京の台所である錦市場を真正面にして新京極通のど真ん中に鎮座する錦天満宮。
繁華街唯一の鎮守社として、地元の人々はもとより世界中から訪れる観光客や買い物客など全ての人を温かく見守っています。
地元の人には「錦の天神さん」と親しまれ、広く篤い崇敬が寄せられている錦天満宮をご紹介します。
●錦天満宮の場所
●錦天満宮の行き方
●六角堂から錦市場へ
本日のスタートは六角堂です。
錦天満宮は、六角堂から錦市場を経て、徒歩10分余りで到着します。二か所続けて散策されるのにちょうど良い距離感でおすすめです。
六角堂への行き方や詳細は以下のブログをご参照ください↓
六角堂の山門を出ると六角通に出ますので、東(左)へ進みます。
六角通と東洞院通(ひがしのとういんどおり)の交差点を南(右)へ曲がります。
東洞院通を南へ進みます。
京都の通り名の唄「あねさんろっかくたこにしき~」と歌いながら「六角通」「蛸薬師通」と確認しましょう。左手に御射山(みさやま)公園があります。この先が蛸薬師通です。そのまま南へ進みます。
錦小路通に出ました。錦小路通沿いの左手にある八百屋さんの角を左(東)へ曲がります。
曲がった先に錦市場の入口が見えて来ました!アーケード入口の上には伊藤若冲の絵をデザインした垂れ幕が。
もう少し近づいてみると錦市場の入口の右手に小さな看板があります。
「伊藤若冲生家跡」と書いてあります。若冲の生家は錦市場の青物問屋だったそうです。若冲と錦市場とのつながりは, 生家があっただけではありません。
23歳で青物問屋「桝源」の主人を務めますが、あまり仕事をせず、絵を描いてばかりいたそうで、40歳で家督を弟に譲り、その後は大好きな絵に没頭するようになったそうです。明和8年(1771)から安永3年(1774)までの錦市場の動向を伝える「京都錦小路青物市場記録」によると、じつは若冲が錦市場の存続に関して積極的な活動をおこなっていたそうです。そのころ錦市場の営業をめぐる争議が起こり、若冲は画業を中断して町年寄として解決に尽力。その結果、錦市場は窮状を脱することになりました。若冲はの錦市場の恩人であり、錦市場の「中興の祖」と言っても過言では無いのだそうです。
そんな訳で、錦市場のお店のシャッターには、若冲の絵がたくさん使用されており、シャッターが下りた時間帯でも楽しめるそうです。今回は、まだほとんどのお店が開いていましたので、良い写真が撮れませんでした…
この日は緊急事態宣言明けの初めての土曜日だったので、それなりに人出がありましたが、コロナ禍以前の賑わいからするとまだまだ…という感じでした。
●商店街の中の不思議な鳥居
さて錦市場を眺めながら400mあまり東へ進むと、
人込みの向こうに道をまたぐように石の鳥居が…
四条通から南北に三条通まで続く二つの商店街通、「新京極通」と「寺町通」は地元の人はもちろん観光客にも人気のスポットです。修学旅行でお土産を買いに訪れた方も多いのではないでしょうか。
あらら、鳥居の両端がお店につっかえているみたいですね~(笑)
この鳥居、数年前にブラタモリで紹介され有名になりました。つっかえているんじゃなくて、両側のビルに突き刺さっているそうです。
なぜこんなことになってしまったのかというと、この鳥居は1935年(昭和10)に建てられたのですが、鳥居を設置した後に行われた区画整理の際、計測で鳥居の先端を考慮せずに、柱の位置だけで道路幅を決めてしまうという致命的なミスをしてしまったそうです。
そのため設計ミスのまま両側に建物が建てられることとなり、さすがに鳥居の先端を切り取るわけにはいかなかったので、鳥居の先端はビルの壁に埋め込む形で建設が進み、現在の姿になったんだそうです。こんなことあるんですね~
めり込んだ鳥居の先端はビルの中から見ることができるそうです。興味のある方は一度覗いてみてはいかがでしょうか。
●錦天満宮とは
さて、鳥居の話はこれぐらいにして、本題の錦天満宮です。
「錦天満宮」は『学問の神様』として知られる天満天神(菅原道真)を祭神としています。全国の天神さんと同じく「知恵・学問」はもとより「商才」「招福・厄除け・災難除け」の神様として霊験あらたかです。
長宝5年(1003年)、菅原道真の父親である菅原是善の旧邸「菅原院」にあった歓喜寺を、六条河原院に移築し、その鎮守社として天満大自在天神を祀った天満宮として創建されたのが始まりです。菅原道真の生家である「菅原院」に由来していることから、後に「官公聖蹟二十五拝」の第二番目に位置付けられています。「官公聖蹟二十五拝」とは、菅原道真公を祀る天満宮の中で特に由緒の深い25社のことで、その中の第二位ですから、相当格式高い天満宮ということですね~
その後、豊臣秀吉の都市計画によって錦小路の現在地に移転し、所在地名から「錦天満宮」と呼ばれるようになって現在に至ります。
●境内の見どころ色々
「撫で牛」
錦天満宮が祀る天神は農作物を守る神としても信仰されており、農耕のシンボルや天神の神使であり牛の像が置かれています。
また、錦天満宮のご祭神、菅原道真は、生前 牛と深い関わりがありました。
左遷となり大宰府へと旅立った道真は、道中命を狙われますが、その時道真の命を救ったのが白牛です。道真はその白牛に乗って旅をつづけました。
また、道真が亡くなったのも丑の日でした。そのため天満宮の境内には、牛の像が奉納されるようになったそうです。
錦天満宮の境内に入るとすぐ右手にあるのが「撫で牛」です。この撫で牛の頭を撫でた後に、自分の頭を撫でると頭がよくなると言われています。このご利益にあやかろうと、受験生にはとても人気があるそうです。たくさんの人に撫でられた牛の頭は、ピカピカに光っています。
ただし、現在はコロナ感染予防のため、撫で牛の前に「どうぞ、心の中で そっと撫でて下さい」と書かれた札が設置されています。
「錦の水」
京の名水「錦の水」です。この井戸は地下百尺(35m)から湧き出ており、年中17.8℃の水温を保っています。コロナ禍前までは周辺の飲食店関係者を中心に水を汲みに来る人が絶えなかったそうです。現在はこちらもコロナ感染防止のためひしゃくの使用が中止されています。
「手水舎」
こちらの水も、同じ錦の水なのですが、こちらもひしゃくの使用が中止されています。
錦天満宮の前から始まる錦市場の発展には、錦天満宮と同じこの錦の水が欠かせませんでした。平安時代にはすでにこのあたりに市が立っていたと推測できるのは、この地が質の良い地下水に恵まれていたからにほかなりません。冷たい地下水は魚鳥の保存に適しているからで、いわば冷蔵庫代わりだったんですね。
しかし昭和35年、阪急電車の延伸工事でこの錦の水が枯れてしまったことがありました。「錦市場」の存亡がかかったこの出来事に、錦市場の組合が一丸となってより深い井戸を掘り、霊水を復活させたそうです。
「からくりおみくじ」
人 が近づくと、神楽が鳴り出して獅子舞が踊り始め、コインを入れると獅子がおみくじを運んでくれます。総合みくじ・和英文みくじ・和英文花みくじ・恋みくじ・こどもみくじ・よろこびみくじの6種類のおみくじがあります。
元エンジニアの宮司さんが自ら設計・製作されたそうです。
「 からくりおみくじ(人形がおみくじを運んでくれるタイプ)」もあります。
更に、写真を撮り忘れましたが「紙芝居ロボット」もありました。
ボタンを押すと、拍子木の音が鳴り響き、紙芝居が始まります。菅原道真公のお生まれになったお話から現在に至るまでをイラストと音声で分かりやすく説明しています。
錦天満宮の公式サイトに紙芝居ロボットの動画がありますので、ご興味のある方はご覧ください。
「本殿」
平安時代の学者であり、優れた漢詩人でもあった菅原道真公を皇城鎮護の神として鎮座、お祀りしています。
拝殿には高い教養と優雅な美貌の随神さまが安置され、凛とした面持ちで神社を護っています。
さて本殿参拝が済んだので、本殿左から奥の摂社・末社もお参りしましょう。
「塩竈神社」しおがまじんじゃ
ご祭神は源融公(みなもとのとおるこう)、ご利益は安産です。
「日之出稲荷神社」ひのでいなりじんじゃ
ご祭神は倉稲魂命(うかのたまのみこと)、ご利益は商売繁盛です。
「白太夫神社」しらだゆうじんじゃ
ご祭神は渡會春彦(わたらいはるひこ)、ご利益は子授けです。
「七社之宮」ななしゃのみや
その名の通り、七柱の神様が祀られています。
八幡神社 ご祭神は応神天皇(おうじんてんのう)、ご利益は勝負
床浦神社 ご祭神は少彦名命(すくなひこなみこと)、ご利益は疱瘡除け・疫病退散
竈神社 ご祭神は竈神(かまのかみ)、ご利益は火除け
市杵島神社 ご祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、ご利益は家内安全
熊野神社 ご祭神は伊拝再尊(いざなみのみこと)、伊弉冉命(いざなみのみこと)ご利益は子孫繁栄
恵美須神社 ご祭神は事代主神(ことしろぬしのかみ) ご利益は商売繁盛
事比良神社 ご祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)、崇徳天皇(すとくてんのう) ご利益は航海や漁業
「大願梅」
願い紙に願い事を記し、大願梅の中におさめ木栓で封じ、境内の「大願梅の木」に奉納、または持ち帰ります。奉納された大願梅は、月次祭にお焚き上げされます。
京都一の繁華街の真ん中に鎮座する小さな天満宮ですが、見どころ満載、ご利益満載ですね。近くには六角堂や蛸薬師堂、八坂神社や建仁寺など有名なスポットも徒歩圏内にたくさんあります。京都観光のルートの一つに加えてみてはいかがでしょうか..