こうに道をまたぐように石の鳥居が…

四条通から南北に三条通まで続く二つの商店街通、「新京極通」と「寺町通」は地元の人はもちろん観光客にも人気のスポットです。修学旅行でお土産を買いに訪れた方も多いのではないでしょうか。

そしてこの鳥居は、「新京極通」と「寺町通」の間にあります。

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あらら、鳥居の両端がお店につっかえているみたいですね~(笑)

 

この鳥居、数年前にブラタモリで紹介され有名になりました。つっかえているんじゃなくて、両側のビルに突き刺さっているそうです。

なぜこんなことになってしまったのかというと、この鳥居は1935年(昭和10)に建てられたのですが、鳥居を設置した後に行われた区画整理の際、計測で鳥居の先端を考慮せずに、柱の位置だけで道路幅を決めてしまうという致命的なミスをしてしまったそうです。

そのため設計ミスのまま両側に建物が建てられることとなり、さすがに鳥居の先端を切り取るわけにはいかなかったので、鳥居の先端はビルの壁に埋め込む形で建設が進み、現在の姿になったんだそうです。こんなことあるんですね~

めり込んだ鳥居の先端はビルの中から見ることができるそうです。興味のある方は一度覗いてみてはいかがでしょうか。

 

●錦天満宮とは

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さて、鳥居の話はこれぐらいにして、本題の錦天満宮です。

「錦天満宮」は『学問の神様』として知られる天満天神(菅原道真)を祭神としています。全国の天神さんと同じく「知恵・学問」はもとより「商才」「招福・厄除け・災難除け」の神様として霊験あらたかです。

長宝5年(1003年)、菅原道真の父親である菅原是善の旧邸「菅原院」にあった歓喜寺を、六条河原院に移築し、その鎮守社として天満大自在天神を祀った天満宮として創建されたのが始まりです。菅原道真の生家である「菅原院」に由来していることから、後に「官公聖蹟二十五拝」の第二番目に位置付けられています。「官公聖蹟二十五拝」とは、菅原道真公を祀る天満宮の中で特に由緒の深い25社のことで、その中の第二位ですから、相当格式高い天満宮ということですね~

その後、豊臣秀吉の都市計画によって錦小路の現在地に移転し、所在地名から「錦天満宮」と呼ばれるようになって現在に至ります。

 

●境内の見どころ色々

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「撫で牛」

天満宮が祀る天神は農作物を守る神としても信仰されており、農耕のシンボルや天神の神使であり牛の像が置かれています。

また、錦天満宮のご祭神、菅原道真は、生前 牛と深い関わりがありました。

左遷となり大宰府へと旅立った道真は、道中命を狙われますが、その時道真の命を救ったのが白牛です。道真はその白牛に乗って旅をつづけました。

また、道真が亡くなったのも丑の日でした。そのため天満宮の境内には、牛の像が奉納されるようになったそうです。 

天満宮の境内に入るとすぐ右手にあるのが「撫で牛」です。この撫で牛の頭を撫でた後に、自分の頭を撫でると頭がよくなると言われています。このご利益にあやかろうと、受験生にはとても人気があるそうです。たくさんの人に撫でられた牛の頭は、ピカピカに光っています。

ただし、現在はコロナ感染予防のため、撫で牛の前に「どうぞ、心の中で そっと撫でて下さい」と書かれた札が設置されています。

 

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 「錦の水」

京の名水「錦の水」です。この井戸は地下百尺(35m)から湧き出ており、年中17.8℃の水温を保っています。コロナ禍前までは周辺の飲食店関係者を中心に水を汲みに来る人が絶えなかったそうです。現在はこちらもコロナ感染防止のためひしゃくの使用が中止されています。

 

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「手水舎」

こちらの水も、同じ錦の水なのですが、こちらもひしゃくの使用が中止されています。

天満宮の前から始まる錦市場の発展には、錦天満宮と同じこの錦の水が欠かせませんでした。平安時代にはすでにこのあたりに市が立っていたと推測できるのは、この地が質の良い地下水に恵まれていたからにほかなりません。冷たい地下水は魚鳥の保存に適しているからで、いわば冷蔵庫代わりだったんですね。

しかし昭和35年阪急電車の延伸工事でこの錦の水が枯れてしまったことがありました。「錦市場」の存亡がかかったこの出来事に、錦市場の組合が一丸となってより深い井戸を掘り、霊水を復活させたそうです。

 

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「からくりおみくじ」

人 が近づくと、神楽が鳴り出して獅子舞が踊り始め、コインを入れると獅子がおみくじを運んでくれます。総合みくじ・和英文みくじ・和英文花みくじ・恋みくじ・こどもみくじ・よろこびみくじの6種類のおみくじがあります。

元エンジニアの宮司さんが自ら設計・製作されたそうです。

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「 からくりおみくじ(人形がおみくじを運んでくれるタイプ)」もあります。

 

 

更に、写真を撮り忘れましたが「紙芝居ロボット」もありました。

ボタンを押すと、拍子木の音が鳴り響き、紙芝居が始まります。菅原道真公のお生まれになったお話から現在に至るまでをイラストと音声で分かりやすく説明しています。

天満宮の公式サイトに紙芝居ロボットの動画がありますので、ご興味のある方はご覧ください。

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「本殿」

平安時代の学者であり、優れた漢詩人でもあった菅原道真公を皇城鎮護の神として鎮座、お祀りしています。

拝殿には高い教養と優雅な美貌の随神さまが安置され、凛とした面持ちで神社を護っています。

 

さて本殿参拝が済んだので、本殿左から奥の摂社・末社もお参りしましょう。

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塩竈神社」しおがまじんじゃ
ご祭神は源融公(みなもとのとおるこう)、ご利益は安産です。

 

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 「日之出稲荷神社」ひのでいなりじんじゃ

ご祭神は倉稲魂命(うかのたまのみこと)、ご利益は商売繁盛です。

 

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「白太夫神社」しらだゆうじんじゃ

ご祭神は渡會春彦(わたらいはるひこ)、ご利益は子授けです。

 

 

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「七社之宮」ななしゃのみや

その名の通り、七柱の神様が祀られています。

八幡神社 ご祭神は応神天皇(おうじんてんのう)、ご利益は勝負

床浦神社 ご祭神は少彦名命(すくなひこなみこと)、ご利益は疱瘡除け・疫病退散

竈神社 ご祭神は竈神(かまのかみ)、ご利益は火除け

市杵島神社 ご祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、ご利益は家内安全

熊野神社 ご祭神は伊拝再尊(いざなみのみこと)、伊弉冉命(いざなみのみこと)ご利益は子孫繁栄

恵美須神社 ご祭神は事代主神(ことしろぬしのかみ) ご利益は商売繁盛

事比良神社 ご祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)、崇徳天皇(すとくてんのう) ご利益は航海や漁業

 

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「大願梅」

願い紙に願い事を記し、大願梅の中におさめ木栓で封じ、境内の「大願梅の木」に奉納、または持ち帰ります。奉納された大願梅は、月次祭にお焚き上げされます。

 

 

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京都一の繁華街の真ん中に鎮座する小さな天満宮ですが、見どころ満載、ご利益満載ですね。近くには六角堂や蛸薬師堂、八坂神社や建仁寺など有名なスポットも徒歩圏内にたくさんあります。京都観光のルートの一つに加えてみてはいかがでしょうか..

 

 

六角堂~生け花発祥の地である都会のオアシス~

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京都の通り名の唄「まるたけえびすにおしおいけ あねさんろっかくたこにしき~」にも登場する六角通に面して六角堂はあります。京都の人にはおなじみの唄ですが、名探偵コナンの映画『迷宮への十字路』でもこの唄が鍵となっていたので、他の地方の方でも聞いたことがあるかもしれませんね。

六角堂の正式名称は紫雲山頂法寺で、天台系の単立寺院です。

本堂の形が六角形であることから、古くより「六角堂」の通称で親しまれています。

聖徳太子が創建したと伝えられ、本尊如意輪観音像が人々の信仰を集めてきました。

華道家池坊が住職を務め、いけばな発祥の地としても知られています。

京都のほぼど真ん中、オフィスビルの立ち並ぶ一角に佇む都会のオアシスのような寺院です。観光はもちろん、オフィスビルに勤めるサラリーマンのランチ後の散策に、地元の方の犬の散歩に、近隣の予備校生のお参りに、とそれぞれにこの寺院での時間を楽しんでおられます。

今回は、古くて新しい、いつの世も人々に親しまれている六角堂をご紹介します。

 

 

六角堂の場所

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六角堂への行き方

電車で   ・京都市営地下鉄烏丸御池」駅出口から徒歩3分

      ・阪急京都線「烏丸」駅21番出口から徒歩5分

      ・阪急河原町駅から約5分

 

徒歩で   ・京都文化博物館から4分

      ・錦市場高倉通側)から6分

      ・四条河原町から15分

 

タクシーで ・京都駅から約10分

      ・京阪三条駅から約10分

 

 

阪急「烏丸駅」から六角堂へ

今回は阪急京都線「烏丸」駅からスタートします。

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西改札口から出ます。ちょうど四条烏丸の交差点の真下辺りです。

改札を出て右手に以下のような案内板があります。

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案内板に従って21番出口へ向かいます。

 

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案内表示の通り、地下道を進みます。

 

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京都三井ビルディングに出ます。天井の案内表示に従って、烏丸通り出口(左側)の階段を上がります。

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烏丸通に出ました。この通り沿いを北(右)へ進みます。

「(あねさん)ろっかく たこ にしき 」と歌いながら、その歌の反対の順に「錦小路通り、蛸薬師通り、六角通り」と確認しながら300mほど進みましょう。

 

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右手に花屋さんが出てきたら、その先が六角通です。この交差点を右へ曲がります。

 

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六角通の北側(進行方向左側)に六角堂があります。ビルの谷間に木々の緑が爽やかな風を運んでくれる、不思議な空間です。

 

六角堂とは

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六角堂は起源が定かではありません。寺伝によると、587年(用明天皇2年)に聖徳太子厩戸皇子)が創建したとも言われていますが、発掘調査によると飛鳥時代の遺構は見つからず、10世紀後半頃に創建したと推定されるそうです。としても平安時代ということになりますから、京都でも屈指の古い寺院ということになります。

ちなみに、六角堂の名称は本堂の形が六角形であることに由来しています。

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写真ではちょっとわかりづらいですが、隣接するビルのエレベーターに昇り、上から見ると、確かに六角形をしていることが確認できます。

六角堂の本堂は明治10年(1877)の再建されました。
六角堂の御詠歌は「わが思う心のうちは六(むつ)の角ただ円(まろ)かれと祈るなりけり」です。「六の角」とは、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって生ずる六欲のことで、これらを捨て去って角を無くし、円満になること、すなわち「六根清浄を願う」という祈りを込めた形と伝えられています。
本尊は聖徳太子の念持仏と伝える如意輪観音坐像で、秘仏とされ安置されています。特に寿命を延ばす、病気を治すなどの健康面でのご利益があるとされ、子宝に恵まれたり、難産を緩和させるといったご利益もあるそうです。

 

太子堂(開山堂)

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境内北東の池の隅に浮かんでいる建物は太子堂と呼ばれ、六角堂を創建した聖徳太子を祀っています。内部には、太子が合掌して「南無仏」と唱える二歳像、父である用明天皇の病気平癒を祈る十六歳像、仏教の受容をめぐって物部守屋と戦った姿を表す騎馬像を安置しています。

淡路島に漂着した如意輪観音像を念持仏としていた聖徳太子は、四天王寺建立の材木を求め、京都盆地を訪れました。太子が池で身を清めるにあたり、念持仏を木に掛けたところ動かなくなり、この地にとどまって人々を救いたいと太子に告げたため、六角形の御堂を建てて安置したといわれます。

 

聖徳太子沐浴の古跡~いけばな発祥の地

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太子堂の脇の池の中にある、石でできた井筒は、聖徳太子沐浴の古跡と伝えられる場所です。この池のほとりに、小野妹子を始祖とする僧侶の住坊があり、「池坊」と呼ばれるようになりました。代々六角堂の住職を務める池坊は、仏前に花を供える中でさまざまな工夫を加え、室町時代の「いけばな」成立に至ります。東福寺の禅僧の日記『碧山日録』には、寛正3年(1462)に池坊専慶が花を挿し、京都の人々の間で評判になったことが記されています。

六角堂の隣には華道・池坊流の本部である池坊会館があり、華道展や花供養など華道関係のイベントが年中行われていますし、春のいけばな展に合わせて六角堂の境内でも夜の特別拝観が行われ、花いっぱいの幻想的な空間が広がります。

 

親鸞

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本堂の東に位置するお堂で、浄土真宗の開祖・親鸞聖人が籠ったと言われている建物です。鎌倉時代の初め、比叡山で修行をしていた親鸞は、建仁元年(1201)29歳の時、六角堂に100日参籠するという誓いを立てました。聖徳太子を深く尊敬していた親鸞は、京都における太子ゆかりの寺院として、六角堂に思いを寄せたのです。
参籠は、夜になると比叡山を下りて六角堂に籠もり、朝には山に戻る繰り返しだったといいます。そして九十五日目の暁に如意輪観音からお告げを受け、浄土宗を広めていた法然上人へ弟子入りをし、浄土真宗を開くきっかけとなりました。浄土真宗は現在でも日本で最大の仏教宗派であるため、仏教の歴史が大きく変わった場所といえるでしょう。

 

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親鸞堂の横には親鸞銅像があります。

 

石不動

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不動明王は、大日如来が一切の悪魔を降伏させるために身を変じた存在で、怒りの形相をとり、強い法力を持っています。六角堂の境内には、不動明王の石像と木像をそれぞれ安置する堂が隣接して建っています。石不動は安永9年(1780)刊行の『都名所図会』に描かれているそうです。

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唐崎社

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境内の南東隅にある唐崎社は、六角堂の鎮守です。御祭神の唐崎明神は、「唐崎の松」で有名な琵琶湖畔の唐崎神社(滋賀県大津市)の神様で、比叡山延暦寺とも深い関係があります。かつては明星天子菩薩とも称していました。社殿には、祇園社(八坂神社)と天満宮北野天満宮)の神様が合祀されています。

 

十六羅漢

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羅漢とは、仏の教えを護り伝えることのできる優れた僧侶に与えられた名前です。十六というのは、方位の四方八方を倍にした数で、あらゆる場所に羅漢がいることを意味しています。
六角堂の十六羅漢は、2007年~2008年に池坊専永住職によって安置されたもので、「和顔(わげん)愛語(あいご)」を実践し、いつもにこにこしています。いつも優しい顔つきで、穏やかに話をするように心がけてさえいれば、必ず良い報いがあるという教えだそうです。見ているとこちらも自然と笑顔になれます。

また、羅漢の周りにはひねくれて仏教を理解しない邪鬼がいるとされていますが、六角堂の邪鬼は改心し羅漢を守りながら修行に励んでいると言われています。

 

お地蔵さん

境内には多くのお地蔵さんが安置されています。手作りのよだれかけやアクリル製の帽子などを身につけているものも多く、その優しく愛らしい姿は、見ているだけでも心が癒されますね。

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池坊会館入口付近にあるのは、京都御所を守るために北を向いている「北向地蔵」

 

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小さな子供を守ってくれる「わらべ地蔵」

 

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「地蔵山」と呼ばれるお地蔵さんの群像

 

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十六羅漢の横には願いを手のひらにやさしく包み込んで祈る「合掌地蔵」があります。

 

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少し首を傾けられた姿をされた「一言願い地蔵」お参りに来られた人の願いを叶えてあげようかどうしようか考えておられるそうです。

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願いを聞き届けていただけるかは信心次第なので、欲張らず一つだけ願い事をするように、と書かれています。

 

へそ石

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山門をくぐると、右前方の敷石の中央に、中央にまるい穴があいた六角形の石があります。門前の六角通りにあったものを、明治時代初期に門内へ移したもので、六角堂が京都の中心とされたことから、体の中心であるへそになぞらえて「へそ石」と呼ばれています。桓武天皇が都を平安京へ遷す際、六角堂の本堂が通りにかかっていて、都の造営が出来ず困っていました。そこで桓武天皇が本尊の観音様に祈ったところ、六角堂が一夜のうちに自ら約15メートルほど北の現在地へ移動したそうです。もとの位置には六角堂の礎石だけが一つ残ったという伝説から、「本堂古跡の石」ともいいます。

かなりわかりにくいので、見逃し注意です!

 

 

縁結びの六角柳

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平安時代初期、妃になる女性を探していた嵯峨天皇の夢枕に六角堂の如意輪観音が現れ、「六角堂の柳の下を見てみなさい」とのお告げを受けたため、人を遣わしてみると、柳の下には一人の美しい女性が立っており、天皇はただちに妃として迎えました。この話から「六角堂の柳に願をかけると良縁に恵まれる」という噂が広がり、「縁結びの柳」と呼ばれるようになりました。本堂前の柳二本を一緒に、おみくじで結んでおくと縁結びのご利益があると言われています。

青々と茂った枝が地面すれすれまで伸びる姿から「地ずり柳」とも呼ばれます。

 

鐘楼

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山門の外側、六角通りを隔てた飛地境内に鐘楼が建っています。この鐘は、時計の無かった時代、人々に時刻を告げるため、決まった時刻に撞かれていましたが、戦国時代、京都に戦乱の危機が迫った時にも、この鐘が撞かれたという記録もあります。

ちなみに現在は除夜の鐘以外は全自動で撞かれるそうです。時代の変遷を感じさせますね。

現在の位置は江戸時代初期までさかのぼることができ、周辺の町の人々の信仰を集めた六角堂の特徴をよく表しています。
鐘は第二次世界大戦時の金属供出で失われましたが、昭和29年(1954)に再鋳されました。
平成31年(2019年3月)、本堂及び拝堂とともに京都市指定有形文化財に指定されました。

 

京都の中心 六角堂

室町時代、寛正2年(1461)の飢饉にあたり、人々が集まってくる六角堂の門前で炊き出しがおこなわれました。応仁の乱後、京都は上京と下京に分かれましたが、六角堂は下京の町堂として町衆の信仰を集め、集会所や公民館のような機能も果たすようになります。
また、日本を代表する祭礼の一つ、祇園祭山鉾巡行の順番を決めるくじ取り式は、江戸時代末まで六角堂でおこなわれていました。これらのことから、六角堂は京都の中心と認識されるようになりました。

 

 

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神社仏閣の多い京都の中で、神社は拝観無料の所がほとんどですが、寺院は拝観料が必要な所が多いですよね。しかしこの六角堂は、これだけ見どころ満載なのに、なんと拝観無料なんです!いけばなの聖地、また西国三十三か所の第18番霊場にも名を連ねていることからも、京都の中心として、古くから多くの人々の信仰を集めてきた六角堂。

これからも都会のオアシスとして、疲れた現代人の心を癒し、愛され続けることでしょう。

京都一の繁華街の中にあり、近くには京の台所「錦市場」や、祇園祭の行われる八坂神社、建仁寺なども徒歩圏内なので、一帯の観光コースの一つとしてもおすすめです。

 

近くにある錦天満宮もおすすめです。以下の記事をご覧ください。↓

 

yomurashamroch.hatenablog.com

 



 

 

 

 

 

 

平安神宮・神苑② 神々しい庭園の美が心の平安へと誘う 西神苑・中神苑・東神苑

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京都の観光名所の一つ、平安神宮は、平安遷都1100年を記念して、かつての平安京を再現した神社です。京都には1000年ほど前から続く大変古い神社仏閣も多いのですが、平安神宮は明治時代に出来た比較的新しい神社だということは、京都の人でも意外と知られていません。

 

今回は、王朝文化をしのばせる壮麗な平安神宮の中で、四季折々に風光明媚な趣を見せるとともに、神々しい風景を織りなす、その名も神苑の西神苑・中神苑そして東神苑をご紹介します。

 

平安神宮の場所

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平安神宮の行き方

平安神宮は、京都市左京区の岡崎にあります。

周辺は緑豊かな岡崎公園、国立近代美術館や動物園といった観光スポットにも恵まれている場所です。

 

今回のスタートは、西神苑からです。

平安神宮神苑は、大極殿の拝殿左側にある神苑受付で入苑料600円を払って入ります。

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平安神宮の境内は拝観無料です。

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大極殿の拝殿左側にに神苑受付がありますので、こちらで入苑料600円を払います。

 

 

受付の左手から神苑へ向かいます。

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こちらの入口から入ります。

 

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入ってすぐは南神苑(平安の苑)です。

詳しくは以下のブログでご紹介しています。↓

yomurashamroch.hatenablog.com

 

順路に従って奥へと進みます。

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 平安神宮神苑は明治時代の代表的な日本庭園として広く内外に知られており、社殿を取り囲むように東・中・西・南の四つの庭からなっています。
総面積約33,000㎡(約10,000坪)の広大な池泉回遊式庭園で、明治の有名な造園家7代目小川治兵衛らの手になるものです。平安京千年の造園技法の粋を結集した庭園として、昭和50年12月に国の名勝に指定されています。

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 西神苑に出ました。花菖蒲と睡蓮が咲き誇っていました。

西神苑平安神宮が創建された明治28年に中神苑とともに造られました。

白虎池を中心にした庭は池の西側に出島、北側には神苑唯一の滝があります。

初夏を彩る池畔の花菖蒲は特に有名で約200種類、約2000株植わっているそうです。

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新緑に映える花菖蒲と光輝く水面のさまは、まさに神々しいという言葉がぴったりで息をのむ美しさでした。

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睡蓮の瑞々しい白さが水面に際立って映えています。

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 どこを切り取っても絵になる美しさです。

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白い鳥が池の出島あたりを歩いていて、花菖蒲の美しさを引き立てていました。

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鳥の写真を撮っていたら、池の向こう側へと飛び立ちました。花菖蒲と池、そして飛び立つ鳥のコラボレーションに震えるような感動を覚えました。

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池の北側には小さな滝があり、涼し気な音を立てていました。

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時間が許すなら、ずっと見ていたい風景でした。

名残惜しい気持ちを押さえて、次の庭園へ向かいます。

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神苑・東神苑へ向かう道は静かな林になっています。

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神苑は西神苑と同じく、平安神宮創建時に作庭されたもので、庭の中央に蒼龍池があります。池の東側の大島(珊瑚島)から北岸にかけて、天正年間の三条・五条大橋の古い石柱や梁を用いた沢飛び、臥龍橋(がりょうきょう)があります。

「龍の背に乗って池に映る空の雲間を舞うかのような気分を味わっていただく」という第七代目小川治兵衛の意図が込められているそうです。

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神苑では池を囲む杜若(かきつばた)が有名です。白地に紫の模様が入り、千代紙で折った鶴をそのままそっと置いたような姿の杜若を、光格天皇が「折り鶴」と名づけ、寵愛されたそうです。残念ながら、今回はもう杜若の時期を過ぎていて写真を撮ることはできませんでしたが、白い睡蓮の花が庭園に清々しい美しさを添えていました。

 

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神苑と東神苑の間をつなぐ水辺には、川底に玉石が敷き込まれており、さわやかなせせらぎの音が…

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最後の庭園は東神苑です。

こちらは東山を借景とし、明治末期から大正初期にかけて造られました。

京都御所から移築された泰平閣(橋殿;はしどの)、並びに尚美館(貴賓館)があります。

写真の左奥に見える屋根つきの橋殿が泰平閣で、右手前の建物が尚美館です。広大な栖鳳池の水面に映る姿が優美ですね。

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その他、栖鳳池には、鶴島、亀島の二島を配し、その周囲には八重紅枝垂れ桜をはじめ、さつき・つばきなど多様な花木が植えられ水面に映る花々は格別の風情を醸しているそうです。今回はさつきしか咲いていませんでしたが、池の水面が周囲の木々の緑を鏡のように映すさまは、どこを切り取っても見飽きない美しさでした。

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橋殿から平安神宮会館に隣接した庭園が見えます。こちらも池に映る木々やさつきの色が見事でした。

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尚美館です。こちらも京都御所から移築されました。

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桜の時期に橋殿から尚美館を臨むと、こんな風景が見られるそうです。木々の緑と桜のピンク色のコントラストが見事ですね。

 

以上で平安神宮の四つの神苑のご紹介を終わります。

四季折々に神々しい風景を見せてくれる神苑は、作庭されてから100年以上経た現在でも、大いなる自然の営みに触れることができ、訪れるたびに心の平安へと誘ってくれる庭園だそうです。また、他の季節にも訪れて、その時々の美しさに触れてみたいと思います。

 

今回は東山駅から平安神宮神苑までを散策し、一時間強でした。大きな坂などはありませんが、平安神宮内は玉砂利や土の道も多いので、歩きやすい靴でお越しください。

平安神宮・神苑① 王朝文化をしのばせる社殿や庭園 東山駅から平安神宮・南神苑まで

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 京都の観光名所の一つ、平安神宮は、平安遷都1100年を記念して、かつての平安京を再現した神社です。京都には1000年ほど前から続く大変古い神社仏閣も多いのですが、平安神宮は明治時代に出来た比較的新しい神社だということは、京都の人でも意外と知られていません。

今回は王朝文化をしのばせる平安神宮の社殿や庭園をご紹介します。

 

平安神宮の場所

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平安神宮の行き方

 

今回のスタートは最寄り駅、地下鉄東西線東山駅」です。

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一番出口から出て三条通を東へ向かいます。

 

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ローソンを過ぎて一つ目の交差点(三条神宮道)を北(左)へ曲がります。

角を曲がると、もう400mほど先に平安神宮の大鳥居が見えています。

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新緑のまぶしい岡崎公園です。朱塗りの大鳥居がひと際鮮やかです。1928年(昭和3年)に、昭和天皇の大礼を記念して建てられました。高さ24m、幅18mにもなり、建設当時は国内最大の鳥居だったと言われています。遠くからでも見逃さないこの特徴的な鳥居は、神宮周辺の岡崎地区のトレードマークとしてなくてはならない存在です。

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仁王門通りを渡ると、鳥居の向かって左側は京都国立近代美術館です。

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大鳥居の向かって右側は京都市京セラ美術館です。

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 京都国立近代美術館の北隣にあるのが、日本初の公立図書館・京都府立図書館です。ここ岡崎の地へ移転されてから110年余り、今、正面に見えている外壁はその当時の姿をとどめています。レトロクラシックな外観が美しいですね…

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京都府立図書館を通り過ぎ、二条通の横断歩道を渡ると向こうに応天門が見えて来ました。

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応天門(重要文化財)です。

平安神宮の社殿は、桓武天皇が開かれた当時の平安京の正庁、朝堂院が約8分の5の規模で再現されています。大極殿(だいごくでん・外拝殿)・応天門(おうてんもん・神門)・蒼龍楼(そうりゅうろう)・白虎楼(びゃっころう)・歩廊・龍尾壇(りゅうびだん)などは明治28年(西暦1895年)の創建当時に造営されたものです。
 その後昭和15年(西暦1940年)孝明天皇ご鎮座にあたり、本殿・祝詞殿・神楽殿(かぐらでん・儀式殿)などが増改築され、これまでの社殿も大修理が行われました。また、昭和50年からは主要な建物の屋根葺替が行われ、この間51年に社殿の一部が災禍に会いましたが、54年にはその復興もあわせて完成し現在のような壮麗な社頭が整いました。
 ここを訪れると、今から1200年前、京都が生まれたばかりの風景をさながらに体感し、大宮人の気持ちを追体験できるのだそうです。

では早速、平安神宮の中へ入って行きましょう。

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大極殿重要文化財)です。平安京大内裏の正庁で、即位、朝賀をはじめ国の主要な儀式が行われる中枢です。大極とは、宇宙の本体・万物生成の根源を示す言葉で、天皇の坐す御殿を意味します。

 

f:id:yomurashamroch:20210620125631j:plain大極殿の左手前に「神苑受付」とありますが、コロナで参拝客が少ないからか、こちらは閉鎖されていました。

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神苑の受付は拝殿の左手にありました。境内の拝観は無料ですが、神苑はこちらで入苑料600円を払います。

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 神苑受付の左手から神苑へ向かいます

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こちらから入っていきます。

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平安神宮神苑は明治時代の代表的な日本庭園として広く内外に知られており、社殿を取り囲むように東・中・西・南の四つの庭からなっています。
総面積約33,000㎡(約10,000坪)の広大な池泉回遊式庭園で、明治の有名な造園家7代目小川治兵衛らの手になるものです。平安京千年の造園技法の粋を結集した庭園として、昭和50年12月に国の名勝に指定されています。

 

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入口を入るとすぐにしだれ桜の名所として有名な南神苑です。

6月だったので、残念ながら桜は見られませんでしたが、満開だったらさぞ華やかだったことと思います。来年は是非しだれ桜を見に来たいものです。

 

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 南神苑は明治28年の平安神宮創建以来、しだれ桜の名所として親しまれてきました。

昭和44年の孝明天皇100年祭の時に、平安時代の特色である野筋(道筋)と遣水が設けられました。また、昭和56年には、平安時代の代表的文学書(竹取物語伊勢物語古今和歌集枕草子源氏物語)に登場する草木、約180種類を植栽して、王朝文化をしのばせる庭「平安の苑(その)」としました。

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四季折々の草木が植えられていて、草木の名前と登場する文学の名称、登場箇所が小さな立て看板にして添えられていましたが、あいにくこの日の平安の苑ではつつじぐらいしか咲いておらず、立て看板の写真も撮り忘れました。

 

あれ?こんな所に電車が…

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この電車は、明治28年8月31日に日本最初の交通輸送業電車として京都電気鉄道が運行し、平安神宮のある岡崎付近にも敷設されていました。日本の電気鉄道の先駆けとして交通事業に貢献してきました。

しかし、明治45年6月に京都市が市営電気軌道(市電)の営業を開始し、大正7年6月に京都市に合併されました。その後時勢の推移から各路線が随時廃止され、昭和37年7月には永年チンチン電車の愛称で親しまれてきたわが国最古の電車もその姿を消すこととなりました。

この電車は当初のもので、平安神宮創建とも深い関係があることから、京都市より払下げを受け、記念としてこちらに保存されているそうです。

 

神苑は季節柄、見どころが無く残念でした。

ネットから美しいしだれ桜の写真を拝借↓

平安神宮の桜の写真素材

平安神宮の桜の写真素材

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コロナ禍が落ち着いたら、人込みを気にすることなく、このように華麗で美しい桜を見に行きたいです。

 

今回のお散歩はここまでです。

次回は引き続き平安神宮の西神苑・中神苑そして東神苑をご紹介します。こちらは季節にぴったりの神々しい庭園の美が広がっていますので、お楽しみに!

 

 

夏越の祓・車折神社の茅の輪くぐり

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●夏越の祓と車折神社

嵐山にほど近い車折神社では、6月になると、茅の輪が本殿入口の鳥居に飾られます。毎年6月の終わりに神社で執り行われる「夏越の祓(なごしのはらえ)」は、一年の前半の半年間の罪や穢れを祓い、残りの半年間の無病息災を祈る神事です。なお、7月から12月の穢れを払うのは大晦日の年越しの祓です。

神社の境内や鳥居の下などに茅(ちがや)の大きな輪が設けられ、八の字を描くように“茅の輪(ちのわ)”をくぐることで厄が落ち、身が清められるそうです。

これは、旅の途中に宿を求めた素戔嗚尊(すさのおのみこと)を、貧しいながらも厚くもてなした蘇民将来(そみんしょうらい)が、その後素戔嗚尊の言った通り、茅の輪を腰につけて疫病を免れたという故事に由来しているそうです。

京都でも主な神社でこの夏越の祓が行われますが、ほとんどが6月30日かその数日前から茅の輪を設置する所が多いのですが、ここ車折神社では6月1日から一か月間茅の輪が設置されています。ピンポイントで6月30日に茅の輪くぐりに訪れるのはスケジュール的に難しい方も、車折神社ならご都合のつく日に茅の輪くぐりが出来ますので、是非訪れてみてはいかがでしょうか・

車折神社は、境内に芸能の神様を祀る「芸能神社」があることで有名ですが、そのほかにもさまざまなご利益のある興味深い神社です。車折神社については以下のブログで詳しくご紹介しています。↓

yomurashamroch.hatenablog.com

 

さて、では早速車折神社の茅の輪くぐりに行きましょう。

今回のスタートは、最寄りの京福嵐山鉄道(嵐電車折駅からです。

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駅を降りると、目の前が車折神社です。

f:id:yomurashamroch:20210620131045j:plainこの日は植木屋さんが境内の木の剪定をされていました。春から初夏にかけて茂った木々が、すっきりと刈り揃えられて夏支度。境内は一段と明るく感じました。

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 車折神社駅から近い方の門からは裏参道になりますが、こちらから入って行きます。

f:id:yomurashamroch:20210620131151j:plain清めの社です。裏参道より本殿入口付近に出る石鳥居の脇にあります。清めの社のご神力(パワー)により、車折神社の境内全体(敷地)は「悪運・悪因縁の浄化」「災厄消除」のご神力が充満しており、全国各地より大勢の方が、厄除け・八方除けのご祈祷を受けに来られるそうです。この日も数人の方がこの清めの社で熱心に拝んだり写真を撮られたりされていました。 

 

車折神社の茅の輪くぐり

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こちらが茅の輪になります。茅の輪くぐりの作法は、神社により違うようです。一般的には、神歌を唱えながら、まず茅の輪を左足からまたぎ、左側からまわって正面へ戻ります。続いて左足から右側へまわり正面へ、さらに左足から左周りで正面へ戻ります。8の字を描くように左・右・左と回ります。最後に左足からまたいで、本殿へ向かいます。

f:id:yomurashamroch:20210620131249j:plain茅の輪の横の建物の壁に貼られていた説明書きです。茅の輪をくぐって心身を清めた後、「人形(ひとがた)」を書くと、気づかぬうちに身についてしまった罪・けがれがことごとく祓われ、運気が大いに上昇するそうです。

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 茅の輪をくぐると、人形(ひとがた)を書く場所が設置されています。

f:id:yomurashamroch:20210620131341j:plain人形は、人の形を模した紙の形代です。夏越の祓では、この人形に自分の名前や年齢を書き、体をなでたり、息を吹きかけたりして罪や穢れを託します。体の悪い部分をこすることで人形に厄を移すといった風習もあるそうです。茅の輪をくぐった後で、人形は身代わりとして神社におさめたり、川に流したり、火で焚き上げたり、神社によって異なるようですが、そのようにして厄を祓い、残り半年の息災を祈願します。

 

車折神社でも、上の写真のように、人形に名前と年齢と性別を書いた後、息を3回吹きかけます。これにより、人形にその人の分魂が宿り、神事の当日、神主がお焚き上げをすることにより「罪・穢れ」が祓い清められ、運気が大いに上昇するそうです。

f:id:yomurashamroch:20210620131407j:plain記入済みの人形は、隣の箱へ入れます。

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人形のお焚き上げ料100円(以上)は、この箱に入れます。

f:id:yomurashamroch:20210620131503j:plain境内では、梅雨時の湿った空気にくちなしの花の甘い香りがより濃密に香っていました。

 

この後、ご本殿にも参拝しました。これで今年半年の穢れをすっかり祓っていただき

残りの半年間を無事に過ごしたいものです。

 

●夏越の祓と水無月

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京都では、6月になると和菓子屋さんをはじめ、スーパーなどでも「水無月」という、白いういろう生地に小豆を乗せた三角形の和菓子が売られ、夏越の祓の行事食として親しまれています。

京都で水無月が食されるようになった由来は、宮中で行われていた「氷の節句」だと言われています。6月1日に行われていた氷の節句では、取り寄せた氷を口に含み、暑気を払って夏を無事に乗り切れるよう祈願されました。しかし庶民にとって氷は高級品で手の届かない物だったため、氷をイメージした三角のういろうに、邪気を払う小豆を乗せた水無月が作られたと言われています。

私も6月に一度は水無月を食べないと、何となく物足りないような気分になります。今年も水無月を食べて、暑気祓いをしたいと思います。

今回のお散歩は車折神社駅からすぐでしたので、15分ほどでした。車折神社からは京福電気鉄道嵐電)で3駅で嵐山駅に着きますし、徒歩でも15分ほどですので、嵐山観光のついでに立ち寄ってみられてはいかがでしょうか。

 

 嵐山周辺のおすすめ情報はこちらをご覧ください↓

 

言わずと知れた世界遺産天龍寺

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 渡月橋から保津川上流の山の上の絶景寺院

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 天龍寺裏手の穴場スポット 亀山公園

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旧暦宮中では、冬から氷室で保管していた氷で暑気払いをしていました。しかし、氷は庶民には大変貴重なもの。そこで形を似せた甘いお菓子で、息災を

天龍寺 百花苑と曹源池庭園 ~梅雨の晴れ間に咲く花々に惹かれて~

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嵐山にある天龍寺は、京都の禅寺を代表する格式高い寺院「京都五山」のひとつで、その中でも第一位に数えられたことのあるお寺です。

法堂(はっとう)の天井に大きな龍が描かれた雲龍j図をはじめ、参拝客を出迎えるだるま図、亀山と嵐山を借景にした広大な庭園など、境内には見どころが満載。

四季を通じて、どこを切り取っても絵になる美しい寺院「天龍寺」ですが、今回は梅雨の晴れ間に訪れた百花苑と曹源池庭園をご紹介します。

 

天龍寺の場所

goo.gl

 

天龍寺行き方

電車で

 ・京福電気鉄道嵐山線 「嵐山」駅下車

 ・JR嵯峨野線 「嵯峨嵐山」駅下車徒歩13分

 ・阪急電車 「嵐山」駅下車徒歩15分

バスで

 ・市バス 11.28,93番で「嵐山天龍寺前」下車前

 ・京都バス 61,72,83番で「京福嵐山駅前」下車前


世界遺産 天龍寺

嵐山や渡月橋天龍寺の西側に広がる亀山公園などもかつては天龍寺の境内地でした。

もともと後嵯峨天皇の亀山離宮があった所に、暦応2(1339)年、足利尊氏後醍醐天皇の菩提を弔うため、夢想国師を開山として創建した禅寺です。

室町時代には京都五山の第一位を占めたこともありました。創建以来八度にわたる大火で創建当時の壮大な面影はとどめていないそうです。現在の諸堂は明治になって再建されました。当時の原型を残す曹源池庭園は亀山や嵐山を借景にした池泉廻遊式で、夢想国師の作庭と言われています。

日本で最初に史跡・特別名勝に指定され1994年12月には「古都京都の文化財」として、世界文化遺産に登録されました。

 

本日のスタートはJR嵯峨嵐山駅です。

 

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南側の出口から出て、南へ向かいます。

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 駅前の道を南へ向かい、京都銀行の角を西へ曲がると、上記の道へ出ます。

コロナ禍以前は、平日でも観光客でごった返していましたが、今は平日とは言え、ほとんど歩いている人がいません。

この道を西へ向かい、突き当りが嵐山のメインストリート長辻通りです。

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長辻通りで南へ曲がると、天龍寺京福電気鉄道嵐電)嵐山駅の向かい側です。

こちらの入口から天龍寺に入って行きます。

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庭園では菖蒲や下野、山紫陽花などが開花中とのこと。下野ってどんな花でしょうか?

気になりますね…

 

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 庫裏です。明治32年(1899)の建立です。庫裏は台所兼寺務所の機能を持ちます。方丈や客殿と棟続きで、切妻造の屋根の下の大きな三角形の壁が印象的です。白壁を縦横に区切ったり、曲線の梁を用いたりして装飾性を出した建物で、天龍寺景観の象徴ともなっています。

また、玄関に入った正面に置かれる大衝立の達磨図は前管長である平田精耕老師の筆によるもので、方丈の床の間などに同じ達磨図が見られ、達磨宗である禅を象徴し、天龍寺の顔ともいえます。

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庫裏の前を左に曲がると庭園受付があります。庭園(曹源池・百花苑)のみの参拝料は高校生以上500円です。諸堂(大方丈・書院・多宝殿)も参拝する場合は、庭園参拝料に300円追加になります。

今回は庭園のみの参拝としました。

f:id:yomurashamroch:20210620132029j:plain庭園受付から入るとすぐに方丈に出ます。

 方丈とは禅宗様式柄の一つで、住職の居室です。方丈のご本尊は釈迦如来坐像I(重要文化財)です。平安時代後期の作とされ、天龍寺が受けた八度の火災のいずれにも罹災せず助けられた仏像で、天龍寺に祀られる仏像の中で最も古いものとなります。

方丈の東は中門に対し、西は曹源池に面しています。東側が正面で曹源池側が裏となります。

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方丈の角を曲がると、曹源池です。じっくり見るのは後のお楽しみにして、まずは曹源池の裏側の庭園内を散策します。

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青紅葉が目に鮮やかです。起伏に富んだ遊歩道が曹源池の背面に張り巡らされていて、ちょっと迷路のようです。

f:id:yomurashamroch:20210620132206j:plainこの辺りが庭園の一番高い場所でしょうか。曹源池を見下ろすも、大きく育った木々で池の全容を見ることが出来ませんでした。

 

何せ八度も大火に遭った天龍寺なので、庭園も現在の姿になったのがいつ頃からなのかは定かではありませんが、天龍寺の公式サイトによると、「庭園全体像は寛政11年(1799)に刊行された秋里離島による「都林泉名勝図会」に描かれた姿をよく残している。」とありますので、少なくとも200年余り前には現在に近い庭園だったとすると、木々が大きいのも頷けます。

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 曹源池を見下ろすしだれ桜の木です。写真では伝わらないかもしれませんが、未だかつて、しだれ桜でこんな巨木にお目にかかったことはありません。樹齢は一体何百年なんでしょうか?

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 天龍寺裏手には大河内山荘などに通じる竹林があります。写真の竹林はまだ天龍寺の境内ですが、昔はこの辺り一帯が天龍寺境内地だったことが伺える風景です。

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 先ほどのしだれ桜より下の方、方丈の近くに植わっているしだれ桜の木です。

本当におおきくて立派な木です。これが満開になったらどんなに美しいのかと思いますが、私はまだそのタイミングで訪れたことがありません。来年は是非この目で見たいものです。

f:id:yomurashamroch:20210620132416j:plain曹源池を見下ろす遊歩道から下におりて来て、お目当てのあじさいが見えて来ました。

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それぞれの花に日本語、英語、中国語、韓国語での名称が書かれた立て札が設置されています。

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 こちらは普通の紫陽花です。

 

 

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この東屋の奥に見えるのが北門です。北門から出ると、有名な嵯峨野の竹林から大河内山荘や亀山公園へと続く道へ出ます。

→亀山公園をご紹介したブログは↓

yomurashamroch.hatenablog.com

 

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紫陽花にもいろいろな色があり、まさに百花繚乱です。

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下野の花です。庭園に入る前に見かけた看板にも開花中と書いてありましたね。バラ科下野国(栃木県)で最初に発見されたことから、この名がつけられたそうです。

ピンク色のかわいい花が密生していますね。

 

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 紫陽花にも本当に色々な種類があるんですね。

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 百花苑の立て看板が。どうも順路を逆に辿って来たようです。

今回は紫陽花以外はつつじぐらいしか見られませんでしたが、四季折々の花が植えられていて、それぞれに花の名前の立て札が添えられていました。

 

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 再び、方丈の横に戻って来ました。花菖蒲やさつきが咲き乱れて得も言われぬ美しさでした。

 

最初とは反対の方向から曹源池を眺めてみます。方丈と庭園の組み合わせもまた美しいものです。方丈のお堂の軒下部分にも歩道が設けられ、また方丈の縁側に座ってもゆっくり眺めることが出来ます。

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  曹現池庭園は、約700年前の夢窓国師作庭当時の面影をとどめており、わが国最初の史跡・特別名勝指定だそうです。中央の曹源池を巡る池泉回遊式庭園で、大堰川を隔てた嵐山や庭園西に位置する亀山を取り込んだ借景式庭園でもあります。

方丈からみた曹源池中央正面には2枚の巨岩を立て龍門の滝とします。龍門の滝とは中国の登龍門の故事になぞらえたもので、鯉魚石を配するが、通常の鯉魚石が滝の下に置かれているのに対し、この石は滝の流れの横に置かれており、龍と化す途中の姿を現す珍しい姿をしていると言われています。

曹源池の名称は国師が池の泥をあげたとき池中から「曹源一滴」と記した石碑が現れたところから名付けられたそうです。

今回は天龍寺あじさいなどが咲き乱れる百花苑と新緑がさわやかな曹源池庭園をご紹介しました。諸堂は見学していませんが、まだまだ見どころが満載です。

天龍寺の公式サイトに、「天龍寺の四季」と題し、四季折々の美しい境内の風景が掲載されていますので、是非ご覧ください。私もそれぞれの季節にまたゆっくりと訪れて、天龍寺の美を堪能したいと思います。

嵯峨嵐山駅からの往復で一時間半ほどの散歩でした。

 

 

 

 

 

松尾大社 太古より続く神宿る社~酒の神を祀る~④末社や資料館など

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京都でも一、二を争う一大観光地「嵐山」。その一つ手前の駅「松尾大社駅」前にあるのが「松尾大社」です。京都どころか日本でも最古の神社の一つです。

京都では「お酒の神様」として有名ですが、嵐山ほどには観光客も多くなく、初詣やお宮参りなどで訪れる地元の方以外は、京都人でも訪れたことがある方はそんなに多くは無いのではないでしょうか。

しかし調べてみると山吹の名所として、またすばらしい庭園や多くの文化財など見どころ満載の興味深い神社です。

緑濃い背後の松尾山を含む約十二万坪の広大な境内には、古代から続く神の気配に満ちています。

 

松尾大社の場所

goo.gl

松尾大社への行き方

阪急電車松尾大社」駅下車
JR京都駅→(地下鉄)→四条烏丸→(阪急京都線)→桂→(阪急嵐山線)→松尾大社
所要時間:京都駅から40分

■市バス「松尾大社前」バス停下車
JR京都駅→(市バス・嵐山大覚寺行き→松尾大社
JR京都駅→(京都バス・苔寺行き)→松尾大社
所要時間:京都駅から40分

 

前回までで松尾大社の境内の主な御社殿や庭園などをご紹介しました。

今回は境内にあるいくつかの末社やお酒の資料館などをご紹介します。

 

●境内末社

●北末社

末社は前回ご紹介した、三宮社(さんのみやしゃ)、四大神社(しのおおかみのやしろ)、滝御前(たきごぜん)の三社です。

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三宮社(向かって左)と四大神社(右)

 

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 滝御前

 

●南末社

末社は本殿左側に並んでいます。

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 衣出社(ころもでしゃ)、一挙社(いっきょしゃ)、金刀比羅社(ことひらしゃ)、祖霊社(それいしゃ)と伊勢神宮の遙拝所があります。

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 衣出社…ご祭神:羽山戸神。農耕および諸産業の守護神で松尾七社の一社

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 一挙社…ご祭神:一挙神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の別名かとも言われていて、古来困難にあってもこの神に祈れば一挙に解決すると伝えられているそうです。

何か困ったことがあった時に頼りになりそうな神様ですね~

f:id:yomurashamroch:20210620134526j:plain金刀比羅社…ご祭神:大物主神(おおものぬしのかみ)で、商売繁盛、交通安全の守護神

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祖霊社…松尾大社ゆかりの功績者を祀ります。

 

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 伊勢神宮遙拝所:伊勢神宮に行けない人はここから伊勢神宮の方に向かってお祈りする

と、伊勢神宮に願いが届けられるとか。

 

●様々なパワースポット

さて、再度本殿の前へ戻ります。

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本殿左側にあるのが、相生の松です。この古木は、もとは雌雄根を同じくし、相生の松として樹齢350年を保っていましたが、昭和31・32の両年にそれぞれ天寿をまっとうしました。昭和47年に神意を得、大しめ縄を幹に巻き、覆屋を設けて保存されることになりました。以来、相生の松は、人々によって夫婦和合、恋愛成就の象徴として厚く信仰されています。

 

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 本殿右の端にある、庭園入口の手前にある「神使の庭」です。松尾大社の二つの神の使い、亀と、滝を登る鯉の像があります。

亀は今回の道中で何度も出会いましたね。そして鯉。太古、大神様が山城丹波の国を拓くため保津川を遡られる時、急流は鯉、緩やかな流れは亀の背に乗って進まれたと伝えられ、以来亀と鯉は神のお使いとして崇められているそうです。

f:id:yomurashamroch:20210620134818j:plain幸運の双鯉は、恋愛成就、夫婦円満、立身出世委のご利益があるそうですが、コロナ禍により閉鎖されていました。

 

幸運の撫で亀というのもあるようですが、写真を撮るのを忘れていました。

その他、前回、前々回にご紹介した亀の井や手水舎横の撫で亀などもありましたね。

数々の末社と共にコロナ禍で弱っている心と体に強力なパワーをいただけそうです。

 

●お酒の資料館

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f:id:yomurashamroch:20210620134918j:plain楼門の手前を南へ入った所に、お酒の資料館があります。 

尾大社は、日本第一醸造神として全国的にとても有名な神社です。資料館入り口には、インパクトのある大きな酒樽が出迎えてくれます。館内には、お酒の神様である松尾の神様についてのコーナー、お酒と歴史と文化のコーナー、お酒ができるまでの酒造工程を学べるコーナー、その他、古くから伝わる酒造道具や様々な窯の酒器、全国の銘酒のラベルや徳利・杯の見学などお酒に関するモノや資料が多く集まっているので日本酒の文化を楽しみながら学べます。無料で見学できるので、是非行ってみてはいかがでしょうか。

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お酒に関する漢字が紹介されたパネル。こんなに色々な漢字があるんですね!

 

今回は松尾大社で有名なヤマブキの時期が終わっていましたが、来年はぜひヤマブキにあふれた境内を散策したいと思います。

 

松尾大社はお酒の神様、というぐらいの知識しかありませんでしたが、訪れてみると太古の昔からの続く自然の神を祀り、それでいて伝統と現代的な手法がうまく調和した美しい庭園や、様々なご利益のある末社など、本当に見どころ満載のパワースポットでした。四季折々を彩る木々や花もその時々で美しいようですので、他の季節にもまた訪れてみたいと思います。

今回は阪急嵐山駅から徒歩で訪れ、松尾大社の境内をめぐる散策を合わせ、約2時間半の散歩となりました。起伏はほとんどありませんが、お時間と体力に余裕のある時に歩きやすい服装でお越しください。