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松尾大社 ~黄金色に染まる太古の社

観光客であふれる嵐山から阪急嵐山線で一駅の「松尾大社」駅からすぐ近くにある松尾大社。酒造の神様として有名ですが、実は関西でも随一の山吹の名所でもあります。約3000本の山吹が自生する境内はまさに黄金色に染まり、桜とは違う素朴な温かさと華やかさがあります。「桜の次は山吹」ということで、山吹に包まれた松尾大社を訪ねました。

 

 

松尾大社の場所

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松尾大社の行き方

阪急電車松尾大社」駅下車

JR京都駅→(地下鉄)→四条烏丸→(阪急京都線)→桂→(阪急嵐山線)→松尾大社

所要時間:京都駅から約40分

 

●市バス「松尾大社前」バス停下車

JR京都駅→(市バス 嵐山大覚寺行き)→松尾大社

JR京都駅→(京都バス 苔寺行き)→松尾大社

所要時間:京都駅から約40分

 

松尾大社への詳しい行き方や詳細は下記ブログでもご紹介しています↓

www.yomurashamrock.me

 

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本日のスタートは阪急「松尾大社駅」を降りてすぐの松尾大社の一の鳥居です。

一の鳥居の右横にある二つのオブジェは、お酒を入れる容器「瓶子(へいし)」をモチーフとして、「お酒の神様」である松尾大社に捧げられたものだそうです。

 

松尾大社とは

松尾大社本殿の背後にある松尾山は、太古の昔から、山頂近くに「磐座(いわくら)」と呼ばれる、神が降臨するという岩があり、この地に住む人々が山の神として崇め、信仰してきました。大宝元年(701年)、京都盆地の西一帯を支配していた秦氏が「磐座」の神霊を勧請し、現在の本殿の場所に社殿を建立したとされています。その後も秦氏(はたうじ)により氏神として奉斎され、平安遷都後は東の賀茂神社賀茂別雷神社上賀茂神社賀茂御祖神社下鴨神社)とともに「東の 厳神、西の猛霊」と並び称され、西の王城鎮護社に位置づけられたました。中世以降は酒の神としても信仰され、現在においても醸造家からの信仰の篤い神社です。
御祭神は大山咋神(おおやまぐいのかみ)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)です。大山咋神は、古事記によると山の上部に鎮座されて、山及び山麓一体を支配される神であり、近江の国の比叡山と松尾山を支配される神であったと伝えられます。一方、市杵島姫命は、中津島姫命(なかつしまひめのみこと)の別名で、古事記の記述によると、福岡県の宗像大社に祀られる三女神の一神として古くから海上守護の霊徳を仰がれた神です。おそらく外来民族である秦氏朝鮮半島と交易する関係から、航海の安全を祈って古くから同社に勧請されたと伝えられています。

 

さて、一の鳥居をくぐり中へ入って行きましょう。

入ってすぐ左手の脇道に、さっそく山吹と八重桜のコラボが見られました。この日は4月中旬、ソメイヨシノの時期は終わっていましたが、遅咲きの八重桜は境内でも何本か咲いていました。

 

参道です。松尾大社は嵐山からもほど近いのですが、初詣やお祭りの時期を除き、いつ訪れてもほとんど混んでいません。この日も参道はこんな感じでした。

突き当りに見えている鳥居の後ろに控えているのが松尾山です。訪れるたびに、この山の素朴ながらも人を圧倒するような力強い気配に畏怖の念が湧いてきます。これが太古から続く神の気配というものでしょうか。京の西の端に鎮座するこの山に、都を守護する神を見た昔の人々と心が通じた気がしました。

 

参道を100mほど進むと二の鳥居です。鳥居の上部に榊の小枝を束ねたものがたくさん垂れ下がっています。これを「脇勧請」と言います。穢れ(けがれ)を祓う力があると言われる榊を、原始の神社では境内の大木に吊り下げることによって、神域と人の結界としていて、それが鳥居の始まりと言われています。

 

二の鳥居の下から脇勧請を見上げて写真を撮ってみました。空の青と鳥居の朱色、そして鳥居の下に白い雲という不思議な絵が撮れました。

鳥居に垂れ下がっている榊の束は12個(閏年は13個)。榊の枯れ方によって月々の農作物の出来具合を占ったそうです。榊が完全に枯れると豊作で、一部が枯れ残ると不作。太古の風習を松尾大社ではそのまま伝えていると言われています。

 

楼門です。左右に随神を配置したこの楼門は江戸時代初期の作と言われており、屋根は入母屋造檜皮葺です。高さ約11メートルと大規模なもので、華美な装飾はなく和様系で古式の楼門です。

 

楼門をくぐってすぐ用水路沿いに、ありましたよ!お目当ての山吹が満開です。

満開の山吹が川面にも映り、黄金色にきらめいています。石橋との取り合わせが何とも風流です。

 

 

 

楼門をくぐって右手にあるのが手水舎です。

手水舎にいる動物と言えば、龍が多いようですが、松尾大社では亀です。何だかユーモラスな表情ですね。

 

手水舎の奥から先ほどの石橋を臨んだ景色です。

私の他にも何人か、この山吹を撮影しに来られていました。

 

今度は手水舎の手前、石橋側から見てみると水車があり、これもまたフォトジェニックです。



手水舎と楼門の間あたりに咲いていたのが、白山吹です。境内の庭園内でも咲いているとのことでしたが、こちらでも見つけました。帰宅してから気づいたので、もっとアップで撮影すれば良かった…とちょっと後悔。

 

手水舎から石の階段を数段上がった所の広場の中央にあるのが、拝殿です。入母屋造、檜皮葺の建物で、元禄・寛政期の絵図でも同一の様式で描かれているので、その頃の姿を現在にとどめていると思われます。大祓式のほか、各種神事で使用されます。

訪れたのが午後だったので、拝殿の後ろ(西側)に太陽があり、後光が差しているように見えますね。

 

拝殿の奥にあるのが本殿になりますが、写真は本殿に続く中門です。この奥が本殿で、中門の後ろに本殿の屋根がチラッと見えますね。本殿は外から撮影することが出来ません。本殿は大宝元年(701)、秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勅命を奉じて創建以来、皇室や幕府の手で改築され、現在のものは室町初期の応永四年(1397)の建造にかかり、天文11年(1542)大修理を施したものです。

屋根は側面から見ると前後同じ長さに流れており、この形式は「両流造」とも「松尾造」とも称される独特のものです。この本殿は国の重要文化財に指定されています。また本殿につづく釣殿・中門・回廊は、神庫・拝殿・楼門と共に江戸期の建築物で京都府暫定登録文化財に指定されています。

 

本殿の前を北へ向かいます。

本殿右の端、庭園入口の手前にある「神使の庭」です。松尾大社の二つの神の使い、亀と、滝を登る鯉の像(写真右奥)があります。太古、大神様が山城丹波の国を拓くため保津川を遡られる時、急流は鯉、緩やかな流れは亀の背に乗って進まれたと伝えられ、以来亀と鯉は神のお使いとして崇められているそうです。

神使の庭の西側に「霊亀の滝 亀の井 松風苑」の看板があります。本殿と客殿をつなぐ廊下の下をくぐって進みます。

 

廊下の下をくぐった先に、神泉と書かれた「亀の井」があります。

 

酒造家は、この霊水を酒の元水として造り水に混和して用いると腐敗しないと言い、延命長寿、よみがえりの水としても有名です。茶道、書道の用水として活用したり、飲用として地元の方たちが汲みに来られたりしています。

亀の井の奥の坂を上へあがっていくと、「霊亀の滝」があります。

 

「三宮社」と「四大神社」の奥にあるのが「霊亀の滝」です。奥に鳥居が見えていますね。鳥居の更に奥に滝があります。

 

滝の手前の鳥居には「滝御前」と記されています。ご祭神は罔象女神(みずはのめかみ)で、万物生成を司る水神だそうです。

 滝の左側に天狗の横顔にように見える「天狗岩」があるそうなのですが、今回もよくわかりませんでした。

 

さて、亀の井と霊亀の滝を訪ねた後は、また先ほどの廊下の下をくぐり、拝殿の南へ向かいます。

 

拝殿の横には「樽うらない」があります。おもちゃの弓矢で樽を狙い打って運試しです。樽の真ん中には穴が開いていて鉄板が貼ってあるので、命中すると大きな音が出ます。

樽うらないの奥にある神輿庫前にはたくさんの奉納酒樽がずらり。京都はもとより全国のお酒が集まります。松尾大社を創建した秦氏は、この周辺の土地の開拓だけでなく、農業など各種産業にも従事し、その生業のひとつが「酒造り」などの醸造です。ご祭神の大山咋神(おおやまぐいのかみ)は「醸造祖神」として崇められ、平安時代以来、お酒をはじめ味噌や醤油、お酢など醸造に関わる方から篤く信仰されています。

 

樽うらないの横にある社務所では御朱印やお守り、お札やおみくじなどを授けていただけます。

お正月に売り切れだった白虎みくじが授与再開されているということで、私も引いてみると…なんと「大吉」!

先日の平安神宮でも大吉にあたる「満開」を引きましたし、我ながらすごいくじ運です。ここで運を使い果たしているかも…?

「初めは危ない谷の小川の橋を渡るような心配事があるが驚き迷うことはありません。後には何もかも平和に収まります。全て小さいことも用心してすればよろしい」とのこと。大吉だからと慢心せずに、小さいことも用心して事にあたりたいと思います。

 

松尾大社は京都でも最も古い神社の一つで、観光客もさほど多くは無く派手さはありません。しかし山吹の咲き乱れるこの時期は、境内の至るところで黄金色の花々に出会うことが出来、とりわけ華やかに彩られます。今年の山吹の時期は終わりましたが、桜が終わった4月中旬頃が見ごろとなりますので、その季節に一度訪れてみてはいかがでしょうか。

 

平野神社 ~平安時代から続く桜の博物館

京都にはたくさんの桜の名所があり、ここ平野神社も特に有名ですが、他の観光スポットと比べるとそれほど混雑していなくて、ゆっくりお花見を楽しみたい方におすすめです。

60種400本の桜が境内を埋め尽くすさまは、まさに桜の園。珍しい品種も多く「桜の博物館」とも呼ばれています。

今回は名物の桜とともに、パワースポットととしても有名な平野神社を訪れました。

 

 

 

平野神社の場所

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平野神社の行き方

JR「京都駅」から

 市バス205、50系統「衣笠校前」下車 北へ徒歩3分

 

京福電鉄北野線北野白梅町駅」から

 北へ徒歩7分

 

京阪「三条駅」から

 市バス10系統「北野白梅町」下車 北へ徒歩7分

 市バス15系統「衣笠校前」下車 北へ徒歩3分

 

阪急京都線「京都河原町駅」から

 市バス205系統「衣笠校前」下車 北へ徒歩3分

 

 

今回のスタートは京福電鉄北野線北野白梅町駅」です。

 

改札を出ると正面が北野白梅町の交差点です。まず北(左)の信号を渡ります。

 

この信号を渡ります。

 

先ほどの信号を渡ったら、右手が西大路通です。西大路通の信号を東へ渡ります。

 

信号を渡ったら、西大路通を北へ向かいます。緩やかな坂道を400mほど登って行きます。

 

平野神社に到着です。

 

平野神社とは

平野神社の創建は平安京遷都頃とされています。元々は桓武天皇の生母の祖神として平城京の田村後宮に祀られていましたが、平安遷都に伴い平安京大内裏近くに移し祀られたことに始まるようです。「後宮」とは、皇后や妃の殿舎。つまり女性が住み、子どもを育てる場所です。そのため後宮に鎮座していた神様は皇太子を守護する神社となりました。また、多くの臣籍降下氏族から氏神として歴史的に崇敬された神社としても知られています。

現在の本殿は江戸時代前期の寛永年間の再建で、4殿2棟からなり、いずれも「平野造」とも称される独特の形式の造りで、重要文化財に指定されています。

本殿のご祭神は次の4柱です。

今木皇大神(いまきのすめおおかみ)源気新生、活力生成の神

九度大神(くどのおおかみ)竈の神、生活安泰の神

古開大神(ふるあきのおおかみ)邪気を振り開く平安の神

比売大神(ひめのおおかみ)生産力の神

まとめると、生まれてきた子がすくすくと成長するよう、食を中心とした生活安定や邪気祓いの神々を後宮に祀り、これからの国の活力生成や幸せを生み出すことを願ったということでしょうか。

 

平野神社の桜

桜は生命力を高める象徴として、平野神社では平安時代より植樹され、現在では約60種400本もあります。珍種の桜が多いのは、臣籍降下した氏族の氏神でもあったことから、蘇り、生産繁栄を願い、各公家伝来の家の標となる桜を奉納したからと伝えられています。平野神社を代表する早咲きで一重のしだれ桜「魁(さきがけ)」、「平野寝覚(ひらのねざめ)」、「御衣黄(ぎょいこう)」などが次々に咲き代わり、約1カ月もの間、花見を楽しむことができます。江戸時代になると庶民にも夜桜が開放され、「平野の夜桜」は都を代表する花見の名所となりました。

 

では早速平野神社へ入っていきましょう。

西大鳥居です。鳥居の向こうに、すでに桜色に染まる境内が見えてきました。

 

紅白の垂れ幕の上に枝を広げる桜の木々の美しさにはやる気持ちが抑えられません。

 

平野神社の境内は拝観無料ですが、こちらの「桜養生園」は、この時期は有料です。受付で拝観料500円を納めて入園します。

2018年の台風21号で、拝殿や平野神社の桜は数十本も倒れてしまったそうです。桜の養生費や拝殿の修理費に充てるため、以前は無料だった桜の園が、2019年以降は「桜養生園」として有料エリアになったそうです。

 

中へ入ると、そこは満開の桜と菜の花の、夢のような空間が広がっていました。写真が下手すぎて、美しさが全く伝わっていないのですが…

 

菜の花は、2018年の台風で桜の木が倒れた後に植えられたそうです。

 

南門前の桜とミツバツツジのコラボレーションです。

 

八重紅枝垂れ桜です。日本ではしだれ桜の中では関山(かんざん)と並んで最も一般的な品種です。先日の平安神宮でもたくさん見られましたね。

 

平野匂(ひらのにほひ)は平野神社に植栽されている希種(希少種)で良い匂いがするそうですが、マスクをしていて気づきませんでした…

 

桜にそっくりですが、アーモンドの花です。桜と同じく、バラ科サクラ属の落葉高木なので、本当にそっくりですよね。アーモンドと桜の大きな違いは花柄(かへい)にあります。花柄とは、枝上における花の配列状態を支える茎のことです。アーモンドは花柄が短く枝に沿うように花を咲かせています。一方、桜はさくらんぼのように、ふんわりとした長い花柄で、一つの花芽から複数の花を咲かせることが特徴です。

 


桜養生園には桜や菜の花だけでなく、色とりどりの花が咲き誇っていました。

桜養生園はどちらを向いてもこのような景色が広がっていて、回遊式の庭園になっているのですが、だんだん方向感覚がわからなくなりそうでした。時間が許せば、ずっと眺めていたい幸せな風景でした。

桜養生園をあとにして、こちらから庭園を出ます。

 

大鳥居の周囲にも満開の桜がこれでもか、と咲き誇っています。

 

参道も桜でいっぱいです。

 

出世引導稲荷周辺の桜

大鳥居を入って北(右)にあるのが出世引導稲荷です。この周りにも色々な桜がありました。

「陽光」は早咲きの桜です。花は大輪で濃いピンク色の一重咲きです。背が高い木で、スマホでは近くで撮影できませんでした。

 

「白妙」東京都足立区の荒川堤で栽培されていた桜です。

 

有明」こちらも東京都足立区荒川堤で栽培されていた桜で、芳香があるそうです。

 

手前の雪柳も見事です。

 

東神門と魁桜

東神門前の「魁(さきがけ)」はその名の通り3月中旬から下旬に咲く早咲きのしだれ桜で、「魁桜が開くと京都の花見が始まる」と言われています。

 

東神門の提灯には、平野神社の御神紋である「桜」が描かれています。

 

拝殿

拝殿です。慶安3年(1650)に東福門院後水尾天皇中宮)により建立され、これまで大きな損壊はありませんでしたが、2018年の台風21号により六本の柱が折れ倒壊してしまいました。その後令和3年9月に無事修復が完了し、またこのように美しい姿に戻りました。

 

仮殿と本殿

拝殿の奥に本殿があるのですが、檜皮屋根の吹き替え工事のため、工事に先立って本殿のご神体は仮殿遷座祭をもって仮殿に御移りされました。

 

拝殿の後ろに(写真右手の白い布がかかった所)仮殿が見えています。そしてその後ろの工事用の覆いがかかった部分が工事中の本殿と思われます。

 

御神木と「すえひろがね」

神門をくぐり前方南(左)、拝殿の左横に御神木のクスノキと霊石「すえひろがね」がある場所は、平野神社随一のパワースポットです。
御神木のクスノキは、樹齢400年を超える大木です。そしてその下にある「すえひろがね」は餅鉄(べいてつ)とも呼ばれる、強い磁力を帯びた特殊な石です。もともと東北地方にあったものを平野神社に運ばれお祀りされています。

古くから不思議な力を持った石として知られ、三種の神器の一つもこの石から作られていたという話もあります。粉にして邪気を吸取る薬としても用いられていて、神様が宿っている神秘の石「鉄尊様(てっそんさま)」と崇められていました。

 

この不思議な力を授かるために、御神木のクスノキに触れながら時計と反対回りに回った後にすえひろがねに触ると、新しい力が吸収されるそうです。

 

すえひろがねの不思議な力を常に身近に感じたい時は、『授かる守』というお守りを神社の授与所で授かることが出来ます。

自身の願うことを念じながら、『授かる守』をすえひろがねにつけると、石のパワーを授かることが出来るそうです。

 

(注意)

私もこの『すえひろがね』を授与所で授かったのですが、そのお守りを入れて渡された紙袋に入っていた注意書きかこちら↓

このお守りは磁石を使っているため、携帯の際には、その磁力の影響を受ける可能性のあるものに近づけないよう注意してください、ということでした。

このことを理解してから、お守りをお受けください。

 

 

遅咲きの桜と境内の花々

満開の桜養生園が見たくて4月初旬に平野神社を訪れたのですが、遅咲きの桜も気になるなあと思い、4月下旬に再訪しました。

4月下旬の桜園の様子です。現在は無料で拝観できます。ソメイヨシノなど主な桜はほとんど散って、青々とした新緑が美しい季節へと変わっていました。そんな中でも、さすがは桜の博物館、平野神社ではまだまだたくさんの桜を見ることが出来ました。

 

「須磨浦普賢象」花色が黄緑色に変化したもので、開花終期には花弁の基部から赤変します。

 

「関山」花色が美しいので、お祝いの席で出される桜湯にはこの花の塩漬けが用いられます。

 

「突羽根(つくばね)」平野神社境内に古くから植えられていた桜です。遅咲きの桜で、桜園のあちこちで見られました。

 

桜園を出て、出世引導稲荷へ移動します。

鬱金(うこん)」花弁が香辛料の「ウコン」に似た淡黄緑色になることからこの名が付けられました。終期には中心部がピンク色に染まります。この花も終わりかけですね。黄色い花を咲かせる唯一の桜であり、清酒「黄桜」もこの花にちなむそうです。

 

ここから東神門の南(左横)の桜です。

「松月(しょうげつ)」八重桜の中では最も優美な桜と言われています。

 

「普賢象」写真には写っていませんが、花の中央に象の鼻のような「変わり葉(雌しべが変化したもの)」があり、「普賢菩薩」が乗る白い象の鼻(または牙)になぞらえてフゲンゾウと名付けられたそうです。

 

東神門の中へ入ります。

「おけさ」東神門を入って北(右手)にある桜で、平野神社にしか無いそうです。

 

おけさ桜の足元にはツツジやアヤメが綺麗に咲いていました。これらの花は5月に咲くイメージだと思うのですが、今年の春は非常に暑いので、季節が早く進んでいるようですね。

 

 

 

今年は桜の時期が長く、たくさんの場所で桜を愛でることができ、とても幸せでした。

特に平野神社は早咲きから遅咲きまで様々な桜があり、公式サイトにも、境内の多種多様な桜が美しい写真とともに紹介されていますので、予習してからお花見するもよし、後で自分で撮った写真と見比べて復習するもよし、色々な楽しみ方が出来ます。「桜の博物館」でたくさんの桜を知り、予習復習もしっかりしたら、にわか「桜博士」になれるかも?

ソメイヨシノの時期以外にもお花見できる貴重なスポットですね。

新年度の始まる春、平野神社を参拝すれば、家庭や生活を安定させ、活力生成で運気もアップするかもしれませんね。近くには北野天満宮金閣寺もありますので、是非一緒にお訪ねください。

 

 

 

 

北野天満宮は以下のブログでもご紹介しています。↓

www.yomurashamrock.me

 

平安神宮 ~紅しだれ桜に彩られた神宿る苑

京都を代表する観光スポットの一つ平安神宮は、朱塗りの大鳥居や大極殿など京都らしい佇まいが一年を通じて人気ですが、その中でも特に有名なのが広大な敷地面積を誇る日本庭園、その名も「神苑」の紅しだれ桜です。谷崎潤一郎の『細雪』や川端康成の『古都』でもその美しさが描かれているように、花びらが幾重にも重なって咲くしだれ桜は、しとやかな美しさにあふれ人々を魅了します。今回はそんな紅しだれ桜が満開の平安神宮を訪ねました。

 

 

平安神宮の場所

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平安神宮の行き方

JR「京都駅」より 約30分

  市バス5系統、洛バス100号、110系統で「岡崎公園 美術館・平安神宮前」下車

  北へ徒歩5分

阪急「京都河原町駅」より 約20分

  市バス5、46、32系統で「岡崎公園 美術館・平安神宮前」

  「岡崎公園 ロームシアター京都・みやこめっせ前」下車 

  北へ徒歩5分

祇園・清水方面より 清水道より約25分

  市バス201、203、206系統「東山二条・岡崎公園口」下車

   東へ徒歩5分

  洛バス100号系統「岡崎公園 美術館・平安神宮前」下車

   北へ徒歩5分

平安神宮の最寄り駅

  地下鉄東西線東山駅」下車 1番出口より徒歩10分

  京阪鴨東線三条駅」「神宮丸太町駅」下車 徒歩15分

 

平安神宮への詳しい行き方や情報は下記ブログをご参照ください。↓

www.yomurashamrock.me

 

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今回のスタートは、岡崎公園南側の仁王門通です。地下鉄東西線東山駅から北へ徒歩5分ほどです。

琵琶湖疎水の向こうに朱塗りの大鳥居が見えて来ました。この大鳥居は昭和13年(1928)に、昭和天皇の大礼を記念して建てられました。高さ24m、幅18mにもなり、建設当時としては国内最大級の鳥居だったと言われています。神宮周辺の岡崎地区のランドマークとして、なくてはならない存在です。

 

仁王門通と神宮道の交差点の先の橋から見た琵琶湖疎水です。タイミングが合えば、岡崎十石船が通ります。(2022年は3月19日~4月10日までの運行でした)今回は残念ながら出会えませんでした。

 

神宮道を北へ向かいます。

ロームシアター京都の西に隣接する岡崎公園の紅しだれ桜です。他にも桜の木はたくさんあるのですが、この一本だけ広場の端にポツンと、しかし堂々たる姿で立っていました。

更に北へ向かいます。

平安神宮の応天門(重要文化財)です。

 

平安神宮とは

平安神宮明治28年(1895)、平安遷都1100年を記念して創建されました。第50代天皇桓武天皇を御祭神に迎え、幕末の戦乱で荒廃した京都の再建を願った京都の人々により建てられたのが由来です。京都では数百年の歴史のある神社仏閣が多い中で、平安神宮は比較的新しい神社であることは、京都人でも意外と知らない人が多いです。

794年に平安遷都を行った桓武天皇は、律令を正し、難民の救済や学問の奨励も進めるとともに、広く海外とも交易し大いに我が国の発展に努めました。

昭和15年(1940)には明治維新の基を築いた大121代天皇孝明天皇もご祭神として鎮座しています。

平安神宮の社殿は、桓武天皇が開かれた当時の平安京の正庁、朝堂院が約8分の5の規模で再現されています。大極殿(だいごくでん・外拝殿)・応天門(おうてんもん・神門)・蒼龍楼(そうりゅうろう)・白虎楼(びゃっころう)・歩廊・龍尾壇(りゅうびだん)などは明治28年(西暦1895年)の創建当時に造営されたものです。
 その後昭和15年(西暦1940年)孝明天皇ご鎮座にあたり、本殿・祝詞殿・神楽殿(かぐらでん・儀式殿)などが増改築され、これまでの社殿も大修理が行われました。また、昭和50年からは主要な建物の屋根葺替が行われ、この間51年に社殿の一部が災禍に会いましたが、54年にはその復興もあわせて完成し現在のような壮麗な社頭が整いました。

 

さっそく中へ入って行きましょう。

正面に見えるのが、大極殿重要文化財)です。平安京大内裏の正庁で、即位、朝賀をはじめ国の主要な儀式が行われる中枢です。大極とは、宇宙の本体・万物生成の根源を示す言葉で、天皇の坐す御殿を意味します。

境内の拝観は無料ですが、神苑はこちらで入苑料600円を納めて拝観します。

受付左手の入口から神苑へ入っていきます。

 

神苑

神苑に入ると、まず目に飛び込んでくる満開の紅しだれ桜群に、拝観者はみな「わあ~」と声を上げて写真を撮ったり、じっと見入ったりされていました。

 

こちらの八重紅しだれ桜は、平安神宮が創建された明治28年仙台市長遠藤唐治により寄贈されたものです。そのもとは五摂家筆頭の近衛家に伝来した「糸桜」(先日京都御苑の桜のブログでもご紹介しましたね)を津軽藩主が持ち帰り育て、それが再び京都に帰ったことから「里帰り桜」とも言われています。

平安神宮神苑は明治時代の代表的な日本庭園として広く内外に知られており、社殿を取り囲むように東・中・西・南の四つの庭からなっています。
総面積約33,000㎡(約10,000坪)の広大な池泉回遊式庭園で、明治の有名な造園家7代目小川治兵衛らの手になるものです。平安京千年の造園技法の粋を結集した庭園として、昭和50年12月に国の名勝に指定されています。

 

神苑は明治28年の平安神宮創建以来、しだれ桜の名所として親しまれてきました。

昭和44年の孝明天皇100年祭の時に、平安時代の特色である野筋(道筋)と遣水が設けられました。また、昭和56年には、平安時代の代表的文学書(竹取物語伊勢物語古今和歌集枕草子源氏物語)に登場する草木、約180種類を植栽して、王朝文化をしのばせる庭「平安の苑(その)」としました。

 

春の南神苑の主役は紅しだれ桜。苑内のどちらからでもしだれ桜を楽しむことが出来ます。

苑内の随所に上記のように平安時代の代表的文学書(竹取物語伊勢物語古今和歌集枕草子源氏物語)に登場する草木、約180種類を植栽して、その植物が登場する文学の箇所が添えられています。

 

神苑の奥の方には東屋があり、その後ろには小さな池もあり、水面に映り込んだ桜と木々の緑が鮮やかでした。

 

白い大島桜と紅しだれ桜の競演も見事です。

 

神苑を後にして、西神苑へと向かいます。

 

西神苑

西神苑平安神宮が創建された明治28年に中神苑とともに造られました。

白虎池を中心にした庭は池の西側に出島、北側には神苑唯一の滝があります。

初夏を彩る池畔の花菖蒲は特に有名で約200種類、約2000株植わっているそうです。

6月頃に西神苑などを訪れた時のブログです↓

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今回は花菖蒲の季節では無かったのですが、こちらでもしだれ桜が随所で楽しめました。

 

西神苑を後にして、中神苑へ向かいます。

 

中・東神苑へ向かう小道は静かな林になっています。

 

神苑

こちらが中神苑です。桜は少なめでした。中神苑は西神苑と同じく、平安神宮創建時に作庭されたもので、庭の中央に蒼龍池があります。

 

神苑と東神苑の間をつなぐ水辺には、川底に玉石が敷き込まれており、せせらぎの音が爽やかです。

神苑

最後の庭園は東神苑です。

こちらは東山を借景とし、明治末期から大正初期にかけて造られました。

京都御所から移築された泰平閣(橋殿;はしどの)、並びに尚美館(貴賓館)があります。

紅しだれ桜の向こう側、左奥に見える屋根つきの橋殿が泰平閣で、右手前に見える建物が尚美館です。

 

栖鳳池には、鶴島、亀島の二島を配し、その周囲には八重紅枝垂れ桜をはじめ、さつき・つばきなど多様な花木が植えられ水面に映る花々は格別の風情を醸しています。

 

尚美館と紅しだれ桜です。

神苑をぐるりと一周しました。

 

桜(はな)みくじ

神苑側の神苑出口から出ると、期間限定の桜記念品売り場があり、その中でもちょっと珍しいのが平安神宮名物「桜(はな)みくじ」です。大吉、吉、中吉…と吉凶を占う通常のおみくじと違い、桜みくじは「つぼみ」「つぼみふくらむ」「咲き初む」「三分咲き」「五分咲き」「八分咲き」「満開」と記されています。吉凶はつぼみが凶に満開が大吉に相当するそうですが、凶と記されているより「つぼみ」の方が、この先まだまだ満開に向けて希望がふくらみ元気が出てきそうですね。

私も運試しに桜みくじを引いてみると…なんと「満開」でした!

「禍(わざわい)転じて福となす」わざわいを わざわいとして甘んじて受けず、これを巧みに利用して、かえって幸福になること。善しも悪しも紙一重。努力すれば叶う

とのことでした。

コロナ禍で友人とのお出かけが減り、運動不足解消とストレス解消にと始めたお散歩。訪れた先々のことを知るうちに、京都のすばらしさをお伝えしようとブログを始めて早や一年が経ち、拙い文章ではありますが、少しづつ読んでくださる方も増えました。今年の春は本当にたくさんの京都の桜をご紹介できたことも、まさに「禍転じて福となす」だったなあ、と感慨深いものがあります。

 

そんな感慨を胸に、さらなる精進を誓い、神楽殿の前の結び木に桜みくじを結びました。

たくさんの方の思いをこめた結び木は、まるで満開の桜のように華やかでした。

 

私が訪れたのは4月初旬でしたので、平安神宮の紅しだれ桜もすでに見ごろを終えていると思います。それでも、平安神宮神苑は四季折々に自然が堪能できる贅沢なスポットですので、機会があれば是非、訪れてみてください。

 

円山公園 ~桜守が心をつなぐ祇園しだれ桜

京都のメインストリートの一つ、四条通の東の端に位置する八坂神社を通り抜けた先にあるのが、京都市民憩いの円山公園です。この円山公園の園内中央には、通称「祇園の夜桜」と呼ばれる有名な桜があります。今回は蔓延防止措置が解除され、三年ぶりに賑わう円山公園祇園しだれ桜を見に訪ねました。

 

 

円山公園の場所

goo.gl

 

円山公園の行き方

 電車で

  京阪電鉄祇園四条駅」から徒歩約10分

  阪急電鉄「京都河原町駅」から徒歩約14分

  地下鉄東西線東山駅」から徒歩約15分

バスで

  京都駅から市バス100,206系統で「祇園」下車

 

円山公園への行き方は以下のブログをご参照ください。↓

円山公園は八坂神社に隣接していますので、是非八坂神社も訪ねてみてください。

www.yomurashamrock.me

 

今回のスタートは八坂神社です。

四条通の突き当り、信号の先におなじみの八坂神社の西楼門が見えます。四条通から来られる人が多いので、この門が一番有名ですが、実はこちらは正門ではなく、正門は南楼門だそうです。ちなみに京都人(大阪でも聞きますが)は突き当りのことを「どんつき」と呼びます。四条通のどんつきが八坂神社ですね。

 

さっそく入って行きましょう。この日は4月上旬の平日ですが、すでに京都市の桜は見ごろを迎えており、八坂神社を始め祇園界隈も観光客でごった返していました。

 

八坂神社とは

明治維新までは祇園社または感心院と称されました。創祀は諸説ありますが、社伝では斉明天皇2年(656)と伝えられ平安遷都がなされた延暦13(794)以前よりこの地に祀られたとされています。また、貞観11年(869)全国的な疫病流行の際、当社の神にお祈りして始まったのが祇園祭です

 

西楼門を入ってすぐ右手です。たくさんの屋台が軒を並べていました。

 

立ち並ぶ屋台の間を通り抜けると、正面が舞殿(ぶでん)です。祇園祭の際に三基の神輿が奉安されるほか、結婚式や各種奉納行事(舞妓による舞踊等)が行われます。

舞殿の北(左手)が本殿です。

 

本殿です。令和2年(2020)12月に国宝に指定されました。

現在の本殿は承和3年(1654)に徳川四代将軍の家綱が再建したものです。一般の神社では別棟とする本殿と拝殿を一つの入母屋屋根で覆った独特の建築様式を取り「祇園造」と言われています。

 

本殿・舞殿の南側(右手)には入母屋造の立派な南楼門がそびえています。

南楼門の建立は明治12年で、国の重要文化財に指定されています。四条通に面した西楼門のほうが有名ですが、南楼門が八坂神社の表参道・正門です。祇園祭の神輿や結婚式の際は必ずこちらの門より出発します。
 

南楼門の北側の道を東へ進むと、写真奥にの朱塗りの鳥居が見えてきました。
 

この鳥居の向こうが円山公園です。
 

円山公園とは

円山公園明治維新までは八坂神社(当時は祇園感神院)や慈円山安養寺、長楽寺、双林寺の境内の一部でした。明治初年の廃仏毀釈の一環として、明治4年(1871)に上知令によって土地が没収され、明治19年(1886)に総面積約9万平方メートルの公園が設けられました。明治20年(1887)には京都市へ移管され京都市初の都市公園となりました。大正元年(1912)に小川治兵衛により池泉回遊式の日本庭園が作庭され、現在の姿になりました。国の名勝にも指定されており、四季折々に美しい自然が楽しめる都会の癒しスポットになっています。

 

参道の露店や満開の桜の下の茶店も、蔓延防止措置が解除されたことを受けて今年は営業を再開していました。一方で敷物を敷いての宴会は感染防止対策から禁止されており、ゴザの貸し出しも行われていませんでした。皆さんご家族や少人数のグループで、静かに花見を楽しんでおられました。

 

結婚式の前撮りでしょうか。花嫁衣裳に満開の桜がまさに華を添えていました。

 

更に奥へ進み、園内中央の小高い丘のようになっている所に、お待ちかねの祇園しだれ桜があります。

 

祇園しだれ桜

周囲を柵で囲われた小高い場所にそびえ立つ、大きなしだれ桜です。

正式名称は「一重白彼岸枝垂桜(ひとえしろひがんしだれざくら)」で、現在の木は2代目となります。初代のしだれ桜は、根回り4m、樹高12mで国の天然記念物に指定されていましたが、昭和22年(1947)に樹齢200年あまりで枯死したそうです。

これに先立つ昭和3年に、15代佐野藤右衛門氏が初代のしだれ桜から種子を採取し、畑で育成したものを、同氏の寄贈により、昭和24年に現地に植栽したもので、こちらもすでに樹齢90年を超え、根回り2.8m、樹高12m、枝張り10mの大木に成長しています。

大きく伸ばした枝を薄紅色の花が彩り、見る者の心を圧倒する佇まいです。

 

写真:円山公園公式サイトより

夜にはライトアップされ、咲き誇る花が夜空を背景に浮かびあがり、艶やかで荘厳な光景となります。

 

祇園しだれ桜と桜守

桜の木の健康を見守り、貴重な桜の子孫を残すため尽力する人のことを「桜守」と呼びます。その代表が、京都の庭師、佐野藤右衛門氏です。佐野藤右衛門とは、江戸時代、仁和寺の植木職人に始まる庭師の号です。大正時代、京都府立植物園の造園に携わったことをきっかけに、14代佐野藤右衛門氏が桜の研究を始め、15代がその研究を継ぎ、成果を図譜として記録したり、円山公園のしだれ桜を育てるなど貴重な桜の保存育成に尽力されました。

そして当代16代佐野藤右衛門氏は、90歳を過ぎてなお、桜のため全国のみならず世界で活躍。パリ、ユネスコ本部の日本庭園をイサム・ノグチに強力して造園し、平成9年(1997)ユネスコからピカソ・メダルを授与され、平成11年(1999)には勲五等双光旭日章を受章、平成17年(2005)には京都迎賓館の庭園を棟梁として造成もされています。

日本中にあるソメイヨシノは成長が早く花がたくさんつき、接ぎ木がしやすいという理由で、人工的に増やしたものだそうです。日本古来のヤマザクラは、もともと自分が育ちやすい所に根を下ろすので放っておいても育ちます。一方植樹したソメイヨシノは種が無い桜を人工的に増やしたクローンなので、自力では跡継ぎも残せず、人間が関わらないと生きていけない。そういう桜で並木を造り、名所を作っているのが今の日本なのだそうです。とは言え、人間の都合で植えたのだから最後まで面倒を見てやらなければいけない、と16代佐野氏は言います。

そんな佐野藤右衛門氏の京都市右京区の自宅には、全国から集めた約200種の桜が植えられています。円山公園祇園しだれ桜も、元は15代が初代しだれ桜から種をもらって自宅の庭で育て、自分の息子の誕生記念に植えたうちの一本を植樹したものだそうです。16代佐野氏は「自分の楽しみのために植えるのではなく、次の世代が楽しめるようにサクラを植える」と著書の中で述べられています。祖父や父がしてきたように、百年後、二百年後を見据えてサクラを育てて次の世代へ引き継いでいくことで、また新たな桜の物語が未来へとつながっていくのですね。そのような物語を知った上で、この祗園しだれ桜を見上げると、美しさも更に増して見える気がしました。

 

円山公園は、京都の繁華街のすぐそばにありながら、奥に進んでいくと渓谷のような景色が広がり、季節の移ろいを感じさせる美しい景色を楽しめます。日本庭園の奥には坂道があり、道沿いに流れる小川は静かな水音を感じられる癒しのスポットです。

 

 

坂本龍馬中岡慎太郎の像

幕末の志士「坂本龍馬中岡慎太郎の像」です。坂道を登った先、料亭「いそべ」の手前です。左が坂本龍馬、右が中岡慎太郎です。台座を含め6m超の立派な像ですが、実はこの銅像は二代目だそうです。初代は昭和11年(1936)に建立されましたが、第二次大戦中に金属供出のため取り壊されました。この像は昭和37年(1962)京都高知県人会有志によって再建されたものです。

2人はともに土佐出身でしたが、脱藩し幕末に活躍します。竜馬は海援隊、慎太郎は陸援隊を結成。薩長同盟大政奉還の立役者、そしてともに近江屋で暗殺されます。

この付近一帯は幕末の志士達の活躍した場所でしたので、若くして世を去った二人の像を眺めながら、その時代に思いを馳せてみるのも良いかもしれませんね。

 

 

京都有数のお花見スポット円山公園は、平安時代から京都の町と人々を守ってきた八坂神社に隣接し、京都の自然の美しさと歴史の奥深さを感じられる絶好のお散歩コースです。周辺には清水寺高台寺知恩院建仁寺など名だたる観光スポットも徒歩圏内にありますので、併せて訪ねてみてください。

 

 

天龍寺「百花苑」と亀山公園 ~百花繚乱の嵐山

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京都、嵐山のランドマーク的存在、天龍寺。言わずと知れた世界遺産で、境内の美しさも折り紙つきです。修学旅行で訪れた方も多いと思います。桜を始め様々な花が咲き乱れる、境内の「百花苑」が、まさに見ごろとなっていました。今回は、天龍寺のすぐ裏にあたる亀山公園やその展望台からの絶景も一緒にご紹介します。

 

 

天龍寺の場所

goo.gl

 

天龍寺の行き方

電車で

 ・京福電気鉄道嵐山線 

   「嵐山」駅下車

 ・JR嵯峨野線 

   「嵯峨嵐山」駅下車徒歩13分

 ・阪急電車 

   「嵐山」駅下車徒歩15分

 

バスで

 ・市バス 11.28,93番で

   「嵐山天龍寺前」下車前

 ・京都バス 61,72,83番で

   「京福嵐山駅前」下車前

 

天龍寺は以下のブログでもご紹介しています。最寄りの駅からの行き方もこちらをご参照ください。↓

www.yomurashamrock.me

 

今回のスタートは、庭園受付です。

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こちらで拝観料を納め、庭園へ入ります。

 

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受付横の看板には庭園内の枝垂れ桜が満開、そのほか沢山の花が開花中と書かれていて、期待が高まります。

 

天龍寺とは

臨済宗天龍寺派大本山で、足利尊氏後醍醐天皇の菩提を弔うため、暦応2年(1339)、夢窓疎石を開山として創建されました。室町時代には京都五山の第一位を占めた格式高い寺院です。創建以来は八度にわたる大火により堂宇が焼失し、創建当時の壮大な面影はとどめていないそうです。現在の諸堂は明治になって再建されたものです。方丈には藤原時代の釈迦如来像を本尊として安置し、多宝殿は吉野朝の紫宸殿を模して建てられました。当時の原型を残す曹源池庭園は亀山や嵐山を借景にして池泉回遊式で、夢窓礎石の作庭を言われています。

日本で最初に史跡・特別名勝に指定され、平成6年(1994)に「古都京都の文化財」として、「正解文化遺産に登録されました。

平成9年(1997)に加山又造画伯によって法堂の天井に「雲龍図」が描かれました。

 

方丈

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庭園受付から入ってすぐが方丈です。

方丈とは禅宗様式柄の一つで、住職の居室です。方丈のご本尊は釈迦如来坐像I(重要文化財)です。平安時代後期の作とされ、天龍寺が受けた八度の火災のいずれにも罹災せず助けられた仏像で、天龍寺に祀られる仏像の中で最も古いものとなります。

方丈の東は中門に対し、西は曹源池に面しています。東側が正面で曹源池側が裏となります。

方丈の東面を通り過ぎ、方丈の裏手(西面)に回ると曹源池庭園に出ます。

 

曹源池庭園

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曹源池庭園は、約700年前の夢窓疎石作庭当時の面影をとどめており、わが国最初の史跡・特別名勝に指定されました。中央の曹源池を巡る池泉回遊式庭園です。

方丈からみた曹源池中央正面には2枚の巨岩を立て龍門の滝とします。龍門の滝とは中国の登龍門の故事になぞらえたもので、鯉魚石を配するが、通常の鯉魚石が滝の下に置かれているのに対し、この石は滝の流れの横に置かれており、龍と化す途中の姿を現す珍しい姿をしていると言われています。曹源池の名称は夢窓疎石が池の泥をあげたとき池中から「曹源一滴」と記した石碑が現れたところから名付けられたそうです。

嵐山や庭園西に位置する亀山を取り込んだ借景式庭園で、まさに周囲の自然と一体化した壮麗な美しさです。

曹源池から更に北へ、百花苑の方へ向かいます。

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石段を登り、その向こうに広がっているのが…

 

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見事な枝垂れ桜の巨木たちです。

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この日は曇り時々雨模様だったのが残念でしたが、それでもこの枝垂れ桜の迫力は曇り空にも負けないものでした。

 

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先ほどの枝垂れ桜群の奥の小道から丘の上へ向かいます。

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満開のミツバツツジです。

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白とピンクが可愛らしいボケ。

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こちらは濃い赤色のボケ。

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石段を登り切ったところです。

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丘の上から見下ろすと枝垂れ桜群が見えます。こちらは「望京の丘」と呼ばれているそうです。

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丘の上に立つ、更に大きな枝垂れ桜です。樹齢はわかりませんが百年は越えていそうな巨木です。どれだけ長い間、天龍寺や嵐山の歴史を見守ってきたのでしょうか。曇り空にゆらゆらと揺れる姿には美しさへの感動とともに畏怖の念が湧きました。

天龍寺の主のような枝垂れ桜を後にして、反対側の石段を下っていきます。

 

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ミツマタも満開です。

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「平和観音と愛の泉」という池があり、池にはカエルが三匹。この「カエル三尊」は、平和観音を守護しているそうで、このカエル像の前のお皿にお金を投げて見事に入ると倍になって返ってくると言われています。

 

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「平和観音像と愛の泉」や枝垂れ桜を見入っていた、着物姿の女性グループが華を添えていました。

 

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愛の泉の右横の小道から「百花苑」へ入っていきます。

 

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シャクナゲツツジの仲間で、花が密集して咲くので華やかですね。

 

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こちらはヨシノツツジショッキングピンクが鮮やかです。

 

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雪が降り積もったかのように枝垂れた枝一面に白い花を咲かせるユキヤナギ

 

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サンシュユは、早春、葉がつく前に木一面に黄色の花をつけることから「ハル͡コガネバナ」(春黄金花)という可愛い日本名があるそうです。

 

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アセビは葉や茎に含まれる有毒成分によって「足がしびれる」ことが変化してこの名がついたとも、アセビの葉を食べた馬が酔っ払ったようにふらふらしてしまったことから「馬酔木」と名付けられたとも言われています。可愛らしい花に似合わない怖い名前ですね。

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ヒカゲツツジは黄緑色の独特の雰囲気があります。日陰では蛍光色のようにも見えるそうで、自生地では水辺の景色を照らすことから「サワテラシ」とも呼ばれています。

 

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トキワガマズミです。小さなラッパ型の花が、直系7センチほどの半球状に集まって咲く姿が清楚で可愛らしいです。

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その名の通り百花繚乱の百花苑でした。

 

道中を撮り忘れましたが、百花苑を北の端まで進むと、天龍寺の北門に出ます。

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そちらから西へ曲がると竹林の美しい小径へ出て、突き当りの大河内山荘の横の道を南へ下がると、亀山公園へ出ます。

 

亀山公園の場所

goo.gl

地元の人は「亀山公園」と呼びますが、「嵐山公園 亀山地区」が正式名称なのだそうです。ちなみに、渡月橋の南側に東西に広がっている公園を地元の人は「中之島公園

と呼びますが、こちらは「嵐山公園 中之島地区」が正式名称です。

 

地図:京都府公式サイトより

 

亀山公園(嵐山公園亀山地区)とは

京都市の西北に連なる愛宕山脈。その間を縫うように流れる桂川丹波山地に源を発し、亀岡の保津峡付近は保津川、嵐山付近からは大堰川、その下流は「桂川」と呼ばれています。嵐山公園保津川渓谷が平野に達したあたり、大堰川の川岸の広い範囲に位置し、亀山、中之島臨川寺の三地区からなっています。

亀山地区は、渡月橋の北端から大堰川沿いに西へ500m程進んだ先、小倉山の南東部を占める丘陵地で、アカマツを主木にサクラ、カエデを交え、木下にはヤマツツジなどが群生するなど、美しい自然が印象的です。その中に園路がめぐり、広場や休憩所、展望台、児童広場があります。西側は保津峡を見渡せる抜群の眺望地、東側は後嵯峨天皇以下三天皇火葬塚となっています。

 

亀山公園への詳しい行き方などは以下でもご紹介しています↓

www.yomurashamrock.me

 

 

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大河内山荘側から亀山公園に入った辺りです。

たくさんの桜の木が出迎えてくれます。

 

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こちらから丘の上へあがって展望台を目指します。

 

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桜並木を登って行きます。

 

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亀山公園でもミツバツツジが満開でした。

 

竹林側の入口から、なだらかな坂道を登ること10分ほど、あ~しんど、と思った頃に展望台に到着です。

その展望台からの眺めがこちら

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保津川の深い碧と山の若葉、そして桜の淡いピンク色が織りなすハーモニーは正に絶景です。

亀山公園の展望台は三か所あり、それぞれに角度の違う絶景が楽しめます。

 

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展望台のベンチで休んでいると、ちょうど保津川下りの屋形船が通りかかりました。

タイミングが合えば、川のこちら側にある線路をトロッコ列車が通ります。

川向うに見えている建物群は星のや京都です。渡月橋の南端から専用の渡し舟でホテルへ行くことが出来るそうです。星のや京都の背後の山の中腹には断崖の絶景寺院「大悲閣千光寺」が見えています。ちょうどウグイスの鳴き声(ただし絶賛自主練中のちょっと覚束ない鳴き声でしたが)も聞こえてきました。

 

私が訪れたのは4月初旬の土曜日、コロナ禍とは言え蔓延防止措置も解除された春休み中だったので、天龍寺の前のお土産物屋や飲食店の立ち並ぶ長辻通中之島公園付近は観光客でごった返していました。この亀山公園はそんな喧噪が嘘のような静かな絶景を楽しむことが出来ます。

 

最後に定番の渡月橋と桜のコラボレーションをどうぞ

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ちなみに渡月橋の北東のこの辺りが嵐山公園臨川寺地区になります。

嵐山を背景にした、桜と渡月橋の風景は、テレビなどでもよく紹介されますね。

やはりこちらからの眺めも絶景です。

 

今回は、枝垂れ桜と春の花々の競演が美しい天龍寺と、あまり知られていない絶景スポット亀山公園をご紹介しました。ショッピングやグルメももちろん楽しいものですが、嵐山へお越しの折には、このような四季折々の自然の美も是非お見逃しなく!

 

天龍寺についてはこちらのブログでもご紹介しています↓

 

www.yomurashamrock.me

 

 

 

 

旧嵯峨御所 大覚寺大沢池 ~平安の雅を伝える日本最古の庭湖

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京都でも有数の観光スポット「嵯峨嵐山」。神社仏閣が多数立ち並びますが、この「嵯峨」という地名に最も関係が深い寺院が大覚寺だと私は思います。というのも、大覚寺山号は「嵯峨山」。大覚寺はこの嵯峨の地をこよなく愛した嵯峨天皇離宮であった嵯峨院を、寺に改めた皇室ゆかりの寺院なのです。そして、大覚寺の東に広がる大沢池は、日本でも最古の人工の庭池で、嵯峨天皇離宮嵯峨院を造営の際に、中国の洞庭湖をモデルに設計されたもので、「庭湖」とも呼ばれ、平安時代初期の庭園を偲ばせる貴重な遺構です。

そんな歴史的背景がわからなくても、大沢池の景色を一目見れば、あたかも平安時代にタイムスリップしたかのような不思議な気分になります。今回は、満開の桜に縁どられ平安の雅を伝える大沢池をご紹介します。

 

 

大覚寺の場所

goo.gl

 

大覚寺の行き方

電車で

 JR京都駅から嵯峨野線嵯峨嵐山駅」から徒歩約15分

 京福電鉄嵐山線「嵐山駅」から徒歩約22分

 阪急嵐山線「嵐山駅」から徒歩約32分

バスで

 京都市バス 28,91で「大覚寺」下車すぐ

 京都バス 94で「大覚寺」下車すぐ

 

今回のスタートはJR嵯峨嵐山駅です。

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改札を出て右へ向かいます。

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北口へ向かいます。

 

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階段を降り、西(左)へ向かいます。

 

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階段を降りて左の方です。ゲートを出て北(右)へ向かいます。

 

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ゲートを出て北を向いた所です。突き当りまで進みます。

 

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突き当りを西(左)へ向かいます。

 

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住宅街の道を西へ140mほど進みます。

 

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右手にファミリーマートがあります。この角を北(右)へ曲がります。

 

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ファミリーマートを北へ曲がりました。この道を120mほど進みます。突き当りは丸太町通です。

 

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丸太町通に出ました。ローソンのある方へ信号を北へ渡ります。

 

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ローソンの脇の道を北へ100mほど進みます。

 

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道が二股に分かれています。「大覚寺」の案内板が出ているので東(右)へ曲がります。

 

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この案内板です。案内板に従って右へ向かいます。

 

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右へ曲がった所です。住宅街の道を40mほど進みます。

 

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道なりに北(左)へ曲がります。

 

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左へ曲がったところです。このまま200mほど住宅街の道を北へ進みます。

 

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突き当り右手に案内板があります。

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案内板に従って東(右)へ進みます。

 

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右へ曲がったところです。このまま100mほど東へ進みます。

 

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三叉路に出ます。北(左)へ渡ります。

 

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信号の所に「大覚寺門前」の案内板があります。信号を北へ渡り、住宅街の道を450mほど北へ進みます。

 

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突き当りが大覚寺です。青空に桜のピンク色が美しく映えています。

 

大覚寺とは

真言宗大覚寺派大本山の寺院で山号は嵯峨山です。貞観18年(876年)嵯峨天皇離宮を寺院に改め、歴代の天皇や皇族が住持された門跡寺院であり、嵯峨御所として知られます。平安時代弘法大師のすすめで疫病退散を願った大覚寺の始祖である嵯峨天皇が般若心経を写経浄書し、弘法大師嵯峨院持仏堂の五覚院で五大明王に祈願すると、たちまち疫病が収まったと伝えられています。このことから、嵯峨天皇などが書写された般若心経が大覚寺心経殿に祀られ、60年に一度しか開封されないそうです。そのため、大覚寺は般若心経の根本道場として、心経信仰が盛んに行われています。

また、嵯峨天皇を流祖と仰ぐ華道嵯峨御流の総司所(家元)でもあります。

さらに、時代劇の撮影所が多い太秦の近くということもあり、寺の境内は時代劇の映画やテレビなどの撮影にしばしば使用されています。

 

 

今回の目的地は大沢池の庭園なので、お堂エリアには行かず、東(右)へ向かいます。

 

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大覚寺の前の道を東へ100m弱進みます。

 

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大沢池へ入る門です。大沢池だけの拝観だと300円です。お堂エリアも拝観したい場合は500円になります。

 

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庭園内に入ると、早速 こぼれるように満開の桜並木が出迎えてくれました。これを見るだけでも訪れた甲斐がありましたね。

 

 

大沢池とは

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大沢池は、中国(唐)の洞庭湖を模して嵯峨天皇が築造したものと言われ、平安時代前期の名残をとどめる日本最古の人工の庭池とされています。当時の唐風文化の面影を今に残す園地は池の北方約100mにある「名古曾滝跡」とともに大正12年(1923)に国の名勝に指定されています。毎年、中秋の名月の頃に、大沢池に舟を浮かべて「観月の夕べ」が催されます。

外周は約1km、面積は約64,000㎡で甲子園球場がすっぽり入るほどの大きさです。そこに大小二つの島が浮かんでいます。大きい島は「天神島」で天神社が鎮座しています。小さい島には秋には嵯峨菊が咲いて「菊ヶ島」と呼ばれています。

 

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さっそく中へ入って行きます。

 

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桟橋です。ここから船をこぎ出すのでしょう。

広々していて「池」というより「湖」のようです。中国の「洞庭湖」を模して造られ「庭湖」と呼ばれるのも納得です。

 

五社明神(ごしゃみょうじん)

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伊勢内宮、伊勢外宮、八幡社、春日社、住吉社の神を祀り、離宮嵯峨院の鎮守であり、弘法大師が勧請したと伝えられています。

 

閼伽堂(あかどう)

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約1200年前、大覚寺の前身、「離宮嵯峨院」時代、嵯峨天皇の命で弘法大師が建立した

持仏堂「五覚院」の閼伽井として、弘法大師が自ら掘られた井戸だそうです。仏様にお供えする浄水を汲みます。

 

 

心経宝塔(しんぎょうほうとう

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昭和42年(1967)嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立された新しい塔です。大沢池のほとりに位置し、嵯峨野の四季の風景にとけあった朱塗りの端正な姿ですね。

 

護摩堂(ごまどう)

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2間四方、方形造瓦葺の建物で、不動明王をお祀りします。

 

天神島

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朱塗りの橋を渡って天神島へと向かいます。

 

天神社(てんじんしゃ)

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菅原道真公を御祭神としてお祀りします。嵯峨天皇が建立された離宮嵯峨院は、清和天皇の勅許を得て貞観18年(876)大覚寺が開創されました。創建にあたり、清和天皇への上奏文を起草され、仏法の興隆と衆生済度のため、僧俗二人の別当を置くよう進言されたのが、菅原道真公です。また、道真公自身も、大覚寺俗別当(俗人の身分まま寺院を統括する責任者)を務めたと伝えられています。

 

菊ヶ島・庭湖石(きくがしま・ていこせき)

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平安時代の初め、嵯峨天皇が菊ヶ島に咲く菊を手折り、花瓶に挿されたのが、いけばな嵯峨御流の始まりであり、いけばな発祥の地とされています。菊ヶ島と天神島に庭湖石を加えた二島一石の景色を「景色いけ」として伝えています。

 

もみじロード

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心経宝塔から名古曾の滝跡につながるモミジのトンネルは、四季折々で違った表情を見せるフォトスポットですが、今回はまだモミジの青葉も出ていなくてちょっと寂しい印象です。写真が小さくてわかりにくですが、この日は時代劇の撮影が行われるため、撮影スタッフの方々が忙しく準備されているところに出くわしました。

 

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端役の俳優さんでしょうか。出番を待っておられました。

大覚寺周辺は「北嵯峨田園景観保全地域、歴史的風土特別保存地区」に指定されています。そのため、ずっと昔と変わらない風景が大切に保存されており、写真のような俳優さんの姿も違和感無く景色に溶け込んでいます。

 

名古曽の滝跡

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離宮嵯峨院時代の滝殿庭園内に設けられたもので、「今昔物語」では百済川成が作庭したものと伝わっています。

滝の音は 絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ

藤原公任(ふじわらのきんとう)小倉百人一首55番の句で有名ですね。

 

さあ、ここから池の外周の桜です。

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桜の向こうに見えているのは、五大堂です。現在の大覚寺の本堂にあたり、不動明王を中心とする五大明王を安置しています。

 

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木に半分隠れていますが、写真左端に心経宝塔が見えています。


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大沢池の南側は細い水路のようになっています。昔、大沢池は周辺の灌漑用水として重要な役割を果たしてきたそうです。

 

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ぐるっと回ってまた元の場所に戻って来ました。

やはりここの桜が一番見事です。

 

 

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「嵯峨」という地名は、現代では正に「日本」「和風」のイメージが定着していますが、実は唐の都長安の北方にある景勝の地「嵯峨山」に模してつけられた唐風の地名なのだそうです。とは言え、日本を象徴する桜の咲き誇るこの大沢池を歩いていると、この景色は昔とほとんど変わっていないのではないかと感じます。そしてこの景色は、まぎれもなく「日本」の心を映す日本庭園としての景色と言えるでしょう。

観光客で賑わう嵐山からは徒歩30分前後と少し距離がありますが、その分、いつ訪ねても静かで穏やかな空気が感じられる場所です。是非一度足を運び、平安時代から続く雅な風景をお楽しみください。

 

周辺の嵯峨嵐山のおすすめスポットは以下のブログでもご紹介しています。

世界遺産 天龍寺

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天龍寺塔頭で庭園が美しい宝厳院↓

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渡月橋の西にある日本画の美術館二館↓

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天龍寺の西にある絶景スポット亀山公園↓

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亀山公園の向かい側の断崖に建つ秘境寺院 大悲閣千光寺↓

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小倉山のふもとの日本で唯一の髪の神社 御髪神社

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奥嵯峨の竹林に佇む祇王寺

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国宝釈迦如来像を有する名刹 清凉寺釈迦堂↓

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奥嵯峨の紅葉の名所 二尊院

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芸能神社で有名な開運神社 車折神社

渉成園 ~京都駅近くの秘密の名勝

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渉成園は京都駅から徒歩10分ほど 東本願寺の東方約150mのところにある、ほぼ200m四方の広大な庭園です。四季折々の花が咲き誇り、国の名勝にも指定されている素晴らしい庭園ですが、京都人でも知る人ぞ知る穴場の名所です。

今回はちょうど桜が見ごろを迎えた渉成園を訪ねて、その魅力をご紹介します。

 

 

渉成園の場所

goo.gl

 

渉成園の行き方

JR京都駅より北へ徒歩10分

地下鉄 五条駅より徒歩7分

市バス「烏丸七条」バス停より徒歩1分

 

今回のスタートはJR京都駅です。

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中央口の改札から出ます。

 

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中央口から出るとこんな感じです。前方右手に見える京都タワーの方へ向かいます。

 

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駅の外に出るとバスのロータリーがありますので、京都タワーを目指してロータリーの右手の通路を進みます。

 

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京都タワーの下のビルに向かって信号を渡ります。

 

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信号を渡ったら、スターバックスの横の道(烏丸通)を北へ進みます。

 

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ヨドバシカメラの前を通りすぎ、更に烏丸通を北へ進みます。

 

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烏丸通を更に100m余り進むと烏丸七条の交差点です。まず烏丸通の信号を東(右)へ渡ります。

 

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今度は七条通の信号を北へ渡り、烏丸通を北へ向かいます。

 

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烏丸通の反対側(進行方向左)に、東本願寺の広大な敷地が見えています。そのまま烏丸通を北へ向かいます。

 

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東本願寺の御影堂門が見えます。正面21m、側面13m、高さ27mで、木造建築の山門としては世界最大級であり、木造建築の二重門としては、日本一の高さと言われています。この御影堂門が見える辺りを右(東)へ曲がります。

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右へ曲がったところです。この道を東へ向かいます。

 

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東本願寺門前町らしく、仏壇、仏具や念珠、法衣などのお店が立ち並んでいます。

この道を60mほど進みます。

 

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間之町通の信号を東へ渡ります。

 

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間之町通を100mほど北へ進みます。

 

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渉成園の入口に到着です。

 

渉成園枳殻邸)とは

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渉成園東本願寺の飛び地別邸で、周辺に植えられていた枳殻(からたち)の生垣にちなんで枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれます。

この地は、寛永18年(1641)に徳川家光から寄進を受けた本願寺第十三代宣如上人が、承応二年(1653)、石川丈山らとともに庭園を築き、別邸としたところです。

中国の詩人陶淵明(とうえんめい)の「園日渉而以成趣(園、日に渉って以て趣を成す)」という漢詩の一節から採って「渉成園」と名付けました。つまり「日々その趣きが増していく庭」という意味だそうです。

平安時代の初め、源氏物語の主人公 光源氏のモデルとされる左大臣源融が奥州塩釜の風景を模して作った河原院の跡の近くに作庭し、印月池(いんげつち)と呼ばれる広い池を中心に、池には島を浮かべて木橋で結び、周囲には樹木を茂らせ、源融をしのぶ名所も作られて、平安朝の面影を再現しています。

渉成園は創立以来、幾度かの火災に遭い、現在の建物は元治元年(1864)の蛤御門の変による炎上以降に再建されたものであり、その後、明治天皇の御小休所ともなったことから、大宮御所の御車寄(玄関)が移築されました。そこから内仏堂(持仏堂)である園林堂(おんりんどう)を中心に数寄屋風の書院や座敷が連なっています。

 昭和11年(1936)、文人趣味にあふれる仏寺庭園として、国の名勝に指定されました。

 

徳川家と渉成園

渉成園が造られたきっかけは、徳川家の豊臣家に対するライバル意識があったようです。というのも、当初、秀吉が残した西本願寺には飛雲閣庭園や虎渓の庭などの立派な庭園がありましたが、東本願寺には無かったのです。そこで徳川家は秀吉の造った庭園に負けないような素晴らしい庭園を造ることにしました。そして源氏物語光源氏のモデルになったと言われる源融ゆかりの地と言われている土地を徳川家光東本願寺に寄進し、その土地に石川丈山とともに素晴らしい庭園を造り上げました。それが渉成園だったと言われています。

また、秀吉を祀る豊国神社、秀吉が建立した方広寺大仏および西本願寺は、正面通と呼ばれる東西の道路で直結され、西本願寺が秀吉恩顧の寺院として存在することを都市計画の上からも示していると言われています。

後に徳川家康が天下を掌握した際、豊臣家の保護を受けた西本願寺と豊臣家の聖地である豊国神社と方広寺大仏を結ぶライン、すなわち正面通を断ち切るという意図で、現在の地に東本願寺を建立させたという説があるそうです。三代将軍・家光による渉成園の土地の寄進は、正面通をさらに切断し、西本願寺と豊臣家との関係性を念入りに分断しようとした意図があったとも解釈できます。

東西分立自体は本願寺内部の事情から起きたことであり、この説の学問的な当否も現時点では不明ですが、西本願寺に対抗して東本願寺が境内地を定めるにあたり、徳川家の果たした役割は否定できず、渉成園の位置も関わりがあったのかもしれませんね。

このような歴史的背景を知ってから、渉成園東本願寺西本願寺などを訪ねてみると、また違った興味をそそられますね。

 

 

では早速、中へ入っていきましょう。

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入園門を入ってすぐ右手に受付があります。こちらで庭園維持寄付金(入場料のようなもの?)500円以上を払うと、オールカラーの立派なパンフレットをいただけます。

 

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門を入ってまっすぐ東へ進み、突き当りを北(左)に曲がります。


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突き当りにあるのが、この高石垣です。石橋のような長い切石や礎石、石臼、山石や瓦など多種多様な素材を組み合わせて築かれています。

 

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高石垣沿いに北へ進むと、東(右)へ曲がる小道がありますので奥へと進みます。

 

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庭園北口です。門の奥に桜が見えて来ました。

 

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庭園に入ると、もうそこは満開の桜でいっぱいでした。

 

渉成園十三景や名物・景物

江戸時代の歴史家「頼山陽」は、「渉成園記」の中で、園内の主な建物・景物を「渉成園十三景」と名付け、その風雅を讃えています。ここでは「十三景」をはじめ、園内随所にみられる建築や景物をいくつかご紹介します。

 

臨池亭(りんちてい)と滴翠軒(てきすいけん)

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写真左手が臨池亭、正面が滴翠軒です。かつては滴翠軒も含めて2棟を併せて「臨池亭」と呼びました。滴翠軒が「渉成園十三景の一」となります。滴翠軒の名は、その池に落ちる小滝(滴翠)からつけられました。緩やかな屋根が深く軒を差し出し、縁側が池中に張り出しているのが特徴で、臨池亭も滴水軒とよく似た外観となっています。

 

園林堂(おんりんどう)

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園林堂はご本尊を安置する持仏堂です。「園林」とは元来、中国宮廷に設けられた大規模な庭園の意ですが、仏典では「浄土」を表し、桂離宮にも同じ「園林堂」という持仏堂があります。室内には宗像志功の襖絵で飾られているそうです。

 

傍花閣(ぼうかかく)

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傍花閣は渉成園十三景の二です。園林堂の東方、山門にあたる位置に建てられています。庭園内には珍しい楼門造りで、左右の側面に山廊と呼ばれる階段の入口があり、階上には四畳半の部屋を設けています。傍らには桜並木が広がり、春にはその名にふさわしい佇まいを見ることができます。

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さきほどの写真と反対側から

 

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今回のお散歩のハイライトです。傍花閣の周りは桜だけでなく、様々な花が植えられていて華やかです。

 

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傍花閣の周りはどこを眺めても花々が咲き誇り、遣水に映し出される花の影の美しく、さながら「秘密の花園」のようです。

 

閬風亭(ろうふうてい)

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庭園の南側の大広間で、軒を深く差し出し、規模の大きな建物ながら穏やかな姿です。

明治13年(1880)7月14日、明治天皇がご休息に使われた場所です。

「閬風」とは、中国・崑崙(こんろん)山脈の頂部にあるといわれる山の名前で、仙人が住むとされ、賓客をお迎えする大書院に相応しい名前がつけられています。

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角度を変えて、もう少し東の方を向いて閬風亭を見ると、京都タワーが見えました!

京都タワーから徒歩10分弱ほどの距離に、こんな素晴らしい庭園があるんですね。

 

印月池(いんげつち)

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印月池は渉成園十三景の三です。渉成園の東南にあり、いわゆる池泉回遊式庭園の中心となる広い園池です。東山から上る月影を水面に映して美しいことからこの名がつけられたそうです。広さは約1700坪あり、園全体の約6分の1を占めています。

 

侵雪橋(しんせつきょう)

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侵雪橋は渉成園十三景の六です。印月池の西北岸から縮遠亭のある島へ渡る木造の橋です。

 

縮遠亭(しゅくえんてい)

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渉成園十三景の七です。印月池に浮かぶ北大島に建てられた茶室です。その名の通り、かつては東山三十六峰の一つ、阿弥陀ヶ峰の遠景が縮図のごとく見晴らせたといいますが、江戸時代後期にはすでに樹木が繁茂して見えなくなっていたそうです。

 

回棹廊(かいとうろう)

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渉成園十三景の十二です。北大島と丹楓渓とを結ぶ木橋です。安政の大火(1858)での焼失以前は朱塗りの欄干を持つ反橋だったそうですが、現在は檜皮葺の屋根を持つ橋となっています。

 

臥龍堂(がりゅうどう)(南大島)

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印月池に浮かぶ南大島のことを臥龍堂とも称し、渉成園十三景の四です。元来はこの島に建てられていた小さな鐘楼堂のことを指しましたが、安政の大火による焼失以降、再建されず、現在は礎を残すのみだそうです。背景のビル群と色合いが馴染んで不思議な光景ですね。

 

漱枕居(そうちんきょ)

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渉成園十三景の十一です。印月池の西南に位置し、水上に乗り出すように建てられています。「漱枕居」の名は、旅路にあることを意味する「漱流枕石」の語から取られているそうです。

 

源融ゆかりの塔

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左大臣源融嵯峨天皇の皇子でしたが、源氏の姓を賜って臣籍に下りました。「源氏物語」の主人公・光源氏のモデルの一人と言われています。

この塔は源融の供養塔と言われている九重の石塔で、制作年代は鎌倉時代中期と推定されています。渉成園が築造される以前からこの辺りに建っていたと伝えられています。

渉成園源融の邸宅・河原院跡である」という説は、渉成園の成立後まもない時期から伝えられいました。しかし、近年の研究によって河原院の位置は、渉成園のより東北であり、渉成園を河原院跡とする説は否定的な意見が強くなってきたそうです。

穴場の名勝「渉成園

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渉成園は京都駅から徒歩圏内で、四季折々の自然の美しさも堪能できる名勝ですが、地元の人にも観光客にもあまり知られていないことから、いつ訪れてもそれほど混んでいません。

私は、他府県から知人が訪ねた折に(特に連休中、春秋の観光シーズンなど混雑する時に)人込みを避けて京都らしい場所を案内したい時には必ず渉成園を紹介しています。京都の名所は行き尽くしたなあ…という方も一度は訪れてみてください。きっと新しい京都の魅力を感じられると思います。

なお、拝観時間中、庭園内は自由に拝観できますが、茶室、書院など建物内は通常非公開なのが残念なところです。ただし、秋の夜間特別公開の際には茶室や建物内でお茶や食事をいただけるプランもあるようですので、詳細は公式サイト

https://www.higashihonganji.or.jp/about/guide/shoseien/

などをご確認ください。