京都おすすめ散歩道

定番から穴場まで京都のお散歩コースを地元民の視点からご紹介

KYOTO GRAPHIE 京都国際写真祭2023 ①Coco Capitan

KYOTO GRAPHIE 京都国際写真祭は、日本および海外の重要作品や貴重な写真コレクションを、趣のある歴史的建造物やモダンな近現代建築の空間に展開した 京都ならではの特徴ある写真祭。

第11回目を数えるKYOTO GRAPHIE 2023のテーマは「BORDER(境界線)」。ここ数年のコロナ禍で、世界中がこのBORDERを意識したのではないでしょうか。

さまざまな会場で行われているKYOTO GRAPIE 2023の展示の中から、祇園周辺の2つの展示をご紹介します。今回はそのうちの一つ目です。

(KYOTO GRAPHIE 2023は既に会期を終了しています。2023年4月15日~5月14日まで)

 

 

KYOTO GRAPHIE  京都国際写真祭とは

世界屈指の文化芸術都市・京都を舞台に開催する、日本では数少ない国際的な写真祭です。国内外の気鋭の写真家による展覧会を中心に、子どもから大人、アマチュアからプロ写真家までを対象とする様々なイベントや教育プログラムを開催。写真を通して建築や歴史など関連分野にも造詣を深めることができるよう毎年一つのテーマのもと、作品と会場の魅力を多彩な空間演出により表現しています。

 

2023年のテーマはBORDER(境界線)

写真:パンフレットより

「あらゆる生命体はさまざまな《BORDER=境界線》を持ちながら生きている。その境界線が個々の存在を形成しているともいえる。そしてそのほとんどは不可視なBORDERであり、それぞれが日々その境界線を守り・壊し・狭め・広げながら無常に生きている。あなたには自分のBORDERが見えているだろうか。KYOTOGRAPHIE 2023では、そのBORDERを少しだけ可視化してみたい。その境界線は、自分で作ったものなのか、他者によって作られたものなのか。それは守るべきものなのか、超えるべきものなのか。もしかしたら、自分の「思い」によって変えられるものなのかもしれない。2023年、KYOTOGRAPHIEでこの《BORDER=境界線》を巡る旅に出よう。」

(KYOTO GRAPHIE 2023公式サイトより)

 

コロナ禍により、世界中の人がBORDERを強く意識したこの数年。そしてコロナ禍が少し落ち着き、日常が戻りつつある2023年に、このBORDERに思いを馳せながら、今回の展示を鑑賞してみたいと思います。

 

 

今回紹介するのはCoco Capitan(ココ・カピタン)  at ASPHODELです。

goo.gl

 

 

今回のスタートは、阪急京都河原町駅 東改札口です。

 

改札を出たら、そのまま1番出口へ向かいます。

 

突き当りを左へ曲がります。

 

階段を上ります。

 

一番出口の木屋町通北側に出ました。目の前が木屋町通です。木屋町通を東(左)へ向かいます。

 

木屋町通を東へ向いたところです。木屋町通を60mほど進みます。

 

四条大橋です。そのまま東へ進みます。

 

四条大橋を渡り切り、川端通の信号を渡ります。

 

信号を渡ったら、北(左)へ向かいます。

 

井筒八つ橋本舗の前を東(右)へ曲がります。

 

井筒八つ橋の前の道を東へ向いたところです。この道を突き当りまで進みます。

 

突き当りに鴨東ビルがあります。

 

鴨東ビル一階の「珈琲ショップ ナカタ二」の横の通路を東へ抜けます。

 

鴨東ビルを通り抜けました。この道を北(左)へ向かいます。

 

北へ向いたところです。この道を進みます。

 

40mほど進むと右手にCoco Capitanの展示会場の一つASPHODELがあります。モダンな建物に紺色ののれんがかかっていることで、周囲の古びたビルとも馴染んでいます。

のれんにデザインされた「Ookini」の白抜きの文字は、今回の展示タイトルです。カピタンが撮影協力者に向けて「おおきに!」と感謝の気持ちを伝えていたことに由来するとか。カピタンは「世界的に有名な京都という都市で、変わりゆく若者の一瞬をとらえたい」と話したそうです。

 

Coco Capitan at ASPHODEL

スペイン出身のココ・カピタンは、2022年10月から12月まで京都に滞在し、フィルムカメラを携えて自転車で撮影に向かい、様々なティーンエイジャーを撮影しました。被写体は狂言師の息子、禅僧を目指す学生、舞妓など日常生活に伝統文化が深く根付いている人々から、鴨川沿いで偶然出会った大学生や高校生など多岐にわたります。

 

一階はスケートボードを練習していた若者たちなどの写真。

 

二階は狂言師の息子や舞妓、禅僧を目指す学生などの写真。

 

 

写真:公式サイトより

 

写真:公式サイトより

 

子どもと大人の境界(BORDER)にいるティーンエイジャーたちの写真を見ているうちに、自分や自分の子どもたちがこの年頃だった時期の、自分と他人とのBORDERを意識し、自分のBORDERがなかなか超えられないけれど超えたい、そんな秘めた情熱と素朴さを思い出しました。ティーンエイジャーたちを温かい目線で撮影したカピタンの姿勢にとても共感できた展示でした。

 

次回は、Joana Chomali(ジョアナ・シュマリ) at RYOSOKUIN(両足院)をご紹介します。

 

 

 

LIVING Kyoto WEB「WEBフレンド」 ~リアルで旬な京都の情報を発信

 

https://kyotoliving.co.jp/webfriend

 

毎週配布されるフリーペーパー「リビング京都」。女性のための総合生活情報誌で、私も毎週楽しみに読ませていただいています。

この「リビング京都」のホームページ「LIVING Kyoto WEB」に、読者ブロガー「WEBフレンド」によるブログのコーナーがあります。暮らしの中で読者自身が体験した出来事の感想を発信されています。京都のグルメ、ショッピング、アクティビティなど、ブロガーそれぞれの興味や関心ごとを等身大の目線で紹介されています。私は最近このコーナーの存在を知ったのですが、グルメ、ショッピングのみならず、美術館や公園、寺社仏閣など私の大好きなスポットも多数紹介されていて、読んでいるだけでもとっても楽しい!

京都に住んでいる読者ブロガーならではの、旬な情報と生の感想がちりばめられています。今回は私自身のお散歩ではありませんが、京都に関心のある皆さんならきっと気に入るはず!と思い、ご紹介させていただきます。

 

 

 

LIVING Kyoto WEBとは

女性のための総合生活情報紙「リビング京都」のホームページです。紙面のバックナンバーや特集記事のほか、WEB限定記事、読者ブログなどを公開しています。WEB限定の

読者プレゼントもあります。私はWEB限定の子育てマンガ「こそだてDAYS]を「そうそう、そんなことあったなあ!」と当時のことを懐かしく思い出しながら読ませていただいています。

 

kyotoliving.co.jp

 

WEBフレンドブログとは

「LIVING Kyoto WEB」で活動する読者ブロガー(WEBフレンド)によるブログコーナーです。暮らしの中で読者ブロガー自身が体験した出来事の感想を発信されています。ブロガー自身の体験と等身大の感想を大切にされているので、一般の読者と同じ目線で書かれていて、とても身近に感じられるとともに記事内容も信頼できる気がします。

内容は多岐に渡り、京都のグルメ、ショッピングはもちろん、近所の公園や美術館、博物館、寺社仏閣など。いわゆるガイドブックなどで紹介されている情報もありますが、それ以外にも最新のスポットや地元の人しか行かないような珍しいスポットも紹介されていて、読んでいると「近くにこんな素敵なスポットがあったんだ!」と発見することが多く「今度は私も行ってみよう!」とワクワクする記事が満載です。

 

おすすめ記事をご紹介

WEBフレンドのコーナーから、私が気になった記事をいくつかご紹介します。

 

大好チヨ子さん

https://kyotoliving.co.jp/webfriend/44817.html

京都市民にはお馴染みの意外な場所にある「石の博物館」…タイトルだけでもすごく興味が湧いてきます。無料で見学できるので、近くに行った時には是非立ち寄ってみたくなりました。

美術館、博物館、古墳が大好きな私には、大好さんの記事はツボにはまるものばかり!

 

うにママさん

https://kyotoliving.co.jp/webfriend/51866.html

細い路地を進んだ住宅街の中に突然現れる緑のオシャレな建物が、木のおもちゃの専門店だと知っていても、初めてだとなかなか入りづらいですよね。この記事を事前に読んでいれば、気軽に入れるなあ、と思いました。うにママさんご自身のお子さんが小さい頃に、どのおもちゃが気に入るか実際に遊ばせて試せて助かった、という感想や、出産祝いにも喜ばれます、というリアルな体験も参考になります。

 

おきくさん

https://kyotoliving.co.jp/webfriend/48035.html

日曜・祝日のみ営業の完全予約制(7日前までの予約)のマイクロぶたカフェ。ぶたさんだけでなく、イヌや子ヤギ、ウサギあなどとも触れあえて、気に入ったら家族の一員として迎えることも出来たり、動物たちは無駄吠えもあまりなくてみんなフレンドリー、朝からシャンプーしてお店に連れてきているので、臭いも気にならないなど、気になる情報も満載。完全予約制ということで、ちょっとハードルが高いお店に感じますが、これだけしっかり事前情報があると、安心してお店を訪れることが出来ますね。

 

miyaさん

https://kyotoliving.co.jp/webfriend/48860.html

個人的に町屋カフェが気になっていたので、こちらの記事はとても参考になりました。「ごはんもスイーツもどちらも美味しい!」といった感想や、地下に防空壕が残っており、隠れ家のように静かにゆっくり過ごすのに良い場所、といった口コミにも惹かれました。

 

えながさん

https://kyotoliving.co.jp/webfriend/50526.html

紅葉の名所は青紅葉の名所でもある、という当たり前のようで今まで意識していなかったことに気づかせていただきました。かわいらしいお地蔵さんや苔庭も気になりました。

 

 

ここにご紹介したのはほんの一部。京都のスポットのみならず、WEBフレンドが自宅でチャレンジした料理や工作などの記事もあり、どれもWEBフレンドならではの感性と視点がふんだんに盛り込まれています。いわゆる観光情報とはちょっと違いますが、京都に住む人の生活者目線の記事を、他県の方が読んでも楽しいのではないでしょうか。WEBフレンドのコーナーは随時更新されていますので、これからもチェックしていきたいと思います。

 

 

野宮神社 ~竹林の小径に佇む『源氏物語』ゆかりの地 

京都・嵐山の人気観光スポット「竹林の小径」に佇む野宮神社(ののみやじんじゃ)は小さいながらも由緒正しき神社で、いつも国内外の観光客で賑わっています。四季折々に美しい野宮神社ですが、私は青紅葉の時期が一番好きです。今回は青紅葉や苔庭の瑞々しい美しさに包まれた野宮神社をご紹介します。

 

 

 

野宮神社の場所

goo.gl

 

野宮神社の行き方

電車で

京福電鉄「嵐山駅」から:北西へ徒歩約8分

・JR嵯峨野線嵯峨嵐山駅」から:西へ徒歩約10分

・阪急「嵐山駅」から:北へ徒歩約20分

 

バスで

四条河原町から:市バス11号系統で約45分「野々宮」から徒歩約3分

         京都バス62,67系統で約45分「野々宮」から徒歩約3分

 

 

 

今回のスタートは京福電鉄「嵐山駅」です。

 

駅を出て、嵐山のメインストリート 長辻通を北(右)へ向かいます。

 

長辻通を60mほど北へ向かうと天龍寺です。今の時期は紫陽花が見ごろです。

 

長辻通を更に北へ進みます。

 

長辻通を100mほど進むと左手に「スヌーピーチョコレート」があるので、その角を西(左)へ曲がります。

 

西(左)へ曲がったところです。この道を進みます。もう竹林が見えていますね。

 

嵯峨・嵐山で有名な竹林の小径です。梅雨時の湿った空気の中、清々しい竹の香りがしていました。この道を更に西へ進みます。

 

竹林の小径を50mほど進むと道が北(右)へ曲がっているので道なりに進みます。

 

北へ向いたところです。このまま進みます。

 

20m程進むと、もう野宮神社が見えてきました。

 

野宮神社に到着です。

 

野宮神社とは

野宮は、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王(皇女、女王の中から選ばれる)が伊勢へ向かう前に身を清めた神社です。

野宮の場所は天皇の即位毎に定められ、嵯峨天皇の皇女仁子内親王の時から現在の野宮神社に野宮が造られたとされています。斎王制度は後醍醐天皇の時に南北朝の戦乱で廃絶しました。その後は神社として存続していましたが、度重なる時代の混乱の中で衰退。その後後奈良天皇中御門天皇らの論旨により再興され、皇室からの厚い崇敬を受けています。

 

斎王行列

鳥居の向かい側の建物の壁に掲示してあった写真は「斎王行列」のものです。

天皇が代替わりすると、未婚の皇女・女王(平均12~13歳)の中から新たな斎王が卜定(吉凶を占い定めること)され、宮中の初斎院で1年間、その後嵯峨野の清らかな場所を選び造営された野宮に入り1年刊潔斎した後に、斎宮尞(現在の三重県多気明和町)に向かい伊勢神宮での神事に臨みました。その時の行列を「斎王群行」といい、斎王以下監送使・官人・女官など合わせて数百人による行列で、嵯峨野から伊勢の斎宮に到着するまでに5泊6日もかかったそうです。1998年より毎年10月の例祭において氏子を中心に「斎宮行列」としてその様子を再現しています。

 

黒木の鳥居

神社の鳥居というと、鮮やかな朱塗りのものが多いですが、野宮神社のものは「黒木鳥居」という珍しいものです。これは樹皮のついたままの鳥居として極めて原始的で日本最古の形式だそうです。現在の野宮神社の鳥居は徳島県剣山の山麓より切り出した「くぬき」を使用し、防腐加工を施したものだそうです。

黒木の鳥居はシックで凛とした趣きがあり、この奥が特に神聖な場所であることを示す「結界」感が強く感じられます。

 

小柴垣

鳥居の両袖にある小柴垣は和菓子に添えられる爪楊枝(黒文字)の材料にもなっているクロモジの木を用いています。天皇陛下の御即位式で建てられる「大嘗祭」も黒木鳥居と小柴垣で囲まれるそうで、やはり野宮神社が皇室と深い関係にあることが伺えます。そして、この小柴垣と黒木の鳥居は『源氏物語』の「賢木」の巻などにも登場し、平安時代の風情を今に伝えています。

 

さっそく中へ入っていきましょう。

本殿

鳥居をくぐってすぐ正面にあるのが本殿です。ご祭神は野宮大神天照大神)です。野宮神社の「境内のご案内」によると学問の神とのことです。

 

野宮じゅうたん苔

本殿から右手奥の方に入っていくと、「野宮じゅうたん苔」と呼ばれている、小さいけれど幻想的で美しい苔庭があります。庭の左奥に見える丸太の橋は、嵐山の「渡月橋」、その前の白砂が桂川をイメージし、この庭全体で嵐山を表現しているそうです。

 

苔庭の奥に更に朱ぬりの鳥居があります。

 

白福稲荷大明神

朱塗りの鳥居をくぐって最初にあるお社には「白福稲荷大明神」が祀られており、子宝・安産・商売繁盛にご利益があるそうです。

 

大山弁財天

白福稲荷大明神の更に右奥には大山弁財天が祀られており、財運開運や交通安全のご利益があるそうです。

 

 

大山弁財天の更に右奥にもう一つ小さな祠があり、その前に狐の像がずらり、名前はわかりませんがお稲荷さんでしょうか?

ここまで来たら行き止まりなので、Uターンして再度本殿へ戻ります。

 

野宮大黒天と亀石

本殿左横には野宮大黒天が祀られており、良縁結婚のご利益があるそうです。その横にはまるで亀のようにずんぐりした神石(亀石)があります。この石を撫でながらお祈りすると、一年以内に願い事が成就すると言われています。私の前にこの石を撫でておられた方も、かなり真剣にお祈りされていました。私も撫でてみると、多くの参拝者に撫でられたお陰でつやつやと黒光りしていました。私の願い事もかないますように…

 

源氏物語野宮神社

野宮は源氏物語の賢木(さかき)の巻に、光源氏と年上の恋人六条御息所(みやすどころ)の別れの舞台として登場することから、「縁結び&悪縁切り」のご利益があることで有名です。高校時代に古文で習った源氏物語に出てくる六条御息所は、美しく知的でハイセンスな年上の女性ながら、嫉妬深く、光源氏を愛するあまり生霊となり他の恋人たちにとりついた恐ろしい女性というイメージがありました。そのため、その六条御息所が登場する野宮神社も京都の郊外にあるうら寂しい場所として描かれていたと記憶しています。一方、現代の野宮神社は縁結びや安産、知恵授けなど様々なご利益を授けてくださり、国内外からの参拝者が年中絶えない賑やかな神社になっています。このイメージのギャップに、最初は私も戸惑いました。しかし野宮神社のことを詳しく調べてみると、そんな暗いイメージは私が勝手に抱いていただけで、皇室からの崇敬も厚い由緒正しき神社だということがわかりました。

 

境内には縁結びや悪縁切りの願いをこめた絵馬が多数掛けられていました。

 

本殿右手にある社務所には様々なお守りや絵馬が所せましと並べられていました。写真を撮らなかったのですが、デザインもとても華やかでかわいいものが多かったです。

 

 

竹林の小径に佇む野宮神社は、平安時代の雅を現代に伝えるパワースポットでした。新緑の美しいこの時期だけでなく、青々とした竹やじゅうたん苔に一年中心癒されることでしょう。駅からも徒歩圏内で、近隣には多数の観光スポットが点在していることから、嵯峨野めぐりの起点として、是非一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

 

 

本文とは関係ないのですが、今回で「京都おすすめ散歩道」が100記事目となりました。コロナ禍で始めたお散歩を通じて、近くにありながら詳しく知らなかった京都の素敵なスポットを2年以上にわたりご紹介し、みなさんに発信できたことをとても嬉しく思っています。読者になってくださった方の中には100記事どころか毎日、十年以上もブログを続けていらっしゃる方もたくさんおられます。毎日は無理ですが、これからも自分の感性と自分の足で「京都のここがおすすめ!」と思えるスポットを地道に発信していきたいと思っています。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

嵯峨嵐山周辺のおすすめスポットは以下でもご紹介しています。

 

www.yomurashamrock.me

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原谷苑 ~空一面を桜が覆う百花繚乱の苑

京都市西北部の山の上にある原谷苑は知る人ぞ知る桜の名所です。京都市中心部よりだいぶ遅い時期に見ごろを迎え、いつも気になりながらタイミングが遭わず訪れずじまいでした。念願かなって足を運ぶことが出来た原谷苑の夢のように美しい様を是非ご紹介したいと思います。

 

(2023年4月3日訪問)

 

 

原谷苑の場所

goo.gl

 

原谷苑の行き方

シャトルバスで(おすすめ!)

 わら天神前の鳥居前から無料のシャトルバスが出ています。

 シャトルバスの実施時期や運行時間は原谷苑の公式サイトからご確認ください。

 2023年は9:00以降20分間隔ぐらいで3台のバスが運行しており、乗車時間は15分程です。

 

   ★わら天神への行き方

  ・JR京都駅より市バス50、急行101、205で約40分「わら天神」下車すぐ

         JRバス高雄京北線で約30分「わら天神」下車すぐ

  ・京阪三条駅より市バス15系統で約30分「わら天神」下車すぐ

  ・阪急西院駅より市バス205系統で約16分「わら天神」下車すぐ

  ・地下鉄北大路駅より市バス204、205系統で約15分「わら天神」下車すぐ

 

わら天神前から1時間に一本程度、市バスも出ていますが、地元の方の足になっており、非常に混みあうそうですので、シャトルバスをお勧めします。

 

今回のスタートはわら天神前から出発するシャトルバスです。

わら天神の写真を撮り忘れたので、雪の日に金閣寺を訪問した際に撮影した雪景色のわら天神の写真です(笑)この鳥居の前あたりにシャトルバスの係の方が立っておられます。

 

行きのバスの写真も撮り忘れていたので、これは帰りに乗ったバスの写真です。他の色のバスもありました。「原谷苑 無料シャトルバス」の表示があります。

私が訪問した日は平日でしたが、原谷苑の桜が満開の頃だったので、わら天神前にもすでに沢山の人の列がありました。定員は約28名で、乗り切れなかったら次のバスを待ちます。私は3台分ぐらい待ちました。乗車時間は15分ほどです。

 

原谷苑に到着です。もう帰りのバスを待つ人の列がありました。

 

バス乗り場の横には駐車場があります。事前予約が必要なようですが、詳細は公式サイトをご確認ください。

 

シャトルバスから降りるとすぐ西門から入場できます。11:30に入場したので、すでにお客さんでいっぱいでした。

 

入苑料は変動制で、1000円~(現金のみ)。この日は恐らく最高額の1500円でした。入苑料が高いということは、桜が一番良い状態だということなので、高くても値打ちありますよ!

 

原谷苑とは

原谷苑は金閣寺から北西の山間、原谷にある桜の名所で、北山杉などの木材を取り扱う村岩農園所有の桜苑です。例年 4月上旬から下旬まで(2023年は3月25日から)と、紅葉の時期の11月下旬~12月上旬に一般公開されます。およそ4000坪もの広大な敷地に、さくら20数種類400本以上があります。春には、まず紅しだれ桜が咲き出し、薄墨桜、染井吉野、メインの八重紅しだれ桜、黄桜、緑桜、菊桜、郷桜などが4月下旬まで順次咲き続けます。桜だけでなくツツジシャクナゲなどの花も咲く、知る人ぞ知るお花見の穴場スポットです。

原谷はもともとゴミ捨て場で養分の少ない国有の土地を、戦後、満州からの引き上げ者が開拓を託されたそうですが、あまりに辺境な土地で開拓の成果も上がらないまま逃げ出された方も多かったとか。そんな土地を原谷苑の2代目当主が譲り受け、果樹や野菜、サツマイモ、花木など様々な植物を植えた中で、最初は桜の数種類だけが順調に育ったそうです。当初は親戚・友人等の身内だけで花見を楽しんでおられましたが、そのうちに人づてに評判が広がり、桜や紅葉の時期だけ一般公開するようになったということです。

 

早速中へ入って行きましょう。

苑内は、桜だけでなく、様々な種類の花が咲き誇り、まるで花の洪水のようです!

 

 

シダレザクラと言えば、円山公園のものも大きくて立派ですが、原谷苑のシダレザクラは空一面を覆うほど背も高く自由に伸びている感じ。野性味があり非常に生命力の強さを感じました。

原谷苑の2代目当主がこの地に様々な種類の植物を植えたものの、桜の数種類だけが順調に育ったということで、桜がこの土地に合っていたのかもしれませんね。その後、更に土を入れ替えるなど様々な工夫を重ね、今では紅葉や沢山の種類の花木も美しく咲き誇る庭になりました。

 

沢山の花が彩る苑内

原谷苑で見られる花木の写真が掲示されていました。

 

ヒガンザクラとレンギョウツツジの仲間でしょうか。三種類の花の鮮やかな競演です。

 

ボケの花も濃い赤とピンク色が鮮やかです。左の桜は御衣黄です。

 

ユキヤナギもあちこちで見られました。

 

レンギョウも大きくて迫力があります。

 

しだれ桜ならぬしだれ桃

 

金子ゲンカイ(ツツジ

 

ヤマブキも一つ一つの花が大きいです。

 

釣鐘型の小さな花が可愛いアセビ

 

利休梅(リキュウバイ)

 

4000坪の苑内は起伏に富み、とにかく花、花、花で地図を見ていても、どこを歩いているのかわからなくなるほどです。

 

 

 

 

原谷苑の美しさは噂には聞いていたのですが、今まで訪れる機会がありませんでした。今回スイスから里帰りした旧友と一緒に原谷苑を訪れ、まるで桜の洪水のような満開の桜を堪能することが出来、本当にラッキーでした。帰りもシャトルバスを利用してわら天神前で降りました。

 

わら天神周辺のカフェでランチをいただいてから、北野天満宮も参拝してきました。こちらも本殿裏や梅苑付近の桜がまだ少し咲いていました。

 

原谷苑は京都人でも訪れたことのある人はそんなに多くは無いと思います。京都市内の中心部より山側で気温が低い分、桜も遅い時期まで楽しめます。わら天神だけでなく金閣寺平野神社北野天満宮も徒歩圏内の絶好のお散歩コースですので、機会があれば是非足をお運びください。

 

周辺のおすすめスポットを以下でもご紹介しています。

 

www.yomurashamrock.me

 

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堀川周辺の桜の名所めぐり③妙顕寺 ~京都初の日蓮宗寺院

堀川紫明を少し南へ下がったあたりにある寺社仏閣には、知る人ぞ知る隠れた桜の名所がいくつかあります。このあたりは電車の駅から少し距離があり観光地化されていないので、桜のピークの時期でもそれほど人も多くなく、それぞれ徒歩10分ほどで移動できる距離にあるので、お散歩にぴったりのコースです。

今回は、日蓮宗の寺院として京都で初めて創建された妙顕寺をご紹介します。

(2023年3月27日訪問)

 

 

妙顕寺の場所

goo.gl

 

妙顕寺の行き方

電車で

 ・京都市地下鉄「鞍馬口駅」より徒歩約10分

 ・京都市地下鉄「今出川駅」より徒歩約15分

 

バスで

 ・京都市バス 9,12,67系統「堀川寺之内」より徒歩約5分

 

 

今回のスタートは本法寺の仁王門です。

本法寺への行き方は以下でご紹介しています。

www.yomurashamrock.me

 

仁王門の前の道を北へ30mほど進みます。

 

一筋目を東(右)へ曲がり、住宅街の細い路地を120mほど進みます。

 

突き当りを南(右)へ曲がり、40mほど進みます。

 

ほどなく桜に囲まれた美しい境内が見えてきます。

 

妙顕寺とは

妙顕寺日蓮宗大本山の寺院で山号は具足山です。日蓮の孫弟子にあたる日像が、鎌倉時代後期、元亨元年(1321)に創建した、京都における日蓮宗最初の寺院です。

応仁の乱や宗派間の紛争(天文法難)によりたびたびの移転をしてきましたが、戦国時代には東西は西洞院から油小路、南北は御池から二条にわたる大規模な敷地をもち、本能寺の変後は豊臣秀吉が京都の宿所としていました。

その後天正11年(1584)に秀吉に土地を与えられ現在地へと移転しました。秀吉は妙顕寺跡地に二条新邸(妙顕寺城)へと改造し、その城を二条城と呼び、聚楽第築城まで京都の拠点としていました。

天明8年(1788)の「天明の大火」により焼失しましたが、その後本堂は49年以上かけて焼失以前の姿に復元されました。

 

本堂の北側に庭園の受付があります。

 

桜の向こうに見えているのが方丈です。お客様を迎え入れる伽藍の一つで、僧侶の居住する場所です。拝観や御朱印の受付や物品販売もこちらで行っています。

 

早速入ってきます。

 

四海唱導の庭

写真正面に見える勅使門に面し、朝廷や皇室などの貴人を迎えるための庭です。「四海唱導」とは、世界中のあらゆる人々を法華経の教えに導き、その功徳によって人々を救うという意味がこめられています。滝から流れ落ちた水が白砂で表した大海へと広がっている様子を表しています。勅使門の後ろの大きな屋根が本堂です。

 

妙顕寺にはこの他に「孟宗竹の坪庭」「光琳曲水の庭」「抱一曲水の庭」がありますが、現在、改修工事中で拝観することが出来ませんでした。それぞれに見ごたえがありそうな立派なお庭のようですので、また日を改めてじっくり拝観したいと思います。

(工事期間は令和7年3月末までとのことです。詳しくは妙顕寺の公式サイト

https://www.shikaishodo-myokenji.org/

をご確認ください)

 

桜でいっぱいの境内

妙顕寺の境内は桜が多数植えられており、ちょうど見ごろを迎えていました。

勅使門

先ほどの四海唱導の庭の正面に見えていた勅使門を外側から撮影。

 

鐘楼堂

鐘楼堂です。梵鐘は正徳3年(1713)に鋳造されました。鐘楼堂は天明の大火(1788)で焼失後、再建されたものです。昭和40年(1965)、大門の東側から、五重塔があった現在の場所に移築されました。毎夕5時と除夜の鐘の際に鐘撞が行われます。

 

三菩薩堂

日蓮宗で三菩薩と呼ばれる日蓮大菩薩、日朗菩薩、日像菩薩と大覚を祀ります。天明の大火後に再建された際には、仮本堂とされていました。

 

寿福院塔

前田利家の側室である寿福院日栄が自らの来世の冥福を祈り建てた石塔です。寿福院は日蓮宗の大寄進者であり、建立した石塔が各地に残っています。

 

総門

妙顕寺正面にある大門です。いつでも参拝できるように閉門することなく常に開門しているそうです。

 

妙顕寺では、春と秋の特別公開時にライトアップも開催され、その際本堂・仏殿・客殿・書院などが開放されるそうです。今回は満開の桜を目的に訪問しましたが、機会があれば、秋の特別公開も訪問してみたいです。

 

3回にわたり、堀川周辺のかくれた桜の名所をご紹介してきました。電車の駅からは少し距離があり行きにくいのですが、お散歩にはちょうど良い距離感です。春の桜だけでなく、秋の紅葉の時期も見ごたえがありそうです。京都は春よりも秋の紅葉の時期のほうが混雑しますので、人込みを避けてじっくりと紅葉を楽しみたい方は、是非一度足をお運びください。

 

周辺の桜の名所を以下でご紹介しています。

www.yomurashamrock.me

 

 

www.yomurashamrock.me

 

 

 

堀川周辺の桜の名所めぐり②本法寺 ~苦難を乗り越え結んだ芸術家との縁

堀川紫明を少し南へ下がったあたりにある寺社仏閣には、知る人ぞ知る隠れた桜の名所がいくつかあります。このあたりは電車の駅から少し距離があり観光地化されていないので、桜のピークの時期でもそれほど人も多くなく、それぞれ徒歩10分ほどで移動できる距離にあるので、お散歩にぴったりのコースです。

今回は度重なる苦難の中でも、安土桃山時代から江戸時代にかけて活躍した芸術家たちとの深い縁を結び、現在までその芸術を護り続ける本法寺をご紹介します。

 

(2023年3月27日訪問)

 

本法寺の場所

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本法寺の行き方

電車で

 ・京都市地下鉄「鞍馬口駅」から徒歩約15分

 

バスで

 ・京都市バス9系統「堀川寺之内」から徒歩3分

 

今回のスタートは、水火天満宮です。

地下鉄鞍馬口駅から水火天満宮までの行き方は、以下で詳しくご紹介しています。是非一緒にご参拝ください。

 

www.yomurashamrock.me

 

水火天満宮堀川通に面しており、市バス「天神公園前」停留所の真ん前です。

 

水火天満宮の南隣が天神公園です。

 

堀川通を南へ50mほど進みます。

 

一筋目を東(左)へ曲がります。

 

東へ曲がったところです。前方右手の赤い三角コーンのところが本法寺の入口です。

 

この路地を南へ進みます。

 

春季特別寺宝展の案内が出ていました。

 

こちらから入っていきます。

 

本法寺とは

叡昌山本法寺は、室町時代に活躍した日蓮宗の日親上人(1407-88)によって築かれた日蓮宗の本山です。開創の時期や場所は諸説ありますが、永享8年(1436)に東洞院綾小路に造られた「弘通所(ぐずうしょ)」が始まりとされています。その後、永享12年(1440)に、日親上人の幕府諌暁(かんぎょう:為政者に対し国家の安危を進言すること。日親の場合法華経の信仰を時の将軍足利義教へ説いた)が原因で投獄され、寺も焼かれてしまいました。日親が投獄された際に獄中で出会ったのが、江戸時代初期に日本文化に大きな影響を与えた芸術家・本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)の曽祖父にあたる本阿弥清信でした。以降、清信は日清上人に深く帰依し、本阿弥家は本法寺の大檀家になりました。その後も幾度かの法難により、一時は都を逃れ、大阪の堺へ避難しますが、京都の一条戻橋あたりに再興。更に豊臣秀吉の都市区画整備によって、天正15年(1587)に現在の地である堀川寺之内に移りました。その時、本阿弥光二・光悦親子の支援を受けて堂宇の建立・整備が行われました。しかし、天明8年(1788)の大火で堂宇のほとんどを焼失。現在の堂宇は江戸時代後期に再建されたもので、本堂、開山堂、多宝塔、仁王門、庫裏、書院などすべてが京都府有形文化財に指定されています。

 

さきほどの門から入ると本堂があります。

 

本堂の北側に拝観入口となる庫裏があります。

 

庫裏から入っていきます。

 

庫裏の入口で拝観料を納めて中へ入ります。写真奥の赤い絨毯を敷いた廊下がある建物が、寺宝を展示する涅槃会館です。

 

長谷川等伯の佛涅槃図

拝観順路に従って、まず赤い字で「1」と書かれた扉の部屋へ向かいます。

 

室内は撮影禁止でしたので、ここからは本法寺の公式サイトの画像を拝借します。

 

写真:本法寺公式サイトより

長谷川等伯「佛涅槃図」

本法寺の「佛涅槃図」(国指定重要文化財)は、京都三大涅槃図のひとつに数えられ、その大きさは縦約10m、横約6mに及びます。作者は安土桃山時代から江戸初期を代表する絵師 長谷川等伯(1539~1610)で、自身の息子久蔵の七回忌追善供養や心を寄せた日蓮宗僧侶らの供養を目的に、61歳の時にこの絵を描き本法寺に奉献しました。

「佛涅槃図」は、通常 原寸大の複製を展示していますが、毎年3月14日~4月15日の期間に真筆が展示されるため、運よく私も真筆を拝観しました。実際、この絵の前に立つと、そのスケールの大きさに度肝を抜かれます。等伯がこの絵を本法寺に奉献した当時は、本法寺の本堂は現在よりずっと巨大な建物だったので、こんな大きな絵も架けることが出来たそうです。しかし天明の大火で本堂などが焼失してからは、絵を架ける場所が無かったそうです。上記の写真のように、下から見上げる感じになり、この絵を展示するために、1階から2階を吹き抜けにしたこの涅槃会館が建てられたそうです。

この図は横たわった釈迦を菩薩や仏弟子、動物が取り囲み、釈迦の入滅を悲しむ様子を描いています。この図の左上の端あたりには、等伯自身も描き込まれています。

当時隆盛を極めていた狩野派に対抗するため、等伯本法寺に奉献する前に、宮中で披露するという世間の耳目を引く行動に出ました。また自身を「雪舟より五代」と称した系図もこの頃描いたとされます。長谷川派が狩野派に匹敵するだけのブランド力を身につけるため、宮中や雪舟という権威を巧みに利用したのですね。

 

本堂の前には長谷川等伯の像が建っています。

 

 

涅槃会館には佛涅槃図の他に、本阿弥光悦の作と伝わる「馬上杯」や翁面、修復が完成したばかりの狩野山楽作と伝わる『唐獅子図』なども拝観できました。

 

十の庭

涅槃会館と唐門の間にあるのが十(つなし)の庭です。数字の1から9を数える時に「ひとつ、ふたつ…」と最後に「つ」がつきますが、10には「つ」がつかないことより「十」を「つなし」と読ませるそうです。この庭には9個の石と、見る人の心にもうひとつの石(意志)が存在することから「十の庭」と名付けられたということです。

 

開山堂から見る桜

沢山の寺宝を拝観した後、開山堂へ向かいます。

 

開山堂の中から本堂を囲む桜を見ることが出来ます。

開山堂の建物の柱などの間から見る桜もまた見事です。

 

巴の庭

拝観順路に従って廊下を進みます。

 

渡り廊下の屋根の下に「三つ巴の庭」の表示がありました。

 

枯山水庭園「巴の庭」は、三つの築山を巴の形に置かれたことからその名の由来があります。

この巴の庭を作庭したのは、涅槃会館でも「馬上杯」や能面などいくつか作品が展示されていた本阿弥光悦です。本法寺が本阿弥家の菩提寺だったこともあり、光悦の作品が本法寺にはたくさん所蔵されており、更に国指定の名勝庭園まで作庭していたんですね。光悦は、その他に書や茶の湯などにも才能を発揮したそうで、今でいうマルチアーティストだったんですね!

 

ちょっとわかりにくいのですが、手前の半円が二つ組み合わさって丸くなっているのが「日」、10本の切石で囲んだ十角形の小さな池は季節になると蓮が咲き「蓮」を表し、二つ合わせて、本法寺の宗祖「日蓮」を表します。庭園の中央に「日蓮」の字が象られているとは、何とも斬新ですね。ここにも光悦の日蓮宗に対する信心深さが伝わってきます。

 

先ほどの写真の右奥あたりにある枯滝組です。奥にある立石で滝石とし、小石(粟石)により水の流れを表現しています。手前に置かれた縞模様の石により、流れ落ちる水を表現しています。手前には苔むした石橋もありますね。

 

 

桜満開の境内

多宝塔は寛政年間(1789~1801)の再建です。

反対側から撮影。

 

境内には摩利支尊天を祀る「摩利支天堂」があります。気力・体力・財力の守護神です。

 

摩利支天堂の前から多宝塔の方を振り返ると、桜のトンネルが!!

 

桜のトンネルの終着点(出発点でもありますが)に仁王門。どうやら私は本法寺の裏側から逆ルートを歩いて来たようです。

 

仁王門です。どう見ても、こちらが正門ですね。

 

 

コロナ前の2019年に本法寺を訪れた時は4月中旬だったため、もう桜は散り始めていました。そのため本法寺がこんなにも桜が綺麗な所だとはあまり認識していませんでした。長谷川等伯の佛涅槃図の真筆をはじめ本法寺と縁の深い芸術家の作品も拝観出来ますので、是非桜の時期に訪れてみてはいかがでしょうか。

堀川周辺の桜の名所めぐり①水火天満宮 ~水難・火難除けの天神さん

堀川紫明を少し南へ下がったあたりにある寺社仏閣には、知る人ぞ知る隠れた桜の名所がいくつかあります。このあたりは電車の駅から少し距離があり観光地化されていないので、桜のピークの時期でもそれほど人も多くなく、それぞれ徒歩10分ほどで移動できる距離にあるので、お散歩にぴったりのコースです。

今回は水難・火難除けの「水火の天神さん」として親しまれている水火天満宮(すいかてんまんぐう)をご紹介します。

(2023年3月27日訪問)

 

水火天満宮の場所

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水火天満宮の行き方

電車で

 京都市地下鉄「鞍馬口駅」下車 徒歩約10分

 

バスで

 京都市バス 9,12,67系統「天神公園前」下車すぐ

 

今回のスタートは地下鉄鞍馬口駅です。

改札を出たら左へ向かいます。

 

左を向いたところです。紫明通へ行きたいので出口2を目指します。

 

奥に見えている顔段を上がります。

 

階段を上がり切って外へ出ました。目の前は烏丸通です。烏丸通を南(右)へ向かいます。

 

南へ向いたところです。烏丸通を50mほど進みます。

 

烏丸鞍馬口の信号を西(右)へ曲がります。

 

西へ向いたところです。鞍馬口通をしばらく西へ進みます。

 

鞍馬口通を300mほど進むと、立派な門構えの建物があります。

 

立て札によると「擁翆園」という庭園でした。室町幕府四代将軍 足利義持管領細川満元が、金閣寺造営の余材をもって築いた邸宅がその始まりです。細川満元の没後、岩栖院(がんすいん)という寺に改められ、慶長15年(1610)に徳川家康から旧領地として後藤長乗(彫金師)に与えられました。長乗が加賀の前田利常や小堀遠州の助力を得て造園した庭園がこの擁翆園です。庭園は池泉回遊式で、琵琶湖を模した池の周りに、しだれ桜、花水木、紅葉、白椿など四季折々で花が咲き、趣き深い風情を漂わせているそうですが、現在は企業の本社と研究所が敷地内にあり、一般には公開されていないようです。残念…

 

鞍馬口通を250mあまり西へ進むと紫明通に出ますので道なりに南西へ進みます。

 

道なりに南西へ進むと右手に大日本スクリーンの本社があり、面している大きな通りが堀川通です。そのまま堀川通沿いを道なりに南(左)へ進みます。

 

堀川通を100mほど南へ進むと市バス「天神公園前」停留所があります。

 

バスの停留所の前が水火天満宮です。

 

水火天満宮とは

水火天満宮は、延長元年(923)、後醍醐天により水難・火難除けの守護神として延暦寺の尊意僧正に勅願があり、菅原道真の神霊を勧請して建立されました。以前は現在地より少し西の上天神町にありましたが、堀川通の拡張に伴って1952年に現在の場所に移転しました。地元の人には「水火の天神さん」として親しまれています。

 

さっそく中へ入っていきましょう。

 

この日は団体の会合があったようで、境内に椅子が並べられ、関係者が集まりつつありました。それとは別に満開の桜を写真に納める参拝者の姿も数人見られました。

 

拝殿周りを枝垂れ桜が華やかに彩ります。

 

三つの神石(登天石、出世石、玉子石)など

こじんまりとした境内ですが、何やらご利益がありそうな霊石や末社がたくさん並んでいます。

登天石

菅原道真公が大宰府の地で亡くなった後、都では天変地異が相次ぎ、雷火の災いが重なったことから、菅公の怨霊の祟りと不安が高まりました。当時の帝、醍醐天皇は、延暦寺の尊意僧正に祈願を依頼し、勅命を受けた尊意が延暦寺を下りて宮中へ向かう途中、鴨川が突如増水し町へと流れ込みました。尊意が手にした数珠をひともみして、天に向かい神剣をかざして祈ったところ、たちまち水位が下がり、水面が真っ二つに分かれ、一つの石が現れました。その上に菅公の神霊が現れ、やがて昇天し、雷雨もやんだということで、尊意がその石を持ち帰り供養して、登天石と名付けました。

この石に祈ると「迷子が無事に戻る」と言われています。

 

出世石

登天石の右横にある神石は出世石と呼ばれ、大願成就、世に出る石として信仰されています。

 

玉子神石

玉子神石は、元々は道真公の御愛石で、家族の出産に玉子石に安産を祈願されたとのことです。妊娠五カ月目以降にこの石に祈るとご利益があり、「子宝に恵まれない婦人がこの石に祈ると、良き子宝を得ること夥しくある」そうです。出産の際、卵のように『つるり』と生まれてくることから、玉子石と呼ばれています。

 

金龍水

都名水の一つで、鎮座以来、いかなる大旱(ひでり)でも渇水したことが無く、濁ることもなく水質が良好であったそうです。また、眼病を患う人が、この清水によって平癒した人が多かったと伝わる井戸水です。

 

六玉稲荷大明神

六玉大明神など3社を祀る稲荷社です。元々は東本願寺渉成園にあったものが、明治維新以前に移されました。特に縁結びの「就職祈願」「人材確保」にご利益があるとされる珍しいお稲荷さんです。

その他境内には秋葉大神、白太夫社、弁財天などの末社もあります。

 

水火天満宮の境内はとても小さいのですが、二本のしだれ桜は境内を覆うように大きく枝を広げ、桜のカーテンのようです。木の下に立つと桜色の霞の中にいるような幻想的な気分になります。六玉稲荷社をはじめとする末社や登天石などのご神石もあり、沢山のご利益がありそうなありがたい神社です。次回以降にご紹介する桜の名所も近隣に沢山ありますので、是非一度足をお運びください。