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南禅寺 最勝院奥の院 ~気功師と行く秘密のパワースポット ②駒ヶ滝から磐座へ

京都五山そして鎌倉五山の上に置かれる別格扱いの寺院である南禅寺には、国宝の方丈を始め、重要文化財の三門、インスタ映え間違い無しの水路閣など見どころ満載で、一年中観光客が絶えません。そんな南禅寺にあって、ほとんど人が訪れない秘密のスポットがありました。今回は、気功師のガイドさんの案内で、氣の変化を感じながら南禅寺の奥の奥にあるパワースポットを訪ねました。

前回のブログでは、蹴上駅から南禅寺までの道のりと、南禅寺の三門から水路閣までをご紹介しました。このブログでは、いよいよ秘密のパワースポット、最勝院の奥の院へと向かいます。

 

このツアーは2023.10.28に実施されました。ツアーの内容は開催時期によって変更される可能性があります。また、あくまで私個人の感想であることをご了承ください。

 

今回は「まいまい京都」が企画する「気功師といく南禅寺 秘密のパワースポット 水と岩が織り成す聖域へ~」というツアーに参加しました。「まいまい」とは「うろうろする」という意味の京ことばで、「まいまい京都」では、600人を超える各分野のスペシャリストが独自の視点でガイドする京都や近郊のミニツアーを多数実施されています。

 

京都のミニツアー「まいまい京都」

ユニークなガイドさんと京都を歩こう!「京都・春のパンまつり!かわいい町家パン屋さんの工房へ」「ブラタモリ記念、京都高低差崖会と御土居でOh!」「京都本ライターと乙女なカフェめぐり」など、全260コース。
 
 

 

南禅寺最勝院の場所

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南禅寺の行き方

電車で

 ・地下鉄東西線蹴上駅」下車 徒歩約10分

 

バスで

 ・京都駅から5号系統で「東天王町」また「南禅寺永観堂」下車 徒歩約10分

 ・四条河原町から5,32,203号系統で「東天王町」下車 徒歩約10分

 

最寄りの地下鉄蹴上駅から南禅寺までの行き方は以下で詳しくご紹介しています。

 

www.yomurashamrock.me

 

このツアーのガイドは長根あきさんです。

長根さんは気功師で、北海道出身。幼少の頃よりアイヌの物語に惹かれ、1993年よりアイヌ民族に伝わる楽器・ムックリの演奏を始め、北海道ムックリ大会で優勝。2004年に京都へ移住され、気功を取り入れた暮らしを始められます。各地で気功教室を主催するなど、活動は多岐に渡ります。

 

www.maimai-kyoto.jp

 

水路閣から最勝院へ

南禅寺の奥にあるフォトスポット水路閣をくぐり、水路添いの坂道を東へ上っていきます。

 

70m程登っていくと、最勝院に出ます。

 

最勝院

この辺りから更に奥の一帯は、鎌倉時代頃から「神仙佳境」と呼ばれ霊地として広く世間に知られていました。摂政関白、九条家の子であり、幼くして仏門に入った道智(どうち)は、比叡山延暦寺天台密教を極め、園城寺三井寺)管長や禅林寺永観堂)住持を務めましたが、晩年は世をいとい、この地に隠棲されました。南禅寺の寺伝によると、この地は園城寺別院の最勝光院の所在地でありましたが、のちに同院は衰退、文永元年(1264)亀山天皇が母大宮院の御所として離宮禅林寺殿を造営。その禅林寺殿造営の二年後(1266)、道智は法力を使って白馬にまたがり、生身を天空に隠されたと伝えられています。馬のことを駒とも言うので、それ以来、道智は駒大僧正、最勝院の山中は駒ヶ滝と呼ばれるようになりました。

 

最勝院奥の院

最勝院の横を流れる川沿いに、更に山中へと上がっていきます。

水路閣周辺の賑わいが嘘のように、この辺りには日本人はほとんど上がってこないのですが、この山道は外国人向けの旅行サイトでは結構有名なようで、登山姿の外国人と時々出会いました。山道をたどって行くと、哲学の道大文字山、山科などへ至るコースもあるそうです。

 

川沿いを1、2分歩いた辺りで長根さんが足を止め、これから行く場所について注意事項を話されました。

「ここまで来ると観光地という感じはちょっとしないですね。南禅寺はお寺なんですが、その奥の院のところは山岳修行の方たちが使っておられます。今から行くところは細い滝なんですが、滝行もできるようになっていて、実際に滝行をしている方がいたり、ほら貝を吹いている方がいることもあります。神聖な場所なので、私語は控えつつ修行されてる方がいるところにお邪魔させていただくという気持ちでここから歩いて行きたいと思います。」

最勝院と白馬にまたがって天に上った道智(駒大僧正)の話についても、詳しく話されました。その間にも、ほら貝の音が聞こえてきて、この地が昔から神聖な修行の場であり、そのような不思議な伝説もすんなりと受け入れられそうな空気を感じました。そして、コンクリートとは違う、ザクザクとした土や砂利からくる足の裏の感覚を味わいながら、黙々と山道を登っていきました。

 

先ほどのところから更に10分ほど登ると、目の前に急な階段が現れました。

 

拝殿と厨子宝殿

階段を上りきると、奥の院の拝殿があります。

 

その拝殿の奥に駒大僧正を祀った小さな厨子宝殿があります。ぼんぼりに天狗の葉うちわのモチーフが。

 

 

 

拝殿の左側には、駒ヶ滝地蔵大菩薩の祠もあります。

 

拝殿や駒大僧正の厨子宝殿を通り過ぎた所にある赤い手すりの橋を渡ります。

 

その先には石でゴツゴツした山道が。途中、「秋葉一尺坊」という烏天狗の石像もありました。

 

駒ヶ滝

更に階段を登った先に、細い一筋の滝があり、滝の横には大日大聖不動明王が祀られていて、滝には白い衣の方がおられました。

周辺の山からはほら貝の音色も聞こえてきて、このあたりが修行の場であることを実感しました。

 

そこから更にものすごく急な階段を登って行き、途中洞窟のような所もあり、もっと上へ登って行きます。登るのに必死で写真が撮れなかったので、下の写真は帰り道に下から見上げて撮りました。ロープを張ってあるあたりが急な階段で、その先が洞窟です。その時は洞窟の中を見なかったのですが、ネットの他の方の記事によると、将軍地蔵菩薩厳島弁財天などが祀られているそうです。

 

小さな川が流れているので、そこに架かっている簡素な木の橋を渡ります。下の写真も帰り道に撮ったので、上から見た景色になります。

 

磐座

上の写真の手前、小石がゴロゴロする道なき道を更に上がって行くと、小川を挟んだ対岸に、巨大な石(磐座)があります。

この地は、鎌倉時代から霊地として「神仙佳境」と呼ばれていたそうです。この奥の院にある岩も、古代から信仰の対象だったのではないかと長根さんは言います。それは、この場所で感じられる氣や、今でも沢山の仏さまが祀られていて、人々が祈りを捧げていること、滝行の場となっていること、駒大僧正の伝承の地となっていることからも推測できるそうです。

 

最勝院の奥の院について調べるため、帰宅してから沢山のネットの情報を調べましたが、滝とその先の洞窟までは写真がありましたが、さすがにそれより先の情報は見つけることが出来ませんでした。まさに秘境と呼べるほどのパワースポットを目の前にして、私を始め他の参加者の方も、磐座の巨大さに圧倒され、ただただ息を飲んで見つめていました。

 

気功体験

長根さんのリードのもと、気功体験の始まりです。

参加者も、見よう見まねで長根さんの動きにならいます。水路閣の手前で見たねじりながら伸びる木をイメージしながら、ゆったりと体を動かしていきます。

そのあと、長根さんは持参されていたムックリアイヌ民族に伝わる口琴)を演奏されました。

参加者は目を瞑り、ムックリの響きに身をゆだねました。するとそれまで以上に周辺の鳥たちがさえずりを強めました。

数分ほどで長根さんのムックリの演奏が終わり、参加者はゆっくりと目を開きましたが、皆何となく夢から覚めたような不思議な感覚を味わっていたのではないでしょうか。普段私は霊感など全く感じないのですが、気功をすることで、他の場所とは違う氣の存在のようなものを体感することが出来た気がしました。それは、この土地がずっと昔から持っている強いパワーが私を後押ししてくれたのでは無いかと感じました。

 

そのあと10分ほど自由時間となり、磐座に彫られた大昔の観音像を見学したり、磐座の写真を撮ったりして思い思いに過ごしました。観音像はかなり古いもののようで、時間の経過とともに削れて見えにくくなっているそうで、磐座のすぐ横まで行って見ないとなかなか確認できないものでした。磐座のすぐ横まで行くには、人一人通るのがやっとの細い場所を上がっていかなければいけないので、時間の関係で私は傍まで行くことが出来ませんでした。それでも、参加者のうち数人はその観音像を確認できたようで「あれかな~?」「あ、わかった!」と声を上げておられました。こんな山深い場所にある巨大な岩に、一体だれがこのような観音像を彫ったのか…長根さんによると、今は一つぐらいしか観音像を確認できませんが、大昔はいくつも彫られていたようです。「神仙佳境」と呼ばれたこの地に、昔の人も自然のパワーを感じ、様々な祈りをこの磐座に捧げたのかもしれないということを、気功体験によってより実感できた時間でした。

 

大杉大神 ~みんなで育てるパワースポット

奥の院を後にして、また来た道をどんどん下って行くと、参道に一本の杉の巨木がありました。

大杉大神と書いてあり、臨済宗ですが、神仏習合の形がまだ残っているそうです。

この参道は、毎朝一般の方が掃除し火を灯しておられるそうです。10年ほど前はこの辺りは鬱蒼として一人で滝まで行くのも怖かったそうですが、今は有志の方が毎朝掃除されているお陰で、年々明るくすっきりといい感じになったとか。

パワースポットとは、パワーをいただきに行く場というよりも、パワーをいただきつつ返していく、パワーの循環をさせていくことで、さらに力を持ち輝きを増していくのではないか、と長根さんは話されました。

 

古代の人たちが、山の中にある大きな石を見て、神様が運んで来た石、またその石に神様が宿ると信じ、祀ってきた磐座。その磐座をパワースポットたらしめているのは、磐座を祀り、大切に守ってきた人々の信仰心なのですね。そしてその人々の信仰心(氣)が、磐座やその周辺の土地が持つパワー(氣)をより強め、さらなるパワーをもつものへと成長させていく…奥の院での気功で感じた不思議な氣はもちろんのこと、三門から南禅寺の境内へ入った時に感じた爽やかな空気も、何百年も人々がこの地にこめた祈りのパワーがそのようなものへと成長させたものだったのだと実感したひとときでした。

 

大杉大神から更に3分ほど川沿いを下って行くと、再び最勝院に戻って来ました。

 

今回はここまで。次回は長根さんのガイドで、南禅寺から少し歩いたカフェでの気功トークアイヌの民族楽器を聞いた感想などをご紹介します。

 

 

 

南禅寺 最勝院奥の院 ~気功師と行く秘密のパワースポット ①蹴上駅から南禅寺 水路閣まで

南禅寺と言えば、京都五山そして鎌倉五山の上に置かれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺の中で最も高い格式を持つ寺院です。広大な境内には国宝の方丈を始め、石川五右衛門の名セリフ「絶景かな、絶景かな」で有名な重要文化財の三門、インスタ映え間違い無しの水路閣など見どころ満載で、一年中観光客が絶えません。そんな南禅寺にあって、ほとんど人が訪れない秘密のスポットがありました。今回は、気功師のガイドさんの案内で、氣の変化を感じながら南禅寺の奥の奥にあるパワースポットを訪ねました。このブログでは、最寄り駅の蹴上駅から南禅寺へ至り、三門や水路閣などを訪ねたところまでをご紹介します。

 

このツアーは2023.10.28に実施されました。ツアーの内容は開催時期によって変更される可能性があります。また、あくまで私個人の感想であることをご了承ください。

 

今回は「まいまい京都」が企画する「気功師といく南禅寺 秘密のパワースポット 水と岩が織り成す聖域へ~」というツアーに参加しました。「まいまい」とは「うろうろする」という意味の京ことばで、「まいまい京都」では、600人を超える各分野のスペシャリストが独自の視点でガイドする京都や近郊のミニツアーを多数実施されています。

 

京都のミニツアー「まいまい京都」

ユニークなガイドさんと京都を歩こう!「京都・春のパンまつり!かわいい町家パン屋さんの工房へ」「ブラタモリ記念、京都高低差崖会と御土居でOh!」「京都本ライターと乙女なカフェめぐり」など、全260コース。
 
 
 

 

南禅寺最勝院の場所

maps.app.goo.gl

 

南禅寺の行き方

電車で

 ・地下鉄東西線蹴上駅」下車 徒歩約10分

 

バスで

 ・京都駅から5号系統で「東天王町」また「南禅寺永観堂」下車 徒歩約10分

 ・四条河原町から5,32,203号系統で「東天王町」下車 徒歩約10分

 

 

地下鉄蹴上駅から南禅寺

今回のスタートは地下鉄「蹴上駅」です。

 

改札を出たら、看板の通り左へ向かいます。

 

突き当りを左へ曲がります。


階段を上がります。

 

階段を上がり切ると、三条通に出るので、三条通を北(右)へ向かいます。

三条通を北へ向いたところです。100mほど北へ向かいます。

 

100mほど進むと、右手に「ねじりまんぼ」が。

 

「ねじりまんぼ」は三条通から南禅寺へ向かう道路の造成に伴って建設され、明治21年(1888)6月に完成。「まんぼ」とはトンネルを意味する古い言葉で、「ねじりまんぼ」とは「ねじりのあるトンネル」という意味です。上部にあるインクライン(傾斜鉄道)と斜めに交わる道路に合わせ、トンネルも斜めに掘られるとともに強度を確保する観点から、内壁のレンガをらせん状に積む工法が取られています。


ねじりまんぼを通り抜け、東側に出ました。この道を東へ進みます。

 

この日は10月下旬、道沿いのカエデが色づき始めていました。道なりに左へ曲がります。

 

左へ曲がったところです。右手に見えているのは、南禅寺塔頭寺院南陽院」です。通常非公開ですが、陶芸や生け花などのイベントがよく開催されており、運が良ければ中の様子を見ることが出来るそうです。七代目小川治兵衛が作庭した枯山水庭園があります。

 

さらに進むと、左手に南禅寺塔頭「金地院」があります。室町時代の創建当初は、洛北、鷹峯にありましたが、江戸時代初期、以心崇伝により現在地へ移転されました。以心崇伝は徳川家康のブレーンとして幕政に関与「黒衣の宰相」などと呼ばれました。

金地院の方丈庭園は「鶴亀の庭」(特別名勝)と呼ばれ、小堀遠州作として名高いものです。

 

金地院を通りすぎ、さらに北へ進むと、正面に東照宮下乗門があります。この門を抜けると…

 

南禅寺の境内に出ます。写真奥に見えているのが南禅寺の中門です。

 

さっそく南禅寺へ入っていきましょう。



 

南禅寺とは

正式には五山之上瑞龍山太平興国南禅禅寺と称し、臨済宗南禅寺派大本山です。

鎌倉時代の正応4元年(1291)に亀山上皇が当地の離宮を禅寺に改められたのが前身です。室町時代足利義満によって五山之上とされ隆盛しましたが、応仁の乱など三度の大火で衰退。徳川家康の庇護を受け再興され、江戸時代には10万坪を超えた境内地は、現在では約4万5千坪です。方丈は国宝で、内部の障壁画の多くは重要文化財に指定され、方丈の前庭は小堀遠州の作とされる代表的な枯山水庭園で、「虎の子渡し」として有名です。

 

三門

南禅寺に入るとまず目を惹くのが堂々とした佇まいの巨大な三門です。寛永5年(1628)に藤堂高虎大阪夏の陣戦没者慰霊のために寄進建立したものです。楼上には宝冠釈迦如来像を本尊として、十六羅漢像などが安置され、内部の極彩色画は狩野探幽、土佐徳悦の合作と伝えられます。

 

今回のまいまいツアーの集合場所はこの三門前でした。まいまいツアーの受付を済ませた後、講師の長根あきさんの紹介がありました。

長根さんは気功師で、北海道出身。幼少の頃よりアイヌの物語に惹かれ、1993年よりアイヌ民族に伝わる楽器・ムックリの演奏を始め、北海道ムックリ大会で優勝。2004年に京都へ移住され、気功を取り入れた暮らしを始められます。各地で気功教室を主催するなど、活動は多岐に渡ります。

 

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句碑「この門を入れば涼風おのづから」

まず、三門前から一旦戻り、「この門を入れば涼風おのづから」と書かれた石碑を見学します。

 

この句を書いた森永杉洞(さんどう)は南禅寺派の僧侶で、南禅寺の管長になれるほどの高僧だったそうですが、断って郷里の九州に帰って俳句を詠みながら静かに余生を送ったそうです。「この門を入れば涼風おのづから」とは、文字通りの意味だと三門を入ったら涼やかな風が自然と吹いてくる、ということです。門(結界)のこちら側は普通の世界だけれど、門の向こうは結界の向こう、聖域なので気(氣)が違い、この門の向こうは清涼な空間ということ。

さらに、三門とは解脱へ至るための三つの関門という意味もあるので、努力を積み重ねて解脱に至った先には何ものにも汚されない清々しい心持が自ずから得られるというもう一つの意味もかけているようです。解脱へ至るためには「これで終わり」というゴールは無く、努力し続けることこそ大事だということでしょうか。短い句の中に そんな深い意味がこめられていたんですね。

 

いよいよ三門をくぐって南禅寺の中心部へと入るにあたり、長根さんは気功師として「氣」を感じるコツのようなものとして、「感じる」ことと「考える」ことは同時にはしにくいので、まずは考えるのをやめ、感じることに意識を向けて欲しい、特に足の裏の感触に意識を向けることで、リラックスして感じることに集中でき、氣の変化も感じやすくなるのではないかと話されました。

私自身は気(氣)の存在をあまり意識したことが無かったのですが、長根さんのお話を伺い、氣とは何か特別な人だけが感じるものではなく、身の周りの自然や様々な状況を頭で考えるのではなく、空っぽの心で素直に受け入れることで得られるものなのかな?と思いました。

 

氣と気の違い

ところで、長根さんからいただいた資料には「氣」という漢字が使われています。普段私たちが使う「気」とどう違うのか少し調べてみました。

万葉の昔から、元々は「氣」の字が使われていましたが、戦後漢字の見直しが行われ「気」となり、教科書にも「気」が採用され、現在に至ります。

気という字を使う言葉として「元気」「病気」「気持ち」などの言葉が示すように、気はエネルギーを表しています。「氣」と「気」の違いは气の中の「米」と「〆」です。「米」は末広がりで八方に広がることを意味しています。エネルギーのあるべき姿は全身から放出されること。そう考えると、本来のエネルギーとしてあるべき字は「氣」なのかもしれません。特に私たち日本人は昔から米を主食としてきましたので、米はまさにエネルギーの源です。このことからもエネルギーを意味する「氣」の字に「米」の字が入っているのは自然なことに思えてきます。

長根さんからは「氣」と「気」の違いについて特に説明はありませんでしたが、このようなことを意識されて「氣」を使われていたのではないかと思いました。

 

三門から法堂、水路閣

三門をくぐり法堂へ向かいます。

 

長根さんの言葉に従い、足の裏の感触に意識を向ければよかったのですが、三門をくぐった先の参道脇に並ぶ木々の美しさに目を奪われたことだけ覚えています。氣の違いなのかわかりませんが、門を一歩くぐると、前日の雨の湿気を含んだ木の香気が爽やかだった気がしました。

 

参道のカエデが色づき始めていました。木々の奥にちらりと見えているのが法堂です。

 

法堂

法堂は慶長11年(1606)に豊臣秀頼によって寄進されましたが、明治28年(1895)に焼失し、現在の建物は明治42年(1909)に再建されたものです。本尊は釈迦如来坐像です。

 

法堂まで進んだら、南(右)へ曲がります。向かって左手が東になります。だいぶ高くなってきた朝日が差して、荘厳な雰囲気です。

 

木々から発せられる静かなエネルギーと朝日の神々しい光に包まれながら、黙々と石段を上ります。木々の向こうにちらりと見えているのが、水路閣です。

 

ねじりながら伸びる気功のイメージ

木に包まれて、次第に空気が美味しく感じられるようなってきました。水路閣の手前で石段から少し横道にそれ、長根さんが足を止めました。

ねじりながら空へとぐーんと伸びた木がありました。上へ伸びあがるエネルギーと、大地へ入っていくエネルギー。これが気功のイメージなのだそうです。 

水路閣

気功のイメージをつかんだところで、更に奥へと進むと、有名な水路閣に出ます。

南禅寺水路閣は、琵琶湖疎水の枝線水路です。水路は明治23年(1890)に建造され、レンガ造り、ローマ風のアーチ橋上を通っています。水路閣の全長は93.17m、幅4.06m、水路幅2.42mで、周囲の景観に配慮して設計され、13の橋脚が作り出すアーチの連続は絶好のフォトスポットで、この日も多くの人が写真を撮影されていました。

日本建築の粋を集めた禅寺の境内に、洋風の建造物である水路閣があるのがちょっと不思議な気持ちもしますが、木々の緑と古びたレンガの色合いが何とも良い感じで周辺の景観に溶け込んでいます。

 

この水路閣を抜けて、更に山の奥へと向かい、いよいよ最勝院の奥の院へと向かいますが、今回はここまで。次回へ続きます。

 

 

福田美術館 「竹久夢二のすべて 画家は詩人でデザイナー」

色白、小顔、八頭身に愁いを帯びた大きな瞳が特徴の「夢二式美人」は、竹久夢二の名前を知らない方でも、ポスターなどで見たその絵画が印象に残っているのではないでしょうか。そのはんなりとした美しさから京都と夢二の作品はとても相性が良いように思います。嵐山の渡月橋から西へ徒歩約2分の福田美術館で、竹久夢二が2024年に生誕140年、没後90年を迎えることを記念した回顧展が行われています。優しい色合いと少女漫画の源流とも言える夢二式美人の絵画が子どもの頃から大好きだった私は、さっそくその世界を堪能しに出かけました。

 

福田美術館の場所

https://g.page/fukudaartmuseum?share

 

 

福田美術館の行き方

JR山陰本線(嵯峨野線

  「嵯峨嵐山駅」下車 徒歩12分

阪急嵐山線

  「嵐山駅」下車 徒歩11分

嵐電京福電気鉄道

   「嵐山駅」下車 徒歩4分

 

京福電鉄嵐山駅から福田美術館への行き方は以下でご紹介しています。

www.yomurashamrock.me

 

福田美術館は嵐山の渡月橋から西へ200m弱、徒歩3分ほどです。

周囲の景観に溶け込む京町屋のエッセンスを踏まえつつモダンなデザインの外観です。

 

さっそく入って行きましょう。

 

 

竹久夢二のすべて 画家は詩人でデザイナー」展

福田美術館が所蔵する夢二の作品は、夢二と直接親交があった故・河村幸次郎氏(下関市立美術館名誉館長)が収集した「旧河村コレクション」と呼ばれるものです。

誰にも師事せず、独力で人気画家の地位を築いた夢二ですが、その人生は必ずしも順風満帆ではありませんでした。本展はそんな夢二の人生をたどりながら、一世を風靡した美人画の数々に加え、雑誌の挿絵、楽譜の表紙デザイン、本の装丁や俳句・作詞にいたるまで、多彩な才能を発揮したマルチクリエイターとしての夢二の魅力が詰まった作品を鑑賞出来ます。(2023年10月9日まで開催)

階段を上がり二階のGALLERY1へ向かいます。

 

夢二式美人の魅力

夢二が描く女性像に憧れ、似たような装いをする女性も出現したと言われる「夢二式美人」は、年齢も職業も様々ながら、色白、小顔、八頭身で愁いを帯びた大きな瞳が印象的で、今見てもとても魅力的です。おそらく夢二好みの女性たちなのでしょう。夢二のやわらかな筆さばきは、彼女たちのありのままの魅力を描き出しました。このGALLERRY1に入ると、夢二好みの美人に囲まれている気分になります。

 

「青い衣の女」(右)は白い馬が描かれた火鉢(灰を入れて炭を起こし、抱えて伝わる熱で暖を取るもの)の赤い色と、手を組んで寄りかかる女性の着物の緑色の対比が美しく、小首を傾げて微笑む様子が、この絵を描いている夢二への親しみと媚を感じさせます。

「鴨東舞姫」(左)は「鴨東」とは鴨川の東つまり祇園を指します。緋色の着物に牡丹模様の紺地の帯が美しい祇園の舞妓の、左肩越しに振り返るしぐさは当時夢二が好んで繰り返し描いた姿。舞の途中なのか、出番を待っているのか、少し固い表情に花街で生きる女性の凛とした佇まいが感じられます。

 

 

「爪切り」は、肌襦袢姿で爪を切る女性がふと物思いにふける場面を描いています。

普通なら人に見せる姿ではないものを夢二には見せている、そんな二人の親密な関係が伺えます。絵の上には「過去のことを人に知られてはいけない。寄り添わないのがこの世の常」という意味深な言葉が添えられています。

夢二は恋多き人としても有名なので、この絵にはどんな背景があったのか気になりますね。

 

夢二の愛した女性たち

恋多き画家として知られる夢二には、その妻や恋人として有名な女性が三人います。それが岸たまき、笠井彦乃、お葉です。

一人目は夢二式美人の基礎となったと言われ、唯一妻として籍を入れた妻・岸たまき。

「木によれる女」は岸たまきに似た面持ちの女性が木のそばに佇む姿を描いています。愁いを含んだ大きな瞳を持つ夢二式美人の原点が見られる作品だそうです。

しとやかな女性のように見えますが、たまきは夢二の二歳年上で、現実的な考え方の持ち主。夢見がちな夢二とは喧嘩が絶えず結婚二年後には離婚しています。しかし、その後も二人の縁は続き、同居と別居を繰り返しながら結婚期間中も含め三人の子を授かります。

 

 

 

二人目は笠井彦乃です。夢二にとって彦乃は最愛の忘れられない恋人でした。日本橋で雑貨店を構えていた夢二と恋に落ちますが、親の反対で結婚できないまま、25歳の若さで病死してしまいます。彦乃に先立たれた夢二の落胆は大きく、「自分も死んでしまった」と考えていたといいます。

夢二が彦乃の死を受けて描いたのが『青春賦』です。ルオーやムンクを思わせる油彩画は、一見夢二の絵とはわからない異色作。描かれた男性は夢二、女性は彦乃と言われており、間には植物のように土から生える手が描かれています。夢二にとって手は美を象徴する部位。また夢二は常に聖書を持ち歩くほどの敬虔なクリスチャンでもあり、キリスト教でも手は祈りを示すモチーフとされていることから、その意味もあったようです。

 

 

彦乃との別れに落胆した夢二を心配した友人たちが、絵のモデルとして紹介したのがお葉です。夢二がお葉に出した情熱的なラブレターが展示されていました。しかし、この時お葉はまだ15,16歳、夢二は20歳も年上でした。お葉はその後夢二の専属モデル兼パートナーとして関係をつづけましたが、彦乃を忘れられない夢二の様子に苦しみ、別れを選択することになりました。死後、こんな風にラブレターをみんなの前で展示されるとは、夢二もお葉も想像していなかったでしょうね…

 

夢二は様々な女性遍歴を通して、夢二式美人創作のインスピレーションも得ていたのでしょうか。女性にだらしないというイメージもある夢二ですが、その一方でとても繊細な心の持ち主でもあり、多くの女性を傷つけたことを悔やむ気持ちもあったようです。実際、三十代のころには、京都の教会で罪を懺悔したというエピソードも残っているとか。夢二式美人の愁いに満ちた瞳には、そんな夢二の心が反映されているのかもしれません。

 

憧れと現実 ~絵でたどる夢二の人生

続いてGALLAERY2へ。こちらの目玉となる展示の一つは、壁一面にずらりと並んだ代表作『長崎十二景』『女十題』です。

 

『長崎十二景』は、異国情緒あふれる長崎の街並みや風俗と共に様々な女性が描かれています。どれもいにしえの古き良き長崎を思わせる映画のような作品です。

眼鏡橋」は、日本初のアーチ型石橋で、川面に映る姿がメガネに見えることからその名が広まった長崎の名所の一つ。こちらを振り向く紗の薄い単衣を身につけた女性を、やや上から見下ろす構図は、隣を歩く夢二の視線を共有しているかのようです。

 

 

「青い酒」は、紫の着物に、黒の帯を締めたモダンな女性が、青い酒「キュラソー(オレンジのリキュール)」を嗜む様子を描いています。女性の着物の色合いや大きなタンポポの柄、テーブルクロスの木の葉の柄、奥に描かれた灯りも異国情緒たっぷりで今見てもとてもおしゃれ。夢二のセンスの良さを感じます。

 

 

『女十題』は夢二式美人の集大成ともいえる作品で、その名の通り情緒豊かな様々な表情の女性が十人並んでいます。描かれた女性たちはそれぞれ個性的で、どんな人なのかその背景も知りたくなってきます。

「朝の光へ」は、頬杖をつき、ぼうっと遠くを見つめる女性。朝日が差し込む窓際で、どんな物思いにふけっているのでしょうか。ウエーブをかけた髪で耳を隠すようにまとめる「耳隠し」や、垂れ下がるように引く細い眉の形は、大正時代に洋装のトレンドを取り入れた「モダンガール」が好んだ装いだそうです。葡萄のような髪飾りも素敵ですし、黒い着物に赤い帯の色合わせもおしゃれですよね。

 

 

「逢状(おうじょう)」は、真っ赤な長襦袢を着て、懐手をした遊女が巻紙を手に「あら」という表情で微笑む様子を描いています。どんな手紙なのか、遊女と手紙の主との関係は…?と色々想像が膨らみますね。「逢状」とは貸席から芸妓へ、なじみの客が来たことを知らせるための手紙。お座敷の日常を、足しげく通った夢二ならではの観察眼を活かして表現しています。




旅好きだった夢二は日本各地を訪れ、各地で取材を行う傍ら、現地で展覧会も開催していました。晩年はハワイやアメリカ、ヨーロッパなども旅しています。夢二が生涯に訪れた場所や作品のモチーフとなった町をまとめたパネルも展示されています。

京都も夢二が好きだった町で、一時は別荘を構えていたそうです。

 

小説も書く挿絵画家

文才にも恵まれていた夢二は、詩や俳句に加え小説も手掛けていました。雑誌の短編小説や、新聞の連載小説を執筆し、多くの挿絵を残しています。

 

「秘薬紫雪」は、新聞に連載された小説で、若くして亡くなった女性を薬で生き返らせてもう一度恋人になろうとする物語。女性のモデルは夢二の最愛の人・彦乃で、彼女を喪った実体験が多いに反映されていると言われています。この絵に描かれた舞妓は小説には登場しないそうです。物語の背景となった日本海の湿気を含んだ重みのある雪が降りしきる金沢の夜を思わせるほの暗い中に、夢二特有の儚げで哀感の漂う女性が幻想的に浮かび上がっていて、ドラマチックな物語の雰囲気を伝えているようです。

 

 

夢二と音楽

夢二は音楽への造詣も深く、楽譜の表紙を数多くデザインしました。「中山晋平作曲全集」や「セノオ楽譜」の表紙のデザインは今見てもカラフルで印象的です。

こんなおしゃれな表紙の楽譜があったら、眺めているだけでも楽しくて、練習にも気合が入りそうですね。

中山晋平曲「童謡小曲」第15集 原画

 

セノオ楽譜表紙原画(No.333,460)

 

デザイナー夢二 ~「カワイイ」の元祖

大正3年(1914)夢二は自らデザインした日用雑貨を販売する「港屋絵草紙店」を立ち上げ、店は若い女性客を中心に連日賑わっていたそうです。少女雑誌の表紙原画や千代紙、封筒や便箋、装丁本などが展示されていました。現代の私たちも大好きな「カワイイ」デザインの元祖とも呼べる作品たちです。

 

「春娘図」は7羽の蝶が舞い、タンポポが咲き乱れる草原に座る、あどけない少女が描かれています。緑の草原に水玉模様のピンクのドレス、花モチーフで飾られた麦わら帽子におさげにつけた青いリボン、どれも女心をくすぐる「カワイイ」が満載で、見る人をハッピーな気持ちにさせる作品ですね。

 

 

「初春」は『婦人グラフ』の1926年1月号の表紙を飾ったもの。新春にふさわしい着物の梅模様や背景の梅がとても華やかでカワイイですね。国内外の最先端のファッションやニュースを紹介した「婦人グラフ」は色刷りの木版画やカラー写真を貼り込むという贅沢な紙面で話題を呼びました。夢二はこの雑誌に表紙絵や挿絵、更には小説も提供しており、彼の描くモダンなファッションの女性は、当時の女性から絶大な人気を得ていたそうです。こんな雑誌が売っていたら、今でも買いに行きたいなあ!

 

千代紙のデザインも夢二が手掛けるとこんなにおしゃれです。当時としては斬新すぎたそうですが、こんなおしゃれな千代紙があったら、何に使おうか考えるだけでも楽しくなりますし、かわいすぎてもったいないので、結局はずっと大事にしまっておきそうな気もします。

右「藤の花」 中「マッチ棒」 左「十字架や花の散らし絵」

 

夢二のまなざし

最後は3階奥にあるPANORAMA GALLERRY3です。

このギャラリーでは、夢二の貴重なスケッチ画を展示。独学で絵の道に進んだ夢二にとって、作画の基本となったのはスケッチでした。常にスケッチブックを手に携え、メモ代わりに筆を走らせていたそうです。夢二は何を見て、何にインスピレーションを受けたのか。豊かな創作意欲の源泉をスケッチから追体験できます。

 

美術館でスケッチ画が展示されていると「あ~スケッチ画か。下書きみたいなものよね」とあまりしっかり見ずに通り過ぎそうですが、こちらでの展示は美しい紫色のパネルの中にスケッチ画が納められていて、絵にとても集中できる仕掛けがありました。

サラッと筆を走らせただけの作品でも、夢二が何に関心を寄せたのかうかがい知ることが出来る興味深い作品の数々でした。

右「芸妓」 左「読書」

 

 

 

館内には夢二に関する書籍や、夢二の作品をモチーフにした文房具やアクセサリー、雑貨などの関連グッズも販売されていました。どれも夢二の世界観のエッセンスが詰まった魅力的なグッズでした。

 

竹久夢二というと、愁いを帯びた夢二式美人をイメージする方が大半かと思いますが、それ以外にも可愛らしい子どもを描いた童画やカラフルでグラフィカルなデザインの表紙絵や文具、小説の挿絵など、本当に多方面で才能を発揮したマルチクリエイターであることがよくわかる美術展でした。大正時代から100年を経た現在でも色あせることなく人を惹きつける、夢二のすぐれたセンスを多いに感じられることでしょう。また、日本国内だけでなく外国も旅しながらの恋多き人生も、創作の糧となり、夢二式美人に大きな影響を与えたことを追体験できる興味深い展示の数々でした。

 

今回は写真を撮りませんでしたが、福田美術館の来館者のみ入店が可能なカフェもあり、そちらからの渡月橋の眺めは他では見られない絶景です。

福田美術館では、竹久夢二展の後にも素晴らしい日本画の特別展が次々予定されていますので、嵯峨嵐山観光の目的地の一つに加えてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

嵯峨嵐山周辺にはたくさんのおすすめスポットがあります。

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ハッピーカレー ~嵯峨嵐山近くの隠れ家的スパイスカレー屋さん

コロナ禍の制限が無くなった嵯峨嵐山はオーバーツーリズム気味の賑わいです。そんな中でもちょっと足を伸ばせば、観光地の喧騒が嘘のように静かな住宅街の中にある素敵なスパイスカレー屋さんがあります。今回は心もお腹も大満足の「ハッピーカレー」をご紹介します。

 

 

 

ハッピーカレーの場所

goo.gl

 

ハッピーカレーの行き方

電車で

 JR嵯峨野線嵯峨嵐山駅」から東へ徒歩約12分

 京福電鉄車折神社駅」から北東へ徒歩約8分

 京福電鉄有栖川駅」から北西へ徒歩約9分

 

バスで

 京都市バス11、91、93系統「広沢御所ノ内町」から南東へ徒歩約4分

 

今回のスタートは、京福電鉄車折神社駅」。観光客で賑わう嵐山駅より四条大宮方面へ3駅目です。

電車から降りたら、車折神社がある方の、線路の南側の道へ出ます。

 

 

車折神社の前の線路沿いの道を車折神社を右手に見て東へ進みます。

 

東へ向いたところです。

 

線路沿いの住宅街の道です。この道を300mほど進みます。

 

300mほど進むと北(左手)に京福電車の踏み切りがあるので渡り、有栖川沿いの道を北へ進みます。

 

200mほど北へ進むとJRの踏切があるので渡り、更に北へ進みます。

 

200mほど進むと有栖川の向こうに青いお家が見えます。もうすぐです。

 

青いお家が見えて更に20mほど進むと橋があるので渡ります。

 

橋を渡って南(右)を向いたら、ハッピーカレーに到着です。

住宅街に突如現れる青い壁と「ハッピーカレー」のネオンが可愛いカフェのような外観です。

 

住宅街の中の癒しのカレー屋さん

開店はコロナ禍真っただ中の2021年。近くをしょっちゅう通りかかる私は、こんな時期に開店して大丈夫?と他人事ながら心配していたのですが(余計なお世話ですね(笑))大変な時期も乗り越え、二年経った現在も順調に営業されています。公式インスタによると、元は出町柳で間借りカレーをされていたんだそう。すでにファンが沢山いたんでしょうね!

 

お店の前に来ると、すでにスパイスのいい香りが…お腹が空いてきました!

ではさっそく入っていきましょう。

店内は随所にサボテンなどの観葉植物や雑貨が配置され、こじんまりしていますが、とっても落ち着く雰囲気です。テーブル席2つとカウンター席が2か所で合計10席ほどでしょうか。

 

オリジナルスパイスや店主さん手作りのレザー小物なども販売されています。

店主さんは笑顔が素敵な好青年でしたよ。

 

入口の外には椅子とテーブルもおいてあります。席数が少ないので、満席の時は外で待つスタイル。でもカレーなので、わりと回転は早いです。

 

本格スパイスカレーで心もお腹も大満足

さっそくメニューを拝見。主なメニューは3種類。①チキンティッカマサラ ②豚バラ角煮ビンダルー ③月替わりカレー(8月は牛タンの赤ワインカレー)

上記三種類に加えて、時々試作やスポットで手に入った食材で少量だけ作られる⑦気まぐれカレー も、月に2~3回ほど登場することもあるそう。

ハッピーカレーのスパイスカレーはたっぷりのトマトと玉ねぎをベースに、それぞれオリジナルの配合のスパイスで作っているそう。どなたでも食べやすいカレーを目指しているので、全て辛さは控えめ。辛さは卓上のホットスパイスで調整できます。

そんなハッピーカレーのおすすめは、定番2種のカレーと月替わりカレーなど三種が一度に味わえる「三種あいがけカレー」(1400円)で私もこれをチョイス。

 

それから、トッピングに「ラムの無水カレー」というのがあるのですが(通常はプラス200円)、この日は「インスタを見た」って言うとこれを無料でプレゼントしていただけるという情報を得ていたので、もちろんプラスしてもらいました!

という訳で、この日の私がオーダーした三種のあいがけカレーはこちら↓

写真奥の黄色っぽいカレーから時計回りに①チキンティッカマサラ ②豚バラ角煮ビンダルー きゅうりのピクルスなどを挟んで写真左が③月替わりカレー(牛タンの赤ワインカレー)、そして真ん中の雑穀米の上にこんもりトッピングしてあるのが無水ラムカレーです。

 

気になる3種のカレーのお味はというと、①のチキンは柔らかく、ナッツでコクとマイルドさが加わって、優しい味です。②の豚の角煮は繊維がホロホロとほどけるほど柔らかでスターアニスの甘くて独特の香りもしっかり効いていました。カレーのルーには豚のうま味がぎゅっと詰まっていました。③の分厚い牛タンは味がしっかりしていて、赤ワインとデミグラスソースの濃厚な香りがあとを引く美味しさ!そしてトッピングの無水ラムカレーも豚と同じく繊維がほどけるほどホロホロに煮込まれて、ラムの臭みは全然なくうま味だけが凝縮されている感じ。4種のお肉それぞれの美味しさがはっきりわかり、どれもボリューミーで食べ応え抜群です。

 

スパイスカレーというと辛そうですが、もしかしたらお子さんでも食べられるかも、と思うぐらい辛さは控えめです。市販のカレールウの中辛ぐらいの感じでしょうか。でも、スパイスはしっかり効いているので、食べた後の口に残った香りがスパイシーで、やっぱり本格スパイスカレーだな~と思いました。

 

添えられたきゅうりのピクルスやキャロットラペ、焼きナス(だったかな~?)などもカレーと一緒に食べると良いアクセントになり、次の一口がまた美味しくなります。そしてハッピーカレー特製?のメンマは大振りにカットされていてガツンとしたうま味たっぷりで、意外にもカレーに合います。真ん中の雑穀米はパラリと固めに仕上がっていて、カレーにぴったり。ランチにはワンドリンク(アイスコーヒー、ホットコーヒー、ウーロン茶、オレンジジュース)がついています。ハッピーカレー特製の独自のスパイスを配合したクラフトコーラなどもあります(クラフトコーラ、ジンジャーエールなど+200円)。

 

カレーでだいぶ満腹だったのですが、ハッピーカレーの名物となっている「純喫茶プリン」もずっと気になっていたので、この際、ということでオーダーしました。

 

ふんわりとしたホイップクリームとシロップ漬けのチェリー、ミントも載った昭和感漂うビジュアルの、固めで懐かしい味のプリンです。

 

甘さ控えめのプリンに程よい苦みのカラメルソースがからんで、とっても美味しいプリンでした。見た目はそんなに大きくないのですが、しっかり固めの食感のおかげか、こちらも食べ応えがありました。カレーとプリンでお腹がはち切れそう!大満足のランチでした。

 

二階の個室でゆったりくつろぐのも楽しそう

今年2月からは2階に予約制で1日一組限定の個室が出来ました。定員は2名~5名ぐらいまで。女子会やお子さん連れのグループも時間を気にせずゆっくりおしゃべりできそうです

1階は座席数が限られているので、満席だと店外で待つことになります。「行ってみたいけど遠いし、わざわざ行って座れなかったらキツイしな~」と思っていた方も、予約制なら行きやすいですね。

 

ハッピーカレーでは月替わりカレーが次々に登場、プリンやスパイスジェラート、冬にはアールグレイガトーショコラなどのスイーツも充実しているようです。色々な味のカレーや手作りスイーツも食べてみたいので、次は予約して、友人と一緒に2階の個室でゆっくりとカレーやスイーツを食べながらおしゃべりしたいな、と思いました。

嵯峨嵐山からは徒歩20~30分ほど。気候が良ければ、のんびりお散歩しながら伺うのにちょうど良い距離かもしれません。こじんまりしたお店なので、すぐ満席になってしまい、本当はあまり知られたくない隠れ家的なお店ですが、やっぱり沢山の方に訪れていただきたいお店です。

テイクアウトやUberEatsにも対応されており、公式Instagramから予約もできますので、是非ハッピーカレーの美味しさを味わってみてください。

 

 

 

嵯峨嵐山周辺にはたくさんのおすすめスポットがあります。

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neige 喫茶とおやつ ~嵐山近くの癒しの穴場カフェ

いつも観光客で賑わう嵐山の渡月橋から北へ徒歩約10分弱。住宅街の中にあるおしゃれなカフェ「neige(ネージュ)喫茶とおやつ」は、インスタで見つけてずっと行きたかったお店でした。不定期営業のためか、なぜか私が行くとお休みのことが多くなかなか行けなかったのですが、先日ようやく念願かなって訪れることが出来ました。期待通りのおしゃれな店内と美味しいおやつ、そして素敵な店主さんが迎えてくださる癒しのカフェでした。

 

 

neige喫茶とおやつの場所

goo.gl

 

neige喫茶とおやつの行き方

電車で

 京福電鉄「嵐山駅」から北へ徒歩約8分

 JR嵯峨野線嵯峨嵐山駅」から北西へ徒歩約8分

 

バスで

 京都市バス11、28、93系統「嵯峨小学校前」下車徒歩1分

 

 

今回のスタートは京福電鉄「嵐山駅」です。

 

駅を出たら嵐山のメインストリート「長辻通」を北(右)へ向かいます。

 

嵐山のランドマーク天龍寺の前も通り過ぎ、更に北へ向かいます。

 

天龍寺から北へ約400mほど進むとJR嵯峨野線の踏切があるので更に北へ進みます。

 

250mほど北へ進むと丸太町通に出ます。右斜め前に見えている木に囲まれているところが嵯峨小学校です。

交差点を西(左)へ曲がります。

 

西(左)へ曲がったところです。そのまま西へ進みます。

 

道の北側にお店があります。新築のおしゃれなお家で、駐車場もあります。

 

neige 喫茶とおやつとは

neige(ネージュ)は2018年3月にオープンされました。季節の果物を使った自家製おやつやドリンク、嵯峨で焙煎されているサルーコーヒーも提供されています。地域の方にとって普段使いできる身近な存在のカフェを目指しているそう。店名のneigeの意味をお聞きしたところ、neigeはフランス語で雪という意味で、店主さんのお名前が「ゆき」さんなのと響きが良いから、とのことです。

 

さっそく入ってみると、期待通りの雑貨屋さんのようなおしゃれな店内です。ドライフラワーや生花、雑貨などセンスよく飾ってありました。

店内のMGMはボサノバがかかっていて、お店の雰囲気にぴったり。店主さんは白いコットンのロングワンピースがお似合いの気さくで素敵な方でした。

店内はカウンター席、四人席、二人席など全部で10席ほど。

 

 

今回オーダーしたのは、去年インスタで見つけてずっと食べたかった桃のパフェです。

今年の夏に入って「まだかな~?」とチェックし続け、ついにその季節がやって来ました。

ちょっとピントがぼけていてすいません。てっぺんには大きな桃がどーんと一個まるごと載っていて大迫力!ホイップクリームにかかったジャムも桃味です。

中にもゴロゴロと大きめにカットされた桃やアイスクリーム、紅茶のゼリー、ヨーグルトなどがぎっしり。そのほか、ふんわりして美味しい一口大の焼き菓子は何だろう?と思い、店主さんに伺うと、シフォンケーキとのこと。何と贅沢~❤お店のイメージキャラクター(?)ネコをかたどったバジル味のクッキーとサクランボも添えられて、最後まで飽きずに食べられます。写真だとあまり大きそうに見えませんが、全部食べたらお腹がはちきれそうなボリュームで大満足!メインの桃もちょうど食べごろの柔らかすぎず硬すぎない美味しい桃でした。

 

店内におしゃれにディスプレイされた雑貨は、素敵な手作りアクセサリーの他にneigeのマフィンやパフェのイラストがデザインされたレターセットやコースター、フレークシールなどもありました。これはneigeのお客さんがインスタの写真を見ながら忠実に再現したイラストをもとに、お客さんご自身がどんどんグッズを作って下さったそう。一つ一つ見ているとどれも本当に美味しそうで、また色々食べてみたくなります。

 

 

この日は私一人でお邪魔しましたが、店内には若い女性二人組や、おそらく地元の常連さんと思われるママ友グループ、私のように「インスタで見てパフェが食べたい」とおっしゃる年配の男性(!)、観光客の外国人の方がふらりと訪れたり(満席のため入れず帰られましたが…)どんな人でも受け入れてくれる親しみやすい雰囲気がneigeにはあるようです。



地元の方も、観光客の方も美味しいスイーツや料理でほっこり癒され笑顔になるneigeは、「おしゃれな雑貨が似合うこんなお家で、美味しいスイーツを食べたい!」という私の憧れのイメージをすべて実現したような、本当に素敵なお店でした。季節のフルーツを使ったマフィンやトースト、サンドウィッチなどもあるので、今度は友人と一緒にゆっくりおじゃましたいと思いました。こじんまりしたお店ですぐに満席になってしまうので、本当はあまり人に教えたくないのですが、やっぱりたくさんの人にお勧めしたい、そんな気持ちになるお店です。嵯峨嵐山観光のついでに立ち寄ってみてはいかがでしょうか。不定期営業なので、訪れる際はインスタでチェックしてくださいね。

 

嵯峨嵐山周辺にはたくさんのおすすめスポットがあります。

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マリー・ローランサンとモード展② ~自由と新たな「女性性」を求めた二人の女性の軌跡

夢見るような淡い薔薇色と灰色、陶器のような白など幻想的な色彩に彩られ、抒情的でうっすらとした哀しみをたたえた瞳を持つスラリとした女性の肖像。これがマリー・ローランサンの絵画の代表的なイメージです。

小学生だった頃、デパートで開催されたマリー・ローランサンの展覧会のポスターを一目見て、彼女の絵の幻想的な美しさにノックアウトされた私。「これを見に行きたい!」と親にねだり、初めて自分の意志で展覧会を見に連れて行ってもらったのを今でも鮮明に覚えています。そして、その大好きなマリー・ローランサンが久しぶりに京都で見られるということで、会期も終了間際の6月初旬に出かけてきました。

 

(この展覧会は2023年6月11日で会期を終了しています)

 

 

京都市京セラ美術館の場所

goo.gl

 

京都市京セラ美術館の行き方

●電車で

地下鉄東西線東山駅」より徒歩約8分

京阪「三条駅」・地下鉄東西線三条京阪駅」より徒歩約16分

 

●市バスで「岡崎公園 美術館・平安神宮前」下車すぐ

 

JR・近鉄・地下鉄「京都駅」から約35分

5系統(A1のりば)、86系統(D2のりば)

 

阪急「京都河原町駅」から約17分

46系統(Eのりば)、5系統(Hのりば)

 

京阪「三条駅」から約8分

5系統(Dのりば)

 

今回のスタートは京都市京セラ美術館です。

平安神宮を中心に有名な神社仏閣や美術館、動物園など文化施設も集まる岡崎エリアにある「京都市京セラ美術館」への行き方は以下をご参照ください。

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マリー・ローランサンとモード展

二つの世界大戦に挟まれた1920年代のパリ。それは様々な才能がジャンルを超えて交錯した、奇跡のような空間でした。ともに1883年に生まれたマリー・ローランサンとココ・シャネルの二人は、大戦後の自由な時代を生きる女性たちの代表ともいえる存在でした。

マリー・ローランサンとモード展」は美術とファッションの境界を交差するように生きた二人の活躍を軸に、ポール・ポワレジャン・コクトーマン・レイ、マドレーヌ・ヴィオネなど、モダンとクラシックが絶妙に融合する両大戦間パリの芸術界を俯瞰する展覧会です。

今回は嬉しいことにいくつかの絵画は撮影OKでした。それらを中心にご紹介します。

 

 

Ⅰ レザネ・フォル(狂騒の時代)のパリ

1920年代パリ ― それは戦争の惨禍を忘れるかのように、生きる喜びを謳歌した「狂騒の時代(レザネ・フォル)」。 この熱気渦巻くパリに、奇しくも1883年という同じ年に生まれた、マリー・ローランサンとココ・シャネルは、美術とファッションと いう異なる分野に身を置きながら、互いに独自のスタイルを貫き、まさに1920年代のパリを象徴する存在でした。社交界に属する優美な女性たちの「女性性(フェミニティ)」を引き出す独特な色彩の肖像画で、瞬く間に人気画家に駆け上がったローランサン。一方、シャネルの服をまといマン・レイに撮影されることはひとつのステータス・シンボルとなっていきました。本章では、ローランサン肖像画マン・レイの写真などから1920年代の社交界を見ていきます。

 

1924年6月、41歳の自画像。パリ社交界で人気の肖像画家となった頃の作品で、この時期の作風を特徴づける淡い色彩で構成されています。憂いを湛えつつも落ち着きや自信も感じられる表情が印象的です。白い花の髪飾りとうっすらと肌が透けて見えるふくらんだ袖のついた薔薇色の服とのコーディネートが、今見てもおしゃれだな…と思いました。

わたしの肖像 1924年

 

 

 

当時パリの社交界では、ローランサン肖像画を依頼することが流行となっていました。ココ・シャネルも自身の成功の証にローランサン肖像画を依頼しましたが、当時のシャネルのイメージとはあまりにもかけ離れたこの夢見る女神のような肖像画にシャネルは満足せず描き直しを要求。しかしローランサンも譲歩しなかったため、シャネルはこの絵を受け取りませんでした。ファッションを通して女性を解放し、自らも先頭に立って新しい世界を切り拓いていたシャネルにとって、この絵は受け入れがたいものだったのでしょう。ただ、ローランサン肖像画を描いてもらえば、ほぼ100%こんな感じの絵になるのはシャネルにも予想できたはず。それなのに何故わざわざローランサンに依頼したのか、シャネルの意図も気になります。

マドモアゼル・シャネルの肖像 1923年

 

Ⅱ 越境するアート

1920年代のパリでは「越境」が1つのキーワードとなります。1つ目の越境は「国境を越える」こと。ピカソマン・レイ藤田嗣治など、世界中の若者がパリでその才能を開花。そして2つめの越境は、「ジャンルを越える」こと。美術、音楽、文学、そしてファッションなど、別々の表現が、新たな総合的芸術を生み出すために、垣根を越えて手を取り合いました。その代表がロシア・バレエ団「バレエ・リュス」です。フランスを中心に活躍したこのバレエ団は、「越境」の持つふたつの意味を体現する存在でした。ローランサンとシャネルも、このバレエ団に参加することで表現の幅を広げ、新たな人脈を形成しました。

 

サーカスにて 1913年頃

 

 

バンジョーを弾く人物と、その音楽に合わせて踊る二人の女性。風にひるがえるスカートの裾が蛇腹のように表現され、ダンスの躍動感が伝わってきます。ブラックやピカソの影響を受けたキュビズム的な手法を取り入れつつ、繊細で優美な女性性が際立つ世界観を作り上げています。

本作は1913年のアンデパンダン展に出品され高い評価を得た、ローランサンの代表作の一つです。「アンデパンダン展」とは、1884年にパリで初めて開催された無審査・無償・自由出品を原則とする美術展で、諸派の垣根を越えたアーティスト達によって行われました。まさに「越境」をコンセプトにした美術展なのですね。

優雅な舞踏会あるいは田舎での舞踊 1913年

 

 

 

ローランサンの絵画は、優美な女性性を特徴としていますが、描かれている女性達はほっそりと平面的な体つきで、長い髪やドレスや帽子によって女性と認識されるものの、男性から注がれる性的な視点が抜け落ちた、むしろ中性的な存在に見えます。これも男女の性別を「越境」した存在と言えるかもしれません。それでもなお、なお「女性的」と形容するしかない優美さ、繊細さは、ローランサンだけが描ける美しさであり、世界中で愛されている理由なのかもしれません。

一方、同じ年に生まれたシャネルは、男性服のアイディアを取り込みながら、シンプルで機能的なファッションを創造しましたが、それまでの表面的な装飾を取り払うことで、むしろ本質的な女性の美しさを際立たせたとも言えます。実際、シャネルのシンプルで着心地の良い服は、現代の私たちが見てもとても女性らしいと感じます。

ローランサンとシャネル、二人は表現の仕方は違うものの、どちらも異性や伝統から見たいわゆる「女性らしさ」を脱し、女性自らの立場に寄り添いながら、新たな女性の美を創造したという点では、同じ方向を向いていたように感じます。それは、二人が生きた時代が生み出した大きな流れによるものだったのかもしれません。

 

 

Ⅲ モダンガールの登場

1920年代、新しい女性たち、モダンガールが登場します。第一次世界大戦を契機にした女性の社会進出、都市に花開いた大衆文化、消費文化を背景に、短髪のヘアスタイル、膝下のスカート丈、ストレートなシルエットのドレスをまとった女性が街を闊歩。1910年代にはコルセットを外したスタイルが提案され、賛否両論を巻き起こし、さらに活動的、実用的なココ・シャネルのリトル・ブラック・ドレスが時代を代表するスタイルとなりました。

この時期、ファッション雑誌は写真に可能性を見いだし、マン・レイら気鋭の写真家を起用して、斬新な表現や躍動感ある女性像を提示しました。モダンガールもまた時代の息吹を吸って、どんどん変化していったのです。

 

日よけ帽をかぶって立つ女 1912年

 

 

シャネルは最初、帽子デザイナーとしてキャリアをスタートさせています。当時、帽子はファッションを完成させる重要アイテムでした。その頃の女性はコルセットで腹部を締めてS字カーブの体型を作り、装飾の多いドレスを着て、羽根などで仰々しく飾った帽子が普通でした。一方、シャネルは装飾を抑えたシンプルな帽子を作って自ら身につけ、その新鮮な感覚が周囲から高く評価されました。その後帽子店で成功を治めたシャネルは革新的なビーチスタイルを提案する服飾デザインに乗り出します。

 

一方、シャネルに肖像画の受け取りを拒否され、シャネルとの関係はぎくしゃくしていたローランサンですが、シャネルの帽子店にはその後も足しげく通っていたそうです。

そして、彼女の描く女性たちも様々な色や形の帽子が重要な役割を果たしています。今見ても、斬新なデザインの帽子がおしゃれのポイントになっているな…と感心します。

帽子を被った自画像 1927年

 

 

 

エピローグ:蘇るモード

シャネルのデザイナーを務めたカール・ラガーフェルドが2011年の春夏 オートクチュール コレクションで発表したデザインは、ピンク、光沢のあるグレー、全体を引き締めるかすかな黒、といったドレスの色使いにローランサンの絵画の世界を彷彿とさせました。ローランサンの色使いから着想を得たそうです。機能的でシンプルかつモダンなシャネルの世界観と、装飾的で華やか、そしてクラシカルなローランサンの絵画の世界観、ともに1920年代のパリを象徴する存在でありながら、互いに距離を置いていた二人が、百年近い時を経て新たなモードの中で見事に融合したのです。

 

カール・ラガーフェルド、シャネル

ピンクとグレーの刺繍が施されたロング・ドレス

2011年春夏オートクチュール コレクションより 

 

京都市京セラ美術館では、ラガーフェルドのデザインしたローランサンを彷彿とさせる優美なドレスの展示と合わせて、壁面の大きなスクリーンで2011年春夏コレクションの様子が映像でも紹介されていました。ピンクや淡いグレーのグラデーションで彩られた幻想的で華やかな服に身を包んだモデルたちの足下はフラットシューズで、飛び跳ねるようなウォークはどこまでも軽やか。それはローランサンの描く妖精のような女性達のイメージにぴったりでした。ローランサンもシャネルもとうにその一生を終えていますが、ファッションの中で二人は融合し、さらなる進化を遂げたことを目撃できたのは、とてもワクワクする瞬間でした。

 

ローランサンの絵画は抽象的でありながらも、その色彩の美しさや抒情性からか、日本人にはとても人気があるようです。ふんわりとした感じは「いわさきちひろ」や「竹久夢二」の世界観とも通じる気がします。子どもの頃の私はピカソやブラックの絵画はちょっとハードルが高く感じましたが、ローランサンの絵画を入口にキュビズムを始めとする抽象画にも親しめるようになりました。

絵画鑑賞が大好きになった原点であるローランサンの絵画と久しぶりに再会でき、彼女の生涯をより深く知ることができた本展に心から感謝したいと思います。

 

 

京都市京セラ美術館のある岡崎エリアには平安神宮があります。

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マリー・ローランサンとモード展 ①京都市京セラ美術館へ 



小学生だった頃、デパートで開催されたマリー・ローランサンの展覧会のポスターを一目見て、彼女の絵の幻想的な美しさにノックアウトされた私。「これを見に行きたい!」と親にねだり、初めて自分の意志で展覧会を見に連れて行ってもらったのを今でも鮮明に覚えています。そして、その大好きなマリー・ローランサンが久しぶりに京都で見られるということで、会期も終了間際の6月初旬に出かけてきました。

 

今回はこの「マリー・ローランサンとモード展」の会場である「京都市京セラ美術館」への行き方をご紹介します。周辺の平安神宮を中心に有名な神社仏閣や美術館、動物園など文化施設も集まる岡崎エリアは、京都でも人気の観光スポットでもあります。

 

(この展覧会は2023年6月11日で会期を終了しています)

 

 

京都市京セラ美術館の場所

https://maps.app.goo.gl/cyAcz9dQErwvpTiz5

京都市京セラ美術館の行き方

●電車で

地下鉄東西線東山駅」より徒歩約8分

京阪「三条駅」・地下鉄東西線三条京阪駅」より徒歩約16分

 

●市バスで「岡崎公園 美術館・平安神宮前」下車すぐ

 

JR・近鉄・地下鉄「京都駅」から約35分

5系統(A1のりば)、86系統(D2のりば)

 

阪急「京都河原町駅」から約17分

46系統(Eのりば)、5系統(Hのりば)

 

京阪「三条駅」から約8分

5系統(Dのりば)

 

今回のスタートは地下鉄東西線東山駅」です。改札を出たら右へ向かいます。

 

右を向いたところです。このまま進みます。

 

出口1へ向かいます。

 

出口1から出たところです。三条通に出ますので東(左)へ向かいます。

 

三条通を東へ向いたところです。このまま250mほど進みます。

 

三条神宮道の交差点を北(左)へ曲がります。

 

 

神宮道を北へ向いたところです。写真左奥にチラっと見えているのが平安神宮の大鳥居です。

 

神宮道を250mほど北へ進むと仁王門通に出ます。平安神宮の大鳥居に向かって信号を渡ります。

 

仁王門通の信号を渡り、更に神宮道の信号を東(右)へ渡ります。大鳥居の右側の木の向こうに見えているのが京都市京セラ美術館です。

 

信号を渡り、北へ向かいます。道沿いに京都市京セラ美術館の案内板(?)があります。恐らく京都市京セラ美術館の前身京都市美術館の頃からあったと思われるレトロな外観ですね。

 

 

京都市京セラ美術館に到着です。

 

京都市京セラ美術館とは

京都市京セラ美術館は、1928年(昭和3年)に京都で挙行された即位の大礼を記念し、関西の財界や美術界、市民の寄付により「大礼記念京都美術館」として開館。鉄筋コンクリートの近代建築に和風の屋根をのせた特徴的な外観は、昭和初期に流行した和洋折衷の建築スタイルで、公立美術館として日本で現存する最も古い建築です。

上の写真を見ると「京都美術館」の文字の上にうっすら「大礼記念」の文字の跡が見えます。開館当時の姿を垣間見ることが出来ますね。

 

戦後、「京都市美術館」と名称を変更。京都画壇など京都ゆかりの作品コレクションを誇り、美術系大学の多い京都ならではの地元密着型展覧会も頻繁に開催。「ツタンカーメン展」や「ルーブル展」など新聞社主催の大規模展覧会は京都ではこの京都市美術館で開催されることが多いという印象でした。

 

2020年のリニューアルに伴い京セラが命名権を取得し、2020年3月の再オープンに先立ち、2019年から京都市京セラ美術館という呼称に変更されました。

 

こちらのメインエントランスは従来の正面玄関をそのままに、一段掘り下げたところに新たな玄関を作ることで、“京都市美術館”のイメージを壊すことなく、機能的なエントランスを実現させました。

 

入館すると、「マリー・ローランサンとモード展」と「コレクションルーム春期」の案内板が。

 

こちらの受付で観覧料を払います。

 

地下からこの大階段を上がって行きます。

 

今回はここまでです。

次回、本題の「マリー・ローランサンとモード展」の内容をご紹介します。

 

 

 

京都市京セラ美術館のある岡崎エリアには平安神宮があります。

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