京都おすすめ散歩道

定番から穴場まで京都のお散歩コースを地元民の視点からご紹介

相国寺③山内塔頭や神社など 

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相国寺京都御所の北側、同志社大学の東隣という京都のど真ん中にあります。

京都五山の第二位という大変格式高い寺格を誇り、四万坪という広大な敷地を持つ歴史ある寺院なのです。しかし「しょうこくじ」と正しく読めて、どこにあるのか、どんな由緒のある寺院なのかをきちんと説明できる人は、京都でもそんなに多くは無いのでしょうか。かく言う私も、伊藤若冲の絵に魅せられ、相国寺との深い縁を知る中で、初めて相国寺に関心を持った一人です。今回、相国寺の境内にある「承天閣美術館」の「若冲と近世絵画」という展覧会を見るために訪れてみて驚いたのは、相国寺の壮大で整然とした品格ある美しさと、それにも関わらず、ほとんど観光地化されていない静寂の美でした。こんなに立派なお寺が、洛中のど真ん中のとても便利な立地にあるのになぜあまり知られていないのか?不思議で仕方ありませんでした。

そこで、まだそんなに多くの人に知られていない相国寺を、もっともっと知っていただきたいと思い、ここにご紹介します。

今回は広大な相国寺の敷地内にある、山内塔頭や神社などをご紹介します。

 

相国寺の場所

goo.gl

 

 

相国寺の行き方

電車で

 地下鉄烏丸線今出川駅」下車 徒歩6分

 

バスで

 京都市バス 

  51、59、201、203、急102系統

  「烏丸今出川」下車 徒歩7分

 京都市バス 

  59、201、203系統   

  「同志社前」下車 徒歩6分

 

最寄りの駅から相国寺への道順は以下のブログをご参照ください。

地下鉄今出川駅の南改札から出て総門から入るルートは以下↓

相国寺の歴史や立派な寺院なのにあまり観光地化されていない理由も

yomurashamroch.hatenablog.com

 

地下鉄今出川駅の北改札から出て、西側の門から入る最短ルートは以下↓

承天閣美術館も詳しくご紹介しています

yomurashamroch.hatenablog.com

 

今回は、上記②で紹介している西側の門から入ります。

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門を入るとすぐに、背の高い赤松林がお出迎えです。

禅宗寺院らしい凛とした空気が感じられます。

 

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入ってすぐ参道の北側(左)に瑞春院があります。

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瑞春院は、水上勉『雁の寺』のモデルとして有名で、実際作者が少年時代を過ごしたお寺です。直木賞作家 水上勉氏は9歳の時、瑞春院で得度し13歳まで禅の修行しましたが、ある日突然寺を出奔。諸所を遍歴し文筆活動に精進し、昭和36年(1961)『雁の寺』を出版。雁の寺の小説は瑞春院時代の襖絵を回顧し、モデルとしたことから瑞春院は別名を『雁の寺』とも言います。今も雁の襖絵8枚が本堂上官の間(雁の間)に当時のまま残っているそうです。

その他、室町期の禅院風の枯山水庭園や水琴窟が有名ですが、現在は残念ながら非公開です。

 

 

その他、山内塔頭を見ていきましょう。

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相国寺の境内地図です。

先ほどの瑞春院は地図左端の西門から少し中ほどに入った位置にあります。

 

 

 

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光源院は瑞春院の前の道を東へ進み、仏殿跡の松林を抜けた先にあります。

第十三代将軍足利義輝菩提寺で、義輝の院号により光源院と称しています。

本堂の仏間十二面の襖には日展特選作家、水田慶泉が半年がかりで描き上げた禅宗寺院には珍しい干支を配した襖絵が描かれているそうです。

 

 

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光源院から赤松林を挟んで西側に養源院があります。

養源院は曇仲道芳(どんちゅうどうぼう)を開祖としています。詩文に優れ、足利義満、義持父子の寵遇を受けました。薬師如来を本尊とし、毘沙門天を祀り、近隣の信仰を集めています。

戊辰戦争の発端となった鳥羽・伏見の戦いのときには、養源院内に薩摩藩の負傷者が運び込まれる薩摩病院が開設され、建物内の柱に薩摩藩士によってつけられた刀傷もあるそうです。

中庭には枯山水があったり、書院前庭は立派な三段落ちの滝のある池泉回遊式庭園があるそうです。

 

相国寺にはこのような山内塔頭が13ありますが、現在は非公開です。コロナ以前は予約すれば見学できたり「京の冬の旅」などで特別公開されたこともあるようです。

見どころも多いようなので、公開されたら色々見てまわりたいものです。

 

 

山内塔頭以外にもいろいろと見どころがあります。

 

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光源院の北側に弁天社があり、弁財天を祀っています。この弁財天は古来から京都御所内の久爾宮邸に奉伺されていましたが、明治になり同宮家が東京へ移転された時に相国寺が寄進を受けました。平成19年(2007)に京都府指定有形文化財になりました。

 

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弁天社の東隣には、堂々とした鐘楼があります。この鐘楼は「洪音楼」と呼ばれています。下の重が城の天守の石垣のように広がった「袴腰付鐘楼」になっており、天保14年(1843)に再建されたようです。大型のものでは現在有数の物で、楼上に梵鐘を吊るしている日本では珍しいものだそうです。

普段は非公開ですが、コロナ前は除夜の鐘としてこちらの鐘を撞くことが出来たそうです。人数制限無し、回数制限無しで、相国寺を参拝すれば誰でも撞けたそうです。

 

この洪音楼の東側の通路を北に進んだところに、「宗旦稲荷社」が祀られています。

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突き当りが宗旦稲荷社です。

 

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もう少し近づいてみましょう。

 

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宗旦稲荷の由来書きです。
江戸時代の初めに、相国寺の境内に一匹の白狐が住んでいました。その狐はしばしば茶人 千宗旦千宗室の孫)に姿を変え、時には雲水にまじり座禅を組み、また時には寺の和尚と碁を打つなどして人々の前に姿を現していました。

宗旦になりすましたその狐は、近所の茶人の宅で茶を飲み菓子を食い荒らすことがありましたが、ある時、この宗旦狐は相国寺塔頭慈照院の茶室開きで、見事な点前を披露しました。遅れてきた本当の宗旦は、そのことに感じ入ったそうです。

その伝承のある茶室は現在でも慈照院にあり、茶室の窓には宗旦狐が慌てて突き破って逃げたあとを修理したので、普通のお茶室の窓より大きくなってしまったそうです。

宗旦狐は化けていたずらをするだけでなく、人々に善を施し喜ばせていたということから、雲水たちは宗旦狐の死を悼み祠をつくり供養したそうで、それがこの宗旦稲荷社として残っているそうです。

 相国寺という格式高い寺院の中に、お茶目な狐の伝承が残っていて、狐が化けていた千宗旦本人らが狐の死を悼み祀る、というのが、何ともほのぼのしていて面白いですね。

 

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養源院の北側にあるのが経蔵です。経蔵は、天明の大火によって焼失した宝塔の跡地に万延元年(1860)に建立されました。宝塔が再興された時に、経蔵置き場を兼用することになり、以来経蔵を兼ねた宝塔として機能してきましたが、仏舎利が他の堂宇に移された現在は経蔵としてのみ使用されています。高麗版一切経が納められています。平成19年(2007)に京都府指定有形文化財となりました。

 

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経蔵から後水尾天皇の髪歯塚(写真が上手く撮れませんでした)を経て北側にあるのが鎮守です。創建当時は今出川通りの北にあって、現在の御所八幡町がその旧跡だそうです。足利義満が男山八幡から御神体を奉迎した時は、男山八幡から当寺まで沿道にことごとく白布を敷き詰めたというから驚きです。

 

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鎮守の北隣が天響楼(てんきょうろう)です。平成22年(2011)に建立された新しい鐘楼です。相国寺の名前の由来の一つにもなった、中国開封市にある大相国寺により二つ鋳造され、その一つが日中仏法興隆・両寺友好の記念として寄進されたもので、「友好記念鐘」の銘や「般若心経」の経文が刻されています。

 

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天響楼の北側にあるのが浴室です。相国寺の浴室は宣明(せんみょう)と呼ばれ、1400年頃創建されたようです。現在のものは慶長初年(1596)に再建されたもので、平成14年(2002)に復元修復されました。

禅宗では日常の立ち居振る舞いすべてが修行の場であり、浴室は、修行の上でも「心」と「体」の垢を落とすという意味でも重要な役割を果たしています。現在のお風呂のように湯にざぶんとつかるのではなく、大きな釜から桶に汲んだ湯を柄杓で体にかける、掛け湯の方法だったそうです。外で薪をくべるのも修行のうちで、黙って行う三黙道の一つで会話は禁止。斜めに敷かれた床板の溝から不要な湯は流され、隣にある東司(トイレ)に流れるという合理的な造りになっているそうです。こちらも以前は相国寺の特別公開で公開されたこともあったようです。

 

このブログを書くにあたって色々な本を調べた中で、先の浴室の北側にある相国寺内の墓地に、藤原定家足利義政伊藤若冲の三人のお墓が並んでいるという記述を見つけました。お墓を見てもなあ~と思って素通りしてしまい、大変惜しいことをしました。この三人のお墓は、昔は別々の子院の墓地にあったものが、戦後に墓を整理してこの墓地にまとめた時に、有名人だったために一緒に並べられたそうです。時代もバラバラ、関係もバラバラの不思議なめぐりあわせに、ご本人たちも面食らっておられるかもしれませんね。

 

以上が、拝観料などを払わなくても見学できる範囲の山内塔頭や諸堂、神社などです。

禅宗寺院らしいきりりとした空気感の中、それぞれに清冽な美しさのある建物で、外側から覗くだけでもこちらまで背筋が伸びる気持ちになります。

境内はとても広いので、ぶらぶらと歩くだけでも結構な散歩になります。京都御所からも近いので、あわせて散策してみてはいかがでしょうか。

 

京都御所の東隣にある蘆山寺は桔梗で有名です↓

 

yomurashamroch.hatenablog.com