京都は北、東、西の三方を山に囲まれていて、どこからでも山を臨むことが出来ます。
京都を囲む高い山というと比叡山が有名ですが、実は比叡山より高いのが京都市の北西部に位置する愛宕山(あたごやま、あたごさん)です。
実は私、近所の年配の方から「愛宕山は京都で一番高い山」と聞いていたのでそう信じて疑いませんでした。
ちなみに愛宕山は924メートル、比叡山は848メートルで愛宕山の勝ち。
京都の昔話にこんなのがあります。これも先ほどの近所の方に聞いた話。
比叡山と愛宕山が背比べ。ほぼ同じ高さなので何度も計り直しても決着がつかず、喧嘩はどんどんエスカレートしてとうとう比叡山がぽかりと愛宕山を殴ったそうです。ずいぶんひどく殴ったので、愛宕山にはこぶが出来てその分愛宕山が高くなり勝負がついたそうです。愛宕山には今でもそのこぶが残っています。
ところが…
調べてみたら、京都で一番高い山は他にあり、しかも愛宕山は10位以内にも入っていませんでした。ちなみに一位は皆子山(971.5メートル)だそうです。
まあ、それはともかく、京都市内で嵐山からも近い愛宕山は火伏の神さんとして京都市民から親しまれています。近隣の中学校では秋のマラソン大会で登った人も多いので、簡単に登れそうですが、「愛宕山が登れたら国内の山はどこでも登れる」と言われるぐらい、実は結構しんどい山です。実際、遭難者も多いです。
しっかりと登山の準備と覚悟をして登ってくださいね。今回は散歩というより立派な登山です。
コロナ禍のゴールデンウイーク、三密を避けつつ新緑の季節を満喫しようと、愛宕山に登ってきました。
愛宕山の場所
愛宕山への行き方
京都バス「清滝」より登山口すぐ
今回のスタートは清滝です。新緑の清滝川に清流が清々しいですね。
橋を渡って登山開始です。橋を渡る前にトイレがあるので、忘れず済ませましょう。
ここから登って行きます。
「伊勢へ七度 熊野へ三度 愛宕さんへは月参り」
全国900社を数えるという愛宕神社の総本宮が、この愛宕山の山頂にあります。
「火迺要慎(ひのようじん)」と書かれたお札は京都市民にとってはお馴染みの存在。そんな火伏せ・防火に霊験あらたかなのが愛宕神社です。京都では、三歳までに参拝すると、その子は一生火事に遭わないと言われ、小さいお子さんを背負子に背負ったお父さんお母さんの姿もしばしば見かけます。また、7月31日夜から翌8月1日未明にかけて愛宕神社を参拝すると、千日分の功徳を得るとされる「千日詣り」も有名です。
参拝へ向かう人と降りる人が互いに道を譲り合いながらすれ違う時は「おのぼりやす」「おくだりやす」と声を掛け合うと聞いていましたが、今回は皆さん「こんにちは」と普通に声を掛け合っていました。ゴールデンウイーク中で、他の県などからの登山者も多かったからかもしれません。
一丁目ごとにお地蔵さんがあり、お花が供えられ参拝者の安全を見守ってくださいます。
登り始めるとすぐにこんな看板が。片道4キロの山道は自分で登り自分で下山するしかない、しっかり心して登りなさいと諭されています。
さっきの看板にびびりながら登って行くと100mおきに「40分の〇」という頂上までのうち今どの辺りかを示す看板もあります。クスッと笑えるメッセージが、くじけそうな心を励ましてくれます。
登り始めてしばらくは、このような果てしない石の階段が続きます。整備されていて歩きやすいとも言えますが、とにかくきついです。
歩き慣れていない人は40分の4~5あたりですでに汗だくです。この先どうなることかと不安になってきます。
ところどころに、愛宕山の歴史を記した看板があり、観光気分も味わえます。
この看板に記された嵯峨小学校は愛宕山のふもとにありますが、こんな山の上に分校があって、かつ小学3年生以上はこの辺りから山のふもとの本校に通っていたというのも驚きです。大人の足で50分ほどかかります。子どもなら一時間以上かかったでしょうね。
現在は京都バスの清滝駅前にある「一文字屋」が、昔はこの辺りにあったという看板です。
この看板に記された「愛宕ケーブル」とは、昭和4(1922)年に開業し、その当時、ケーブルは営業距離と高低差は東洋一だったそうです。愛宕ケーブルのおかげで愛宕山中にはスキー場やホテル、飛行塔のある遊園地などもあり、一大リゾート地だったようです。今では信じられないですが…
そして愛宕ケーブルが開通してからは、「一文字屋」も愛宕駅の駅舎の二階で飲食業を営んでいたそうです。ライスカレーやタンシチューが人気だったそうですよ。
しかし昭和19(1944)年日本の敗戦が濃厚になり、愛宕山ケーブルは「不要不急鉄道」とされ、鉄供出のために廃線となってしまいます。今ではこの写真のような看板や、一部の廃線マニアに人気のスポットになっているケーブル愛宕駅跡などにわずかにその痕跡が見られるのみだそうです。
清滝より1.2キロほど下にある鳥居本の一の鳥居から愛宕山頂の愛宕神社までは50丁(約5.5km)で、表参道沿いには板碑型と地蔵型の二種類の丁石(町石)があります。現在確認出来ているのは、五十基中板碑型が32基、地蔵型が40基で、先ほどのお地蔵さんもその一つですね。これらの町石の建立年代はわからないものの、江戸時代の資料によると亀岡出身の東条道西という人物が険しい山道を整備し、登山の便を図るため丁石を建てたという記録があるそうです。江戸時代の人たちもこのような丁石を頼りに厳しい山道を登っていったのですね。
愛宕神社までの参道沿いには、多くの茶屋が設けらており、この場所はちょうど真ん中あたりの25町目あたり「奈かや」という茶屋兼宿屋があったそうです。
店の女だちは「あたご山坂エー坂エー坂。25町目の茶屋のかかあ、かかあ旦那さん、しんしんしんこでもたんと食べ、坂をヤンレヤンレ、坂エー坂エー坂坂坂」などと歌って参拝者を迎えたそうでうす。「しんこ」とは米粉を練って蒸したお菓子で愛宕詣の名物だったようです。茶屋は「奈かや」だけでなく一町毎にあったと言われ、明治初めには19軒あったそうで、参道各所に残る石垣はその名残です。
登り始めて1時間と少し、5合目を過ぎた辺りで、やっと気持ちの良い眺望が開けました。この辺りより少し前から石段が無くなり、登りもなだらかになり、ぐんと歩きやすくなります。そこからさらに10分弱、歩くと更に絶景が。
真ん中辺りに見える蛇行する川は、嵐山の渡月橋より下流の桂川です。京都市内が一望できますね。疲れも吹き飛びます。
この後、また上り坂が続きますが、頂上までの残りの数がだいぶ減ってきて頑張る気持ちがわいてきました。
そして水尾別れ。ここまで1時間50分ほど。ここまで来れば山頂まではあと一息です。(この後、最後の石段が待っていますが…)
水尾別れを過ぎると登山道の両脇にそびえる杉の木立に、何か厳かな雰囲気を感じます。この先が神域であることを知らせてくれるようです。
道端の可憐な野の花に疲れた心も癒されます。
花売り場。近年まで水尾の女性は樒を背負って水尾から愛宕神社まで登り、神前に供えてから人々に売り、お参りした人々は火災を除く神符としてお土産にしたそうです。
登り始めて2時間余り、登山道をまたぐ黒門があります。これはかつて神仏習合の山であった愛宕山にあった白雲寺の京都側の惣門です。かつてはここから先が白雲寺の境内でした。1868年の神仏分離令により白雲寺は破却され、現在はこの黒門がその名残の一つです。神社の境内まであと5分ほど。ラストスパートです。
頂上付近の愛宕神社境内には広場があり、お弁当を食べたりして休憩している人がたくさんいました。ここからは京都市内が一望できます。
トイレや飲み物の自動販売機もあります。愛宕神社はここから更に石段を登った先にあります。今回は時間の関係で愛宕神社への参拝は見送り、10分ほど休憩して、またすぐに下山しました。
帰りは来た道と同じルートを下りました。登った後の下りは、最初とても楽に感じましたが、だんだん疲れた足で体を支えるのがしんどくなり、膝ががくがく…登りとは別のつらさがありますね。それでも帰路は清滝まで1時間半ほどでした。
新緑の愛宕山登山でたっぷり汗をかき、清々しい木々からの香気を浴びての森林浴や霊山の厳かな空気に触れ、心と体の悪いものがすっかり入れ替わったような気分でした。
ちなみにこの日は、雨が多かった今年のゴールデンウイークのうち、初めて一日中晴天に恵まれた日でした。そのためか私が下山した後からも登山者は後を絶たず。翌日のテレビのニュースを見ていたら、コロナ禍にも関わらずたくさんの観光客でにぎわう嵐山でインタビューを受けた家族連れの方が「奈良から愛宕山に登りに来たんですが、清滝の駐車場が満車で停められなかったので、仕方なく嵐山に来ました」とおっしゃっていました。ゴールデンウイークに限らず、春の桜、秋の紅葉シーズンも車ではなく京都バスで清滝まで来られるのをお勧めします。
嵐山に近いので、ついでに愛宕山にも…と思ってしまいそうですが、本格的に登山する服装と装備で登ってくださいね。
火伏の神様のご加護がありますように…