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三十三間堂 ~風車と風鈴が誘う京の涼

三十三間堂は正式名称を蓮華王院と言い、その本堂が「三十三間堂」と通称されています。ほの暗い本堂内にずらりと並んだ1001体の千手観音像が印象的で国宝も多く所蔵され、京都でも人気のスポットの一つなので、修学旅行などで訪れた方も多いと思います。この三十三間堂で「京の涼さがし 風の京」と題して、境内に風車と風鈴が設置されたので、訪ねてみました。

 

 

 

三十三間堂の場所

goo.gl

 

三十三間堂の行き方

電車で

 京阪電鉄七条駅」より徒歩約7分

 

バスで

 JR京都駅より市バス100、206、208系統で約10分「博物館三十三間堂前」下車すぐ

 

今回のスタートは京阪「七条駅」です。

改札を出て右へ向かいます。

 

右を向いたところです。前方にある階段へ向かいます。

 

階段を登ります。

 

階段を登り切ると七条大橋の東端に出ます。

 

先ほどの階段から外へ出たところです。目の前が七条通で、右手のマクドナルドの角を東(右手)へ曲がります。

 

東へ曲がったところです。右手の道が七条通です。このまま七条通を東へ向かいます。

 

七条通のゆるやかな坂を300mほど進むと左斜め前に京都国立博物館が見えてきます。七条通を挟んで博物館の向かい側に三十三間堂があります。

 

三十三間堂の入口です。中に入っていきます。

 

普門閣です。参拝受付と寺務所を兼ねています。こちらで参拝料を納めて入ります。

 

個人参拝口を通り抜けて、右手の参拝入口から本堂へ入ります。

 

本堂内は土足厳禁なので、こちらで履物を脱いで入ります。

 

履物を脱いで中へ入り、この廊下の突き当りを左に曲がると本堂です。

これより先は写真撮影不可です。

 

三十三間堂とは

国宝の本堂 三十三間堂の名前の由来は、南北に延びる堂内陣の柱間が33あるという建築的な特徴によるそうです。「三十三」という数は、観音菩薩が持つ33の姿に変じて衆生を救うと説かれていることからきています。

平安後期、約30年間、院政を行った後白河上皇が、自身の職住兼備の「法住寺殿(ほうじゅうじどの)」と呼ぶ院御所内に、当時権勢を誇った平清盛の資材協力によって創建したものでした。ところが、そのお堂は建長元年(1249)の大火で焼失し、鎌倉期・文永3年(1266)に再建されたのが現存のものです。火災や戦災の多い京都の建物の中では大法恩寺千本釈迦堂)に次いで古く、京都で鎌倉時代にまで遡る建物はこの2棟のみだそうです。

ここまで古いお堂が現在まで残っているのは、奇跡的に火災や戦災を免れたということもありますが、古の工人たちの様々な工夫によるところも多いそうです。三十三間堂の基礎地盤は、砂と粘土を層状に積んで構成されており、これは積層ゴムが建物の揺れを吸収する「免震」のメカニズムと共通しています。また、堂内の屋台骨は、柱間を2本の梁でつなぐ二重虹梁(にじゅうこうりょう)とし、外屋の上部も内・外柱に二重の梁をかけて堅固さを増加、土壁面積を極力小さくした上で、溝を切った柱に板壁として横板を落とし込む「羽目板(はめいた)」とするなど、お堂は波に揺れて浮かぶ筏のように「揺れ動く」建築として免震工法が施されていたようです。

地上16m、奥行き22m、南北120mの長大なお堂は、和様、入母屋造本瓦葺きです。

この長い本堂は、通し矢でも有名で、本堂西側の南端(写真の右手前)から120mの距離を弓で射通し、その矢数を競う通し矢は、桃山時代にすでに行われていました。現在は1月15日に近い日曜日に、大的大会が行われ、特に新成人が晴れ着姿で矢を射る華々しい姿は、京都の新年の風物詩にもなっています。

 

千手観音坐像と千体千手観音立像

国宝 千手観音坐像で、「中尊(ちゅうそん)」と呼ばれています。

(写真:三十三間堂パンフレットより)

左右、計千体の等身観音立像に囲まれて、本堂中央の高いところに安置されています。高さ3.3m、背後の光背まで含めると約7mにも及ぶ大きな坐像は、ヒノキ材の寄木造で全体に漆箔が施されています。42手で「千手(せんじゅ)」を表し、鎌倉期の再建時に、大仏師湛慶(たんけい)は同族の弟子を率いて完成させたものです。慈悲深く温厚な表情を見つめていると、不安定な世に救いを求めて長い間人々の願いを受け止めてこられたことがよく分かります。

 

国宝 千手観音立像(写真:三十三間堂パンフレットより)

中尊の千手観音坐像を中心に左右に500体が前後10列の階段状の壇上に整然と並ぶ等身大の1000体と、中尊の後背に立つ1体を合わせて1001体の観音立像はまさに圧巻!さながら「仏像の森」で、三十三間堂を象徴しています。各像は、頭上に十一の顔をつけ、両脇に40手をもち、中尊同様の造像法で作られています。

1001体のうち、124体はお堂が創建された平安末期の尊像、その他が、鎌倉期に16年かけて再興された像です。その500体には作者名が残され、運慶、快慶で有名な慶派をはじめ、院派、円派と呼ばれる当時の造仏に携わる集団が国家的規模で参加したことが伺えます。また、これらの観音像には、必ず会いたい人に似た像があるとも伝えられています。実際、一つ一つのお顔を眺めていると、穏やかな表情の中にも、少しづつ違った顔つきをされ、個性があるな、と感じました。

 

 

国宝 風神像(写真:三十三間堂パンフレットより)

国宝 雷神像(写真:三十三間堂パンフレットより)
その他、千体観音像の前には、千手観音に従って仏教とその信者を護るとされる二十八部衆に風神・雷神を加えた30体の等身大の尊像が安置されています。これらも、鎌倉彫刻の傑作で、今にも動き出しそうな表情を見せ、あたかも語法神像の博物館のようです。

 

 

境内に涼を運ぶ風車と風鈴

JR東海の「そうだ京都行こう」の一環で「京の涼さがし 風の涼」と題して、市内のいくつかの寺社で風車や風鈴が設置されています。三十三間堂では東回廊に風車と風鈴が設置されました。(三十三間堂では9月30日まで)

 

風車も風鈴も、白と黄色をベースにした爽やかなデザイン。見るからに涼し気なのですが、この日は全くの無風…風車がクルクル回ったり、風鈴が涼やかな音色を響かせたりすることはほとんどありませんでした。それでも、朱塗りの回廊につるされた風車や風鈴に涼を感じることは出来ました。

さて、この回廊の隣に広がるのが、令和になってから再整備された庭園です。写真でも右手に庭園の緑が見えていますね。

 

池泉式回遊庭園

三十三間堂の庭園は、昭和36年(1961)の後白河上皇770回忌記念事業の際に、昭和の名作庭家 中根金作氏により造園されたものがベースになっています。当時は鎌倉時代に再建された本堂の様式に調和するように、庭園も特に石の石組みについては古式の手法で行われたそうです。そして中根金作氏の孫の行宏氏、直紀氏が2021年3月にこの庭園を再整備しました。両氏は祖父の仕事の良い部分を残しつつ、過去の資料を頼りに三十三間堂の往時の姿を出来る限り再現したそうです。

この写真は先ほどの東回廊から庭園ごしに本堂を臨んだものです。青々とした木々の色が歴史ある本堂の渋い色合いを引き立てています。

 

先ほどの写真の反対側、本堂側から庭園ごしに東回廊を臨んだ写真です。朱塗りの回廊と庭園の瑞々しい緑、池のリフレクションが暑さを忘れさせる美しさです。

庭園内には遊歩道が設けられ、ゆったり散策することが出来ます。

 

庭園は南と北に二つありますが、二つの庭園のちょうど真ん中あたりに手水舎があり、お地蔵さんも祀られています。この手水舎の前には「夜泣泉(立て札の字は酉偏に泉)」と書かれています。

この夜泣泉は、三十三間堂が建立された翌年の長寛2年(1165)6月7日に堂僧が夢告によって発見された霊泉だそうです。夜に水の湧き出す音が人のすすり泣きのように聞こえることから夜泣き泉と言われるようになりました。そしていつの頃からか傍らに地蔵菩薩が祀られました。この地蔵菩薩には幼児の「夜泣き封じ」にご利益があるとされ、地蔵菩薩の前掛けを持ち帰り、子どもの枕に敷くと夜泣きが治ると言われています。こちらにもたくさんの風車が飾られ、とても涼し気ですが、やっぱり無風のため、全く回っていませんでした…

 

こちらは手水舎を通り過ぎ、南側の庭園です。北側とはまた違った趣があります。

 

南側の庭園の更に南の端には鐘楼がありました。撞くことは出来ませんが、朱塗りの屋根や柱が美しいですね。

 

 

太閤塀

三十三間堂境内の南の端まで来ました。

こちらにある築地塀は「太閤塀」と通称され国の重要文化財に指定されています。方広寺大仏殿が創建される際に、三十三間堂を隔てるために、豊臣秀吉の寄進で築かれた塀です。

当時、交通の要衝だったこの地に目を向け、後白河上皇平清盛の栄華にあやかろうと思い立った秀吉は、その権勢を天下に誇示するため奈良大仏を模した大仏殿方広寺三十三間堂の北隣に造営し、お堂や後白河上皇の御陵をも、その境内に取り込んで土塀を築いたのです。塀は高さ5.3m、長さ92mに及ぶ桃山期の豪壮さを示す遺構です。

 

三十三間堂は本堂や千手観音像、千体千手観音像など、国宝や重要文化財が多いことは知っていましたが、再整備された池泉回遊庭園も見事で見ごたえがあることを、今回訪ねてみて再確認しました。京都駅からバスで約10分、歩いても15分ほどでアクセスもよく、目の前にバス停があるので、他のスポットへの移動もスムーズです。京都でも定番中の定番の一つではありますが、機会がありましたら、是非足をお運びください。