京都おすすめ散歩道

定番から穴場まで京都のお散歩コースを地元民の視点からご紹介

天龍寺 百花苑と曹源池庭園 ~梅雨の晴れ間に咲く花々に惹かれて~

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嵐山にある天龍寺は、京都の禅寺を代表する格式高い寺院「京都五山」のひとつで、その中でも第一位に数えられたことのあるお寺です。

法堂(はっとう)の天井に大きな龍が描かれた雲龍j図をはじめ、参拝客を出迎えるだるま図、亀山と嵐山を借景にした広大な庭園など、境内には見どころが満載。

四季を通じて、どこを切り取っても絵になる美しい寺院「天龍寺」ですが、今回は梅雨の晴れ間に訪れた百花苑と曹源池庭園をご紹介します。

 

天龍寺の場所

goo.gl

 

天龍寺行き方

電車で

 ・京福電気鉄道嵐山線 「嵐山」駅下車

 ・JR嵯峨野線 「嵯峨嵐山」駅下車徒歩13分

 ・阪急電車 「嵐山」駅下車徒歩15分

バスで

 ・市バス 11.28,93番で「嵐山天龍寺前」下車前

 ・京都バス 61,72,83番で「京福嵐山駅前」下車前


世界遺産 天龍寺

嵐山や渡月橋天龍寺の西側に広がる亀山公園などもかつては天龍寺の境内地でした。

もともと後嵯峨天皇の亀山離宮があった所に、暦応2(1339)年、足利尊氏後醍醐天皇の菩提を弔うため、夢想国師を開山として創建した禅寺です。

室町時代には京都五山の第一位を占めたこともありました。創建以来八度にわたる大火で創建当時の壮大な面影はとどめていないそうです。現在の諸堂は明治になって再建されました。当時の原型を残す曹源池庭園は亀山や嵐山を借景にした池泉廻遊式で、夢想国師の作庭と言われています。

日本で最初に史跡・特別名勝に指定され1994年12月には「古都京都の文化財」として、世界文化遺産に登録されました。

 

本日のスタートはJR嵯峨嵐山駅です。

 

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南側の出口から出て、南へ向かいます。

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 駅前の道を南へ向かい、京都銀行の角を西へ曲がると、上記の道へ出ます。

コロナ禍以前は、平日でも観光客でごった返していましたが、今は平日とは言え、ほとんど歩いている人がいません。

この道を西へ向かい、突き当りが嵐山のメインストリート長辻通りです。

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長辻通りで南へ曲がると、天龍寺京福電気鉄道嵐電)嵐山駅の向かい側です。

こちらの入口から天龍寺に入って行きます。

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庭園では菖蒲や下野、山紫陽花などが開花中とのこと。下野ってどんな花でしょうか?

気になりますね…

 

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 庫裏です。明治32年(1899)の建立です。庫裏は台所兼寺務所の機能を持ちます。方丈や客殿と棟続きで、切妻造の屋根の下の大きな三角形の壁が印象的です。白壁を縦横に区切ったり、曲線の梁を用いたりして装飾性を出した建物で、天龍寺景観の象徴ともなっています。

また、玄関に入った正面に置かれる大衝立の達磨図は前管長である平田精耕老師の筆によるもので、方丈の床の間などに同じ達磨図が見られ、達磨宗である禅を象徴し、天龍寺の顔ともいえます。

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庫裏の前を左に曲がると庭園受付があります。庭園(曹源池・百花苑)のみの参拝料は高校生以上500円です。諸堂(大方丈・書院・多宝殿)も参拝する場合は、庭園参拝料に300円追加になります。

今回は庭園のみの参拝としました。

f:id:yomurashamroch:20210620132029j:plain庭園受付から入るとすぐに方丈に出ます。

 方丈とは禅宗様式柄の一つで、住職の居室です。方丈のご本尊は釈迦如来坐像I(重要文化財)です。平安時代後期の作とされ、天龍寺が受けた八度の火災のいずれにも罹災せず助けられた仏像で、天龍寺に祀られる仏像の中で最も古いものとなります。

方丈の東は中門に対し、西は曹源池に面しています。東側が正面で曹源池側が裏となります。

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方丈の角を曲がると、曹源池です。じっくり見るのは後のお楽しみにして、まずは曹源池の裏側の庭園内を散策します。

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青紅葉が目に鮮やかです。起伏に富んだ遊歩道が曹源池の背面に張り巡らされていて、ちょっと迷路のようです。

f:id:yomurashamroch:20210620132206j:plainこの辺りが庭園の一番高い場所でしょうか。曹源池を見下ろすも、大きく育った木々で池の全容を見ることが出来ませんでした。

 

何せ八度も大火に遭った天龍寺なので、庭園も現在の姿になったのがいつ頃からなのかは定かではありませんが、天龍寺の公式サイトによると、「庭園全体像は寛政11年(1799)に刊行された秋里離島による「都林泉名勝図会」に描かれた姿をよく残している。」とありますので、少なくとも200年余り前には現在に近い庭園だったとすると、木々が大きいのも頷けます。

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 曹源池を見下ろすしだれ桜の木です。写真では伝わらないかもしれませんが、未だかつて、しだれ桜でこんな巨木にお目にかかったことはありません。樹齢は一体何百年なんでしょうか?

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 天龍寺裏手には大河内山荘などに通じる竹林があります。写真の竹林はまだ天龍寺の境内ですが、昔はこの辺り一帯が天龍寺境内地だったことが伺える風景です。

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 先ほどのしだれ桜より下の方、方丈の近くに植わっているしだれ桜の木です。

本当におおきくて立派な木です。これが満開になったらどんなに美しいのかと思いますが、私はまだそのタイミングで訪れたことがありません。来年は是非この目で見たいものです。

f:id:yomurashamroch:20210620132416j:plain曹源池を見下ろす遊歩道から下におりて来て、お目当てのあじさいが見えて来ました。

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それぞれの花に日本語、英語、中国語、韓国語での名称が書かれた立て札が設置されています。

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 こちらは普通の紫陽花です。

 

 

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この東屋の奥に見えるのが北門です。北門から出ると、有名な嵯峨野の竹林から大河内山荘や亀山公園へと続く道へ出ます。

→亀山公園をご紹介したブログは↓

yomurashamroch.hatenablog.com

 

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紫陽花にもいろいろな色があり、まさに百花繚乱です。

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下野の花です。庭園に入る前に見かけた看板にも開花中と書いてありましたね。バラ科下野国(栃木県)で最初に発見されたことから、この名がつけられたそうです。

ピンク色のかわいい花が密生していますね。

 

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 紫陽花にも本当に色々な種類があるんですね。

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 百花苑の立て看板が。どうも順路を逆に辿って来たようです。

今回は紫陽花以外はつつじぐらいしか見られませんでしたが、四季折々の花が植えられていて、それぞれに花の名前の立て札が添えられていました。

 

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 再び、方丈の横に戻って来ました。花菖蒲やさつきが咲き乱れて得も言われぬ美しさでした。

 

最初とは反対の方向から曹源池を眺めてみます。方丈と庭園の組み合わせもまた美しいものです。方丈のお堂の軒下部分にも歩道が設けられ、また方丈の縁側に座ってもゆっくり眺めることが出来ます。

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  曹現池庭園は、約700年前の夢窓国師作庭当時の面影をとどめており、わが国最初の史跡・特別名勝指定だそうです。中央の曹源池を巡る池泉回遊式庭園で、大堰川を隔てた嵐山や庭園西に位置する亀山を取り込んだ借景式庭園でもあります。

方丈からみた曹源池中央正面には2枚の巨岩を立て龍門の滝とします。龍門の滝とは中国の登龍門の故事になぞらえたもので、鯉魚石を配するが、通常の鯉魚石が滝の下に置かれているのに対し、この石は滝の流れの横に置かれており、龍と化す途中の姿を現す珍しい姿をしていると言われています。

曹源池の名称は国師が池の泥をあげたとき池中から「曹源一滴」と記した石碑が現れたところから名付けられたそうです。

今回は天龍寺あじさいなどが咲き乱れる百花苑と新緑がさわやかな曹源池庭園をご紹介しました。諸堂は見学していませんが、まだまだ見どころが満載です。

天龍寺の公式サイトに、「天龍寺の四季」と題し、四季折々の美しい境内の風景が掲載されていますので、是非ご覧ください。私もそれぞれの季節にまたゆっくりと訪れて、天龍寺の美を堪能したいと思います。

嵯峨嵐山駅からの往復で一時間半ほどの散歩でした。

 

 

 

 

 

松尾大社 太古より続く神宿る社~酒の神を祀る~④末社や資料館など

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京都でも一、二を争う一大観光地「嵐山」。その一つ手前の駅「松尾大社駅」前にあるのが「松尾大社」です。京都どころか日本でも最古の神社の一つです。

京都では「お酒の神様」として有名ですが、嵐山ほどには観光客も多くなく、初詣やお宮参りなどで訪れる地元の方以外は、京都人でも訪れたことがある方はそんなに多くは無いのではないでしょうか。

しかし調べてみると山吹の名所として、またすばらしい庭園や多くの文化財など見どころ満載の興味深い神社です。

緑濃い背後の松尾山を含む約十二万坪の広大な境内には、古代から続く神の気配に満ちています。

 

松尾大社の場所

goo.gl

松尾大社への行き方

阪急電車松尾大社」駅下車
JR京都駅→(地下鉄)→四条烏丸→(阪急京都線)→桂→(阪急嵐山線)→松尾大社
所要時間:京都駅から40分

■市バス「松尾大社前」バス停下車
JR京都駅→(市バス・嵐山大覚寺行き→松尾大社
JR京都駅→(京都バス・苔寺行き)→松尾大社
所要時間:京都駅から40分

 

前回までで松尾大社の境内の主な御社殿や庭園などをご紹介しました。

今回は境内にあるいくつかの末社やお酒の資料館などをご紹介します。

 

●境内末社

●北末社

末社は前回ご紹介した、三宮社(さんのみやしゃ)、四大神社(しのおおかみのやしろ)、滝御前(たきごぜん)の三社です。

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三宮社(向かって左)と四大神社(右)

 

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 滝御前

 

●南末社

末社は本殿左側に並んでいます。

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 衣出社(ころもでしゃ)、一挙社(いっきょしゃ)、金刀比羅社(ことひらしゃ)、祖霊社(それいしゃ)と伊勢神宮の遙拝所があります。

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 衣出社…ご祭神:羽山戸神。農耕および諸産業の守護神で松尾七社の一社

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 一挙社…ご祭神:一挙神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の別名かとも言われていて、古来困難にあってもこの神に祈れば一挙に解決すると伝えられているそうです。

何か困ったことがあった時に頼りになりそうな神様ですね~

f:id:yomurashamroch:20210620134526j:plain金刀比羅社…ご祭神:大物主神(おおものぬしのかみ)で、商売繁盛、交通安全の守護神

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祖霊社…松尾大社ゆかりの功績者を祀ります。

 

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 伊勢神宮遙拝所:伊勢神宮に行けない人はここから伊勢神宮の方に向かってお祈りする

と、伊勢神宮に願いが届けられるとか。

 

●様々なパワースポット

さて、再度本殿の前へ戻ります。

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本殿左側にあるのが、相生の松です。この古木は、もとは雌雄根を同じくし、相生の松として樹齢350年を保っていましたが、昭和31・32の両年にそれぞれ天寿をまっとうしました。昭和47年に神意を得、大しめ縄を幹に巻き、覆屋を設けて保存されることになりました。以来、相生の松は、人々によって夫婦和合、恋愛成就の象徴として厚く信仰されています。

 

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 本殿右の端にある、庭園入口の手前にある「神使の庭」です。松尾大社の二つの神の使い、亀と、滝を登る鯉の像があります。

亀は今回の道中で何度も出会いましたね。そして鯉。太古、大神様が山城丹波の国を拓くため保津川を遡られる時、急流は鯉、緩やかな流れは亀の背に乗って進まれたと伝えられ、以来亀と鯉は神のお使いとして崇められているそうです。

f:id:yomurashamroch:20210620134818j:plain幸運の双鯉は、恋愛成就、夫婦円満、立身出世委のご利益があるそうですが、コロナ禍により閉鎖されていました。

 

幸運の撫で亀というのもあるようですが、写真を撮るのを忘れていました。

その他、前回、前々回にご紹介した亀の井や手水舎横の撫で亀などもありましたね。

数々の末社と共にコロナ禍で弱っている心と体に強力なパワーをいただけそうです。

 

●お酒の資料館

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f:id:yomurashamroch:20210620134918j:plain楼門の手前を南へ入った所に、お酒の資料館があります。 

尾大社は、日本第一醸造神として全国的にとても有名な神社です。資料館入り口には、インパクトのある大きな酒樽が出迎えてくれます。館内には、お酒の神様である松尾の神様についてのコーナー、お酒と歴史と文化のコーナー、お酒ができるまでの酒造工程を学べるコーナー、その他、古くから伝わる酒造道具や様々な窯の酒器、全国の銘酒のラベルや徳利・杯の見学などお酒に関するモノや資料が多く集まっているので日本酒の文化を楽しみながら学べます。無料で見学できるので、是非行ってみてはいかがでしょうか。

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お酒に関する漢字が紹介されたパネル。こんなに色々な漢字があるんですね!

 

今回は松尾大社で有名なヤマブキの時期が終わっていましたが、来年はぜひヤマブキにあふれた境内を散策したいと思います。

 

松尾大社はお酒の神様、というぐらいの知識しかありませんでしたが、訪れてみると太古の昔からの続く自然の神を祀り、それでいて伝統と現代的な手法がうまく調和した美しい庭園や、様々なご利益のある末社など、本当に見どころ満載のパワースポットでした。四季折々を彩る木々や花もその時々で美しいようですので、他の季節にもまた訪れてみたいと思います。

今回は阪急嵐山駅から徒歩で訪れ、松尾大社の境内をめぐる散策を合わせ、約2時間半の散歩となりました。起伏はほとんどありませんが、お時間と体力に余裕のある時に歩きやすい服装でお越しください。

 

 

 

松尾大社 太古より続く神宿る社~酒の神を祀る~③「永遠のモダン」を表現した松風苑

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京都でも一、二を争う一大観光地「嵐山」。その一つ手前の駅「松尾大社駅」前にあるのが「松尾大社」です。京都どころか日本でも最古の神社の一つです。

京都では「お酒の神様」として有名ですが、嵐山ほどには観光客も多くなく、初詣やお宮参りなどで訪れる地元の方以外は、京都人でも訪れたことがある方はそんなに多くは無いのではないでしょうか。

しかし調べてみると山吹の名所として、またすばらしい庭園や多くの文化財など見どころ満載の興味深い神社です。

緑濃い背後の松尾山を含む約十二万坪の広大な境内には、古代から続く神の気配に満ちています。

 

松尾大社の場所

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松尾大社への行き方

阪急電車松尾大社」駅下車
JR京都駅→(地下鉄)→四条烏丸→(阪急京都線)→桂→(阪急嵐山線)→松尾大社
所要時間:京都駅から40分

■市バス「松尾大社前」バス停下車
JR京都駅→(市バス・嵐山大覚寺行き→松尾大社
JR京都駅→(京都バス・苔寺行き)→松尾大社
所要時間:京都駅から40分

 

さて、いよいよ今回のお散歩の一番の目的である、庭園の見学です。

 

●松風苑~「永遠のモダン」~伝統と現代表現が調和した三つの庭園

松尾大社の松風苑三庭は、現代庭園学の泰斗・重森三玲(しげもりみれい)氏(明治29年〜昭和50年)が長年にわたる庭園研究の奥義を結集し、この地上に残す最高の芸術作品として、全身全霊を傾注して造られた庭園です。総工費1億円、三庭に用いられた四国・吉野川産の青石(緑泥片岩・りょくでいへんがん)は200余個、丸1年の工期を経て、昭和50年に完成した昭和時代を代表する現代庭園です。それらは、三玲の得意とした立体造形感を全面に押し出した石組み構成を中心として、動と静を表現しています。伝統を重んじながらも、現代的な表現を目指した重森三玲の終生の目標であった「永遠のモダン」のまさに最終表現の庭園だそうです。。

では、さっそく庭園へと向かいましょう。

 

●神泉「亀の井」から「曲水の庭」へ

f:id:yomurashamroch:20210620135406j:plain本殿は無料で参拝出来ますが、松風苑は有料(大人500円)です。社務所で拝観料を払いましょう。本殿右手に少し進むと、社務所の手前に「松風苑 神像館 入口」の看板があります。

 

本殿と客殿をつなぐ廊下の下をくぐって進みます。

f:id:yomurashamroch:20210620135432j:plain廊下の下をくぐった先に、神泉と書かれた「亀の井」があります。

f:id:yomurashamroch:20210620135502j:plainこの霊泉は、酒造家はこの水を酒の元水として造り水に混和して用いると腐敗しないと言い、延命長寿、よみがえりの水としても有名です。茶道、書道の用水として活用したり、飲用として地元の方たちが汲みに来られたりしています。

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社務所には、持ち帰り用の瓶も販売されています。

f:id:yomurashamroch:20210620135608j:plain亀の井の手前の社務所を右へ進みます。

f:id:yomurashamroch:20210620135634j:plain頭上に注意して廊下の下をくぐると「曲水の庭」に出ます。

f:id:yomurashamroch:20210620135706j:plain曲水の庭です。今日一番の見どころです。満開のつつじが色鮮やかで初夏の日差しによく映えていました。

曲水の庭は、平安貴族の人々が慣れ親しんだ、雅遊の場を表現したもので、城南宮で催される「曲水の宴」の一場面を思い起させます。曲水の宴とは、水の流れのある庭園などで、流れのふちに出席者が座り、流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を詠み、出来なければ罰として盃の酒を飲むという、なんとも雅な行事です。松尾大社平安時代、京の都を守る神様、すなわち東の「賀茂の厳神」と並び、西の「松尾の猛霊」と尊び称せられて隆盛を極めており、当時の時代背景を顕して、艶やかな中にも、気高い当時の面影を内の秘めて、しかも極めて現代風に作庭され、四方どちらから見ても美しいのがこの庭の特色です。また、高い木が一切無いことから、空間の上部が開放的な構成になっています。

枯山水とつつじの競演が見事で、まさに伝統と現代的な表現の融合を感じる庭園です。

では、次の庭園へ進みます。

 

●上古の庭から霊亀の滝へ

f:id:yomurashamroch:20210620135738j:plain上古の庭です。先ほどとはうって変わって背後の松尾山と一体化した野趣あふれる庭です。深い緑と巨石のモノトーンだけの静謐で神秘的な空間が広がり、自然への畏怖の念が自然と沸いてくるようでした。

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遠く昔、上古の時代には、どの場所にも神社も社殿もなく、山中の巨石などが神霊のやどる聖地とされており、その場所は磐座(いわくら)、あるいは磐境(いわさか)と言われていました。松尾大社でも今から千三百年前の昔、大宝元年(701年)に現在地にご本殿が建てられる以前は、神社の後方に松尾山頂上近くにある磐座で祭祀が営まれていたそうです。この磐座を模して造られたのが上古の庭です。庭の中央の巨石二つは、ご祭神の男女二柱を、地面に植えられたミヤコザサは人の立ち入れない高山の趣を、そしてこれらを取り巻く多数の石は、随従する諸神の姿を表現しているそうです。

f:id:yomurashamroch:20210620135900j:plain上古の庭を後にして、順路を進みます。

f:id:yomurashamroch:20210620135932j:plainこの先に磐座登拝の入口があるのですが、平成30年9月の台風21号による倒木・山崩れ等により、磐座登拝道の修復が不可能となり、今後一斉の磐座登拝は廃止されるそうです。いつか機会があれば登ってみたいと思っていたのに残念です。 

f:id:yomurashamroch:20210620140009j:plain更に道なりに進むと、亀の井の後方に二社を祀る社と滝があります。

f:id:yomurashamroch:20210620140058j:plain向かって右が四大神社(しのおおかみのやしろ)、左が三宮社(さんのみやしゃ)です。

 四大神社のご祭神は春若年神、夏高津日神、秋比売神、冬年神の四柱。四季折々の神々を祀ることで一年中の平安を守護いただけるそうです。

三宮社のご祭神は玉依姫命。山城地方開拓の功労神で農業殖産の守護神だそうです。

どちらも小さいお社なのに、ものすごく霊験あらたかなんですね!

 

f:id:yomurashamroch:20210620140133j:plainさて、この二つのお社の後方に「霊亀の滝」があります。

 小さな滝ですが、清涼な滝の水しぶきはマイナスイオンに満ちているのでしょうか?

澄んだ空気が感じられます。滝の手前には先ほどの看板にも記されていた滝御前が鎮座します。

ご祭神は罔象女神(みずはのめかみ)で、万物生成を司る水神だそうです。

手前の看板に「天狗岩」の場所が示されています。本当に天狗が出そうな雰囲気です。

実際に、この滝は松尾大社一番のパワースポットと言われているようです。

f:id:yomurashamroch:20210620140209j:plain天狗岩は鳥居の向かって左下だと思うのですが、詳しいことは分かりません。

 

 霊亀の滝を後にして、再び廊下の下をくぐり、三つ目の庭へ向かいます。

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 三つ目の庭は、楼門の手前の茶店の横から入ります。

 

f:id:yomurashamroch:20210620140404j:plain蓬莱の庭です。重森三玲が設計図を描き、その息子・完途(かんと)が作庭。現在は孫にあたる千青(ちさを)が手入れにあたっているという、重森家三代が関わる回遊式の庭です。池には松尾大社の神使である鯉と亀が住んでいるそうです。f:id:yomurashamroch:20210620140455j:plain蓬莱とは不老不死の仙人の住む海上の山、蓬莱山です。池が海、岩が海の浮かぶ島を表現し、庭全体が羽を広げた鶴の形をしています。その蓬莱山にあこがれる蓬莱思想は鎌倉時代に最も流行し、作庭技術にも採用されました。鎌倉将軍源頼朝は、松尾大社に対し神馬10匹・黄金百両を献じて深い尊信の念を捧げ、以後も武門の崇敬は変わることなく明治時代まで続きました。

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池の周りを一周しながら庭を眺めると、場所によって変化する風景を楽しむことができます。あたかも仙人が住むような神秘的な風景から、蓬莱思想へと思いを馳せてみるのも一興ですね。

 

今回は亀の井から松風苑の三つの庭、そして霊亀の滝などを巡ってきました。太古から続く自然の神への信仰と、現代的な要素も取り入れた庭園に見られる各時代の美意識を感じることのできた、非常に中身の濃い散策でした。

 

松尾大社には、まだまだ見どころがたくさんあります。

次回は境内のあちこちにある亀や鯉のパワースポットや、境内にある末社などをご紹介します。

 

 

 

 

松尾大社 太古より続く神宿る社~酒の神を祀る~②歴史と概要

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京都でも一、二を争う一大観光地「嵐山」。その一つ手前の駅「松尾大社駅」前にあるのが「松尾大社」です。京都どころか日本でも最古の神社の一つです。

京都では「お酒の神様」として有名ですが、嵐山ほどには観光客も多くなく、初詣やお宮参りなどで訪れる地元の方以外は、京都人でも訪れたことがある方はそんなに多くは無いのではないでしょうか。

しかし調べてみると山吹の名所として、またすばらしい庭園や多くの文化財など見どころ満載の興味深い神社です。

緑濃い背後の松尾山を含む約十二万坪の広大な境内には、古代から続く神の気配に満ちています。

 

松尾大社の場所

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松尾大社への行き方

阪急電車松尾大社」駅下車
JR京都駅→(地下鉄)→四条烏丸→(阪急京都線)→桂→(阪急嵐山線)→松尾大社
所要時間:京都駅から40分

■市バス「松尾大社前」バス停下車
JR京都駅→(市バス・嵐山大覚寺行き→松尾大社
JR京都駅→(京都バス・苔寺行き)→松尾大社
所要時間:京都駅から40分

 

 前回は、阪急嵐山駅から嵐山東公園を通って、松尾大社までのお散歩を楽しみました。

ここから、やっと目的地の松尾大社のご紹介です。

 

●太古の神宿る酒造の神

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一の鳥居の前にある二つのオブジェは、お酒を入れる容器「瓶子(へいし)」をモチーフとして、「お酒の神様」である松尾大社に捧げられたものだそうです。

さあ、いよいよ(やっと?)松尾大社へ入ります.。

 

●太古の風習を伝える鳥居

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  表参道です。左手奥に無料の駐車場があり、一般の車両が普通に通ります。

若い人が足早に通るので「うん?なぜ平日の昼間に松尾大社へ?」と思ったら、近くの嵯峨美術大学、短期大学への送迎バスがこちらのバス駐車場から発着するようです。

f:id:yomurashamroch:20210620141820j:plain二の鳥居です。この鳥居にぶら下がっているのは脇勧請(わきかんじょう)と呼ばれる榊(さかき)の束です。穢れ(けがれ)を祓う力があると言われる榊を、原始の神社では境内の大木に吊り下げることによって、神域と人の結界としていて、それが鳥居の始まりと言われています。

f:id:yomurashamroch:20210620141856j:plain榊の束は12個(閏年は13個)。榊の枯れ方によって月々の農作物の出来具合を占ったそうです。榊が完全に枯れると豊作で、一部が枯れ残ると不作…太古の風習を松尾大社ではそのまま伝えていると言われています。

 

●「まつお」?「まつのお」?

ところで、松尾大社の読み方ですが、松尾大社のホームページのトップページを見ると「MATSUNOO TAISHA」と書いてあります。「あれ?『まつのおたいしゃ』なの?『まつおたいしゃ』じゃないの?」と疑問に思い、Wikipediaで調べてみたところ、

「松尾」の読みは、公式には「まつのお」であるが、一般には「まつお」とも称されている。文献では『延喜式金剛寺本、『枕草子』、『太平記建武2年(1335年)正月16日合戦事条、『御湯殿上日記明応8年(1499年)条等においていずれも「まつのお/まつのを」と訓が振られており、「の」を入れるのが古くからの読みとされる。」ということだそうです。ちなみに阪急嵐山線松尾大社駅」の読みは通称の「まつおたいしゃ」の読みを採用しているそうです。

 

松尾大社の歴史とご祭神

松尾大社本殿の背後にある松尾山は、太古の昔から、山頂近くに「磐座(いわくら)」と呼ばれる、神が降臨するという岩があり、この地に住む人々が山の神として崇め、信仰してきました。大宝元年(701年)、京都盆地の西一帯を支配していた秦氏が「磐座」の神霊を勧請し、現在の本殿の場所に社殿を建立したとされています。

その後も秦氏(はたうじ)により氏神として奉斎され、平安遷都後は東の賀茂神社賀茂別雷神社上賀茂神社 賀茂御祖神社下鴨神社)とともに「東の厳神、西の猛霊」と並び称され、西の王城鎮護社に位置づけられたました。中世以降は酒の神としても信仰され、現在においても醸造家からの信仰の篤い神社です。
御祭神は大山咋神(おおやまぐいのかみ)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)です大山咋神は、古事記によると山の上部に鎮座されて、山及び山麓一体を支配される神であり、近江の国の比叡山と松尾山を支配される神であったと伝えられます。

一方、市杵島姫命は、中津島姫命(なかつしまひめのみこと)の別名で、古事記の記述によると、福岡県の宗像大社に祀られる三女神の一神として古くから海上守護の霊徳を仰がれた神です。おそらく外来民族である秦氏朝鮮半島と交易する関係から、航海の安全を祈って古くから当社に勧請されたと伝えられているそうです。

 

神幸祭と賀興丁船

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 常夜灯の奥に船が据えられているのが見えるでしょうか?

松尾大社で4月に行われる「松尾祭」は平安時代から行われ、松尾七社の神輿(六つの神輿と唐櫃)が順次松尾大社を出て七条通の桂橋の上流で船をととのえ神輿渡御がありますが、この時に使うのが、この「賀興丁船(かよちょうふね)」です。4月21日以後の第一日曜日に「神幸(おいで)祭」、21日後に「還幸(おかえり)祭」が行われています。(2021年の神輿渡御は車両での渡御に変更) 神幸祭には、神輿六基と唐櫃が氏子地域を巡幸されます。途中桂離宮東側の桂川で行われる船渡御は、水面の色に神輿の朱の御衣(おきぬ)が映えて壮麗なものだそうです。神幸祭のことはメディアなどではあまり大きく報道されないので私は全く知りませんでしたが、コロナが落ち着いたら一度見に行きたいものです。

昭和58年には船渡御が20年振りに復旧、さらには、平成8年駕輿丁船二隻が復活して、昔ながらの祭の姿が蘇りました。駕輿丁船<かよちょうぶね>とは、身分の高い人の駕籠や輿(こし)を担ぐ役の者で、ここでは神輿を乗せて桂川を渡御する船のことを言います。還幸祭は神輿渡御祭の中心で、今でも氏子中で「おまつり」と言えば、この祭を意味します。本社でも本殿、楼門、社殿、各御旅所の本殿、神輿から供奉神職の冠・烏帽子に至るまで、葵と桂で飾るので、古くから「葵祭」とも言われてきました。賀茂両社の「葵祭」は観光名物としてあまりにも有名ですが、秦氏との関係の深い松尾大社や伏見稲荷大社にも実は同様の伝統が存在しています。

f:id:yomurashamroch:20210620142010j:plain楼門です。

左右に随神を配置したこの楼門は江戸時代初期の作と言われており、屋根は入母屋造檜皮葺です。高さ約11メートルで大規模なもので、華美な装飾はなく和様系で古式の楼門です。

この楼門の随神の周囲に張り巡らせた金網には、たくさんの杓子がさしてありますが、これはよろずの願い事を記して掲げておけば救われると言う信仰によるもので、祈願杓子とも言われているそうです。

楼門の左手前に先ほど道中で見かけた赤いタワシみたいな花をつけた木がここにも…

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「赤いタワシみたいな花」でネットで調べたところ、「ブラシノキ」!(笑)

和名がブラシノキといい、別名は金宝樹(きんぽうじゅ)と言います。高貴な名前ですね~

ビンを洗うためのブラシにそっくりだからか英語ではボトルブラッシュと呼ばれているそうです。

和名も英語名も見た目どおりの名前ですね!

 

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 楼門をくぐって小さな橋を渡り右手には手水舎があるのですが、何やら涼やかな音色が…

f:id:yomurashamroch:20210620142201j:plain招福除災のための風鈴祈願の風鈴の音でした。なんてフォトジェニックな…!

f:id:yomurashamroch:20210620142229j:plain涼やかな風鈴の響きが、コロナ禍で疲れた心に爽やかな風を吹き込んでくれるようです。

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松尾大社の手水舎の水は後でご紹介する亀の井からの水で、亀の口から流れ出ています。何となくユーモラスですね~

f:id:yomurashamroch:20210620142339j:plain手水舎の横にも「撫で亀」が。ただし現在は新型コロナ感染防止のため、ビニールがかけられ撫でられませんでした…

 

気を取り直して階段を上り左手を見ると…

f:id:yomurashamroch:20210620142412j:plain「招福樽うらない」があります。おもちゃの弓矢で樽を狙い打って運試しです。樽の真ん中には穴が開いていて鉄板が貼ってあるので、命中すると大きな音が出ます。写真左の社務所で受付してくださいね。

 

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 樽占いの後方、境内南側の神輿庫前には、たくさんの奉納酒樽が。

特に醸造祖神として、全国の酒造家、味噌、醤油、酢等の製造及び販売業の方から格別な崇敬を受けています。

f:id:yomurashamroch:20210620142509j:plain拝殿入母屋造で、檜皮葺です。広場の中央に位置し、大祓式のほか各種神事で使用されます。この拝殿は、元禄・寛政期の絵図でも同一の様式で描かれているので、こちらも江戸時代から変わらない姿をとどめていると思われます。

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拝殿の奥が本殿になりますが、写真は本殿に続く中門です。この奥が本殿で、中門の後ろに本殿の屋根の部分がチラッと見えますね。本殿は外からは撮影することが出来ませんでした。本殿は大宝元年(701)、秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勅命を奉じて創建以来、皇室や幕府の手で改築され、現在のものは室町初期の応永四年(1397)の建造にかかり、天文11年(1542)大修理を施したものです。

屋根は側面から見ると前後同じ長さに流れており、この形式は「両流造」とも「松尾造」とも称される独特のものです。この本殿は国の重要文化財に指定されています。また本殿につづく釣殿・中門・回廊は、神庫・拝殿・楼門と共に江戸期の建築物で京都府暫定登録文化財に指定されています。

 

では、次回は、本日のお散歩のメインの目的、三つの庭園をご紹介します。

 

松尾大社大社 太古より続く神宿る社~酒の神を祀る~①阪急嵐山駅から嵐山東公園を経て松尾大社へ

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京都でも一、二を争う一大観光地「嵐山」。その一つ手前の駅「松尾大社駅」前にあるのが「松尾大社」です。京都どころか日本でも最古の神社の一つです。

京都では「お酒の神様」として有名ですが、嵐山ほどには観光客も多くなく、初詣やお宮参りなどで訪れる地元の方以外は、京都人でも訪れたことがある方はそんなに多くは無いのではないでしょうか。

しかし調べてみると山吹の名所として、またすばらしい庭園や多くの文化財など見どころ満載の興味深い神社です。

緑濃い背後の松尾山を含む約十二万坪の広大な境内には、古代から続く神の気配に満ちています。

 

松尾大社の場所

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松尾大社への行き方

阪急電車松尾大社」駅下車
JR京都駅→(地下鉄)→四条烏丸→(阪急京都線)→桂→(阪急嵐山線)→松尾大社
所要時間:京都駅から40分

■市バス「松尾大社前」バス停下車
JR京都駅→(市バス・嵐山大覚寺行き→松尾大社
JR京都駅→(京都バス・苔寺行き)→松尾大社
所要時間:京都駅から40分

 

● 阪急嵐山駅から嵐山東公園を通って松尾大社

阪急松尾大社駅下車すぐの松尾大社ですが、今回は阪急嵐山駅からスタートします。

 

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f:id:yomurashamroch:20210620202431j:plain阪急嵐山駅です。コロナ前は平日でも観光客でにぎわっていましたが、今は閑散としています。

 

改札を出て、道なりに坂を上り渡月橋方面へ向かいます。

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f:id:yomurashamroch:20210620202546j:plain中之島橋の手前を右へ曲がります。

f:id:yomurashamroch:20210620202618j:plain自転車専用道を南へ進みます。人も歩いて良いようです。

f:id:yomurashamroch:20210620202656j:plain葉桜が青々としていて綺麗です。

f:id:yomurashamroch:20210620202734j:plain嵐山テニススクールのコートの横を通り過ぎます。

f:id:yomurashamroch:20210620202809j:plain嵐山東公園に出ます。

桜並木やグラウンド、広い芝生やランニングコースもある広大な公園で、地元の市民に親しまれています。この日も小さい子供づれのご家族や、犬の散歩をする方、テニスレッスン帰りの女性のグループなどが思い思いに広々とした緑の空間を楽しんでおられました。野球やサッカーのグラウンドもあり、近隣の小中学校などの運動部の試合なども行われます。

f:id:yomurashamroch:20210620202846j:plain野球のグラウンドです。

f:id:yomurashamroch:20210620202923j:plain色とりどりの花が植えられた花壇があり、通行者の目を楽しませてくれます。

 

f:id:yomurashamroch:20210620203030j:plainこの赤いタワシのような花、気になりますね。何という名前かな?

 

f:id:yomurashamroch:20210620203115j:plain松尾橋に出ました。橋の西側を南へ曲がります。

f:id:yomurashamroch:20210620203146j:plain左斜め前に阪急松尾大社駅が見えます。松尾大社の鳥居が見えました。

一の鳥居(大鳥居)です。

嵐山駅から松尾大社前まで嵐山東公園を通り徒歩で30分弱でした。

気持ちの良いお散歩コースでした。

 

では、次回は目的地である松尾大社へ入って行きます。

 

妙心寺 退蔵院~価値あるものを内に秘めた美しい寺~

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妙心寺は全国3400の寺院を持つ臨済宗妙心寺派大本山にして日本最大級の禅寺です。広大な敷地には46もの塔頭寺院が点在していますが、そのほとんどが非公開です。そんな中、退蔵院は1404年(応永11年)に建立され、一年を通して美しい花々に彩られた華やかさと禅寺の落ち着きを兼ね備えた寺院です。

寺院の名前である「退蔵」とは「価値あるものをしまっておく」という意味があるように、隠匿(人に知られないようにして良い行いをする)を積み重ね、それを前面に打ち出すのではなく、内に秘めながら布教していくという意味があるそうです。

妙心寺を知っている京都人は多いものの、退蔵院というこじんまりとしつつも四季折々の美がぎゅっと詰まった宝石箱のような寺院があることを知っている人はあまり多くないと思います。退蔵院はしだれ桜や秋の紅葉が見事ですが、今回はあえて訪れる人の少ない五月の連休明けを狙って行ってみました。

 

 

退蔵院の場所

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退蔵院の行き方

  • 京都駅から

     ・JR山陰線(嵯峨線)「花園駅」下車、徒歩約7分

     ・タクシーで約25分

     ・市バス26系統 御室仁和寺・山越行き「妙心寺北門前」下車 徒歩約5分

     

    三条京阪から

     ・京都バス62、63、65、66系統 嵐山・清滝・有栖川行き「妙心寺前」下車 

       徒歩約3分

     ・市バス10系統 宇多野・山越行き「妙心寺北門前」下車 徒歩約5分

     

    地下鉄四条駅から

     ・市バス91系統 大覚寺行き「妙心寺前」下車 徒歩約3分

     

    嵐山方面から

     ・JR山陰線(嵯峨野線)「花園駅」下車 徒歩約8分

     ・京福電鉄 帷子ノ辻駅乗り換え北野白梅町行き「妙心寺前」下車 徒歩約10分

     ・京都バス62、63、66系統「妙心寺前」下車 徒歩約3分

     ・市バス93系統「妙心寺前」下車 徒歩約3分

 

今回のスタートはJR嵯峨野線花園駅

f:id:yomurashamroch:20210620203651j:plain改札を出て、丸太町通りを渡り、通り沿いを北東へ

f:id:yomurashamroch:20210620203731j:plain丸太町通りから二股に分かれた道を北へ向かいます。

f:id:yomurashamroch:20210620203800j:plainすぐに妙心寺の参道に出ます。

f:id:yomurashamroch:20210620203835j:plain妙心寺がある辺りの「花園」という地名は、その昔、四季折々の美しい花が咲き誇る花畑があったのでそう呼ばれていました。そこには花園御所と呼ばれる離宮があり、花園上皇の御所としての役割を担っていました。花園上皇が法王となったのち、世の平和を願い離宮を禅寺へと改めました。それが1337年のことで、妙心寺はこの年を開創の年としています。

妙心寺臨済宗妙心寺派大本山で、3400もの寺院を束ねている格式高いお寺です。日本には臨済宗の寺院が6000ほどあるので、その半分以上を占めているということになります。

約10万坪の境内に、七堂伽藍と46の塔頭寺院が立ち並び、多くの重要文化財や史跡・名勝指定の庭園・寺宝が保存されています。

では早速、妙心寺へ入って行きましょう

f:id:yomurashamroch:20210620203917j:plain堂々とした三門です。慶長4年(1599年)建立で、境内で唯一の朱塗りの建物です。三門は仏教修行で悟りに至るために通過しなければならない三つの関門、空・無相・無作の三解脱門を略した呼称です。空は「物事にこだわらない」、無相は「見かけで差別しない」、無作は「欲望のまま求めない」ことだそうです。

京都では南禅寺知恩院の三門が有名でこれらはくぐることが出来ますが、妙心寺の三門は外に柵があってくぐることはできないようです。

さて、三門を眺めてから境内を西に横切ると、退蔵院の山門です。

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f:id:yomurashamroch:20210620204022j:plain見どころがたくさんありそうですね。

f:id:yomurashamroch:20210620204051j:plain受付で拝観料を払います。一般は600円です。

f:id:yomurashamroch:20210620204125j:plain青もみじがさわやかです。突き当りが方丈の大玄関です。

 

方丈

f:id:yomurashamroch:20210620204156j:plain大玄関(国指定・重要文化財)。唐破風造りで非常に珍しいとされている玄関の様式は、破風の曲線が直線になっており、ちょうど袴の腰のようになっていることから「袴腰(はかまこし)造り」と呼ばれています。また、この玄関は江戸初期の富豪・比喜多宋味居士(ひきたそうみこじ)より寄進されたもので、法要儀式その他高貴な方々の出入り以外は使用されませんでした。現在は方丈に入る参拝者は皆、この大玄関を使用しますが…

f:id:yomurashamroch:20210620204257j:plain方丈(本堂)には、同院開祖である無因宗因禅師(妙心寺第三世)が祀られています。応仁の乱後、1597年に再建されました。禅と剣の道には精神的な共通点があり、江戸時代には宮本武蔵もここに居して修行に励んだと言われています。

f:id:yomurashamroch:20210620204330j:plainそして退蔵院の目玉である「瓢鯰図」。この絵は山水画の始祖といわれている如拙が、足利義持の命により心血注いで描き、現存する彼の作品の中で最高傑作と言われています。この絵に描かれた「小さな瓢箪で大きななまずをいかに捕えるか」という禅の公案(修行のための問題)に将軍義持は当時の京都五山の禅僧31人に賛詩を書かせました。高僧達が頭をひねって回答を連ねた様子はまさに壮観です。

「瓢箪でナマズを押さえて、そのナマズで吸い物を作れば良い。だが飯がなければしょうがない、砂でも炊いて飯でも作ろうか」「瓢箪に油を塗って急流に泳ぐナマズを押さえ、あっちから押さえ、こっちから押さえ、押さえきれぬと分かったところで求める心はやむ」「瓢箪がナマズを押さえようとしているが、実はナマズが瓢箪を押さえようとしているのだ。世界とは相対を超え、一体となった関係にある。男もナマズも同じ世界にあるではないか」など、ユニークな答えやうーんと唸ってしまうような珍回答もあるそうです。

 

元信の庭

f:id:yomurashamroch:20210620204424j:plain元信の庭は、方丈奥のつくばいの横から覗き込むようにして見ることになります。方丈の西にある「鎖の間」から見ると真正面に見えるそうですが、鎖の間が普段は非公開のため、以下のような写真しか撮れませんでした。

f:id:yomurashamroch:20210620204453j:plain退蔵院の公式HPには四季折々の美しい写真が掲載されていますので、是非ご覧ください。

元信の庭は、室町時代の画聖・狩野元信の作品で、絵画的な優美豊艶の趣を失わず、独特の風格を備えている枯山水庭園です。庭の背景には、やぶ椿、松、槇、もっこく、かなめもち 等、常緑樹を主に植え、一年中変わらない美しさ「不変の美」を求めた物と考えられます。
狩野元信が画家としてもっとも円熟した70歳近くの頃の築庭と推測されています。自分の描いた絵をもう一度立体的に表現しなおしたもので、彼の最後の作品が造園であったことで珍しい 作品の一つと数えられています。
昭和6年(1931年)には、国の名勝史跡庭園に指定されました。

さて、方丈南庭の横から順路に従い余香苑へと向かいます。壁沿いに左へ曲がります。

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f:id:yomurashamroch:20210620204659j:plain壁沿いをお地蔵さんの手前まで進み右へ曲がります。

f:id:yomurashamroch:20210620204805j:plain突き当りを右に曲がると中門です。

 

中門と陰陽の庭

f:id:yomurashamroch:20210620204903j:plain欄間に鯰の彫刻が施されているこちらの門から入ります。正面に大きなしだれ桜があります。満開の時はさぞ美しいのだろうなあ、と退蔵院のパンフレットの表紙になったしだれ桜の見事な写真を見て、少し残念に思いました。やっぱり来年は満開の時期に見に来たくなりました。

しだれ桜の両側に陰陽の庭があります。しだれ桜に向かって左側が「陽の庭」、右側が「陰の庭」です。

この庭の砂は黒と白の二色に分かれていますが、それは、物事の二面性を表しています。片方だけではその本質をとらえることはできません。それを端的に表現したのが「陰陽」の概念。中国で生まれたこの概念は、世界は全て相反するがお互いに補完する二つの性質を持つと考えているのです。

しかし仏教には「不二」すなわち「いい」「悪い」などの二元論を嫌う考え方があります。正確には分ける必要があるのか、ということです。物事をひとつの側面から見るのではなく、光があるから影がある、お互いを分けようと思っても分けることはできません。そもそも立場によって評価は変わります。だから全てひっくるめて、あるがままに受け止めなさいと仏教では教えているのです。

f:id:yomurashamroch:20210620205047j:plain陽の庭(白い砂が用いられています)

f:id:yomurashamroch:20210620205126j:plain陰の庭(黒い砂が用いられています)

陰の庭に8つ、陽の庭に7つの合計15に石が配されています。これは、陰を象徴する「8(偶数)」と、陽を象徴する「7(奇数)」に即したもの。8と7を足すと15になりますが、昔から15という数字は「完全を表す数字」だとされてきました。例えば七五三を足すと15になりますし、十五夜もそうですね。この陰陽の庭では15個の石を8と7に分けることで、両方の庭を見ないと15にならにように作られています。

良いところだけを見ても、悪いところだけを見てもダメ。全てをありのままに受け入れることが重要だという仏教の教えが隠されているのです。

f:id:yomurashamroch:20210620205158j:plain陰陽の庭を過ぎると、かやぶき屋根の東屋があり、早くも紫陽花が活けられていました。

f:id:yomurashamroch:20210620205229j:plain水琴窟。つくばいの下深く底を穿った瓶を伏せ込み、手水に使われたつくばいの水が瓶に反響して妙なる琴の音のように聞こえます。水琴の残響に耳を傾けた古人のわびさびの風情が味わえます。今でこそ各地にある水琴窟ですが、その発祥は京都。とある庭師さんがつくばいで手を洗うだけでは面白くないということで考案されたそうです。このエピソードが禅の教えにつながります。禅宗には「手元にあるものを活かしなさい」という教えがあります。つくばいは手を洗うための鉢ですが、手を洗った水を水琴窟に通せば、綺麗な音で楽しませてくれる、無駄なものなど何一つありません。

f:id:yomurashamroch:20210620205308j:plain水がチョロチョロ流れる音の奥にかすかなカラン、コロンという涼し気な金属音が聞こえて来ます。

 

f:id:yomurashamroch:20210620205335j:plain水琴窟を通りすぎ、突き当りを左へ曲がります。右へ曲がるとお茶席ですが、今は休業中です。

 

余香苑

f:id:yomurashamroch:20210620205445j:plain余香苑に出ました。藤棚の下が、庭園全体を正面から見える場所になります。そんなに大きな庭園ではありませんが、全体をなだらかな勾配にして、手前が低く奥をだんだんと高くしています。まわりを木で囲み、手前の木は低く、奥は大きく丸く刈るなどの工夫で、実際よりも奥行があるように見せています。藤棚の下で正面から見るのと、池に来るまでに余香苑を上から見るのとではずいぶん違います。これもまた物事の多面性を表現していると言ってもいいかもしれません。

余香苑は、島根県足立美術館ボストン美術館の日本庭園などを手掛けた「昭和の小堀遠州」とも称される造園家・中根金作氏の設計によるもので、昭和38(1963)年に着工し、3年の月日を費やして完成しました。

伝統的な造園手法を基盤とした厳しさの中にも優雅さを含み、京都はもとより全国でも有数の昭和の名園と言えます。一年を通して、紅しだれ桜や藤、サツキ、蓮、金木犀、楓などが庭園を彩ります。これは禅寺の庭としては異例です。元信の庭とは対照的な、季節ごとに姿を変える演出は、これはこれで世の無常を表すようで趣があります。庭園の中心には、瓢鯰図にちなみひょうたん池が配されています。

私が訪れた日は、ゴールデンウイークも過ぎた平日の午前中だったため、訪問者は私一人でした。庭園を眺めていると、池の水の流れる音と時折聞こえる鳥の声だけに包まれ、日常とは全く切り離された異空間にいるような不思議な感覚になりました。

 

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f:id:yomurashamroch:20210620205553j:plain帰り道、再度受付横を通りかかると「石遊び ご自由に『私の石庭』を製作してスマホに残してお楽しみください」というコーナーが。元信の庭や陰陽の庭にインスパイアされた方が作られたのでしょうか?

元信の庭の白川砂を洗った後の細かくなった砂をこの「私の庭」用に再利用されているそうです。これも「手元にあるものを活かす」禅の心なのでしょうね。

f:id:yomurashamroch:20210620205628j:plain退蔵院では、瓢鮎図へのヒントとして二代前の元住職が瓢箪形をした余香苑の池の中にナマズを入れることでその答えとされました。ナマズは夜行性なので昼間は池の底にいてその姿を見ることは難しいそうですが…

多くの人は外へ外へと答えを求めるものですが、実は答えはもう自分の中、自分の内にすでのあるのではないか、ということを示唆してるのです。

退蔵とは「価値あるものを内に秘める」ことですが、禅の心もそのように自分の内にある大切なものをあるがままに見つめ確かめることである、と退蔵院全体が教えてくれているのではないか、と感じました。

駅から徒歩10分足らずの市街地の中にありながら、四季折々の花々の美しさの中に禅の心を垣間見せてくれる小宇宙を是非堪能してみてください。

 

火伏の神様を祀る信仰の山 愛宕山に登る

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京都は北、東、西の三方を山に囲まれていて、どこからでも山を臨むことが出来ます。

京都を囲む高い山というと比叡山が有名ですが、実は比叡山より高いのが京都市の北西部に位置する愛宕山(あたごやま、あたごさん)です。

実は私、近所の年配の方から「愛宕山は京都で一番高い山」と聞いていたのでそう信じて疑いませんでした。

ちなみに愛宕山は924メートル、比叡山は848メートルで愛宕山の勝ち。

京都の昔話にこんなのがあります。これも先ほどの近所の方に聞いた話。

比叡山愛宕山が背比べ。ほぼ同じ高さなので何度も計り直しても決着がつかず、喧嘩はどんどんエスカレートしてとうとう比叡山がぽかりと愛宕山を殴ったそうです。ずいぶんひどく殴ったので、愛宕山にはこぶが出来てその分愛宕山が高くなり勝負がついたそうです。愛宕山には今でもそのこぶが残っています。

 

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Wikipediaより転載

ところが…

調べてみたら、京都で一番高い山は他にあり、しかも愛宕山は10位以内にも入っていませんでした。ちなみに一位は皆子山(971.5メートル)だそうです。

まあ、それはともかく、京都市内で嵐山からも近い愛宕山は火伏の神さんとして京都市民から親しまれています。近隣の中学校では秋のマラソン大会で登った人も多いので、簡単に登れそうですが、「愛宕山が登れたら国内の山はどこでも登れる」と言われるぐらい、実は結構しんどい山です。実際、遭難者も多いです。

しっかりと登山の準備と覚悟をして登ってくださいね。今回は散歩というより立派な登山です。

 

コロナ禍のゴールデンウイーク、三密を避けつつ新緑の季節を満喫しようと、愛宕山に登ってきました。

愛宕山の場所

goo.gl

愛宕山への行き方

京都バス「清滝」より登山口すぐ

 

 

 今回のスタートは清滝です。新緑の清滝川に清流が清々しいですね。

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橋を渡って登山開始です。橋を渡る前にトイレがあるので、忘れず済ませましょう。

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f:id:yomurashamroch:20210620210337j:plainここから登って行きます。

f:id:yomurashamroch:20210620210429j:plain「伊勢へ七度 熊野へ三度 愛宕さんへは月参り」

全国900社を数えるという愛宕神社総本宮が、この愛宕山の山頂にあります。

「火迺要慎(ひのようじん)」と書かれたお札は京都市民にとってはお馴染みの存在。そんな火伏せ・防火に霊験あらたかなのが愛宕神社です。京都では、三歳までに参拝すると、その子は一生火事に遭わないと言われ、小さいお子さんを背負子に背負ったお父さんお母さんの姿もしばしば見かけます。また、7月31日夜から翌8月1日未明にかけて愛宕神社を参拝すると、千日分の功徳を得るとされる「千日詣り」も有名です。

参拝へ向かう人と降りる人が互いに道を譲り合いながらすれ違う時は「おのぼりやす」「おくだりやす」と声を掛け合うと聞いていましたが、今回は皆さん「こんにちは」と普通に声を掛け合っていました。ゴールデンウイーク中で、他の県などからの登山者も多かったからかもしれません。

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 一丁目ごとにお地蔵さんがあり、お花が供えられ参拝者の安全を見守ってくださいます。

f:id:yomurashamroch:20210620210541j:plain登り始めるとすぐにこんな看板が。片道4キロの山道は自分で登り自分で下山するしかない、しっかり心して登りなさいと諭されています。

f:id:yomurashamroch:20210620210609j:plainさっきの看板にびびりながら登って行くと100mおきに「40分の〇」という頂上までのうち今どの辺りかを示す看板もあります。クスッと笑えるメッセージが、くじけそうな心を励ましてくれます。

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登り始めてしばらくは、このような果てしない石の階段が続きます。整備されていて歩きやすいとも言えますが、とにかくきついです。

歩き慣れていない人は40分の4~5あたりですでに汗だくです。この先どうなることかと不安になってきます。

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ところどころに、愛宕山の歴史を記した看板があり、観光気分も味わえます。

この看板に記された嵯峨小学校は愛宕山のふもとにありますが、こんな山の上に分校があって、かつ小学3年生以上はこの辺りから山のふもとの本校に通っていたというのも驚きです。大人の足で50分ほどかかります。子どもなら一時間以上かかったでしょうね。

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現在は京都バスの清滝駅前にある「一文字屋」が、昔はこの辺りにあったという看板です。

この看板に記された「愛宕ケーブル」とは、昭和4(1922)年に開業し、その当時、ケーブルは営業距離と高低差は東洋一だったそうです。愛宕ケーブルのおかげで愛宕山中にはスキー場やホテル、飛行塔のある遊園地などもあり、一大リゾート地だったようです。今では信じられないですが…

そして愛宕ケーブルが開通してからは、「一文字屋」も愛宕駅の駅舎の二階で飲食業を営んでいたそうです。ライスカレーやタンシチューが人気だったそうですよ。

しかし昭和19(1944)年日本の敗戦が濃厚になり、愛宕山ケーブルは「不要不急鉄道」とされ、鉄供出のために廃線となってしまいます。今ではこの写真のような看板や、一部の廃線マニアに人気のスポットになっているケーブル愛宕駅跡などにわずかにその痕跡が見られるのみだそうです。

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清滝より1.2キロほど下にある鳥居本の一の鳥居から愛宕山頂の愛宕神社までは50丁(約5.5km)で、表参道沿いには板碑型と地蔵型の二種類の丁石(町石)があります。現在確認出来ているのは、五十基中板碑型が32基、地蔵型が40基で、先ほどのお地蔵さんもその一つですね。これらの町石の建立年代はわからないものの、江戸時代の資料によると亀岡出身の東条道西という人物が険しい山道を整備し、登山の便を図るため丁石を建てたという記録があるそうです。江戸時代の人たちもこのような丁石を頼りに厳しい山道を登っていったのですね。

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愛宕神社までの参道沿いには、多くの茶屋が設けらており、この場所はちょうど真ん中あたりの25町目あたり「奈かや」という茶屋兼宿屋があったそうです。

店の女だちは「あたご山坂エー坂エー坂。25町目の茶屋のかかあ、かかあ旦那さん、しんしんしんこでもたんと食べ、坂をヤンレヤンレ、坂エー坂エー坂坂坂」などと歌って参拝者を迎えたそうでうす。「しんこ」とは米粉を練って蒸したお菓子で愛宕詣の名物だったようです。茶屋は「奈かや」だけでなく一町毎にあったと言われ、明治初めには19軒あったそうで、参道各所に残る石垣はその名残です。

 

f:id:yomurashamroch:20210620210942j:plain登り始めて1時間と少し、5合目を過ぎた辺りで、やっと気持ちの良い眺望が開けました。この辺りより少し前から石段が無くなり、登りもなだらかになり、ぐんと歩きやすくなります。そこからさらに10分弱、歩くと更に絶景が。

f:id:yomurashamroch:20210620211025j:plain真ん中辺りに見える蛇行する川は、嵐山の渡月橋より下流桂川です。京都市内が一望できますね。疲れも吹き飛びます。

この後、また上り坂が続きますが、頂上までの残りの数がだいぶ減ってきて頑張る気持ちがわいてきました。

f:id:yomurashamroch:20210620211057j:plainそして水尾別れ。ここまで1時間50分ほど。ここまで来れば山頂まではあと一息です。(この後、最後の石段が待っていますが…)

f:id:yomurashamroch:20210620211140j:plain水尾別れを過ぎると登山道の両脇にそびえる杉の木立に、何か厳かな雰囲気を感じます。この先が神域であることを知らせてくれるようです。

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道端の可憐な野の花に疲れた心も癒されます。

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花売り場。近年まで水尾の女性は樒を背負って水尾から愛宕神社まで登り、神前に供えてから人々に売り、お参りした人々は火災を除く神符としてお土産にしたそうです。

f:id:yomurashamroch:20210620211355j:plain登り始めて2時間余り、登山道をまたぐ黒門があります。これはかつて神仏習合の山であった愛宕山にあった白雲寺の京都側の惣門です。かつてはここから先が白雲寺の境内でした。1868年の神仏分離令により白雲寺は破却され、現在はこの黒門がその名残の一つです。神社の境内まであと5分ほど。ラストスパートです。f:id:yomurashamroch:20210620211426j:plain

頂上付近の愛宕神社境内には広場があり、お弁当を食べたりして休憩している人がたくさんいました。ここからは京都市内が一望できます。

トイレや飲み物の自動販売機もあります。愛宕神社はここから更に石段を登った先にあります。今回は時間の関係で愛宕神社への参拝は見送り、10分ほど休憩して、またすぐに下山しました。

帰りは来た道と同じルートを下りました。登った後の下りは、最初とても楽に感じましたが、だんだん疲れた足で体を支えるのがしんどくなり、膝ががくがく…登りとは別のつらさがありますね。それでも帰路は清滝まで1時間半ほどでした。

新緑の愛宕山登山でたっぷり汗をかき、清々しい木々からの香気を浴びての森林浴や霊山の厳かな空気に触れ、心と体の悪いものがすっかり入れ替わったような気分でした。

 

ちなみにこの日は、雨が多かった今年のゴールデンウイークのうち、初めて一日中晴天に恵まれた日でした。そのためか私が下山した後からも登山者は後を絶たず。翌日のテレビのニュースを見ていたら、コロナ禍にも関わらずたくさんの観光客でにぎわう嵐山でインタビューを受けた家族連れの方が「奈良から愛宕山に登りに来たんですが、清滝の駐車場が満車で停められなかったので、仕方なく嵐山に来ました」とおっしゃっていました。ゴールデンウイークに限らず、春の桜、秋の紅葉シーズンも車ではなく京都バスで清滝まで来られるのをお勧めします。

嵐山に近いので、ついでに愛宕山にも…と思ってしまいそうですが、本格的に登山する服装と装備で登ってくださいね。

火伏の神様のご加護がありますように…